1 蛇は何を失せたか
カロー兄妹に『服従の呪文』をかけていたと判明したミリア・セルウィンは、ヴォルデモートの尋問を受けていた。
「正直に答えよ。『スリザリンの継承者』に相応しいのは、誰だ?」
「私です。私こそ、『スリザリンの継承者』に相応しい――そう思います」
「『秘密の部屋』で俺様を待て。殺してやる……!」
「分かりました、我が君」
蛇に一礼して、部屋を出た。
ミリアは従順に、廊下の奥に消えた。
*****
ホグワーツの底の底の、最も低い場所、『秘密の部屋』で。
(あの方を待たなきゃ。来るまで待たなきゃ……)
ミリアは水をすすっていた。
(闇の帝王が来るまで、私は生きていなきゃ……)
――奴はお前に死を与える。それでも待つのか?
虚ろな脳裏に声が響く。
(それが命令。命令は絶対――)
――この結末に、悔いは無いのか?
(私が死ぬとしても、これで良い。あなたに触れられたことに、後悔なんて無い)
水で腹は膨らんだ。何かをする体力も意思も欠けている。苔むした床にそのまま横になった。
それは夢なのか、単なる回想か――“彼との出会い”が、今までの足跡が、走馬灯のように回り始める。
**********
『秘密の部屋』事件が解決した後の、新学期。
ミリアはスリザリン生として、スリザリンを知るために行動を始めた。“スリザリンその人”は人々の記憶からも図書館からも消え失せており、ミリアは先の事件の中核『秘密の部屋』にそれを求めた。
――結果、一人の友人と決別した。
「開け」
『蛇語を認定。防衛口を解除する』
蛇口が光りながら回り、やがて手洗い台が沈んでパイプがむき出しになった。
「マーリンの
嘆きのマートルが呆然と呟いたのをしり目に、ミリアは躊躇なくパイプの中に身を躍らせた。
滑る――滑る――どんどん下へ――。脇にいくつものパイプが見えたが、道は一つ。一番太い道が、有無を言わせずミリアを導く。
何分間滑ったのだろう、摩擦でローブが燃えそうなくらいだ。
「ひゃあっ!」
どさっ、がらがらがら……。足から何か軽い物の山に突っ込み、軽い物は中途半端にブレーキの役割を果たした。足先だけ床(?)に引っかかり、だが上半身の勢いは殺されず――結果でんぐり返って反対側の壁(っぽい物)にぶつかるまでゴロゴロ回転した。
「きゅぅ……」
目が回ったのと壁にぶつかったので、もう気絶寸前だ。
「ほっほっほっほ。『
急に目が覚めた。気つけ呪文をかけてくれた人――この気配は、ダンブルドア校長。
「校長先生――なんでこんなとこに?……あ。ありがとうございます!」
「例には及ばんよミリア。わしはちぃっと学校探検じゃ。未知のエリアが開放されたようでのう」
『彼は半分だけが本気だから質が悪い。惑わされるな、ミリア・セルウィン』
歌うような鳥の鳴き声。こんなきれいな声を、ミリアは聞いたことが無かった。
「あなたは――?」
『私はフォークス。彼の目付け役だ』
「おお、そうか初めてじゃったか。フォークスは何と言った?」
「先生のお目付け役だって」
「なんと!よくよく仕えてくれる最高のペットと思うておうたのに……」
『ダンブルドア、我々は対等関係のはずではないか?』
「対等だったんじゃないかって」
「いや、薄々そう感じておったのじゃ、本当じゃ。――かなわんのう」
このやり取りが、なぜかおかしくてたまらない。堪えていたが、つい漏れてしまった。
「ふ、ふくくく……ご、ごめんなさいっ、んむむむ……」
「元気が戻ったところで、そろそろ明かりをつけてはどうじゃ?」
『全く。冗談は常に半分なのだから』
校長先生とフォークスは、ミリアの笑いが収まるのを待ってくれた。正常に呪文を唱えられるまで、自らを必死に落ち着かせた。
「こほん。『
「その後、杖殿はどうじゃ?」
「よく話しかけてくれます。どこが悪かったのか、どこが間違いなのかをたくさん教えてくれますし――」
「ほっほ。ホグワーツ教師顔負けではないか」
「そ、そんな!先生たちも、いっぱいためになること教えてくれます!」
「ではライバルじゃな」
ようやく見えた校長先生が、ウィンクした。先生の肩にとまるフォークスの姿を見て、息を呑んだ。柔らかくつかむ爪は太陽のような金色。深紅の羽は自ら光を放つように輝き、尾羽は空からそのまま降りてきたような虹色だ。
(なんて、きれい……。こんなにきれいな生き物が――)
なんとなく
(俺を忘れるんじゃねえ)
と、銀色の姿となったカラスが抗議しそうで、こっそりとまた笑みを浮かべた。
