黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第三十八話

 

 

 

 

 『窓の影(スピラスキア)』と同期しているマーカーの座標に合わせて大窓を開いたミラは、その先に広がっていた光景を見て瞬時に状況を理解した。急速に冷えていく心の中で静かに呟く。

 

(ああ、ヒュース――負けたのね(ヽヽヽヽヽ)

 

 生身の状態で玄界(ミデン)の兵を人質にとっているヒュース。どう見たところで完璧に追い詰められているとしか考えられない。

 加えて言うなら、そのあがきは――無意味だ。嘆息を留めて膨らんだままの胸に決心が生まれる。『泥の王(ボルボロス)』を取り返すこと叶わず、そして『金の雛鳥』を捕獲することにも失敗した。……であれば、当初の予定通り(ヽヽヽヽヽヽヽ)、任務を遂行しなければ。

 

「ヒュース」

 

 名を呼ぶと、アフトクラトルの優秀な遠征隊員が人質を抱えたままゆっくりと近づいてくる。

 

「『泥の王(ボルボロス)』は?」

「……やつらの誰かが持っている」

「そう……」

 

 ちらりと視線をやった玄界の兵が身体を強張らせる。

 それなりに人数はいたが、トリオン体なのは二人だけ。その二人もかなりの手傷を負っているようだ。しかし、ミラとしても油断をするわけにはいかなかった。身体はボロボロ、残るトリオンも僅かしかない。人質があろうとほんの少し抵抗されればトリガーが解除されてしまうかもしれないのだ。

 

(ブラック)トリガー、返してもらえるかしら?」

 

 ゆえに、彼女は努めて底冷えのする声音で問いかけた。

 彼らは『黄金の虎』のように後先考えない馬鹿ではないだろう。こうして命令(ヽヽ)すれば、きっと。

 

「…………」

 

 それは正解だった。ひと際がたいのいい男が懐からカプセルを取り出し、その中で『泥の王(ボルボロス)』がもがいているのが透けて見えた。残った左腕を差し出して、譲渡を促す。

 

「……投げるぞ」

「ええ」

 

 言葉の通り放られた黒トリガーをしっかりとつかみ取る。黒トリガー回収成功、任務は……これで終いだ。

 壊れかけた回路のような音を立てる『窓の影(スピラスキア)』の窓。それが閉じ始める前兆であることを知っているヒュースはひどく動揺してミラの名を叫んだ。

 

「ミラ、なんのつもりだ!?」

「ごめんなさい、ヒュース。『金の雛鳥』を捕らえられなかった以上、あなたを連れて帰るわけにはいかないの」

「な……貴様ら、やはり……!」

 

 "やはり"。そう言うからには彼も噂くらいは聞いているのだろう。エリン家当主がアフトクラトルに捧げられる(ヽヽヽヽヽ)ということは。

 ミラの瞳に冷たいものが宿る。

 

「『金の雛鳥』はそこにいる! 捕まえれば――」

 

 必死に追いすがる彼に冷ややかな視線を返し、ミラはそれを『金の雛鳥』に移し替えた。

 

「……あなた、こっちへ来てくれる?」

「――っ!?」

 

 問われた少女はびくりと身体を震わせた。が、歩み寄ってくる様子はない。人質を取られている状況で、しかも解放を条件にしたわけでもないのに瞬時に自らを差し出せる人間がいったいどれだけいるのか。

 怯えた様子の少女の前に眼鏡の少年が立ちはだかって、こちらをきつく睨みつけてくる。

 まあ当然だろう、とミラはそれだけで諦めた。捕らえれば、とは言うが、一体全体誰が捕らえるというのだ。いくら黒トリガーでもミラはもう死に体、弾丸の一発でも受ければ致命傷になりかねない。

 言った本人であるヒュースはすでに戦闘用トリガーもない。人質がいても、『金の雛鳥』と引き換えにできるものであるとは思えない。

 

「ふざけるな!」

 

 しかしそんなことで納得のいくヒュースではなかった。これも当然だ。彼は君主のためにここへ来ているのだから。

 頭に血を昇らせた彼は、おそらく自身でさえ予期していなかった行動に出た。

 

「うわっ!」

「この――!!」

 

 乱暴に人質を投げ捨て、『金の雛鳥』に向けて突進するヒュース。玄界の兵たちは突然の蛮行に一瞬出遅れた。ただ一人を除いて。

 

「千佳っ!!」

 

 眼鏡の少年は猪突の勢いで迫りくるヒュースを避けようともせずに、後ろにいた雛鳥を抱きすくめて庇う姿勢を見せた。凶刃を携えた者を相手に無手のまま身を晒す、健気な献身。

