御使堕し(エンゼルフォール) の発動から一夜明けた、8月19日。
護はSAS事務所の机に突っ伏したまま朝を迎えた。どうやら、うつらうつらしているうちに本当に寝てしまったらしい。
隣の椅子では哀歌が同様に静かな寝息を立てて机に手を組んだ状態で乗せて眠っているし、部屋に置かれた長椅子ではセルティが毛布をかけ布団代わりにして寝ている。
部屋には咲耶と希の姿はなく、アウレオルスだけがモーニングティーをしている。
昨夜の戦闘で攻撃を喰らい気を失った希は別室で寝かせられており、また咲耶の場合は哀歌が術式により拘束した人造神、海神湊への尋問を地下室で行っているため同じくここにはいない。
「起きたか、ウォールリーダー 」
紅茶の入ったティーカップを机に置いたアウレオルスは椅子を引いて立ち上がると、護の方に目線を向けた。
「アウレオルス...............相変わらず早起きだね。希の容体は? 」
「当然、彼女の容体は安定している。後数日安静にしておれば問題ないであろう 」
それは良かったと安堵のため息をついたところで、地下室から咲耶が上がってきた。
「あ............おはようございます護さん 」
そう遠慮気に言う彼女はどうやら主人格に戻っているようである。
「おはよう...........捕らえた人造神の............えっと海神だっけ?彼からなにか情報は取れた? 」
護の言葉に咲耶は少し困ったような表情を浮かべながら応えた。
「それなんですけど...............さっぱりなんです。変質的なまでに禍島に忠誠を誓っているようで、第2人格がどれだけ尋問しても口を割らないんです..................それに見た目がああなってるんで記憶として残る私にはちょっと耐えられなくて.............」
彼女の話によると、見た目が金髪ナイスバディの外国人女に変っている海神に、仲間を殺そうとした敵と分かっていても主人格の咲耶はその性格のせいで、それ以上我慢して傍観することができず、強引に第2人格を押しのける形で体の主導権を握ったらしい。
「まあ確かに................あの外見になっているからね................... 」
彼女が躊躇いたくなる理由が護にはよく分かる気がした。エンゼルフォールの影響で現在、この世のわずか一握りの例外を除いたほぼすべての人間の外見が入れ替わっている。
昨夜、ほぼ半壊したホテルの一室の後処理に来た工作員たちの姿に護は思わず噴き出しそうになったほどだ。
なにしろ来たメンバーの外見が、老人やら幼児やらだったのだ。
まあ、訳分からんことにその外見できっちり後片付けを終わらせたので問題はなかったのだが、正直、御使堕し(エンゼルフォール)の理屈が分からない護としては冷や汗ものだった。
一夜明けたからと言ってその状況が変わるわけでもなく、正直外に出るにも気が引ける護なのであった。
護が現在いるのはSAS事務所である。そしてSASは表向きとしては万屋、つまりは何でも屋として存在している。
万屋とは、様々な意味合いをもつが、SASは世間一般的な認識からすれば探偵会社、あるいは調査会社的な色合いを持っている。
そのため、浮気調査や噂の真偽についての依頼、行方不明者の捜索以来、場合によっては武装無能力者集団(スキルアウト)関係の依頼さえ舞い込んでくる。
主に受付と客の相談に乗るのがアウレオルス。尾行や聞き込み、内偵などを行なうのが佐天と咲耶。そして場合によって実力行使を請け負うのが咲耶である。
もっとも佐天に関しては学校生活との兼ね合いもあるため、そう頻繁に一員として働けないのであるが、現在は夏休みということもあり積極的にSASの一員して動いている。
もともと趣味が都市伝説や噂話を追求することであっただけはあり、依頼された事案に関わる各種情報の収集に佐天は非常に長けており、パソコンや電子機器を使った情報収集のプロである初春とはまた別の天才と言えるかもしれない。
また、初春のスカートを挨拶代わりにめくるというセクハラな面はあるものの、気さくで陽気で気遣いがきく佐天はSASを訪れる依頼者に好印象を与えており、店の看板娘となっていた。
