禁断の森にて、番犬ファングと動植物の採取を続けていたのだが、ファングの様子と雲行きが怪しくなっていた。森の奥に進む度に吠えられてしまい、採取どころではなくなっていた。
まだ月が昇って間も無いというのに......。
仕方がない。ここら辺で中断するとしよう。それにしても、こんな様子でよく番犬が務まるな。まあ、ルビウスの飼い犬になってしまったのが運のツキだな。
「......分かった。帰るよ」
口から「ぶっ殺すぞ」などと物騒な言葉が出そうになるのを抑えつつ、森から出る道を進む。木々の隙間から満月の月明かりが照らし、いい具合に道標となっている。
残念なのは、隣にいるのが弱虫の番犬である事だけだ。
──ふと、何かが聞こえた。
......獣の、鳴き声......?
おかしいな...。
この森に入ってから敵対しそうな生き物だけに殺気を放っていたのに、この獣の鳴き声はそれらとは異なる...が、明らかに敵対心を剥き出しにした声だ。
ならば、この声の主は? 森の生物ではない獣か......?
「ファング。お前は先に帰れ。夜が明けても俺が帰らなかったら、爺様に知らせろ」
ウオゥッ!
ファングの鳴き声は喜々としていた。
駿馬の如く駆け抜けて行く姿を見送り、あれが脱兎でなければなぁ...などと考えながら鳴き声がした方へ足を向ける。俺の殺気を物怖じしない生物をこの目で見ておきたいと思ったからだ。
さて、森の木々たちの声に耳を傾けてみようか。
──......ォォ...ォォォ......ン...。
森を進む度に、鳴き声が近付いているのが分かった。
この鳴き声は狼に似ている。
「......やはり、お前か...」
俺が声を掛けると、鳴き声の主は吠えるのを止め、こちらを見る。歪な体。獣のようで人のような姿。大きく裂けた口からは唾液で濡れた長い舌が垂れ下がっている。月明かりに照らされ、そいつの姿が顕になった。
「人狼......。リーマス・J・ルーピン...だな」
確か、こいつは俺と同じ新入生。幼い頃に別の人狼に噛まれ、同じく人狼になったと聞く。まさか、こんなにも早く接触出来るとは思ってもみなかったが、これはこれでいい機会だろう。
「お前、その姿の時でも人間の言葉が分かるのか?」
「グルルルル...」
「警戒しているな。賢い判断だ。俺を八つ裂きにしたいか?」
「ガゥルルル......ゥゥゥ...」
「言葉は通じているようだな。頭もいい。俺に手を出さないだけ冷静だと言える」
だが、それもあと何年かすればコントロールが効かなくなるだろう。これは好都合だ。いい実験台を見つけた。
「──そこにおるのは誰じゃ...?」
人狼の背後に《姿現し》でその場に降り立ったのは、見慣れた姿の老人。若干、慌てた様子なのは初めて見る。
「よお、爺様。夜の散歩か?」
「トール...!? お主、ここで何をしておる」
「何って、動植物の採取に決まっているだろう。爺様には許可を貰っていたはずだが?」
「わしが許可したのは禁断の森だけじゃ」
はて? いつの間に禁断の森を出たのだろうか。そもそも森を抜けた記憶は無い。ならば、ここはどこだと言うのだろうか。
首を捻っていると、爺様から呆れたような溜息が漏れるのを聞いた。
わざとではないと理解したらしい。
人狼は俺を警戒しつつ、噛み付く隙を狙っていた。しかし、爺様が現れたことで状況は悪くなり、低い唸り声を響かせながら体勢を低くし、いつでも飛び出せる姿勢で構えている。逃がすわけが無いだろう。
「“動くな”!」
「グッガアァ...!!」
「危ない、危ない...。逃げられでもしたら大混乱に陥るところだ。おい爺様。こいつを匿える建物は無いのか?」
状況の把握が追い付いていない様子の爺様に簡単な説明をした後、その爺様の案内で“叫びの屋敷”へと移動した。
◇
叫びの屋敷に辿り着き、少しばかりの休息を取る。
