オーバーボーン Overlord × Dovahkiin   作:あんころ(餅)

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一章 / 覇王の卵
001. 落ちてきた男


   〔1〕

 

 

 風雪吹きすさぶそこは、峻厳なる高峰の(いただき)

 白き冷気が絶え間なく息を下ろし、常人であればただ呼吸を続けることさえも困難だろう。世界随一の高峰にして霊山、星々の空にも手を届かんとするほどの高みは、(いにしえ)より「モナーヴェン」「雪の塔」、もしくは「世界のノド」と呼ばれ、聖地として尊ばれてきた。

 その山頂の直下にわずか拓けた隙間のような雪原と、そこに彫り出された古き石碑の下に。老いた一匹の白き鱗の竜と、雄々しく二足で立つ人の子の戦士が一人、互いを見据えていた。

 

「よくぞ戦い抜いたものだ、ドヴァーキン。ゾク、ゾール、ケール……。おまえこそまさに最も偉大なる勇者であろう」

「光栄だパーサーナックスよ。あなたにそう称えられることほど誇らしいことはない。我が声の師よ、そしてともに宿命の戦いに向き合った、友よ」

 

 老いたる竜、パーサーナックスの静かな語りかけに、見るからに筋骨隆々たる偉丈夫の戦士は覇気宿る声で応えた。問答は続く。

 

「私を友と呼ぶか、ドヴァーキン。このような私を……。ファードン、ゼイマー、ブロド……。いまやお前に従うドラゴンも少なくない。数々の戦いで威光を示し、始原の竜、我らの長兄にして暴虐の支配者であったアルドゥインをも打倒した。ホゥンネ、ドログ。揺るぎなくこの時代を代表する、力の長者となった」

「……そう、だな。あらゆる悪逆を滅した先として、ここに立っている。人とドラゴンだけではない、デイドラの呪い、神器にまつわる騒動、あるいはエイドラの課した試練。復活した吸血鬼の王と古代エルフの対決も、内戦の爪痕をめぐるがごとき再建も、始まりのドラゴンボーンとの決着も。すべて乗り越え、倒してきた。その途上でこの身も幾度となく血塗れた道だった」

 

 いかなる感慨によるものか。吐息を一つ挟み、ドヴァーキンと呼ばれた戦士が続けた言葉は、疲れにも似た自嘲が乗せられていた。

 

「そして……。我が映し鏡のごとき黒檀の戦士との決闘にも、勝ててしまったよ。もはやこの地で為すべきことなど……幾ばくあるものか」

「それがおまえの行き着いた極地か。ドヴァーキンよ。時代の寵児よ。時の父アカトシュの恩恵と試練に呪われた子よ。おまえの存在は強大になりすぎた。あまりに多くの恩寵と呪詛が、神々と悪鬼の思惑が、おまえの身にまとわりつき、渦巻いている。ニス、ナール、ヴス……。もはやこのニルンの内なる天地において、存在すること自体が危ういかもしれぬ」

「ああ。だから……旅立とうと、そう思ってな。せめて一つところには長く留まるまいと。我が故郷、スカイリムの地を、これ以上の災禍には巻き込むまいと。今日は、そのあいさつに来たのだ。友よ、パーサーナックスよ。世話になった。この先に再びまみえられるものかは分からない。ゆえに、伝えるべき言葉を。……さらばだ」

「クロシス、ニス、アーク……。私はもうおまえを導いてやることができない。ドラール……ドレム・ヨル・ロク。せめて祈ろう。“汝に()き空がありますように”」

 

 そんな老竜の手向けに、戦士は軽やかな笑みを返す。旅人を送るにはよい言葉だと。

 しばしを穏やかに見つめあい、やがては背を向けて歩み去る。

 それだけで済むはずの、異種に結ばれた数奇な友誼の、ちょっとした別れの一幕だった。

 だが――。

 いかなる運命のいたずらか。もしくはそれこそが、危惧された“その通り”であったのか。

 (きびす)を返そうとした戦士の一歩を阻むように。空間に大きな波打ちが走る。

 

「なにっ!?」

「これは……。“時の傷痕(ティード・アーラーン)”が脈動を……いや、共鳴している?」

 

 驚く戦士と、思案げな老竜。だが寸暇を許さぬがごとく、次の展開は素早かった。

 戦士の背負う古びた荷袋。そうと見せかけた魔法の収納具(マジック・ストレージ)から、()()()巻物が飛び出したのだ。高貴な装飾の施された、そして莫大なる神秘の力をあふれさせた、長大な巻物が。

 

「くっ。なぜ勝手に星霜の書(エルダースクロールズ)が!」

「まさか。――いかん、ドヴァーキン!」

 

 場の一切を飲み込むように。空間がひしゃげ、捻じ曲がり、収縮し、そして弾ける。その一刹那に。

 とっさに飛び退こうとした戦士と。

 かばうように身を割り込ませようとした老竜と。

 周囲を取り巻くように高速で引き出され、展開する六本のエルダースクロールズ。

 閃光が埋め尽す。

 

 ……静まったあと、残ったものは。

 降りしきる細かな氷雪と、無音で佇むばかりの石碑だけだった。

 えぐれた地面の積雪の痕跡など、それから数日で埋もれてしまった。

 

 

    ◆

 

 

 エンリは今日も一人、朝早くから森の中での薬草採取に勤しんでいた。

 春が過ぎ、初夏を迎えつつあるこの時期、村の北方に広がるトブの大森林がもたらす恵みは多い。

 それは日々の糧というにとどまらず、貴重な現金収入を得る機会であることを意味する。

 エンリは額の汗を腕でぬぐいながらも黙々と作業を続ける。初夏も近いとはいえ森の中は日が遮られる。ある種涼しげではあるのだが、同時に独特の湿気が蒸れてもいる。森の中の作業だ、薄着ではできない。擦り傷だらけになってしまう。だがしっかり着込んで体を動かし続けるなどとなれば、当然体温も上がる。加えて森の湿気。とくれば、一度汗をかき始めればもうそれが引くことはない。

 しかし、そんなことで心をいちいち折ってなどいられない。エンリ・エモットにとって、この日々は重大な勝負どころなのだ。まあ、そうはいってもさすがに前腕の袖をまくるくらいのことはしてしまうが。それでこさえてしまうかもしれない多少の肌のすれなどは……致し方あるまい。己が若い娘の身であることの自覚が少しはあるつもりのエンリにとって、引き換えとするにはそれなりの決心が必要な代償ではあったが。