そんなSASはその創設に関わる重要な関係者である護の仲間たちが囚われるという事態になったとしても、それが理由で臨時休業とすることはできない。それをしてしまえば自分達がウォールと完全な繋がりを持っていることを宣伝しているようなものだからだ。
それで、当然ながらSASは8月19日も朝から営業しているわけなのだが、その客がやってきたのは太陽が真上に昇り、そろそろ昼食の準備をするかと人々が動き出す午前11ころだった。
「ようこそ!私、佐天涙子って言います 」
「涙子さんね?初めまして。私は淡雪って言いますの 」
SASの玄関で出迎えた佐天ににっこりとした笑顔を向けたのは、純和風の着物を着た20代前半の女性だった。
髪は美しい銀髪だが、瞳は黒、顔つきもアジア系............というか日本人に近い。だがその髪は染めているという風にも見えない。 言葉遣いはお淑やかな感じでなんというか上品な感じの、気品といったものが感じられる。
同じような言葉遣いでも、とある風紀委員(ジャッジメント)の少女とはえらい違いである。
「こちらにどうぞ。すぐに担当が来ますから 」
居間の中央付近に置かれているソファーに彼女を案内した佐天は、お茶や簡単な手製ケーキなどを出して、接待する。
奥の部屋から護が出てくる。ちなみにアウレオルスは別用で現在は対応ができない状況である。
アウレオルスは元々、ローマ正教所属の隠秘記録官(カンセラリウス)という役職についていた。
隠秘記録官とは、作品中ではステイルによって魔術の使用傾向と対策を魔道書として書く仕事と語られているが、具体的にどんなものかは判明していなかった。
護達の仲間となったアウレオルスは、魔術世界の一員としての歴史が浅く、使える魔術の幅が狭いセルティなどの為に魔道書を書く作業を進めていた。
たいがい依頼がない時はアウレオルスはその作業に2階の私室で取りかかっているのである。
「失礼。代表が急用でこれないので代理として僕が担当します 」
「いえ、お気になさらなくてもよろしいですわ。アポもなしにいきなり来たのはこちらなのですから 」
そう言って頬笑みを浮かべる彼女に護と佐天も自然に表情が緩む。
彼女は自分の名を冬木淡雪と名乗った。本当にその名にふさわしい透き通った白い肌と銀髪を持つ彼女を若干、佐天はうらやましげな目線を向けた。
「それで、いったいどんな依頼があってここへ? 」
佐天の問いに淡雪は、その持ってきていた手提げ袋から1枚の写真を取り出し机に置いた。
「この写真の人を探していただきたいのですわ 」
彼女が置いた写真を上から覗き込むように佐天と護が覗き込む。
その写真に写っていたのは、パッと見7、8歳くらいの少女だった。はっきりって幼児の年齢である。学園都市七不思議の1つに指定されている小萌先生を(あくまで外見年齢としてだが)超える若さである。
その写真を凝視し、向かい合っている淡雪を見つめ、再び写真に目を戻し、もう一度淡雪を見つめた護は恐る恐るといった感じで問いかけた。
「あの..........この写真の女の子とどういった関係なんですか.........?」
「この子は.............私にとって絶対に会わないといけない存在なんですのよ。でも少し事情があって警備員(アンチスキル)や風紀委員(ジャッジメント)の手を借りることはできないのですわ 」
「事情..................それは、裏側の事情ですか?」
「はい...........ここに来たのも、この万屋SASが学園都市の裏側にある組織と繋がりを持っているとお聞きしたからですわ 」
その言葉は、目の前の20代の女性、淡雪も何らかの形で裏側に属していることを示す。
「..................確認したいんですけど、あなたが探しているこの写真の子も、裏側の人間なんですか?」
「はい。そうです 」
「その子の名は? 」
「グランドマザー 」
淡雪の言葉に護と佐天は怪訝な表情になる。彼女の発した英語の意味が分らぬ訳ではなく、意味が分かるからこそそのような表情になった。その言葉は写真の少女にはふさわしくないよう思えたからだ。
