彼がその場に居合わせたのは全くの偶然であった。
ザウデ不落宮が解放されてしまったことを察知し、同胞である始祖の隷長、クロームの背に乗り駆けつけたのがつい先ほど。
ザウデの頂上では既に戦いの決着はついていた。
しかし、それは彼にとってさして意味を成さない。
アレクセイを討ったところで星喰みが解放されてしまっては同じこと。
(或いはと思いアレを貸し出したが……)
男は自分に背を向け空の災厄を見つめる青年を眺めながら考える。
「間に合わなかった、か」
僅かに落胆し息を吐く、そして目を閉じかぶりを振った。
男は無意識の内に青年やその仲間たちに期待していたのかもしれない。
人間と始祖の隷長、互いを同等とし手を取り合える彼等ならば、と。
だが、こうなってしまってはもう仕方がない。
「やはり私がやらなければならない……急ぎタルカロンを起動させる」
決意を新たにする男の言葉を、彼を背に乗せる竜、クロームは悲しみとも心配ともつかない複雑な心境で聞いていた。
「あれを……」
しかし感傷に浸る暇もなく、その瞳が異常を察知し背中の男に呼びかける。
「何だ?」
目を開け、男もザウデへと視線を戻した。
刺されていた。
先程まで星喰みを眺めていた青年が、後ろから現れた女騎士に。
血を流し、力が入らないのかフラつきながら青年が向かう先は奈落、海。
そして程なくしてやはり青年は足を踏みはずし、落ちていく。
その手に宙の戒典を握ったまま。
「今、あの剣を失う訳にはいかない……頼む」
「はい」
その光景を、特に感情の篭らない瞳で眺めていた男がクロームに呼びかける。
それに答え、即座に大きく翼を広げるクローム。
完全に出遅れていたクロームだが、重力と物理法則をまるで無視したような加速と軌道でぐんぐん青年との距離を縮めていく。
このペースならば充分間に合う。
クロームの背に捕まる男はそう確信し安堵の息を吐く。
別に青年の安否を心配した訳ではない。
青年の握る剣を心配しているのだ。
星喰みが出現してしまった以上、男には急がなければならない計画があった。
あの剣は、その計画の為に必要不可欠。
程なくして男達は青年へと追いついた。
彼を捕まえる為、クロームがその前足を大きく伸ばす。
「!」
しかし急遽それを中止してクロームは急上昇した。
宙を大きく旋回して滞空する形で動きを止める。
「どうした?」
「彼、いえ正確には宙の戒典にあり得ない量のエアルが収束していくのを感じました。私達が一度に吸収できる量をはるかに超えています」
「なんだと?」
僅かに目を見開いた男が眼下を見下ろす。
そこにはクロームの言葉通り確かに異常な量のエアルが剣に収束しているのが確認できた。
やがて収束したエアルは宙の戒典を発光させる。
その光はゆっくりとだが留まることなく強さを増していき、やがて青年を包み込み、そこでようやく拡大は収まった。
「何だ、あれは?」
男の呟きが虚しく虚空へと溶ける。
「……」
無言を貫くクローム、男の問いに答えることが出来ない。
永き時を生きてきた始祖の隷長にも理解できない不測の事態。
なおも空中に佇む光。
青年と回収しようとした宙の戒典の姿は最早確認できない。
あの光の中にいるのか、それとも何処かへと消え去ったのか。
しかし彼らに考える時間は与えられなかった。
事態に追いつけない2人をあざ笑うかの様に状況は更に混迷することになる。
突如として鳥の鳴き声にも似た、しかしそれでいて何処か不気味な音が幾重にもその場に響き渡る。
耳をつんざくその鳴き声は、聞く者に不快感しか与えない。
耳を塞ぎたくなる衝動を抑え顔を上げた男の目に飛び込んできた物は、大量のナニカ。
空を多い尽くす様な光景。
それらはこちへと降下してきている。
大きく黒い半透明のエイ……
他に上手く例えられる言葉が見つからない。
不気味で醜い、魂の成れの果て。
その存在は生物というカテゴリーに分類できるのかも怪しい。
それらが大量に、そして明らかに光に向かって殺到しているのだ。
何が目的なのかは不明だが、光とあれらが接触すれば何が起こるか皆目見当がつかない。
「あれを止める。頼む」
「はい」
これ以上事態においていかれる訳にはいかない。
男は迷うことなく群がる物体の殲滅を選んだ。
翼を目一杯広げ態勢を安定させたクロームが大きく口を開く。
キィンという甲高い音と共に、彼女の口にエアルが急速に収束する。
弾けようとするエアルの塊を無理矢理繋ぎとめ、反発する力を最大限まで高める。
「……」
振動に備え、捕まる右手に力を込める男。
それを確認して、クロームは限界たで圧縮した渦巻く力の塊を開放した。
その瞬間、激しい輝きを放つエアルが一条の閃光となる。
飛来する物体を問答無用で薙ぎ払う光の本流を、クロームは首を振ることで操作する。
薙ぎ払われた光に黒い物体達は抵抗の余地なく次々と消滅していく。
やがて途切れていく閃光。
その場に静寂が訪れる。
新たなに現れる気配はない。
「……どれだけ通った?」
「4体ほど」
その静寂の中、男がクロームに問いかける。
クロームの攻撃が届く直前、間に合わずに光へと消えて行った物が何体か目に映った。
人間である男よりも優れた視力を持つクロームは、確りとその数を把握していた。
あれらと光が接触することで何か反応があるかと思われたが、光はただ静かにそこに佇むだけ。
「私を光の元へ。」
「ですが……」
「頼む」
これ以上、ここで観察するだけでは埒があかないと判断し、近づくことを提案する。
男を危険に晒したくないクロームが反対の意を示すが、結局折れてゆっくりと光へと近づいていく。
「やはりないか……」
少し落胆した声で男が呟く。
近づけばあるいは宙の戒典を確認できるかと期待したが、どうやら外れのようだ。
無論青年の姿もない。
「何処かへ強制的に飛ばされたということか……」
顎に手を当て、何かを考えている男。
「まさか行くつもりですか?」
彼の考えをいちはやく悟ったクロームが躊躇いがちに問いかける。
男は静かに頷いた。
「宙の戒典は回収しなければならない。ここにない以上、選択は一つ。 追いかけるだけだ」
「……」
もう彼を止めることはできないと悟り、クロームは男が光へと飛び込める位置まで更に接近する。
「必ず戻る。それまで世界を、テルカ・リュミレースを頼む」
そう言って男は迷うことなく光の中へと飛びこんだ。
青年や宙の戒典と同じ様に、やはり男は音もなく溶ける様に光の中へと消えていった。
「お気をつけて……デューク」
1人残されたクロームの祈りは、ゆっくりと空へと溶けていった。