彼女が意識を取り戻したのは、地面に乱雑に落とされた衝撃を持ってであった。ぼんやりとした視界と思考で当たりを見渡そうとするが、その前に何者かに水を顔にかけられ、強制的に覚醒させられる。咳き込みながら状況を理解しようとするが、それも叶わぬまま、うつ伏せにされ、背中に乗りかかられる。そして後頭部に硬いものを押し付けられた。
「おい、起きろ。わかっちゃいると思うが、貴様に銃を突きつけている。これからいくつか質問するが、私の質問にはДаかНетで答えろ。わかったか?」
「はぇ・・・?だ、だー?いぇっと?ってなんですか・・・?」
「・・・はいか、いいえで答えろ」
「あ、は、はい」
この場の雰囲気にまるで似つかわしくない、そんな間の抜けたやり取りを挟んでから、質問が始まる。
「貴様は日本海軍属の艦娘か?」
はい。
「貴様はソヴィエト・ロシアに依頼を受けて私を探しに来たのか?」
いいえ。・・・そもそも、ソヴィエトは崩壊して久しいはずなのだが、あえて発言はしないでおく。
「本当か?・・・はあ、貴様も遭難者か」
「ガングート、戻ったぞ。・・・その人は?」
のしかかる女をガングートと呼んだのは、どこからかやってきた男だった。
「おお、同志!海岸に漂着してたのを見つけてな、素性が知れんから尋問していたところだ!」
連れ合いが現れ、安心したのかようやくのしかかりの状態から開放される。すると今度はガングートに起こしあげられ、座らされた。そうしてようやく二人を視界に収めた。銀髪で白い海軍服を羽織った女と、対象的に黒い軍服を羽織った小柄の、どこか自分の司令官に似たところのある男の二人である。
「手荒な真似をしてすまない、僕たちにも事情があってね。僕は新城直衛と言う。君は?」
「わ、私は比叡です!よろしくおねがいします!」
新城と名乗った男は比叡の自己紹介によろしく、と頷くと、新城がガングートと呼ぶ少女にも自己紹介を促した。
「私はソヴィエト海軍のガングート級一番艦、ガングートだ。オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤと名を変えたこともあったが、まあ長いのでガングートの方でいいぞ」
「では自己紹介も終わったところで、本題に入ろう。・・・と言いたいところだが、比叡、君もかなり体力を消耗しているだろう?我々も遭難者でね。食料やらを探してきたところなんだ。ひとまず食事としようじゃないか」
比叡が新城と出会った頃、泊地でも新たな動きが起きていた。球磨率いるドイツ艦救出艦隊が無事、ドイツ艦を連れて帰還を果たしたのである。先に帰還した機動艦隊の奮戦もあり、救出艦隊は交戦もなく、無傷での作戦遂行であった。
「ドイツ艦救出艦隊、旗艦球磨以下六名。任務完了しましたクマ」
提督執務室では、救出艦隊の面々による帰還報告がされていた。彼女らにも機動艦隊の被害は伝わっており、駆逐艦の五人はそれぞれ不安を携えた表情をしている。対して球磨は凛とした態度を崩さない。
「うむ、球磨、暁、響、雷、電、そして島風!困難な作戦であったが、ご苦労であった!機動艦隊は戦術的敗北を喫したが、諸君らの帰還を持って我らの戦略的勝利は達成された!次なる作戦のために今は休息を取り給え。下がっていいぞ」
彼女ら六人が退室し、一人残された少佐は、逸る気持ちを抑えて次の来訪者を待っていた。そう時を置かずして、執務室をノックする音が聞こえ、思わずおお、と声を上げ、机から立ち上がる。
「失礼します。提督、ドイツ艦の皆さんをお連れしました」
大淀が入室し、続いて四人の艦娘が入室してきた。彼女らを見た少佐は一層目をギラつかせ、また一層ニンマリと笑う。ドイツ艦達は執務机を挟んで少佐の前に整列し、ビスマルクの号令の下に、敬礼する。
「Achtung!!麗しのドイツ艦の諸君、懐かしの我が祖国の戦友諸君!!私達の鎮守府へようこそ!姿は変わったが、時を越え世界すらも越えて、諸君らと再び戦争をともにできること、実に歓喜の極みだ!!ぜひ一人ずつ話を聞かせてくれ給え!!」
