駆逐艦時雨。太平洋戦争において「呉の雪風、佐世保の時雨」と評されるほどの幸運艦であり、多くの武功を上げた艦。しかしレイテ沖海戦では所属する西村艦隊の僚艦全てを失い、その後戦争の終結を見ずして散っていった。
「・・・それがあの子の、時雨がただの艦だった頃の経歴さ」
シャリシャリと、手にしたかき氷を食しながら彼女は時雨のことを語る。彼女は、西村艦隊の一員であった航空巡洋艦、最上。時雨のことを詳しく知る艦娘に話を聞くため、執務室を出た少佐が行き着いたのが彼女であった
「時雨は多くの僚艦が沈んでいくのを目にして、そして生き残ってしまったからね。きっと、辛いんじゃないかな」
「辛い?自分だけが生き残ったことに自責の念を感じているということかね?」
少佐もまた、かき氷を食べながら最上の話を聞いている。腰掛けたベンチは、砂浜を目の前にしており、波打つ音が一定の間隔で心地よく届く。
「艦だった頃のことも、今の状況も」
最上は水平線を見つめている。その横顔には普段の賑やかな雰囲気はなく、憂いを帯びた表情をしている。
「提督は、時雨に『協調しないと死ぬ』って言ったんだよね?」
「ああ、確かにそう言ったぞ。それが事実である以上は受け入れなくてはならないことであるからな」
「きっと、時雨はそのことをよくわかってるんだと思うよ。でもそれができないから困ってるんだ」
じりじりと突き刺さる夏の日差しは氷をゆっくりと溶かしていく。空は、人の手から離れた海の色を映して、憎らしいほど澄んだ青を照らし出している。
「時雨は多分、怖いんだよ。自分が傷つくのも、誰か傷つくことも。本当は誰よりも他人のことを思っていて、誰よりも優しい子なんだ。でも、だからこそ、大切な人を失う辛さに耐えられない。辛いから、他者を遠ざけて関わりを絶とうとする。でも心のそこで誰かを想ってしまうから、孤独がもっと辛くなる」
スプーンに掬ったまま口に運ばれなかったかき氷が、溶けてぽたぽたと地面に垂れている。
「ある種の二律背反に陥っているということか。他者を思うあまり失うことを恐れて遠ざけ、遠ざけるあまり孤独に耐えられず誰かを求める。しかし失うことが怖いから求めることをやめてしまう、と」
そういうこと、と言って最上は新しくかき氷を掬って口に運んだ。
「不器用な子なんだよ。かつて艦だった頃の記憶のことはあんまり気にしない子もいるけど、そうはできない。ボクなんて、こんなにあっけらかんとしてるのにね」
えへへ、と笑う彼女は、やはりどこか悲しげな表情を隠している。
「戦争とは何かを失うことで成り立つ行為だ。隣人もまた例外ではない」
「提督は強いね。普通そこまで割り切れないと思うんだけどなあ」
「かつて私は宿敵を打ち倒すために、私の何もかもを投げ打った。それほどまでに強大で度し難い、全くもって度し難い化物だった。深海棲艦もそうだろう。大洋という至宝を人類の手に取り戻すために、いずれは一切合切をかなぐり捨てて立ち向かわねばならぬ時が来る」
「そんなこと簡単にできないって。大体そんな崇高なこと言われてもはいそうですかって納得できるほどうまくできてないよ、ボク達」
戦うことを運命付けられながらその運命に翻弄される艦娘。疾風怒濤の闘争を望まぬ彼女たちは、果たしてなんのために戦うのか。その袋小路に行き詰まってしまったのが時雨だとも言えるだろう。
「ふむ、難しいものだなあ、艦娘というのは」
「難しいものなんだよ、女の子ってのはね」
最上が冗談めかして言った。
「男の子はいいよね。浪漫があればどこまでだって行っちゃうんだもん」
「ロマンか。うむ、ロマンはいいものだ。第三帝国の栄光も、永遠の闘争も、全てはそこにある」
そう返して少佐は溶け始めているかき氷をまた掻き込んだ。それに習って最上もまたかき氷を口へ運ぶ。
「時雨をや、もどかしがりて、松の雪」
「何?」
ポツリと呟いた最上の言葉に、反射的に言葉を返した。
「芭蕉の句。本当はこんな夏に読むような俳句じゃないけどね」
「その芭蕉とは、何者だね?」
松尾芭蕉を知らないの?、と彼女は詰め寄ってくる。聞けば日本の文化である俳句の大成者であるという。最上の名の元になった川に関する俳句もあるそうだ。
「で、その芭蕉の句が何だと?」
「これは時雨が降っても紅葉しない松の樹を、雪がもどかしがって、雪で松を真っ白に染めたって情景の句なんだけどさ。要するに時雨はいろんな思いはあっても割り切れない、紅葉できない松なんだよ。自分で紅葉できないなら、誰かが雪化粧で飾ってあげればいいんだ」
何やら最上は力説しているが。
「んー?・・・うむ、よくわからんな。簡単に噛み砕いて説明してくれないか?」
最上は不満そうに声を上げる。
「うまいこと言えたと思ったんだけどなあ。要約したらせっかくの情緒が台無しじゃないか。まあいいけどさ。要するに時雨には誰かが助け舟を出して上げたほうがいいってこと。自分で答えが出せなくて他人にも頼れないなら誰かが助けてあげるしかないじゃない」
「俳句を引き合いに出して語った割には、えらく普通の結論に至ったじゃあないか」
「もぉ、いいじゃないかよお、そうボクをいじめないでよ」
そういって最上は残りのかき氷を流し込んだ。そのせいで頭痛が来たようで、空を仰いでほんの少し顔をしかめている。
「じゃ、かき氷ご馳走様、提督。あの子の大切な人になってやってよ。時雨が閉じてしまった心の扉を開けてあげて」
最上は食べ終わったかき氷の容器をベンチに置いて、少佐を見た。そこにはいつも通りの憎たらしげな笑みが張り付いている。その笑みが、今はほんの少しだけ心強い。
「無論だ。戦争音楽を忘れた戦乙女にもう一度ダンスを申し込もうじゃあないか。きっと素晴らしい舞踏会だぞ」
前回の「うしろすがたの。1」につづいて後編です。例によって小刻みの投下ですみません。
なんだか少佐のキャラがわからなくなってきてるような気が・・・wある程度のキャラのブレは生暖かく見守っていただけると幸いです(´・ω・`)
追記
文を一部修正・変更致しました。