 エンリの住まうカルネ村は、決して裕福な村ではない。いや、むしろ貧困だとはっきり言いのけてしまえるだろう。秋の収穫の後、毎年の税の支払いに()()()()と持っていかれる分を差し引けば、冬を越すのに村の中から餓死者を出さないのがやっと……と。そういった暮らしなのだから。

 ここ数年は特に汲々としている。カルネ村の属する統治者たる王国――リ・エスティーゼ王国が隣国との間に毎年のように行っている戦争において、その推移が思わしくないらしい。時代の進歩から取り残されてゆくような僻地の開拓村の暮らしとあっても、そのくらいの事情であれば――かろうじて――たまの行商人や友人らの訪いを通じて、話を聞き及ぶことができる。

 エンリが気にかけているのは、己の身ではなかった。むろんそれも皆無ではないが、家族、特に幼い妹のことが心配の種だった。エンリは、己の身が十六という齢において、若い娘としての“年頃”を迎えつつあることは理解していた。が、同時、それにふさわしい魅力が備わってきていないことも(多少の残念な気持ちとともに)理解していた。胸も尻もここ数年、大して肉付きがよくなってなどいないし、背もいまいち伸びきらないままでいる。それも仕方がない。滋養が十分足りるだけの食事などできていないのだから。肉など、村で唯一の狩人のおじさんが森の魔獣を刺激しないよう慎重に狩りを進めた末にたまに手に入る獲物、それをさらに村中で分け合った結果の少量しか各家庭には行き渡らない。その上で個人ごとの口に入る分量となれば……もはや、わずかの肉片としかいえないものだ。それでさえ、贅沢なのだ。

 そんな暮らしの中、今年で十の齢を迎えるはずのエンリの妹、ネムは、かつてエンリが同じ年頃であったときと比べても一段と背が低い。低いままだと、そう明らかに見えてしまっている。また言動も、外見相応に幼げだ。その天真爛漫さが温かな思いを与えてくれることは多いが、しかしそれが哀しい事実と背中合わせなのだということから目を背けるわけにはいかなかった。自分が姉なのだ。守ってあげなくては。

 村にはネムと同年代の子供はおらず、もっと年少の幼児ならばいるがほんの数名だった。これは近年において余裕がいかに損なわれているかを示していた。もちろん、村々の婚儀と育児には元からの世代ごとの波がある。農作とは成果が安定したものではない。豊作と不作が揺り返す中、また嫁取り婿取りの都合が重なることもあって、長く続く村ほど世代ごとのある程度のまとまりが生じる。しかしそうはいっても、ここ数年は余裕がなさすぎた。というより、おそらくは――エンリの立場では直接的な事情の説明など受けられないため、漏れ聞こえた話からの推測となる――税が、重すぎた。

 その結果として同じ年頃の遊び相手などいないネムの甘えかけもわがままも、一番に受け止めるのはエンリの役目だった。母もいるが、父とともに日々忙しく立ち働いており(この時期は畑の世話などだって繁忙だ)、手の空く時間というものが少なかった。だからかエンリの抱く気概は姉というよりも第二の母とでも評すべきに近いものがあり、その愛情は己の身よりも優先させる強さがあった。

 ゆえにエンリは懸命に働く。この時期に採れる薬草は、きちんとした採取方法とその後の一次処理をあやまたず行えれば、最寄りの都市へ持ち込むことでそこそこの値がつくのだ。もちろんだが行商人や友人の薬師一家などが折よく村を訪問して買い取ってくれたならば、手間がなくてなおよいのだが。

 ともかく、季節の巡りがまだ年の半ばよりも手前だといえども、既にして今年の冬を無事に越えられるかどうかの勝負が始まっているのだ。むろん、この時期の前後だけで決まるわけではない。この後も冬までずっと、あるいは冬に入ってからもずっと、絶えなく続く戦いだった。気を抜けるとしたら収穫祭を大過なく迎えられたときの数日間くらいか。

 この森は恵みが豊富だ。薬草のみならず、季節ごとの木の実や、小動物も。しかしそれは危険さと引き換えの要素だった。森には強大な魔獣の支配者がいる。特にカルネ村が隣接する森林南部の一帯を縄張りとして強力に君臨している大魔獣こそが、かの伝承にいわくの「森の賢王」だった。この魔獣は賢王の名にふさわしく、自ら森を出でて人を害することもなく、また他の魔獣や亜人が縄張りを踏み荒らすことを許さず、結果としてカルネ村が位置する側に対して森からの異変があふれ及ぶことを防ぐ防波堤のような、ある意味で守護神のような存在だった。とはいえ、それで人がみだりに森の中へ踏み入ることを看過してくれるわけでもない。

 つまり、森にわけ入っての薬草採取は、危険だった。一人前の成人の男性でさえ、躊躇を覚えるのが普通なのだ。もちろんのことエンリがこうして立ち入っていることに対しても、いい顔はされない。しかし、だったらそれで別の稼ぎをどうにかしてくれるのかといえば、そんなことは誰にも無理な話だった。だから、いい顔をされないといっても、毎度のごとくしつこく説教されるといったことはない。また、エンリの側が恨めしく思うこともない。村の者は、皆が家族のように近しい。大切に思うがゆえの心配なのだということは、当たり前に理解していた。

 それに森に入るといっても最低限だ。森の賢王の縄張りには決して抵触しないよう、外縁部の浅い領域に限ってと、気を払った上でのことだった。というより、これを見分けられるだけの年齢と分別が達していない村人には、森へおもむくことは断固として許可されない。なんとなれば、下手につついたあげく森の外にまで、すなわち村にまで、脅威を引っ張り出してしまいかねないのだから。

 また、この薬草採取に関わる一連の仕事には、一定の知識と技術、加えて慣れが重要であり、森の近傍に住まう村人だからと誰にでもできるといったものでもなかった。なにせ品質が価値に直結する“商品”なのだ。エンリとその一家は、最寄りの都市であるところのエ・ランテルから年に数回ほど村を訪れる、とある薬師の一家と昔から多少の取引きと付き合いがあって、これら薬草の取り扱いに関して一日の長があった。

 

 こうした、時に物思いにもふけりながら体を動かし続ける過ごし方が、エンリは実のところ嫌いではなかった。家の中、村の中では、一人になれる場所も時間もありはしない。かといって日中を働き通す以上、夜に眠らず思索に費やす余力などもない。

