腐都内、某地点。
落下の際に破損し、辺りに散らばったありとあらゆる残骸が道を遮り完全にダンジョンへと化してしまった市街区。
昔栄えていた頃はさぞ風光明媚な風景を演出していたであろう街並みも、今ではひっそりと静まり返り遠くに聞こえる魔獣の遠吠えが不気味に木霊する、正に死都そのものである。
そんな都の中を、ユーリとタカミチの2人は慎重に進んでいた。
「だいぶ歩いたな……まだ目的地には着かねぇのか?」
崩れ落ちた建造物の外壁の破片へ飛び乗りユーリがタカミチに問いかける。
タカミチは懐から地図を取り出した地図と睨み合いを始めた。
「うーん…… ほら、ここはこの地図で言うとこの辺り、街の外れなんだ。 それで目的の神殿は……ここだ。 スタート地点からここまでの距離と比べても半分もない、あと少しだよ」
ユーリを側に呼び地図を使って丁寧に残りの道について説明を入れるタカミチ。
腕を組みながら大人しく話を聞いていたユーリは目的地まであと僅かと分かりその表情から幾分か疲れが消えた。
「にしても、船の上から見たのとじゃやっぱ全然違うな…… こんな迷路みてぇなとこ、はぐれたら簡単には合流できそうにねぇな」
タカミチの地図から目を離し、ユーリは改めて周りを見渡す。
薄く霧がかかる街並みは元からなのか、それとも破壊跡の所為なのかどこも同じようにしか見えない。
「そうだね……よしっ、じゃあもしはぐれてしまった時はあの一際高い塔を合流ポイントにしよう! あの高さならこの辺り一帯、どこにいても見失うことはないだろうからね」
明らかに今思いつきましたといった様子でタカミチが気楽に合流ポイントを指定した。
ユーリが彼の指が指し示す方を見ると確かに高く、そして細い塔のような建物が存在した。
近くに同じくらいの高さの建物は
ない。
何より元は時計塔か、もしくは辺りを見渡すのを目的とした物見櫓のようなものだったのか、どちらにせよ居住を目的としていない造りの塔のあの細さは付近に他に存在しない。
タカミチの言う通り目印にするにはもってこいなのは確かだ。
「……いいのかよ。 んな適当に決めちまっても……」
何か納得のいかないユーリがタカミチにジト目を送る。
それを全く気にせずにタカミチは
自信満々に続ける。
「いやいや、こういう時はあれこれと複雑なことを取り決めてもいざという時上手くいかない。 単純な方がいいんだよ。 君も好きだろ? 分かりやすいの」
「……まぁな」
そう言われてはユーリは反論のしようがない。
どちらかといえばこういう場面でこんなことを言い出すのはユーリのほうが自然なくらいだ。
お株を奪われたような変な居心地の悪さに、ユーリは適当に返事を返してさっさとその場から歩き出す。
つまらなそうな瞳に、しっかりと合流ポイントである塔を焼き付けながら。
「……ここ、だね。 この分かれ道を右に行けば、目的地までもうすぐだ……ユーリ?」
「……」
あれから暫く歩いて、2人は大きな分かれ道へと辿り着いていた。
位置的には恐らく市街区域の端にあたるのだろう、建造物の数が極端に減っている。
返事が返ってこないことを不審に思ったタカミチが地図から視線を上げると、ユーリがひどく鋭い表情で辺りを気にしていることに気づいた。
いや正確には耳をすませている。
「ユーっ……」
名前を呼ぼうとして、ユーリの手で声を制される。
目を閉じて聴覚を研ぎ澄ませるユーリ。
タカミチは音を出さないよう静かにユーリの側に立つ。
「……っ! 聞こえたっ! やっぱ幻聴じゃねぇ!!」
暫く続いた沈黙をユーリの大声が切り裂いた。
「悲鳴だ! こっちから聞こえたっ!」
何を、と尋ねようとしているタカミチを置き去りにしてユーリが勢いよく走り出す。
「悲鳴だって? 僕には何も…… っユーリ! そっちは……」
しかも彼が走り出した方向は目的地とは真逆の左方だった。
ユーリを呼び止めようと、彼の名を叫ぼうとするが、ユーリはもう既にかなり遠くへと走ってしまっている。
「どのみち放っておくことはできない。 今は行くしかないかっ……」
