茅場のチュートリアルが終わり騒めくプレイヤーたち。悲鳴や罵倒を撒き散らす者もいれば、これからの不安で重い沈黙で俯いてしまっている者たちも。皆、デス・ゲームにアップデートされた激変を受け入れるのに、必死になっている。
そんな雑踏の中へクラインは、隙間を縫うようにして【黒鉄宮】へと向かった。何処かにいるであろう友人たちと連絡を取るために、遠方にあるであろう【はじまりの街】と唯一通信できるそこへと。
その背が見えなくなるまで見送ると、気分を一新させるように出発を告げた。
「さて、名残惜しいが行くとするか!」
「そうだな。ここは少々、狭すぎるしな」
周りを見渡すと、まだ判断しかねて屯しているプレイヤーたち。どうすればいいのかわからないと、周りを伺っている様子でもある。互いに向け合う視線が、この場に重苦しい不安を蔓延させていった。……さっさと抜け出さなければ、この空気に巻き込まれてしまう。
外へ一歩踏み出すとちくり、胸に小さな痛みが走った。彼らは知らないだけかもしれない、ここに居続けたら悪くなる一方だと/ここも既に安全な場所ではなくなっているとも、声を掛けてやるべきかもしれない。そう思い惑い始めてくると、
「―――今は、見なくていい」
コウイチの断言に、思わず踏みとどまった。
「まず第一歩を踏み出す、ここから走り出す。それが彼らのためにもなる、ついてくるのか来ないのかは彼ら自身で判断すべきだ。私たちはただ、ファーストペンギンになればいいだけだろ?」
君が言ったことだ……。こちらの不安を察し、拭い取るような助言。わざわざ気苦労を背負い込む必要はないとも。
微かに笑うと、迷いは晴れた。
「そうだったな。オレたちが行けば、それに続いてくれるかもしれない」
「そうなってくれれば、後ろの心配もしなくてよくなる」
いたずらっぽく笑った。オレも同じく。
再び走り出すと、人ごみを縫って外に出ていった。喧騒と不安を背にし、街の外へ一直線に。途中誰かに、その姿を見られたような気がするも構わず進んだ。
完全に群衆から抜け出すと、振り返り外から一望した。
「―――どうやら、初動は私たちが一番らしいな」
「だな」
βテスターでも、なかなかあそこから抜け出せないんだな……。意外だった、並走しているプレイヤーが皆無だった。数十人はいるであろう彼らですら、この決断ができなかったとは。
前を向き直ると、舗装された道路から街の最端=水堀にかかった大橋へ。モンスターが寄ってこない/寄せ付けない不可視の結界が張られている安全圏を抜け、【圏外】へ。風のように、無人の草原を走り抜ける。
柔らかな土の感触/下草の弾力/頬を撫でる涼風、問答無用で自分のちっぽけさを知らしめてくる開けた視界。十数分前まではただ感動をもたらしてくれるだけの芸術品だったソレらは、一枚めくれば恐ろしい敵意が露わになるような騙し絵に変わっていた。ソレを振り切るように/腹にまで染み込まないように、走り続けた
「このまま、あの森まで走るぞ」
「あそこか……。かなり距離がありそうだが、時間は大丈夫かな?」
もうそろそろ夕暮れだ……。今はまだ、地平線の先にあり黒い染みでしかないような森までには、夜になることだろう。そうなれば格段と、危険度が増す。
「構わない。手前の【宿駅】まで行く」
「夜にでるモンスターは、昼より厄介だと聞いたが?」
「それも狙いだ。ここの夜にでる【イージーウルフ】を狩って素材を必要分手に入れる。宿で依頼されるクエスト用にもな」
防具にもなる【狼の毛皮・★1】と、クエスト用のレアドロップ【狼の牙・★1】。売れば金にもなるので、できるだけ狩っていきたい。今のレベルでは厳しい戦いになるが、慣れているオレなら難しくはない。