 日々を流す中、心にいつの間にか降り積もっているものが、誰にもあるだろう。(おり)のような何かが。それを黙して省みる一人の時間があったとて、よいではないかと。

 そう思うならば、むしった草々の強い臭気にまみれながら汗みずくとなって働くこの時間も、ただ金銭面の稼ぎがよいからというだけの理由で邁進しているのでは、ないのかもしれなかった。

 

 

    ◆

 

 

 やがて……日の昇りが高みを帯びるころ。

 エンリは持ち込んだ薬草籠がもくろみ通り一杯になった様を見て、その成果に満足の一息を吐いていた。

 あとは持ち帰り、日のある内にいかに手早く保存のための処理や薬効抽出のための一次加工を施せるかだ。

 エンリは重たげとなった籠をよっしと背負い(乙女であっても気合いに似た何かの息吹きが漏れ出すことは打ち消しきれない)、森の外へ向けた一歩を踏み出そうとした。

 その一歩の着地に、図ったように。

 眼前の木々の茂りが消し飛んだ。

 いや、より正確には、へし折れたのだ。なにか、けっこうな重さと大きさのあるものが、すさまじい勢いで斜めに落っこちてきたことによって。

 それが落ち様に木々に引っかかり、あるいは激しくぶつかって、なんとけっこうな太さのある樹齢を感じさせる木々を、なおも負けさせて折り倒したのだ。下敷きとなったのだろう樹木たちの断末魔を思わせる騒がしい音が、森中へ向けて鳴り響く。

 そして気がつけばその落下物は、エンリから見て左手の前方を十数歩ほど離れた先に、そっくり返るようにして地面に投げ出されるまま寝そべっていた。人型のように見えるが、その意味するところだとか脈絡だとか委細だとか、あるいは気遣いだとか、そんなものよりも先に感じたものはただ背を伝わる冷や汗だった。危なかった。いま少し歩き出すのが早かったならば、直撃を受けていたのはエンリだったかもしれない。

 何度かの浅い呼吸と、その後に意識を改めての深呼吸をさらに数度。それでようやく、こわばり震えるようであった手足が、なんとか言うことを聞くようになる。

 

「えぇっと……あの! 大丈夫ですか!」

 

 大丈夫なはずがない。

 ようやくに搾り出せた自らの第一声の的外れぶりに、エンリは情けないやら恥ずかしいやら。ともかく、細かいことは飲み込んで、エンリは数歩の距離を近づいてみることとした。なお、せっかく背負った薬草籠だが、身軽に動けるようひとまずはその場に降ろしておく。

 おそるおそると歩み寄る。しかし近づきすぎもしない。これには理由があって、落下してきた存在は人間のように見えるが正体は定かでなく(この森の他の領域には危険な亜人たちなどもいる)、加えて鋼鉄を用いた武装で全身を固めているように見えるからだ。

 その人物は、男性のようだ。立派な体躯をしている。軽く回り込んでみるが、顔はよく見えない。というのも、鋼鉄製らしき(ヘルム)を被っているからだった。しかも厳めしい角のごとき飾り立てが側頭部の両側からわざわざ生やされている。鼻梁を覆うように防護の鉄片が延ばされていることもあって、顔の作りまではあまり判別できなかった。あごひげが短く刈り込まれており金茶色をしているなという程度なら角度的に見て取れたが。

 一方で首から下は、鎧といっても隈なく覆う全身板金甲冑(スーツ・プレート・アーマー)などのたぐいではなく、もっと遊びの部分が多い、どちらというと革鎧を基調にして要所を鋼鉄材で補強したかといった作りに見える鎧や手甲、足甲などだった。左手には大きめの丸い盾が備わっていて(よくもどこかへ吹き飛んでしまったり壊れてしまったりしていないものだ)、それもまた木材を基盤に革と鋼鉄で補強したかといった作りに見えた。また、背には厚みのある毛皮のマントを羽織っている。右の腰から下げられている鋭利かつ凶悪なシロモノは、戦闘用の片手斧だろうか。

 そのどれもが、一見しては無骨な作りで、野蛮ささえ感じさせる様式であるのに、個々に対し少しでも注目してみれば途端に悟らされる、その材質、磨かれた照り、丸み、あるいは尖り、研ぎ出された角度、細かな部分の装飾、縫い合わせ。などなど、すべてがとてつもない高品質さだった。村で日常的に用いている鎌だのナタだのとは、比べものにならない。いっそ暴力的なまでの、圧倒感がそこにあった。神話や伝説の登場物だといわれても信じてしまいそうなほどに。

 この男は何者なのか……。

 まったくもってエンリには理解できなかった。普通に考えれば、死にかけている戦士の男だと、そういったところなのだろうが、この意識があるかどうかも分からない有り様をもってしてなお、周囲に轟かすがごとき迫力を全身からあふれさせ。エンリのような弱小の村娘が下手に触れれば、いや触れさえせずとも近寄っただけでも、消し飛ばされてしまいそうな存在感が放たれているとあっては。

 なにをかを了解させてはくれなかった。一応は心配して駆け寄ったはずの、そこから先の行動として連なるべき思考が、まわらなかった。

 しかしいたずらに時を浪費すべきではない。それだけは理解できていた。幸い、あとに続いて飛んでくるようなものはなにもないようだったが(もしそんな怪現象に見舞われ続けたら一目散に逃げ出すしかない……)、それでもあれほどの破壊音をけたたましく森へ響かせたのだ。この場所が安全であるはずもなく、残された時間の猶予は、はっきりと短い。

 

「あの! ……意識はありますか? 人手を呼んできましょうか?」

 

 ここは思いきる必要がある。もう一度と、エンリは声を張って呼びかけてみた。

 すると、それに応じるように、もぞもぞとした身動きの気配が返ってきた。

 奇妙であるのは、そっくり返っている男自身の身動きではないという点だった。その腕の下……何かを抱き込むように巻かれている左腕と丸盾の、その下に何かがいるようだった。ひょっとしたら、男はその腕の下のものを守るように(いだ)いていたのかもしれない。

 何が出てくるかと、エンリが緊張につばきを下しながら身構えた、つかの間の末。男の腕を押し退けるようにして這い出してきたものは――――白い、女の子だった。

 しかも素っ裸だった。

 え? とエンリが驚きと混乱から動きを止めている間にも、その白くて裸な女の子は、完全に身を抜け出して自由を得ると、立ち上がってうーんと一つ全身を伸ばし、それから身体中を点検するように各所を確かめてから、やれやれと呆れるように嘆息をつきつつ首を振った。