「フォークスを気に入ったか。じゃがきみに贈ることは出来んのう。何せ『お目付け役』だそうじゃからな」
『まだ根に持つか』
「わ、わたし欲しいなんて!わたしには、このカラスさんがいますから!『エクスペクト・パトローナム』!」
カラスとの再会を思い浮かべて呪文を唱え、銀色の彼を頭に乗せた。
「ほうほう。確かに『彼』も十分に美しい。フォークス、ライバルじゃぞ」
『分かった、分かったから!もう禍根は無しだ!』
ミリアと校長先生と不死鳥のフォークスと。二人と一羽は、小動物の骨が敷き詰められた道を進む。
「この骨たちの最期の記憶は、読めるかの?」
「やってみます」
小さな頭蓋骨を、手と胸と、気持ちで包み込んだ。
(……)
古く、古い――何十年、何百年、この暗闇の中で眠っているのだろう。
「!?」
視界が突然開けた。黄色く光る二つの球と、蛇の
「びっくりした――。このネズミさんは、バジリスクの目を見て死にました。食べちゃったんでしょうか……」
「じゃとすると、きれいに肉を剥いで食べたのか、骨は吸収できなんだか――興味深いのう」
小さな“彼”を、大きな牙で起用に食べる姿を思い浮かべた。かわいい気がした。
『いや、普通にすれ違っただけだろう』
「偶然バジリスクと会っちゃったんですね。――会う人会う人死んじゃって、寂しそうです……」
「じゃが、今回の事件では誰も殺していない」
「……そうですね」
それが、死んだというバジリスクにとっての救いであってほしい。祈りを込めて“彼”を置き、奥を目指した。
巨大な脱皮跡を見て腰を抜かす事件を越え。フォークスが変な形の骨を見つけて鑑定すると、ブリバリング・ハムディンガーの疑いが出てきた大事件を経て。
「開け」
『蛇語を認識』
『いや待て、本当に蛇語か?』
『通じただろ?』
『じゃあ蛇語だ』
『最終防衛口開放』
二匹の蛇の彫像が守る、最後の部屋に辿り着いた。
何故か、その部屋にはほのかな明かりがあった。部屋の両脇には、蛇が絡み合う彫刻を施した石の柱が、高く高く伸びている。
「ここが『秘密の部屋』じゃな」
『ああ。ポッターとリドルが戦った部屋だ』
「怖いけど……なんだかきれいです」
蛇と緑の組み合わせは、スリザリン寮に住み込んでいると嫌でも慣れる。
「寮と同じ、湖の光……でも寮と違って広くて――厳かです」
「貴重な意見をありがとう。ここが終わりでないぞ」
校長先生が奥を示した。先生は野道をお散歩しているように鼻歌を歌いながら、ミリアは観光地を案内してもらっているようにきょろきょろと、石の蛇たちの間を通った。
一瞬
「!?」
誰かがいるような気がした。
「どうかしたのか?」
「……まずは、奥へ行きましょう」
黒い憎悪を叫び続ける“誰か”が。
やがて二人を迎えたのは、巨大な老人の彫像と、両目が潰れた蛇の死骸。ジニーの記憶で見た景色だ。
ドキドキする心臓を抑えながら、蛇に近づくと――
「待つのじゃ」
「毒ですか?気をつけます」
『幻の動物とその生息地』に、牙は猛毒を持つと書いてあった。
「毒もそうじゃが――今はフォークスがいるから問題ないのう――バジリスクの記憶を覗きたいのか?」
こっくり頷くと、ふるふる否定された。
「バジリスクは、スリザリンの蛇です」
「そう、スリザリンと直接繋がっておるからじゃ。――千年の記憶に、きみは耐えられるのか?」
千年とはどのくらいの時間だろう。遊び場の森の長老樹は、五百年の時を見せてくれたのだが――
(五百年と千年の違いって、なんだろ?)
同じな気がした。
「大丈夫です。毒は牙からですよね。ならおなかの方を……」
「呑まれるでないぞ」
『君はミリア・セルウィンだ。それをくれぐれも忘れるな』
そうだ、樹とは違う。この蛇は、人を殺し、動物を殺し……千年の間一人ぼっちで生きたのだ。
「はい」
彼らの忠告を、重く受け止めた。
蛇に黙祷をささげ、鮮やかな緑色の鱗と向き合った。
(わたしはミリア・セルウィンです。サラザール・スリザリンの本当の姿を知るために、あなたに触れます)
目的をしっかり胸に刻み付け、触れた。
痛み。痛い、いたい、イタイ――僅かな光さえ失った。
(最期の記憶。ポッターさんに倒された時だ)
憎悪。憎い憎い憎い!穢れた血が、穢された混血が憎いッ!殺す!殺す殺す殺す――
(――!これじゃない。これは、今回の事件、わたしが会ったころだ。もっと前、もっと昔の記憶を見せて)
歓喜。また外へ出られる!穢れた血を、今度こそ殺して、殺して、殺しつくしてやる!
