2002年6月1日
「やぁユーリ、元気かい?」
麻帆良商店街、ユーリが本拠地にしている店の扉をタカミチが開ける。
彼が中の様子を伺うと、ユーリは暇そうに珈琲を飲んでいる所だった。
「ん? タカミチか。 ま、ぼちぼちだなっ。 お前も飲むか?」
「いいのかい? じゃあ頼むよ」
ユーリがカップを持ち上げタカミチに珈琲を進める。
そして彼の答えを背中で受けながら奥のキッチンへと引っ込んでいく。
そんなユーリを見やりながらタカミチはユーリの座っていた椅子の向かい側に座って、胸のポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
「んで? どうしたんだ? お前がここに来るなんて珍しいな?」
ゆっくりと紫煙を吐き出し、至福の時間に浸っていると、そこへタカミチの分の珈琲を淹れたカップを持ったユーリが戻ってくる。
タカミチの前に少し乱雑にカップを置いて、自分の席へと腰を下ろした。。
「フー…… うん、いくつか君に話があってね。 今日はいつもより時間が空いたから偶にはここで、と思ってね」
味わうようにゆっくりと紫煙を吐き出し、タカミチは珈琲を一口啜る。
へぇ、とテーブルに腕をついて、ユーリは適当に相槌をうった。
「君こそ、時間はいいのかい? 忙しいならまた改めるけど?」
「大丈夫だよ。 今日は特に依頼も入ってねぇしな。 てかたまには休めって、さっき店を追い出されたとこだよ」
肩をすくませるユーリ。
自分ではそんなに働きづめたつもりはないのだが、商店街の皆から疲労を心配されて半ば強制的に休まされたのだった。
「そうか、じゃあちょうどよかったね」
腰を浮かせかけていたタカミチは、再度深く座り直す。
急ぐ必要もなくなった為、ゆっくりと煙と珈琲を楽しみ始めた。
ユーリも他にすることはないので、そんなタカミチをあえて急かすことはしない。
「なぁ、最近何か騒がしくないか?アレ、何してんの?」
タカミチと同じく珈琲を啜りながらユーリはふと気になっていたことを尋ねた。
ここ最近、麻帆良全体がおかしな雰囲気をまとっていることが気になっていたのだ。
「ああ、あれはね、お祭りの準備だよ、とびっきりのね」
「祭り?」
灰皿にもう短くなってしまった煙草を押し付け火を消し、タカミチは楽しそうに答える。
「そう。 麻帆良学園祭だよ。 3日間麻帆良学園都市全体を使って催されるとても大きなイベントだ。 学生が行うものとあなどってはいけないよ? 期間中で動く人とお金はとても莫大なんだ」
揚々と話しながら窓の外へ目を向けるタカミチ。
つられてユーリも窓の外を見る。
「これはその準備だ。 大掛かりだからね、皆とても生き生きとしてるだろ?」
窓の外で楽しそうに準備をする生徒達を見守るタカミチの表情は、正に教師と言えるものだった。
「へぇ、それって俺も参加できんの?」
「勿論、せっかくの機会だ。しっかり見て回るといいよ。 3日間じゃ全部回れないと思うけどね」
それからタカミチからあれこれと麻帆良祭の回り方や、通な楽しみ方などについてレクチャーを受けたユーリ。
今まであまり祭りとは縁のなかった彼は年甲斐もなく本番に胸をふくらませるのだった。
「ああそうだった。 それに関係してるんだけど、これを君に……」
「?」
ふと何かを思い出したタカミチが、スーツのポケットから、シワ一つなく丁寧、に扱われた一枚の紙を取り出し、ユーリに手渡した。
「の、だて? 何だこれ?」
「絡繰君からのお誘いだよ。いつの間に彼女と知り合ったんだい?」
「カラクリ? ……ああ茶々のことかか。 ちょっと前にな、することもなくてあてもなくフラフラとブラついてた時にな。少し話して、そんでここを案内してもらったんだよ」
タカミチから渡されたチケットを興味深そうに眺めながら、茶々と知り合った経緯を簡単に説明するユーリ。
それを聞きながら、タカミチは次の煙草に火をつけた。
「へぇ。 彼女から君に話しかけてきたのかい? 珍しいね、彼女本当に無口な子だから……」
「そんで時はあいつが面倒見てる猫達にちょっかい出してたからな俺。いじめてんじゃないかと思ったんじゃないか?」
どうでも良さそうに言うユーリ。
タカミチは、そういえば茶々が野良猫の面倒を見ていたことに気づき、それならば彼女から声をかけてもおかしくはないか、と納得した。
「それよりもタカミチ、ノダテって何だよ?」