 小さい、女の子だ。見かけでは妹のネムと同じか、もう少し小さいくらい。ならばその見た通りの年齢であるならば、七つか八つか、といったあたりだろうか。

 容姿はとても整っており、かつ可愛らしい。だがそちらに目を惹かれる以前に強く目立っているのが、髪の色だった。白い。肌も白いが髪はもっと特徴的で、なんというか非常に清らかさを感じさせる真っ白さだった。森の奥、はるか北方にそびえるアゼルリシア山脈の、頭頂部に見やることのできる永久氷雪を思わせる。あるいは……“処女雪のような”という表現は、このためにこそあるのだろうか。その美しい白髪(はくはつ)は長く、腰どころか膝の裏まで覆うほどだった。だからか裸であることに驚くとはいっても目のやり場に困るといったほどのこともなく、この点だけは幸いだったかもしれない。

 そうした観察に続けて気づくこと、気づいてしまったことは、少女が純粋な人間ではないということだった。

 翼と角があるのだ。

 どちらも小ぶりで、しかも色味が髪の白さと似通っているため、ある程度注視しないと気づきにくい。翼は、鳥の羽根とは違い皮膜が張ったもので、どちらというならコウモリなどのそれに近い形質と見えた。大きさは肩甲骨の幅を超えない程度で、見た感じでは飛び立つ役には立ちそうにない。角は、耳の上あたりの両側頭部からそれぞれ、後方へ流れるような形で多少の波打ちを見せながら、ちょこんと生えている。厳めしさはなく、幼気(いたいけ)な丸みと愛くるしさが際立つ。

 また、そこまで見て加えて気づく。耳も長い。細めの木の葉のように尖っている。

 はたして伝承に語られる森妖精……エルフとは、こういった耳をしているのだろうか。とはいえ、エルフには翼も角もないはずだが。この長さのある耳が髪の流れをある程度押さえているためか、非常に長い髪の毛が乱雑さに陥ることなく、流麗な美しさを保つのに一役買っていると見えた。この長い耳が、少女の身動きにあわせてピンと立つように張ったり、あるいは力が抜けるように下がったり、一種小動物じみた喜怒哀楽が表れているかのようだった。しかも同時に背の翼が小さくもぱたぱたと、羽ばたいたりもするのだ。ひたすらに可愛らしい。

 総体として、エンリがこれまで生きてきた中で見たこともない美しさ、愛らしさ、あるいはいっそ神聖さだった。まるで御伽噺や英雄譚の登場人物が、お姫さまが、目の前に唐突に現れたかのようだった。圧倒されて、もしかしたら打ちのめされて、エンリはただ呆然と眺めることしかできなかった。呼吸さえ忘れていたかもしれない。

 そんなエンリが傍らに突っ立っていることをどう判断されたのか、白く美しい少女はエンリの方をちらと見やったあと――その水宝玉(アクアマリン)のごとく透き通った青味の美しい瞳は、外見に反して永劫の果てのごとき知性深さを秘めて感じさせ、一瞬の視線の交差ではあったがエンリはどきりと心臓が射抜かれるかと思った――倒れたままの男の傍へ歩み寄ると、そのまま頭部の横にしゃがみ込んで頬をぺちぺちと叩き出した。

 

「おーい、ドヴァーキンよ、起きよー。というより、完全に失神してしまう前に己の身を治療しておけ。下手するとこのまま死にかねんぞ。薬でも治癒の術でもなんでもよいから。使えるのじゃろ? 回復魔法だ。ほれ、ドヴァーキンよー。起きて身を癒せー」

 

 ぺちぺち。ぺちぺちと。

 頬の左右を交互に替えて叩きつつ、時に胸元や首元なども叩いたり揺らしたりしながら、少女は言いつのっていた。

 声音そのものは、これまた美しさと可愛らしさを兼ね備えた、子供特有の高音による発声だった。耳にいつまでも聴いていたいような心地よさを響かせる。もしもこの世で最上の歌声もつ小鳥に、心のおもむくまま天地を賛美する歌でもさえずらせたなら、同様の心地を味わえるかもしれない……。と、学のないエンリにさえとっさに連想させるほどの。

 とはいえ、奇妙な喋り口だ。あたかも年経た長老のよう。だが先ほどに視線が交差した際、その目に宿る老成の果ての賢者のごとき深遠さを垣間見たエンリにとっては、違和感よりもむしろ納得がいった。なるほど、見かけ通りの存在ではないのだろうなと。

 さて、そうこうする内に、「む、うぐ」などとうめくようにしながら、ドヴァーキンと呼びかけられている男が身じろぎしだす。

 男は半身を起き上がらせようとしたようだが、しかし途中で目が回ってしまっているかのごとく頭を揺らし、再び伸びてしまう(ちょっとだけ、エンリの父が祭の翌日などに二日酔いをこじらせている姿と似通っている気がしなくもない)。そこへ白い少女があらためてぺちぺち叩きを加えながら、「ほれほれ、傷を癒せ。治癒の術でも使っておけー」と根気よく呼びかけ続ける。

 男はおそらく、よく分かっていないままであろうが、のろのろと何も握っていない右腕を持ち上げてゆく。重厚な鋼鉄の篭手がエンリにとっては重たげに見えるものの、身に付けている当人からは頓着が感じられない。

 男が仰向けに寝そべるような姿勢ながらも掲げた右手を、軽く握りこむようにする。そして一拍の間に。

 ――まばゆい輝きが握りこまれた内より生じ。

 ――輝きはすぐにあふれ出すほどの力強さを宿し。

 ――より強く握りこまれて収束を果たす。

 強大なる力の波動が、放射される魔法の神秘が。その(ことわり)など解さぬはずのエンリにさえも肌を立たせんばかりにびりびりと、感じ取れてしまうほどの、それ。

 目を奪われるばかりのそれを、男が右手を払うように開くと同時、術として解き放つ。

 瞬間、空間を走り抜ける何かと、光輝。エンリの立つ多少の離れた位置までも余裕をもって届いたその温もりは、春風にも似た心地よさをもたらし、場を満たしてしばらくの余韻を引きながら、やがて静やかに消え去った。

 エンリは己が身をかばうようにとっさに腕をあげることしかできなかったが、すぐにそんな必要はなかったのだと悟る。これは害のあるものではない。むしろ……その逆の。

 眼前の男と少女は、男が力の抜けるように右腕を下ろすのに対して、少女がほっとため息をつきながら「これで大きな傷は癒えたはず……。ひとまずは大丈夫そうかの。わしも身が楽になったわい」などと言葉を向けていた。それを受けてエンリも気づく。身を検めてみれば……なんと、()()()()()()()()()()だった。

