もう何度目だろう。ミリアは表題の無い本を開いた。
『私はこの愛しいホグワーツを、今日発つ。名残り惜しくはあるが、悔いは無い。三人の友たちに後事の全てを任せるのは、少々気がかりだが。胸を張って記そう。四天王の中で俺が唯一まともだ!
……。のっけから興奮し過ぎた様だ。冷静になれ、私。(ここまでインクを流して見えないようにした形跡がある)私は当代最高の闇の魔法使い、サラザール・スリザリンだ。
『秘密の部屋』の入り口を開き、更には私の研究室たるここを見出した知恵者へ。私は彼なる者に、全てを託す。私の研究、バジリスク、魔法道具、そして私自身の意思を。ホグワーツを愛し、守らんと
ここを見出した
私が物心つく前、私は既に人を殺めていたそうだ。相手は屋敷のある丘の麓で身を寄せていた、マグルの集団。幼き歯止めの無い魔法力で、女子供も一人残らず絶やしたそうだ。師たる父は狂喜し、私がスリザリン家の『望まれし』後継者だと即断した。
その日から、私は器として育てられた。スリザリン家が伝承する全ての魔法を――今日ではほぼ全てが『闇の魔術』と区分される――自在に引き出すだけの、闘う為に生み出された自動鎧の様に。父の言いつけ通り――いや、彼は誰にも気を許すなと教え込んだのだが――気を許したのは、折檻部屋の石床に描いた絵や、どこかから紛れ込んできた蛇だけだった。
父の努力が実ったのだろう。十代半ばで父や祖父、一族全ての人間の力を一回りは上回り、成人の頃には容易く扱える程に高まった。
成人して、初めて家から出された。全ての魔法使いの家を下し、目に映るマグルを皆殺し、スリザリンを世の頂点に立たせる為に旅に出ねばならなかったそうだ。家を出る際、一族全員を一人残らず殺したのは、何故だったのだろう。きっと私こそが頂点だと父に証す、私なりのジョークだったのだろう。
私は亡き一族の悲願を達成するため、旅に出た。私の持ち物はそれのみだった。自由になっても、一族に縛られた生き方しか知らなかった。道行くマグルを殺し、魔法力を見つければ追い、全て絶やした。後で聞いたのだが、その頃の私が通った道は、天災の跡と噂されていた。
数年なのか、一年も経っていないのか、時を数えていなかった私には分からない。ただ、旅に出てしばらくして、たった一人の男が天災に立ち塞がった。
ゴドリック・グリフィンドール。
当代最強の魔法使いであり、後の我が親友。
我々は戦った。時間は三日三晩に亘ったという。私はそこに魔法使いがいるから、彼は天災を止める為に。
結果、私は負けた。我がちっぽけな名誉の為に記しておくが、私がついに倒れた時、ゴドリックも力を使い果たし、ただ立っていただけだった。少し贔屓目に見れば、引き分けだった。
ゴドリックは力を失った手で、私の手を掴んだ。共に来いと。
何故殺さないかを問えば、ガキの目をしてるから、だそうだ。意志無くただ殺戮を振り撒く私は怪物ですらなく、駄々を捏ねる赤ん坊の様な物、殺せば自分の手が汚れる――だそうだ。今思い返せば結構な言い様だが、当時の私にはさっぱり理解出来なかった。ただ、この男の強さの秘密を暴く為、行動を共にすると、馬鹿正直に宣言した。
我々は共に旅した。
邪魔な人間を殺そうとすれば、止められた。何故ならば生きているから。
あの今にも死にそうな体で鍬を振るうマグルにも、意思と意志があり、それを尊重し合えば自らの意思と意志も貫ける様になる、そう言った。
邪魔な森を消滅させようとすれば、止められた。何故ならば生きているから。
その森には多くの生き物が住み、多くの恵みを齎す。その循環を消してしまうと、今度は人間である我々が飢えるそうだ。だから殺すのは自分の腹が満ちるだけ、そう言って素手で殺したキメラに貪り付いた。
何故喧しい歌を歌い続けるかを問うた。何故ならば生きているから。
人間は無駄を持つことで格段に人間らしくなるそうだ。ゴドリックに言わせれば私は人間として未熟極まりないそうで、趣味を持てと強制された。
今までの人生の中の無駄と言えば、石床の落書きと蛇との会話だろうか。それを伝えると、ゴドリックは喜んだ。彼は早速画材を買って来たのだが、布の柔らかさはどうも性に合わない。焚火にくべてしまうと、珍しく彼から決闘を始めた。周囲を更地にして、どちらからでもなく空しくなり、やめた。
旅する内に、徐々に理解した。私に決定的に足りない物は、意思と意志だ。無駄を持つことで欲望が芽生え、欲望が確固とした己を形作る意思へ変化し、何物にも負けない意志を作る。
