2002年4月
「……」
青年が1人、とある店のカウンターに肘をついて外を眺めていた。
背中まで伸びた綺麗な黒髪と同色の瞳。
年の頃は二十歳程度。
ぼうっとしていてもどこか不適そうな表情が印象的に映る。
暖かな春の午前中、柔らかい日差しが差し込む店内は静かで、気を抜けばあっという間に転寝してしまいそうなくらい心地がいい。
「おはようユーリちゃん、今日も頼むよ!」
「はいよ。んで、今日は何やればいいんだ?」
瞼が重くなりかけたのをぎりぎりで
制したのは威勢のいいおばちゃんの訪問だった。
ノックもなくドアを開けて入ってくるのは毎度のこと。
ドアに着けてある鈴が勢いよく店内に鳴り響く。
青年、ユーリ・ローウェルはそれですっかり目が覚め、ゆっくり立ち上がると店の入り口へと足を進める。
今日も元気に依頼をこなす為に。
魔法先生ネギま!Cross Vesperia
商店街を歩きながら、ユーリはおばちゃんから貰ったおにぎりを頬張る。
隣を歩くおばちゃんがニコニコ笑いながらユーリに話しかける。
「ユーリちゃんの作るデザートはホントに美味しいからねぇ。マスターも本格的に雇いたいって言ってるよ」
「あくまで趣味なんだけどな。ま、そう言ってもらえんのは悪い気はしねぇけどさ」
指についた米を舐めとりながらユーリがぼやく。
「そういや、最近はあの店でしか働いてない気がすんな。他の依頼もあんまこねぇし……」
「そうだったっけ? まぁそんなことどうだっていいじゃない」
何がそんなに楽しいのか、ニコニコ笑うおばちゃん。
おばちゃんの笑顔を横目に、ユーリは両手を頭の後ろに持っていき、この商店街に来てからの半年間を思い返す。
(あっという間、だったな……)
頭に浮かんだ言葉は、そんな一言だった。
半年前、2001年10月某日
あの日、ユーリはザウデの頂上で女騎士、ソディアに刺され海へと転落した……筈だった。
しかし目を覚ませば、そこは見知らぬ部屋のベッドの上。
薬の匂いが鼻をついたから、恐らく病室だと思ったー実際は正確には保健室だったのだがー。
意識のない間、青年の世話をしてくれていた女性に少し待てと言われ、大人しく待っていると、2人の男が部屋に入って来た。
1人は無精髭に眼鏡をかけた30過ぎの人の良さそうな男。
もう1人は頭の異常に長い老人。
そのあまりの長さにユーリは驚き咄嗟に、
「何食ったらそんなに頭伸びるんだ?」
とつい口にしてしまい出会い頭に部屋の空気を凍らせてしまった。
老人の頭の長さについてはここではタブーだったようで、2人は沈黙の後、まるで何事もなかったかのように話を始めた。
「ワシはここの最高責任者、近衛近右衛門じゃ。こっちは高畑・T・タカミチ。宜しくの……」
「ユーリだ。ユーリ・ローウェル」
お互い簡単に自己紹介を済ませたところで、ユーリは早速最も気になることを聞いてみた。
それは勿論、星喰みのことだ。
近右衛門の話によれば、ユーリは3日程眠っていたらしい。
ユーリは思った以上に時間が経過していたことに驚き、少しでもここで情報を集めて早く仲間達と合流しなければ、とこの時考えていた。
「星喰み……何じゃそれは?高畑君は知っとるか?」
しかし、彼の思惑は大きく外れることとなる。
「いえ……耳にした覚えはありませんが」
2人から返ってきた反応は、彼の予想とはかけ離れていた。
「あ、ああ。アレの名前なんて大抵の奴は知らねぇよな。アレだよ、空を覆ってる黒い……」
ユーリは3日前、自分達の目の前で出現した星喰みの特徴を懸命に説明した。
その存在も、まして名前すら知らない一般人でも、アレが世界にとって非常に危険な物だということくらいは理解できている筈で、すぐに今の状況を教えてくれると思っていた。
しかし、そうはならなかった。
一から詳しく説明を聞いた近右衛門から帰ってきた答えは、先程と何ら変わることはなかった。
「こっちの世界にも、魔法世界にもそんな災厄は現れた事実はない」
理解が全く追いつかない事態に混乱するユーリ。
あの出来事が全て夢だった筈がない。
星喰みは確かに出現した、自分達の目の前で。
(一体どうなってやがる? 嘘でもつかれてるか?)