ユーリに少し遅れてタカミチも後を追う。
確かに目的地からは遠ざかってしまうことになるが、ユーリの言ってることが本当ならば、それはとある仮定を成り立たせる。
今日、この区画に自分達以外の人間が立ち入ることは許可されていない、そしてこの区画に立ち入りたいと申請している者もいない。
だというのにも関わらずユーリが聞いたという人の悲鳴……事実上いない筈の人間、それは即ち自分達のターゲットだという推論。
正体不明の反応の方も勿論気にはなる、だが自分達に課せられた任務は彼らの捕縛である以上行かないというわけにはいかない。
というよりもまず前提として……
「見捨てるなんてっ、できる筈がないっ」
身体中に纏わせた気を更に重点的に脚部に集中させ、タカミチは速度を爆発的に上げる。
それでやっと見えてくるユーリの背中。
ブラスティアに溜め込んだ魔力を符で強引に押さえ込んでいるため、現在ユーリはブラスティアによる身体強化が使えない状態だというのに、ほんの少し考えを巡らせていた短い時間でここまで差をつけていることにタカミチは驚いた。
「こういう時、君に迷うなんていう選択肢自体ありはしないんだね……」
タカミチの口から少し寂しそうに羨望の思いが零れる。
ー自分も本当はそんな人間になりたかった あの人のように……ー
そんな考えがタカミチの頭を過る。
「ちけぇな……アレの向こう側かっ」
「っ! ああ、確かに聞こえる。 それにこれは……」
考え事をしているうちに何時の間にか追いつき横並びになっていたユーリの声でタカミチは我にかえる。
そして目の前の大きな屋敷の向こう側から確かに聞こえてくる幾つもの悲鳴、それに混じるのは人間では出すことなどできそうにない獣の咆哮。
事態はどうやら既に致命的らしい。
2人は走る速度を上げる。
「魔獣だ……」
「最悪、だな……」
そして2人同時に屋敷の角を曲がりきり、足を止めた彼らの目に飛び込んできたその光景はあまりにも凄惨なものだった。
彼らがたった今回り込んできた大きな屋敷の門前の拓けた場所、辛うじて分かる噴水の残骸から恐らく以前は広場としてつかわれていたのだろう。
その広場の至る所に飛び散る一色、あか、アカ、赤、紅、紅、緋、朱。
街の残骸と同じように無造作に転がっているのは少し前までは人間だった筈のモノ。
元のカタチを保っているモノなど1つとしてありはしない。
皆圧倒的な力で引き裂かれ、切り裂かれ、噛み砕かれ、千切られ、突き刺され、焼け焦げ、踏み潰され……どれどけの人数がこの場にいたのか、もう判別することもかなわないだろう。
「ーーーーーーーーー!!」
そんな血染めの広場にけたたましい咆哮が響き渡る。
地面から足を伝い、心臓にまで届く振動。
広場の中心、そこにソレはいた。
人間など簡単に一飲みにでしてしまう程の豹の様な巨躯。
研ぎ澄まされた鋭い刃の如き爪。
その巨躯を更に大きく感じさせる不気味に広げられた双翼。
青白い雷を纏う歪に折れ曲がった2本の角。
そしてそれら全てを覆い尽くす泥の様な黒い斑。
見開かれた眼だけが、この広場に飛び散る鮮血と同じように紅く鈍い輝きを放っている。
「う、うう……」
「っ!」
魔獣から発せられるあまりの重圧感とそのおぞましい姿に動くことすら忘れてしまっていたユーリとタカミチだったが、彼等の耳に入ってきた弱々しい呻き声でその呪縛から解き放たれる。
「まだ生き残りがいるっ!」
「俺が行く!」
タカミチが生存者の姿を確認したその瞬間、もうユーリは走り出していた。
そうしなければ間に合わなくなってしまうから。
タカミチが魔獣から目を離して生存者の居場所を確認をしている最中、ユーリの目は魔獣を捉え続けていた。
そしてその矛先が自分達ではない何処かへ向かっていることを即座に悟ったユーリは躊躇いなく走り出す。
何処にいるか分からない生存者ではなく、自らが魔獣の眼前へと躍り出てターゲットを取ることを選んだのだった。
「タカミチ! お前は生き残りを頼むっ! あいつは俺が足止めする!」
