過去から未来、そして久遠に   作:タコのスパイ

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 2020年12月14日改訂済み。


アニマルガール

「ジャパリ、パーク」

 

 告げられた名を復唱しながら振り返る。そこで自分の乗ってきたジャパリバスが、黄色の地に黒い斑模様が走るネコ科の動物を模したデザインである事を知った。

 

「クオンさん、あなたはジャパリパークを運営する財団に招かれてここにやって来ました。そしてパークガイドの私はクオンさんの案内をするよう仰せつかり、昨夜このジャパリバスであなたをお迎えに上がったのです」

「招かれた? 俺が?」

「はい!」

 

 聞き覚えの無い名。身に覚えのない招待。そもそもどうして自分の名前を知っているのだろうか。思わず首を捻る。

 それを見て笑顔から一転、パークガイドの形の良い眉が困惑に顰められる。

 

「……その釈然としないというお顔。もしかして私、それもちゃんとお話ししていませんでしたか?」

「初めて聞いた」

「あらら、私としたことが……それでは混乱するのも無理はありませんね。えっと、ジャパリパークとはですね」

 

 そうして彼女が口を開きかけた瞬間。

 

「助けてー!」

 

 悲鳴が空気を引き裂いた。

 二人して声の方向に向くと、草を蹴散らしながら一人の少女が駆けてきた。黄褐色の地に斑模様が彩られた蝶ネクタイとスカートが特徴で、大きな目をぱっちりと開いた活発そうな顔立ち。特殊な趣味の持ち主でもなければ、10人中10人が「可愛い」と評するだろう。

 しかし普通の少女、とは評せない部分もあった。黄褐色のショートヘアーの頂点に、ふわふわとした毛で覆われた大きな耳が突き出ていた。飾りではない。ホームセンターなどで売っているパーティーグッズのようなカチューシャや留め具の類は見当たらず、何より息を切らす持ち主に合わせるように、時折ぴくぴくと動いているのだ。

 腰からは同じく黄褐色の尻尾。やはり毛で覆われているそれは完全に作り物の質感などではなかった。

 

「サーバルさん! どうしたんですか……って、あれは!?」

 

 サーバル。確か何処かでそんな名前の動物を耳にしたことはある、が?

 クオンの思考を断ち切らせるように、少女を追っていたもの達の姿が見えてきた。

 それらは正しく異形だった。風船に似た球体から細長い尾が伸びているもの。三日月形に歪曲した痩身に複数の目が並んでいるもの。空中に浮かぶツルハシともエイとつかないもの。プロペラのような羽の中央に一つきりの目玉がついたもの。形や色こそ様々だが、その全てに共通して弾力感のある身体は半透明で、背後の景色が薄らと透けて見える。生物と呼ぶには不自然としか言いようの無い風貌、しかし無機物と断じるにはあまりにも生々しかった。 

 気がつけばサーバルを追っていた数体だけではなく、何時の間にか現れた別の群れがジャパリバスごと3人を取り囲んでいる。軽く数えて10体は下らないだろう。怪しく光る幾つもの目は全てクオン達に向けられていた。

 視線に悪意や殺気の類は感じられない。感じるのは肌がひり付くような「欲」だけ。サーバルの、いやクオン達の持つ「何か」を強く求めている。そんな印象だった。

 

「セルリアンがこんなに……これは大変です! 急いで管理センターに連絡を……!」

 

 隣に立つパークガイドの彼女が無線機に手を伸ばしかけたのとほぼ同時に、突如としてクオンの胸元から強い光が溢れ出た。誰もが驚いて動きを止めたが、当のクオンは自分自身でも意外な程に落ち着いていた。こんな状況だというのに、何処か心地良い温もりすら感じていた。

 コートの襟口に手を差し入れる。日の光を反射しているわけではないのにも関わらず、掌の中で太陽の如き輝きを発しているのは紐で首からぶら下がった円盤。銀の枠の中心に透明な水晶がレンズのように嵌めこまれている。

 それは8年前のあの日、病院で目覚めた時から握り締めていたお守り。記憶の無いクオン自身は愚か家族でさえ見覚えがなかったが、正体の分からない「手放してはいけない」という感情からずっと肌身離さず身に着けていた物だった。

 

「クオンさん、それはお守り……ですか?」

 

 こちらを見たまま呆気に取られている彼女を他所に、水晶の面から発せられる光はますます強くなり、やがて何条もの光線となって四方八方へ伸びた。その殆どは地平線の彼方へと飛んだが、一条の光がこちらを振り向いているサーバルの胸を打つ。