「名前からすると、狼型か……。先に相手にしたイノシシや鳥よりも厄介そうだな」
「大した違いはないよ。二人で速攻でやれば倒せる、2匹以上だったとしても連携することないし、1匹倒されると怯んで弱腰になる」
「立ち止まらず強引にでも前に出て戦う。そうする方が有利だと?」
「第一層のモンスターは大概そうなんだよ、特に街周辺の敵はな。初めてだと、どうしても腰が引け気味になるだろう。そんな心理に基づいて組まれた戦術アルゴリズム、だと思うよ」
なるほど……。オレの推測に頷いた。証拠はなければ統計を取ったわけでもないのだが、あってもおかしくはない。
さらに何かを尋ねようとコウイチが口を開きかけると、前方に見慣れたイノシシが現れた。【フレイジーボア】だ。呑気に頭を地面まで下げ草を食んでいる、こちらにはまだ気づいていない。
「ボアか……。腕慣らしにはちょうどいいか」
ぼそり呟くと、走りながら初動モーションをとった。
ボアの間合いの外、ソードスキルが当たるギリギリの境界。走っている勢いも加味され、立ち止まって放つ時よりも飛距離が伸びる=ちょっとした裏ワザ。ただし、勢いを殺さずにモーションを認定させるのは難しい。
ボぅっと、火が吹くようにライトエフェクトが構えた剣に帯びた。ソードスキルが認定された。次の瞬間グンと 見えない手で押される/引っ張られるかのように加速、遠くにあった景色がズームアップされていく―――
片手剣単発突進攻撃【レイジスパイク】。一発の弾丸となり、イノシシまで跳んだ。鋭い角のように突き出した刃が、その横腹を撫でる、そして通り抜けた。
イノシシは全く動けないまま。オレが通り過ぎてようやく気づいた。振り向こうとするもできず、途中でカチリと固まった。すでにHPは0、死んでいることに気づいていなかった。
遅ればせに/オレが再び着地すると同時に、手足を突っ伏したまま横倒れた。ピクリとも動かず、巨大な置物のように固くなっていった。
「一撃か……。鮮やかなものだな」
「初撃はクリティカルが出やすいんだよ。相手が攻撃できない間合いから急所を狙えばね」
何てことはないと剣を鞘に収めると、振り返って後処理をした。経験値を獲得する。
ガラス塊となってボアが消失したのを見送ると、さらに遠くでムシャムシャ草を食んでいるボアへと向き直った。
「次、コウイチがやってみる?」
「ああ、やらせてもらおう」
意気込むように言うと、肩に吊るしていた槍を手に取り構えた。まだログインしてから10回も戦闘はこなしていないはずだが、随分と様になっている。向けた鋒と視線がしっかりと定まっている。
「先にオレがやった間合いよりも、2・3歩は遠くからでもできるはずだ」
厳密には使いこなしていないのでわからないが、槍の飛距離は片手剣の倍と見ていいはず。
その助言に軽く頷くと、一気に跳んだ。張り詰めた弓から放たれたように、残像が視界に焼き付いた。
その加速の中、さらにソードスキルを発動させた。槍にライトエフェクトが煌くと、僅かに捉えていたその姿が霞んだ。
槍単発突進攻撃【ボーンバレット】。真っ直ぐと突き立てられた槍は、イノシシの横腹を貫き穿つ―――
「―――ムッ!?」
手元まで突き込むとその勢いのまま体当たりに、串刺しにされたイノシシは踏みとどまれずに押し出された。それで直進だったベクトルが傾いた。
絡まりながら地面に転がる寸前、コウイチは槍を手放した。イノシシはそのまま突き刺さった槍ごと吹き飛ばされていった。
(うわぁ……。一発で出来ちゃうものなの、アレ?)
