一応三人称視点です。
森久保乃々はその日、普段より早い時間に目を覚ました。
休日なので両親はまだ起きてこない。気まぐれに朝食を作ってみることにした。冷蔵庫を覗き、食品を確かめる。脳内会議でベーコンエッグを作ることになった。見るだけで調理法がわかるので、流石にあれくらいなら自分でも失敗することはないだろうと思ったのだ。フライパンを出し、サラダ油を少し垂らし、火をつける。冷蔵庫のパックから取り出したベーコンを並べた。順番が合っているのかわからなかったがまあ間違えたところで大して変わりはないだろうと考える。キャベツをスライサーで細長く切り、ベランダにある鉢植えからプチトマトを3つとった。百均のプラスチックの皿に野菜を乗せてみればそれだけで料理ができたような気になるものだった。食パンをトースターに入れ、スイッチを回す。ジジジジ、と音を立てて熱を持ち始めた。フライパンでサラダ油が爆ぜる音を聞きながら今日は少しいい日になると思った。いつの間にか口元は緩んでいた。まだ誰もいない静かなリビングにテレビの音が響いている。午後から雨が降り始めると天気予報士が告げていた。それは先週新しい傘を買った彼女にとって嬉しい知らせだった。
「…今日はお散歩に行こう…」
彼女は一人小さく呟いた。
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未央の心境は言うほど悪くはなかった。まあ早起きをして、今にも降り出しそうな重く暗い曇天を見て、がっくりきたのは確かである。しかし先日みりあに忠告のようなものを受けてから1日に何回も天気アプリを開いていたのだ。流石に彼女も当日天気が崩れることぐらいはわかっていた。
卯月に相談したところ「まあ、適当な事を言えば天気が不安定だからこそ、この時期にしたのかもしれませんね」というコメントを返された。未央は別にそういうことを言って欲しかったわけではない上に真意がつかめないのだが、考えてみれば天気のことについて建設的な解決策を語れるわけもない。そういったとき一旦スルーするというのは、相変わらずズレている卯月の効率に基づいている部分もあるのかもしれない思った。
とりあえずてるてる坊主を一つ作って『できたてEvo!Revo!Generation!』の赤い衣装を描いた。自分たちシンデレラプロジェクトだけの初めてのステージの日に雨が降っているのは残念だが、雨天決行の連絡が来たことだけでも素直に感謝しようと決めた。
未央は場を明るく保つことが自分の役割であると思っている。もしかしたらショックを受けているかもしれない仲間を励ませるように自分だけは明るくいなければいけないのだと、そう、己を鼓舞する。
「…まあ、しまむーだけはいつも通りだろうなぁ…」
未央は苦笑いした。
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卯月はコンビニを回ってカッパを大量に買い集めていた。
一時的に雨をしのぐ、安価なビニールのものである。卯月はこれを客に無料で配布するつもりでいた(既にツイッターでつぶやいた)。両手の袋ははち切れんばかりになっていたが、売れたチケットの量にはまだ程遠い。こんなことならもっと早くから準備しておけばよかったと思ったが、思いついたのが昨日なので仕方がない。特に使うこともなく溜まっていたらしいおこづかいを適当に持ち出し、気が狂ったようにカッパを購入している。"雨合羽"の三文字がゲシュタルト崩壊しかかっていた。コンビニの店員が頭のおかしな人を見る目で卯月のことを見ていたが、それも仕方がないことである。
「重い…」
手に持つビニール袋を握り直した。
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「問題は、杏たちのチケット価格が普通のライブの四分の一以下ってことなんだよねぇ」
きらりと杏が並んで歩いている。二人とも手に傘を持っていた。杏の言葉にきらりは眉を下げ頷く。
「それに名前も響き渡ってるわけじゃない。物販も中止になるかもしれない。休日の暇つぶしと軽い興味だけでチケット買っちゃった人は午後の大雨予報を見て行く気なくすよ」
