プレアデス賛歌   作:M.M.M

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挿絵はこりん堂のあお様より


狼と踊る羊たち(挿絵あり)

蒸気がしゅうしゅうと上がっている。

それと共に何かが回転する音。

そして一定の周期でバチッと火花が上がる音。この音が最も大きい。

近所の家から離れているおかげで苦情こそ来ないが、近くを通った村人は「また錬金術師が奇妙なことをやってるぞ」の視線を彼に与えてくれる。

彼は装置の横に置かれた奇妙な瓶の前へ移動する。長い金属の棒が付属しており、容器の内と外は薄い金属で覆われていた。

蒸気を止めて奇怪な音の数々を終了させると彼は皮手袋をはめて小さな金属片を持ち、瓶の上部へ近づける。

パチッと小さな火花が上がった。

「やっぱり何かあるな」

「何がっすか?」

真後ろから聞こえる声に彼が振り返ると気を失いかけた。目が覚めるような美人は会ったことがあるが、目が潰れるような美人は初めてだった。

「ついにお迎えが来たな」

「へ?」

黒い服をまとった女性は片眉を上げて困惑を表現した。

「天使じゃないのか?」

「は?いや、私はワ……わあああああ!」

女性は慌てて口を手で覆った。

あっぶねー、とその口から漏れる。

「ギャグみたいな失敗を……。あー、気にしないでほしいっす。さて、私はルプスレギナ・ベータという者なんすけど」

ルプスレギナという女はコホンと咳払いをする。

「おめでとうございます、コニール・グリエル。いと尊き御方、アインズ・ウール・ゴウン様はあなたの価値を認めてくださいました」

彼女は真面目な顔になり、武功を上げた騎士を称えるようにぱちぱちと拍手する。

「あなたが今行っている研究にアインズ様は興味がおありなので、その研究を支援したいと考えておられます」

「……はあ」

彼はなんとも言えなかった。

「金属に電気を伝えさせて遠くへ信号を送る……でいいっすよね?」

彼女は軽い口調と軽薄な顔に変わる。

「いや、今は少し違う」

彼は訂正する。

「変な現象が起こってて原因を調べているんだ。空気の間を何かが伝わっていくようなんだけど、その正体を確かめてる。この現象が解明できれば金属どころか空気中に信号を飛ばして情報をやり取りできるかもしれない」

「それって……伝言《メッセージ》の魔法みたいな?」

ルプスレギナは首をかしげながら訊いた。

「そうだよ」

「ほっほー」

「この凄さがわかるかい?」

「いや、さっぱりわかんないっす。それ、魔法で良くね?」

それを聞いて彼は肩を落とした。

「まあ、内容は置いといて」

ルプスレギナは荷物を脇に置くジェスチャーをする。

「あなたが研究するための道具と金銭を援助しようとアインズ様が言われたんすよ」

「いや、別にいいよ」

彼はそう言うと先ほどの装置をいじり始める。

「……は?ちょっと。聞いてたっすか?」

「僕の支援者になるって話だろう?別に要らないよ」

「えー、何で?領主に支援を求めたんじゃなかったんすか?」

よく知ってるなと彼は思った。確かに一度ここの領主に情報を電気で伝える話をしたが理解してもらえなかった。そして必要な予算を言った瞬間に追い出された。詐欺師の類と思われたのだろう。

「僕は成功したら技術を公表するという前提で領主様に話を持っていたんだ」

それがなくても結果は変わらなかっただろうけど、と彼は心の中で言った。

「そちらの支援の条件は技術を公表しないことだろう?」

そこでルプスレギナという女性は「へえ」という顔になった。

「よくわかるっすね」

「ここの領主は理解こそしてくれなかったけど、民のために尽くしてくれる善人だ。そういう人に技術を渡したい」

そういう人物だからこそ彼は追い出されても怒りや不満など感じなかった。装置を完成させれば理解してくれるはずだと思って研究を続けている。といっても、謎の現象により目標が変わっているのだが。

「良い話っすよ?どんな領主も出せない予算でバックアップしてくれるんすから」

「正直に言うと僕は魔導王をあまり信じていないんだ」

彼がはっきり言うとルプスレギナの表情からすうっと感情が消えた。

「どうしてか聞かせてもらえる?それと、陛下をつけなさい」

その声は奈落の底から響くようだった。

彼は掌に汗を感じる。

「魔導王陛下はどうして王国軍を壊滅させたんだい?」

「あー、あれは自分の領土を守るためっすよ」

またがらりと雰囲気が変わる。

「あなたの領主も誰かが攻めてきたら同じ事をするんじゃないっすか?」

「かもしれないね。でも、今の君を見てますます怖くなったよ。僕はこの話を断ったら行方不明になるんじゃないかい?」

「あれ?なんか勘違いしてないっすか?」

彼女は弱った顔になった。

「それは命令されてないし、アインズ様は人の意志を尊重される御方っすよ」

「じゃあ、僕の家に忍び込んだのは何故?」

ルプスレギナの目が一瞬揺らいだ。

「僕は記憶力が良くてね。昨日、家の道具がほんのわずかに動いてた。君だろう?何を探していたのかな?」

「……正直、ちょっとナメてたっすね」

彼女はそう言うとにやりとした。

「研究ノートでも探してたのかな?記録は全てここだよ」

彼は自分の頭をトントンと叩いた。

「ごめんっす!」

ルプスレギナは両手を合わせて頭を下げた。

彼の知らないジェスチャーだが謝罪の意味なのだろうと思った。

「そこはホント謝るんで機嫌直してほしいっす」

大きな目を瞬かせ、愛らしい顔をして彼女は言った。

「いや、錬金術師って詐欺師も多いじゃないっすか?家の中にもいろんな器具があったら真面目に研究してる証拠だって言われたんす。どうしたら協力してもらえるっすかね?待遇だったら期待していいっすよ。どんな国でも手に入らない最高の……あれ?」

彼女は目の前でうずくまるコニールにやっと気づいた。

「どうしたんすか?」

「いや、いつものやつだ……」

彼は胸を押さえながら言った。

相手は自分の噂は聞いてもこの病については知らなかったらしい。

「……ひょっとしてなんかの病気っすか?」

この時、彼はルプスレギナがどんな顔をしているか見なくてもわかった。相手の最も弱い部分を知った時に人間が抱く暗い湿った感情。それが声に混ざっていたからだ。

しかし、彼もまた苦しみながら少し笑った。ルプスレギナという女性が考えているであろうことは上手くいかないとわかっていたからだ。

 

 