(ジニーの顔……?違う、リドルさんだ。ということは、壁に文字が書かれた辺り?)
焦燥。たった一人、たった一人しか殺せなかった!我の、使命は、穢れた血を絶やす事……
殺したい。
まだ駄目だ。
殺す。
あの方が帰らない。
殺さねば。
殺してやる!
殺す!
殺す。
殺す。
そうか、その為に。
使命?(リドル――?)
『彼の使命は、穢れた血を絶やす事なり!』
穢れた、血――?
『我が彼に命ずる!我が命じし人間を殺せ!穢れた血を、穢された混血を、殺しつくせ!』
何――?
『目覚めよ、バジリスク!』
無。
『サラザール・スリザリンよ。我に話したまえ!』
無
無
無
無
無
無
無
無
無。
無。
無。 無。
無、無。
無、無、無。
無無無無無。
無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無無無
無無無
無、無、無。
無。
無。
孤独。
孤独。
孤独。
孤独。
孤独。
孤独。
絶望。
哀切。
哀切。
哀切。
寂寥。
後悔。
後悔。
寂寥。
寂寥。
待望。
待つ。
待っている。
あなたを。ずっと。
待っていますよ。
本当に、戻らないのですか?
『ああ。お前を連れて行く事は出来ない。……済まない』
いいえ、謝ることなどございません。少し進めば死体ばかり――わたくしにお日様の光など、贅沢に過ぎます。
『……。ああ、お前にはこの湖の光が映える』
そうでしょうとも。これこそがわたくしの自慢にございます。
『お前も随分大きくなったな』
あなた様のお陰です。
『……。そろそろ、発つ。もう今生、ホグワーツに戻る事は無いだろう』
お待ちください!
『余り力むな。私だからこそ死ななかった様な物だ』
わたくしは、どうすれば!あと数百年、数千年かもしれません――わたくしは、どう生きれば良いのでしょうか!
『……』
あなた、様?
『約束してくれ』
はい、何をでしょう。
『私は……会う事は無いが、いつか、私の意思を継ぐ者が……きっと現れる』
あなた様の、意思?
『そうだ。彼が――いいや、彼女かもしれない――現れた時、それの助けとなってくれないか?』
助け、とは?わたくしは……無力です。何かを壊すことしか、出来ません。あなた様のお役にも、まるでたてず……
『卑下するな。お前は美しい。――壊す事で助けとなるなら、それで良い。誰かがお前を導くなら、それに従えば良い』
あなた様の意思を継ぐ者が、導いてくださるのでしょうか。
『ああ。それは外敵から城を護る事かもしれない。悪となって倒れる役目かもしれない。――穢れた血の排除、かもしれない』
あなた様のためなら、死する覚悟もあります。導いてくだみさるなら、りそうしてみせましょう。
『約ぁ束だ』
はい、約束ミにございますリア。!
はっ、と、我に返った。
顔がくすぐったい。白いひげが顔を撫でている。
幻想より遥かに巨大な、エメラルドの蛇が横たわっている。ミリア自身は、ダンブルドア校長に背を支えられている。最後に先生の声が割り込んできて、目を覚ますことが出来た。
「気づいたかの?」
「はい……すみません。大口叩いたのに、呑まれてしまいました」
遠くでフォークスが、勇気と癒しの歌を歌っている。小さく礼を言って、自分の足で立った。
「謝るのは、先に涙を拭いてからじゃの。心配もしたが、あぁ良かった良かった!」
頬を抑えると、確かに手のひらが濡れた。少し汚れたハンカチを出した。
何故泣いている?そんなの、人間なら当たり前だ。
「先生」
「なんじゃ?」
「“彼女”の、お墓を作ってくれませんか?」
校長先生は興味深そうに、ミリアの涙で潤む目を見つめた。
「五十年前に生徒を殺したのは知っています。今回も、何人もの人を襲って、みんなを怖がらせたのは分かってます。でも……」
「花を置くのはきみとわしくらいの墓じゃが、良いか?」
「贅沢過ぎるくらいです――そんな風に、“彼女”は言いそうです」
校長先生はにっこりとほほ笑んで、杖を振った。
蛇が炎に包まれて、ミリアは小さな悲鳴を上げた。
次に前を向いた時、灰色――いや、銀色にエメラルドグリーンの装飾が施された、小さな墓が建っていた。
「何を刻む?きみが決めるのじゃ」
悪となって倒れた“彼女”を悼む人間が、一人くらい――いいや、二人、いてもいいのではないか?
「『約束は、果たしました』」