とある少年と奉仕部 Our Teen Rom Com SNAFU 作:TOAST
クッキー作りの依頼の一件以来、由比ヶ浜が奉仕部に顔を出すようになり数日が経過していた。
少年は一人黙々と自習を、比企谷八幡と雪ノ下雪乃は読書を、由比ヶ浜結衣は雪ノ下雪乃の妨害を。
奉仕部は相変わらず、といった雰囲気だった。
そんなある時、また新しい依頼が持ち込まれる。
「…小説家になりたい、ね」
少年は依頼主である、肥満体型の男子生徒を見ながらそう呟いた。
今回依頼を持ち込んだ生徒の名は、材木座義輝と言った。
「如何にも。そしてこれは、ライトノベルの原稿だ。我はとある新人賞に応募しようと思っているが、友人もいないので感想が聞けぬ。そこで諸君に読んで貰いたい」
彼の一人称に現れている通り、この肥満児は言動が若干、いや、かなりおかしい。
比企谷八幡の説明によると、これはありもしない空想を現実のものとして"設定"し、自ら役に入り込みそれを演じる、中二病という病気らしい。
「…理由が悲しい!」
「投稿サイトとか、投稿スレがあるだろ?そんなもん」
「それは無理だ。きゃつ等は容赦がないからな…酷評されたら死ぬぞ、我」
比企谷八幡は考えた。
自分たちと材木座の距離感なら、感想を聞かせるにしても、どうしてもオブラートに包んだ物言いになる。大方、材木座の考えはそんなところだ。
だが―――
そして彼は奉仕部部長、雪ノ下雪乃をちらりと見る。
―――その考えは間違いだぞ。
そう心の中で呟いた。
4人は材木座から、小説の原稿を受け取った。
手にしたその紙の束はずしりと重く、全員が顔を顰める。
「では今日は解散にして、各自自宅で原稿に目を通してくることにしましょう」
雪ノ下の号令により、本日の部活動が終了する。
午後16時30分。
少年は部室に残っていた。今日は17時からバイトがある。
職場は駅の傍だ。家に戻るより、キリのいい時間まで部室で自習をしていた方が効率的だろう。そう考え、彼は一人、時間を潰していた。
―――そろそろ行くか
彼はそう考え立ち上がり、教科書やノートを鞄に詰め始める。
ふと、机の上に置きっ放しにしていた材木座の原稿が目に入った。
少年による、材木座の依頼の真意に関する考察。
彼は先の比企谷八幡と殆ど同じ結論に至っていた。
作品の内容を批判されて傷付きたくない、ただ、誰にも注目されないまま、作品がお蔵入りするのは忍びない。だから適当な言葉で優しくお茶を濁してくれる都合の良い読者が欲しい。
少年には、材木座の依頼はこんな形でしか響かなかった。
彼は原稿を手に取り、椅子から立ち上がる。
―――小説家?俺の知ったことか
少年は教室に設置されていたゴミ箱へ一歩ずつ近づいて行く。
彼は空のゴミ箱の上で、表情を変えることなく、手にしていた紙束を離した。
材木座の原稿はそのまま自然落下し、ゴミ箱の底でドサっと大きな音を立てた。
彼は踵を返すと、教室の出入り口へと向かった。だが、扉のドアに手を掛けたところで、そのまま数秒停止する。
「…」
彼は無言のまま、再び振り向き、早足でゴミ箱へ近づくと、その紙束をひったくるように手に取り、グシャッと乱暴に自分の鞄に詰め込んだ。
☆ ☆ ☆
翌日
材木座義輝は奉仕部の部室でのた打ち回っていた。
比企谷八幡が懸念した通り、雪ノ下雪乃による容赦のない指摘は材木座のガラスのように繊細な心を粉砕した。
そして続く、由比ヶ浜結衣による感想とも言えない感想と、比企谷八幡による「何のパクリ?」という止めで彼は完全に意気消沈して彼の依頼は終了となった。
部活解散となった後、比企谷八幡は渡り廊下に来るよう、小声で材木座に伝える。
少年は黙ってその様子を見つめていた。
誰もいなくなった校舎の渡り廊下。
既に夕日が沈みかけている。材木座義輝はそれを呆けるようにしてそれを眺めていた。
「ほらよ、落ち着いたか?」
遅れてやってきた比企谷は、そう言いながら材木座に缶コーヒーを一本手渡す。
「お、おお。すまぬ」
カコッとプルタブを空ける子気味のいい音がその場に響いた。
