ミリアはホグワーツ二年目を、『秘密の部屋』に捧げた。
サラザール・スリザリンの遺稿は、少し勉強熱心な二年生には高度すぎた。『闇の魔法研究書』は無論、寮監日誌でさえ難解だ。図書館から借りた辞書を何冊も並べ、うんうん唸りながら頭を掻きむしる日々。
少しでも自由時間を見つければ『秘密の部屋』に直行したので、周りからは不審にみられるようになった。そんなよく知りもしない勝手な目線は別に良かったが、問題はルーナ。
ルーナはミリアやハグリッドといる時を除くと、いつも寂しそうだった。
彼女は一人でいることを望んでいない。しかしミリアは一人で千年前の思想に挑みたかった。一人でこの試練に打ち勝ち、強さを得るため――それは言い訳に過ぎない。ようやく見つけた『現状維持以外の道』を示してくれた彼に対する独占欲だと、薄々分かっていた。
新しく気付いた自らの汚さを、処理しきれない。だというのに、冬休み直前のある日、ルーナに声をかけられた。
「こんにちは、ミリア」
「あ、ルーナ……久しぶり」
どう言い訳すればいいのだろうか。
「あんた最近どうしてる?あたしは何も。退屈だな」
「わたしは……図書館で勉強したり、いろいろ。忙しいんだ、ごめんね」
気まずさから目を逸らしつつ、ルーナに言える本当のことを口に乗せた。
他の言い訳を考えているうちに。
「忙しいなら仕方ないね――じゃあね、また」
言ってほしかったことを、言ってくれた。返事が勝手に口から飛び出した。
「うん、またね」
なんて、醜いのだろうか。閉心術で涙を隠したのは、ルーナに心配かけたくないから――そう信じたい。
(あの子……ハグリッドのヒッポグリフさんが処刑されそうだって……)
彼女の用向きは、それだった。“忙しい”ミリアを気遣って、口をつぐんだ。
それが何日も頭に引っかかり、読書がはかどらない。そんなに悩んでいるくらいなら、力になればいいと一念発起し、冬休みにハグリッドの小屋を訪ねた。
小屋に入ると、すかさずファングが飛び込んできた。
「おお、ミリア。ずいぶん顔見てなかったなぁ。ファングも寂しがってたぞ」
『ミリア、ミリアだ!』
「こんにちは、ハグリッド。久しぶり、ファング」
こうして動物と触れ合うのも、いつ以来だろう。寝室で大イカと会話するのも、最近はめっきり減っていた。
「最近どうしちょる、ん?ルーナが寂しがっとるぞ」
「ちょっと、ね。忙しいの。勉強とかが」
ルーナと同じく、当たり障りのない返事で誤魔化した。
「ところで、何か最近困ってること、無い?」
鷲の頭と馬の胴体を併せ持つ動物を、ハグリッドは思い浮かべた。名はバックビークというらしい。黒いもやもやが、彼の首に斧を振り下ろすところも。だが、それを止めようと三人の生徒が頑張っている。一人は見たことがある。ハリー・ポッターだ。
「いんや」
また、自分に対する気遣いだ。
「そう。――じゃ、帰る。ばいばい」
「バイバイだ。たまにはルーナと遊んでやれよ」
そこに、ミリアの入る幕は無かった。
小屋の扉を閉めて、何度か行ったり来たりしてから裏庭に回った。そこでは鎖でバックビークが繋がれていた。
『何用だ、ミリア・セルウィン』
「用は……ありません」
彼は気が立っている。――いや、誇りがそれで済ませていた。
自らの処刑が進んでいることを、知っているのだろう。だが決して取り乱さない。その態度は、沈んだミリアの心に、深く突き刺さった。
(かっこいい……)
彼の前に出て、かしこまって座った。
「良ければ、話をしてもいいですか?」
『手短に済ませろ』
「あなたは、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか?処刑のことも、……全部知っているのに」
『それが俺だからだ。敵には足を折らない、それが死であっても。それだけだ』
豪快に、翼をはためかせた。砂埃が目に入るが、無理に目を開け続ける。決して目を逸らせない迫力があった。
「わたしは何もできないけど……きっと大丈夫です。ハグリッドたちが一生懸命、がんばってます」
『知っている。用が済んだのなら去れ』
「はい」
