審神者 藤原妹紅   作:完熟オレンジ

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1 審神者 藤原妹紅

『……そういう訳だから、私が貴方の審神者? らしいから。よろしくね』

『……』

『ん? どうかした?』

『いや、また気性の緩そうな女が来たと思っただけだ。……俺は国広が一振り、山姥切国広だ。あんたも、俺を偽物だと思ってたりするのか?』

『偽物? んー、そう言われても、私はその本物とやらを知らないから何とも言えないね』

『そうか……』

『納得できてないって顔だね。そう言う貴方は、自分のことを偽物だと思ってるの?』

『……っ! そんな訳あるか! 俺は山姥切、国広だ! 断じて偽物なんかじゃない――俺は本物だ!』

『うん、それはよかった。右も左も分からない状態でいきなり不安を抱えるなんて、私も御免だからね。正直に言ってくれて助かるよ』

『ぁ、っ……大声出してしまって、すまない』

『別に構わないよ。それにしても、元が刀剣と聞いてたからもっと絡繰みたいなのを想像してたんだけど、貴方は怒ったり謝ったり、人間らしくていい子だね』

『いい子って、あんた……』

『照れない照れない。謝れるのは美徳だよ、山姥切。改めてよろしく。私の名前は――』

 

 

 

 

 

 そんな、いつかの始まりの夢を見た。

 障子は薄っすらと外からの光を通していて、今が夜明けであることを知らせていた。

 

「……っ、何で今さらあんな夢を見るんだ」

 

 スッキリした目覚めに反して、寝起き早々、苛立ちが湧いてくる。

 あのときのことは、俺の刀剣人生における最大の汚点である。思い出しただけで身体中が羞恥に駆られる。行き場のないそれを、手元に引き寄せた枕にぶつけるのは仕方のないことかもしれない。というか、そうする。

 

「…………」

 

 ボスボスと気の抜けた音を立てる枕を殴りつけながら、さりげなく視線を同室の連中に向ける。聞こえてくるのは穏やかな寝息だけで、笑いを堪えるような声は聞こえてこない。

 幸いこの日は自分が一番の早起きだったらしい。寝起きの一言も、現在進行系で続いている奇行も見聞きされずに済んだと分かって、思わず胸を撫で下ろした。

 

「とりあえず、起きるか」

 

 二度寝するほどの眠気は残っていない。それなら、起きて何かしらの行動に移るべきだ。そも、本来であれば自分たちに睡眠など必要なく、いつでも刃を抜けるようにしておくべきなのだから。

 ……とはいえ、休息の必要性も理解しているつもりだ。同室のものたちを起こさないように気をつけながら着替えを済ました。

 

「おぉ……」

 

 障子を開けてみれば、外は見事な雪景色が広がっていた。昨日までは土色だった庭も、分厚い天然の白に染まってしまっている。

 起きたら短刀のチビたちが喜びそうだなどと思いながら、廊下を歩く。朝焼けの光が雪に反射して、目に痛かった。

 

「…………」

 

 そうして、歩いて一分も経たないうちに足を止めた。ここは大体、この屋敷の中ほど。視線を上にやれば、二階へと繋がる階段がある。

 この上の階は屋敷の中でも特別な場所である。というのも、自分たち刀剣が仕える審神者の部屋がこの先にあるからだ。刀剣を従える上の者としてという意味もあるが、審神者が女性であることから、何かしらの間違いが起きないようにという配慮も兼ねてある。

 ……当の本人は特に気にした様子もなく同じ階でいいなどと言っていたが、本人が気にしなくてもこっちが気にするのだ。

 

「燭台切は、炊事場か……」

 

 廊下の先の方からは朝餉のいい香りが漂ってくる。同じく、包丁を叩く音と楽しげな声も。

 本丸の食事担当の燭台切と歌仙は既に起きていたらしい。いつもこんなに早く働いているとは、口にこそしないが頭の下がる思いである。

 しかし、面倒見のいい燭台切が炊事場に立っているということは、審神者の方にまでは手が回っていないということだ。

 

「…………」

 

 別に、やましい気持ちがある訳ではない。手が空いてるものが審神者の世話に回ることは何も間違ってはいない。他の奴らにも感謝こそされど、恨まれはしないはずだ。

 呼吸をひとつ整える。別に緊張してるとかそんなのではない。ただ、息苦しく感じたからひと呼吸置いただけ。戦場と同じだ。

 階段に足をかけると、冬の空気に身を縮めた木板がキシキシと音を立てる。思いがけず響いた音に、今ので起こしてしまったのではないかと不安になる。が、上らないことには審神者の下へは行けない。

 抜き足差し足、なるべく体重をかけないように階段を上る。……まるで夜這いをかけにでも行くような姿勢だが、これは決して違うのだ!