「…八幡…また、読んでくれるか?」
材木座は比企谷の下の名を呼び、自分の希望を伝えた。
「…お前…あんだけ言われてまだやるのかよ?」
比企谷は呆れ顔でそう尋ねた。
「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んじゃおっかなー、とすら思った……だが、それでも嬉しかったのだ」
「…」
比企谷は無言で材木座の表情を観察した。
そこには、いつもの演技による痛々しい笑い顔ではなく、どこか吹っ切れたような、自然な笑みが浮かんでいた。
「自分が書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえると言うのはいいものだな。この想いをなんと形容すればいいのかは分からぬのだが…読んでもらえるとやっぱり嬉しいよ」
渡り廊下に風が吹き付ける。
材木座の羽織っていた、季節外れのトレンチコートがそれに棚引いた。
渡り廊下の影には、その会話を黙って盗み聞きしていた一人の少年の姿があった。
―――ちっ
少年は軽く舌打ちをして、二人の近くへ歩いていった。
「よっ」
彼はさも今来たばかりといった顔で二人にそう挨拶した。
「…二人とも、今日は悪かったな。俺、実は昨日、バイトの後で疲れて寝ちまってさ。小説、殆ど読めてなかったんだ。すまん」
少年は嘘を吐く。
正しくは、殆ど、ではなく全くだ。
元より読む気など一切無かった。
それに何か問題があるだろうか。いや、全く無いだろう。由比ヶ浜結衣だって、殆ど読んで無いことが明白だったじゃないか。
しかし、比企谷と材木座の会話を聞いているうちに、少年の心の底には、誰に対するでも無いそんな言い訳が思い浮かんだ。
「なんの、我はまだまだこれから新作を執筆する予定だ!よければお主も八幡と一緒に読んでももらえないか?」
「忙しいから確約はできないけど…分かった。ところでその新作さ、今日言われたことを踏まえて、設定とか、あらすじとか、少しずつ小出しに比企谷に評価してもらうってのはどうだ?」
少年はそんな提案をした。
「おい、何で俺だけなんだよ」
「お前、ライトノベル?とか、部室でもよく読んでるだろ?俺、そういうの素人だし。新人賞狙うなら、どう考えたって目の肥えた奴がアドバイスした方がいいだろ?」
比企谷が顔を顰めて言った言葉に対し、少年はそう返した。
「ちっ……あぁ、読んでやんよ」
比企谷八幡は若干照れたような表情で、不貞腐れつつもそう言った。
☆ ☆ ☆
「あれ、比企谷…お前、こんなところで何してんだ?」
後日、比企谷八幡がお気に入りのスポットで一人昼食を取っていると、見知った顔の人物に声をかけられた。
「飯食ってんだよ。見りゃ分かんだろ?」
「一人で?」
「だから見りゃ分かんだろ!?」
比企谷は同時期に部活に強制入部させられたその少年に対し、忌々しげにそう伝える。
「クラスに友達いないの?」
「お前、俺に何か恨みでもあんのか?ってゆーか、お前こそ一人で何してんだよ?もう飯食ったのか?」
―――グゥ…
比企谷の言葉に少年が返事をする前に、少年の腹の音が鳴り響いた。
「何だ、飯忘れたのか?…やらんぞ」
比企谷は少年の視線が、自分の齧りかけのパンに向いているのに気が付き、背を向けた。
「恵んでくれなんて誰も言ってねぇだろが…」
少年は不貞腐れるようにしてそう呟いた。
「あれ、二人とも何でこんなところにいんの?」
ったく、今度は誰だよ?比企谷はうっとおしそうな顔で、声の主を見上げた。
「…晴れの日はここで飯食ってんだよ」
その声の主、由比ヶ浜結衣に対し、そう説明する。
「なんで?教室でみんなと食べればよくない?」
由比ヶ浜はきょとんとした顔でそう尋ねた。
「察してやれよ、由比ヶ浜さん」
「…お前もな」
比企谷は少年の心無い言葉に突っ込みを入れた。
「あ、あれ?あっ!おーい!さいちゃーん!」
そんなやり取りを中断するように、由比ヶ浜結衣はテニスコートから歩いてくる一人の生徒に手を振って声を掛けた。
―――やれやれ、何なんだよ今日は…厄日か?