「あれ~~~?」

困惑し切った声を出したのはルプスレギナだった。

「本当に良くならないんすか?演技じゃなくて?演技だったら耳を引きちぎるっすよ?」

「本当に治らないんだよ……」

物騒なことを言うルプスレギナに彼は告げた。

彼女は相手を観察する。顔は青白く、呼吸は荒い。汗もかいている。呪文抵抗を行ったとしても自分の魔法がまったく効かないとは考えにくい。

ならば結論は一つだ。

治癒魔法が効いていない。

彼が発作で苦しみ始めてからルプスレギナは病気を治す見返りに魔導国に忠誠を誓うかと持ちかけた。「治せたらね」と彼は応じ、すぐさま治癒の呪文を唱えた。

その結果がこれだった。何も良くならないのだ。

ルプスレギナはとりあえず彼を家のベッドまで運んでやった。部屋には奇妙な装置が無数に置かれており、少し金属のにおいがする。

「この病気は生まれつきなんだ。治癒魔法は生まれつきの体の異常を治せない。そうだろう?」

「あー、そういえばそういうじ……そうっすね」

そういう実験もした、という言葉を彼女は飲み込んだ。

人間の歴史を遡っても生まれつきの病を治せた例はなく、当初は低位の治癒魔法を使うせいかと思っていた。しかし、これはナザリックに幽閉した人間に高位の治癒魔法をかけても同じだった。仮に生まれつき指の一本がうまく動かない人間の腕を切り落とし、そこに新しい腕を魔法で再生させたとしても指の異常はそのままだ。生まれた時からそうあるべく設計されているものは変えられない。寿命を魔法で変えられない事と同じだと人間の神官たちは考えているらしい。

「それって重い病気なんすか?」

「ああ、だんだん悪くなってる。両親より先に逝かずに済んだのはほっとしてるけどね」

彼は少し笑った。

「うーん……」

ルプスレギナは腕を組んでどうするか考え始めた。

そして一つの解決法を思いつく。

「ねえ、吸血鬼になって生きる気はないっすか?」

「いやだよ」

彼は即答した。

「顔だけは満点な吸血鬼がいるんすよ。胸が非常に残念っすけど」

「いや……」

「実は巨乳好きっすか?そこは勘弁してほしいっすね。あっ!知能が低下したら意味ないか。どのくらい知能が残るんだっけ?この話は保留っす!」

勝手に話を進め、勝手に保留にするルプスレギナ。

彼女はその後あれこれと考えた挙句、「対策を練るから死なないように頑張るっすよ」と言い、出て行った。

部屋に残された男は「はあ」とため息を漏らした。

 

 

「それは困ったな……」

報告を終えたルプスレギナに対してアインズは言った。

「我々に協力する気がないというのが第一の問題だ。そうか。忍び込んだのがばれたか……」

「申し訳ありません!」

脳内でルプスレギナの謝罪の声が響く。

「お前が謝罪することではない。指示したのは私なのだ」

「強硬手段に出ますか?」

「却下だ」

アインズは即答した。

「可能な限り友好関係を築きたい。それに、話のとおり心臓の病ならそいつは激しい痛みやストレスを受けると死ぬかもしれないだろう?」

「あっ、確かに……」

ルプスレギナは納得した。

「しかし、電線ではなく電波を使った通信をすでに考えているのか。まだ構想の段階とはいえ本当にできたらすごいな」

「アインズ様、その技術はそれほど重要なのでしょうか?」

伝言の魔法と何が違うのか、と彼女は考えているらしい。

アインズはここをしっかり説明する必要があるなと思った。

「よく聞け。まず我々と違って人間の魔術師が使う伝言の魔法は距離が離れると聞き取りにくくなり、信用性も低い。我々にとって大きなアドバンテージの一つだ。そこを克服されるとまずい。ここはわかるか?」

「はい」

「それに、我々自身もその発明があれば非常に便利だ。魔法も巻物も使えない者が緊急時に連絡できないのは正直なところ辛いのだ」

アインズはシャルティアが精神支配を受けた件を思い出していた。あの時の浅慮への後悔は今も消えない。もちろんあの魔法を使用できる者を同行させれば解決するが、その者の強さ、隠密性、機動性などを考慮する必要があって不便だ。その不便さを解消してくれる技術があるなら是非とも入手し、秘匿したい。

「仰せのとおりです。愚かな質問をお許しください」

ルプスレギナは謝罪した。

「錬金術……いや、科学か。私たちでは研究しようがないからな」

アインズは頭が痛くなる。

彼は思う。この世界にも人工衛星や電子機器や核兵器みたいなものが現れれば大きな脅威となる。ルプスレギナとは別の者には火薬がどの程度開発されているかをすでに調べさせているが、幸いにも大砲や銃という発明はまだないようで、それらしい薬品は錬金術師たちの「危険な粉」どまりになっている。鉱山では岩石を軟化させるドルイド系の魔法があるからダイナマイトが必要ないように、この世界では人間の発想が根本的に違うのかもしれない。

しかし、いずれ科学技術が発展するのは確実だ。NPCたちには説明できないが、アインズは科学技術の素晴らしさも恐ろしさもよく知っている。とはいえ、自分が研究することは不可能だった。この世界で自分たちは料理のスキルがなければ料理できないように専門分野の知識は理解することも応用することもできない。人間にやらせるしかないのだ。

「それでは、あの男はとにかくなだめすかして勧誘するという方向でよろしいでしょうか?」

「ああ、金や女に目がくらむようなら金貨の百枚や二百枚は使って構わん。弱みがあるなら徹底的に利用しろ」

「では、もしも……」

彼女は少し言いよどんだ。

「もしもあの男が私に好意を持った場合はどの程度まで致しましょうか?」

「ん?」

アインズは言いたい事を理解するのに少し時間がかかった。

「ああ、そういうことか。何もしなくていい。いや、絶対にするな。しつこいようなら殴っていいぞ」

友達の子供のような存在であるNPCたちにそんな真似をさせたら彼らに合わせる顔がないと思い、アインズは厳命した。

「ありがとうございます!」

ルプスレギナの声には感謝と感動があった。

「さて、第二の問題はその男の病気だ。治癒魔法が効かないか……」

「吸血鬼にするのはまずいでしょうか?」

「うーむ……本人が拒絶してるからな」

知能が劣る下級吸血鬼ではなく普通の吸血鬼にするなら知能は通常レベルのはずだ。しかし、まったく知能が下がらない保証はない。また、忠誠心は絶対なのか。いくつかの要素をアインズは考える。

「やはり却下だ。強制させるのはまずい。とすると……万病を治すという薬草が確かンフィーレアのところにあったな?」

「はい」

ルプスレギナもその事は覚えていた。

「おそらく効かないだろうが、まだ残っているなら試してみろ」

「畏まりました」

アインズはルプスレギナとのつながりが消えると頭を抱えた。

「電波、電磁力……。フレミングの左手の法則だっけ?右手だったか?」

アインズは両手の骨の指を3本立てていろいろ形を変える。

「電気。磁気。あとなんだっけ?あれだけ機械に囲まれて暮らしてたのに仕組みが全然わからん……。オームの法則とかいうのもあったような……」

必死に記憶をひっくり返すが何も出てこないことでアインズは考える。

これはNPCと同じく科学者のような職業を持たないシステム上の問題か。それともプレイヤーである自分が人間だった頃の記憶は例外で、思い出せないのは単に自分が……。

「いや、きっとシステムのせいだな!」

勉強しなかった後悔に浸りたくないためアインズはそういうことにした。

 