全ての人間は、意思と意志を持つ。私と同様に意志を貫こうと生きている。だから無暗に邪魔をしてはいけないし、余程でないと殺してはいけない。
死は不幸だ。多くの人間は共存という在り方を取っているから、自他共に死は忌避すべき対象となる。意志無く死を振り撒いた私は、共存を壊した罪深い存在だ。
それを聞いてゴドリックは笑った。人間として一歩成長したと。私の答えは正解か間違いかを訊ねると、やはりまだまだだと。それに拘らないのが大人だと。個人個人が個人の正解を持ち、個々を尊重して時には退いて、然るべき時に自らの正解を押し通す。それが大人のやり方だそうだ。当時ははぐらかされたと思い、不意打ちを仕掛けたが、今ならよく分かる。
決闘の後、ゴドリックは自らの欲望を打ち明けた。曰く『魔法使いの子供を一所に集め、皆で協力し合って育てたい』と。これは私と初めて戦った時に、決意したそうだ。
そうして、私にも協力してくれと、頭を下げた。それは私の様な子供を作らない為だと。
当時の私にも、以前の私は人間として異常だったと理解出来た。意思と意志、欲望を持たない人間は、生きている意味が無い。承知したと言うと、彼は今まで見せた中で一番大きく笑った。
『学校』を作るに当たり、旧知の仲というヘルガ・ハッフルパフを訪ねた。彼女は学校作りの協力を、二つ返事で引き受けた。
これは最近聞いた話なのだが、これほど早く決断したのは、三割程度私の
同志集めにゴドリックが次に目をつけたのは、当代最高の魔法技術を持つと噂される、レイブンクロー家だった。ひと悶着どころか十悶着ほど経て、末娘のロウェナ・レイブンクローが協力してくれる運びとなった。
斯くして四天王が揃い、学校を作るに至った。
和やかに進んだ学校建築に反し、運営は衝突の繰り返しだった。
その一番の論議は、マグル生まれの魔法使いをどうするか、だった。
ゴドリックはマグルの中で迫害を受け、時には殺される彼らを救いたい、そう主張した。
相対したのは私。マグルに魔法を授け、我々魔法使いを上回ればどうする。そもそもマグルから魔法使いを守る為との名目で生徒を集めるというのに、マグルまで集めればどうなるか。
そう、私はマグルが恐ろしかった。
マグルと我々の差は、魔法を使えるか否かのみ。そして数ではマグルが圧倒的なのだ。
マグルも我々と同じ人間だ。意思と意志を持つ。意志は時に魔法の技を制す。我々に恐れを抱くマグルが同じ敵の元、一致団結して襲い掛かれば、どれだけの被害が出るのだろう。
家族を、一族を、故郷を奪った私を、殺しに来るのだろうか。
死にたくない、殺されたくないという思考が、その頃ようやく理解出来た所だった。
ヘルガとロウェナは、ゴドリックに賛同した。最も人望の深いヘルガが、マグル入学反対の家々を説得して回るという事で、生徒が集まらないのではないかという問題は、一時解決となった。
学校を開始し程無く、問題は表面化した。主に純血の家に生まれた子供による、マグル生まれの子供への中傷、差別、暴力などだ。私を含む学校長、集まってくれた教師達が見つけ次第止めるが、無くなりはしない。
加害者は特に我が寮に多かった。最後までマグル生まれ入学を反対し続けた家を汲み取り、純血だけの寮として、その家の子供を受け入れたからだ。
事情を訊ねると、親類をマグルに殺された経験を持つ者、幼い頃からの刷り込みで行動に出る者、周りに流されて仕方が無く合わせる者――様々だった。私も家の刷り込みによって、取り返しのつかない罪を犯した身。間違っているとは分かっているつもりだが、共感してしまう。
何故自分たちが間違っているのか?――そうよく問われた。マグルも同じ人間だから。痛みや苦しみを忌避し、死を恐怖し、時には喜びを分かち合い、共存可能な、我々と同じ“心”を持つから。説いても彼らの心には届かない。私の言葉は無力だった。見出した真実は、彼らには綺麗事としか受け取られない。私は、無力だ。
やがて、生徒達の暴走は歯止めの効かない段階まで進んだ。学校のマグル生まれを殺しつくし、卒業後は積極的にマグル狩りに走ると宣言した集団が台頭した。
私の主張は聞き入れられない。だから、大人になる事にした。
集団の中心人物達に、接触を図った。警戒されたが、どの創始者よりも彼らに近い位置にいたお陰で、たった一度話を聞いて貰える事になった。
私は過去を話した。ゴドリック以外誰も知らない、罪に満ちた過去を、有りの儘に伝えた。今まではゴドリックに絆され私自身の在り様を見失っていた、彼らの活動を見ていて目が覚めた――そう話すと、何日か後に受け入れられた。