一度だけの見本とちょっとした助言だけで、走行中のソードスキル発動を成功させてしまった、あやまたずイノシシを一撃で仕留めても。嫉妬も起きないような才能だった。
呆れ気味に称賛の眼差しを送っていると、直前で横へ転がるように回避したコウイチが、その拍子で服についた土草をパッパと払いながらぼやいた。
「……コレは、やめた方がいいかもしれないな」
最初に出てきたのは、成功の喜びよりも戸惑い。眉を顰めながら倒したイノシシを見つめていた。
「どうした、そんな難しそうな顔して?」
「槍でコレをやることについて、ちょっとね。
敵が動かず、しかもアレぐらい軽かったのなら構わないのだろうが、倒せず吹き飛ばしもできないのなら衝突してしまうだけだ。剣や曲刀のように、通り抜けながら撫で切るのなら構わないのだろうが……」
槍/突き攻撃主体の武器では自爆技に等しい……。指摘されてみると確かにそうだ、思わぬ盲点だった。敵は実体として正面にいるのだから、真っ直ぐ突進すればぶつかるだけ。通り抜けられるのは槍のみで、使い手までは無理だ。しかも突き刺したら、コウイチがやったようにすぐに手放さない限り【転倒】の危険がある。
誤算だった。片手剣と槍の違いを把握しきれていなかった、オレのミスだ。
「そうか……。オレがやりきれなかった分を始末して欲しかったけど、難しいかな?」
「【短刀】か【片手剣】あるいは【曲刀】持ちなら、簡単なのだろうがな」
よければ、そのどれかに直してもいいが……。暗に提案された。
少し悩むも、すぐに却下した。槍の遠距離攻撃と牽制は捨てがたい。戦闘を速攻で終わらせるよりも、前後を磐石にして守りを固めたい。
だとすると、
「もう一人、いや二人は欲しいよなぁ……」
コウイチも無言ながら頷いていた。
ソロでやるとは決めていたものの、パーティープレイをしている今、どうしても人数を揃えておかねばならなくなった。二人でこのまま突っ切ってもいいが、未踏地を行ったり撤退したりすることもあるのでどうしてもあと二人は欲しい。四人でないといざという時対応しきれない、逆に四人ならば大抵のピンチからも生き残れる。これからトップを突っ走ると決めた以上、仲間を増やさざるを得ない。
ただ、
「どうする、戻って仲間を探すかな?」
「いや、ソレはやめよう。今残っているプレイヤーを無理に引っ張っても使えないし、同じこと考えている奴らならこの先で会えるはずだ」
あくまで意思が統一されていてこそ機能する、それそれが役割を理解しかつ能力も同一以上でこそ。声をかけて探しまわるよりも、進みながら出会った相手がベストだろう。最前線という場所が人を選別してくれる、この初期の時点ではまだ確固たる組織はできてもいない、機と縁があればすぐに仲間になってくれることだろう。
イノシシが破砕した音=コウイチがアイテムを獲得した。経験値を取りたくても、すでに槍が刺さっている状態では自動的にアイテムになってしまう。消失すると、残った槍をまた肩にかけ直した。
「行こうか。今は悩んでいても仕方がない」
「そうだな。今は先に突き進む時だ」
これからの課題として頭の片隅にしまっておくと、走り出した。
◆ ◆ ◆
幾度の戦闘をこなしながら、たどり着いた森の中。すでに周囲は夕焼け色に染まっていた。森の中は薄暗く、夜気が奥から/茂みの中から染み出てきていた。
迷宮区はこの先、森を抜け山脈の谷間からそびえ立っている円塔だ。はるか上空、第二層の底部でもある天井まで真っ直ぐと伸びているその塔の鋒は、薄雲に隠れて見えない。現実世界にあるどんな円塔よりも高く、キロメートル単位で測れるほど、おそらく現実の物理法則や現代の建築工学では建設不可能であろう建物だ。アレが目に映るたびにココが、現実世界でないことをはっきりと思い出される。