 

「邪魔だ!」

 

 そんな自己犠牲を体現する少年に対し、ヒュースは躊躇もなく手に持ったナイフを突き立てた。彼もなりふり構っていられないのだろう。刃が沈んだ背中にじわりと赤色が滲んできても、蹴り飛ばすような勢いで少年を退かすことに躍起になっている。

 

「が……!?」

「お、修く……きゃああっ!?」

 

 流れおちる鮮血に雛鳥が悲鳴をあげる。

 

「修!!」

「修! あんた、よくも……!」

 

 ようやく蹲る少年を引きはがしたヒュースであったが、出遅れた者がずっとそれを眺めつづけているはずもない。トリオン体のままでいたうちの、斧を持った少女がヒュースを捕らえにかかる。

 

「この、離せっ!!」

「おとなしくしなさい!」

 

「…………」

 

 ミラはまるで茶番を見せつけられているかのような冷たい瞳のままでいた。

 付き合っていられない。『金の雛鳥』はそれなりに重要ではあるものの、そのために交渉や口論などしてはいられなかった。

 時間がないのだ。残存トリオンだとか増援が駆けつけてくるといったことではなく、隊長やランバネインが瀕死の危機に陥っている。遠征艇に積まれた医療器具では処置しきれない。いますぐにでも国へ戻って治療しなければまずいことになる。

 

「残念だけれど、時間切れよ」

「待て! ミラ、ふざけ――」

 

 トリオン体の少女に腕を捻り上げられたヒュースがしかし、それを引き千切らんばかりにつんのめって叫びちらす。もはや正常な思考もできないのだろう。この状況で『金の雛鳥』に襲いかかったところでなんにもならないことは明白だというのに。

 ヒュースのありさまを見て、ミラはハイレインの判断が間違っていないことを確信した。

 ――連れ帰れば、ヒュースは我々の敵になる。

 人が好いことで有名なエリン家。そこで育てられたヒュースが誓った忠誠は主君だけに向けられたもの。この様子では直属の上位者たるベルティストン家にも牙を剥くことは容易に想像できた。

 

「心苦しいわ。優秀なあなたを失うのは痛手、それは本当よ。――さようなら、ヒュース」

「ミラ!! くっそおおおお!!」

 

 窓を閉じる。そうして彼の悲痛な叫びはついぞ届くことなく遮断されてしまった。

 玄界に一人取り残されるヒュース。その不安と憤りはどれほどのものか。ミラには想像することもできなかったが、考えても栓無きこととしてすぐに思考の隅に追いやった。

 

(……限界のようね)

 

 静寂が戻った遠征艇内。ビシリと小さな音がしてミラの身体にひびが入る。ついにトリオンが切れたようだ。

 危なかった。あのまま『金の雛鳥』に気を取られていたら面倒なことになっていたかもしれない。自分の選択が間違っていなかったことにほっと息をついて、ひびが全身に広がる前に自らの意思でトリガーを解除した。

 

「お戻りですか。ヒュース殿は……」

 

 ランバネインの応急手当も終えたのか、処置室からヴィザが姿を現す。

 

「ヒュースは置いていきます。『金の雛鳥』が手に入らなかった以上、これは既定事項です」

 

 ゆっくりとした口調で問いかけてきた彼に対し、ミラは心ならずも早口でそう答えた。

 ヒュースを置いていくのは苦肉の策。これは本当のことだ。

 幼少よりヴィザに剣を教わり、(ホーン)トリガーの適性も高く、最新鋭トリガー『蝶の楯(ランビリス)』を自在に操る若き兵。この損失はエリン家のみならず、ベルティストン家から見ても大きな痛手であることは間違いない。

 けれどもその優秀な駒が反逆する可能性があるとなれば、切り捨てるほかになかった。優秀な手駒がいざというときに寝返る、これほど厄介なことはない。どんなに強力な敵であろうと、最初から最後まで敵でいるのならいくらでもやりようはあるだろう。

 

「しかし惜しい……いや、いまは何も言いますまい。ともかく、お疲れさまでした」

「ええ、ヴィザ翁も……。これより帰還します、隊長たちは私が診ますのであなたも身体を休めていてください」

 

 コンソールに帰還命令を打ちこんで、ミラは処置室へと足を運んだ。

 その短い道すがら、ようやく終わった任務について思いをめぐらせる。

 