「それが名前なんですか? 」
「いえ..........その小さいのにとても大人びた子だったのでそんなあだ名がついていたのですわ。実は私もその子の名はしりませんの。いつもあだ名で呼んでいたものですから............ 」
淡雪の言葉に、それにしてもお婆ちゃん(グランドマザー)はないだろうと内心思った佐天だったが、そんな気持ちは御くびにも出さず淡雪に笑顔を向けた。
「裏側ってことは護さんとかみたいに能力者のグループの一員なんですか? 」
佐天の質問に淡雪は軽く首を傾けて、クエスチョンマークを頭の上に浮かべる。
「ごめんなさい。私、能力者の定義を知りませんの。ただ力を持っているかという質問になら、そうだと応えられますわ 」
「それは、どういう意味です? 」
若干警戒気味に聞く護に対して淡雪はあっさりと言葉を放った。
「人造神........ってご存知でしょうか? 」
その言葉に場の空気が凍りつく。護は佐天の前に立ちとっさにその右腕を淡雪に向ける。
事情が読み込めない佐天が硬直する中、淡雪は深い溜息をついて言った。
「その反応を見る限り、すでに人造神と遭遇済みのようですわね。でも安心して下さいな。私は『計画』には参加していませんから 」
「君は人造神なんだろ?なのになんでそんなこと言えるんだ? 」
「人造神と遭遇しているなら、すでに知っていらっしゃるかもしれませんが................人造神計画によって生み出された『成功体』の中には自分の意思で計画の発案者である禍島の手から逃れた個体が少数いるのですわ。私もそんな個体の一人ですのよ 」
そう言われて護は咲耶の存在を思い出した。彼女の話によると剣夜という仲間に連れられる形で彼女は研究所から逃げ出したということだった。
その話は、淡雪の語る内容と一致している。
「君は、なんの人造神なの? 」
「私は『山神』の人造神ですわ。体内に宿すのは『雪女』の御神体。人造神の成功体の中ではランクが低い方の個体ですわよ 」
そこでさっぱり話についていけていない様子の佐天が手を上げた。
「あの.............良く話が読めないんですけど..........つまり淡雪さんは神様で、誰かに作られた人造人間の神さまで、悪い奴に造られたけど、そいつから逃げ出して、今は知り合いを探しているって思ってよいんですか........? 」
「そう思ってもらって結構ですわ 」
淡雪の言葉に安心した表情を浮かべる佐天。
「それじゃあ話を進めますけど............この写真に写っている子はあなたの関係者なんですよね?ってことはもしかしてこの子も............... 」
「はい。彼女も人造神ですのよ 」
当たり前のように頷く淡雪に護は正直驚いたが、よく考えてみれば当然と思い直す。
人造神である仲間の一人、咲耶は人造神は死体を元に造られた存在なのでその外見と実年齢は必ずしも一致しないと言っていた。
そのことを踏まえて考えれば、写真の少女........いや幼女が人造神だとしてもなんらおかしくはない。
「えっと............この写真の子はどんな人造神なんですか? 」
「それは私も知りませんの。私もそんなに長い付き合いではなっかたですし彼女が力を使ったところを見たことがありませんのよ 」
「そうですか................ここまで話を聞いてしまった以上僕からも話すべきだと思いますから明かしますけど、僕達『ウォール』は一週間ほど前にこの写真の子と非常によく似た女の子を保護したことがあります 」
驚く淡雪に護は事情を話した。
話は、護が御坂から絶対能力進化計画(レベル6シフト)計画の阻止のための協力を要請されたころまで遡る。
初めての要請があった時から、実際に行動の依頼があった日までの数日間、護はウォールの一員として通常業務を行なっていた。
そんな時、ウォール下部組織構成員から外部からの侵入者の情報がもたらされた。