ソコまで直線距離、半日超といったところだろう、途中休んだり街によったりするので1日あまり。現実ならその倍はかかるだろうが、今ならそれぐらいだ。運動部でもアウトドア派でもないオレだが、ここまで息切れ一つなく走ってこれた。初期パラメーターであってもマラソン選手並みの走行力があると見ていいだろう。
それならばもっと先へ、この森もすぐに抜けたいのだが、一つだけやることがある。森の中でひっそりと暮らしている集落=【ホルンカ村】。その小さな村を物色しながら回っていた。
「すごいものだな。こんな小さな寒村、現実では絶滅しているだろうに……」
物珍しそうに眺めているコウイチ、お上りさんのように目をキラキラさせていた。
周りにいるのはNPCだけ、彼らは一定の反応しか返さない/無視してくれる。だからこちらがどう振舞おうが関係ないのだが、悪目立ちするのはどうにも腰が引ける。視線が気になってしまう。なまじ人の形/自分たちとほぼ変わらない姿かたちをしているから、意識してしまう。ソワソワと居心地悪そうに道具屋を探した。
それで目を離していた隙に、コウイチが通りを歩いていた老人に話しかけていた。
「そこの御仁、少し話を聞きたいのだが、いいかな?」
『……なんだね?』
しわがれ少し掠れてる低音ながらも、余所者への嫌煙は感じない。素朴な田舎の農夫然とした老人。土に汚れ使い古したモンペ姿に所々ほつれがある麦わら帽子/肩に三股に別れた鍬を担いでいる、貧しくはあるが都会ぐらしでは絶対に手に入れられないであろう健康な顔つきをしている。
何事かと耳をそばだてていると、予想の斜め上をいくことを尋ねてきた。
「あなたは、ここがある一人の人間によって作られた仮想世界だということを自覚しているかな?」
一瞬、頭が真っ白になった。思わずコウイチを見返すも、その顔には冗談も悪意も見えない/真面目そのもの。
いくらなんでもソレはまずい、おそらく意味も通じない。誰もが一度は尋ねてみたいことだが暗黙のタブーだと、慌ててコウイチの口を塞ごうとした。
「お、おいコウイチ! それはちょっと―――」
「あんた、そんな格好しているがもしかして……、巡回の神父様かね?」
首を傾げる老人に、また驚かれた。遮ろうとした手を止めてしまった。
固まるオレをよそにコウイチは、さらに続けた。
「学者ではなく神父と言った理由を、聞かせてもらえないだろうか?」
「……学者というのは、一体なんなのかね?」
「なぜそんな当たり前な質問をする?」
質問に質問を返す=自身の常識の根拠を示せ、と。
AIにその質問は難しすぎたのだろうか、それとも一介の農夫だからか。現実の人間でもハッキリとは答えられそうにない質問。老人は困惑の色を濃くして、コウイチを不思議そうに見返しているだけ。
しばらく無言で見つめ合っていると、先にコウイチは探る目を閉まった。
「こちらからは以上だ、時間を取って済まなかったな」
脈絡なく会話を打ち切った。もう全て聞いたと言わんばかりに、この場から離れようともする。
「……おかしな人じゃな。まぁ、客人であることには変わらんか。
小さくて何もない村じゃが、楽しんでくれ」
かなり失礼に値するような態度だったが、老人は気にせず。通行人NPCらしい締め台詞とともに離れていった。
呆然と、家路についているであろうその背を見送ると、何事もなかったと言うかのように平然としているコウイチへと振り返った。詰問するように目と声を細めると、
「……何がしたかったんだ?」
「ちょっとした好奇心だよ。NPCがどれだけ人間らしいのかを探ってみたくて。ふむ……、興味深いな―――」
アレはただの、村を巡回するだけのNPCなんだから、大したことできないだろうに……。と思っていたが、先の様子を見たあとではその考えは揺らいでいた。普通の/現実でもあるような、言葉は通じる他人と他人との会話だった。むしろ、人であるはずのコウイチの方がおかしかった。
今後はやめてくれと注意しようと声をかけると、
「小さなコミュニティならではのものか? まだ交通網が整備されていなければ、紙なんてものもないだろうに……。
