魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~    作:どるふべるぐ

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◑<半年以上ぶりの更新なので作者も前回までの細かい伏線とか覚えてない部分があるぽん。設定の矛盾とか描写がアレなところがあっても生暖かい目でスルーしてぽん。


僕とあなたの間に壁

 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 亜柊雫(あしゅうしずく)はその人生において、それなりの人数と男女の交際をしてきた。

 その「王子」や「プリンス」などと称されるほどの人並み外れた中性的な美貌、175センチの恵まれた八等身に似合うボーイッシュなスタイル、ノーブルな雰囲気は男女問わず魅了し、誰もが彼女との交際を望んだ。

 

 だが、ならば雫が恋多き女かというと、否と言わざるおえない。

 そもそも付き合った理由も多くは相手の熱意に根負けした結果であったりと、雫の方から交際を申し込んだ事は一度たりとてなかったのだ。

 

 いくら言葉を交わし、幾度身体を触れ合わせようとも、その心までは誰とも重ねない。雫にとって恋情とは向けられるだけのもの。拒みはしないが、さりとて返す事は無い。そんな真の意味で己に振り向かない雫に耐え切れず、やがて誰もが長続きせず別れていく。己の下から去り行く彼や彼女らを、雫は誰も引き止めなかった。悔いは無く、未練など抱かず、ただ「ああ、またか」と思う……それだけだ。

 

 だから雫は、恋多き女などではない。

 いや、むしろ──誰もを魅了し恋に落とす彼女こそが、本当の『恋』を知らなかったのだ。

 

 

 

羽二重奈々(シスター・ナナ)』に出逢う、その瞬間までは。

 

 

 

「どうしても、行くのかい?」

 

 マンションのベランダから差し込む夕日に照らされて、黄昏の色に染まる二人きりの空間。二人で半同棲生活をしている愛しい奈々の部屋で、雫は憂いを帯びた声で向かい合う恋人に問いかけた。

 

「はい。もちろんですよ雫」

 

 形の良い眉を曇らせる自分とは対照的に、その体付きと同様に柔らかな笑顔で答える奈々。

 普段ならばそれを見ただけで心が満たされる愛しい笑みも、今この時ばかりは雫を癒さなかった。むしろその聖女のような笑顔が苦悶に変わるかもしれない絶望(かのうせい)を思えば、胸が締め付けられてしまう。

 

「考え直す気は無いんだね?」

「はい。せっかくスイムスイムの方から連絡していたたけたのですから、これは私たちの考えに賛同して貰えるか、そのために話し合いたいという事だと思うんです」

「スイムスイムが、か……」

 

 スイムスイムから会いたいと連絡が来たのは、昨夜のことだった。

『話があるから明日の夜9時に王結寺に来てほしい』、そのメッセージを目にした時、ようやく自分達の考えに賛同する魔法少女が現れたのだと喜ぶ奈々とは裏腹に、雫の胸中は強い不安と不審を覚えていた。

 

 スイムスイム。

 雫の記憶において、彼女はいつもルーラの傍に家来のように控えている姿しかほぼ見たことがない。天使のように優しいシスターナナに対してすら高圧的な態度をとるいけ好かないルーラにこき使われているのに、不満に思っているのかそうでないのか淡々と従い、その感情の色に乏しい瞳の底で何を考えているか全く読めない、そんな得体の知れない魔法少女だった。

 加えて、ルーラが脱落する直前に行った大量のマジカルキャンディーの無償提供という不可解すぎる行動を考えれば、その後のルーラの脱落には彼女が関わっている可能性すらある。

 

 あるいは先日戦った森の音楽家クラムベリ──―あの度し難い戦闘狂のように、スイムスイムもまたキャンディーによる生存以外の目的で動いているのか……。

 いずれにせよ、危険だ。

 安易に関わっていい相手ではない。

 もしもスイムスイムの目的が危険な物であった場合、このキャンディーの奪い合いが更なるカオスとなるかもしれないのだから。

 

 けれど──

 

「お願いします雫。私の身を案じるあなたの気持ちは痛いほど分かります。けれど、それでもこの殺し合いを止めるための希望(かのうせい)があるのなら、私はそれに賭けてみたいのです」

「奈々……」

 

 自ら茨の道を行こうとする恋人を、雫は強く止める事ができなかった。

 

 その思いを語る声に、一片の迷いも無く。揺れ動く雫の瞳に向けられるのは、揺るがぬ強い意思の眼差し。そんな彼女の姿は、まさに今起こる悲劇を憂い、身を挺してでも止めようとする慈悲深い聖女のそれ──そう、『雫には』思えたから

 

『他の魔法少女などどうなってもいい。それで君が傷つくかもしれないなんて耐えられない』

 

 その言葉(おもい)が、どうしても口に出せない。

 他者を救おうとする奈々の思いに比べれば余りにも身勝手な己だけのエゴ。そのために彼女の尊い意思を止める事は、何よりも罪深いと思えたのだ。

 

「……分かったよ。奈々」

 

 ゆえに、雫は小さく息を吐きながら奈々の王結寺行きを許した。

 諦めではない。自分の独占欲交じりの浅ましい思いよりも、奈々の清らかな思いをこそ認めたがためだ。

 

「雫……ありがとうございます」

「奈々のためだ。君が茨の道を進むというのなら、私はそれを支えるだけさ」

 

 だがやはり危険が潜む事に変わりはなく、たとえスイムスイムとの和解が成ったとしても、クラムベリーやカラミティ・メアリといった絶対に分かり合えないだろう者たちがいずれ奈々の前に立ちはだかるだろう。

 ゆえに、己も共に征こう。

 

 君が躓きそうになったら、隣で支えよう。

 君を傷つけようとする者がいたら、前に出て戦おう。

 いつも傍らに。決して離れはしない。

 君に微笑んでほしいから。君が望むのなら、理想の『王子様』として振る舞ってみせる。

 

「奈々は私が守るよ。絶対にね」

「はいっ……守ってくださいね。雫」

 

 頬を鮮やかに染め感極まったように抱き着いてくる恋人を優しく受け止める雫。その脳裏にふと、かつて自身が言った台詞が蘇った。

 

 

 ──大切な人のためなら、魔法少女はどこまでも強くなれるんだ。

 

 

 それは、自分と同じように愛しい人のために強くなろうとする騎士へと送った言葉。

 ルーラ脱落後しばらく経った頃から彼女とは連絡が取れていないが、はたして無事なのだろうか……。

 

 愛しい人の温もりを感じながら、雫は姉弟子にして同好の士であるたった一人のモンスターフレンド──ラ・ピュセルへと暫し思いを馳せるのだった。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 ──小雪

 ──聞こえる? 

 ──聞こえていなくてもいいか……。しょせん、これは僕の独り言だ。

 ──これから僕はね、とても酷い事をするんだ。

 ──シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンを、殺すんだ。

 ──君に生きていてほしいから。クラムベリーを殺す前に、僕は死ぬわけにはいけないから。

 ──僕達にいつも優しくしてくれて、色々な事を教えてくれたあの二人を、僕は自分の目的のためだけに殺すんだよ。

 

 ──酷いだろ。醜いだろ。人間の……いや、清く正しく在るべき魔法少女のやることじゃないっていうのは……痛いほど分かってるさ。

 ──優しい君は、きっと悲しむよね。あの二人を殺す僕を……許さないよね。

 ──……うん。それでいいよ。

 ──正しい魔法少女なら、それでいいんだ。

 ──身勝手な理由で誰かを傷つける悪い魔法少女なんか、許しちゃいけない。

 

 ──でももし、私のせいだなんて君が思うのなら、それは違うよ。

 ──僕がこれから犯す罪も、悪も、君のためなんかじゃない。

 ──僕はただ僕のために、『君がいない世界なんて耐えられない』なんて度し難い我が儘で、望んで地獄に堕ちるんだ。

 

 

「それじゃ、いってくるよ……」

 

 答えが返ってくることのない独り言をそう終わらせて、僕は小雪が眠る冷たい病室から去る。振り返ること無く。ただ今宵の戦場へと向かう。

 

 そして彼女が入院する病院から西門前町へ着いた頃には、黄昏の空には夜の帳が下りて、赤い夕陽に代わって白い月が静かに王結寺の朽ちた姿を夜闇に浮かび上がらせていた。

 

 とうに打ち捨てられた荒れ寺には街灯の類は無く、いくつかある灯籠も明かりを灯すことなく闇の中に寂しく佇んでいる。常人なら足元を見る事すら覚束ないだろう暗い境内を、だが人ならざる夜目を持つ魔法少女へと変身した僕は淀みない足取りで進み、本堂へと辿り着く。

 そして本堂の扉を開けると──目に飛び込んできたのは、修道女を思わせる魔法少女の穏やかな微笑みだった。

 

「シスターナナ!?」

 

 目の前に確かに立つ、いるはずのない人物に驚きの声を上げてしまう。

 

 何故だ。作戦決行の時間はまだ先のはず。なのになんでこの人がいる? 