「ドイツ海軍より同盟国日本の太平洋戦線支援のために派遣されましたドイツ艦隊旗艦ビスマルク、以下四名。救出に感謝いたします。本来は先に陥落したショートランド泊地へ派遣される予定でしたが、以後このビスマルク諸島泊地で指揮下に入ります。よろしくお願いいたします、提督」
ビスマルクは恭しく挨拶をする。少佐は恍惚の表情でそれを聞く。いつにもまして上機嫌そうだ。
「ああ、そう畏まらないでくれたまえよ。せっかく出会ったドイツ人同士だ。肩の力を抜いて親交を深めようじゃあないか」
「Schiffbrüchiger・・・漂流者だったかしら。わかったわ。正直私たちがただの艦船だったころのドイツ軍人と出会えるなんて思ってもみなかったし、お互いに理解を深めましょう」
ドイツ艦隊の面々は泊地へ到着した後、鹿島の立ち合いの下で大淀から漂流者に関する説明を受けていた。少佐がナチス時代のドイツ軍人であったことから、ドイツ艦へ事前にそれを伝えておいたほうが話が円滑に進むと考えての行動だ。鹿島に関しては、その後の仮称キマイラの情報についてが重要そうであったが、流石に少し見ただけのグラーフからは現状わかっている以上の情報もなく、すぐに解放されていた。
「はいはーい!私、Admiralさんのドイツにいた時の話聞きたいです!」
「おお、君は・・・」
「アドミラル・ヒッパー級3番艦のプリンツ・オイゲンです!」
「プリンツ・オイゲンか!いいだろう。かつて私は武装SSで少佐として大隊を指揮していた。東部戦線でね。当時は海軍とはほとんど関わりがなかったが、何の因果か今は地球の裏側まで来て艦娘の指揮を執っているというところだ」
ほえー、とふわふわした反応のプリンツだが、対してグラーフは武装SSか、と少し含みのある反応だ。
「いや、すまない。個人的に武装親衛隊は好きになれなくてね。いや、総統閣下が好きになれないといったほうがより正確かな」
ちょっとグラーフ、とビスマルクが制止しようとするが、それを遮ったのは少佐であった。少佐は興味深いものを見る目で、分厚いレンズの眼鏡の向こうから覗いているようだ。厄介なことにならなければいいが、とビスマルクは思う。性格に頑固なところがあるグラーフだが、こんなところでそれを出すことはないだろう。何せ相手は元武装親衛隊の士官であり、すなわち第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの忠実な私兵だった男だ。幾ら艦娘といえども、総統を批判して何もなしではすまないだろう。
しかし、ビスマルクの予想とは違い、少佐は特にそんなことに気を留めることはなかった。
「君は、グラーフ・ツェッペリンだな?そうかそうか、かつては終ぞ完成することはなかったが、艦娘として大洋へ出たか。ああ、素晴らしい。なんとも、なんとも素晴らしい」
「素晴らしいものか。完成を目前として滅びゆくドイツを傍観していることしかできなかった。結局私は勇敢に死ぬことすら知らなかったんだ。少しくらい恨んだっていいだろう?」
「そう悪く言うものではないぞ。総統は戦争に無知な男であったかも知れんが、史上最大で最高の戦争を作り出した男だ。それだけで、崇拝すべき男だとは思わないかね?」
しばらくお互いを見透かすかのように向かい合った二人を、大淀も、ビスマルクも、オイゲンも口出しできず見守っている。
「・・・グラーフ。喧嘩は、ダメだよ?」
唯一、沈黙を破ったのはユーこと、U-511だった。
「むっ、いや、ユー。別に喧嘩してるわけじゃないぞ。ただ彼が元武装SSだというから思ったことを言っただけで・・・」
「ダメだよ、新しいadmiralと仲良く、しなきゃ。ほら、Es tut mir Leid、って」
むむむ、とグラーフが唸る。グラーフとしては、本当に他意なく思ったことを言っただけだったのだが。
「ハッハッハ!いや、お嬢さんの言う通りだ。君がU-511だな?ありがとう、U-511。煽るような真似をしてすまなかった!Graf,Tut mir Leid!」