 サーバルは一瞬目を見開いてたたらを踏み、やがて胸を押さえていた両手を目の前でかざす。指の隙間からは火の粉のよう虹色の光が零れ落ち、それををまじまじと見つめる。

 

「不思議な光……何だか力が湧いて来たみたい……」

 

 呟きながら手を握ったり開いたりを繰り返し、やがて顔を上げる。彼女のオレンジがかった瞳と目が合った。

 

「あなた、クオンっていうの? じゃあこれはクオンの力?」

「この反応はもしかすると……クオンさん、あの怪物達、セルリアンを撃退出来るかも知れません!」

 

 事情は相変わらず飲み込めないが、何にせよもう考えている暇は無いだろう。セルリアンというらしい怪物の群れも状況の変化に戸惑うように暫しざわついていたが、段々と落ち着きを取り戻し始めている。

 改めてサーバルと視線を交わす。

 

「サーバル」

 

 一言名前を呼ぶ。初対面の筈なのに、不思議ととそれ以上の言葉は不要だった。

 

「うん、私頑張るよクオン!」 

 

 サーバルも勢い良く頷く事で応える。そしてまさしくネコそのものの前傾姿勢を取り、セルリアンの群れの中にまっしぐらに突っ込んだ。

 セルリアン達がすぐさま反応する。そのうち水滴のような外見の一体が振るった触手を、ネコ科肉食獣特有の鋭い鉤爪を右手の五指から伸ばして一閃。そのまま返す左手の爪で武器を失った本体を横に両断した。真っ二つになったセルリアンは血の一滴も零すこと無く草むらに転がり、やがてキラキラ光る塵となって風に溶けて消えた。

 仲間が倒されたことなど気に留める事無く、手足の無いテディベアに似た別の一体がサーバルの背中目掛けて突進する。しかし奇襲は意味を成さなかった。気配を察したサーバルは素早く飛び退り、すかさずのっぺりした頭部にハイキックを見舞う。硬いゴムボールを強く蹴ったような音が響く。頭に大きな凹みを作ったセルリアンが群れへ吹き飛び、ボウリングピンのように仲間を巻き込んで盛大に転倒した。

 凄い。クオンは率直に感じた。これがサーバルの元々の身体能力なのだろうか。しかし直前までセルリアンから逃げていたところからするとそれだけとは考えづらい。サーバル自身の言葉通り。先ほどお守りから放たれた光に秘密があるのか。

 視線の先でサーバルが次々にセルリアンを虹色の塵に変えて行く。その間を掻き分けるようにプロペラか、あるいは扇風機の羽のような形状をしたセルリアンが高速回転しながらサーバルに襲い掛かる。しかしその刃がサーバルを切り裂く事は無かった。突如として頭上から叩きつけられた黒い何かによって粉々に砕け散ったのだ。

 バスの上から地面に降り立ったのは、黒いショートボブに小さな丸い耳を持つ少女。胸元に青いリボンの付いたカッターシャツと黒いスパッツに身を包み、先ほどセルリアンを粉砕した鉤爪付きの熊手をまるで竹箒でも扱うかのようにくるりと振り回して見せた。

 

「何だか大変な事になってるねサーバル。でもセルリアンと戦えてるって事は、見ないうちに修行でもしてたのかな?」

「ヒグマ! ちょっと私だけじゃ大変そうなの、二人を守るのに力を貸して!」

「良いよ。元々そのつもりだったからさ」

 

 ヒグマはのんびりとした口調で応えながらも、鋭くセルリアン達を見据えていた。まるで冬眠明けに獲物を狩るクマそのもののように。

 そこからの展開は一方的だった。サーバルが俊敏な身のこなしでセルリアンの攻撃を避けてはその鉤爪で切り裂き、ヒグマが力任せに熊手を振り回してセルリアンを打ち砕く。辛うじて耐えたものも衝撃に負けて吹き飛ばされていき、体勢を立て直す間も無くサーバルの鉤爪によって沈黙した。一体として彼女達に傷の一つも付けられないでいる。

 

「セルリアンをこんなに軽々と倒してしまうだなんて……」

 

 パークガイドが隣で唖然としているのが分かる。しかしクオンは今まさに目の前で繰り広げられている光景のほうに目を奪われていた。非常識かつ危険極まりない状況だというのに、もっと見ていたいという興味のほうが勝ったのだ。

 