 まさか何かハプニングが? シスターナナがいるならウィンタープリズンはどこだ? 

 

 完全に想定外の遭遇にいくつもの思考が脳裏を駆け巡る。今にもパートナーであるウィンタープリズンがどこからか襲い掛かってくるのではと警戒し、顔を強張らせる僕の姿にシスターナナは──ぶほっと噴き出した。

 

 微笑を浮かべていた唇から盛大に空気が漏れ、続いて響くのはしてやったりという笑い声。普段の穏やかな表情とは真逆のおちゃらけた軽薄そうな笑顔に、僕は覚えがあった。

 

「いえーいドッキリ大成功~!」

「やったね~ユナ!」

 

 今まで隠れていたのか、どこからか飛んできた(文字通り)そっくり同じ笑顔を浮かべた三等身の天使──魔法少女ミナエルと陽気にハイタッチを交わすシスターナナ。──いや、

 

「もしかして、ユナエルか?」

 

 今だ半信半疑で問いかけると、シスターナナ──の姿をしたユナエルは、これ以上ないドヤ顔でどっしりとした胸を張った。

 

「そうだよー。でも最初は完全に騙されてたでしょ?」

「ああ。すっかり騙されたよ。……人間にも変身できたのか」

 

 ユナエルの魔法を見たのは二度目だが、最初に見た時に変身していたのはカラスだった。あの時も本物のカラスだと思って騙されたが、今目の前にいるシスターナナは頭では偽物だと分かっていても、やはり本物にしか思えないほど精巧な変身だ。

 とはいえ本人ならば絶対にやらないだろう、得意気になって踏ん反りがえった姿で色々と台無しになっているのだが……。

 

「それにしても大したものだな」

「でしょでしょー」

「ラ・ピュセルにも分からなかったならウィンタープリズンも騙せるね。ユナ」

「ウィンタープリズンを?」

「そうそう。今夜の作戦はウィンタープリズンを上手く騙せるかにかかってるらしいから、まずはあたし達の中で一番シスターナナと付き合いのあるアンタでテストしたってわけ」

 

 なるほどと思い、改めてシスターナナに変身したユナエルの姿をまじまじと見る。

 ふわりと緩くウェーブした髪も、修道服をモチーフとした露出の多い衣装も細かな細工までそのままだ。そして女性らしい包容力を感じさせる豊満なスタイルもまた……いや、これは

 

「……しいて言うなら、少し小さいかな」

「げっ、マジ?」

「えっ、どこが?」

「(……ハっ!?) っと……まあその張りというか重量感というか……っ……まあ全体的なバランス的な印象かなっ!!」

「なんかしどろもどろになってね?」

「目が泳いでるような気がするけど?」

「いや気のせいだから!」

 

 思わず口から出てしまった台詞がどの部分を指しているのか慌てて誤魔化す僕を、ピーキーエンジェルスの二人はしばし訝しげな眼で見ていたが、すぐに互いに顔を付き合わせての検討会を始める。

 

「小さいだってお姉ちゃん」

「でも言われてみれば確かにちょっと痩せてるかも」

「えーそうかなー。アタシ的にはこれがジャストサイズだと思うけど。──じゃ、こんなカンジでどう?」

「いやそれじゃ太過ぎだから!? ボンレスハムみたいになってるから!」

「案外こっちの方がウィンタープリズンの気を引けるかも」

「ないないこれで気が引けるとかどんなデブ専だっつーの」

 

 それは一見すれば軽口を叩き合っているだけのように見えるが、色々な意味でボリュームが増したシスターナナとなったユナエルの姿を、ミナエルが文字通りつま先から頭のてっぺんまで念入りに確認するその瞳は真剣そのもの。改善点があれば指摘し、互いに相談し合うその姿は、口調の軽さとは裏腹に全力で事に当たる者特有の緊張感すらも漂っていた。

 

「意外だな」

 

 そんな二人に、思わず声を漏らす。

 

「え、何が?」

「お前たちが思った以上に真面目にやってるというのが意外だった」

 

 正直、不真面目とはいかないまでも多少は遊び交じりなんだろうと思っていた。いつもおちゃらけている彼女らなら、この殺し合いもゲームの延長感覚で楽しんでいてもおかしくはない。そう考えていたのだ。

 そんな僕の考えを知った双子の天使は心外だと声を荒げて、

 

「シツレーな事言わないでよ!」

「言わないでよ!」

 

 甲高い抗議の声すらユニゾンさせ、言った。

 

「「わたしが頑張らないと「ユナエルが」「お姉ちゃんが」死んじゃうんだよ!!」

 

 互いを指さしながら叫んだその言葉に、頬を思い切り叩かれた気がした。

 物理ではない精神的な衝撃に言葉を無くす僕の前で、ピーキーエンジェルズは言う。

 

「そりゃドンパチは痛いし怖いし疲れるし正直かったるいけど──ユナが死ぬのはもっと嫌だし」

「私も生き残れたとしてもお姉ちゃんと一緒でなきゃ駄目だし」

「ていうか生まれてからずっと一緒なんだから、今さら一人きりになるなんて考えられない」

「というか考えたくない」

「ユナを守るためなら大統領だってぶん殴ってみせるよ」

「お姉ちゃんマジクール」

「だってユナのお姉ちゃんだもん」

「お姉ちゃんマジベストシスター」

 

 同じ朗らかな笑みを浮かべ、親愛の眼差しを向け合う双子たち。

 そこには一切の嘘も偽りも無く。

 目的のためならば他者を傷つける事など躊躇わない悪党なのだが、それは確かに互いを守ろうとする姉妹の姿だった。

 

「──すまない。今の言葉は忘れてくれ。……君たちを侮辱したことを謝るよ」

 

 僕は、頭を下げる。

 

「ふふんっ。分かればいーのよ」

「いーのよ」

 

 謝罪する僕にお揃いのドヤ顔で言って、ピーキーエンジェルズは再び変身の練習に戻った。

 スタイルや顔の作りが微妙に異なるシスターナナに何度も変身を繰り返し、互いに意見を交わして話し合う。仲睦まじく、だがハッとするほど真剣で、何としても二人で生き残ろうという意思が伝わるその姿に、改めて双子の絆の深さを感じていると

 

「ユナちゃんの変身は本当にすごいよね。私も全然わからなかったよ」

 

 不意にかけられた可愛らしい声に目を向ければ、何時の間にいたのか、たまが僕の隣に並んで大きな瞳に感心の色を浮かべ双子たちを眺めていた。

 

「もしかしてたまもやられたの?」

「うん。びっくりしてひっくり返っちゃった」

 

 なるほど。偽シスターナナとばったり鉢合わせして『うにぁっ!?』と悲鳴を上げる光景が目に浮かぶようだ。

 その時のことを思い出してか、柔らかな頬をほんのり赤くして恥ずかし気にテヘヘと苦笑いするたまだったが、

 ふと気遣わしげな表情で僕の顔を見つめ

 

「……その、大丈夫?」

 

 小さな眉を下げて、心配そうに聞いてきた。

 

「大丈夫って……僕がかい?」

「えっと、今日のラ・ピュセル。何だか顔が強ばって、ぴりぴりしてる……? ううん。無理してる……でもなくて……えっと、とにかく何だか苦しそうな気がしたから」

 

 たどたどしく、それでも一生懸命に思いを伝えようとするたま。

 自分の感じた事を上手く言葉にしようと頑張る、そんな彼女の姿に、僕はふっと笑みを漏らす。

 

「そうか。……うん。そうかもね」

 

 これから、戦いが待っている。

 魔法少女アニメのようなキラキラした勇ましい物ではない、どこまでも醜く血生臭い命のやり取り。紛れもない殺し合いが。

 ゆえにほどよい緊張感を持って臨もうとしていたが、どうやら自分が思っていた以上に張り詰めすぎていたらしい。

 

