「……寒いな」
雁夜が自らの召喚された工房を出ると、びゅう、と夜風が彼の肌を撫でる。そして、そこがそれなりに大きな家の中庭だと分かった。
と、言っても殺風景なもので、芝生が植わっている訳でもなく、地面は一面が砂と土で、正面に母屋らしい3階建ての四角い建物があるだけだ。
工房は白い石で作られていた。そして、同じ素材の壁が辺りを囲っている。母屋も同じ石だ。乾燥した地域の建物に特有の建築様式。
……とりあえず、あの男と話をつけなくてはならない。そう思って、小さな木製のドアまで歩み寄って、裏口から母屋に入る。幸い、カギはかかっていなかった。
「……」
おーい、と呼ぼうと思ったが、あの子が寝ていたらいけない。仕方なく、薄暗い廊下をひっそりと歩き始めた。
(……にしても、なんで俺なんかが英霊に)
皆目見当もつかない。俺は人類史に残る偉業なんて残していない。俺は取るに足らない、冴えないフリーライター。そして付け加えるなら、第四次聖杯戦争の参加者。だが、あの閉ざされた戦いに戦士として加わったというだけのことで、英霊になれるとは思えない。
あとは……桜を救い出したことか? そうだな、そういう意味では、俺は彼女にとっての、彼女たちにとっての英雄かもしれない。
「ふふっ……少し、照れくさいな」
そう、満足してニヤついた時、明かりが廊下を曲がった先から漏れているのに気がついた。
「……よし」
ついに、戦いだ。俺はあの少女を、野蛮な殺し合いから助け出すんだ。かつて桜にしたように。俺が、彼女の光になるんだ。
意を決し、他と変わらぬ木のドアを開けると。
「おや、落ち着かれましたか。良かった。戦いに支障が出ると、困りますから。さあ、掛けてください」
上品な微笑を湛えた、あの男が出迎えた。即座に、雁夜は男に詰め寄る。
「あなたに、話がある」
「話……? ……そうですか、それはちょうど良かった。実は私も貴方に話しておかなくてはならないことがある」
「……何だと?」
「すぐにお茶を淹れます、少し待っていてください」
言われるがまま、雁夜は目の前のヨーロピアンなソファに座る。ここは応接間のようで、向かいにもソファがひとつ、そして低めのテーブルが置いてある。脇に置いてあったワゴンから、男はティーポットをとり、カップにとくとくと紅茶を注ぐ。
……どの調度品も、時臣あたりが好みそうなデザインだ。間桐の実家にも同じようなものがあったか。魔術師というのは、どうしてこうも贅沢好きなのか……。
「お待たせしました」
カチャリ、と音を立てて、白いティーカップがテーブルに置かれた。湯気をたてるそれをそっと手に取り、一口含むと、ミントの香りがふわっと広がった。
「アッシャーイ・ビンナアナーアといいます。気に入って頂けると嬉しい」
「……悪くはないな」
「もったいなき御言葉」
男はお辞儀をして、下座に腰を下ろした。
「それで、お話というのは」
「ああ……そうだ。単刀直入に言うぞ。
ーーこの戦いから、身を引け」
「……?」
男が怪訝な顔をしたので、ここぞとばかりに、雁夜は畳み掛ける。
「自分の野望のために、娘を犠牲にするなんて、親として恥ずかしくないのか! そんなの、人のすることじゃない!」
「……何を
「とぼけるな! 一族が根源に至るために、自分より魔術の素養がある娘をこの戦いに勝利させて、永遠に生かそうって魂胆なんだろ! 腐れ魔術師め!そんなことは、この俺が断じて許さないっ……!?」
ガシッ、と、雁夜は胸倉を掴まれる。
「いくら英霊と言えど、それ以上の侮辱は容赦しない」
「ハッ……本性を表したな、外道め。やはり魔術師って奴は」
「黙れと言っている!!」
睨み合う両者。互いの譲れぬ怒りが、火花を散らす。
ーーだが、少しして、男の方が目を逸らした。
「……失礼、取り乱しました」
パーカーの襟から手を離し、ソファに座り直す。
「貴方は、何やら勘違いをしておられるようだ。
……根源というのは聞いたことがあります。なんでも、魔術の力の源であり、『魔術師』の目標であるとか」
「……は?」
雁夜は耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待てよ。お前も魔術師の端くれだろう。根源に執着がないなら、お前は何のために戦うんだ」
「そもそも、その認識が間違っているかと。私は、魔術師などではない」
「何だって? ……あっ」
問うて、雁夜は自分に与えられた知識を思い出した。
この『
「神官とは神の声を聞き、人々に伝える存在。そして、いやしくも万物に宿る力をお借りして、人々を助けるもの。それ以上でもそれ以下でもありません」
「あ……ああ」
「話はそれだけですか。でしたら、こちらも本題に移らせて頂きたいのですが」
「ああ…………すまなかった」
雁夜はバツの悪い顔で、頭を下げた。
「いえ、気にしないでください。私も失礼をいたしましたゆえ」
男は紅茶を一口のんで、「ふう」と静かに息を吐いた。
「そういえば、互いにまだ正式な自己紹介をしていませんでしたね。
私の名は、イブニール・ジヤード。母なる女神・イシスを奉る神官にございます」
「え、えっと、よろしく、イブニール。さっきも言ったけど、俺は、間桐雁夜。えっと……職種は、『
冬木の戦いには無かったクラスだ。
「ああ、でも、
「承知しました」
「……それで、話ってのは?」
「ええ……そうですね。どこから話したものか……」
雁夜が問いかけると、イブニールは「むむ」と唸る。再び紅茶を口に含んで、しばらくテーブルをじっと見つめてから、ようやく彼は口を開いた。
「貴方の
結論から言いましょう。娘は、もう先が長くありません」
「……!!」
「生まれつき心臓を患っているのです。彼女はその人生のほとんどを、車椅子とベッドの上で過ごしてきた。
妻は自らの命を捨ててあの子を産んでくれたというのに。あの子もまた、非業を背負っていたのです。……運命とは、残酷なものですね。私も、彼女たちも、何か悪いことをしたというわけでもないのに!」
ダンッ、と、イブニールはテーブルを叩いた。
「私には、こんなこと許せなかった。許せるはずが無かった。一時は神さえ呪ったこともあった。
……けれど。全てを失おうとしている私と娘には、まだひとつ、たったひとつだけ希望がありました。それが、この『
イブニールの声は切実だった。一生を通して家族のために身を捧げ、それでも彼女らを救えなかった男の、藁にもすがる思いが、ひしひしと伝わった。
「戦いには私が出ます。魔力供給も、令章を1画だけ娘から譲り受け、私が行おうと思います。決して彼女を傷つけたりなどしない。
ですから、ひとつだけ約束してほしいのです。私の身はどうなろうと構わない。だから、仮に私が死んだとしても、どうか彼女のために戦ってあげてほしい」
「…………もちろんだ」
雁夜は、ゆっくりとうなずいた。
「……実は、俺にも同じ年頃の娘がいたんだ。
「……ありがとうございます……。ありがとう…………」
イブニールは雁夜の手を取り、拝むようにその場に崩れ落ちた。
(これは……絶対に、負ける訳にはいかないな)
部屋の片隅に揺らめくアロマキャンドルの炎が、ひときわ強くなったような気がした。