そう考え、しかさすぐにユーリはかぶりを振った。
あり得ない、冗談にもならない。
この2人がそんなことをして一体何のメリットがあるというのだ。
ならばと、次にユーリが尋ねたのはここが何処であるかだった。
考えにくいが、ここが星喰みから1番離れている場所……それならばあるいはまだその存在を知らないのではないか、そうユーリは考えた。
「ここは麻帆良学園都市じゃよ」
嫌な予感はしていた、そしてやはりそういう勘だけはよく当たるものだ。
近右衛門が教えてくれたその都市の名を、ユーリは知らなかった。
旅の途中仲間である始祖の隷長、バウルのおかげでユーリ達は世界中のほとんどを見て回っている。
それこそ前人未到の大陸ですらもだ。
しかし、そんな名前の都市は存在しなかった筈だ。
人々の話題に上がったことすらない。
仮にも都市と名乗る以上、その規模は空から見て分からないなんてことはない筈だ。
ミョルゾのように特殊な街ならともかく、窓から見える景色はどう見ても、ここが地上にあるとしか考えられない。
「……なぁじいさん、テルカ・リュミレースって、知ってるか?」
唾を飲み込み、覚悟をきめて核心をつくユーリ。
本来ならばこのような質問、する意味がない。
したとしても、相手は当然首を縦に振ってくれる質問である。
しかしユーリは半ばもう悟っていた。
目の前の老人が、首を横に振ることを。
気が狂いそうになる頭をなんとか落ち着かせる。
いっそこれが夢で、目が覚めたら帝都の自分の部屋だった、なんてオチであればどんなにいいことか。
「すまんが……それも聞いたことはないのう」
ユーリの予想通り、やはり2人はテルカ・リュミレースの存在を知らなかった。
ユーリは目を閉じ動きを止める。
そんな彼の様子に戸惑いを隠せない2人。
(信じらんねぇが、認めるしかねぇな……)
叫びだしたい感情を鎮める。
叫んだところで何も変わりはしない。
そう自分に言い聞かせ、ユーリは1度大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そして彼はこの最悪な可能性が現実なんだと、自分の中で受け入れた。
「……ちっとばかり長くなるが、俺の話を聞いてくれねぇか?」
沈黙を破り、ユーリが口を開く。
開かれた彼の目に冗談の色はない。
これからこの青年が語ることは紛れもない真実であると、学園長近衛近右衛門はそう感じた。
そして語られる、青年の経緯。
「ふむ……どう思うかね?高畑君」
とても長い話を聞き終えた近右衛門が髭を撫でながら隣に座る高畑に尋ねる。
難しい表情で腕を組んでいた高畑は考えが纏まらないのか、返事が少し遅れる。
「嘘をついているとは……思えません。ここに現れた時のことを考えれば納得もできます。ですが……」
ユーリの口から聞かされた話。
テルカ・リュミレースという世界の存在。
その長い歴史において切り離すことのできないブラスティアという魔導器。
更にそれを起動させる為に必要なエネルギーである根源たる力、エアル。
世界の流れを管理する古の種族、始祖の隷長。
過剰に溢れ世界に異常を起こすエアルを鎮める為旅をしていたこと。
しかし力及ばず、自分達の目の前で解放されてしまった過去の厄災。
その災厄を眺めている不意を突かれ負傷し、とても高い所から転落したという彼の最後の記憶。
そして目が覚めたら、この部屋に居たのだと、彼はそう語った。
どの言葉も高畑が聞いたことがあるものはなかった。
それ以前に違い過ぎる、何もかもが。
文明の根本が違うのだ。
ユーリは最後に戸惑い、目を泳がせながらこう締めくくった。
「どうやら俺は、全然違う世界に来ちまったみたいだ……」
恐らく自分でも信じきれてないし、本当は認めたくもないのだろう。
しかし現状、それ以外考えられないのが理解できているからこうして話してくれた。
大したものだと、高畑は感じた。
まだ二十歳くらいの目の前の青年は、こんな状況の中取り乱すことなく冷静に事態を把握しようと勤めている。
中々簡単に出来ることではない。
(まぁ今は、それよりも……)
深呼吸をして、高畑は余計な思考を打ち切る。
今はそれよりも重要なことがある。
「並行……世界」
知らず高畑は小さく呟いていた。
自分達も大概表の人間からすれば夢物語のようなことをポンポンと行っている自覚はあるが、そんな自分達ですら眉唾に感じてしまうような概念、パラレルワールド。
文字通り並行して同時に存在している別の世界。
2つある選択の内、選ばなかった方の世界。