 それは、不味い。

 過度な緊張はかえって心を乱し、焦りを生む。そんな精神状態で勝てるほど、ヴェス・ウィンタープリズンは甘くない。

 

 だから僕はその場で目を閉じ、すぅ……っと深く息を吸い、吐く。

 色即是空。空即是色。心の中でお経の一節を唱えながら。

 いつもどうしても乱れる心を鎮めるためにそうしてきたように。これは余計な力を抜き、精神を整える一種のルーティーンのようなものだ。

 それを一通り終えれば、心なしか、ほんの少しだけ楽になれたような気がした。

 

「ありがとうたま。君の言う通り、少し張り詰めすぎていたみたいだ」

「それは仕方ないよ。だって……」

 

 漏れた言葉を最後まで言えずに、顔を曇らせ俯くたま。

 知っているのだろう。シスターナナ以外には割りと素っ気ない態度をとる事が多いウィンタープリズンが、僕とだけは比較的親密であることは、チャットルーム内のやり取りでも分かるだろうから。

 だからこそ、この小さな優しい魔法少女はこれから親しい人と戦う僕に気を使ってくれているのだ。

 

「……──ッ」

 

 そんなたまは何かを言おうとして、だが──堪えるようにそれを胸の奥へと飲み込み、開きかけた淡い唇をきゅっと引き締めた。

 かわりに俯いていた顔を上げ、僕の瞳をしかと見つめて

 

「私、頑張るから……っ!」

 

 そう、言った。

 小さなお尻でプルプル震えながらもピンと立った犬尻尾と、ハッとするほど真っすぐな眼差しで、その意志の強さを伝えながら。

 

 ……ああ、まったく。

 

 きっと、まだこの娘自身は他者を傷つける事に抵抗を抱いているんだろう。たとえ生き残るためでも、自分が、そして仲間達が誰かを犠牲にするのは、とても怖くて哀しい事だと誰よりも知っているから。

 

 だがそれでも、その全てを飲み込み背負って、たまは戦場(ここ)にいる。──大事な仲間を守り、共に生き残るために。

 

 僕を止めない優しさと、そして強さに、強張っていた口元に自然と微かな笑みが浮かぶ。張り詰めた胸に生じた温かさを感じながら、僕は、この臆病で、そして強い魔法少女の思いに応えた。

 

「うん。頑張ろう。一緒に」

 

 共に戦おうと。この血塗られた夜を、痛みと苦しみを共に分かち合おうと。

 目の前の魔法少女と同じ強い意志を以て、その瞳をしっかりと見つめながら。

 

「──そろそろ、時間」

 

 氷の海に吹く寒風のような、冷たくも澄んだ声。

 精神を統一していたのか、あるいは何か思索にふけっていたのか、それまで氷像のごとく静かに最奥で佇んでいた白い魔法少女──スイムスイムが、その赤紫の瞳で己が部下である僕達を見、告げる。

 

「もうすぐここに、シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンが来る」

 

 瞬間、走る緊張。堂内の空気が張り詰め、たまの細い喉が首輪越しにゴクリと音を鳴らす。

 ピーキーエンジェルスですらいつもの軽薄な笑みを消し、真剣な表情でスイムスイムの言葉を聞く。

 

「作戦は前に伝えたとおり。まずは……──」

 

 それぞれに顔を引き締める部下達に対して、昂らず緊張の色も見せず、ただ冷徹なまでに淡々と作戦事項を伝えるスイムスイム。

 だがその瞳の奥深くでは、迷い無く突き進む意思、屍を積み上げて夢見る高みへと至らんとする覚悟が静かに燃えていた。

 

 そんな彼女の声を聞く僕の身体が、ぶるりと震える。微かに、だが確かに。

 これは、武者震いか。それとも……──いいや、もう関係ない。

 皆は覚悟を決め、己が望みのために力を尽くし、その役割を果たそうとしているのだ。

 

 ならば僕もまた戦い、斃すのみ。

 

 決意を込めて握った拳が、低く獣のごとき唸りを上げた。

 

 

 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 嫌な場所だ。

 辿りついた王結寺の門前で、ヴェス・ウィンタープリズンは形の良い眉を微かに顰めた。

 周囲に民家は無く、街灯も遠く、人々の営みからはとうに捨て去られ、夜の闇だけが門の向こうに黒々とわだかまっているようなそこ。

 

 この不穏な不快感は、覚えがある。

 肌が粟立ち、背筋にぞくりと走るこの悪寒は、かつてリバイバル上映された伝説的Z級ゾンビ映画を初鑑賞すべく軽い気持ちで映画館に入ってしまった時と同じ──決して入ってはならない危険地帯に足を踏み入れる感覚だ。

 

 あの時に味わった苦痛と絶望は、今でも己の胸に癒えぬトラウマとして刻まれている。

 ゆえに今すぐ引き返すべきだ。そう告げる本能的な危機感に従いたくなるのを、だがウィンタープリズンは堪えた。

 自分がそう望んでも、隣を共に歩く最愛の人が、決してそれを望まないだろうから。

 

「ナナ。気を付けて。くれぐれも警戒を怠らないようにね」

「はい。心配してくれてありがとうございます。ウィンタープリズン」

 

 警告に、柔らかな笑みを浮かべ頷くシスターナナ。

 豊満な肢体を包む修道服と相まって、その姿はまさに聖なる戦いへと赴く慈悲深い聖女のよう。

 見惚れそうになって、だがハッと我に返り、ウィンタープリズンは気を引き締めなおした。同時に、愛しい人に見惚れることもままならない現状を苦々しく思いつつ

 

「もしスイムスイムが少しでも妙な動きを見せたら、すぐに逃げる。いいね?」

「そなことは起こらないと思いますが」

「念のためだよ、ナナ。君の他人を疑わない心は素晴らしいけど、それが仇となる相手もいるんだ。……またクラムベリーの時のようにならないとは限らないからね」

「クラムベリー……ですか」

 

 シスターナナの表情は曇り、澄んだ声は憂いを帯びてその名を呟く。

 異形の薔薇を纏う森の音楽家。妖艶な美貌に凄絶な笑みを浮かべ、肉弾戦においては名深市の全魔法少女中トップクラスと自負する自分と互角に殴り合う──度し難い戦闘狂。

 

 呼びだした自分達に騙し打ち同然に襲い掛かり、なにより殺し合いを止め平和を望むシスターナナの理想を『くだらない』と言い捨てた事は、いま思い出すだけでも(はらわた)が煮えくり返るようだ。

 

「あの時は残念な結果に終わりましたが、叶うのならあの方とももう一度話をして分かり合えたらいいのですけれど……」

 

 悲し気に言う彼女を抱きしめ慰めてあげたくなるのをぐっと堪えて、歩みを進める。

 そして遂に、二人は本堂の障子戸の前へと辿りついた。

 その奥から感じる、濃密な気配。どんな獣よりも強く、常人とは比べ物にならない魔法少女特有の存在感に首の裏がひりつくのを感じながら、二人は戸を開き──足を踏み入れた。

 

 はたして燭台の明かりにぼんやりと照らされた薄暗い堂の中に──スイムスイムはいた。朽ちて所々が破れた御簾を背に、相も変わらず心中の読めない茫洋とした瞳をこちらに向けて無言で佇む白い魔法少女。その不気味な様子に警戒を崩さないウィンタープリズンとは対照的に、シスターナナは一片の疑念も抱かない無い柔らかな笑みのまま、スイムスイムの下へと近づいていく。

 

「お邪魔します。お久しぶりですスイムスイム。先日はキャンディの贈り物をありがとうございました」

 

 そう感謝の言葉と共に足を進めていくあまりにも無防備な姿に、さすがに引き留めるべきかと思ったその瞬間、静かに閉じられていたスイムスイムの唇が僅かに開き──凄まじい悪寒が背筋を貫いた。

 

「ッ……止まれ! スイムスイム!!」

 

 何か、途轍もなく嫌な事が起こる。そんな予感に咄嗟に前に出、シスターナナの盾となるようにスイムスイムの前に立ちはだるウィンタープリズン。だが

 

 

 

GО(ごー)

 

 

 

 守るためとはいえシスターナナから一瞬でも視線を外したそれが──致命的な失敗であった事を、背後から響いた何かがぶつかり床に倒れる音と短い悲鳴で知る事となる。

 

「ナナ!?」

 