「そうだね簡単に言えば、この国の作法を踏襲して、伝統ある淹れ方をしたお茶を楽しみましょうっていう会だよ」
あまりにも簡単な説明だったが、日本の歴史を知らないユーリにそこらへんをあまり詳しく説明しても意味はないだろう。
というよりもタカミチ自身、そこまで茶道に詳しいわけではない。
「作法、ねぇ。 俺にはあんま縁のない世界だな……」
作法と聞いて途端に渋い顔をするユーリ。
そういったものに囚われることを嫌うユーリには、野点というものがあまり楽しそうなものには思えなかった。
「そんな嫌そうな顔するなよ。 大丈夫、一般参加の会だから作法なんて厳しくないし、誰も咎めたりしないよ。 だからちゃんと顔出してあげなよ? 君が来るのを楽しみに待ってるってさ」
彼の性格はこの半年で大分理解したつもりのタカミチ。
予想通りに急に興味をなくしてしまったユーリの反応に苦笑してしまう。
それでも自分の生徒がせっかくお誘いをしたのだ、できるだけ参加して欲しいと思う。
まぁ彼の性格なら、こういったことで断ることなどないだろうが。
「……そうだな。 茶々の誘いを無視するわけにはいかねぇしな。 ま、評判のお茶とやらを楽しんできますか」
最初から行かないという選択肢はなかった癖に、回りくどいことを勝手にあれこれ喋るユーリ。
「ハハ、是非そうしてくれ」
勿論タカミチはそれに気づいてるが、指摘すれば絶対に臍を曲げそうなので言わないでおくことにした。。
ユーリが財布の中にチケットをしまい込むのを待って、マルボロの煙を楽しむ。
「さて、本題に入ろうか。 今日ここに来たのはこの話をしたかったからなんだ」
あれから十分紫煙を吸ったタカミチは短くなった煙草を消すと、改まって口を開いた。
「麻帆良祭が終わった後のことなんだけどね、僕はまた出張することになっている」
「……」
無言で先を促すユーリ。
タカミチが事あるごとに出張と銘打って何かをしている事は知っていた。
まぁその内容に着いてまでは詳しくは分からないが。
「行き先は前に話したことがあっただろう? こことは違う場所にある魔法世界、ムンドゥス・マギクスだ」
「……それで?」
「うん、学園長と話し合った結果、その出張に君を同行させようという方向で話が進んでる」
ユーリの眉がピクリと動く。
タカミチはそうなった経緯について語る。
まず第一に旧世界、地球でのデインノモス捜索はほぼ手詰まりになっていること。
これはもう「無い」と言ってもいいレベルだ。
ならば今現在デインノモスは魔法世界に存在している可能性が高いと判断し、そちらの捜索に力を入れていくことが決定したということ。
ここで今回ユーリを魔法世界へ連れて行く理由が発生する。
ユーリには1年というタイムリミットがある。
旧世界にデインノモスが無い場合は、今のように麻帆良で生活していたのでは来年の大発光に間に合わないということになりかねない。
最悪、魔法世界に拠点を置かなければならないという事態も考えられる。
その下準備、下見、向こうの世界に慣れるという意味合いを込めて、今回タカミチの同行という形になった。
「今回は僕の出張自体が短期間だから、君も一緒に帰ってくることになる。 でもその次はもしかしたら、もうこっちに戻ってくる余裕はないかもしれない」
「……」
「そうなった時の為に君に向こうの事を少しでも知っておいてもらう。さっきはああ言ったけど、これはほぼ決定事項だ。 すまないがそういうつもりで準備を進めておいてくれ」
すまなそうに話すタカミチ。
ここまでの話を目を閉じ、黙って聞いていたユーリは首を傾げた。
「何で謝るんだよ? むしろありがたいくらいだよ。この半年、全く進展がなかったんだ。 その魔法世界とやらに行けるってことは、これからは俺もあれこれ動いていいってことなんだろ?」
不敵な笑みを浮かべ、ユーリは今回の動向の裏の事情を看破しタカミチに問いかけた。
この半年、ユーリが麻帆良の中の商店街で何でも屋紛いのことをやっていたのは前にも言ったが、ユーリがこの世界の住人である証がなかったからだ。
日本という枠の中でも、魔法使い達は西と東に分かれていざこざが起きている。
地球全土となればその関係性はもう簡単に理解できはしないレベルで複雑に絡まっている。
そんな中を正体不明、所属も識別も何もない人間が自由に動くことは非常に困難、はっきり言えば無理である。