魔法が代用しているのか? いやしかし、この世界ではソレを使える人間はごく限られているらしいしな。群れ同士の繋がりは微かなものなはず。だから、私たちとは精神構造が違うのかな? あんな不躾な態度でも鷹揚であれる余裕はどこに根拠がある、それとも礼儀だけは行き届いているのか? 信仰がソレを作っているのか、彼が特別に教養深かったからかな? いやしかし、この規模の村と人でソレを育めるのか―――」
コウイチは、自分の思考の中に没頭していた。周りもオレも見えていないかのように、ブツブツと独り言を呟き続けていた。
どうにもできずただその様子を眺めていると、気づいたのだろう。そこから覚めると、苦笑しながら謝罪した。
「……すまない。先を急ぐんだったな」
「え? ああ、そうなんだけど……。いや、そうじゃなくて、だからそのぉ……」
ほぉっとしていた/コウイチに当てられたからか、逆にオレの方がしどろもどろしてしまった。
喋るたびに慌ててしまうのに気づくと、一旦仕切り直しと息を整えた。
「とりあえず、ソレは棚上げにして、だ。ゲーム攻略の方、進めても……いいですか?」
「ああ、頼むよ」
オレの皮肉を含んだ謙遜に苦笑で答えると、先に見つけていた道具屋まで行った。
『―――らっしゃい!』
店の店主が、低いながらも威勢のいい掛け声で出迎えてきた。
すると自動的に、売店用のウインドウが展開された。種目別や獲得順に並んで整理されている所持アイテム一覧/購入できるアイテム一覧。NPCの売店では基本ソレを操作すれば売買できる、店主と話したり交渉したりする必要はない。
スクロール&タップタップ、個数と売値を確認、決済ボタンを押した。溜め込んでいた要らない素材アイテムを売り払った。それで稼いだコルで回復アイテム等を揃える。
「キリト、ハーフコートだけでいいのか? こっちにある【ブロンズソード】や盾は、必要じゃないのかな?」
「いいんだ、代わりの装備は。ここでやれるクエストで手に入れるから」
テキパキと必要な分だけ買い揃えると/コウイチにも指示を出すと、店をあとにした。何も言わずに離れると、『毎度あり!』との掛け声が背中を追いかけてきた。
集落から少しばかり離れると、境界線ギリギリに一軒家が建っていた。目的の場所。βと同じそこに在ってくれたことにホッと胸の内で安堵した。
「……ここがそうなのかな?」
「ああ、たぶんね」
閉められている木製の扉をコンコン、軽くノックした。
「失礼、どなたかいらっしゃいますか?」
『はいはい、少しお待ちくださいな―――』
中年の女性の声が、家の中から聞こえてきた。
がチャリと鍵が開く音、扉が開かれる前に半歩ばかり下がるも、家の内側へと引き込む形式だった。βでもそうだったことを思い出すも、ついつい見慣れている外開きの対応をしてしまった。気にしないように知らんぷり。
空いた隙間から、少しやつれ気味の女性が顔を出してきた。オレたちを見て訝しる。害意はないと作り笑いで返事をした。
「……どなたですか、見慣れない方のようですが?」
「旅の者です」
簡潔に、当たり障りのない答えを言った。
当然、その程度では不審者の疑いは晴れないので、βでも使った予め用意しておいた言い訳を出した。
「この森の先にある【トールバーナ】まで行きたいのですが、もうこんな時間になってしまった。夜に森を抜けるのは危険なのでこの村で一泊させてもらいたいのですが……、あいにく宿屋は満室で休めないときている。野宿ではこれから身が持たない。そこで紹介してもらったのがこちらでして、そちらのご都合がよければ泊めてくれるかも知れない、とのことで伺ったのです」
正規のルートは、本当に宿屋に行ってこの話を聞き出す。そこで資金不足のため泊まれず突っぱねられ、別の方法はないかと食い下がる。すると、追い出そうとする宿の親父を奥から出てきた女将さんが引き止め、先の提案をしてくれる。ソレを聞き出したあとここに来る。
(……キリト、そんな話は初めて聞いたぞ?)