 何事かと振り向いたウィンタープリズンの瞳が驚愕に見開かれる。その瞳に飛び込んできたのは、豊かな肢体を床に倒し──重なり合う二人のシスターナナの姿。

 十字の浮かんだ瞳を驚きと困惑で揺らすシスターナナ。そしてその上に圧し掛かるのもシスターナナ。

 同じ顔。同じ衣装。同じ姿。

 

 ナナが二人!? 何だこれは……ッ。幻覚? 分裂? まさか何かの魔法にかけられて──ッ

 

「助けて! ウィンタープリズン!」

 

 困惑する思考。焦燥する感情。

 上にのし掛かっていた方のシスターナナが縋り付いてきても、混乱の極致にあるウィンタープリズンは咄嗟に抱き留めることもできない。

 心も、身体も、まるで渦潮に飲まれ水底へと引きずり込まれていくように、成す術もなくスイムスイムの策略に沈んでいき──激しい痛みが、乱れる思考を白く焼いた。

 

 胸元に生じた、悍ましい異物感。硬く鋭い物に自らの肉を抉られ、押し広げられる感触。戦慄く唇が、灼熱にも似た激痛と共に喉他奥からせりあがってきた血を吐いた。

 

「か──はッ……ぁ……!?」

「ひ──っ!?」

 

 突然の惨劇に、押し倒されていた方のシスターナナが引き攣った悲鳴を漏らして口元を両手で覆う。一方、それをなした方のシスターナナは凶器のサバイバルナイフをウィンタープリズンの腹部から引き抜き、ニヤリと残酷な笑みを浮かべた。

 躊躇いや後悔など一片たりとも無いそれは、断じてウィンタープリズンの愛する心優しい彼女の笑みではない。

 

 つまりは──偽物か……! 。

 そう悟った瞬間、まるでトリックのタネを披露するかのように偽りのシスターナナと彼女が握っていたナイフが光に包まれ、子供ほどの背丈を持つ片翼の双子天使へと姿を変えた。

 

「「やったーやったーやったったー!」」

「うあああああああああああッッ!!」

 

 堂内に響く、楽しげに宙を舞いながらハイタッチを交わすピーキエンジェルスの歓声と、絶望に染まったシスターナナの悲鳴。

 愛する者のそれが痛みと驚愕に掻き乱されていた精神を引き締め、ウィンタープリズンに次の行動を決めさせた。

 

「そういうことか……逃げろ!」

 

『守らなければ』

 

 それは己が痛みよりも命よりも何よりも大事な信念(おもい)。ゆえにウィンタープリズンは『何もないところから壁を出せる』魔法を発動させ、丁度入り口の手前にへたり込んでいたシスターナナを出現させた石壁によって強引に外へと押し出した。

 

「きゃっ!?」

 

 突然の衝撃に、短い悲鳴を上げながら壁の向こう側へと姿を消した恋人に心の中で謝りながら──覚悟を決める。

 これでひとまずはシスターナナの無事は確保できたと思っていいだろう。彼女には前もって、もしもの時は自分に構うこと無く逃げてくれと伝えてある。

 ならばここからは、己が殿(しんがり)となってこいつらを相手にするのだ。絶対に彼女を追わせてはならない。追わせはしない。

 たとえこの命と引き換えにしようとも、彼女を害そうとする奴は全員──皆殺しだ。

 

 バチバチバチィッッッ!!

 

 文字通り血を吐きながら行った大出力の魔法の発動に、緑に輝く魔力を電流のごとく迸らせながら複数の壁が出現。凄まじい勢いで床からせり上がったそれらは宙にいた双子の天使を囲み、覆い、驚愕する双子を自分ごと重厚な檻として閉じ込めた。

 

 

 ◇ミナエル

 

 

「閉じ込められた!?」

 

 薄闇に閉ざされた内部で、互いに同じ顔を見合わせるピーキーエンジェルス。

 周りの壁は見るからに厚く隙間無く、可愛らしくデフォルメされた天使というその見た目に違わず非力な彼女達の筋力ではどうすることもできない。

 ハンマーかツルハシ……いや、いっそ自分がドリルにでも変身して壁を貫くか……ッ。姉のミナエルが焦る頭で思考を走らせたその時──

 

「──っ!? 逃げて……!」

 

 鋭い声とともに伸びてきた小さな掌に突き飛ばされた。

 一体何事かと妹へ目を向けた直後、切羽詰まった表情を浮かべたユナエルが──その顔面を黒いグローブに包まれた手に鷲掴みにされたのを見た。

 

 ヴェス・ウィンタープリズンだ。 

 小さな頭蓋を締め付ける全魔法少女中トップクラスの握力に、堪らず苦悶を浮かべるユナエル。だが石牢の主の手は決して緩まない。ギリギリと音が鳴ろうが容赦無く力を込めるその顔は、さながら修羅の如く。

 殺意に燃える瞳には、妹の絶望に染まった顔が映っていた。

 

「感謝する。お前が彼女の姿のままだったら……」

 

 その瞳を見た瞬間、全身から血の気が引き、ひっ、と引き攣った悲鳴を漏らしてしまう。

 初めて間近で浴びせられた、濃密な殺意。

 手が、足が、凍り付いたように動かない……ッ。

 

 いや、駄目。

 動け動け動け! 

 このままじゃユナエルが! 優奈が! 

 助けなきゃ。何でもいいどうにかして妹を助けなきゃいけないのにッ。なんで、私はッ──

 

「偽物だったとしても手出しできなかっただろう」

 

 心は動けと叫ぶのに、竦む身体が言うことを聞かない……ッ。

 ウィンタープリズンの腕に更なる力が──捕らえた罪人(えもの)を処刑すべく込められる。

 だが自分は何もできず、助けに動くことも叶わぬまま、一瞬後には妹の頭蓋が血飛沫を散らせて潰される──その直前、

 

 床板を突き破った白銀の鉄塊が、視界を覆い尽くした。

 

 

 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 その瞬間、ヴェス・ウィンタープリズンが咄嗟にユナエルを掴んでいた手を放し腕を引いたのは、全くの直感だった。

 根拠があったわけでも予測していた訳でも無い、ただゾクッと首筋に走った悪寒のままに行動し──それが巨大な刃に腕を切断されるという危機を寸前で回避する結果となったのは、やはりウィンタープリズンが並々ならぬ戦う魔法少女である証であった。

 

 だが、そんな彼女ですら──新たに現れた魔法少女を目にした瞬間、驚愕で全ての思考が停止した。

 

「なっ──!?」

 

 停止せざるを得なかった。

 何故ならそれは、床板を破壊し石の天蓋を穿ち抜いた巨大すぎる白銀の刃を──騎士の大剣をその手に握る彼女は、今この場にいるはずの無い存在なのだから……! 

 

「なんだと……ッ」

 

 目を見張り絶句すると同時に耳に届いたのは、小さく、だが不吉に鳴る、壁に亀裂が走る音。大剣によって内部から穿たれた石壁の檻が崩れ落ちようとする断末魔。

 ハッと我に返ったウィンタープリズンは素早くその場から飛び退き、直後、石牢は轟音と共に崩壊する。

 間一髪で脱出したウィンタープリズン。その見開かれた灰色の瞳の先に──破壊された壁の残骸の上で大剣を構える、魔法少女がいた。

 

 その姿を、ウィンタープリズンは知っている。

 

 黒く鋭い竜の双角を戴く亜麻色の髪。凛々しい騎士の鎧を纏う、艶やかで美しくも一切の無無く引き締まった肢体。

 

 ああ、知っている。今まで何度も見てきた。

 なにせシスターナナを除けば最も親しくしていたのだから。気の置けない姉弟子で、自分のただ一人の同好の士。誰よりも凛々しく理想の魔法少女になろうとしていた──竜の騎士。

 

 ああ、けれど。

 けれど、あの目は何だ? 

 あんな目を、彼女はしない。するはずがない。

 だってあれは、あれはあのカラミティ・メアリや森の音楽家クラムベリーと同じ──

 

「騙し討ちで斃せるのならと思っていたけど、やはりそんな小細工では討たれてくれないか……流石ですね。ウィンタープリズン」

 

 冷たく、剣呑で、底冷えのする──人でなしの瞳だ。

 

「やはりあなたを斃すなら──」

 

 豪! 

