プロローグ『博麗育成計画』
薄い雪のカーペットが敷かれた人里の小道。その道に足跡を残す、小汚い格好の童女をーーある者は観測していた。
そのある者の名は、『八雲紫』。
幻想郷と呼称されるこの地を創立した『妖怪の賢者』と呼ばれる彼女――八雲紫は、一目でその童女を『博麗の巫女』にしようと思い至った。
その童女の名は『霊夢』と言うらしい。
霊夢と八雲紫の出会いは偶然的なものだった。
ちょうど八雲紫が、幻想郷に於ける調停の役目を担う者、『博麗の巫女』の候補者を、人里で探していたときのことであった。
偶然、小道を歩く霊夢の姿を視界の端に入れた。
ただ、それだけだった。たったそれだけの出来事で、霊夢の運命は反転した。
霊夢の『巫女』としての適性は、他の人間と比較しても群を抜くものがあった。それを一目で見抜いた幻想郷の管理者である八雲紫は、他にも候補者が多数居たにも関わらず、迷いなく瞬時にその場で彼女を博麗の巫女とすることを選んだ。
それほど霊夢から滲み出ていた才能の気は、戦慄を促され得ないほど桁外れだったのだ。これまで見た全人間。歴代の『博麗の巫女』を含む全人間と比較しても、常軌を脱していた。はっきり言って異常すぎるくらいだった。
その才能溢れる童女と対峙した妖怪の賢者は、彼女が漂わせる異質な雰囲気に呑まれ身震いした――数多の妖怪を統べる東方の大妖の一角である八雲紫に、刹那的とはいえ恐怖を植え付けたのだ。まだ、年端も行かぬ人間の童女が。
この少女が『完成』してしまえば――勝てる者など一人も居なくなるだろう。
八雲紫はそう思い、霊夢を『博麗の巫女』に選定した。
どういった気性の持ち主か。また、なにを好む人間なのか――そう言った情報は一切調べなかった。新しい玩具を手にした子供のような感情に支配され、八雲紫はつい声を掛けてしまった。
――博麗の巫女にならないか、と。
霊夢は迷うことなく、これに了承した。あとから知ったことだが、どうやら霊夢は孤児だったらしい。親は妖怪に襲われ、故人になったと言う。
だからと言って別段霊夢は、親の仇を取りたいが為に八雲紫の誘いを了承したわけではないらしい。両親を手に掛けた妖怪に、『調停』という名の罰を己が手で下したかったからではなく――単純に、住む場所が欲しかったから。という理由で了承したようだ。
当初の霊夢が着ていた服装は、お世辞にも綺麗とは言い難いものだった。
孤児の経歴を持つ霊夢なので、もしかしたら、両親が他界してからずっと一人で――いや、それ以上は考えまい。八雲紫は、稚児がこれまで大人の助力もなく一人で生きてきたという、おそらく間違いであろう発想を記憶から追い出した。
が、住居を得るため博麗の巫女になることを決断した彼女は、どう考えてもマトモに暮らしていない。
そんな理由で博麗の巫女なろうと思えたなんて――それほど生活に困っているのか、博麗の巫女の役目を軽視しているのか。
とはいえどちらであろうと博麗の巫女になってくれるのならば問題ない。
八雲紫が魅せられたのは、あくまで霊夢の巫女としての才能だけだ。それ以外、どうでもいい。霊夢がどのような状態であっても、博麗の巫女になってくれるのならば――それだけで幻想郷にとって多大な利益となる。
博麗の巫女の仕事は、『巫女としての才能』を有しているだけでこなせるものではない。人に信頼されるような者である必要がある。
それを含めてようやく『博麗の巫女としての才能』があると言えるのだが――生憎、八雲紫はそれを見ていなかった。
霊夢の『巫女としての才能』に戦慄を覚えた八雲紫だったが、霊夢の『博麗の巫女としての才能』には一切目を向けていなかったのだ。
霊夢の才能に戦慄し――心躍る恋情のようなものを実らせ――故に、盲目になっていた。
それは、八雲紫の誤算だった。生物としてではなく、妖怪を統べる機能として生きていこうと遥か昔に決断していた、八雲紫の失態だ――
霊夢と邂逅を果たしてから三日経った。
その日、『博麗の巫女』である証の名、『博麗』の文字を、霊夢に与えた――ただの霊夢でしか無かった童女を、『博麗霊夢』にした。
通常『博麗』の名は、苦難の修行を乗り越えた後、妖怪の賢者に認められて漸く付けられる。
だからこれは特例だった。
故に、人々は期待した――今代の博麗はそれほどの者なのか。
八雲紫が暗に示したことに察した人々は、ある噂を流した。
『博麗霊夢は、歴代最強の博麗だ』
八雲紫にとって都合が良い噂だった。
血気盛んな妖怪共が集う幻想郷のことだから、きっとしばらくは、新しき博麗に打ち倒し名を馳せようとする愚者達が、霊夢に挑みに来るだろう――そのときに、霊夢の強さを知らしめてやろう。