ユーリの話に出てくるテルカ・リュミレースのように、世界の始まり自体が異なる所謂異世界。
いずれにせよSF小説で使い古されたネタだ。
しかしそれが現実に起こり得るとは、とてもではないが考え辛い。
「あり得るのでしょうか? その、異世界なんて……」
正になんと言ったらいい分からないという高畑の様子に、近右衛門は眉間にシワを寄せ頷いた。
「わしも長い間魔法使いをやってきたが、まさか本当にあるとはのぅ……流石に驚いたわい」
それでも年の功なのか、既に自分の中で考えをある程度纏め終え、ユーリの話を受け入れる方針を固めている近右衛門。
「……信じてくれんの?」
2人が思考の海へと沈んでいる間、ずっと黙っていたユーリが目を丸くして尋ねた。
ここで信じて貰えなければ八方塞がりになってしまう。
異世界に来たことを事実と仮定した場合、帰り方をユーリは知らない。
2人の様子を見る限り、あちらも知らないのだろうがこの世界の住人である以上得られる情報は多大だ。
気狂いと断じられて放りだされるのは勘弁願いたいと思ってはいたが、まさかこんなに簡単に話が進むとは、ユーリも考えてなかった。
「高畑君、アレを……」
「え、はい」
ユーリの問いかけには答えず、近右衛門は高畑に何やら指示を与える。
それを受け高畑は急ぎ部屋を退出した。
「そういえば、まだ話してなかったの……お主がどうやってここに来たのかを」
しばし黙っていた近右衛門が徐にそう切り出した。
「あ、ああ、誰かに運ばれて来た……てわけじゃなさそうだな」
「うむ」
ユーリの確認にゆっくり頷いてから、近右衛門は佇まいを正し説明を始める。
「世界樹、という物がある。とても大きな樹でとても大きな魔力が秘められておるんじゃ……」
ほれ、窓から見えるじゃろ?と指さされて窓の外へ目を向けると、少し離れた所に確かにとてつもなく大きな樹が一本確認できた。
「そしてあれは一定の期間で毎年発光するんじゃ、理由はちと省くがの。今年の発光はもう終わっとるから、次の発光は来年じゃな」
髭を摩りながら話す近右衛門にユーリは首を傾げる。
それがなんだというのか理解ができない。
だがしかし、この老人が今全く意味のない話をするとは考えにくい。
とりあえずユーリは口を挟まずに聞くことにした。
「まぁともかく、予定外の発光など今までなかったんじゃ。その世界樹が発光したのじゃよ……3日前にの」
「それって……」
「うむ。お主が現れた時に、じゃ」
ユーリの言葉を遮り近右衛門が大仰に答える。
「学園長、持ってきました」
そこへ丁度高畑が戻って来た。
その手に一振りの剣を携えて。
「あ、俺の剣……」
いち早くユーリがそれに気づいた。
それは彼が意識を失う前、最後まで握っていた宙の戒典(デインノモス)であった。
「発光した世界樹の前に突然現れた光の塊、その中からお主は現れたんじゃよ」
「そしてその時、この剣と世界樹が共鳴反応を起こしていたんだ」
近右衛門の話を引き継いで高畑がユーリに剣を渡す。
宙の戒典を受け取り確かめるように眺めるユーリ。
「ん? 何だ……」
そしてすぐに剣の異常に気づいた。
エアルを纏っていない、簡単に言えば空っぽ。
切れ味は別としてこれではただの剣と何ら変わらない。
不思議そうに剣をためつすがめつするユーリ。
「やっぱり、 今の状態は普通じゃないんだね?」
あたかも剣の異常を知っているかのような口ぶりで確認してくる高畑。
「……どういうことだ?」
お前が何かしたのかと無意識の内にユーリの視線が鋭くなる。
それに気づいたのか、高畑は苦笑しながらすぐに否定した。
「ああ、勘違いしないでくれ。僕たちは何もしていないよ。そうだね、あれは君が現れて少したった後だったかな……」
その時のことを思い出すように目を閉じて高畑は話してくれた。
光の中から血まみれのユーリが現れゆっくりと地面に着地した。
その際、この剣と世界樹は既に共鳴していたらしい。
やがてユーリが出てきた光は宙に解けるように消えていった。
それからしばらくして、今度は剣から宝玉のような物が出てきた。
どうやら世界樹はその宝玉と共鳴していた様子だった。
その宝玉も、暫く空中に浮かんでいたが音もなく消え去った。
それと同時に世界樹の発光も治まり、ユーリと宝玉の抜けた剣だけがその場に残された。
それを自分達は保護、治療して今に至る。
これが事の顛末。
「成るほど、な。悪かったな、変な勘繰りしちまって……」
事情を理解し素直に謝罪を入れるユーリに気にしないでくれ、と高畑は手を振る。
実際、ユーリは怖いくらいに冷静なのだ、逆に今ので人間味を感じられて安心したくらいだった。