禁断の森からいつの間にかホグズミード域まで足を運んでいたらしく、10点の減点を喰らった。...すまん。スリザリン生。更に、同伴無しで禁断の森を彷徨いていた事も10点の減点対象となった。つくづくすまん。スリザリン生。来週からマイナス20点からのスタートとなる。......まあ、頑張ればいいか。
さて俺が減点対象の行動を取っている間、爺様は何をしていたのかと言うと......リーマス・J・ルーピンの隔離、だそうだ。
そもそも、満月の夜に変貌を遂げてしまう運命にある人間が何故入学を受け入れられたのか。それが爺様の仕業である事は承知している。爺様は、満月の夜には必ずこの叫びの屋敷へ赴き、リーマス・J・ルーピンを隔離していたようだ。
人狼となって人格を失った彼は、爺様の隙を突いて屋敷から逃げ出したらしい。そして、森で俺と出くわした...というわけだ。
「彼はいくつの時から人狼に?」
「お前さんなら、知っておると思っておったがの...」
「残念ながら俺が知るのは未来で騒がれる事くらいだ。過去の事は知らん。記憶から探るのは可能だが、この世界の理(ことわり)と異なる為かやたらと疲れる。出来ればあまり使いたくないのでな」
爺様の話によれば、彼が人狼になったのは今から六年程前。5歳の誕生日を迎える前だったらしい。
彼の父親が人狼を侮辱した事が原因で、侮辱された人狼の一人がその腹いせにリーマスに噛み付いたのだとか...。気の毒としか言いようのない状況だな。
爺様は11歳の誕生日の前日に彼らの家族の前に現れ、リーマスをホグワーツへ入学させると告げたらしい。それまで家に閉じ込められ、他人との関わりを遮断されていたリーマスにとって、それはそれは嬉しかったに違いない。満月の夜には叫びの屋敷に閉じ込める、という条件の基、ホグワーツへの入学を許されたのだ。
彼にとって、我慢するのはそれだけだ。あとは、いくら他人と付き合っても叱る人間はいないのだ。「家にいた頃よりも自由だ」と爺様に話した事もあるらしい。
「爺様。こいつ、俺の実験台にしてもいいか?」
「何をする気じゃ」
「独自開発した薬品を試したいだけだ。無論、危険だと判断したら止めればいい。...因みに、俺が試したい薬品の名は《脱狼剤》だ」
「.........」
生徒を実験台に...などと言われて二つ返事で了承するはずはない。だが、このジジィに嘘をついたところで瞬く間にバレるのは目に見えている。そのせいで交渉の機会が無くなるより、美味い餌をチラつかせてみた方が可能性はあると考えた。その鍵となるのが《脱狼剤》だ。
脱狼剤は、人狼にならないようにする薬などではなく、人狼になった際に本人の意識を保たせる為の薬だ。つまり、人間の人格や理性を保たせる.......という代物である。
爺様にもその餌の効果はあったらしく、渋い顔をしたまま首を縦に振った。但し、条件付きでだ。
条件その一。実験をするにあたり、生徒には極力秘密にし、先生方には報告すること。
条件その二。危険な薬物を使用する際には、爺様に前もって報告すること。
条件その三。リーマス自身が拒絶した場合、即中止とすること。
条件その四。実験の結果と効果の記録を爺様に定期的に提出すること。
以上の条件で手を打った。
「そんな事でいいのなら、喜んで手を打とう。もうすぐ夜明けだ。では爺様、俺は授業がありますので失礼。──おやすみなさい」
「うむ。...おやすみ」
さて、さっさと我が部屋に戻るとしよう。明日からは忙しくなる。そう思うと思わず浮き足立ち、早足で帰るつもりが全力疾走していた。
部屋に到着後、俺はすぐ眠りについたのだった。
◇
「リーマス!」
次の授業がある教室へと向かう途中、やや猫背の少年に声を掛ける。振り向いた少年の顔色は悪く、俺とは違った青白い肌をしていた。呼び掛けたのが俺であると気付いたらしく、少年は安堵の表情を見せた。
「トール...どうしたの?」
「姿が見えたからな。ついでに状態観察でもしておこうかと」
「だいぶ楽だよ。この間は二百まで数を数えられたし...」
爺様との交渉から既に三ヶ月が経つ。