 粗方セルリアンを倒し、一息付いたサーバルとヒグマが塵を払うように腕を振った瞬間、ちょうど彼女達の死角になっていたバスの陰から新たな影が飛び出した。走りながら鉤爪を振りかぶってきたそれに対し寸でのところで反応したサーバルが打ち払い、すかさずヒグマが熊手を振り落ろす。しかし襲撃者は飛び退り、二人の攻撃は掠りさえせず宙を薙いだ。

 日光に照らされ、その姿が露わになる。まず目を引いたのはピンと立った耳と大きな瞳。続いて華奢ながらも引き締まった身体。両腕を覆う長手袋と五指の鉤爪。胸元の蝶ネクタイ。腰から伸びる太い尾。

 その様相に二人は反撃の構えを取るのも忘れ、目を丸くした。

 

「私そっくりのセルリアン!?」

「おやまあ……」

 

 そう、それの容姿はまさしくサーバルと瓜二つだった。ゴムのようにつるりとした全身が半透明で、服も肌も髪も区別無く緑色である、という以外は。

 身じろぎ一つせずじっとサーバルを見つめる赤い目からはまるで感情が伺えない。仲間を倒された事に対する焦燥や怒りは勿論、先ほど自分が攻撃を仕掛けた相手であるサーバルに対する敵意すらも無い。例えるならば、目の前にあるものをただ記録するカメラのレンズに似ているだろうか。

 

「これは一体……とにかく解析、解析しなきゃ!」

 

 クオンとサーバルだけでなくパークガイドの彼女にとっても、それの出現は全く想定外のものだったようだ。慌てて眼鏡の弦に手をかける。人差し指が(よろい)部分のボタンを押すと同時に、青い瞳の上を覆うレンズが淡い緑の光を発する。先ほどセルリアンが現れた時も操作していたその眼鏡は、どうやら視力補正器としての機能以外にもスキャナーを兼ねているらしい。

 暫しサーバルと見つめ合っていたそれが不意に視線を逸らし、抑揚のない声で一言だけ呟く。

 

「行カナクテハ」

 

 そうしてくるりと背を向ける。サーバルが制止しようとするのも一切構わず走り去り、やがてそれは地平線の向こうに姿を消した。

 

「あ、行っちゃった……あの子、何だったの?」

 

 首を捻るサーバルと一緒に、クオンはパークガイドに問うた。あれほど目立つ外見であれば、目撃例は他にあるのではないか。あるいは似た例は無いのか、と。

 しかし彼女はその疑問を否定した。予兆無く何処からとも無く出現しては、見境無く人や動物を襲う正体不明の怪物セルリアン。その姿かたちは様々で、器物や動植物を模したような特性を持つ個体も少なくない。しかしそれはあくまで「何処か似ている」「彷彿とさせる」という程度のものでしかなく、あれ程までにはっきりと個人・個体の容姿を模倣し、さらに拙いとはいえ言葉を発したという事例はこれまでに一度も報告されていないのだという。

 

「ですので、他のセルリアン達ならともかく、あのサーバルさんそっくりのセルリアンについては一切情報が無いのですよね……」

「つまり私に似てとっても可愛い、という以外は何にも分からないんだね」

 

 沈黙。

 

「じょ、冗談で言ったんだから突っ込んでよ……クオンもガイドさんも、そんな可哀想な子を見るような目で私を見ないでぇ」

「ま、それはともかく」

「流された!?」

 

 熊手を担ぎながらサーバルの脇を通り過ぎたヒグマがクオンに視線を向ける。

 

「こっちの子はパークに来たばかりなんでしょ? 訳分かんないって顔してるし、そろそろ説明なり紹介なりしたげても良くない?」

「そうですね、では改めまして。ここジャパリパークは世界最大の動物園を目指して現在鋭意建造中のテーマパークです。そしてこちらが……」

「はいはーい! 私はネコ目ネコ科ネコ属のサーバルだよ。よろしくね!」

「同じくネコ目クマ科クマ属のヒグマだよ。君はクオンで良いんだっけ?」

 

 改めて目の前で名乗ったサーバルをまじまじと見つめる。

 頭頂の耳を除けばクオンより頭一つほど背の低い彼女の容姿は、これまでの知識と常識からイメージ出来るネコの姿と全く一致しない。確かに耳や尻尾、それから瞳などは似ている気もするが……。 

 

「ますます分からないというお顔ですね。まあ無理も無いでしょう、私も初めてお目見えした時はあなたと同じ顔をしましたから。サーバルさんとヒグマさんは本物のけものさんがこの姿になったんですよ。私達はそうしたけものさん達を『アニマルガール』と呼んでいます」

