視点は前川みくです。
それは卯月ちゃんたち三人が来る数日前で、プロデューサーがやけに接しやすいと感じ始める日のことだった。
三人の候補生がいなくなり、現在休止状態にあるシンデレラプロジェクト。二次募集の合格者がもうすぐ決まると、浮き足立ち、そして上手くいくのかと不安さも感じている。そういう空気が漂っているレッスンルームの中で、突然仲間の一人が倒れた。
みんなはすぐに心配して駆け寄り声を掛けたが、真後ろで踊っていた私は少しの間動けなかった。不気味な倒れ方だった。プツンと電池が切れるようにダンスの途中で体を動かそうとする意識が切れたのが目に見えた。
自身の動きの慣性で投げ出されるように腕や足が動き、受け身も取らずに頭を打ち付けた。ただ足を引っ掛けたようにはとても見えなくて、びっくりしたし、よくわからないけどゾッとした。このプロジェクトの行き先を暗示しているようにも感じた。
転んだ彼女はむくりとすぐに起き上がった。レッスンルームには壁面に大きな鏡がある。起き上がった彼女と鏡越しに目があった。
一瞬前とは違う、虚ろで空虚な瞳だった。何の感情も写してないように感じた。ゾッとしたといえばその時こそ背筋が凍ったと思う。全く別人かと思った。いや、本当に彼女の身体を誰かがのっとったんじゃないかと思った。それくらい普段の彼女とは違う瞳だった。
一瞬後、自分を囲んで心配しているCPの仲間に気づき、彼女はいつもの表情にパッと切り替わった。明るい笑顔に戻った。
全く。何の違和感もなくいつもの彼女だった。自分が転んでしまったことを気恥ずかしそうにして、自分の周りに集まってくれた人に明るく大丈夫とありがとうを言ってレッスンをもう一度始めようとした。もちろん、派手に頭を打っていて心配なので私が休憩を提案した。トレーナーもそれに賛成して、その子は私の背後の壁にしゃがみ込んで座った。自分のバックから水を取り出して飲もうとはしなかった。座った後に私たちを見つめる瞳はいつもの彼女で。さっき一瞬見たような気がした何かは気のせいだったのだろうと私は思った。
「話があるんだけど」
レッスンが終わったあとに誰もいないところで話しかけられた。
みりあちゃんだった。
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「このままだとまずいんだよねー」
女子寮、私の部屋にてみりあちゃんが言った。カーペットにゴロンと寝っ転がっている。子供パンツが丸見え…。
「アイスティーしかなかったけどいいかにゃ」
「何でもいいよーありがとー」
テーブルにお盆を乗せると、寝転んだまま器用にコップを取って飲んだ。ああもう横着するな。
既にこのみりあちゃんが何かおかしいって、そりゃ流石に考え直しているんだけど。さっきKBYDのKBDとすれ違った時にはいつもの天真爛漫な笑顔で挨拶をしていた。つまり私の部屋に入るまでは完璧に演じてたから…逆に突っ込み辛い。
「いやーほんと、就活で頭おかしくなりそうだったから…助かったっちゃ助かったけど…戻ってきちゃったし今までの苦労も全部無駄かー!」
「何がなんだって?」
「おかわり〜」
「はいはい」
コップを渡してくるのでペットボトルから注ぐ、すぐさまごくごくと飲んだ。何だろう今日のみりあちゃんは、頭を打っておかしくなったのだろうか。
「ありがと。まぁおかしくはなってないんだけどねー。ちょっと賢さUPしちゃっただけー!っていうか私身体ちっさーい!声たかーい!」
自分の手を伸ばしたり振ったりして、きゃっきゃっと笑っている。それだけ見れば小さい子が何かはしゃいでるんだなって感じはするけど…どうなんだろう。
ただ、はしゃいでるって言っても、不気味過ぎる点が一つあって、この部屋に入ってから表情が全く変わらないのだ。それまではにこにこと明るい表情だったとするなら。今この子が浮かべているのはありきたりな表現で、能面のようだった。無表情なそのまま、声だけあはははと笑っている。
この世の何もかもに興味がなくなったような、ともかく子供が浮かべていい表情では無い。
「どうもみくにはネジが一本取れちゃったようにしか思えないんだけど…っていうか家の人に連絡しなくていいの?」
「あー、あー忘れてた。そう、家。家ね。そういえば…りりあが生まれる頃じゃん。まあいいやちょっと待って、とりあえず電話するね」
「うん…なんかこのみりあちゃんと話すの疲れるかも…」
圧力がある。自信を持っているというか…部活の先輩と喋ってるようなテンポだった。顔と言動のズレが怖いけど。しかし賢さUPだかなんだか知らないが本人のいうとおり、昨日までのみりあちゃんとは全く違って知性を獲得したからこその余裕みたいなものもある。何が起こってるの?この子に。シンデレラプロジェクトが始動して、顔合わせをしたのは1ヶ月くらい前だった…今日までずっと演技をしていたってこと?あり得ない…けど…もうそれはあり得る話なのだろうか?