リーマス自身、最初は抵抗が見られたが一度目の実験結果が思ったよりも良かった事から、しだいに彼から声を掛けて来るようになった。今では、互いにファーストネームを呼び合う仲だ。
さて、リーマスの言葉を疑うわけではないが、脳や神経に耳を傾けてみる。彼自身が気付いていない事柄を知る為には必要なのだ。リーマスもそれを嫌がりはしない。結果的に自身の体への負担を軽減する事に繋がると理解しているからである。
「......なるほど。お前の言う通り、経過は順調のようだな」
「本当に!? よかった...。ねえ、トール。その...薬の味は...変えられないのかな......」
「時間が無くて試してはいないが、苦味を抑えられるか実験してみようと思ってはいた。なんだ? 苦いのは嫌いか?」
「......うん」
消え入りそうな声で頷く姿に、思わず吹き出してしまった。それとほぼ同時に予鈴の鐘が鳴り、一旦別れてそれぞれの教室へと足を早めた。
今週はスリザリン生との授業。
グリフィンドールでは相変わらず眼鏡の少年が大暴れしているらしく、あまり顔を合わせる事が無い。
勝負を申し込まれるのは毎度の事だが、そもそも何故俺との勝負にこだわるのかが分からん。少年の名前さえ知らん状況だ。今度、リーマスに尋ねてみるとしよう。
さて、次の授業は魔法薬学だったか。
先週の授業では別の寮生での参加だったが、なかなかに面白かった。
独自開発した薬品があるとはいえ、独学だけでは些か頼りない。リーマスを危険な目に合わせる気は無いし、俺自身がそれに巻き込まれるつもりも無い。一年生の内は基本的な事しか習わないが、無知であるよりいくらかマシだ。
「失礼だが、隣は空いているだろうか」
「ああ...」
教室に入るなり空いている席を探す。だが、残念ながら一人になれそうな席は空いておらず、通路側の席を大幅に空けて座る少年に声を掛けた。誰かと待ち合わせでもしているのかとも思ったが、あっさりと相席を許す辺りそうではなかったらしい。
さて...。隣の少年、先程から睨んで来るのだが。
何かしてしまったのだろうか?
それを尋ねてみようとすると、体中から「関わってくんな」と拒絶のオーラが溢れ出す。......まあ、いいか。
「はい! 皆さん揃っていますか? 揃っていなくても始めます。では、28頁(ページ)を開いて!!」
28頁...。先週習ったばかりだな。項目は“地上と水中の薬草の見分け方と採取方と使用方”。50頁に渡り薬草の種類が詳細に記されており、その生息地、採取方、使用方が簡潔に記されている。見分け方については、項目のすぐ下に「地上にあるか、水中にあるかである」とだけ...。もっと他に言いようがあっただろうに。
そう言えば、38頁に気になる植物があったな。確か...苦味を消す効果のある薬草だった。ただ、生息地が遠かった事を覚えている。
「失礼」
「──であるから...ん? なんだね、Mr.オルフェウス。私の貴重な受講時間を無駄にす」
「ただの質問だ。38頁の薬草について、一つ質問したい」
「......ふむ、何かね?」
俺の口調が気に食わないのか少々不貞腐れていたが、そんな生徒から質問された事に喜んでいるようにも見える。無駄にプライドの高い教師はあまり好かない。相手をするのは面倒だ。
「とある薬を処方中である事はご存知だと思うが、この苦味を消す効果のある薬草は効果的であると思えるか?」
「んん? “シムガニ藻草”かね。この薬草は確かに苦味を消す効果があるが、調合される薬草によっては強い酸味を出す。そもそも、ホグワーツには生息しておらんよ。因みに──」
生息云々は分かっている。効果があるかどうかを聞いているのだ。答えは簡潔に済ませてもらいたい。長話が始まる前に早々と切り上げ「先生、流石ですね」と心にも無い事を言葉にする。その言葉を間に受けたらしく、教師は機嫌良く受講に戻った。
はあ...疲れた。
この教師には、お礼としてこの間のカエルのイボの珍しいサンプルを渡しておく事にする。