 などと自己弁護していると、またギシリと大きな音が鳴って、慌てて意識を足の方へと向ける。階段は俺を嗤うようにまたギシギシと鳴った。

 たったの十数段程度の階段が、やけに長い。二階に上がったときには少し疲弊していた。

 

「……おい、起きてるか」

 

 審神者の寝室は二階の奥の方にある。忍び足でそこに向かっては、ピッタリと閉じられた障子の前に立ち、声をかけた。

 返事は――ない。どうやらまだ寝ているらしい。アレは物音に敏感らしく、ちょっとの音で起きるそうだから、自分の立てた音で起こさずに済んだと分かってホッとした。

 と同時に、これで難題がひとつ生まれてしまった。審神者がまだ寝ているということは、自分が彼女を起こさなくてはならないという訳だ。

 いや、それは決して義務ではない。朝とはいえ、審神者を無理に起こす必要はなく、自分から起きてくるのを待つのは十分にアリだ。正しい選択肢といえるだろう。

 しかし、しかしである。わざわざ二階まで上がって起こしにきて、当の本人が寝てるから起きるまで待ってやる――なんて、何とも間抜けな話ではないか。これが燭台切のような普段から気遣いに長けた奴がするのなら、忠義の形のひとつとして映えもするだろう。

 けれど今ここにいるのは、燭台切光忠ではなく山姥切国広なのだ。俺という刀剣の中に、待たなくていいところで待つという忠義の姿勢はない。

 つまり、ここで立ち惚けている現状は既に自分らしくなかったりする。

 

「おい、もう朝だぞ」

 

 二度目の声かけ。少し張った声にも返事はない。どうやら我が主は珍しく深い眠りにあるらしい。となれば、残る手段はひとつだ。

 何を固くなる必要があろう。ここは本丸、審神者の庇護下。生きるか死ぬかの戦場ではなし、ただ起床の手伝いをするだけだ。……起床の手伝いといっても着替えまで手伝う訳ではないが!

 

「……入るぞ」

 

 断りを入れて障子を開く。もちろん、音を立てないように注意しながらだ。

 障子の向こうは簡素、というよりは殺風景といった言葉の方が合っているだろうか。調度品も必要最低限のものしかなく、部屋が広いだけに寒々しい。

 果たして、これが審神者の私室だと言って信じてもらえるだろうか。まだ自分たち刀剣に当てられた部屋の方が人間味に溢れている。

 そんな部屋の中だと、生活感に溢れた布団すら浮いてしまっている。そこに包まる人物は、そんなこと気にもしないのだろうが。

 

「朝だぞ、起き、ろ……」

 

 そして布団に近づき、声をかけたところで固まってしまった。

 寝相よく、真っ直ぐに上を向いた審神者の顔は、病的に白かった。

 まるで血が通ってないみたいで、真っ白な髪も相まって、蝋人形が横たわっているように思えてならない。

 気道が狭まる。

 うまく呼吸ができない。

 震える手を彼女の口元にやれば――息があった。生暖かく、手を湿らす吐息は、生者のものだった。

 

「……ぅん? なにしてるの?」

 

 ドッと安堵に包まれる自分にかけられる声。

 自分の咄嗟の行為が引き金になったのか、審神者――藤原妹紅が目を覚ましたらしい。寝起きで胡乱な口調はこちらを咎めるものではなく、本当にただの確認なのだろう。

 危機感のない主の声に毒気を抜かれながら言葉を返す。

 

「……あんたを起こしに来たんだよ。もう朝だ」

「ん、もうかぁ。冬は陽の登りが遅いから、朝だか夜だか分かんないね」

 

 身体を起こし、グッと伸びをする彼女。釣られて長い髪がハラハラと後ろ手揺れて、襦袢の隙間からはこれまた白い肌が覗く。

 本当に無防備だ。いちいち視線を逸らさなくてはいけないこちらの苦労も考えてほしい。

 

「どうしたの?」

「……いや、あんたの警戒心の無さに呆れてたんだ」

「うん? ……あー、なるほど。あっはっは。私と貴方の間じゃ何も起きないでしょ」

「それはそうだが、あんたのそういった所が無警戒だと言ってるんだ……」

「あぁ、うん。燭台切や堀川がたまに気まずそうにしてたのはそういうことだったのね、うんうん。わかった、気をつけるよ」

 

 あっけらかんとした口調に、本当に分かっているのだろうかとつい疑いの目を向けてしまう。

 というか、燭台切や堀川も同じ目に遭っていたのか。それも口調からして一度や二度ではないだろう。……後で労いも兼ねて茶の一杯でも差し入れてやろう。

 

「でも、それだけじゃないよね」

「ん? それはどういう意味だ?」

「貴方、浮かない顔してるからさ。嫌なものでも見たのかなと思って」

 

 仮初の心臓が跳ねたように感じた。だが、それは当たり前のことなのかもしれない。

 人として生きてきた時間は彼女の方が長い。付喪神の表情から感情の機微を読み取るくらい朝飯前なのだろう。

 何よりこの審神者、たまに容姿と雰囲気が釣り合っていないように思うことがある。本当はいくつなのか、俺程度には測れそうにない。

 