ありったけの大声で背後にいるであろうタカミチへと叫ぶユーリ。
直後後ろから何か聞こえた気がしたが、目の前の魔獣へと全神経を集中させ始めている彼にはもう上手く聞き取ることはできなかった。
「マジでヤベェだろ、コレは…… なんとかできんのか?」
頬に冷や汗を一筋流し弱気な発言。
しかしそれとは裏腹にユーリの顔に浮かぶのは不敵な笑み。
諦めるつもりなど欠片もない。
ユーリは疾走しながらニバンボシを抜刀する。
右手に残る鞘を躊躇なく投げ捨て、更に加速する。
まだ魔力を押し留めている符は剥がさない。
一度剥がしてしまえばあとは止めどなく流れて行ってしまう。
恐らく数分も経たずにブラスティアは空になってしまうだろう。
身体の強化や魔力を用いた技を使えば更に早く。
切り札を切るのは今ではない。
その場面は必ずやってくる。
それまではこのままで戦う、とユーリは一瞬のうちに決意する。
「ーーーーーーー!」
魔獣が右腕部を空に向かって持ち上げ、相変わらずどこまでも響きそうな雄叫びを上げる。
すると肉を切る音と共に、黒い血が持ち上げられた魔獣の右腕の先端から飛び散った。
「器用なこった。 アレに切られたら一発でお終いだな……」
魔獣まであと少し、走るユーリが見たのは異常に伸びた魔獣の爪だった。
伸ばす際に邪魔になる皮膚ごと貫いて爪を伸ばしたのが出血の原因のようだ。
5本ある爪のその1本1本が名工に鍛えられた刀の如き鋭さ。
魔獣の目の前で腰を抜かしたのか、尻餅をついたまま動けなくなっている人間をようやくユーリの目が捉えた。
この生存者が魔獣の今の標的。
「ーーーーーーー!」
大きく振り上げられた魔獣の右腕が、生存者に向かって遂に振り下ろされる。
5本の長くて鋭い爪はその先端を合わせるように集められている。
そんなもので貫かれて、人間が生き残れる可能性などゼロに等しい。
「ひっ……ひ、っ………」
「ーーーーーーーー!」
生存者に凄まじい勢いで迫る咆哮と魔術の爪。
恐怖に支配されてしまっている生存者にこの攻撃を避ける力など残っていない。
「間に、合えええっ!!」
爪が風を切ることで起こる轟音の中、ユーリの必死の叫び声が混じる。
直後、まるで鉄と鉄が鈍くぶつかり合うような音が鳴り響き、そして広場から音が消えた。
「ユーリっ!」
少し離れた場所でもう1人の生存者を助け起こしながら今の光景を見ていたタカミチがユーリの名前を叫ぶ。
魔獣の姿は相変わらず見えるのだが、爪の攻撃の勢いで巻き上がった砂塵の所為で生存者とユーリだけが見えない。
「大丈夫かっ! ユーリっ!!」
1人では起き上がれない生存者に
肩を貸して少し強引に起こしてその場を離れつつもユーリを呼び続ける。
本当ならばすぐにでも駆けつけたい、しかし今はこの人を少しでも安全な所へ連れていかなければならない。
不安と焦りにタカミチの表情が歪む。
「ーー!」
ふいに魔獣が今までとは少し違う呻き声を上げた。
少しずつ晴れていく砂塵、反対方向へと歩いているタカミチは背中越しに魔獣の足元を凝視する。
やがて晴れきった砂塵の中に倒れていない友人の姿を見つけて、思わず歓喜の声を上げた。
「ユーリ! 無事かいっ!!」
片足を地につけ、ニバンボシの刃の腹に左手を添え、真正面から魔獣の爪を食い止めているユーリ。
彼は間一髪、なんとか間に合っていた。
爪と生存者の間に強引に割り込み、一点集中された点の攻撃を整わない態勢で見事捉え、生存者の命を救いきっていた。
「っ……なんとか生きてるぜ。 1本もらっちまったがなっ……」
しかし無事ではすまなかった。
4本の爪はニバンボシの刀身で防いだ。
だが人間でいうところの人差し指、五本の中で最も長い1本だけが咄嗟に離れて刃を避け、ユーリの横腹を切り裂いていた。
「っ! 今行く……」
「くんなっ!!」
負傷した自分の元へと来ようとするタカミチを止めるユーリ。
タカミチが止まったのを見て、ユーリはすぐ後ろで腰を抜かしている生存者に話しかける。
「おいお前っ、あの眼鏡のとこまで走れ。」
「……む、無理っ」