(いいのいいの、ただのフラグ立てだから)
コソコソと耳打ちしてくるコウイチに、任せておけと太鼓判を押した。
だけど、いちいち宿屋を迂回せずとも、同じようなセリフを言えば通してくれることに気づいた。重要なのはタイミング。扉を開けてもらい最初に「どなたですか?」と聞かれた後、次のセリフが出てくる前に一気にまくし立てる、それらしい窮状を訴えるようにして。セリフを待ってしまうと疑られ中に入れてもらえないのだが―――
「そう、ですか……。まぁお二人ぐらいなら、構いませんが―――」
「本当ですか! ありがとうございます、宿泊代は払わせてもらいますよ!」
「いいですよそんなこと、お気になさらずとも。別段キレイでも広くもありませんし、何もおもてなしできませんが―――」
「お構いなく、無理を言っているのこちらですので。雨風しのげる寝床があれば充分ですよ」
謙遜し続ける女性に、強引に押し入っていった。オレのキャラではないが、ここはこうでもしないと入れない。うっかり戸惑って返事を怠ってしまうと、「やっぱりダメ」との流れに持って行かれてしまう。
よろしければどうぞ、上がってください……。観念してくれたのか、半開きだった扉が完全に開かれた。中に迎え入れてくれた。
お邪魔します……。陽気な旅人の仮面を崩さず、家の中に入っていった。しかし、続いてコウイチも入ってくるかと思いきや、扉の前で立ち尽くしていた。入っていいのかダメなのか躊躇っている。
「……どうしました?」
「いえ、そのぉ……。土足で上がってもよろしいのですか?」
「土足……?」
女性は、聞き慣れない言葉に首を傾げていた。彼が何を悩んでいるのかわからずキョトンと、だけどそこにはAIらしい不自然さはない。
ひと拍遅れて、ようやく何に戸惑っているのか察した。慌ててコウイチに耳打ちした。
(コウイチ、ここは中世あたりの西洋風の世界観だから、靴のままでいいんだよ)
(そうみたいだな)
女性の反応か家の造りか、躊躇っていなかったオレの態度か。コウイチも察したらしい。
ただ、どうにも慣れないものだ……。気にしないでくれと女性に言うと、苦笑しながら/靴を履いたまま家の中に入った。
気持ちはすごくわかる。勝手に入って無理言って泊めてもらうのに、汚してしまうのは気が引ける。何より慣れていない。家の中では靴は脱ぐもの、その赤ん坊の時からの習慣は抜き難い。こういった当たり前の所作でボロが出てしまう。
中に案内されると、楽にしてくださいとテーブルを指し示した。1、2、3脚。使い古しの木の椅子に座った。
「お疲れでしょう。なにか差し上げたいのですが……、今はこれしかなくて―――」
謙遜しながら出してきたのは、お手製と思われる木のカップに入った、水だった。
ここはお茶かジュースか、少なくとも白湯じゃないのか……。掃除は行き届いてはいるものの、家具自体が少なくどこかどんよりした空気が漂っているこの家は、見た目通り貧乏なのだろう。そう、初めて来た時には哀れんだ。
だけど今、別の見方が現れてきた。お茶もジュースも白湯ですら、高級品だということが。ガスが通っていないここでは、お湯を沸かすのに半時以上はかかってしまう、保温ポットなど存在しないだろう。飲める水を即座に客に出せるだけでも上等だった。……彼女は困窮に喘いでいるわけではない。
「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたところだったんですよ」
別にそんなワケはなかったけど、折角出してもらったモノを遠慮するのは気が引けるので、ゴクリと一杯飲み干した。
喉から胸へ、ひんやりとした心地よい感触が流れ落ちると、視界隅に映っていたHPバーがマックスまで回復した=小回復作用。ただの水かと思って当てにしていなかったが、実際に無味無臭の/色合いも透明な水そのものだったのに、まさかの回復ポーションだった。
予想外の歓待に、コウイチ共々顔を見合わせた。ソレを眺めてか、出会って初めて奥さんが微笑んだ。「美味しい!」とのリアクションはできなかったが、オレたちが驚いた顔がソレ以上の褒め言葉になったのだろう。柔らかく落ち着いた、優しい母親のような笑顔。
一気に和やかな空気が立ち込めてくると、奥の扉の向こうから、誰かの咳き込む声が水を差してきた。ソレが耳に入るとすぐに、さきの微笑みは消え憂いとやつれを帯びた顔つきに戻った。肩を落とす奥さん。
すると突然、その頭上に『Q』が立ち現れてきた。
(キリト、クエストマークが出たぞ!)