普段一人でゆっくりと食事をとるのを日課としていた彼にとって、食事中に話しかけられるのはあまり嬉しいことではない。
つくづくメンドクサイ、そう思いながら、由比ヶ浜が声をかけた人物に目をやる。
「さいちゃんはテニス部の練習?」
「うん、昼錬」
「由比ヶ浜さんと比企谷君、それから…」
さいちゃん、と呼ばれたその生徒は少年を見ながら遠慮がちにそう言った。
「俺は2年A組の―――だ。比企谷と由比ヶ浜さんとは、同じ部活なんだよ」
「そうなんだ。よろしくね…そう言えば比企谷君、テニス上手いよね」
「え?ヒッキーが?」
「うん、今体育がテニスでね。比企谷君、フォームがすごく綺麗なんだ」
その生徒は、突然比企谷へとテニスの話題を振った。
知り合いか?そう考えながら少年は比企谷の顔を見る。
「…あ、いや~照れるなぁ…で、誰?」
「いやお前さ…体育同じってことは、クラスメートだろ?流石に名前くらい覚えろよ」
「いや!だって俺女子とは関わってねぇし!」
「…あはは、僕影薄いから。2年F組の戸塚彩加、です…それと、僕、男の子なんだけどな」
「「……マジ?」」
戸塚彩加と名乗る生徒の性別を含む自己紹介を受け、比企谷と少年はシンクロするように固まった。
同日、奉仕部にて。
由比ヶ浜結衣は、戸塚彩加をつれて、部室へとやって来た。
戸塚は、テニスで強くなり、キャプテンとして部を牽引したいと考えていた。
その依頼は雪ノ下雪乃によって受理される。
雪ノ下は、奉仕部の面々を含めて、皆に自ら考えたトレーニングメニューを課すことを決定した。
「貴方も、それでいいかしら?」
話を聞きながら、露骨に迷惑そうな顔を表情を浮かべていた少年に対し、雪ノ下は確認するようにそう問いかけた。
「…でも俺、テニスなんかやったことないぞ。足手まといになるだけだと思うけど」
少年はそう答える。事実、彼はテニスラケットに触れたことすらない。体育の選択もサッカーだった。
「結構よ。ボール拾いくらい手伝いなさい」
それを嘘だと感じた雪ノ下雪乃は、彼に時間的拘束を約束させる。
「まぁ、昼なら…バイトにも影響ないし」
少年は渋々それを承諾した。
そして、後日、事件は起こる。
きっかけは、比企谷八幡と同じ、2年F組の生徒たちによる練習への乱入だった。
部長の雪ノ下雪乃が、練習中にひざを擦りむいた戸塚のために、救急箱を取りに行ったタイミングで、彼等はコートに入り込んできた。
「あ、テニスしてんじゃん。ねー、あーしらもここで遊んでいい?」
高圧的な態度でそう言ったのは、三浦優美子という派手な女子生徒だ。
「み、三浦さん…僕たちは別に遊んでいるわけじゃなくて…練習だから」
「ふーん、でもさ、部外者も混じってるんじゃん。ってことはあーしら使ってもよくない?」
戸塚はオドオドしながらそう言い返すが、三浦はまるで聞く耳を持たない。
「あ~、俺たちはなんつーか、業務委託?部活の一環で、許可とって戸塚の手伝いをだな…」
比企谷が戸塚に助け舟を出すようにそう説明した。
「はぁ?何意味分かんないこと言ってんの?キモッ!…隼人~、あーしも早くテニスしたい」
「まぁまぁ、喧嘩腰にならないで。ほら、みんなでやったほうが楽しいしさ」
三浦から隼人と呼ばれた人物、葉山隼人は比企谷のクラスの中心にいる生徒だった。
場を丸く治めよう、そんな配慮から口にしたそんな言葉だった。
少年はそんなやり取りを冷ややかな目で眺めていた。
すると突然、比企谷八幡が忌々しげな表情を浮かべて吐き捨てた。
「"みんな"って誰だよ?『かーちゃんにみんな持ってるよぉ』って物ねだる時のみんなかよ…誰だよそいつら。友達いないからそんな言い訳、使えたことねぇよ」
―――!?…比企谷八幡、か。こんな奴初めて見たな。