 長きに渡った偵察に比すれば瞬きが如く短期に終わった玄界侵攻。時間にしてみれば二回の攻撃を合わせても数時間に満たない。

 なのに、その損耗は考えることをやめたくなるほどに甚大であった。

 持ちこんだトリオン兵はほぼ全てを失い、黒トリガーを強奪されかけ、奪還の際に隊長は右腕を喪失。ランバネインも重傷を負っている。

 特にランバネインは精密な検査をしなければ容体の把握すらままならない。あの轟咆を間近で受けたのだ。よくて聴覚障害、下手をすれば脳や臓器にもダメージがある可能性すら危ぶまれる。

 

 到着した処置室のベッドに、血の滲んだ包帯を巻かれた二人が寝かされている。遠征艇に積まれていた医療器具は申し訳程度のものしかなかったはずだが、ヴィザがうまくやってくれたのか見た目だけなら「治療」としての体を為していた。

 

 ――どうしてこんなことに。

 

 苦痛に歪む二人の顔を見て、ミラはわかりきっていてもそう思わずにいられなかった。

 玄界(ミデン)。トリガー技術に依らない文明を築く特殊な星。ここでなら他の国に攻め込むよりも多くの成果を得られるはずだった。他の領主を出し抜き、次世代の覇権を獲ることができると確信していた。

 しかし現実は違った。

 ここは虎穴だ。アフトクラトルは、虎の棲み処でその尻尾を思い切り踏みつけてしまった。その先に待っていたのはおぞましき牙と爪。黒トリガーを三つもってしても敵わぬ化け物に追われて、命からがら逃げだすことしかできなかった。

 

「…………」

 

 これからのことを思うと、ミラの気は錆びた釣鐘のように重かった。

 果たして捕らえた雛鳥は、ハイレインの右腕を埋めるに値するのだろうか。それを決めるのは彼自身であるものの、ミラの心には拭いきれない不安が色濃く居座り続けていた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 黒トリガー使いが消え去ったあとも、ボーダー隊員たちはすぐには動き出し始めることができなかった。

 

「くそっ、ちくしょう……ちくしょう――」

「修くん! しっかりして、修くん!!」

 

 現場は混沌としていた。小南に取り押さえられた近界民(ネイバー)は呆然自失のままぶつぶつと怨嗟を呟き、その近界民に刺された三雲は意識を失っていないまでもまともに話すこともできないでいる。

 

「宇佐美、救護班を寄越せ。香取隊作戦室、大至急でだ」

《り、了解!》

 

 唯一はっきりとした行動に移れたのは木崎だけだった。トリガーを解除した彼はようやく満足に動かせる身体をきびきびと使って三雲の手当てを開始した。

 

「香取、救急箱はどこだ?」

「あぇ……? え、えっと、は、華……」

「私が持ってきます。消毒液と包帯くらいしかありませんが……」

「かまわん、頼む」

 

 半ば無意識に傷口を押さえる三雲の手をそっとどけて、傷の具合を確認する。

 もう凶器たるナイフは近界民の手から転げ落ちている。そのナイフはトリオン製であり、破片が体内に残っているようなことはないはずだ。十センチほどの裂傷を救急箱から取り出したガーゼを押し当て圧迫。完全な止血に至らないまでも血液の流出を最小限に留める。

 レスキュー隊員だった父に倣い、冷静に処置を施しながらも木崎は自分を責めに責めていた。

 

(俺はいったい、何をしていたんだ……!)

 

 誰かを助けるとき、一番役に立つのは鍛え上げた自分の身体。そう教わったはずなのに。そうするために鍛えてきたというのに。

 後輩を守れずして何が先輩だ。戦闘体がボロボロだったなんて言い訳にもならない。あの場面で生身でいた雨取や三雲は、トリガーを起動したままだった己が身を挺して守らなければならなかった。突然の凶行も予測さえしていれば対処できたのだ。

 

(馬鹿か、俺は!)

 

 まず力強く的確に動く身体があって、その上でいろんな知恵や道具が役に立つ。いまも胸に刻む亡き父の教え。けれども足りなかった。それ以前のものが足りていなかった。

 守る意思が、守ろうとする意思が。

 あの瞬間、迷いなく雨取を守るために動けたのは三雲だけだった。木崎は一瞬出遅れ、そして戦闘体の不調により間に合わなかった。全くもってふざけている。

 

「ぐ、う……!」

「修、気をしっかり持て。――絶対に助ける」

 

 包帯をきつく当てた際のうめき声に強く呼びかける。まるで、贖罪か何かのように。

 木崎が自分を殴りたい気持ちでいっぱいになった頃、開きっぱなしになっていた香取隊作戦室の扉から人影が現れた。

 

