「ーーありがとう、雁夜お父さん!」
その言葉を聞いた、聞けた瞬間に、
ずっと想いを寄せ続けてきた女性は、俺に優しく微笑んで。そして、大切な、2人の娘たちは、嬉しさのあまり目に涙を溜めて、俺を父だと認めてくれた。
ああ、これでやっと。これでやっと、みんなが幸せになれるんだ。俺の努力は、苦しみに耐えた日々は、今、やっと報われたんだーー
「ーーーー」
可憐な幼子たちの笑顔が、突如、土煙の立ち込める、何かの部屋らしき場所に切り替わった。
「…………え?」
拍子抜けした声をあげて、まるで予測しない段差に躓いて転んだ時のような呆けた顔で、雁夜は乾燥した土の床に座っていた。
煙の向こうには、ふたつの人影。ひとつは小さく何かに座っているようで、ひとつは大きい。大人と子供らしい。
「成功、か……?」
男の声が聞こえた。声色から察するに40代前後。
聞きなれない言葉だった。以前旅行で行った、アラビアあたりの言語。
だが、どういうわけか。雁夜には日本語以外の言語知識はさほどないはずなのにも関わらず、男が言ったことの意味が容易に理解できた。
「だ、誰だ!」
流れるように、この言語でそれを表す言葉が口から出て来た。奇妙な現象に怯えながらも、雁夜が人影に問うた時、ついに土煙が晴れた。
「誰だ……とは、些か心外ですね。英霊と神官の契約は、召喚の時点でほぼ成立しているはずなのですが」
先ほどからの声の主は、褐色の肌をした、背の高い痩せた男性だった。フレームレスの細いメガネが良く似合う、シャープな顔立ちをしている。雁夜の予想どおり、年の頃は30代後半から40代前半といったところか。
「はあ? 英霊、神官? 契約?」
「しかし、珍しいですね。その服装……20年近く前のトレンドではありますが、なかなかに当世風だ」
「……?」
彼の言うことが何一つ理解できず、雁夜はただただ自分の身なりを見直した。
お気に入りの紫のパーカーと、だぶついたグレーのズボン。黒のスニーカー。いずれもかなり使い古されている。特に、この間からの戦いのダメージもあり、最近は彼らを酷使していた。1度は炎に包まれもした。
……なぜだろう、あの男のことを少し考えただけで、ひどい頭痛に襲われるのは。
「噂に聞く、一般人を利用した代理召喚というものでしょうか。それならば納得がいきます」
未だによく分からない、だが確実に雁夜が知っている単語を羅列する男は、雁夜に1歩歩み寄った。
「とりあえず、互いに自己紹介をしておきましょう。あなたの名前と職種を教えてください」
トーンの変化がほとんど無い口調で問う男に、雁夜は背筋を伸ばして自分の名を答えようとした。
しかし。再び、神秘は彼を操った。
(っ!?)
頭の中に、自分のものとは全く違う、しかし聞いたことのある名前が浮かんだ。自動的に、である。あたかもそれが彼の名であるかのように。
「ま、間桐雁夜、だ」
その名を言いたい衝動を抑えて、答えた。
「マトウ、カリヤ……聞いたことのない英霊ですね」
「いや……だから、その」
首を傾げる男に、雁夜は問いかける。
「さっきから、なんでそんな物言いをするんだよ。まるで……」
先ほどからこの男が口走る言葉。「英霊」、「召喚」、「契約」。「職種」はおそらくクラスを意味するのだろう。これらから連想されるものは、雁夜にはひとつしかない。
「まるで俺が、サーヴァントみたいじゃないか」
それを聞いた男は、眉をハの字型に寄せた。
「サー……ヴァント? よく分かりませんが、私は確かに英霊召喚の儀式を
「!?」
何だ? この男は、何を言っている?
「あなたは
「お……俺は……。違う…………俺は」
そこまで言われて、知らない知識が、目を覚ました。
そんな。そんなバカな話があってたまるか。俺は英霊なんかじゃない。つい先程まで、その英霊を使う立場として、命を賭して戦っていた身だ。そして戦いの末、聖杯は獲得できないまでも、望むものはやっと手に入れた。ようやく、ようやく俺の戦いは終わったというのに。こんな悪魔の名を与えられて、即座にもう1度戦わされるというのか。
ありえない。にわかには信じ難い。俺が、それであることなど。だが、未知の言語や戦いのルールなどと共に脳に染み付いたその名前が、俺がどういうものなのかを全て語ってしまっていた。
「……どうやら、少し複雑な事情がありそうですね。また、気持ちが落ち着いたら、話を聞かせてください。行きますよ、ルサルカ」
「う、うん……」
隣の少女の車椅子を押して、男は部屋を出ていった。
「ちくしょう……チクショウッ!!」
ダンッ、と雁夜は土の床を殴りつけた。
俺は桜と、凛ちゃんと葵さんを幸せにするために生まれてきたんだと、最期の瞬間に悟った。それこそが俺の生きた意味だった。そこで俺の人生は完結したはずだった。だというのに、いったい何者だ、こうして俺を呼んだのは。おそらくはこの名を持つ悪魔。その真意は計り知れないが、おおかた自分が召喚されるのを嫌がったのだろう。
「許さない……絶対に……許さないぞ……」
こんな続きなど認めてなるものか。どうしてハッピーエンドのままに終わらないんだ。こうなったら、今すぐにでも自害して、終わらせてやろうか。
……いや。
そんなことができないことは、自分が一番知っているのだった。間桐の家に生まれたことを呪い、自ら命を絶とうかと考えたことはある。だが、それさえできずに俺は出奔したのだ。
ーー怖かったから。
いつだって俺には恐怖が付き纏う。葵さんに対してだって、彼女に嫌われるのが怖くて、想いも伝えられず、時臣との結婚を止めることもできず、桜のことも止められなかった。
聖杯戦争を戦えたのは、彼女のため、という大義名分があり、腐りきった魔術師どもに対する怒りがあったからだ。
……いや、待て。
腐りきった……魔術師。
そうだ。俺をここに呼んだのは魔術師。あの男さえいなければ、俺の人生は完結していたはずなのだ。あの男さえ殺してしまえば、俺は正しい道に戻れる。
そう気づいた雁夜は立ち上がり、男が出ていったドアの方に向かった。怒りに瞳を燃やして、いざ木製のドアを開かんとした時。
「この、感覚は……」
違う。俺を呼んだのはあの男ではない。
マスターとサーヴァントは魔力の供給で繋がれている。だが、あの男からはそのパスが感じられない。
俺を現界させているのは、あの車椅子の少女のほうだ。
「そうか。そういうことか」
ああ、やはり、魔術師という人種は許し難い。罪もない子どもに、どうしてこのような仕打ちをするのか。
あの子は父親に利用されているんだ。“
そのような蛮行、断じて許してなるものか。
「決めたぞ。俺は、君のために戦おう」
桜と、そして自分と通じるものを感じたのかもしれない。雁夜は、すぐにその決意が整った。
まずは、
それさえもできぬというのなら、奴を殺してでも、彼女を父親から解放し、
そのために俺は呼ばれた。これが、人のために生きた幸薄い一生の総仕上げというわけだ。
「待っていてくれ。君は必ず、俺が救ってみせる」
人生最後の戦いに闘志を燃やし、雁夜は右の拳を握った。