下手をすれば入国することすらできないということもあり得る。
更にそれだけではない、麻帆良を拠点にしているということが露見すれば、場所によっては新手のスパイだと判断されても言い訳も、否定することすらできない。
よってユーリは、今まで自分の足でデインノモスを捜索することができなかったのだ。
「ああ、大分時間はかかったけど、君のこの世界でのあらゆる情報の偽造がやっと終わったよ。 人1人の情報を出生から今日分までとなると、流石の学園長でも相当苦労したみたいだね」
今回の件での学園長の苦労を想像し、申し訳なさそうに話すタカミチ。
しかしそのおかげでユーリはこれから、麻帆良の外をかなり自由に動くことが可能になった。
例えば、魔法世界へと繋がるゲートの使用等。
「なら願ったり叶ったりだ。 ここでの生活も悪くはなかったけどな、 何が何でも俺はテルカ・リュミレースに戻る。 その為なら、何処へだろうと行ってやるさ」
今の生活が崩れてしまうことに微塵の迷いも見せないユーリの言葉に、タカミチは、心配など無用の長物であったことに気づく。
「そうか……いや、そうだったね」
そして冷え切った珈琲を飲み干す。
温かい時とはまた違った苦味がある。
「じゃあこのまま予定通りに行こう。 まぁとはいえ、今回はそんなに深刻になることはないよ。 軽い旅行くらいに考えてもいいんじゃないかな?」
真面目な話はここまで、とタカミチはおどけて話を締めくくる。
それによってひ引き締まっていた場の空気が一気に緩んだのをユーリは感じ取った。
「ま、仕方ねぇか。 右も左も分からねぇ世界に1人置き去りにされてもどうしようもないからな……」
背もたれに体重を預け、天井に向かってぼやくユーリ。
今回の旅はあくまで下見。
恐らくデインノモスを見つけることはできないだろう。
それは理解しているのだが、新たな可能性がチラついている以上やはり逸る気持ちを抑えるのは難しい。
「そうだ、向こうの世界へ続くゲートなんだけどね、イギリスっていう国あるんだ」
ポンッと手を叩いて突然そんなことを言い出すタカミチにユーリはきょとんとする。
別にユーリにとってそんな情報は体した意味を持たないからだ。
何処にあろうとも行くだけなのだから。
「そのゲートの近くの村に、僕の知り合いがいるんだ。 まぁ知り合いっていっても尊敬する人の息子でまだ今年10才になったばかりなんだけどね」
タカミチはその知り合いのことをとても嬉しそうにあれこれと話す。
しかしユーリはあまり興味がないのか、カップの縁を咥え詰まらなそうにカチカチと動かしている。
「来月、彼は魔法学校を卒業して、来年にはここで修行することが決まってるんだ。 まぁ本人はまだ知らないけどね」
悪戯が成功した子供のように笑うタカミチ。
恐らくその知り合いとやらが、修業先を知った時の反応を想像しているのだろう。
「その子に久しぶりに会って行こうと思うんだ。 最後に会ったのはもう大分前だからね。 そこで一泊することになるだろうから君のことも紹介するよ」
「別にいいぞ? 態々そんなこと……」
「まぁそう言うなよ。来年以降、もしまだ君がここに残ったいたら、たまにでいいから気にかけてあげて欲しいんだ。 ユーリは見た目とは違って面倒見いいし……」
どうでもよさそうにしているユーザをおだてるように、そして半ばおどけながら頼むタカミチ。
そのあんまりな理由にユーリは大きく溜息を吐いた。
「そりゃ褒めてんのか? 貶してんのか? ……ま、暇があったら、な」
咥えていたカップをソーサーに戻しながらジト目でタカミチを睨む。
しかし最後に顔を逸らしながら付け加えるようにタカミチの願いを聞きいれた。
気のない返事ではあったが、きっとユーリは彼のことを気にかけてくれるだろう、そう確信してタカミチは小さくありがとうと呟く。
「ふんっ」
しかしどうやらそれはしっかりとユーリに聞こえていたようで、彼はつまらなそうに鼻を鳴らした。
カップを掴み徐に立ち上がる。
「珈琲、まだ飲むか?」
「悪いね、じゃあもう一杯だけ……」
ああ、と返事を返しユーリは2つのカップを持ってまたキッチンへと引っ込む。
タカミチは本日3本目の煙草に火を付ける。
「フゥー……あと1年、か。長いようで、きっと短いんだろうね……」
呟いた言葉はユーリの耳に入ることはなく、静かな部屋に煙草の煙と一緒にゆっくりと消えていった。