そして――そのときまで、楽しみに取っておこう。
霊夢の真価を、この目で見ることを。
その日、八雲紫は先代の博麗の巫女を呼び、霊夢の修行を見るように指示した。
本来は妖怪の賢者、八雲紫も同伴すべきかもしれないが――生憎、八雲紫は『完成を遂げた霊夢』を見たいだけであって、霊夢の成長過程を見たいわけではない。いくら才能があろうと、博麗の術を知らないこの時の霊夢はまだ弱いのだ。
だから、一日待とう。
きっと霊夢なら、一日で『完成』してくれる。
――博麗の巫女に就任したその日にも霊夢に挑戦しようと、霊夢が住まう博麗神社に尋ねる者は多数いたが、それは八雲紫が軽く往なした。
明日また来なさい。さすれば私の霊夢が、夢想の如き現を体現してくれるから――と言って。
結論から言うと、八雲紫の選定は間違いだった。
――八雲紫の直感は間違いではなかった。が、決して正しいものでもなかった。
博麗の巫女としての才能は、感じていた通り霊夢には身に籠もっているのだろう。
――が、結局は才能だけだったのだ。
当日、霊夢の修行に同伴していた先代の博麗の巫女曰く、その日霊夢はまったく修行をしなかったらしい。
一日中、神社の縁側でずっと茶を飲んでいたようだ。
流石にこのままじゃあ不味いだろうと、霊夢に修行をするよう促した先代だったが、まったくその言葉を聞く耳を持たなかったと言う。
『案ずるな、私を信じよ』と、まるで修行僧のような口調で先代を諭したそうだ。あまりにも自信たっぷりだったので、先代も挟む口がなかったらしい。むぅと唸り、黙ってしまったようだ。
その話を聞いた八雲紫に沸いた感情は、呆れではなく歓喜だった。
もしや霊夢は、昨日の時点で既に完成していたのではないか――博麗霊夢ならあり得る可能性だと思っていた。
博麗神社には、博麗の術について書かれた書物が多くある。八雲紫の記憶違いかもしれないが、霊夢に神社の住居スペースの設備について説明したとき、棚に仕舞ってある書物を流すように読んでいたような気がする――明らかに内容を読んでいないような紙の捲り速度だったが、まさかあの時に博麗の術の知識を仕入れ、『知識だけで充分戦える』と判断したのだろうか。
無くはない可能性だ――と、妖怪の一人が襲撃する前の八雲紫は思っていた。
霊夢はあっさり負けた。風に飛ばされる紙のように負けた。妖怪が吹いた息で本当に飛ばされ負けた。
敗北の理由は単純に、一切の修行をしなかったからだろう。成長の幅の高いことと成長速度の早いことを『才能』と言うが、逆に言えば、己を研磨しなければ、光る才能も光らない。霊夢の才能は異常の桁を誇っているが、その才能を有する本人の性格が駄目駄目すぎたのだ。
灸を据えてもまったく努力しない。
頑固修行しそうとせず、『ま、どーにかなるだろ』という楽観的なスタンスを貫くのが博麗霊夢なのだ。
八雲紫は呆れを切らした。
こいつほんと駄目人間だな、と。
このままじゃあ、いつか妖怪に殺されて死ぬだろう。その未来が明白に見える。
ずっとこのままじゃあ命が危ないと、霊夢に忠告した。が、やはり修行をしようとしない。
いつの日からかも八雲紫は、以前のような狂気的な期待をまったく霊夢に向けなくなっていた。もう、死のうが構わない。完全に霊夢を放置し、次代の博麗の巫女候補を探していた。
もう霊夢のときのような失敗はしない。そう強く思いながら――
霊夢が博麗の巫女に就任してから一年が経とうとしていたとき、八雲紫はあることに気が付いた。
――あれ、こいつまだ生きている? と。
霊夢は相も変わらず、縁側で茶を啜る毎日を過ごしていた。が、博麗の巫女になった以上、時折人里を襲いに来る妖怪共を、退治に出かけねばならない。一応博麗の巫女としてすべきことはキチンとこなそうとしていた霊夢なので、暴れる妖怪を無視しようとはしなかった。無視したとしても八雲紫が無理矢理連れ出していたが。
多分、生き延びても三か月が限界だろうと八雲紫は思っていた。才能を磨こうとしない霊夢は、きっと早いうちに死ぬだろう。博麗の巫女の仕事は決して楽なものではない。命に関わるような、危険な仕事が大半だ。
三か月以上生き延びたとしたら、それは妖怪を退治しに行くそうなことが、偶然起こらなかっただけだろう。どちらにせよ、一年以上持つことはない。
――が、事実として、一年経ってしまった。
この一年、妖怪を退治しに行くような事案は多く発生していた。霊夢は博麗の巫女として渋々だが出動していた。
が、いつも無傷で乗り越えている。
その妖怪退治の大体は、霊夢ではなく、奇跡的に毎回通りすがる彼女の友人が行っているのだが――それでも彼女は一年間、無事に博麗の巫女でいられている。
霊夢は運命に愛されていた。