一礼してから、背中を向けた。無言でずっと見送ってくれたのが、今のミリアにはたまらなく嬉しかった。
*****
大量殺人犯、シリウス・ブラックが近辺をうろついているとかで、クリスマスの学校は去年よりも静まり返っていた。晩餐会で居残り組と食事したのだが、スリザリンはミリアの他五年生の人が一人、レイブンクローの一年生が一人、ハリー・ポッター含むグリフィンドールの三年生が三人残っているだけだった。スリザリンの彼はこんな事件の中家へ帰れなく、とても不機嫌そうだ。
晩餐会後、珍しく眠気が襲ってこなかった。寮を使うもう一人が自室に戻っているのを確認してから、暖炉前の大きなふっかふかソファにぼふっと飛び込んだ。ミリアの様なはぐれ者には、暖炉前どころか談話室にも居場所が無い。
「『エクスペクト・パトローナム』」
いつになくおおらかな気分のまま、守護霊のカラスを呼んだ。
『どうかしたか?』
「あのね……」
ミリアは日記をつけるように、自身の分身たるカラスに最近の出来事を話した。
『秘密の部屋』のこと。バジリスクの“彼女”のこと。スリザリンの遺稿のこと。ルーナのこと。ハグリッドとバックビークのこと。
気がついた自分の醜さのこと。それでも強くなりたいこと。だがルーナを見捨てたい訳でもないこと。――どうしたらいいのか、分からなくなっていると、気づいた。
「わたしは、『スリザリンの継承者』になりたい。そのせいで……ジニーを傷つけて、ルーナに寂しい思いをさせてるの。やっぱり、間違ってるのかな……」
『ジニーは仕方がない。時が解決してくれるのを待て。だがルーナはどうだ?ルーナに『秘密の部屋』でそうこうしてると伝えれば、自然に離れるか手を貸すのか、向こうが勝手に決めるだろう』
「ルーナに全部言っちゃうの?――そんなの、出来ない」
『なんでだ?』
「なぜって……」
深く自分に問う。ぼんやりと形が生まれた。
『恐れているからだ。理解されないことを。だからお前は“他人の心を読める力”をルーナに話さないんだ。同じように、お前が感銘を受けたスリザリンを否定されたくない。だから校長にあの本だけは見せなかった』
カラスが、形を言葉にしてくれた。
「うん……わたしは怖い。ケンタウルスさんみたいに誰かから拒まれたら……」
『だから積極的に友達を作らない。俺が誘うまで、森に決して近づかなかった時から、全く変わっていない』
ごくごく幼い頃、ミリアは自分から家の近所の森に入ることが出来なかった。森の生き物にとって、人間でありながら自分たちと心を交わすミリアは、不気味極まりない存在だった。だから拒絶し、ミリアも“恐れ”を真正面から受け止めた。
孤独を友としていたミリアを、カラスが変えてくれた。飛べなくなったカラスがミリアを呼び、保護と介抱させた。動物にとって動けなくなるほどの怪我は死を意味する。どの動物より強い人間を利用することだけが、生への道だった。
すっかり治してもらったカラスは気まぐれに、助けてもらったことを森中に広めた。そこから動物たちが餌や治療目当てで訪れ、ついにはミリアを迎え入れた。沢山の“ともだち”に恵まれたのは、カラスの小狡さと気まぐれのお陰だ。
ともだちに恵まれたから、孤独が怖い。孤独よりも更に、拒絶が恐ろしい。どちらかを選ばねばならないなら……孤独を取ろう。
「決めた。はらくくる」
一人になる決断に、カラスは呆れたように言った。
『お前スリザリンの本に影響され過ぎだ。もっと自分を持て』
「……?どういうこと?」
『言葉の通りだ。スリザリンだけじゃない。バジリスクやらバックビークやら、いちいち十まで共感して影響されて、目指すんじゃねえ。お前はたった一人なんだ』
「ええっと……振り回され過ぎ、っていうこと?」
そうかもしれない。あっちにふらふら、こっちにふらふら……ミリアの心は、その時々で全く違う他人に合わせ揺れ動いている。
『ああ。取り返しがつかなくなる前に、自覚しろ』
「――あ、消えた」
とてもカラスらしい去り方に、ミリアは頬を膨らませた。
ミリアは気づいていない。銀色のカラスが、限りなく生前の彼に近い事実を。