そんなみりあちゃんは自分のiPhoneのパスコードを忘れてしまったようで[5分後にもう一度試してください]と表示が出ている。知性は?
「賢さUPはどうしたにゃ」
「いやー記憶は別もんだからねー、誕生日とかじゃないの?普通?」
「みくに聞かれてもにゃあ、なんで覚えてないにゃ」
「みくちゃん電話かしてよー頼むよー」
なんかもうめんどくさくなってきたのでほいっとスマホを投げる。寮に固定電話は無いし。
「もしかしてパスコード[2222]?わ、開いた」
「えぇ…?ごっつ勘ええやん…、電話だけにしてよ、他のとこ見ないでね」
「うっわみくちゃんこんなえっちぃ画像保存してんの〜?やばすぎなーい?」
「ぅ"に"ゃぁ!?みく別に変な画像なんて保存してないにゃ!ちょっと電話しないなら返すにゃ!」
「うっわ…電話帳少なっ…」
「みりあチャン???」
「げっ、怒った。冗談だって。はい今電話かけてる」
「全く…」
みりあちゃんは集中するように長く息を吐いた。目を瞑っている。ぐぐぐぐっ…と起き上がって体操座りをした。小さな膝の上に顎を乗せて細い腕で抱えている。無表情だった顔のお面を吹き飛ばすように。
スイッチが切り替わるように。
パッチリと目を開いた。キラキラとした光が跳ねた。
「あ、ママー?うん、みりあだよー!CPの子の携帯借りてるのー!うーん、みりあの充電切れちゃって…。はい…ごめんなさい。それでね、お願いがあるんだけど、今日友達の家に泊まったらダメっ?おんなじシンデレラプロジェクトの女子寮の子で、前川みくちゃんっていうんだけど…。うん…」
「え、ちょま、泊まるの!?」
こんな魂を入れ替えるような完璧な演技ができる小学生と一夜を過ごしたくないんだけど。いや、逆に、さっきの能面が演技だったと取ることもできるけどそれは違くて絶対あれが本性でしょ。この前夜中に遭遇したまゆちゃんより怖いんだけど、いや、あの子はあの子でいい子なんだけど。無理無理無理ってキラキラの目をしているみりあちゃんにバツマークを送ってみるけど『うふふっ、だーめ♡』みたいな感じで人差し指で"ちょんっ"とされた。可愛すぎて頭おかしくなりそうでした…どないなっとんねん…。
「うん…ん、わかった、みくちゃんに代わるね」
星が飛び散るつぶらな瞳でこちらを見上げ、電話を差し出してくる。私は嫌々受け取る。
「……はい、お電話変わりました、みりあちゃんとCPで一緒にレッスンさせていただいてる前川みくです。いきなりな話、申し訳ありませんでした」
『あら、礼儀正しい子ね。こんにちは、みりあの母です。みりあがいつもお世話になってますー』
声が若い、これで11歳の母なのか…。いや、前にみりあちゃんに聞いたことによると、もうすぐ妹が生まれるっていってたな…。"りりあ"…?ともかく妊婦であるなら迎えに来てもらうのは無理なのかもしれない。まあ、さっきまでの表情欠落ver.なら夜道に放り出したとしても何の問題もない気がするんだけど、そういうわけにはいかないだろう。
ちなみにみりあちゃんはまだあざといモードを続けていて、"どうやって答えるのかな?何話してるのかな?"みたいな感じでこちらを覗いている。こいつほんまええ根性しとるわ…。