「本物のけもの? 本当に?」

「そうだよ、他にも色んなけものの子がパークに居るの! 多分パークのヒト達もびっくりしたと思うけど、私達もびっくりだったよ。何しろ急に話したり二本足で歩いたり出来るようになったんだもん」

「私なんて身体も小さくなってたしね」

 

 先のセルリアン達を見た時からそうだが、正直理解が追いつかない。白昼夢でも見ているのだろうか。

 

「ふふ、今はとっても素敵な奇跡のお陰で、という事にしておきましょうか。まあ詳しいお話はジャパリパークの説明をしながら追い追いと……そうそう、申し遅れました。私はこのジャパリパークで3号バスを担当させて頂いているパークガイドのミライと申します」

「さっきも創設者が俺を名指しで招待したと。けれど俺には動物園を開いているような知り合いは居ない、と思う」

「ふむ。……実を言うと、私もその辺りの詳しい経緯は知らされていなかったので……ただクオンさんをお迎えするようにとしか」

「もしかしたらクオンの昔の友達とか親戚とかだったりするのかな。だからクオンを呼んだのかも」

 

 サーバルの無根拠な推測を否定する自信は無い。

 何しろ自分自身、幼少期の記憶は完全に忘却している身だ。ジャパリパークを造った「創設者」とやらがクオンの身の上を知る誰かだったとしても不思議ではないのかも知れない。

 

「何れにせよ明確な理由は分かりませんが、創設者はクオンさんならばアニマルガール達と親交を築き、真の友情を育めるとお考えのようです。なのでクオンさんにはこれからジャパリパークを巡り、彼女達と『フレンズ』になって頂きたいのです」

「フレンズに」

「はいはい、じゃあ私はクオンのフレンズ第一号ね!」

 

 思わず鸚鵡返しするクオンの隣で、サーバルが大きく右手を挙げる。

 

「ねえねえ、私も付いて行って良いかな。他にもセルリアンは居るだろうし、お手伝いするよ!」

「そう、だな。断る理由も無い。ならこれからよろしく頼む」

「うん!」

「可愛らしいサーバルさんも一緒にガイドして下さるなんて……ああ、これからの旅がますます楽しみです!」

「ミライさん、涎」

「あ、これは失礼を……」

 

 気恥ずかしそうに口元を拭うミライにヒグマが苦笑する。

 

「じゃ私はフレンズ第二号って事で。でも私はそろそろ行くよ。これからキンシコウ達と修行する約束なんだ」

「はい、手助け有難うございましたヒグマさん!」

「またね。もしまた機会があったら声掛けてくれると嬉しいな」

 

 ヒグマが手を振って見送ってくれるのを背に再びジャパリバスに乗り込んだ。今度はサーバルも一緒である。

 どのみち高校を卒業して、明確な目的地も無い一人旅の最中だったのだ。今まで一度も聞いた事の無い、誰も知らないような場所に行ってみるのも悪くない。

 

「それではだいぶゴタゴタしてしまいましたが、ジャパリパークの冒険へ出発です!」

 

 

「……水晶のお守りに銀髪。年恰好から見ても間違いないわね」

 

 そんな彼らの様子を茂みの中から注視する影が一つ。彼女は黒い毛で覆われた尾を揺らしながら、その切れ長の目で中央の見慣れぬ青年の背をじっと見据えていた。深緑色のトレンチコートを着込み、つばの広い帽子を目深に被っている。明らかにパークの職員ではない。

 注視するその瞳に宿るのは警戒心と好奇心、そして探究心。

 

「貴方の事、これから見定めさせてもらうわよ、クオン」




サーバル(Leptailurus serval):
 中型のネコ科動物。名称はスペイン語で「猟犬」の意。
 ネコ科の中でも際立って大きく敏感な耳を持ち、その聴力は地中で活動するネズミの動きすら感知出来るという。
 気性は荒いが若いうちから訓練すれば人間にも良く懐き、その気持ちを読み取る能力に長けている。しかし基本的には獰猛な肉食獣である為、2020年現在日本では特定動物として指定され、愛玩目的での個人飼育は禁止されている。

ヒグマ(Ursus arctos):
 ホッキョクグマと並ぶ世界最大のクマの種。日本を始め、北半球を中心に多くの亜種が分布する。
 食性は肉食寄りの雑食性であり、シカやイノシシといった大型動物は勿論の事、河を遡上するサケやマスなども好んで捕食し、冬眠に備える。
 日本に限らず獣害事件が最も多く報告されている動物の一種。特に自身が捕らえた獲物に対し強い執着心を抱く事で知られており、もし登山中に荷物を奪われたとしても取り返すのは大変危険である。
 

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