 

「あの薬草も効きませんでしたか」

ンフィーレアが残念そうに言った。

以前に研究用として渡された幻の薬草のことだ。万病に効くといわれ、どのような方法で入手したかは不明だったがポーションの研究に大いに役立った。それが一部必要になったと言われたのは2日前のことだった。

「万病に効くとかいいながら効かないとか詐欺っすよ」

ルプスレギナは不機嫌そうに言った。

「まあ、あくまで言い伝えですから」

ンフィーレアが苦笑する。誰に何のために薬草を使ったのかを彼は聞かない。はぐらかされるのはわかっているからだ。

「魔法も駄目。薬草も駄目。心臓の病気っぽいんすけど、何か方法ないっすかねー」

ルプスレギナは答えを期待して呟いたわけではない。ただなんとなくだった。

しかし、ンフィーレアがしばらく考えた後、口を「あ」の形にしたことを彼女は見逃さなかった。

「なんか心当たりあるんすか?」

「あ、いえ……」

彼は何かを躊躇しているようだったが、すでに狼の口に入った子兎のようなものだ。

「あー、私に教えてくれないんすかー?私とンフィーちゃんの仲じゃないっすかー」

ンフィーレアの服の袖をぴょこぴょこと引っ張るルプスレギナ。

「トロールから守ってあげたことを忘れたんすか?エンちゃんに内緒であんなことまでしたのに……」

「何を言ってるんですか!?」

ンフィーレアが絶叫した。そしてエンリやゴブリン達が近くにいないかを確認する。

「僕たちは何もしてませんよ!」

「まあまあ。そこは冗談っすけど」

そこでルプスレギナはにやりとした。

「話してくれないなら村中にそういう噂が流れることもなきにしもあらんずんば、みたいなー」

彼女の大きな瞳の中にンフィーレアの絶望した顔が映る。

「ああもう!」

彼は頭を押さえた。そして少ししてから話し始めた。

「心当たりというか、可能性の一つとして聞いてください。神官の治癒魔法とは別に、かなり乱暴な方法で病気や怪我を治そうという考えがあるのは知ってますか?」

「手術というやつっすか?」

彼女はすぐに話の方向を理解した。

「ええ、神殿関係者の前では出せない話題ですけどね。といっても、冒険者や一般市民も神官がいない時に応急手当として傷口を縫ったりするでしょう?その延長として人体の構造を調べて病気や怪我で人が死ぬ理由を探り出そうとする人々がいるんです。僕もその考え自体は決して異常なものじゃないと思うんです。僕だって薬草が体のどこにどう作用するのか興味はありますから」

「その人たちなら魔法でも治らない病気を治せるかもってことっすね?」

「ええ、まあ……」

彼は一瞬視線をそらした。

「ンフィーちゃんは隠し事が下手っすねー」

ルプスレギナは笑う。

「え?」

「その治療法を研究してる人も知ってるんじゃないっすか?」

ンフィーレアは降参を示した。

「ばれましたか」

「ばればれっすよ。それで、どこの誰なんすか?」

「あの……その人の所に行くんですよね?神殿に引き渡されたり、彼の立場がまずいことになったりしませんか?」

「それは心配ないっすよ」

ルプスレギナは微笑んで言った。

何の根拠もない。というか、どうでもいい。

「ある人を治療できないか頼んでみるだけっす」

ルプスレギナは考える。この人間は真実を知ったらどんな顔をするだろうか。ナザリックが利用すると決めた人間。その人間は利用されるしかない。彼らの事情や意志などに意味はない。

使われる命と書いて使命と読む。彼らには使命があるのだ。私たちの玩具になるという使命が。

「ささ、早く教えてほしいっす」

その笑顔にンフィーレアはゆっくりと知人のことを話し始めた。

 

 

木のドアをノックする音が3度した。

応答はない。

さらに三度すると「誰だ?」という太い声が聞こえた。

「優しい神官さんが来たっすよー」

楽しげな声は暴力的なドアの開放音で迎えられた。

「ついに来やがったか、神殿の野郎ども!俺を捕まえようって気なら……ん?」

大きな棒を持って出てきたひげ面の男は玄関に誰もいないことで口を止めた。

「どこだ?ガキの悪戯か?」

「ここにいるっす」

先ほどの美しい声は今度は背後から放たれ、彼は凍りついた。

そして振り向くと今度は顔が赤くなる。魔法による恍惚状態のように。

「だ、誰だ?」

「ンフィーレアから話を聞いたんすけど。ジェイはあなたっすか?」

その言葉に彼は目を見開いた。

「あいつが俺を売ったのか?」

「紹介したんすよ」

彼女は訂正する。

「勘違いしてるみたいだけど、私は神殿の関係者じゃないっす。あなたの研究してる手術で治してほしい奴がいるから来た依頼人っすよ」

「手術の依頼だと?」

ジェイは周囲を見た。

「中に入りな」

彼はルプスレギナを中に入れると持っていた棒をドアにかける。

閂だったらしい。

彼女はわずかな薬品の臭いを嗅ぎ取った。

「あいつから何を聞いた?」

彼は乱暴に椅子へ座ると相手に椅子を勧めることもせず聞いた。

「あなたが死体を掘り起こして人体の研究をしてると聞いたっす。それで心臓の病気を治せないっすか?」

彼女は二重の目的で質問した。一つは文字通りある人間を治すため。もう一つはこの人間の価値を知るため。治癒魔法を超える技術をすでに身につけている、あるいはそうなる兆候があるなら隔離したほうがいいかもしれない。

「心臓だと?」

ジェイは狂人を見る目をした。

彼は立ち上がり、棚の横に移動すると体重をかけてそれを押す。その向こうにはいくつも紙束とガラス瓶が保管されていた。瓶の中には心臓、肺、肝臓などが液体に浸かっている。薬品臭の原因はこれだろう。

「俺のところに来るってことは生まれつきの病気だろう?」

当たりっす、とルプスレギナは答えた。

「心臓の病なら何度か死体で見たことがある。こういうのだ」

彼が紙束の一つを広げると詳細に描かれた心臓の絵が現れた。あちこちの角度から全体像や解剖図が描かれ、彼女の読めない文章がいくつも書き記されている。この世界の常識からいえば狂気の絵だがルプスレギナはなんとも思わない。

「こいつはこの弁の形がおかしい。官の内側が詰まったり、膨らんだりするタイプもあるが生まれつきの病気は心臓の形が普通と違うんだ。この2つの血管が……」

「えーと、結局治せるんすか?」

ルプスレギナは要点だけを訊く。

「無理に決まってるだろ」

男は怒って言った。

「他の臓器なら切るなり繋げるなりできるはずだが、心臓は動いてるんだぞ?動いてる時に切ったら血が噴き出して終わりだ。かといって心臓を止めたら人間は死んじまう。人間の体で一番手が出せない場所だ」