「いえいえ、こちらこそ。みりあちゃんにいつも元気をもらっていて…。今日なんですが、お母様がお許しになられないようでしたら私が付き添って家まで送りますが…」
『ああ、いいのよ。美城の女子寮って結構ちゃんとしたところでしょ?みりあの時にも案内貰ったし。いきなりごめんなさいね』
「ああ、いや、大丈夫です。全然ほんと、結構他のアイドルの子たちも泊まったりとかしてるみたいですし…」
フォローするようなこと言って私はどうしたいのだろうか…クソッ、こんな常識人枠私はやめたいのにっ!難波笑美ちゃんみたいな人の癪に障らない図々しさが欲しいのに!
『服とか色々めんどくさいと思うけど…まぁみりあが突然そんなことを言い出すなんて珍しいから、出来れば言う通りにさせてあげたいのよね、申し訳ないけど適当にやっておいてくれると助かるわ。多分そんなに迷惑かける子じゃないと思うから、うふふ、私って親バカかしら』
「い、いやそんな…。みりあちゃんはいい子だと思います…はい、大丈夫です。ゆるゆるだと思いますけど私のパジャマとか貸しますので」
眼前でみりあちゃんが胸の前で手を合わせて"わーっ!"と目をキラキラさせた。あほみたいにかわいいけどさっきの見てたらスイッチの切り替え完璧すぎて怖いねん、わかれや。
「わーい!」
ん"ん"っやめろ!抱きつくな!
『ありがとうね、じゃあちょっとみりあに代わってくれる?これからも仲良くしてあげてね』
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。失礼しますー」
『はーい』
みりあちゃんに携帯を返す。
「うふふ、ありがとっ」
「はいはい」
私が手でしっしっ、とやるのも気にせずにこにこ笑って携帯を耳に当てた。
「はーい、みりあでーす!…うん、わかってるよー、迷惑かけません!…はい、うん、わかった。おやすみなさい!」
ピッ、と電話を切ったみりあちゃん。ふぅー、と息を吐き出す。
「あ、ちょっと待って戻らんといて」
「あー疲れるこの喋り方」
「遅かったかぁ…」
感情が抜け落ちたようなみりあちゃんから携帯を受け取る。パスワード変えとこ…。みりあちゃんはバタッとクッションに倒れこんだ。魂抜けてそう。そのまま話しかけてくる。
「どーする?風呂行く?」
「その前に…、その…気持ち悪いスイッチの切り替えと、私にだけバラしたのはどーいうことかちゃんと説明するにゃ!」
あはは、と声だけで笑うみりあちゃん。アニメで声のあってない声優がキャラを間違えてセリフを当てているようだった。視覚と聴覚の情報がギクシャクしている。
ひょいっ、と身体のバネを使って跳ね上がるように起き上がった。え、なんだ今の、体操選手みたいな動きだったんだけど。
「いやー身体が軽い。ここで二人っきりで話してても空気が重くなるだけだからさ、お風呂行こうよ。まだお風呂にしては早い時間だしみんなご飯食べてるでしょ」
その読みは実際かなり的確で、そうやって言い当てられると、私は別にいいか…と思ってしまう。声の調子だけで人を流す上手い話術だった。ため息をつく。
「はぁ…わかったにゃ…。じゃ、パジャマ出してくるからちょっと待ってて」
「ありがとー、あ、猫柄以外のやつにしてね」
「そんなものはない」