「くそ、間に合わなかった……!」

「オサム!? ……!」

 

 作戦室に飛び込んできたのは迅と空閑であった。

 迅はこの光景を予知していたのか悔し気に唇を噛み、空閑は一瞬の瞠目のあと感情が見えなくなった瞳を近界民のほうへと動かした。

 

「やめろ、遊真」

「! ……レイジさん」

 

 即座に意図を読み取って制止する。木崎にも彼の気持ちは理解できたが、もうアレは敵ではなくなった。

 

「…………」

 

 ちらりと見やる先で未だ自失状態の近界民。ヒュースと呼ばれたアフトクラトルの少年兵は置いていかれた事実からか、先ほど激情を露わにした理由からか、抵抗する様子もなくうなだれたままでいる。

 こいつは捕虜にする予定だった。しかしアフトクラトルに対してその存在は邪魔でしかないらしく、もはやこの少年に交渉材料としての価値は見いだせなくなってしまった。それでも、報復など許せる行為ではない。

 責められるべきは、俺だ。そう悔いた木崎は救護班が到着しても三雲のそばを離れず、むしろ先導するように手当てを続行した。

 

 

 

 

――――――――

 

 

 

 

「迅さん、オサムは……」

「大丈夫だ、メガネくんは助かるよ」

 

 重傷を負った三雲は一通りの処置がなされたあと、安全が確認された病院に運ばれていった。それを見送る空閑の不安げな声に、迅が力強く答える。

 しかしその表情は明るいものではなく、彼はそのまま俯きがちに謝った。

 

「すまない。この未来もうっすらとは視えていたんだ。メガネくんが千佳ちゃんを守ろうとする未来にはどうしても危険がつきまとう。でも」

「ああ、わかるよ。言って聞けば苦労はないけど、オサムは面倒見の鬼だからな」

 

 少しばかり余裕が生まれたのか茶目っ気を見せる空閑に、迅が苦笑する。

 

「……そうだな。けどおれも遊真も、迎撃部隊の配置から抜けるとまずかった」

「それもわかってる。あのジイさんは誰か一人でも欠けてたら勝てなかった」

 

 基地防衛、複合部隊による迎撃の最終防衛ライン。それはほとんど敵の狙い通りに突破されたようなものではあったが、この戦力を基地の外に留めるために放たれた黒トリガー使いは常軌を逸した使い手だった。あれが基地内部に侵入していたらと思うと、空閑ですら背筋が凍るものがある。

 理解を示す後輩に迅は、そこからさらに申し訳なさそうに言葉を絞り出した。

 

「……レプリカ先生のこともだ」

「!」

「戦いの途中であの近界民がレプリカ先生を狙ってるのがわかった。でもそれを伝えると作戦が瓦解する。そうなるとボーダー側の被害が甚大なものになりかねなかった。

 ……だから、おれは、秤にかけたんだ。ボーダーと、レプリカ先生を」

 

 迅が見た未来の一端。戦いのさなかに確定されたそれは違うことなく収束した。

 勝てはする。しかし玉狛のメンバーが肩を落とし、関係ないはずの大河が怒り狂うという混沌とした未来。

 全ての鍵はレプリカにあったのだ。仲間としての存在、そして情報源としての価値。

 ボーダーにとっても重要なものではあったが、迅はそれを天秤に乗せざるを得なかった。多くの人命と、一個のトリオン兵。空閑の家族のような()であっても、あまりに大きすぎる被害を考えると優先させることはできなかった。

 

「……そっか」

 

 すまない、と再三謝られた空閑は、けれども激昂するようなことはなかった。

 彼もあの激戦をどうにか潜り抜け、それがギリギリのところだったのは身をもって痛感している。レプリカが奪われてしまったのは迅の責任ではない。ただ単に己の力が足りなかっただけだ。そうして行き場のない怒りを飲み込んだ。

 

「アフトクラトルは何か狙いがあってレプリカを持っていったんだろ? だったらすぐに壊したりしないと思うし……まだ取り戻せる可能性だってあるはずだ」

「……ああ。メガネくんたちと一緒にA級になれば、きっと」

「じゃあ、A級目指す理由が増えただけだ。オサムには早く良くなってもらわないとな」

「うん。きっとなれるさ。おれが保証する」

 

 後輩の思いの強さに後押しされて、迅もようやく笑顔を見せた。

 これからも長く続く彼らの未来。さまざまな要因が絡まり合っていてサイドエフェクトを用いてもはっきりとは視えなかったが、彼らなら迷わず進んでいくことだろう。

 そう信じて。

 

 

 

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