私は集団に、徐々に馴染んでいった。罪だと承知の上で、彼らに加担した。信用を得て、中心に入り込み、遂には束ねる存在となった。
私を迎え、秘密裏に力を蓄え――この為に初めて『秘密の部屋』を開いた――そして、『約束の日』は訪れた。マグル厳正の道を進む中、私の思惑通り、彼が立ち塞がった。
ゴドリックは彼らの暴走も、私の思惑も、全て承知の上だった。承知した上で、力尽くで止めると、いつになく静かに言った。
せめてマグル生まれの入学だけは、譲歩してくれないか――そう頼み込んだ。だが彼は出来ないと返した。私と違って大人になり切れないから、理想は譲れない。生徒が暴走すれば、何度だって止めて説得する――彼は強い男だ。
ここで退く道は残されていない。私が勝てば、マグル生まれ入学を廃止し、それを使い彼らの目的意識を散漫させる。私が負ければ、最強の首魁たる私を失う形となり、彼らは大人しくせざるを得なくなる。
だが私にだって負けられない理由がある。罪に塗れた私ならばともかく、まだ無垢な生徒たちに悪の烙印を押させることは出来ない。ゴドリックに勝てれば、彼らが曲がる余地はきっとある。徹底的に折らなくとも。
仕組んだ通りに、我々は決裂した。どれくらいぶりだろう、正式な作法に則って、杖を向け合った。
初めての決闘と同じく、三日三晩。私にはその三日間が、数年にも思えた。
知り尽くした技を封じ合い、新しい力を見極め合い、砕けない意志を確かめ合った。
結果は、私の完敗だった。力も技も互角だった。背負う意志の重みも同じだったはずだ。
ならば何故負けたのか?それは私のやり方が必要無いからだ。マグルを恐れる私が間違っているからだ。
ホグワーツはゴドリックの思想で動いていく。敗者たる私は、ただ去るのみ。
だが、私にも意地という物が存在する。未来、明日かもしれない、数年後かもしれない、数百年、数千年後かもしれない。私が必要とされる時が来るのではないか?毅い意志の元、例え罪に塗れてでも、生徒を、彼らの未来を守ろうと支える役割が。
狡猾さと断固たる意志を受け継ぐ、私の継承者に、私の力を遺そうと思う。
私に未来を強制させる権利は無く、貴方に私の意思を継ぐ義務も無い。貴方は自由だ。
それでも切願する。
私は後世に悪として残っているだろう。しかしこれに書いた様に、生徒と学校を守る為に行動したのだ。
ホグワーツと生徒を守る為に、私の力を使ってくれ。
ゴドリックの働きによって、未来にはマグル生まれの差別も沈静化しているだろう。それに納得できない者らを止める為に、私の力を使ってくれ。
純血もマグル生まれも、全ての生徒たちを、守ってくれ。
サラザール・スリザリン』
ミリアはようやく、なぜサラザール・スリザリンの影を追ったのかを理解した。
(誰かに言ってほしかったんだ。スリザリンはいい寮だって。わたしは……弱いから)
他寮の生徒も、自寮の生徒も、本も、寮監でさえ、スリザリンを否定した。校長も、そうするかもしれない(一昨年の『寮対抗杯の惨劇』は、ミリアの耳にも入っている)。それでも一人で叫び続けられるほど、ミリアは強くなかった。
味方となってくれて、ミリアが越えるべき壁を示してくれた彼へのお礼に、最も『想い』のつまったこの本に語り掛けた。
(ゴドリックさんの意思は、しっかり生きてますよ)
ミリアは今のホグワーツを想う。魔法力を示せば分け隔てなく受け入れ、混じり合って暮らして授業を受ける姿を。
(あなたが守りたかったものも、残ってます)
例外的に、スリザリンにだけマグル差別が残っている。それは家族主義、魔法族たる誇り……現代では否定されても、それも自由として残されている。
(“彼女”は……『彼ら』の思想のために使われてしまいましたが、ちゃんと勇敢なゴドリックさんの継承者が止めました)
願っても、サラザールは予想していた。残った自分の寮が『彼ら』の温床となることを。
(わたしは……まだサラザールさんが望んだような、継承者にはなれない。……自分の身を守るのが、精いっぱいだったから)
サラザールが遺した品は燃えてしまったが、本は辛うじて保つことが出来た。
ミリアは誓った。それを読んで――学校の授業もちゃんと受けて――、強くなろう。サラザールの様な、毅い意志の元に。
スリザリンさんの元ネタは、ポルトガルの独裁者だった、アントニオ・サラザールさん。
彼は穏健派保守に属し、最大の敵は左派(グリフィンドール)ではなく極右過激派(ヴォルさん)だったそうですよ。ウィキペディアより。