少年は比企谷を興味深げな表情で眺めた。
その後、葉山隼人による追加提案で、なし崩し的に部外者同士による男女混合のテニス勝負が開始される。
比企谷・由比ヶ浜ペア、対、葉山・三浦ペア。
途中まで圧倒的に後者有利で進められたこの勝負、途中で由比ヶ浜が足を捻挫し窮地に追い込まれる。
しかし、その後、薬箱を持って戻ってきた雪ノ下雪乃が由比ヶ浜結衣と入れ替わったことで流れが反転。
最後は比企谷のスーパーサーブにより、勝敗は奉仕部勝利にて終了する。
しかしながら、最後はフェンスに激突しそうになった三浦を、葉山が盾になって守ったことで、彼等の取り巻き連中は、乱入組ペアに拍手喝采を送った。
「特訓はもう大丈夫。比企谷君達の試合見てたら、なんとなく分かった気がしたから。あとは僕なりにがんばってみるね」
試合後、戸塚彩加は奉仕部の面々を気遣うようにそう述べ、依頼は打ち切られた。
試合に勝って、勝負に負けた。雪ノ下雪乃はそんな言葉で、今回の活動内容を総括した。
全ては有耶無耶になった。
比企谷八幡はどこか納得できないような、苦々しい表情を浮かべた。
そんな彼に、少年は話しかける。
「…浮かない顔だな」
「そりゃ、葉山の奴に全部持ってかれて、面白いわけがないだろ」
「ふぅん。葉山って、テニスやってたの?何か、素人目にもかなり巧く見えたけど」
「知るか。あいつはサッカー部のキャプテンだし、スポーツ万能なんだろ」
比企谷は忌々しげにそう吐き捨てる。
―――へぇ、サッカー部ね
依頼なんてめんどくさい。
テニスの練習に付き合う間もずっとそう考えていたし、その考えは今後も変わらないだろう。
だが、比企谷は戸塚のために敢えてクラスの中心人物に対して悪態をつき、コートを守ろうとした。
正直、なぜよく知りもしない同級生のためにそんなに必死になれるのかは、少年には分からない。
だが、確かに比企谷の言うとおり、このまま終わるのは何となく面白くなかった。
比企谷との会話の中で、そう感じていた少年はあることを思いつき、ニタリと、顔を醜く歪ませた。
「…今日の授業後、部室に行く前にちょっと付き合ってくれ」
「あ?何んだよ?」
「…ついてくれば分かる。面白いもの見せてやる」
少年はそう言うと、一足先に自分のクラスへと戻っていった。
☆ ☆ ☆
授業後
2人の少年はグラウンドに立っていた。
―――おいおい、まさかこいつ
比企谷八幡は、自分を無理矢理連れ出した相方が脇目も振らずに、サッカー部員が練習するフィールドにズンズンと歩いていくのを見て、嫌な予感を胸に過ぎらせた。
「あ、サッカーしてんじゃん。ねー、あーしらもここで遊んでいい?」
少年は突然、ふざけた口調で大袈裟にそう言った。
その瞬間、サッカー部員は何事か、と言った表情で二人を見る。
「おい、何浦さんの真似してんだよ?」
「ハチマ~ン、あーしも早くサッカーした~い」
比企谷が冷や汗をかきながら突っ込みを入れるが、少年は丸で意に返さず、そう続ける。
「き、君たちは?」
サッカー部のキャプテンである、葉山隼人が血相を変えて、二人の元へ駆け寄って来た。
「あ、葉山君?だっけ?昼休みはどうも…俺は2年A組の―――、奉仕部員な…ところでさ、俺たちもサッカーして遊びたいから、グラウンド、空けてくれない?」
少年は飄々とした表情で、悪びれるそぶりもなくそう言った。
「そ、それは…」
「え?ダメなの?じゃあ、一緒にやろうか?"みんなでやったほうが楽しい"し」
葉山はその言葉を聞いて理解する。
これは明らかに昼休みの一件に対する報復だ。
突然の招かれざる客に対し、困惑の表情を浮かべていると、他のサッカー部員も葉山の元へ駆け寄ってきた。
「…昼の件は済まなかった」
葉山は歯軋りしながら、自らの非礼を二人に詫びた。