「その、あんたの寝てる姿があんまりにも静かだったから……」

「あぁ。死んでるように見えた?」

「……なんで分かるんだ」

「よく言われてたからね。あぁ、思い出した思い出した。初めて私の寝顔を見た人は貴方みたいに青褪めてたっけ」

 

 ケラケラと彼女は楽しそうに笑うが、当事者である俺は全く笑えない。

 

「でもそうかそうか、死んでるように見えたかぁ……」

 

 彼女はポツリと呟くと、視線を天井の方へ向けた。その瞬間、またさっきのように彼女から生気といったものが欠落した。

 ゾクリと、背中を冷たいものが走る。そうだ。審神者である彼女が死ねば、俺やその他の刀剣たちもまた死ぬのだ。

 人は容易く死ぬ。それは刀剣として使われていたときに嫌というほど知って、人の身を得た今、改めて実感することでもある。

 審神者である彼女もまた人の身。そして、審神者は歴史改変者たちにとっては目の上のたん瘤だ。

 この本丸であっても必ずしも安全とは限らない。人を殺す手段など、星の数ほどもある。もしも敵に隙を狙われれば――彼女が死を憂いるのも仕方がないのかもしれない。

 しかし、そんな結末を俺たちが許せるはずもない。

 

「あんたは死なない」

「……え?」

「俺……いや、俺たちが死なせない。身を盾にしてでも、あんたのことは必ず守る。だから安心しろ」

 

 この身は山姥切の写しなれど、国広が傑作。主と決めた相手を無残に殺させるなど断じて許しはしない。

 

「……あはっ、そうか。皆が私を守ってくれるのか」

「あぁ。そのっ、なんだ、あんたに死なれると俺たちも困るからな。その為なら多少は身体だって張るさ」

「私なんかの為にありがたい話だねぇ」

「あんたの為だけじゃない。皆の為だ」

 

 そう言うと、審神者が意外そうな顔をして、すぐに厭らしく目を細めた。

 俺はこの表情をよく知っていた。これは俺をからかうときの目だ!

 

「……山姥切ってさ、意外と仲間思いよね? うん、貴方のそういう所は好きだよ」

「んなっ!?」

 

 こ、の、審神者は、本当にいきなり、何を言い出してくれるのかっ!

 身体を張るに値する主ではある。主だと認める人物でもある。だがしかし、やっぱりこいつは俺の天敵だ!

 

「……俺は外で待ってるから、早く着替えろ。朝飯もあと少しでできる」

「はいはい。私が遅いと皆に示しがつかないもんね」

「そうだ、そういうことだ」

 

 おそらく赤くなっているだろう顔を見られたくなくて、着替えを言い訳に部屋を出た。

 しかし障子越しとはいえ、それはほんの薄い壁でしかない。紙一枚を挟んだ向こうから、衣の擦り合う生々しい音が聞こえてくるのは正直心臓に悪い。だってどう言い訳しても、この身体は男のものなのだ。

 これを続けている燭台切や堀川は改めてすごい奴だと思う。茶だけではなく饅頭も差し入れようと心に誓った。

 そうして数分ほど悶々とした思いを抱えていると、障子がスッと開いて、着物に着替えた審神者が声をかけてきた。

 

「お待たせ。行こうか」

「あぁ」

 

 審神者が先を行き、俺はその後を追う。ようやく今日のという一日が始まった気分だ。

 俺たち刀剣にとって、日常の象徴とはつまり審神者そのものだ。俺たちが戦場で手足を動かすことで彼女の日常が守られ、引いては俺たちの日常となる。

 その象徴が、今日の朝食は何かと声を弾ませている。俺たちの日常は安泰だと思うと、つい口元が緩んだ。

 と、彼女は階段の手前で足を止めたかと思えば、こちらを振り返った。慌てて口元を引き締める。

 ジッとこちらを見つめてくる紅い双眸。下りないのかと目で促す俺に、彼女は言う。

 

「……ねぇ、山姥切。人ってね、こんな階段から落ちても当たり所さえ悪ければあっけなく死んじゃったりするもんなんだよ」

「そうなのか?」

「うん。でも逆に言えば、この階段から転げ落ちる程度じゃ死なない人間も、それこそたくさんいるんだ」

「……すまん。つまり、あんたは何が言いたいんだ?」

 

 俺が知っている彼女はいつだって穏やかな顔をしていた。

 怒ることも泣くこともなく、柔らかい笑みがいつもそこには浮かんでいた。

 けれど、こんな表情をした彼女を見るのは、このときが初めてだった。

 

「つまりね――階段から落ちて死ぬ、なんて間抜けな死に方だけはしないでねって、それだけ」

 

 そう口にした彼女はどこか、寂しげな顔をしていた。




新米審神者です、よろしくお願いします。
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