 水仕事やら野良作業やらで荒れ放題だったはずの、自らの手指が。外気と日の焼けに痛めつけられっぱなしだったはずの、腕や首、顔などの肌が。精巧な作りなどとても望めない田舎者が履く革の靴やサンダルと、休む間もない日々の重労働によって、詰まり曲がり、あるいは擦れて、分厚くなった皮の内に鈍痛を抱え込むのが当たり前と化していたはずの、足指が。

 そのどれもが、ことごとく、()()()()()()()()()()いた。傷としてふさがるといっただけに限らず美しさすらも取り戻して。十の歳の妹よりも、もしかしたら肌が若々しいかもしれないというほどに。生まれて間もない赤子の瑞々しさをおすそ分けでもされたかのよう。

 さらには目の見え方までも、一段とすっきり通るようになっていることに気づく。なぜか、というのはこうなってみて初めてその落差にハタと悟るものがある。人は目さえも日々、陽光に焼けさせながら生きているのだろうと。

 

「すごい……。これは、なにが」

 

 呆然としながらも、エンリは思わずと声をこぼした。

 すると白い少女が振り返るようにして応じてくる。

 

「この地に住まう定命の者(ジョール)か。娘子よ、説明はあとでする。すまぬがいまは人手を呼んではくれぬか。こやつを安静に過ごせる場所へと運んでやりたい。わし自身の手では、この力を喪失した身の上とあってはとてもできそうにないのでな」

「え!? えっと、そうですよね! 人手、助けを呼ぶべきですよね! ああええとでも男の人を呼ぶ前にあなたの服を取ってこなくちゃ? 妹の替えの服があったかな、それで父さんと村長さんと、あとは狩人の……」

「これ、落ち着かんか。そこまで慌てて急ぐような必要はない。先ほどの治癒の術がうまくいってくれたからのう」

 

 少女にたしなめられてしまった。自分のほうがずっと年上……に見えるはずだというのに。エンリは羞恥に頬が熱くなるのを感じてしまう。

 だが少女の際立つ美と深遠なる瞳を向けられると、やはり心臓が跳ねだしてしまい平静ではいられないのだ。案の定、無様な応答となってしまったわけだが、他にどうしろというのか!

 

「ううう……」

「そんな呻かれてものう……。いや、その、すまんかったな?」

「いえいいんです気にしないでください謝らないでくださいかえって自分がいたたまれないです……。あ、でも、私が人手を呼びにここを離れる前に、少しでも場所を移しておいたほうがいいかもしれません。森を騒がしくしすぎました。何が寄ってくるか……」

「む。そうか、それも道理じゃの」

「その猶予もないと思います。もういつ来てもおかしくないほど時間が経って――」

「待て。ふーむ、少しばかりその忠告は遅かったようじゃな」

「え、ええ? まさか!」

 

 あちらのほうからじゃなと少女が向いて指さす方角は、森の奥なる側だった。これはもしかすると最悪の事態かもしれない。エンリは己の全身から血の気が音を立てて引いてゆく様を幻視した。

 やがて、遠く森の奥から、なにか重量物が草木を踏みしだくような、あるいは無理やりに道をこじ開けているような、そうした物音と振動めいたものが伝わってくる。早い。

 

「この気配。少なくとも熊よりは大物じゃろうなぁ」

「のんきに言ってる場合ですか!」

 

 どうしよう。逃げるべきか。しょせんは今さっきたまたま行きずりに出会い、数語を交わしただけの仲だ。村に家族を待たせている己が身と引き換えになど、比べられたものではない。

 だが自分一人でいまさら逃げ切れるのか。それに村のほうへ逃げたとして、追われたらどうするのか。かえって事態を悪化させる危険性とて考えられる。

 万事をうまく解決できる方法など思いつけたものではない。ならばせめて、この場にいる全員で力を合わせることを考えるべきなのかもしれない。そのためには…………己が身を内より蝕むこの恐怖心を、()()()()()()みせなくてはならないのだが。

 ぐっと唇を噛み締め、あわや血を流しかけるほどに力んで身構えているエンリに対して、白い少女はひらひらと片手を振ってくる。落ち着け、慌てるなと伝えるように。

 

「たしかに大型の野獣らしき気配が迫ってきてはいるが、いまのところは敵意も殺意も放たれてはおらんからの。単に騒ぎの()()を確認しに来ているだけかもしれん。それにこの足元の寝そべっておる男が……“ドヴァーキン”がおれば、大抵の危険はなんとかなるじゃろうし」

「その人が……? でも! 寝たままで!」

「ううむ、それはそうなのじゃが、しかし危険が身に迫ったとして、たとえ半身が切り裂かれたような状態であろうともこの男ならば対処に起きだして戦うだろう、としか思えんしなぁ」

「なんですかそれ! 人間ですか!」

「その問いにはなんとも答えにくいものがあるのう。はてさて、いかなる言葉であればあやまたず伝えうるものか……」

「のんきにぃぃ~~!」

「それ、二度目じゃの」

 

 うがががと、恐慌のままに頭を抱えて叫びだしかねない有り様のエンリと、やっぱり暢気なままに指摘の言を入れてくる少女。もうどうしろというのか。

 そんな馬鹿なやり取りを交わしている間にも、状況は進んでいる。時間切れだ。木々の暗幕の向こうに……ああ! 大きな、影が! 影が!

 終わりだ……。エンリは腰が抜けてしまいへたり込む己をどこか遠くに自覚しながら、その事態を呆然と眺めてしまっていた。下を漏らさないだけでも褒めてほしいものだなどと、的を外した感慨とともに。

 

「森を騒がす愚か者どもよ……。この地がそれがしの縄張りであると知っての狼藉か」

 

 響く声。その偉容。

 巨獣が影より出でて姿を現す。馬よりも大きな体が、白銀の体毛に鎧われている。その毛皮のそこかしこには不気味な(まじな)いめいたものを思わせる紋様が浮かんでいた。後方には長く太い尻尾が、硬い鱗をまとって伸び、そして悠然とゆらめいている。

 すさまじい、威圧感。あんなものに人間が敵うはずがない……。

 完全に諦めが心を占めてしまったエンリであったが、しかし反するように傍らに立つ白き少女には緊張感がなかった。その通りにゆったりとした語調で、現れた大魔獣に対してあいさつじみた言を呼びかける。

 