「時間の無駄だったっすね……」

彼女はため息をついた。

「ちなみに、他の生まれつきの病気なら治せるんすか?」

「治せるかもしれねえ。やったことがないからわからん」

「は?何のために研究してるんすか?」

ルプスレギナの呆れた顔がジェイの怒りを増した。

「文句は神殿に言え!あいつらのせいで死体の解剖もおおっぴらにできねえし、見捨てられた病人もここに来ねえ!」

彼は手に握った紙を握り締めた。

「体を切り開くのが野蛮だと?本を開かず中を読めるか?森に入らず森のことがわかるか?少しは考えろっての!」

テーブルを殴る音が部屋に広がった。

「じゃあ、たくさん解剖すれば治せるようになるっすか?」

「……は?」

「生きた人間でやれば技術の向上も早いっすよね?」

「……え?」

ジェイは意味不明という顔をした。

ルプスレギナは怪しい笑みを浮かべ、大きな瞳の中で闇がゆらゆらと動き出した。

 

 

ジェイは暗い獄舎の前にいた。

あの美しい女はルプスレギナ・ベータと名乗り、好きなだけ人間を解剖できる場所があると申し出た。生きた人間でさえ解剖できると。

もちろん彼は一度断った。自分は人間を幸福にするために活動しており、何人死ねば何人助かるなどという神様気取りの算数をする気はなかった。たとえ100万人が助かろうと無実の命を奪っていい理由はない。美貌の魔女に対して彼はそう宣言した。

しかし、ルプスレギナはある場所へ彼を連れて行った。

いかなる魔法によってかエ・ランテルから遠く離れた場所へ彼と転移し、大勢の人間が閉じ込められた建物へと入った。ここがどこなのかについて話すことは禁じられた。

「ここにいる人間は何の罪を犯した?」

ジェイは恐る恐る聞く。

もはや自宅にいた時の慇懃無礼な態度は取れなかった。魔法が使えるというだけでなくこんな場所を顔パスで通れるのだからかなりの地位にいるはずだ。

「八本指って組織の構成員っすよ」

その名前は彼も知っている。世情にあまり詳しくない彼でもその悪名を何度も聞いていた。

「文句なしの重犯罪者ばかり。これを使って大勢の命を救えるなら問題ないっすよね?」

ルプスレギナはにっこり笑った。

「いや……裁判があるだろ?法律はどうなる?市民に知らせずそんな事をして許されるわけがない」

彼は反論した。

「えーと、あそこにいる男はお金のために3人家族を殺したんだっけ?ばれないよう樽の中に両親の死体を詰め込んで、赤ん坊は生きたまま入れて蓋を閉めたと言ってるっす」

牢の向こうに座る一人の男を指して彼女は言った。

「あっちのは孤児2人を嬲り殺した罪っすね」

ルプスレギナは次々と囚人の罪状を説明していった。死刑以外はありえない罪ばかりであった。

「彼らが反省してると思う?」

彼女の口調が変わった。

「彼らに何の生産性もない死を与える?それとも罪のない人々が救われるように活用する?どちらが正しいかしら?」

悪魔の誘惑。ここで引き受けたら自分も悪魔になる。

彼の倫理観が悪魔を祓おうと言葉を紡ぐ。

「それはただ自分を正当化して……」

「あなたは自分を正当化していないの?」

悪魔は耳元で囁き続ける。

「安全地帯から一歩も出ずに口を動かすだけ。人の命を救う?今まで何人くらい救ってきたのかしら。あなたの倫理とやらは他人のため?それとも自分のため?」

その言葉は呪文のようにジェイの心を縛る。

彼は3人兄弟の末弟だった。2人の兄は病で死んだ。決して治せない病気ではなかったが治療費が払えなかった。彼は神殿が治療費を取ることで独立機関として活動できるという理屈は理解していたが、心は納得できなかった。薬師から知識を学び民間療法師として貧しい者を治してきた始まりはそこだった。彼は人体を研究するために夜な夜な墓場へ出かけ、時にはスコップや聖水を武器として動く死者と戦いながら知識を増やしていった。

しかし、人体の解剖図が増えてゆくにつれて不安も大きくなった。この知識はいつ役に立つのだろうか。いや、自分は役立てる気があるのか。ずっと神殿の責任にしてきたが彼らと戦うことはしなかった。

「道具や薬はあなたが望むだけ用意するわ。大勢の人を救いたくない?」

彼は目の前の囚人たちを見た。

やがて死刑になる人間たち。彼らにもし正気が残っているならせめて医療の進歩に役立ちたいと言うのではないか。それさえ嫌というならもはや人間ではない。

「俺が…大勢を救う……」

「そうよ」

ルプスレギナは嗤った。

理由は二つ。彼女が述べた囚人たちの罪は出鱈目であること。そして彼には初めから選択肢などないこと。ここで断るなら彼をエ・ランテルの自宅に帰したりしない。強制的に研究させるだけだ。自らの意志でやってくれるほうが効率が良いので唆したに過ぎない。

「……やる……やってやるさ」

彼は目の前にぶら下がった黄金の糸を掴んだ。

その後、この男は切り裂き魔のジェイと建物内の人間から呼ばれることになる。

 

 

灰色の空から白い筋が降りた。

その筋は増え続け、世界をしとどに濡らしてゆく。

屋根を打つ水滴の音楽を聴きながらコニールは天井をぼうっと見ていた。

「ちわーっす」

天井が絶世の美女の顔に化けた。

「まだ生きてるっすね」

顔を覗かれた彼は自分の胸に手を当てる。

「そうらしいね」

心臓はまだ動いている。しかし、止まるのは時間の問題だった。

二人が出会ってからそれほど月日は経っていないが、以前は1日に1度か2度だった発作の回数が今では10倍以上に増えていた。発作が続く時間も長くなっている。まるで神々がナザリックと彼の結託を許さぬと言うかのように、彼の病気は急激に悪化していた。

それに対抗すべく彼女たちも手を打っている。

大回復(ヒール)っと」

ルプスレギナが治癒魔法をかける。

少しは緩和するかもしれないという考えからだ。治癒魔法ではナザリック最高位といえるペストーニャにも魔法を試してもらった。ナザリックから特別な効果のある料理も運んでいる。しかし、どれも効果は現れない。神々との戦いは時間と共にナザリック地下大墳墓の敗色が濃くなっている。

「どうっすか?」

「少し良くなったかも」

はあ、と彼女はため息をつく。

嘘が見え見えだ。

「あれ、考えてくれたっすか?」

ルプスレギナは単刀直入に尋ねる。

「後任のために実験を書き残す?すまないが、興味ないよ」

彼はつまらなそうに言った。

「僕は治療されたら協力すると約束した。今は少し後悔してるけど、約束は約束だ。君たちのいう手術とやらも準備ができたら受けよう。でも、その約束はしてない。そもそも僕を治そうとしてるのに死んだ時の事を考えてるっておかしくないかい?」