見るからに影が薄そうな二人の男子生徒に対し、学校の中心的人物である葉山隼人が深々と頭を下げている。その様子をみて、サッカー部員は絶句した。
「え?何が?」
少年はわざとらしくそう聞き返した。
「俺の認識が間違っていた。真剣にテニス部の練習に付き合っていた君たちの気持ちを軽視してしまった。この通りだ」
葉山は頭を下げたままそう述べる。
思いの外素直に謝罪した葉山に対し、少年は感心する。
だが、自分は、既に彼に対して拳を振り上げている。明らかに自体を収束させるためだけの謝罪お落し所にし、譲歩するような気は毛頭ない。
「謝る相手は奉仕部だけなんだっけ?」
「!?…戸塚にも直ぐに謝りに行くよ」
「…それだけじゃないだろ?比企谷が言ったよな?俺たちはあの時、"部活動"でコートを使ってたんだ。テニス部顧問と、奉仕部顧問から許可を取ってな。その場にいなかっただけで、実際には教師にも監督責任が発生してるわけだ…あの時、三浦さんが怪我してたら、誰が責任取らされてたんだろうな?」
―――確かに正論だが、攻め方がエゲツネェ
比企谷は、横で葉山をやり込めていた部活仲間を見ながら、その度を越したお仕置きに舌を巻いた。
「…ぐっ…職員室にも自分で報告と謝罪をしに行く」
葉山は悔しそうな表情を浮かべてそう言った。
「あ、そ。がんばってね……で、いつ俺たちにサッカーやらしてくれんの?」
そんな葉山を見下ろしながら、少年は止めを刺すようにそう言い放った。
「ちょっとちょっと!昼の件は俺も謝っからさ!そろそろ勘弁してもらえると助かるっつ~かさぁ…てか、スイヤセンッシタ!」
そんなやり取りを呆然と見ていたサッカー部員の中から、一人、自ら葉山の横へやってきて一緒に頭を下げる男が一人いた。
「…誰?」
「こいつもクラスメートだ。観客席にいただろ?」
少年の問いかけに対し、比企谷はそっけなくそう答える。
彼は葉山の取り巻きの一人である、戸部翔という男子生徒だ。
一見軽薄に見えるが、友人の窮地に自ら頭を下げに来るとは見上げた根性ではある。
「…観客席?なら、今回も外野で指加えて見てろよ…ところで葉山君?俺さ、サッカーってあんまり知らないんだけど、タックルとか、派手にやっちゃっていいんだっけ?…どうしよっか?俺達部外者が混じった瞬間から、これ、部活動じゃなくなるからな。怪我したらスポーツ振興センターの共済保険、おりるんだっけか?…でも、まぁお相子だよなぁ。ウチの部の由比ヶ浜さん、捻挫しちゃったし」
しかし彼の攻撃は止む気配がない。
昼休みを含め、学校活動全般におけるアクシデントによる怪我は、大抵保険でカバーされることを少年は知っている。
これは、ブラフを交えた精神攻撃だった。由比ヶ浜結衣の名を出した瞬間、葉山と戸部の顔色が青ざめた。
「もうその辺でいいだろ…」
比企谷がたまらず、どう見てもやり過ぎな彼を諌める。
「おいお前等!!これは何の騒ぎだ!?練習はどうした!?」
その瞬間、成人男性の大きな声がグラウンドに響き渡った。
声の主はサッカー部の顧問。
普段から厳しいので有名な教師ではあるが、この時ばかりはサッカー部員は彼の登場に感謝した。
「何だお前達?何で部外者がここに混じってるんだ!?」
教師は少年と比企谷を睨み付けた。
「別になんでもないですよ。みんなと楽しくスポーツをするのが大好きな葉山君とサッカーするために"遊びに"来ただけです」
少年は全く動じることなく、むしろ挑発するようにそう言ってのけた。
「何だと!!?おい、お前どこのクラスの生徒…!?…もしかして2年A組の…」
「…おい、もうやめとけ、な?」
教師の怒声に対し、肩がすくむ思いがした比企谷八幡は、自分がトンでもない状況に巻き込まれたことを改めて認識させられる。