ミリアは本人すら自覚しない心の奥底――無意識の領域まで読んでいる。それをミリア自身の無意識が記録し、それが本人として記憶に残している。守護霊の術は人間の意識と無意識の境界に踏み込む術で、ミリアの無意識に刻まれたカラスの記憶を、そのままに近い形で表出させている。だから他の守護霊と違いペラペラ喋りアドバイスまでする。
同様に、全く気がついていない。ミリアの無意識の中で、感銘や共感を餌に、限りなくサラザール・スリザリンに近い何かが育っていることを。
誰かと会話をすると言えば、専らスリザリンの同級生のみ。ほとんどが事務的なやり取りで、親しいと言えるのはレナの宿題に手を貸す時だけ。
だが、孤独とは思わなかった。常にある人の心を感じているから。
イースター休暇でも、それは変わらない。レナが三年生で新しく取る選択授業の紙と睨めっこしている横で、ミリアは流し読んでペンを走らせる。
「ねーミリア、魔法省に入るのに有利なのは、どれか知ってる?」
ひょんなことから話してくれた。レナは高圧的で頭の固い母親から独立したいと。だから文句の届かない場所まで出世をしたいそうだ。
「知らない」
父親がそこに勤めているわけでもない。レナの方がよっぽど詳しいはずだ。
「ミリアが選んだのは何かな?どれどれ」
横からレナの頭が割り込む。ミリアの用紙には『古代ルーン文字』にだけチェックを入れていた。
「それと『魔法生物飼育学』?あんた動物好きだもんね」
「ううん、これだけ。別に一科目でもいいんでしょ?」
「うーん、確かに。どこにも『二科目取れ』なんて命令書いてないからね。でも意外ね」
「なるべく自由時間が欲しくて」
ルーン文字を取ったのも、それで書かれた遺稿を解読するためだ。
レナが頭を抱えているのを放っておいて、さっさと提出した。
(明日も早起き)
動物の水浴びの様に手早くシャワーを浴び、髪も乾かさず明日のローブを引っ張り出してベッドに潜る。目を閉じて眠りの世界に身を投じようとすると。
『ちょっといイカ~?』
声をかけられた。この間延びした感じは、大イカさんだ。
「なんですか?」
『最近
「水魔さんたちが?」
『ミィさんの陸の話はとても珍しいと、老いにも若きにも人気なんだぞー』
『秘密の部屋』に入り浸るようになってから、彼ら湖の“おともだち”との会話はほとんど無くなっていた。
「ごめんね、忙しいの」
『そうじゃろ~。キミ外でも遊んでないみたいだからなぁ』
ミリアは目をぱちぱちさせた。
「分かるの?――あ、顔色悪いから?」
『ワシに色は分からんぞぉ。ただ、キミからちっともお日様のにおいがしないんだなー』
「わたしの、におい……?」
窓越しから判別できるくらい覚えられているのか。ミリアは少しだけ恥ずかしくなった。
「今のわたし、どんなにおいがしてる?」
『これは湖の底のにおい。たぶんなー。それにカビとか~?』
思わず自分のにおいをかいでしまった。シャワーを浴びたばかりなので、城の水のにおいがする。
少しの水浴びでは取れないほど、『秘密の部屋』のにおいが染みついているのか?
「確かに、不健康かも……」
ダンブルドア校長は言ってなかったか?学生としての本分は見失うなと。健康でいることも、学校に通う上で必要だ。
『ま~な~。時々お日様浴びんと、ワシも気が滅入ってくるのだー』
日光浴する大イカは、ホグワーツ名物だ。
『ミィさんだけじゃなく、人間みんなあくせくし過ぎと思うんだな。ひなたぼっこほどいいものは無いとゆーのにぃ』
「……それもそうかも」
一刻も早く遺稿を読み解きたい気持ちはある。だが急ぎ過ぎて体を壊してしまえば、それこそ時間の無駄だ。ミリアはまだ二年生。卒業後もホグワーツに残る道だってある。
思えば、心はどんどん内向きに閉じていっていた。どこか病んでいる気配もあったのかもしれない。以前のカラスの忠告は、これのことも言っていたのだろう。
「最近ほったらかしにしてて、ごめんね。明日いつもの岸に行くよ」
窓の陰に向かって、言葉を送る。そこからいくつかの小さな気配が、素早く逃げ去って行った。
「別に逃げなくてもいいのに」
『あくせくするのは、人間だけじゃないみたいだなぁ~』
大イカと、ひっそり笑いあった。