 

 凍り付いたような低い声に重なるは刃の唸り。振り下ろされ、自らを両断せんと迫る大剣をウィンタープリズンは半ば反射的に躱す。しかし振り下ろされた刃は床板を削りつつ跳ね上がり、間髪入れぬ斬り上げとなって再び襲い掛かった。

 

「僕がこの剣で、仕留めるしかなさそうだ」

 

 凄まじい速度で奔るそれを、咄嗟に身を捻ることで幾本かの髪が宙に舞うのと引き換えに何とか回避するも、その一太刀に込められた決して逃がさぬという殺意に背筋に冷たいものが走った。

 あと一瞬でも遅れていれば間違いなく胴体を斬りつけられていた。文字通りの間一髪。本気だ。本気でラ・ピュセルは、自分を殺そうとしている……ッ! 

 

「どういう事だ……君は……ッ」

 

 偽物ではない。

 続く横凪ぎを出現させた壁で防ぎながら目を向ければ、唯一変身能力を持つユナエルは殺される寸前だったショックから腰が抜けたのか、床で茫然としている。

 ならば幻覚かという半ば祈るような期待も、新たな一閃を受けた魔法の壁が激しく揺れる物理的衝撃が否定した。

 壁が砕ける。以前に組み手の延長で行ったラ・ピュセルとの模擬戦では砕かれるにしても二撃は耐えられた壁が、一撃で。

 

「くっ……ッ」

 

 壁を斬る隙に後ろへと飛び退き大剣の間合いから脱するも、顔にまで飛び散ってきた破片に顰めた目元に流れる冷たい汗。

 

 強くなっている。最後に会った時よりも確実に。

 最後に会った……──あの時の彼女は、決してこんな事をするような魔法少女ではなかった。

 清く正しく美しく、青臭いと思える理想像を真っすぐに語る、そんな魔法少女だった……ッ! 

 

「何故だラ・ピュセル! なぜ君がこんな事を……こいつらの味方をする!」

「問答は無用です」

 

 友だったはずの者に刃を向けられる困惑と動揺に堪らず叫んだ問いを、冷たく切り捨てるラ・ピュセル。

 その言葉と同じく容赦無き刃で、ウィンタープリズンが次々と出現させる壁を叩き割り、切り崩しながら

 

「一つだけ答えるのなら、ただ、僕の目的のために」

「目的……? ──ちっ!」

 

 更に問いかけたいが、迫る刃がそれを許さない。

 その歩みを止めるべく進路上に出した壁は両断され、ならばと横合いから斜めに飛び出させた壁もラ・ピュセルの身体を跳ね飛ばす前にフルスイングで叩きつけられた剣の腹で粉砕。

 そして驚くべきは背後を狙った壁への対処。彼女は振り返りもせず、太い尻尾を鞭のように振るい打ち払ったのだ。

 

 それは何度も組み手の相手をしてきたウィンタープリズンが一度も見たことの無い攻撃法。そして改めて観察すれば、その戦い方はかつてのラ・ピュセルが理想の騎士として考えた凛々しく見栄えのいい物ではなく、荒々しくもより実戦に特化したスタイルへと変貌しているのに気付く。

 

 一体、何があったというのだ? 何がラ・ピュセルをここまで変えた? 

 

 胸中を掻き乱すような困惑と焦り。

 大剣が閃く度に征く手を塞ぐ壁は斬り払われ、じりじりと、だが確実に彼我の距離を詰められていく。幸いにも狭い堂内で振り回す為かこれ以上刃を大きくは出来ないようだが、このままでは再び間合いに捕らえられるのも時間の問題か。

 ならば──ッ

 

 ガッ──ギギィッ……──! 

 

「なにっ……!」

 

 それまでの破砕音とは異なる鈍い衝突音と、硬い手ごたえに眉を顰めたラ・ピュセルの声。

 その大剣の刃は──二つに重なった壁にめり込んで止まっていた。

 二つの壁を重ね合わせるように同時に出現させた二重防壁。単純ながらも二倍の防御力は恐るべき大剣の斬撃を確かに受け止め、捕らえたのだ。

 すぐさま剣を引き抜こうとするラ・ピュセルだが、壁は主を守る役目を果たさんとばかりにがっちりと刃を咥え込み──結果、決定的な隙を作る。

 

 そしてこの好機を逃すほど、ヴェス・ウィンタープリズンという魔法少女は甘くない。

 

 刹那にも満たぬほどの間に精神を集中させ、大出力で魔法を発動。緑の魔力を迸らせ現れた壁が次々とせり上がり、ラ・ピュセルを取り囲む。それは先ほどと同じ光景に思えたが、完成した石牢をさらに覆うように新たなる壁群が出現。二重の壁が三重に、三重が四重に、四重が五重六重七重八重九重十重二十重……絶え間なく築かれる多重防壁が、竜の魔法少女をその堅牢なる内部に完全に閉じ込めたのだ。

 それはさながら、御伽話に語られる悪しきドラゴンを封じる牢獄か。

 

「……はっ……はぁっ、はあっ……がはッ」

 

 完成したそれを前に荒い息を吐くウィンタープリズン。

 その唇から、苦し気な呻きと共に僅かな鮮血が漏れる。

 腹部に深い傷を負いながらの魔法行使は、傷ついた肉体に大きな負担を強いたのだ。

 だが、この身を苛む痛みと疲労を癒すべく休息をとる暇などは、無い。

 

 なぜならば

 

「…………」

 

 まだ、終わっていない。

 自分とラ・ピュセルとの戦いを、底知れぬ深海のごとき瞳で静かに眺めていた白い魔法少女──スイムスイムが残っているのだから。

 

「…………」

 

 ピーキーエンジェルズは戦意喪失。ラ・ピュセルは封じられ、残るは自分一人となったというのに、その茫洋とした表情には、相変わらず何の感情も窺い知れない。

 焦りも、恐怖も、怒りすらも浮かべずに。その白魚のごとき細腕に握る槍とも薙刀ともつかぬ異形の凶器が、燭台の明かりに照らされて冷たく光るのみ。

 

 不気味だ。そして──危険だ。

 警鐘を鳴らす危機感が告げる。

 目の前の、この無機質な白を纏う魔法少女は、カラミティ・メアリや森の音楽家クラムベリーと同様に──いや、もしかしたらそれ以上に危うい存在かもしれぬのだと。

 

 すぐさま斃すべきだ。直感し、確信するも、

 

「……一つ、聞かせてもらおうか」

「なに?」

 

 殴りかかるよりもまず、問いかける。そうせずにはいられなかった。

 

「ラ・ピュセルは何故お前の味方をする? 私はあの娘とはそれなりの付き合いだが、決してお前のような奴の下に付く魔法少女ではなかった」

「それを聞いてどうするの?」

「とてもじゃないが本心から従っているとは信じられない。可能なら、彼女を説得し目を覚まさせる。言葉で駄目なら、この拳で」

 

 誤った道を征こうとしているのならば、殴りつけてでも止めてやるべきだ。

 なぜならばラ・ピュセルは、自分のたった一人の──

 

「モンスターフレンドだからな」

「もんすたー……?」

 

 決意を込めて、言った。

 あまり理解できなかったのか、小さく首を傾げたスイムスイムだったが、やがて──ぽつりと、問いに答えた。

 

「──騎士だから」

「なに……?」

 

 返されたそれは、だが不可解で。戸惑いの声を漏らしたウィンタープリズンへと、スイムスイムはさらに言葉を続ける。

 

「ラ・ピュセルは騎士。騎士はお姫様に仕えるものだから、ラ・ピュセルは私と一緒にいる」

 

 朗々と、淡々と、だがそれまでになかった確かな熱を声音に宿して。まるで御伽話の一節を諳んじるようなその語り。

 不可解で一方的。聞かせるつもりはあっても理解させる気は欠片も無い。

 

「やっと見つけた私の騎士。私だけの騎士。私に仕えて、忠誠を誓って、戦ってくれる。ラ・ピュセルがいれば、私はもっとお姫様になれる。──だから、あなたにはあげない。ラ・ピュセルは、わたしのもの」

 

 紡がれる声は静かに、だが水面の下で沸々と昂ぶり。光無き深海を思わせていたその瞳には、まるで夢見る幼子のように無垢な輝きが灯る。

 

 ぶわっと鳥肌が立つのを感じながら、ウィンタープリズンは悟った。

 

 こいつは、駄目だ。

 

 言葉を交わし合っていても、根本的な所で噛み合っていない。

 常識が違う。倫理観が違う。生きている世界がずれている。

 到底理解などできないし、こいつ自身もそれを求めてはいない。

 相互理解など不可能。言葉を交わしたことが間違いだった。

 ならばスイムスイムと対峙した場合の最適解はただ一つ、拳を以てその夢ごと全力で潰すのみ。

 