それはもう、贔屓されていると言ってもいいほどに。
一年どころか――十年間。
博麗の巫女として、ずっと無傷のまま生きていけたのだ。
そして十年経った今、八雲紫は改めて思った。
――やはり、霊夢には才能がある。
――神に愛されているとしか思えない。どう考えても『巫女』としての才能が備わっている。
霊夢には『博麗の巫女』としての才能は無かった。が、『巫女』としての才能だけは一級品だった。
少し磨けば、太陽の如き光を放ってくれる。
前々から分かりきっていたことであったが、十年経ってようやくキチンと『理解』した。
理解まで至らせてくれたキッカケは、霊夢が博麗の巫女に就任してから初めて起きた幻想郷全てに被害が及ぶ『異変』にて、初めてこの目で霊夢の『才能』を垣間見たからである。
ほとんど戦闘を自分の手を使わずに終わらせた、その異常なラックも才能だが――それだけでは、八雲紫の心が奮い立つことはなかっただろう。
異変の最終決戦にて、霊夢は博麗の秘術『夢想天生』を成功させた。
初代の博麗が、死ぬ間際に漸く完成させ、そしてそれ以降使い手が現れることは無かった博麗の術の極地を――霊夢はテストが始まる五分前に教科書を一見する学生のような手軽さで、いざ最終決戦が始まろうとする五秒前に懐に仕舞っていた秘伝書を軽く読み、そして難なく成功させた。
あまりにも呆気なく博麗の最強技を完成させたものだから、あの時はつい変な声を出してしまった。
が、次の瞬間――八雲紫は、
やはり霊夢の才能は恐ろしく凄まじい。私の勘は、間違いじゃなかった。
そう思い、八雲紫は歓喜に震えた。
正直な話、霊夢に才能があると思ってしまったのは、ただの勘違いだったのではないかとも思っていたのだ。
悪運が良いだけの一般人だったのではないだろうか――十年、才能らしい才能を見たことなかった故に、日に日にその疑心は強まっていた。
でもやはり、間違いではなかった。
霊夢の才能を見たからか、八雲紫がいつしか抱いていた霊夢に対する期待は、以前よりも強く積もっていた。
――もっと霊夢の輝きを見てみたい。
――輝きが強くなっていくところを、一番近いところで見てみたい。
以前の八雲紫は、あくまで『完成』された状態の霊夢にしか興味を持っていなかった。
けれど今回は違った。成長過程も含めて、霊夢の軌跡を観測したいと思い始めていたのだ。
いったい霊夢は、一時間修練に励むだけでどれほど強くなるのだろうか――五年後、十年後は、いったいどれほどの力を得る?
霊夢の一生を、この目で観測したかった。多分、焼け死ぬほどの狂熱の恋に落ちていたのだろう。少なくともこのときの八雲紫は、愛すべき幻想郷よりもずっと深く、霊夢を愛していたのだから。
霊夢の成長を見たい――見れるのなら死んでも良いとさえ思っていた八雲紫だったが、暫くしてある事を思い出して。
霊夢は、未来を楽観視して努力を全くしようとしない。
その重要な問題を忘れていた。
どうやって、この問題を解決するべきか――八雲紫は三日三晩思案した。
そのときの八雲紫は、テストで悪い点を取り続ける娘に勉強癖を付けさせる方法を、頭を抱えて考える母親のようであった。と、のちに彼女の従者は語った。
妖怪の賢者と呼ばれる八雲紫が、三日三晩考えたのだ。当然、まったく案が浮かばなかったということは無く、一番有力そうな案を基盤に、様々な計画を練り上げた。
パーフェクトな計画の数々。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言うが、上手い鉄砲を数撃てば絶対に必中するはずだ。
具体的なことは言わないが、それら全ては『異変』を発生させることが前提の計画である。他の妖怪に『異変』を起こすよう促すのだ。
『異変』の解決は運だけでは不可能だ。それは、前回霊夢が解決した異変で実証されている。博麗霊夢の力が無ければ、解決できなかった事案だ。
『異変』を起こし、努力しざる得ない状況に追い込む。
それこそが、八雲紫が考えた数々の計画に共通する目標だ。
「ふふっ、見てなさい霊夢……あなたの才能を、私が磨いてあげるんだから」
こうして、八雲紫の計画を始動した。
幻想郷に住まう者達――東方に集まりし、魑魅魍魎を巻き込んだ大計画。
その計画の名は――
――『博麗育成計画』。
習作です。勘違い物の練習が目的で書いたものです(次回から勘違い物らしくなると思います)。
完結に持っていけるかは分かりませんが、少なくとも書いてて楽しいうちは続けます。次話はほぼ書き終わっていますが、それ以降は気紛れ更新です。
お気に召して頂けたなら良ければ感想や評価や、お気に入りを宜しくお願いします。