まあとはいえ、買ってしまったのだからある程度は来るだろうと杏は読んでいた。卯月同様雨合羽を買って客に配るという発想は思い浮かぶだけなら思い浮かんでいたが、来る客は自分で持って来るだろうと考えて行動には移さなかった。
「みんな大丈夫かなぁ?…今日楽しみにしてたのに…」
「まあ、大丈夫だと思うよ。未央が一番客に期待してる節があるのと、智絵里ちゃんが超大勢の客の前でちゃんと歌えるかっていうのが今日の心配だったけど。前者はみりあちゃんが、後者は雨が解決してくれたみたいだし」
「みりあちゃんが何かしたのにぃ?」
「あー、みくに聞いたんだけどね。いや、ともかくあの子がちょっと利発過ぎるってだけ…みくが何か隠してるような感じもするし、でも李衣菜じゃ読み切れないだろうし……ああ、雨が降ってきたね」
ばさっ、と杏は傘を開いた。隣できらりもカラフルな傘を差す。きらりは杏が言いかけていた言葉を追求しようか迷ったが、身長差により杏の顔は傘に隠され、見えなかった。
「まあなるようになるよ」
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「あーー!!もうありえなーい!!」
莉嘉は会場の控え室で机に突っ伏して、バンバンと叩いていた。かな子はマシュマロを食べている。
「雨全然止まないー!!」
「うっさい莉嘉」
隣に座る美嘉が妹の頭にチョップしたが、莉嘉の癇癪はなかなか収まりそうに無い。ちなみに美嘉は卯月が先輩アイドルたちと仲良くなっているのと逆に、CPのアイドル全員と一定の関係を築いていた。
「おねぇちゃーんー!」
「はいはい、わかるけど残念なのはアンタだけじゃないんだよ。中止にならないんだからダンス確認してきな」
「あーもー雨で練習するとこもないんだってばー!みりあちゃんはー!?きらりちゃんはー!?」
「みりあちゃんはみくと一緒にいるみたい。すぐ来るって」
ちょうど控え室に入ってきた李衣菜が答えた。流石に雨が降っているので肩にヘッドフォンは載せられていない。ロックっぽいタオルで自分の髪を拭いた。
「おつかれ〜★」
「あ、李衣菜ちゃんおはよ〜」
「美嘉さんお疲れさまですー、かな子ちゃんニュージェネは?」
「未央ちゃんと凛ちゃんは朝早くから来てたんだけど、することもないからって一旦外出てるよ〜」
「智絵里ちゃんは?」
部屋の隅を指差す李衣菜。そこでは智絵里が手に何かを握りしめて無心の祈りを捧げていた。かな子は苦笑いした。
「クローバーさんに天気を変えてもらうんだって」
「あはは…本番までに緊張ほぐしてあげてね…」
「もちろんだよ!」
かな子は力強く頷いた。それを見て李衣菜は安心する。美嘉は手に持つドーナツが説得力を下げていると思った。
「いや、上げてるのかも…」
「?…それにしてもみく達は何してんのかなぁ」
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みくとみりあはコンビニを回って雨合羽とタオルを買い集めていた。二人が持って来たカバンはいっぱいになっている。自分のライブで販売されるタオルが売れなくなるのではとみくは言ったが、みりあは不可抗力だとしても買うのを強いることになるのは印象が良くないと言い返した。半分くらい納得したみくは、まあいっかと思って手伝っている。
二人はライブ会場近くのコンビニでとりあえず最後の雨合羽とタオルを買っていた。
「これでまあ足りるかにゃ」
「そうだね。卯月さんなら同じこと思って多分行動に移してると思うし…足りると思う」
「じゃ、そろそろライブ会場に行くにゃ」
「プロデューサーに話つけるのは私やらないからね」
「えぇ…みりあちゃんが提案したことなのににゃあ…」
みくがため息をついた瞬間、外から金属と金属をぶつけ合わせたようなような衝撃音が聞こえた。雨はますます酷くなっていたのでその音に気づいたのはコンビニ店内でみりあだけだった。
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未央と凛が見たのは耳障りな音を立てて暴走族のバイクがガッシャンガッシャンと連鎖して倒れる様子と、それを引き起こしてしまったらしい巻き毛の少女、森久保乃々だった。乃々は「あわわわわわ…」と地面にへたれこんで今にも気絶しそうな様子である。水溜りで滑って転んで、その勢いで思わぬ力を発揮し、鉄の車体を押し倒してしまった。今日調子に乗って外に出たことを今までの人生で一番後悔していた。