「……もういい。聞いた私が愚かだった。お前はナナに刃を向けたことを後悔しながら──死ね」

 

 あるいはスイムスイムが死ねば、ラ・ピュセルも目を覚ますかもしれない。

 

 一縷の望みを抱き拳を構えるウィンタープリズン。

 スイムスイムは、だがそれに対しても動かない。握る武器の切っ先すら上げず、静かに佇み眼前の魔法少女を見つめ、唇を開く。

 

「それは無理。あなたに私は殺せない」

「余裕のつもりか? ……舐めるな。確かに傷を負っている私は斃れるかもしれないが、それでもお前を道連れにする事はできる」

 

 侮られたと感じ声に怒りを滲ませるウィンタープリズンに、スイムスイムは小さく首を横に振り、答える。              

 はっきりと迷い無く。彼女にとっての自明の理を。

 

「絵本で何回も読んだ。テレビで何度も見たから知ってる。──お姫様のピンチは、騎士が必ず救ってくれるって」

 

 その言葉に応えるように、石壁の牢獄に『穴』が開いたのはほぼ同時であった。

 

「なっ!?」

 

 硬く堅牢なはずの石壁に生じた蟻の一穴ほどの小さな穴が、一瞬で広がり大穴となる。

 おそらくは牢獄の内部から深く穿たれただろうそれは、即ちそこに囚われていた者を解き放つ脱出口。

 絶対に逃がすものかと全霊を込めて造り上げたはずの牢獄の崩壊に目を見開いたウィンタープリズンの耳が、地獄の入り口めいた昏き穴よりやって来る騎士の声を聞いた。

 

 

 

「──ああ、そうだとも。僕は騎士だ」

 

 

 

 一切の迷い無き決断的な靴音を響かせ、一片の容赦も無い刃を握り──ラ・ピュセルが、再びウィンタープリズンの前へと姿を現した。

 

「僕がいる限り、()()は誰にも殺させない。殺そうとする者は誰であろうと全て──僕が殺す」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 シスターナナを除いて、ヴェス・ウィンタープリズンという魔法少女を最も知っているのはこの僕だろう。

 その力を、技を、そして愛を。

 だからピーキーエンジェルスの騙し討ちによって彼女を斃せるとは、元より思っていなかった。

 いかにユナエルの変身が完璧で、スイムスイムの謀略が悪辣でも、あの拳にはその全てを真っ向から打ち砕く強さがある。

 そう確信するがゆえに、僕はスイムにこう提案したのだ。

 

 

 ──僕は床下に潜み、万一に備えて待機していようと思う。

 ──それは何で? 

 ──ピーキーエンジェルスの騙し討ちで斃せたならそれでいい。だが、もしそれでもウィンタープリズンが生きていたのなら断言する。彼女は死ぬまでに必ず誰かを道連れにするぞ。

 ──なんでそう言い切れるの? 

 ──僕が一番、ウィンタープリズンを知っているからだ。

 ──……わかった。ラ・ピュセルはもしもの時のために床下に隠れていて。出てくるタイミングは任せる。

 ──感謝する。それと出来れば、彼女も一緒にしてくれないか。

 ──えっ、わ、私も!? 

 ──ああ、もし僕の不意討ちも失敗して正面からぶつからなければならなくなった時、君がきっとウィンタープリズンへの切り札になる。

 

 

 そして、それは正しかった。

 

「大丈夫? ラ・ピュセル」

「ああ。君のおかげだよ。──たま」

 

 僕に続いて穴から出て問いかけるたまに、僕は感謝の念を込めて答える。

 本当なら頭でも撫でてあげたいところだが、そんな余裕などこの状況には無い。故に、今だ渾身の牢獄を破られた衝撃に顔を強張らせるウィンタープリズンへと、剣を構える。

 

「たまのおかげ……だと?」

「……ウィンタープリズン。確かにあなたの魔法の壁は硬く分厚く、一枚ならともかく何枚も重ねられては傷つけることはできても打ち破る事は『僕には』無理でした」

 

 事実、先程の牢獄は僕の剣ではどうにもできなかった。

 幾重にも連なる石の壁。加えてその厚さも、硬度も、確実に以前のそれよりも上がってる。

 スターナナを守ろうとする思いが形を成したかのような堅牢極まるそれは、並みの魔法少女であれば小さな傷一つつけるだけで精一杯だろう。

 

「だけど、小さな傷一つでその全てを穿てる魔法少女がいるんですよ」

「それが、たまだと言うのか……?」

 

 俄かには信じられない。

 そう語る瞳を僕の傍らに立つたまへと向けるウィンタープリズンに、ああやはりかと納得する。

 なるほど、確かに色んな意味で際立つ個性が多かったルーラチームの中で、引っ込み思案の彼女は弱く頼りない存在だと思っていたのかもしれない。それこそ無意識に脅威対象から外し、姿を見せないことを気にも止めなかったほどに。

 

 だがウィンタープリズン、あなたは知らなかった。

 かつてならともかく、今この場で緊張に顔を強張らせながらも決して臆することなく立ち向かうこの子は──

 

「たまは、あなたが思うよりずっと強くて正しい魔法少女ですよ」

 

 それこそ、僕なんかよりずっとね。

 

 あの夜たまへと送った言葉を、今度はウィンタープリズンへと叩きつけながら、柄を握る手に力を込める。

 

 状況は整った。不意討ちこそ逃したものの、結果としてウィンタープリズンとシスターナナを分断し、誰も欠けること無く多対一でウィンタープリズンを包囲している。

 

 だが、かといって安堵も油断も出来ない。できるはずがない。

 たとえ手負いといえど、相手はあのヴェス・ウィンタープリズン。

 カラミティ・メアリ、そして森の音楽家クラムベリーと正面から渡り合い生き延びた名深市最強の一角が──この程度の窮地で容易く墜ちるはずなどないのだから。

 

「……あらためて、聞かせてくれないか?」

 

 渦巻く闘気。引き絞られた弓矢の如く張り詰める空気を、彼女の唇が静かに揺らす。

 

「ラ・ピュセル、君がここでスイムスイムの側に立ち、剣を向けるのは本当に君の意思なのか?」

 

 問いながら、揺れる栗色の髪の隙間から見詰めてくる灰色の瞳。

 真摯な眼差しが、真っすぐに語り掛ける。

 

「もしそうでないのなら、力になろう。事情があるのなら話してくれ。たとえそれがどんなものだろうと絶対に、私がスイムスイムから君を解放してやる」

 

 きっとまだ、この人は僕を引き戻そうとしている。

 かつての理想を棄て、どうしようもなく正しい魔法少女から外れたこんな僕を今だ信じ、

 その手を伸ばしてくれているんだ。

 

「……ありがとうございます。──でも、それは違いますよ。ウィンタープリズン」

 

 そんな彼女の気高い想いに、だからこそはっきりと告げる。

 躊躇も躊躇いも無く、その友情を切り捨てるのが──かつてのモンスターフレンドへのせめてもの誠意だから。

 

「誰でもない、僕は僕の判断でここにいます。そしてただ己の目的のために、剣を執っているんです」

「……ッ。スノーホワイトは──」

「スノーホワイトは何も知りませんよ。これはあくまで僕一人の行動ですからね」

「スノーホワイトを、捨てるという事か……」

「……似たようなものですね。少なくとももう、あの子の隣は僕の居場所じゃない」

 

 漏れるのは、凍り付いたように冷たく乾いた声。淡々と語る僕の唇が、自嘲の笑みに歪む。

 

 ああ、そうだ。僕はもうあの子の隣には戻れない。

 この手を自ら血で汚し罪に穢れたこの僕が、無垢で綺麗なスノーホワイトと共にいる資格などあるはずが無いのだから。

 

「問答は終わりです。これ以上はいくら問いを重ねようと、答えは決まっている」

 

 僕はもう、日向の道は歩けない。

 僕が征くのは──

 

「僕は()()で、僕の意思で──あなたを殺します。ヴェス・ウィンタープリズン」

 

 かつての友すらも手にかける、地獄の道なのだ。

 

「そう……か……」

 

 僕の決意、その全てを聞き終えたウィンタープリズンはぎゅっと瞼を閉じ──刹那、カッと見開いた瞳は失望と怒りの炎に燃えていた。

 

 バチバチバチィッッッ!!