最初呆然としていた生存者だったが、しかしユーリの言葉を遅れて理解すると途端にブンブンと勢いよく頭を振った。
「無理じゃねぇ! 今動かねぇとお前、確実に死ぬぞ? 俺も時間は稼げてもそこでずっと腰抜かしてるお前を守りきるのは無理だ。 だったら こんな時くらい根性見せやがれっ!」
狂ったように頭を振り続ける生存者に思いっきり怒鳴りつける。
驚き動きを止めた生存者は暫くじっとユーリの目を見ていたが、やがて決心がついたのか小さく、しかししっかりと一度頷いてまだ震えの止まらない足に精一杯力を込めて立ち上がった。
「……っし! てめぇはいい加減この邪魔な爪どかしなっ!!」
彼が立ち上がるのを見てユーリは満足そうに頷くと、今度はいまだに鍔迫り合っていた魔獣の爪を気合と共に弾き飛ばした。
「ーーーー!」
思いも寄らない反撃に驚いた魔獣が僅かにだが後ずさる。
「あ…ありが、ありがと……」
「いいから行けよ。 あの眼鏡のとこまで 立ち止まんじゃねぇぞ」
震える声でなんとか想いを伝えようとする生存者、ユーリはそんなことはいいと手で追い払う仕草をする。
生存者はそれ以上何も言わずもう一度どけ小さく頷くと不格好によろけながら、なんども地面に手を付き、それでも懸命にタカミチの方まで走り始めた。
「タカミチっ! そいつらのことは頼んだぜ? どうやら敵さん、俺のこと逃がすつもりはねぇみてぇだしな……」
傷に手を当てながらゆっくりと立ち上がる。
腹に力を込めると焼ける様な痛みが走るがユーリはそれを無視する。
彼の言うとおり、魔獣の瞳はしっかりとユーリを見据えている。
獲物を逃がす積りは微塵もないようだ。
「だけどっ……君1人では……」
自分の目の前まで走りきり倒れこんだ生存者を助け起こすタカミチ。
「別に倒そうなんざ考えてねぇよ。 お前が戻ってくるまで時間を稼ぐだけだ。 それならなんとかなるだろ」
「っ……」
ユーリの言葉にそれ以上反論できないタカミチ。
現状、負傷と恐慌状態に陥っている2人を庇いながら戦うのは不可能。
ならば2人だけで逃げてもらう……駄目だ、こんな状態では腐都の外まで行くことなどできる筈がない。
他の魔獣にもう一度襲われたらそれまでだ。
2人を安全な所まで護送して、それからここまで戻ってくる、今とれる選択肢はこれしかない。
せめて初めに魔獣に向かったのが自分だったなら……と埒もないことを考え始めて、タカミチはすぐにそれを振り払うようにかぶりを振った。
「すぐに戻ってくる! だからそれまで死ぬなよユーリっ!!」
タカミチの声に振り返ることなく、背中越しに手だけで合図を返すユーリ。
そうと決めたならば一秒でも早く時間を短縮しなければ。
躊躇いも決心も一瞬で。
全身に過剰なまでの気を纏い、生存者2人を両肩に樽でも担ぐように軽々と持ち上げると、タカミチは凄まじい爆音を上げて文字通り飛ぶが如くその場を離れて行った。
彼が最後にたっていた場所は小さい隕石でも落ちたかのようなクレーターとなっている。
タカミチはあっという間にその姿が確認できなくなってしまった。
「……悪りぃなじいさん、せっかく用意して貰ったってのに」
一度だけタカミチが走り去って行った方をチラっと確認して、ユーリはニバンボシの刀身を目の高さまで上げてポツリと呟く。
先程の攻撃を受けた際、魔獣の爪のあまりの硬度に耐えられず皹割れが入ってしまった刀身。
恐らくこの戦闘で折れてしまうだろう。
折れてしまったニバンボシを見せた時、ワシの苦労がぁと白々しく嘆く頭の長い老人の姿が簡単に想像できてしまう。
「ま、それもここを生きて切り抜けられたらの話だけどな……」
「ーーーーーー……」
不気味に喉を鳴らす魔獣。
左腕を地面に叩きつけ、右腕の爪をユーリに向ける。
「腹減ったってか? いいぜ喰いたきゃ喰いな……」
魔獣からぶつけられるプレッシャーに微塵も怯まないユーリ。
あくまでいつも通りに振る舞い、放り投げたニバンボシを逆の手で掴み取る。
「喰っても腹壊すだけだと思うけどなっ!!」
ユーリの命を懸けた時間稼ぎが幕を開けた。