ごきげんよう(ドレム・ヨル・ロク)、お嬢さん。わしが名はパーサーナックスという。まずは不意の事故のようなものの結果とはいえ、おぬしのねぐら周辺を騒がしてしまったこと、詫びよう。我々としてもいきなり天空から落とされた身での、この場所を自らで選んだわけでもなく、他意はないのだ。許してくれぬか」

「ふうむ……。縄張りへの侵入者といえども、故意ではなく、そして礼儀を知る者でござるか。ならば、それがしとしてもいたずらに諍いを望むところではないでござる。それにパーサーナックス殿と名乗られたか、そなたからは戦いの力こそ弱々しくとしか見て取れぬが、しかしそれとは別になんとも高貴な気配を感じるでござる。またそちらに伏せられている戦士らしき御仁からも、争う気が妙に失せる雰囲気というか、温和な、いや、沈静? ともかく何か神聖な分別を感じさせるものがあるでござるな。となれば……常なる只人(ただひと)の訪いなどとは異なる事態、ということでござろうか」

「ほうほう。わかるかえ、お嬢さん。わしは、もとは竜の身の生まれでな。この地への時空転落に際して肉体に備わる力こそ喪失させられたが、内なる魂までとなればたやすく汚せたものではない。霊格の高さとでもいおうか、そういったものをおぬしは感じ取っておるのやもしれぬな。そこの寝そべっておる男、ドヴァーキンに関しては、おそらく〈空の声〉の加護でも得ているのだろう。自然界の生き物との調和をもたらす、女神カイネの恩恵の一つ。本来はさほど長く効果の続くものではないはずなのじゃが、この男のことだ、またぞろ妙な術でも用いてそのあたりの限界を打破しておるのだろうよ」

「むむ、む。よく分からぬでござるが……。つまり、そなたたちは見かけのままとは異なった力なども備えており、種族も単なる人間ではない……との理解でよろしいでござるか?」

「ひとまずはその理解でよかろうさ。詳しくは、また語らう時間でもあった際としよう。さて、お嬢さん。わしは名乗った。おぬしの名も教えてくれると嬉しいのじゃが?」

「おお! これは失礼つかまつった! それがしは森の賢王、と、そう森をまれに訪う人間たちからは呼ばれることがあるでござる。生まれ出でてよりこの森でずっと一人、同族を知らぬまま暮らしてきた身ゆえ、他の名は持たぬでござる。許されよ」

 

 え? 女の子なのこの魔獣? などとそこに驚くだけで精一杯のエンリを一人置き去りにして、少女と魔獣は長話を構わず続けている。ついていける気がしない。あとやっぱり森の賢王だった。

 

「ほう。よい名じゃな。森の賢王とは、対話することを知り礼節をわきまえたおぬしにふさわしかろう。しかし、生涯を孤独に過ごすばかりとは。辛かろう。わしも幾千の永き時を高山で独り瞑想にこもり続けた身ゆえ、その境涯には思い至るものがあるぞ?」

「おお。なんと……おお! お分かりいただけるでござるか! 姫! この森の賢王、我が身の孤独を語らうことができたのは、今生で初めてでござる。そうなのでござるよ、生物として子孫を残すこともできずに、この先もただ森の縄張りの維持だけで生きてゆくのかと思えば、時にたまらぬ思いに駆られる日もあるのでござる。不安とも悔しさとも、なんとも判然とせぬままのものが……」

「うむ。うむ。こうして知り合ったのも何かの縁というものであろう。いまはまだ何が確約できるといった状況ではないものの、わしらに協力できることとてあるかもしれん。頼りたきことあらば言葉にしてみるとよい」

「……る……え……」

「ありがたき言葉にござる、姫! しからば、それがしの同族をどこぞで見かけることのあった際には、ぜひともお知らせ願いたく。なにとぞ!」

「それくらいのことであれば構わぬともさ。うむ。ところで……その“姫”というのは、わしのことか?」

「左様でござるよ、姫。高貴なる女性(にょしょう)に対する尊称でござるから、まさに姫にはふさわしき呼びかけと判じた次第にござる」

「う、むう。さようか。わしはもとから雌であったわけではないから心境としては複雑なものがあるが、さりとていまのこうした仕儀の下とあっては否定するのも難しいのう……」

「……うる……え……かに……」

「どうしたでござるか? 姫。ひょっとして竜という生き物は普通の動物とは雌雄の在り方が異なっているものでござろうか? 北の山脈に生息していると伝え聞くフロスト・ドラゴンなどとも違うのでござろうか。というかさっきからこのうなり声のようなものなんなのでござる邪魔っ気な」

 

 そのうなり声とやらはエンリには分かっていた。倒れている男だ。

 ドヴァーキンと呼ばれていた男が、不快げに、地獄の底から響かすようなうなりを、段々と我慢ならずといわんばかりに腹から吐息に乗せだしていた。

 あ、これマズイやつだ――。と、本能の鳴らす警鐘に従い、エンリは無理やりに腰を入れて立ち上がると数歩を後ずさった。似たものを知っている気がするのだ。そう、たとえば、二日酔いで頭痛にもだえている父のすぐそばで、妹のネムといっしょにおしゃべりし続けたり騒ぎ続けたりしたとき、何かが限界を超えてしまい釣りあがりだした父のあの目のような……。

 男が起き上がる。むくりと。ゆらりと。不気味に静かな立ち姿であるが、しかしそこには傷を負った野獣じみた気配がにじみ出ていた。白い少女と白銀の魔獣は、互いを向き合っているためか気づいていない……。

 

「ほう。この地にもドラゴンと呼ばれる存在があるか。だが分からぬな。そも、我ら竜族(ドヴ)は時を司る大神アカトシュに最初の生命として生み出され、その始まりは世界の……ムンダスの創世とともに根差したもの。時の流れに浴し、時の風を翼に受けて天を舞う。その生きる時に限りはなく、不死であり、たとえ肉体が滅されようとも不滅の魂がいずれ復活の時を迎える。ドヴとはそういう存在だ。しかしこの地においては父なるアカトシュの恩恵も、我らの同調していて然るべき時間も、断絶の彼方だ……。おそらくは前提となるべき根源、創世の理が、ここでは異なっているのじゃろうな。だとすれば……」

「なんと。それほどに高等なる存在の、種族でござったとは。さすがは姫。その高貴なる気配にふさわしき由緒であるかと存ずるものでござる。しかしそうとなれば、それがしはこの森の縄張りより他へ出でたこともなきゆえに寡聞にして及ばざるところながらも、北の山脈に住まうというドラゴンたちとは――」