 

「残念だ……ッ」

 

 震える声。炸裂する魔力のスパーク。呼気すらも熱く煮え滾るような怒気が、総身から迸る。

 

「君のことは友達だと思っていた。本当に、そう思っていたんだ。たとえこんな狂った状況の中でも、君だけは私達の味方だと──信じていたんだ」

 

 ……そうですね。こうなる前の僕もそう思っていた。

 この誰もが騙し合うような殺し合いの中でも、あなただけは敵にならないと思っていましたよ。

 

「だが私の──何よりもナナの敵となるのなら、容赦はしない」

 

 容赦なんてしないでください。許さず、哀れまず、怒りのままに殺しに来てください。

 

「かつて友だった者として、せめて私の手で──君を斃す。ラ・ピュセル」

 

 愛しい人を守るために、正しい魔法少女として悪い魔法少女に立ち向かう。

 あなたはそれでいいんですよ。ヴェス・ウィンタープリズン。

 

 そして僕らは互いに剣を、拳を振りかぶる。

 言葉は交わした。意思はぶつけ合った。故に最後は、互いの武を以て決着させるべく。

 僕とウィンタープリズンが同時に一歩を踏み出そうとした──瞬間

 

 VROOOOOOOМ!!!! 

 

 轟音と共に障子戸を外側から粉砕し、鋼鉄の塊が僕達を遮るように襲来した。

 

「「「「「「ッ!?」」」」」」

 

 六人の魔法少女の驚愕の声をもかき消す甲高いエンジン音。障子戸を突き破り中空に躍り出た重厚な車体。眼光の如く爛々と光るヘッドライトが、何事かと目を見張る僕達を照らし出す。

 

 互に相手を斃すために意識を集中させていた故に全く予期せぬ異常事態に誰もが唖然とし、硬直。

 僕もまた突然の襲撃に思考が一瞬停止し──だが、現れた大型バイクの乗り手が構えた銃口を目にした瞬間全力で叫んだ。

 

「避けろおおおおおおおおおお!!」

 

 BAAAAAAAAAANG!! 

 

 瞬間、暴雨のごとき銃声が轟きマズルフラッシュが炸裂。両手のサブマシンガンが吐き出す幾つもの弾丸が押し寄せてきた。

 大気を裂き獲物を穿たんと迫るそれが纏うのは紛れもない魔力の燐光。通常ならば掠り傷すらも付けられぬはずの鉛の礫が魔法少女を殺せる兵器となった証! 

 

「くっ──!」

「わっ!?」

 

 咄嗟に剣を巨大化させ、近くにいたスイムスイムの腕を掴み、強引に引き寄せる。

 驚きの声を漏らすスイムスイムを抱き締めるように腕の中に収めた瞬間、盾にした刀身に鉛玉の暴雨が着弾した。

 

 ガガガガガッ──連続する着弾音と衝撃で激しく震える大剣。ともすれば弾き飛ばされかねない刀身を全力で支え、僕は柄を握る手をギリリと唸らせ耐え続ける。

 そうして何分か、いや、もしかしたらほんの数十秒か。とにかく絶え間ない衝撃に僕の手が痺れた始めた頃、不意にカチッと響いた弾切れらしき乾いた音とともに、ようやく破壊の暴雨は途切れた。

 

「はぁッ……はッ……怪我はないか? スイムスイム」

「大丈夫。ラ・ピュセルは?」

「なんとか無傷だよ。たま達は……──」

 

 腕の中でこくりと頷くスイムに安堵しつつ、仲間の安否を確かめるべく周囲に素早く目をやる。

 

 たまは……──いた。

 おそらくは発砲の瞬間、咄嗟に床に穴を掘り身を隠したのだろう。床に空いた穴の縁(ふち)から、恐る恐る顔を出した彼女と目が合った。

 見たところ怪我は無い様だ。良かった。

 

 残るピーキーエンジェルズは……──ッ。

 

 

 彼女たちがいたのは、大型バイクのすぐ近くだった。

 それはすなわち至近距離で発砲されたという事だが、幸いにも姉のミナエルは三等身の小さな身体ゆえか被弾せず無傷のようだ。だが、妹のユナエルは

 

「い、たいぃ……ッ……痛いよおお!!」

「ユナ!? ユナ──!!」

 

 痛々しい悲鳴を上げながら床に倒れる彼女の右足には、血を噴き出す弾痕が。

 経験したことのない痛みと恐怖に十字の浮かんだ瞳から涙を流して苦しみ悶える度、どくどくと傷口から血が溢れ衣装を赤黒く染めていく。

 そんな妹の姿に顔を真っ青にした姉が必死に傷口を両手で押さえて止血しようとするも、細く小さな指の間から血が流れ、止まらない……ッ。──まずいッ。

 

 僕は反射的に駆け寄ろうとし──その瞬間、首の裏がヒリつく程の危機感に咄嗟に顔を引く。直後、銃声が鳴り弾丸が鼻先を掠めた。

 まさに間一髪。少しでもタイミングが遅ければ、飛び散っていたのは数本の前髪ではなく僕の脳髄だっただろう。

 

 

 

「──へえ。案外良い勘してるじゃないか」

 

 

 

 避けなければ死んでいた。そう戦慄する僕の耳に届く──茶化すような女の声。

 

 艶やかにして退廃的。澄んではいるが、どこか肉食獣の唸り声を思わせる危険な響きを孕むその声音。

 僕とウィンタープリズンが雌雄を決する場に突然に現れ、弾丸によって何もかもを滅茶苦茶にした暴力の化身。ハリウッド映画に出てくるような大型バイクに悠然と跨り、不遜な笑みでこの場の魔法少女達を見下ろすガンマンの魔法少女は

 

「直接顔を会わせるのは初めてになるか。あんたを仕留め損ねたのはこれで二度目だねえラ・ピュセル」

「──カラミティ・メアリ」

 

 名深市で最も危険な存在の一人。

《災害》をその名に冠する魔法少女が、そこにいた。

 

「カラミティ・メアリ……?」

 

 腕の中のスイムスイムがぴくりと反応し、声を漏らす。

 おそらくは僕などよりよほど策士である彼女ですら、想定外の人物の登場に対して細い眉をほんの僅かに寄せていた。

 それほどの異常で、危険な状況なのだ。この魔法少女と対峙するという事は。

 ゆえに油断無く、最大限に警戒しつつ、問う。

 

「何をしに来た?」

「オモチャを持って遊びに来たように見えるのかい?」

 

 そんな僕をおちょくるように、軽い口調で返すメアリ。

 一瞬怒りが湧きそうになるも、抑える。駄目だ。冷静になれ。少なくともこいつを前にキレるのは危険すぎると、本能が警鐘を鳴らしているのだ。

 

「まあ、そう大した違いは無いか。今夜はあんたらをパーティーに誘いに来たんだよ」

「パーティーだと……?」

「ああ。あんたがマジカロイドを殺した礼にね。ラ・ピュセル」

「……ッ」

 

 マジカロイド。

 その名を聞いた瞬間、脳裏に蘇る血だまりの光景。

 

 何故、それを知っている?  

 

「……マジカロイドが死んだのは事故だとファブが言っていたはずだが」

「とぼけるんじゃないよ。処女(おぼこ)ぶってても、あんたがそうでない事くらいは目を見れば分かるさ。あたしと同じくそったれの目を見ればね」

 

 そう確信をもって断言するメアリのそれは──どろりと濁った人殺しの目。鏡を覗けば見る瞳と同じもの。

 

「……つまり、敵討ちというわけか? お前たちが仲間だったとは初耳だが」

「ハッ、そんな殊勝なもんじゃないさ。ああ別に恨んでるわけでもない。ただ──あたしの身内に手を出したってことは、あたしを舐めたって事だろ?」

 

 そう獣が牙を剥くような笑みを浮かべた瞬間、獰猛な殺意が全身に叩きつけられた。

 背筋が凍り、鳥肌がぶわりと全身を覆い尽くす。

 ひっ、という引き攣った小さな悲鳴はたまの物だろうか。メアリが放ったそれはただの余波ですらも浴びれば恐怖を禁じ得ない、まさに埒外の荒々しさで

 

「ああまったく──最ッ高にイライラさせてくれるじゃないか……!

 

 危機感が絶叫し鼓動すらも慄くこの殺意は、覚えがある。

 クラムベリーのように理性を以て完全に制御されたそれとも、スイムスイムの冷徹に研ぎ澄ませたものとも異なる、荒ぶる衝動と感情のままに暴れ狂う獣の殺意──クラムベリーとの特訓の最後に感じたあれは、こいつだったのか……! 