「いやあ、それを言われるとつらいっす」

知らね。さっさと書かないといろんな骨を折るっすよ。

そう言えたら楽なのに、とルプスレギナは思う。

手術を任せようとしてる人間には必要な道具と薬を与え、不眠不休で研究できるようマジックアイテムも貸している。しかし、技術はそう簡単に進歩しない。間に合わない場合も考慮してこの男の頭脳にある情報をすべて書き残させたいとアインズは希望した。

普通なら強制的にやらせるが、負荷を与えるといつ死ぬかわからない人間を相手に荒っぽい事はできない。魅了や支配の魔法も時間制限がある。身体を治せれば強制できるが、そもそもそれができたら強制させる必要がない。

ルプスレギナは「面倒っす!」と叫びたくなった。

「歴史に名を残そうとか思わないんすか?」

彼女は名誉欲を突いてみる。

「いや、外部には公表しないんだろう?名前は残らないじゃないか」

「魔導国には残るっすよ。アインズ様のお役に立てた錬金術師として名が残るなんてこれ以上の名誉はないっす」

これに対して彼は首をかしげるだけだ。

「前に言ってたじゃないっすか。空気じゃなくて金属を伝った信号装置……だっけ?それなら完成させられるって」

「言ったよ」

彼曰く、頭の中でもう完成しているらしい。あとは材料を用意して装置を組み立てるだけだと。大きな費用をかければ他の都市まで信号を送ることができるという。しかし、そちらの実験は興味がないと彼は言った。今やっているほうが難しく、そして面白そうだからだと。

「簡単な方の装置だけでも完成させる気はないっすか?」

「ない」

彼は即答した。

「今、考えてる方がもっと便利になる。金属線を敷く必要がないんだから。今のままでは強力な電力が必要になるが、改良する方法があるんだ」

「だから、このままだと死ぬかもしれないんすよ?生きた証しを立てたいとか思わないんすか?」

「正直に言えば、立てたいかな」

「じゃあ……」

「君たちが善い目的のために使うとわかればすぐに協力するよ」

結局これか、とルプスレギナは思う。

この人間は自分たちを信じていない。

それは正解であるのだが、面と向かって信用できないといわれると心穏やかではない。かといって、ここで怒っては今までの苦労が水の泡だ。

彼女は別の手を打つ。

「どんな報酬なら協力する気になるんすか?美味しいもの?綺麗な女の子?あっ、まさか私っすか?」

ルプスレギナは最後を冗談で言ったが背中の武器を意識する。本当にそう言ってきたら至高の御方に言われたとおり殴る気だ。

「いや、君だってそこまでしたくないだろう?」

「当然っす。いや、ご命令があれば自害でもなんでもやるっすよ?でもねー」

彼女はアインズからかけられた暖かい言葉を思い出し、頬が緩む。あの御方から自分たちの身を案じる言葉をかけられた。その事実は抗い難い歓喜を生む。

「偉大にして慈悲深き至高の御方……」

コニールはその顔をじっと見た。

「あっ、なんでもないっす」

彼女は笑顔で煙に撒く。

その時、ルプスレギナは急に立ち上がり、背筋を伸ばした。

「はい、アインズ様!」

彼女は天井に向かって答える。

伝言の魔法だと目の前の男もすぐ理解した。

「…………よろしいのですか?……はい、畏まりました」

彼女はそう言うと今まで見たこともない真剣な顔になった。

「今から尊き御方がここへ来られるわ。絶対に無礼のないように」

彼が何かを言う前に空間が歪み、闇が現れた。

黒ではなく闇だ。

闇のオーラとこれもまた闇色の外套をまとった存在。

闇の中には白と赤があった。

蝋よりも白い骨。そして眼窩に灯る赤い光だ。

「平伏し――」

「構わん」

圧倒的な力を持った声がルプスレギナの言葉を止めた。

「そこで横になったままでよい。お前が病人であることは知っているし、ここはお前の家だ。私は客人の分をわきまえよう」

強大な存在は部屋を見回すと魔法で玉座を創り出し、そこへ座った。

「貴方が……」

「そうだ。お前が信用に足りぬと考えている魔導国が王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王だ」

アインズは皮肉そうに言った。

「といっても、これは公的な訪問ではなく、私的な訪問ですらない。お前が見た夢幻の出来事と思え。では、話してもらえるか?なにゆえ私が信用に足りぬと考える?私が自らの国民に虐殺を行っているとでも聞いたか?」

「……いいえ」

緊張に満ちた声が答えた。

「私が理由もなくどこかへ戦争をしかけたか?王国軍と戦争はしたが、あれは我々が無抵抗のまま蹂躙されるべきだったと思うのか?」

「……いいえ」

「では、なぜだ?」

赤い光が彼を見つめる。

「……ある偉人がこう言い残しています」

声は不安に満たされながらも強い意志を持っていた。

「悪用できる力を得た者はいずれ悪用する。善良な者はその力を辞退する、と」

「ほう。では、お前もまた自分の力を悪用するのではないか?」

「仰るとおりです、魔導王陛下。私もまた悪用しうるでしょう。私が権力を持っていれば被害はさらに大きくなります」

「お前は無政府主義者なのか?」

王は諧謔気味に聞いた。

「いいえ、王が国を統べる事も幾らかの犠牲が出ることも現実では仕方がないと考えております。しかし、王が権力と武力だけでなく知識まで独占すれば誰がその過ちを止めるのでしょうか?もちろん――」

最後の言葉が顎門を開いた王の反論を止めた。

「もちろん全員が同じ知識を持った場合もまた過ちは起きるでしょうが、権力と武力を持つ王が数人の過ちによって斃されることはないはずです。王が斃されるのは民衆の多くが王に対する信頼を喪失した場合のみです」

「ほほう、これはなかなか聡明な男だ」

王は嬉しそうに言った。

「お前が言っていることは正しい。しかし、同時に間違っている」

「それはつまり……?」

強い意志を持った声に困惑が加わった。

「前提だ。権力と武力を持つ王が数人の過ちによって斃されることはないという前提が事実ならば正しい。そしてそれは全くの誤りなのだ」

「そんなことが……」

「可能なのだよ」

王は力強く言った。

「たった一人でも可能なのだ。知識。技術。道具。それらも要は力の一種だ。たった一人で、短時間で、容易に、都市や国家を滅ぼす力は存在するのだ。私もいくつか所有している。一つの魔法で王国軍を壊滅させたという噂は事実だ」

その言葉に彼の目が大きく見開かれた。

「私はそれらの存在も使用法も秘匿してきた。自らと民全てを守るためだ。無論、私がそれらを悪用する可能性はゼロではないだろう。だが、私は数百年間そんな考えを持ったことはない。お前の言うように全ての民とそれらを共有した場合、世界はどれだけ平和でいられる?」