(ああ、見えてるよ)
初めてのクエストに若干興奮気味のコウイチを抑えながら、クエスト受諾手順をこなす。
「誰かほかに、いるんですか?」
「え? ……えぇ、娘が一人、病気で寝込んでいまして―――」
言いかけてハッと、口を押さえた。
オレ達に向き直ると、慌てて訂正してきた。
「お気になさらずに! 人に伝染するものではありませんから、ご迷惑をかけることはないですよ」
まるで引き留めるように、害は無いとアピールしてくれた。無理に泊まるのはオレ達の方なのに、伝染病の危険など思っていもいなかった/実際に無いとβで知っていたのに。βでやった手順とは少々違った反応だ。
不測の事態に戸惑っていると、かわりにコウイチが尋ねてきた。
「伝染するかしないのか、貴女に分かるのか?」
医者には見えないのに……。その素朴な質問に今度は、奥さんが戸惑ってしまった。一瞬答えに詰まる。
会話があらぬ方向に向かってしまいそうな危惧に、耳打ちで止めさせた。
(お、おいコウイチ、邪魔しないでくれよ)
(ん? ……あぁすまない、つい好奇心で)
悪気はなかったと、溜息をついてこの話は一旦終わりにしようとしたら、
「はい。これでも薬師の端くれでして、大抵の病のことなら心得ています」
村の人たちからも、良しなにしてもらっていますよ……。謙遜しながらも、その芯には実績と誇りからくる揺るぎなさが垣間見えた。
知らなかった設定に、再度慌ててしまった。顔にも驚きが露に出てしまった。そして次に、納得が降ってきた。だから先の水が回復ポーションだったのか、と。村から少し離れた場所に家を建てているのは、病や傷や死を扱わなければならない医者としての防疫処置/住民への配慮のため、だったのかとも。
新事実と直感でポカーンとなっていると、また興味が沸いてしまったのか、コウイチが食いついてきた。
「しかしそれでも、娘さんの病気は治せない?」
敏腕刑事か名探偵のように、鋭そうな観察眼を向けながら追求してきた。
悲鳴を上げそうになった/頭の中では上げていた。何でこいつ、こんなにズケズケと他人様の事情に踏み込めるの? 家に土足はダメなのに、心の中は構わないなんて……。彼の倫理観がよくわからない。そしてもはや、方向修正もできなくなった。
「はい……。今できるのは病の侵攻を抑えるだけで、治すことはできないんです。西の森に生息している捕食植物の胚珠があれば、どうにかなるのですが、私の腕では危険すぎて行けずじまい。このままではいずれ、娘はし―――」
ハッと、口が滑ったと言わんばかりに止めた。そして、恥じ入るように顔を背けた、自分たちの窮状が思い出され涙をグッとこらえながら。
哀れみを誘う場面。だけど不謹慎ではあるが、挽回のチャンスだった。コウイチが何か口に出す前に、次の受諾手順を差し込んだ。
「よろしければその話、詳しく聞かせてくれませんか?」
少々無理矢理な感は否めないが、早々に流れに乗った。少しでも話題に上りさえすれば、次のステージに行ってくれる。
「いえ、そんな……」
「宿のお礼ですよ。それに、オレたちは冒険者の端くれですから、困っている人を助けるのは仕事みたいなものです」
歯が浮くようなセリフを言いながら、さりげなく襟元につけていた【冒険者の証】をチラ見せた。別に必要なアイテムでもアクションでもないが、安心させるための証拠の提示=気持ちの問題だ。
ソレが功を奏してくれたのか/クエスト依頼の流れに従っているのか、奥さんはオロオロと迷い始めた。
「ですが……、出会ったばかりですのに、ご迷惑をおかけしては……」
予想外の躊躇い。βだったらこのひと押しで終わっていたのに、まだ粘ってきた。
だけど後ひと押し。どう言いくるめるかと悩んでいると、
「娘さん、助けたくないんですか?」
コウイチが、強引に押してきた。まるで誘拐犯のような言い様。