 

「だからあんたに──いや、あたしをムカつかせた奴ら全員のためのパーティーを用意してやるんだよ。カラミティ・メアリを舐めた報いを味わわせてやるための、とっておきのね」

「それを知って僕がわざわざ行くと思うか?」

「来るに決まってるだろ。──こうすればねえッ!」

 

 言うと同時、ウェスタン風の衣装のスカートから伸びる脚がヒュッと風を切り、ウェスタンブーツの爪先がちょうど足下で撃たれた妹にすがり付いていたミナエルの顔面を直撃した。

 余りにも突然で容赦の無い一撃に、鼻がひしゃげる鈍い音と共にサッカーボールのごとく蹴り飛ばされるミナエル。

 

「っおねえちゃ──ひぎぃッ!?

 

 そしてべっとりと鼻血を付けたブーツの底が、残された妹の側頭部を間髪入れず踏みつける。

 

「ユナエル、ミナエル!? ──メアリお前ッ!!」

「おっとカッカするのはいいけど、あんたがその大層な剣を振る前にあたしがコイツの頭を踏み潰すよ」

 

 思わず斬りかかろうとした僕に見せ付けるように、脚に力を込めるカラミティ・メアリ。頭蓋骨が軋む音が聞こえそうなほど強く、その上こめかみをぐりぐりとやる残酷な踏みつけにミナエルの悲痛な絶叫が響いた。

 

「ひぎッ……いだっ、やめてえぇぇ痛いいいッ!!」

「ははっ、なんなら小さなおつむがド派手に飛び散るのを皆で見物するかい? それが嫌なら大人しくするんだね。オーケー?」

「……くっ」

 

 振り上げようとした剣を下げる。そうしなければ、きっとコイツは言葉を通りに笑いながらユナエルを踏み殺すと分かったから。

 それは他の魔法少女も同じらしく、反射的に飛び出そうとしたたまも、静かにルーラを構え直そうとしたスイムもその動きを止めた。止めざるを得なかった。

 

 彼女を除いては。

 

「──それがどうした」

 

 ヴェス・ウィンタープリズン。揺るがぬ闘志を示すかの如く緑のスパークを放つ彼女の前に転がる大小の破片は、弾丸を防ぐのに使った壁の残骸か。

 

「あんたも久々だねえウィンタープリズン。まさかマジカロイドを殺した奴の所にカチコミに来たらあんたまで居るとはね。まああんたにも誘いをかけるつもりだったから手間が省けたよ」

「そうか。私もまた手間が省けたよ。お前とはいずれ決着をつけなければと思っていた」

「へえ。気が合うじゃないか」

「だからお前がそいつを人質に取ろうが私には関係無い。どの道ナナのためにこの場の全員殺し尽くすつもりだからな」

 

 地獄から響くような低い声で語る鏖殺の意思。

 殺意に燃える瞳は、カラミティ・メアリを新たな獲物として捉えている。

 今にも暴れ出しそうな鬼気迫るその姿は──非常に不味い。カラミティ・メアリに逆らえば、ユナエルが殺されるのだ。

 流石に止めなければと僕が動こうとした直前、その危機的状況を変えたのは誰であろうカラミティ・メアリ自身だった。

 

「だろうねえ。──だからあんたにはピッタリの人質を用意してある」

「それはどういう──ッ!?」

 

 嘲笑うような笑みでかけられた不穏な台詞。訝しげに問いかけたウィンタープリズンの瞳が、カラミティ・メアリがどこからか取り出した小振りの布袋から引きずり出した物を目にし、驚愕に見開かれる。

 

「ナナ!?」

 

 どう見ても納まるはずは無い大きさであるのに、袋の口からずるりと出されたのは修道女を思わせる魔法少女──ウィンタープリズンが逃がしたはずのシスターナナだ。

 

「ここへ来る途中で見つけてねえ。ありがたく手土産にさせてもらったよ」

 

 シスターナナはロープで拘束され、幾重もの縄が豊満な肢体に食い込み、その動きを封じている。恐怖の叫びか助けを求めているのか、震える瞳に涙を浮かべ声を上げているが、猿轡がかけられた口からはくぐもった呻き声しか漏らせない。その悲惨な様が、より一層彼女の窮地を物語っていた。

 

「というわけであんたも大人しくしてな。まあ、恋人の頭の中のお花畑がどんな色してるかどうしても知りたいってんなら構わないけどさ」

 

 囚われた恋人の姿に堪らず助け出そうとしたウィンタープリズンだったが、怯えるシスターナナの頭に見せつけるように向けられた銃口に、寸での所で動きを止めた。

 最も、肉体の方は自制できたとしてもその感情は抑え切れぬらしく、ギリギリと震える拳を握り締め凄まじい形相でカラミティ・メアリを睨みつけている。

 

「ぐっ……くぅぅ……殺してやるぞッ……カラミティ・メアリ……ッ!!」

「ははっ。良い面だねえ。いつもは澄ましたあんたのそんな顔が拝めただけでも、わざわざ来たかいがあったよ」

 

 そんな彼女の憤怒ですらも嘲笑い、カラミティ・メアリは二人の人質の身体を無造作に掴むと袋の中へと詰め込む。

 人間二人を軽々と持ち上げるその腕力は、魔法少女とはいえ凄まじい。銃の腕だけではない、こいつは筋力においても突出した魔法少女なのか。

 

 そしてカラミティ・メアリは、その一部始終を最後まで眺める事しかできなかった僕達へとこう告げたのだ。

 

「こいつらを取り戻したけりゃリップルを連れてきな」

「リップルを……?」

 

 急に出てきた思わぬ名前。困惑する僕に、解放のための更なる取引内容が語られる。

 

「ラ・ピュセルとウィンタープリズンとリップルの三人であたしが指定する場所に来な。そこでリップルと引き換えにこいつらを返してやるよ」

「つまり、リップルをお前に売れっていう事か……」

「嫌なら別に断ればいい。かわりに死体を二つ送り付けるだけだからねえ」

 

 軽い調子で語られたそれが嘘でない事は、もはや問うまでも無い。こいつはやる。笑いながら一切の躊躇無くユナエルとシスターナナを殺す。カラミティ・メアリとはそういう魔法少女だ。

 

 ここまでの非道でそれを痛感させられたからこそ、僕達は決して断れない。

 僕も、ウィンタープリズンも、ただ歯をくいしばり拳を握って、仲間のためにその悪魔の取引に頷くしかないのだ……ッ。

 

「じゃあそういうわけで、リップルの奴を捕まえたら連絡しな。その時に改めて引き渡しの場所と時間を教えてやるよ。くれぐれも遅れるんじゃないよ。そうなったら死体を引き取る羽目になっちまうからねえ!」

 

 そう愉快げに笑いながら、カラミティ・メアリは大型バイクのアクセルを握り急発進。ターンし、甲高いエンジン音を轟かせながらこちらに背を向け夜闇の向こうへと走り去っていく。

 

「やだ……駄目っ…行かないで…ユナを連れてかないでよ……ッ!」

 

 ユナエルとシスターナナを閉じ込めた袋と共に。

 

「ユナああああああああ!!」

 

 最愛の妹と引き裂かれた姉の悲痛な叫びを耳にしながら──僕たちはそれを、ただ見送る事しかできなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。半年以上ぶりの更新と相成りました作者です。
これまでの間はあーでもないこーでもないと悩みつつ執筆してたらこんなに遅れました。

そんなこんなで大変おまたせした今話からはいよいよこれまで絡んでこなかった魔法少女たちが本格的に活躍します。とりあえずはシスナナとヴェスプリの百合っプルからですね。原作でも歪な純愛が大変に尊い二人なので今作でもそこらへんをたっぷれねっとり描きたいと思います。

なのでヴェスプリには王結寺バトルを生き延びてもらいました。やったね。
ついでにユナエルも頭はいいけど詰めの甘い白スクにラピュが入れ知恵したおかげで助かりました。やったね。

なお生き延びた結果が天国か地獄かは今後の展開をお楽しみに。

次回はみんな大好きリップルの話ですよ。
忍者バトルとか描写するのはほぼ初めてだけどご安心あれ。決戦アリーナと対魔忍RPGとアクション対魔忍をやり込んだ作者は忍者には詳しいんだ。

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