彼は言葉を返せなかった。

「お前が想像している力は非常に低次元のものだ。伝言の魔法を皆が使えるようになる程度に考えているのだろう?だからこそ知識を皆で共有すべきだと?それなら私も独占しようなどと思わん。だが、お前の知識は別の知識と組み合わせることで極めて危険なものになる」

「別の知識……ですか?」

彼はそれを想像しようと試みているようだ。

しかし、王はそれを待たない。

「詳しくは言えん。だが、大量の種族を殺せる武器がいくつも誕生すると断言する。その武器を皆が所有する世界がお前の望みか?」

神々が警告するかのように雷が鳴った。

雨音も彼の返答を遮ろうとするかのように激しく鳴る。

「人間は……」

彼はか細い声で言った。

「人間は知恵の実を持つ資格がないということでしょうか?」

「そうは思わん。今はまだ幼いというだけだ」

王の声が少し穏やかになった。

「奴隷制度を撤廃したように人間も少しずつ理性を獲得している。いずれは武力による争いなど完全にやめるかもしれないが、今はまだ時期尚早だ」

「……百年、いえ、千年経てば人間は理性的になるでしょうか?」

「かもしれん。私が確認しよう」

彼は王が不死であることを思い出した。

「若い錬金術師よ、私は戦いを一切起こさないなどと約束しない。自分の民に危険が迫れば兵を動かすだろう。誰かが強力な武器を生み出せば、使用しないという可能性にかけて民の生殺与奪の権利を渡すことはしない。その武器を防ぐ方法を見つけるか、それができないなら奪取または破壊する。善でも悪でもなく、王の務めとして。しかし……」

王は少しの間を空ける。

「お前が協力してくれるなら危険な武器を防ぐ方法を編み出せるかもしれん。繰り返すが、私はすでに人間を滅ぼせる手段をいくつか所有している。お前に兵器開発をしてほしいのではない。戦いを回避する手段を得るために協力してほしいのだ」

「陛下、私は……」

流石はアインズ様、と傍に控えたルプスレギナは思った。英知と力を兼ね備えた絶対支配者にかかれば愚かな人間の信条を変えるなど容易いことだと。

しかし、神々はどうしてもこの結託を止めたいらしい。

コニールは再び発作を起こした。

 

 

ルプスレギナが廊下を歩いていると先のドアが開き、女が出てきた。

そこらを歩く町娘より化粧が濃く、服装も派手だ。

二人の目が合う。不可視化は使っていないのだ。

相手の顔には驚愕が貼りつき、それが剥がれると劣等感と嫉妬が残った。人間の中ではなかなかの美人だが、今は宝石を前にした道端の石と変わらない。相手はルプスレギナを避けるように歩き去った。

「研究は順調っすか?」

彼女はジェイの部屋に入ると酒と薬品、そして男独特の匂いを嗅ぐ。

強すぎる匂いに急いで鋭敏嗅覚の特技をカットするが、不快さは消えなかった。

「おお、美人の姉さん。久しぶりだな」

酒で顔を赤くしたジェイは言った。

ルプスレギナが解毒の魔法を使用すると顔の赤みが消える。

「どうなんすか、研究は?」

彼女は再び訊く。

「薬品も手術法もかなり改良できた。錬金術師が作った薬品の一つに患者を眠らせて痛みを消す効果があるとわかったんだ」

「おお、それはすごいっすね」

彼女は素直に驚いた。魔法による睡眠や麻痺などは痛みを感じるのでそれを薬品でどうにかできないかという研究だ。普通の実験体は好きなだけ痛がればいいが、コニールのような持病持ちはそれでは困る。

「燃えやすい薬品だから火気厳禁だが、すごい効き目だ。あと、あんたの部下たちも凄く役に立ってる」

「私のじゃないっすけどね」

彼女は訂正する。

デミウルゴスの提案により彼に治癒魔法を使えるモンスターを貸し出していた。囚人も無限にいるわけではないので薬や手術実験も本来なら回数が限られる。しかし、解毒と治癒魔法で死ぬ直前の個体を実験前の状態に戻すことで実験し放題になった。しかもそのモンスターたちは拷問官という職業のおかげで実験の助手をいくらか務めることができるというおまけ付きだ。拷問と治療は真逆にして近い存在らしい。

「心臓は治せそうっすか?」

「それはまだだ。時間をくれ」

彼は酒をグラスに注ぎながら言う。

「薬と冷却で一時的に心臓を止める方法がわかった。これも画期的な発見だ。時間との勝負だが、危なくなったら治癒魔法で戻すって前提ならやれる。ただ、問題は相手の心臓がどうなってるかだ。小さな穴が開いてる程度なら……おい」

グラスをルプスレギナに取り上げられ、彼は抗議した。

「今から例の人間を運んでくるから頼むっすよ」

「は?今から!?」

彼は目を剥いた。

「そうっす」

もはや時間はなかった。コニールという人間は会談中の発作で症状が一段と悪化している。構想を本に書けなどと言っていられない状態だ。一か八かで手術するしかない。

「もう少し待ってくれよ」

「何千回も練習したじゃないっすか?」

「そうだが……」

ジェイは少し躊躇して言った。

「失敗したら俺は消されるのか?あるいは、成功したらもう用済みってことになるのか?」

ルプスレギナは笑いを堪え切れなかった。

「はは、お馬鹿っすね。ここまで手間をかけて育てた人間を殺すと思うんすか?これからも私達のために知識と技術を磨き続けてもらうっす」

「本当か?それならいいんだが」

ジェイの目から不安が消えた。

「じゃあ、今から連れてくるからよろしくっす」

「待ってくれ!準備があるんだ。3時間くらい時間をくれ」

「1時間の間違いっすよね?」

「……ああ」

ジェイはうなだれた。

「ちゃんと仕事すればご褒美はあげるから元気出すっすよ」

床に転がった酒瓶を見ながら彼女はこの人間を励ます。よく知らないが食事も酒も娼婦もこの都市で最高のものを提供されているはずだ。知識欲だけで動くフールーダと違い、こういう飴を与えないとこの男は仕事が進まないらしい。

「褒美……」

ジェイはその言葉に反応した。

その視線がルプスレギナの美貌から肢体へ移動する。

「なあ……もし治せたらあんたに……あがああああ!」

彼は下あごを押さえながら地に伏した。押さえた手からボタボタと鮮血が滴っている。

「調子に乗りすぎっす」

武器を背中に戻しながらルプスレギナは言った。

身の程を知らないというのは実に面倒だと彼女は思う。酒の中毒は魔法で治せるので問題ないが、飴ばかり与えず鞭による支配に切り替えたほうがいいのでは。

あとでそう進言しようと彼女は決めた。

ルプスレギナが治癒魔法をかけて部屋から出た後、部屋で座り込んでいた男はよろよろと立ち上がり、誰にというわけでもなく呟く。

「あんな女が抱けたら死んでもいいぜ」

ジェイは手術室へ向かった。

そして目的の部屋へ入って数秒後、その部屋は爆音とともに吹き飛んだ。

 