奥さん同様にオレも、目をパチクリして驚かされた。だけど次に、オレは「もう勘弁して下さい!」と泣き喚きそうになるのをギリギリで堪え、奥さんは「簡単に言わないで下さい」と長年の看病の鬱屈であろう暗い感情を含ませながら警告してきた。
「……危険なんです。村の猟師たちでも、おいそれと近寄らないような場所にいるんですよ?」
「それなら心配いりません。私たちは猟師ではなく冒険者ですので」
当たり前のことを聞いてくれるなと、自信満々な冷然さで言い切った。猟師よりも冒険者の方が強いという根拠が何処にあるのか、全くわからないけど、そんな気にさせる説得力があった。
二の句も歯噛みもできずぽかーんと仰ぎ見ていると、コウイチは続けてきた。
「胚珠、というのはどういったものですか? 素人目でも見ればわかるものですか?」
もはや行くことが決定しているかのような態度。さっさと情報を寄こせとのせっつきに奥さんは、慌てて説明した。
「……赤い、頭に花が咲いている個体が宿しているモノです。他のモノはまだ青く花も開いていませんので、すぐに見分けられるはずです。けど……」
恐る恐る、上目がちにコウイチの顔を伺ってきた。危険過ぎると警告したいが、ソレを口に出したら気に障るかもしれないと、躊躇っている。
そんな心の機微を無視して、コウイチはさらに続けた。
「必要な個数は一つで、よろしいですか?」
「はい、ソレで充分です。ただ……、空気に触れるとすぐに劣化してしまいますので、できるだけ傷をつけずに持ってきてもらえると、ありがたいのですが―――」
「叩いたり落としたりも、避けたほうがいいですか?」
「え? ……あ、はい! できればお願いします。周りについている花弁で包めば、持ち運びに便利なはずです」
「そうですか―――」
いきなりスクッと椅子から立ち上がると、もう聞きたいことは聞いたと言わんばかりに、さっさと家から出ようとした。オレも釣られて後ろに従う。
「い、今から行くのですか!?」
「早いほうがよろしいでしょ? 私たちも先を急いでいますので」
それでは……。慌てて引きとめようとする奥さんを他所に、ドアノブに手をかけた。
「夜になれば、彼らも活発化します! 危険すぎますッ!」
「ならば尚の事よろしい。こちらから探す手間が省けます」
必死の警告もまるで馬耳東風、ノブを引いて扉を開いた。
「そ、それではせめて、こちらをお持ちください―――」
引き留めるのは無駄だと悟ったのか、急いで台所まで戻るとガサゴソ。棚の中を探り、手の平大の透明な瓶を差し出してきた。
「……何ですか、コレは?」
「彼らが嫌う【フォレストベア】の体臭に似せて作った【香水】です。自分に振りかければ半時ほどは寄ってこなくなりますし、彼らにかければ錯乱するか逃げてしまいます」
ハァハァと息せきながら、βでは見たことのないアイテムの説明をしてくれた。
【香水】、奴らが嫌う臭い……。そんなものあったのかと、またまた溢れ出てきた新事実に驚かされるばかり。
「よろしいんですか、こんなものまで頂いて?」
「はい……。私には、このぐらいことしかできませんが―――」
「それではありがたく、使わせてもらいますよ」
パシリと、言い終わる前に小瓶を取った。
いきなり手元から消えて呆然とする奥さん。コウイチはその不躾すぎる振る舞いに注意が向く前、もうここには用はないと身を翻すと、家の外へ出て行った。
オレも慌ててその背に従うと、後ろから別れの言葉が投げられた。
「あのぉ……、どうかお気をつけて。決して、無理だけはなさらないでください」
心配そうに別れを惜しむ奥さんにオレは、何とも言えず会釈だけ返した。……彼の相棒である以上、今更取り繕っても手遅れだった。
見送ってくれる奥さんの視線から逃げるように、ズンズン先へ進むコウイチの元へと走った。
長々とご視聴、ありがとうございました。
感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。