ただちに護以下ウォール正規構成員は現場に向ったのだが、そこにいたのはクマの人形を胸に抱き、目にいっぱい涙をためてへたり込んでいる幼女だった。
報告してきた下部構成員から事情を聞いたところ、どうやら彼の勘違いでたまたま親戚に連れられて学園都市に来ていた少女をデータに登録されていなかったので外部侵入者と誤認したということだった。
あまりにも幼稚なミスに高杉などはその構成員を殴りつけそうな勢いで叱責したが、やってしまったものは仕方ないということで、とりあえずその構成員は護の権限で組織から解雇し、幼女は近くの風紀委員(ジャッジメント)支部に迷子として届け事件は一件落着した。
だが、その幼女が『人造神』だったとすると話はとんでもないことになる。
護達はみすみす脅威になりうる人物がが学園都市内部に入るのを、見逃してしまったというわけだ。
現時点ではその幼女、グランドマザーを脅威とは判断できない。だが、否定する材料がないのも事実である。
「じゃあ、グランドマザーはこの街にやっぱり............ 」
「ええ、居ると思います。後で風紀委員(ジャッジメント)の一人から聞いたところによると保護者と名乗る男が訪れて彼女を連れて行ったそうです。もしこの写真の子、グランドマザーが人造神だとすれば当然親は.............」
「最近に死んだ死体から造られていればあり得なくもないですけど..............私の聞いている限り、彼女の親はとうに無くなっているはずですわよ 」
となると、その親を名乗った男は何者なのか。
「その時の聞いた話だと、グランドマザーは男に連れられるとき別段抵抗もせず嬉しそうに笑顔を浮かべて自分から男に向っていったらしいんだ。となるとその男と何らかの関係があったと思うんだけど..........淡雪さんはなにか知りませんか? 」
「グランドマザーは私が研究所から逃げ出した直後に出会った初めての人造神で色々と助けてくれましたけど..............何かの組織に属しているという風でもなかったと思いますし、少なくとも私と共に行動していたころは私以外の誰かと積極的に交流する様子もなかったと思いますわ 」
要するに彼女と共にいた時代のグランドマザーに少なくとも彼女からの目線では他者、あるいは組織との交流は無かったということになる。
となるとグランドマザーが幼女の演技までして男についていったのは、なぜなのだろうか?
謎が謎を呼ぶ形となってしまい頭を抱える護だったが、悩んでいてもこの少ない情報だけで謎が解けるはずがない。
「とにかく、依頼は引き受けました。どの道今はウォールも人造神に関わるごたごたに巻き込まれている状況ですから同時進行で調べていきますけど、それでも構いませんか? 」
「それで充分ありがたいですわ。よろしきお願いします 」
そういって花のような笑顔を見せる淡雪に護と佐天が和んだ表情になったその時だった。
突然護のポケットに入れていた携帯電話が振動した。
携帯の発信者表示にのっている名は『竜崎哀歌』。
「哀歌?どうした? 」
「護、襲撃を受けた!現在学園都市外部のどこかのビルの内部で戦闘中!」
護は自分の耳を疑った。哀歌は淡雪が来る少し前に屋上へ風に辺りに行っていて今もそこにいるはずである。
「なんで学園都市外部に!?屋上にいたはずだろ!」
このSASの建物全体は哀歌、セルティ、希の三人が三十重ねに築き上げた魔術的な警戒網で覆われている。もし人造神が侵入していたのならその魔力が警戒網に引っかかっているはずである。
だが事実は護の予想の上を行っていた。
「屋上にいたところを後ろから誰かに触れられたの!その直後に今いるビルに移動させられたのよ!まるで瞬間移動みたいに! 」
哀歌の言葉に護の中で、ある推論がうかんだ。
よくよく考えてみれば当然のことなのだ。そもそも相手が学園都市統括理事の1人であるならば考えられない事態ではなかった。
「哀歌、瞬間移動みたいなんじゃない。きっと瞬間移動させられたんだ 」
「え?どういうこと!? 」
「言葉通りの意味だよ............. 」
護はその最悪の推論を言葉にして発した。
「今哀歌を狙ってきた敵は能力者ってことだよ! 」