 

「わけがわからないっすよ」

ルプスレギナは言った。

ジェイは爆発で死亡してしまった。もちろん蘇生できない。

念のために監視させていたシャドウデーモンの説明は要領を得なかった。ジェイが何もしていないのに部屋が爆発したというのだ。テロや関係者の裏切りの可能性もあり、徹底的に調査が行われている。

実はジェイが監視の目を欺くような手段で自殺したという線も考えたが、そういう兆候はなかった。褒美にも満足していたはずだ。

彼女は皆目見当がつかなかった。

「……部屋の薬品に火がついたんじゃないかな?」

話を聞いたコニールはベッドで寝たまま言った。

今まででもっとも弱弱しい声だ。

助かる唯一の可能性は少し前に爆発で吹き飛んだ。もはや望みはない。

なぜこの男に事の次第を話したかといえば、手術中止を伝えた際に男が爆死したと聞いてやけに興味を示したからだ。また、原因が専門的なものならルプスレギナには解決不可能という理由もある。

「火がつくものは持ってなかったらしいっすよ」

「火気厳禁の薬品を使うから気をつけていただろうね。それなら……」

彼は目を閉じる。

それから十秒ほど経って目を開けた。

「ああ、そうか。電気かも」

彼は呟いた。

「電気?」

「君も経験ないかな。雪の精が噛んだって僕のところでは表現するけど、寒い時に金属を触ると指先がバチッとなるやつだよ」

「ああ、あれっすか」

彼女もすぐ思い出す。ダメージはないが鬱陶しいやつだと。

「どういうわけか人間の体は僕が使う実験瓶のように電気を溜めることがあるんだ。服の素材やいろいろな条件で決まるんだけど、その状態で金属に触ると小さな火花が上がる。その死んじゃった人はガスのたまった部屋でそれが起きたんじゃないかな?」

「えーと、つまり……」

ルプスレギナは嫌な予感がしつつ結論を求めた。

「つまりね、その爆発は単なる事故だと思う」

「事故……っすか……」

未知の攻撃や魔法ではなく事故。

あれだけ時間と手間をかけた男が死亡した理由が事故。

そのくだらなさにルプスレギナは大きな徒労感を味わった。シャドウデーモンには万が一に備えてジェイの裏切りや逃亡、自殺も止めるように命じておいたが、運命の気まぐれまでは防げなかったということだ。

「今まで同じことが起きなかったのは数日前から急に冷えてきたからだろうね。今度からはその薬品の扱いに気をつけたほうがいい。部屋にガスがたまらないようにして、関係者は部屋に入る前にどこかへ触って電気を逃がすといいよ。役に立ったかな?」

「……まあ、うん、そうっすね」

原因不明のままになるよりマシかと彼女は思った。

これから注意すればいいことだ。

「ありがとっす」

彼はそれを聞いて少し笑うと胸を押さえる。

「ああ……そろそろ来るな」

「あー、そろそろっすか」

ルプスレギナもその意味はわかる。発作だ。

「今度こそアウトっすかね。じゃ、さよならー」

彼女は立ち上がった。

「帰るのかい?」

「アインズ様に協力する気がないし、もう助からないっすから」

手を左右にひらひらさせて部屋から出て行くルプスレギナ。

ドアが閉まる音がすると部屋にぽつんと病気の男が残った。

彼は天井をぼうっと見る。

再びドアが開いた。

「いやいや、『死にたくないからやっぱり吸血鬼にしてください!』って泣きついてくる所じゃないっすか?雰囲気的に」

「そんなことはしないよ」

彼はさらりと言った。

その様子にルプスレギナは「はあ」とため息を漏らし、先ほどまで座っていた椅子に戻った。

「帰らないのかい?」

「吸血鬼化する意思を最後まで確認するのが仕事っすから。ねえ、なんでそこまで拒否するか聞いてもいいっすか?宗教上の問題?」

彼女は訊く。

人間がアンデッドになることを嫌う理由はどれも馬鹿馬鹿しいものだ。この人間も人間の尊厳や神の教えなどという戯言を口にするのだろうかと思った。

「僕はそういうものを信じてない。ただ、母さんが神官だったんだ。信仰系魔法も少し使えた」

彼は天井を見ながら言った。

「え?自分は信じていないんすか?」

「ああ、信じてない。神の力を使うっていうけど、それが神だという証拠がない。なんらかの現象なのかもしれない」

ほほう、とルプスレギナは思う。

人間は神の加護を受けていると信じるほど馬鹿じゃないらしい。

「じゃあ、吸血鬼になっていいじゃないっすか?」

「僕個人はね。でもね……」

彼はルプスレギナを見る。

「母さんが死ぬ前に言ったんだ。『弱い体で生んでしまってごめん。善なる神を信じられないかもしれないけど、どうか信じて』と。そう願われたからそうする。理屈ではいないと思ってるけど」

「願われたから?」

彼女は訊く。

「そう。母さんが僕に何かを求めるなんてそれまで一度もなかった。僕に何度も治癒魔法をかけて、治らないからいつも謝ってたよ。僕に何かを願ったのはその時だけだ。だから願いを叶えたい」

「もういないんすよ?」

「君だったらどうする?」

彼は訊きかえした。

「自分を生んでくれた人がたった一つを願いをしたらどうする?」

それは質問という名の挑発だった。

「親という言い方は不遜っすけど」

ルプスレギナはそう前置きする。

「ええ、必ず願いを叶えるわ。聖母になれと願われてたらそうしてた」

「そのころころ変わる顔。どっちが本当の君なんだい?」

「いや、それ誤解っす」

彼女はまた切り替わる。

「たまに猫かぶってるって言われるけど、少し心外なんすよね」

彼女は自分の胸に手を当てる。

「これも私」

優雅で気品ある声。

「んで、これも私っす」

軽薄で陽気な声。

花のように笑う顔は死の穴に落ちてゆく男にも微笑をもたらした。

「最後にお願いがあるんだけど」

彼の額にじんわりと汗が浮かんできた。

発作が始まっているのだろう。

「何っすか?」

「僕の家、かなり散らかってるだろう。死ぬ前に片付けようと思ったけど、結局できなかった。もしよかったら……」

「いや、めんどいっす。死んでも嫌っすよ」

沈黙が生まれた。

「引き受けてくれるところじゃない?雰囲気的に」

「そんなことはしないっす」

彼が先ほど言った言葉を返すルプスレギナ。

「私はアインズ様と至高の御方々だけのメイド。だから、それ以外のためには働きたくないっす。死に際の頼みだから聞いてもらえると思ったんすか?そんなキャラじゃないっすよ」

「君らしいなあ。まあ、いいか」

彼がそう言うと本格的な発作が始まった。

ルプスレギナは吸血鬼化の意思を確認した。最後まで。

彼は拒否した。最後の最後まで。

 

 