バイクの倒壊が終わった瞬間、誰もが動けなかったがコンビニの屋根の下にたむろしていた、いかにもガラの悪い連中が「何してんだァ!テメェ!」などと大声で暴言を吐きながら乃々に近づいていく。
未央と凛は、動けなかった。気の毒だし、何とか助けてやりたいが、自分にどうにかできる状況ではない。しかもなにより二人の足を止めるのは顔も名前も知らない少女に非が無いわけではないということだった。
彼女の元に助け寄ろうと一歩踏み出せても、その続きが踏み出せない、そんな状況だった。声が聞こえた。
「ちょっと待ってください!!!」
誰かの叫ぶような声が聞こえたかと思うと、声の主は全速力で走ってこの状況に突っ込んできた。乃々を男たちから守るようにの間にバッ、と手を広げて立った。島村卯月である。
瞬間、凛と未央は二歩目を踏み出した。
「何で卯月がいるの!!」
「間に合って!」
卯月はドサッと雨合羽が大量に詰め込まれたコンビニ袋を落とした。乃々がビクッとして顔を上げる。自分を庇うように立っている女性を見てこれが現実に起きていることなのかますますわからなくなった。卯月は雨でびしょびしょになっていた。
「何だオメェはァ!!!」
先頭を走っていた一人が卯月の胸ぐらあたりを掴んだ。そして思いっきり横に薙ぎ払らおうとした、が。
「すみませんでしたあああああああ!!!」
と、卯月が鍛えられた喉を全力で振り絞り叫んだので男は一瞬動きを制止した。その間に凛と未央が到着した。未央は電話で警察を呼び出した、凛は乃々を無理やり立ち上がらせた。卯月は犬がブルルッと体を震わせるように、掴まれていた手を振りほどいた。一つ攻撃を避けたことになる。しかし暴走族は卯月たちを囲んでいた。既にバイクに乗っている者もいる。逃げるのは不可能だった。残りは警察を呼んだと宣言することくらいしかないが、こちらがきっかけである以上向こうが引くとは思えない。卯月の眼前の男が拳を振り上げた。
「テメェらよってたかって女をいじめてんじゃねぇ!!!」
みりあに引っ張られてコンビニから出て来たのは『仏恥義理』と背中に刺繍された特攻服を着て、サラシを巻いている女だった。ずんずんとこちらに歩いてきた。男たちがすぐに道を開け、女は卯月達に殴りかかろうとしていた数人の男をジロリと見る。
「拓海さん!!」
「姉貴!!こいつら」
「いいから単車壊れてねぇか見てこい!!!」
拓海と呼ばれた女の怒号は空気を震わせるほどの迫力があり、男たちはすぐに各々のバイクに飛んで行った。
それを見送った拓海は腕を組んで、乃々を見下ろした。卯月はこれは多分大丈夫だな、と思ったが、凛と未央が庇うようにした。
「悪かったな」
乃々は一瞬何を言っているのかわからなかった。庇う二人も怪訝な顔をした。
「うちの仲間がバイク停めてたのはちゃんとした場所じゃねーんだよ。テメェが倒したのは悪いが、こっちも悪いってことだ」
「い、いやえっと、もり、私もごめんなさい。すみま、せんでした」
「許す。これからは気をつけろよ」
拓海はそれだけ言うと自分のバイクに乗って仲間と共に道路を去っていった。未央が警察に繋がったままの電話で安全と謝罪を伝えている。乃々は恐怖を思い出したのか安心したのかしゃくりをあげながら泣き出した、それを凛がなだめている。
概ね一件落着だった。
「ただそれは、向井拓海ちゃんの性格に依存していた部分が大きくて。弱い者を追い詰めることを好まず、義理堅い。彼女の性格が違うなら連れてきても被害が大きくなるだけのはずだった。いや、普通ならまず私達の味方になるなんてことは考えられない」
卯月は正面に対峙する少女に目を向ける。
少女も卯月のことを見ていた。
いつもの幼い笑顔で。
「卯月ちゃん、どーいうことー?」
「なのに名前さえ知らないはずのあなたが、連れてきて、それで事態は解決した。利発では収まらない。知っていなければできないことなんじゃないかって思うんだけど」
傍でみくが気まずそうにしていた。
少女はにこにこと笑っている。
「みりあちゃん『Romantic Now』って知ってる?」
みりあは本当に不思議そうな顔をして首をかしげた。
「なぁに、それ?みりあ知らないなぁー?」
雨が降っている。