「うるっせぇってんだよぉぉおおー! だまりゃーがれっ、このっ、人が寝てるそばでしつこく喋くってんじゃあねぇぇええー!」

「ぎゃあああああああぁぁぁーす!」

 

 豪腕一閃。アッパーカット。

 問答無用の一撃が魔獣の巨体をかち上げ、高く吹き飛んだ魔獣の身が木々のそびえ立つ梢の彼方へと数瞬見えなくなる。そして落下とともにめきめきとへし折る音を立てながら、十数メートルほど離れた場所へ、思わず身のすくむような勢いでぐちゃぐちゃに回転しながら着地する。そんな姿がかろうじて見えた。

 あれは死んだんじゃなかろうか……。エンリにはそうとしか思えなかったが、さすがは伝説になるほどの大魔獣というべきか、痛みにうめく声や身じろぎなどが弱々しくはあったものの伝わってくる。まだ息はあるらしい。

 しかし、あぶなかった。エンリは冷や汗をぬぐいつつ、眼前にて荒い息を吐いている男を見やる。立ち姿となればまさに見上げるほどの偉丈夫で、背の高さはおそらくニメートルにも迫るだろう。栄養の恵まれない育ちの身のエンリから見れば巨人のようだ。そんな男の二の腕や足腰もまた筋骨たくましく、()()()()()で全力でぶん殴られるようなハメになったらたまったものではない。事実、魔獣の体はありえない吹き飛び方をした。どんな威力だ。

 そして何がおそろしいかというと、男の目だ。まだ意識も定かでないのか、視線もあまり定まったものではなかったのだ。いま目の前で起きた事態は、つまるところ()()()()()()()()に対して向かった先に、なんとなく殴りやすそうな()()()()()があったから苛立ちをぶつけたと。そういった振る舞いに見えたのだ。もし、あのふらりと歩み出された先に、エンリや白い少女の身が丁度あったならば、どうなっていたことか。まさかないだろう、そこは分別してくれるだろうと思いたくはあるが、否定しきれないものも感じていた。

 

「ぐう。くそ、この。こっちゃー意味不明に頭ん中がぐるんぐるんしてんのによぉー。無駄に運動させやがって。吐きそうだ……。うっく、いっそぶっかけてやろうか」

 

 いつの間にか四つん這いのごとき姿勢となった男が、片手で口元を押さえながらいかにも気持ち悪そうにうめき続けていた。息の荒さは多少の治まりを見せつつあるものの、安静には程遠い具合で、たしかに辛そうだなという点にはエンリも異にするところがなかった。

 

「の、のう。ドヴァーキンよ。いまのは危なかった気がするのじゃが……。わしも小さく弱い身となった、そのあたりの加減は忘れんでくれよ? それと、おぬしのその症状に関しては後ほど詳しく見せておくれ」

「あ? 誰よテメー」

「わしじゃよわし、わしわし」

「そういう下手くそジョークにつきあっている気分じゃないんですがねぇ……」

「あ、うん。そうじゃな。つまりわしはパーサーナックスじゃよ。おぬしの友の。ほれ、師匠で戦友の」

「はあ?」先ほどまでは視線の端を配る限りでしかなかったところを姿勢ごと向き直し、男はこれでもかと目を剥いて続ける。「パーサーナックスって、おまえ。はあ? あの爺さま竜だと?」

 

 そのナリでか? と納得ならずの言しか出ない男に、少女は苦い笑いを向ける。大きく肩をすくめるようにしながら。

 

「代償じゃよ。おそらくは、な。あのとき星霜の書(ケッレ)時の傷痕(ティード・アーラーン)によって引き起こされた時空の……崩壊した、“破れ穴(クレント)”とでも呼びうるもの。そこへわしもまたおぬしとともに巻き込まれたのじゃ。細かな経緯はいまは省くが、結果としては生存可能な形ある天地へと行き着くことができた。その際、世界の外なる領域を経由、すなわち理の定めから外れたことにより、我らは究極の“自由(ウズナーガール)”に(さら)された……。それは無限の可能性であり、真性の魔法であるが、しかしだからこそ有限の意識体には御しうるものではない。可能性が無限であるということはその反動や消耗、不都合が生じることの面もまた際限がないということであり――」

「あー、うん。すまんがいまは頭に入る気がしない。短く結論だけ頼む」

「むう。つまりじゃな、ほとんど強制的に願望が叶えられてしまったのじゃ。引き換えに相応となる“喪失”を代償とする形で、な」

「はーん? よくわかんねーな。その結果がおまえさんの()()()()()なのか?」

「少なくとも、永き時を苛まれ続けた、竜の身の生まれ持つ暴虐の(さが)からは、解放されたよ……。引き換えに、竜の()()()()()()()()を根こそぎ持っていかれたが、な。奇跡とは、なんとも皮肉の極まった表裏一体の(あざな)われであろうな? とはいえ、雄であることまでも喪失させられるとは思わなんだが……」

「“女になった”のではなく“男でなくなった”結果だってーのか? わけわかんねーな」

「肉体が力を損ない、人の子のごとき在り方に堕すのであれば、性別は不可欠であろうからつまりはそういった形であろうな。それよりも問題であるのはな、ドヴァーキン、おぬしの身には何が起こってしまったかということじゃよ。見た限りでは戦う力の強大さや鍛え上げられた肉体の充溢ぶりには、衰えなど見受けられない。それが意味するところは、すなわち力以外の面、目に見えぬ部分に対して“喪失”が及んでいる危険が考えられる……」

「ふむ……。自覚のある症状みたいなもんは、いまのところ特にはないが……。いや、頭がひどく酔っ払ったみてーに気持ちわりー点は、別なんだがよ」

「それも軽視すべきではないように思えるの。後ほど詳しく見させておくれ」

「ああ。まあ、心配してくれて、ありがとうよ。それに――」一旦言葉を切った男は気合いを整えてしっかと立ち上がると、改めて少女に目を合わすために片膝をつく。そして少女の片方の手をとって自らの両手で包むように握ってから、言葉をつなげた。「あのとき、あなたのいた位置からだったなら、避けられるだけの距離を取る選択だってあったはずだ。しかしそうとはせず、私のことをかばわんとしてその身を挺してくれたこと、覚えているとも。だから、いまここに共にいてくれていること、そのすべてに重ねて感謝を。友よ。ありがとう」

「ドヴァーキンよ……。ふふっ、あいもかわらず、変なところで義理堅い男じゃの」

 