そして次の瞬間、彼の認識は後悔に変わる。
「先公がしゃしゃり出てきたくらいで安心してんじゃねぇぞ、葉山ァァ!!こっちはどうオトシマエつけんだって聞いてんだ!!!」
先ほどの男性教師の声など比較にならない程の大きな声が夕暮れ時のグラウンドに響き渡る。
全員が言葉を発する事も出来ずに唖然としていた。
「昼休ん時の威勢はどうした!?ぁあ!?何とか言えってんだよ!!」
雄叫びに近い声を上げながら、少年は葉山の胸ぐらに掴み掛かった。
葉山隼人は最早それに抵抗することすら出来なかった。
あわや乱闘騒ぎとなった今回の一件。
その後、サッカー部員4人がかりで何とかこの少年を葉山から引き剥がした。
少年はその後、サッカー部顧問に連行される形で職員室へと姿を消した。
無論、比企谷八幡もその巻き添えとなって。
☆ ☆ ☆
「まったく…やらかしてくれたな」
教師平塚静香は、タバコの煙を深く吐き出しながら、そう言った。
目の前に立たされていた二人はその煙を迷惑そうな顔で手で払う。
「お、俺はその場にいただけで何もしてないんですが…」
「奉仕部の名前を出してサッカー部に乗り込んだ時点で同罪だ。なぜ止めなかった?」
―――あんなの、誰が止められんだよ
比企谷八幡はそう言いかけるが、口を閉じた。
どうせ言い訳しても無駄だ。心象を悪くして処分を食らうくらいなら、説教を聞き入れた方がマシだろう。そう考えた。
「本当に参ったよ…あの後、サッカー部顧問、テニス部顧問と緊急打ち合わせだ。そうなると、年次の一番若い私がネチネチネチネチ小言を言われ続けて……あぁ、段々腹立ってきた。掴み掛かったのを除けば、奉仕部の主張には道理があるし、何で私が怒られなければならん?…よし!君達、何ならもう一回殴り込みにでも行くか?」
「マジで勘弁してください。俺は平和主義者なんで…」
比企谷八幡は、ウンザリだという表情を浮かべてそう言った。
「…先生、俺への処分はないんですか?」
一方で、もう一人の少年が不思議そうな顔をして平塚教諭にそう尋ねた。
「君はまるでハナから処分されると分かって行動したみたいだな?…幸い、服を掴んだだけで、手を上げたわけじゃない。何より、葉山自身が自らの非を全面的に認めて詫びたから、学校からのお咎めはないだろう」
「学校はそうでも、平塚先生にとって、いい加減、俺は迷惑なんじゃないですか?切り捨てて退部処分にでもしたらどうです?」
彼は昨年の年末の件も含めてそう尋ねた。
「そうしたら君の思う壷じゃないか…安心したまえ。私は君を見捨てたりはしないよ」
「…このお節介」
平塚教諭の優しい声に対し、彼は吐き捨てるように小声でそう毒づいた。
だが次の瞬間、ふと思う。今の自分の態度は、まるで親の愛を確かめようとして反抗する小さな子供のようではないか。そう思った瞬間、彼は言い様のない恥ずかしさを覚えた。
そんな思考の中で顔を赤くして俯く彼の姿を、比企谷八幡は無言で眺めていた。
「…さて君達、小言は終わりだ。今日は雪ノ下も由比ヶ浜も帰宅している。一緒にラーメンでも食べに行くとしよう。私の奢りだ」
二人は平塚先生に背中を叩かれて、一緒に職員室を後にする。
薄暗くなった校舎の中を二人と歩きながら、比企谷八幡は、突如自分の心の奥底に生じた奇妙な感覚に戸惑っていた。
この、妙な清々しさは一体なんだろうか。
ひょっとして、これが青春と言うものなのだろうか。一瞬だけそう考えたのを、彼は即座に否定する。
失敗も勝手に青春に脳内変換するのがリア充だ。
自分はそんな奴らとは違うだろう。
自分が欲しいものはそんな偽者なんかじゃない。
だが、ひょっとすると、あるいは、こいつとなら…
そんな期待が自分の中に生じるのを、彼は必死で押さえ込んでいた。