世の中は何が起こるかわからねえ。もしものためにこの手紙を書いておく。読んでるのは美人の姉さんかい?だったら嬉しいねえ。あんたのおかげで夢のような体験をさせてもらった。人の道に外れたことだが、数百年分の医療実験をさせてもらったよ。しかも美味い飯や酒や女まで奢ってもらった。欲を言えばあんたも……やめておくか。地獄から連れ戻されそうだ。

最初、俺は貧しい連中のために手術を開発していたが、今じゃその気持ちもだんだん湧かなくなった。この贅沢な暮らしから抜け出せそうもない。これはあんた達の望みどおりの展開なんだろ?人の弱みがよくわかってるねえ。だが、俺は長く生きられないはずだ。こんな実験をしておいて長生きできるはずがねえ。神様がいるかは知らないが、世の中ってのは釣り合いが取れるようにできてる。そういう仕組みなのさ。悪いやつは必ず相応の目にあう。

なあ、命を見続けてきた俺から一つだけ言わせてもらえるか?あんたらは永遠に続く栄光を目指してるみたいだが、それは考えもんだぜ。どんな人間もいつか死ぬ。不死の種族だって滅びがある。国だってそうさ。世界の始まりから続いてるものなんていないだろ?命ってのは永遠を目指すものじゃないのさ。命ってのは―――

 

ルプスレギナはそこで解読用アイテムを仕舞った。

部屋に紅の光が踊り、焦げた匂いが広がる。

「どうかしましたか?」

若い男が訊いた。

「なんでもないっす。さあ、ここがあなたの新しい職場っすよ。あっ、これが食事も睡眠もなしで働けるマジックアイテムっす。高価だから失くしちゃ駄目っすよ?」

「わかりました」

男は緊張してそれを受け取った。

「ということは食事をしてはいけないのですか?」

「いや、そんなブラックな職場じゃないっすよ。成果さえ出せばここの人間に頼んでお酒や女の子も頼んでいいっす。ただし……」

そこで彼女は表情を変える。

「成果を必ず出すこと。情報の偽りや隠蔽があった時は……わかるわね?」

「は、はい!」

若き研究者は背骨を氷柱で貫かれたように感じ、この女性を絶対に怒らせてはならないと理解した。

 

 

誰かがこれを読んでいるということは僕は死んだのだろう。読んでいる相手はルプスレギナ・ベータ嬢だろうか?その可能性は低いと思うが、ここからは彼女が読んでいると思って書こう。

やあ。僕の家を掃除してくれている最中にこれを見つけてくれたならすごく嬉しい。僕は君たちに協力する気になれなかった。魔導国にはわかりやすい非道な振る舞いこそなかったが、勢力を拡大しようという意図がはっきりとある。たとえば帝国に頼まれたという形で行った王国軍への大量殺戮。あれはとても賢いね。帝国に責任を転嫁したうえで示威行為ができる。魔法の実験という目的もあったのかな。

魔導王の英知には感動したし、敬服もする。だけど、彼の意見は理屈こそ通っているが心が通ってない。人間が愚かゆえに知識を取り上げることを悲しんでいると思えなかった。むしろ人間にはそのまま愚かでいてほしいと思っているのではないだろうか。

君も人間に好ましい感情を持っていないと知っている。君は表情がころころ変わるが、その目には暗く禍々しいものが常にあった。しかし、希望もある。僕が陛下と会う直前に君が「偉大にして慈悲深き至高の御方」と言った時。あの時の目だ。あの時だけ君はどこまでも優しい目をしていた。

 

【挿絵表示】

 

あんな目ができるなら希望はある。君にそこまで思わせる魔導王にも。ルプスレギナ、君達の大事な人への想いをほんの少しだけ他人に分けてやってくれないか?無限の想いのほんの一部を。そうすれば世界はもっと善くなるだろう。世界に必要なのは力でも英知でもなく心だと僕は信じている。

僕の最後の願いを聞いてくれることを願いつつ、嘘を告白しよう。実は僕は思いついた構想や理論を本に書き残している。僕自身は覚えられるから不要だけど、研究を引き継がせたい人が現れるかもしれないからね。僕の机の一番下の引き出しを引き抜いて底の板を外してごらん。あっただろう?君達が知識を悪用しないことを切に願う。もしよければ僕の墓に花を飾ってくれ。

ここからは手紙を読んでいる相手が彼女でない場合のために書く。君は僕の後任の学者だろうか。それとも家の掃除を任された誰かか。この手紙に書いてある場所に彼らの求めている本がある。君がそれを使って研究しようとも彼らに渡そうとも君の自由だ。この手紙を見なかったことにしてもいい。僕はルプスレギナや魔導王にも世界をより善いところにする可能性はあると思うが、君がそう思わないならやめておけばいい。奇妙な決断を迫ってすまない。自分の心に従ってくれ。

 

 

コニールが息を引き取ってから1週間後、その家には新しい住人がやってきた。彼はそこで働く美人のメイドから家の中を案内され、以前の住人が使っていた装置をさっそくいじり始める。

メイドは家の外へ出ると庭へ移動した。

「反応はどうっすか?」

姿なき声がメイドに聞いた。

「装置にとても興味を抱いています。以前の研究者が残した資料はないかと聞かれましたが……」

「あー、それはないっすよ。書かせようといろいろ苦労したんすけどねー」

声に不快な感情がこもり、メイドは足を震わせる。

「あっ、あなたに怒ってるわけじゃないっすよ。で、あなたに興味を持ってる感じっすか?」

「は、はい。それなりに好意を持ってくれているかと」

メイドは元々そういう仕事をしていたので男を誘惑する自信はあった。服も普通よりやや露出が多い。

「それならOKっす」

声は機嫌が良くなった。

「好意を持たせるのはいいけど、すぐに抱かせたら駄目っすよ」

「はい。研究の成果を一刻も早く出すように誘導します」

「そうっす。そしたらあとはご自由に。子供作っても構わないっすから」

「はい……」

優秀な人材がほしいから。そして逃亡や裏切りの気配があった時に人質として使えるから。その2つが理由であることを彼女は知っている。自分の人生は彼らの計略のために使われるのだ。それでも彼女は仕事を引き受けた。報酬が破格だったこともあるが、あのまま娼婦として薬品臭い男やその同類に抱かれて金を貰うよりずっと希望のある人生になりそうだから。

「それじゃ、あとはよろしくっす」

「はい!あっ、お待ちください」

彼女は勇気を出して一つだけ質問した。

「ん?」

「ここで亡くなった御方ですが、お墓はどちらに?」

「そんなのないっすよ」

女はさらりと言った。

「珍しい病気だったから標本になったっす」

「標本……」

「それがどうかしたんすか?」

「……いいえ」

「もう用はないっすね。じゃ」

声と共にぼんやりした気配もなくなる。

彼女はその場に立ち続け、本当にあの女がいなくなったことを確信すると家に戻る。手紙に書かれていた所へ行き、机を調べるとその本はあった。

彼女は手紙と本を持って居間へ行く。

そして燃え盛る暖炉へそれらを投じた。


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