 なにか良い話風にまとまりかけているようだが。傍らで聞き及ぶばかりのエンリにはほとんど耳に入っていなかった。それよりも気になっていることがあって、気もそぞろであったからだ。まあそれ以外にも私ってここにいる意味あるのかなといった思いもあるが。

 ここは思いきってと歩み寄り、少女と男へ向けて一声かけることとする。

 

「あのう! お話し中、申し訳ないかなーと思わなくもないのですけども……」

「ん? なんじゃな、常命の者(ジョール)の娘子よ」

「どちらさまかな? なにか御用で?」

「ドヴァーキンよ、この娘は落下に叩きつけられて前後不覚であった我らに声をかけ、助けになろうとしてくれていたのじゃよ。そういえば、名はまだ聞いていなかったかのう?」

「ほう。ならば恩人か。君にも感謝を」

「え。いえ、いえ。いいんですそんな、結局大したことはできていませんし。あ、それで名前はエンリ、です。エンリ・エモットといいます。森を南に出てすぐのカルネ村に住んでいて、それであのう」

「落ち着くがよい。誰も急かしはせぬ」

「いえその、ここは急いだほうがよさそうといいますかなんというか。つまりあそこの……」とエンリは、森の奥の方角、先ほど()()()()()()()()()()()その終着点を指さして、ようやくにその懸念を形にした。「あの、魔獣さん。そろそろ手当てしてあげないと危ないんじゃないかなー、と。あえぐ動きも静まるというより止まりかけてるように見えますし、さっきから気になってまして……」

 

 伝えられた! やり遂げたのだとエンリは満足の吐息をついた。このこと自体でなにが解決したわけではないが、自分の役目は終わった気がする。あとはこのどこかとんでもない二人組がどうとでも解決してくれるだろう……。たぶん。

 少女と男は、話を向けられた先を見て、あーあれなー、と微妙に気の抜けた反応を示す。とはいえ無視するほどひどくもないようだ。

 

「あれ、なんぞうるさかったし邪魔くさかったから、思わずブッ飛ばしちゃったんだが」

「いやあれはないと思うぞ、ドヴァーキンよ。というかそばで拳風浴びてちびりそうじゃったわ。わしも長く生きてきたがあんな思いははじめてじゃったわい」

「その姿でちびるとかいわれるとちょっとシャレにならない感があるのでやめてくださいお願いします。……さて、どうしたものか」

「とりあえず、傷は癒してやったらどうかの。おぬしが()()()()起きだすまでに言葉を交わした限りでは、ちゃんと道理の通った対話が成立しておったよ。見た目は(けだもの)のたぐいじゃが、悪いやつではないぞ」

「そうか。なら……。その流れでいってみるか」

 

 流れ? という言葉はよく意味が解せなかったが。告げた男はふらりふらりと不安定な歩みで森の賢王のいるところへ近寄ろうと動き出した。

 やはり足元が定まらないというか平衡感覚が乱れているのだろうか。危なっかしい一歩一歩で、見かねたエンリは肩でも支えようと男に近づいて横から手を差し伸べてみた。のだが――そうして体重がかかってきた際に、支えきれずにもろとも押し潰されかけてしまった。

 彼には丁重な言葉で感謝とともに――そして多少の困ったような笑みとともに――遠慮されてしまった。

 赤面が抑えきれない……。数歩の離れた距離にたたずむ白く小さな女の子が、手出し無用とばかりに傍観の距離感を堅持している理由が理解できた。きっと薄情などではなくあの判断が正解なのだ。

 気持ちだけではその場でどうにもできない腕力の差というものがある。もしくはもっと端的に体重の差が。

 そうして少々の時間は要したものの、魔獣のそばに辿り着いた彼が、右手を掲げて握り締める。先ほどエンリが浴びたものと同じだろう光輝と力ある波動が、彼の手の内に収束し、そして弾けて解き放たれる。

 光輝が場を満たして、消え去り……数秒ほど。それまでは手酷くそっくり返った状態でぴくぴくと痙攣するのも弱々しく、といった有り様だった魔獣さん――森の賢王から、痛苦の緊張感がきれいに抜ける。

 さらに数呼吸ほど間があいて。唐突にぴょんと森の賢王が起き上がって姿勢をただす。顔を向け直してきて見えたその表情は、種が異なるために判りにくくはあったものの、おそらくはぱちくりと、呆気にとられたかのようだった。

 

「あごが……。砕けた骨が……。なんともないで、ござる? 癒していただけたのでござるか?」

「おう。肩貸せや」

「それは誠にかたじけのうござ……え?」

「おう肩貸せや。起き上がってるだけでも気持ちわりーとこ、ここまで踏ん張って歩いて〈大治癒(グランド・ヒーリング)〉の術まで使ってやったわけだ? おらもういっそ背に乗せろや」

「ちょ、待つでござるよ! いや、背負って運ぶ程度のことはこの際拘泥せぬでござるが、あれはおぬしがいきなり殴りかかってきたのであって、それがしは――」

「ドヴァーキンよ……。おぬし下界では普段はそんななのか……」

「お? これ以上あれよ? 自力で立たせてると吐いちゃうよ? お? かけちゃう? ねえそっちにブッかけちゃってオケなの?」

「ちょ、やめ、やめるでござる! なんなのでござるかー! もうーっ!」

「あ、もうだめだわもう。でるでちゃう。うえっも、おぅろろろろげぇー」

「ぎゃああ――――す!」

「ドヴァーキンよ……」

 

 もう、いったい、なんなのか。

 エンリには、これまでの生涯すべてと比較しても理解の及ばない世界が、そこに広がっていた。

 これ、ひょっとして私が収拾つけないといけないの?

 え。無理でしょ?

 震える吐息もそのままに。エンリは湧き上がる衝動に突き動かされて自らの頭を両手で抱えると、天のだれかへ責任を押しつける気勢で叫びをあげた。

 

「こんなの、どうにもならないでしょぉお――――!?」

 

 どうしてこうなった。

 

 

    ◆

 

 

 この日。この珍妙なる出会いこそが。

 以後の運命をどれほど変えるものであったかなど、この地の何者も気づいてはいなかった。

 




(あとがき)
 うごごご。一話目から描写過多で二万文字超えとか自分でもイミフなので、次話からはなるたけ削ってゆきたい所存。に、ござるる。

 ハーメルンさんでの投稿は初めてなものでして、もしおかしなところありましたらご指摘賜れますと助かります。
 今後ともよろしくお願いいたします。
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