ユーの言葉に、少佐が態度をやわらげ、グラーフに先んじて謝罪を述べた。ユーはユーとお呼びください、と改めて自己紹介をする。すっかり緩んだ空気に、グラーフは頬を搔いて肩をすくめた。
「Es tut mir Leid,admiral.別に突っかかるつもりはなかったんだ。すまなかった」
「構わんさ、だが立ち話もこの程度にしようじゃないか。皆疲れているだろう?何かつまみながらビールでも飲もうじゃあないか。ここの鎮守府の料理は絶品だぞ!」
夜の帳が下りたころ、南のどこかの島で、薪を囲んで食事する三人の人影があった。比叡、ガングート、そして新城の三人である。ガングートと新城が捕まえてきた魚を捌いている間、比叡は木の実を貪っていた。つい数時間まで漂流していた比叡を気遣って二人が休ませていたのである。
「いやー、お二人ばかりに準備を任せてしまってすみません」
「何、気にすることはないさ。相当に体力を消耗しているだろう?今は回復に努めるべきだ」
会話も交えつつ準備を進める一行であったが、同時に現在に至る事情をそれぞれ語るなど情報共有を行っていた。比叡に関しては言わずもがな、である。
「どうだ比叡、痛むところはないか?ほら、私のводкаを分けてやろう。もう少ないから大事に飲めよ?」
ガングートがスキットルを取り出し、比叡に渡す。
「手荒な真似をして悪かったな。私はソヴィエト海軍から日本に戦力供与で派遣されたんだ。配属されたのは最前線で激戦続くショートランド泊地。近頃は風向きもよくなく、分の悪い出撃を繰り返していたんだが・・・最後の出撃を最後に記憶がない。気が付いたらこの島で同志新城に拾われていたというわけだ」
「ひえー、そうだったんですか。でもなんで私を警戒していたんですか?救助を待っていたんじゃないんですか?」
「馬鹿な、作戦行動中に行方不明になっているんだぞ。祖国に戻れば脱走で軍法会議もありうる。下手したら銃殺刑まであるんだ。私はまだ死んでやるわけにはいかん」
ガングートが新城を見ながら言った。
「銃殺刑ってそんな・・・大げさじゃないですか?ロシアだって今はそんな国じゃないと思いますけど」
比叡の言葉を聞いたガングートは、一つため息をついて比叡に向き直る。
「ロシア連邦という国に変わりがなくとも、海軍は別だ。私のような帝政ロシア時代の艦もいるが、ロシア海軍属の艦娘の大半はソヴィエト時代の艦娘達なんだ。今や海軍内はソヴィエトに回帰していると言ってもいい。・・・はあ、十月革命の名を与えられたこの私が、ソヴィエトを恐れなくてはならないとはな・・・」
ガングートは非常に複雑そうな表情で空を仰ぐ。
「ふむ。ロシア連邦、ソヴィエト、日本。どれも聞いたことのない地名だ。やはりここは僕の知っている世界ではないようだな」
二人の会話を聞いていた新城が作業をしながら口を挟んだ。あるいは、気まずい雰囲気を感じたのかもしれない。どちらにせよ、比叡にとっては渡りの船であった。
「皇国という名の国もこの世界にはないというし、そもそも技術も進んでいるようだ。艦娘なんて兵科は僕のいた世界には存在しなかったぞ」
新城が、彼が元居たという世界について語るが、やはり比叡達にとっては知らぬ世界であった。
「我々はお互いに寄る辺なき者ということだな。ならばここにいればいいさ。幸いにしてこの島は食料豊かなようだ。数人が生きていくのに困ることはないだろう」
「同志新城・・・!そうだな、何処へも行けないのならばここで生きればいい。今日からこの島が、私と同志の、たった二人のソヴィエト連邦だ!」
ガングートは目にうっすらと涙を浮かべて感激しているようだ。新城も、帰るすべがないのならばと居直っているらしい。確かにこの島は豊かのようで、軍人二人が身を寄せ合えば生き延びるのも難しい話ではないだろう。しかしそうなると困るのは比叡である。
「えー・・・さすがに不便じゃないですかぁ。帰りましょうよぉ」
「帰るといっても、僕はそもそもこの世界の者ではないからな。そもそもこの辺りは戦争の最前線だったんだろう?果たして救援が来るかどうか、だな」
「ひえぇ・・・。お姉様ぁ、帰りたいですぅ・・・」