「それに怪我の世話までして貰っちまって、助かったよ。ありがとう」
「いやいや、別に構わんよ」
ユーリの礼に穏やかに微笑む近右衛門。
しかしすぐに表情を引き締める。
「さて、今の話で分かったと思うが、お主はワシらとは違う世界の住人である可能性が高い、というかほぼ確定じゃの。そしてお互い行き来する方法など全く分からん。それでも可能性があるとするならば……」
「世界樹とやらと、消えちまったこの剣の宝玉……か」
「うむ」
そこまで考えて、ユーリは重大なことに気づいた。
これまでの冷静な態度を急変させて近右衛門に詰め寄る。
「ってちょっと待て。次世界樹が発光すんのは来年とか言ってなかったか!? てことは帰れんのは早くても来年ってことかよっ!」
「まだ確定したわけではないがの。もしも3日前と同じ現象が起こせるならあるいは……ということじゃ」
それに、と一旦言葉を切り詰め寄るユーリの両肩に手を置き落ち着かせる。
まだ話は終わっていないのだ。
「来年の発光では無理かもしれん」
「何でだよっ!?」
肩に置かれた手を振り払い、ユーリは大きな声を出した。
世界樹が光れば帰れるのではなかったのか。
「3日前の発光じゃがの、あの光り方は大発光のそれじゃった」
振り払われた手を摩りながら、近右衛門は怒ることなくユーリに話す。
「何だって?」
「世界樹はの、色々な理由が重なって22年に一度、その他の年より強く輝くのじゃ。ワシらはそれを大発光と呼んでおる」
そこまで聞いて、ユーリは自分の中で答えを出した。
だとするならば、聞かなければならないことは……
「次の大発光ってやつは、何時なんだよ?」
はやる気持ちを抑え、低い声でユーリは問いかける。
今目の前の老人は22年と言った。
もし、今年の発光がそれだったとしたら、彼が帰還できるのは22年後ということになる。
「……」
最悪の可能性に、ユーリの顔が青くなる。
そんなに待てる訳がない。
「再来年じゃ」
再来年、それを聞いてユーリはとりあえず安堵の息を吐いた。
2年でも十分長い、しかし22年待たされるよりはいい。
「お主にしてみれば確かに長いかもしれん。しかし考えようによってはこれでよかったのかもしれんぞ?」
「どういうことだよ?」
意味深な近右衛門の言葉にユーリは首を傾げる。
「お主には探さんとならん物があるじゃろ? それが見つからんと、世界樹が大発光しても何の意味も成さん」
「……こいつの中身、か」
言われて思い出すユーリ。
取り乱した所為で肝心なことを忘れていた。
今手元にあるこのデインノモスは言ってみれば抜け殻、高畑の話によれば共鳴を起こしていたのはこれから抜け出たという宝玉だ。
「そういうことか。何処にあるかも分かんねぇんだ、ある程度時間は必要になる……」
顎に手を当て呟くユーリ。
近右衛門は、彼の言葉に頷いた。
「焦る気持ちは分かる。じゃが今は落ち着いて、限りある時間を効率よく使う手立てを考えんとの」
深みのある近右衛門の声は、陳腐な慰めの言葉に大きな説得力を持たせる。
それで幾分か落ち着きを取り戻したのか、悪りぃと謝りながらユーリはベッドへと戻った。
そして悔しそうに宙の戒典へと目を向ける。
「そう考えりゃあむしろ2年じゃ短いかもしんねぇな……」
「そうかもしれんの」
クソッ、と右手でベッドを殴るユーリ。
今直ぐにでもテルカ・リュミレースに戻りたい。
2年なんて時間をかけていたらテルカ・リュミレースは……
だが今の彼にはどうすることもできない。
「悲観するのはまだ早いぞい」
優しい声が、絶望するユーリの耳に届いた。
ゆっくり顔を上げると近右衛門がうむと大きく頷く。
「こうやって出会ったのも何かの縁……ワシらが協力しよう。 少しはあの宝玉を見つける可能性の幅も広がるじゃろう」
こう見えてワシ、結構顔が広いんじゃ、と茶目っ気たっぷりに胸をはる近右衛門。
それに、と今度は高畑がユーリに歩み寄り微笑む。
「ここには僕達のような魔法使いがたくさんいる。 3日前の世界樹の発光についての調査も既に始めているよ。 もしかしたら何か分かるかもしれない」
2人の言葉は、あくまで希望的観測でしかない。
もしかしたらもう二度と帰れないかもしれない。
現時点ではその可能性の方が高いくらいだ。
しかしそれでも、2人の言葉でユーリは幾分か余裕を取り戻す事ができた。
何より、ほとんど赤の他人の自分にそこまでしてくれることがとても嬉しかった。
「お主がテルカ・リュミレースに帰れるまで、此処におるといい」
「……ああ」
こうして、ユーリは麻帆良学園都市に留まることとなった。