去年から、どうしてか地に足がつかない、ふわふわとした気分だ。
今年の理由は分かる。誰にも秘密で闇の帝王のスパイをしているからだ。そんなレナに言っても笑われるような非現実的な隠し事に、浮足立っているのだ。
寮監のスネイプ先生は、なぜか知っているようだった。どこか怪しげな風采と噂されていたが、死喰い人とは思いもしなかった。要注意人物として、心に留めておかねば。
今年の『闇の魔術に対する防衛術』の先生は、魔法省からやって来た。その背景なら、推察は容易だ。
日刊預言者新聞が毎日ダンブルドアやハリー・ポッターを中傷する記事を出し続けていることから、闇の帝王の復活を否定する方針なのだろう。復活の噂をホグワーツだけに封じ込めておくために、最終的には真実を叫ぶ彼らを表の世界から追放するために、干渉に乗り出したのだろう。
残念ながら闇の帝王復活は真実、魔法省転覆を狙っているのはダンブルドアたちではない。魔法省がそれに気づいて対策を講じる時は、そう遠くはない。悠長にホグワーツなどに干渉している場合ではなくなる。
(そう言っても、聞いてくれるわけないよね)
だから、誰にも言わない。
ダンブルドア校長や、マクゴナガル先生たちは、どうやら闇の帝王に抵抗する心づもりのようだった。彼らから秘密の連帯感が見えたし、ホグワーツ、英国鳥連合はその噂で持ち切りだ。
闇の帝王と接触し、スパイする身なら、彼らに情報を持ち込むべきなのだろう。だが、まだ名乗り出るつもりはない。
(子供だからって、保護とかされるんだろうな……)
実際ミリアのやっていることは危険極まりない。いつ命を落としても不思議でない。
(それは分かってるけど……)
それを承知の上でやっている。今さらやめろと言われて手を引くなど、出来ない。
一方で、スリザリンの遺稿もほぼ全て読破した。上級生が習う『姿現し』も、無言魔法も、試してはいないが危険な闇の魔法も習得した。闇の魔法の基礎を完全に理解したことで、反対呪文も自由自在だ。自分の身を護る事なら、大人にだって負けない。
闇の帝王がやろうとしていることは、魔法界からマグルを追放すること。そのためなら喜んで殺人を犯す。殺人は悪だ。なぜなら殺される人だって生きたいから。止め難いなら、子供の手だろうが利用するべきでないのか?
今のところ上手くいっているのだ。これからも決して油断しない。深入りもし過ぎない。だから、大丈夫。
イースター休暇直前、ダンブルドア校長が失踪して、学校は混乱と混沌に包まれた。それを鎮める『尋問官親衛隊』とやらに選ばれたが、ほぼレナのあこがれの人を護衛しただけだった。ただ、上級生が消えた事件には本気になって取り組んだが。
その中で、少し信じ難い事実を発見した。アンブリッジの部屋に侵入者が入ったとかで、大勢の尋問官親衛隊が部屋を包囲した時だった。
(闇の帝王の気配!)
ジニーやナギニよりはるかに希薄だが、確かに感じた。それを発しているのは。
(ハリー・ポッター……)
何度か顔を見る機会があったのに、なぜ今やっと気づいたのか。それは余りに小さな欠片だからか、前よりも大きくなったからか。
とりあえず、誰か人助けをしたいようなので(見えた映像はシリウス・ブラックの手配書に似ていた)、彼らの仲間を逃がした。適当な出まかせで逃がした咎をなあなあにして、森へ行くふりして考える。
(ポッターさんが何度も生き残っているのは、闇の帝王の分霊箱だから……?)
赤ん坊の時と、去年の三大魔法学校対抗試合決勝の時。それから噂ではミリアが入学する一年前も戦ったらしいし、一時的に分霊箱にされたジニーもバジリスクを倒した上で救っている。数他の奇跡が、もしも闇の帝王の手のひらの上の出来事なら……?
(ポッターさんは、ダンブルドア校長に次ぐ反闇の帝王の象徴……彼を殺さないと闇の帝王を殺せないなんて……誰も思わない)
闇の帝王は思い込みが激しい。説得で止まる時期など、昔にも無かったかもしれない。
彼を止めるには、殺すしかない。
(私……そんな戦いの中に、いるんだ)
遊びのつもりなど、毛頭ない。だが、関わることに初めて足がすくんだ。
(看取るんじゃなくて、殺す――そんな覚悟が、私にはあったの?)
殺される覚悟だけでなく、殺す覚悟。死を受け入れた者への介錯ではなく、生に執着する者への殺人。
魔法薬の授業で、初めて生きた動物を使って、生き胆を取り出した作業を思い出す。
(いっぱい悩んで……魔法で眠らせてからナイフを入れたっけ)
その後も、何度も死んでいない生物を扱った。ミリアが授業参加を拒否しても、他の生徒達が殺す。ミリアにせめて出来ることは、たくさん予習して失敗しないこと。……痛みを感じる暇がないくらいに、即死させること。そうして動物を殺すことに慣れていった。
(そんな風に、人は殺人に慣れる)
闇の帝王の様に。その配下の者たちの様に。
(その人たちを、野放しにしないために……覚悟を決めろ)
覚悟を新たに、前を向く。次に調べることは、ハリー・ポッターが生きたまま闇の帝王の魂を取り除く方法だ。
図書館の禁書の棚にも、スリザリンの遺稿の中にも、生物から分霊箱を取り除く方法は書いていなかった。そもそも分霊箱の記述が希少だ。更に生物を分霊箱とすること、分霊箱を複数作ることさえ未知の領域だった。
入れ物を破壊せず中の魂を壊すなど、望み過ぎなのだろうか。
*****
ミリアの予想通り、魔法界は荒れた。ついに闇の帝王復活を、魔法省が認めざるを得なくなった。
吸魂鬼が空を飛びまわり、巨人が暴れまわり、マグルが殺されていった。
(うちは大丈夫かな……)
特に、マグルである母は。去年別れ際に、闇の帝王が復活したと伝えた上で、気をつけて、何かあれば家を出るようにと忠告しておいたが。
嫌な予感は、どうやら的中した。
(いない……)
手紙も無く、迎えに来ない訳が無い。家はロンドンから遠く離れた田舎中の田舎にぽつんと建っている。姿現しをしてくれる父か、車の免許を持つ母が来てくれるはずだった。
足踏みをしながら、煙突飛行の行列に並ぶ。やっと順番が来て、家の名前を叫んで、見えたものは――
「ぁ――」
廃墟。
「……」
辛うじて暖炉が残っていたお陰で、煙突飛行ネットワークが繋がっていたらしい。
「わたしの――せいだ」
屋根は無い。壁は黒焦げ、半分崩れて外がよく見える。それが何だったか判別できないガラクタで足の踏み場もない。灰を踏んで、ここが愛しい我が家の面影を残す場所だと、確認を重ねて行った。
「お母さん!お父さんッ!」
呼び声で、一つの気配がミリアのそばに寄り添った。
『ミリア――お帰り』
「フーさん!何があったの!?」
一年で、ぐんと年を取ったように見えた。フーさんは人間のように、目を伏せて悲しみを表現する。
『すまん――ミリア。ワシにはよく分らんのだ。昨夜、突然何者かが訪ねて来て、火を放った。声を上げると撃たれそうになり、森に逃げて――すまん』
闇の勢力が大々的に活動を始めて、こんなに早くここが狙われるとは……。
「――わたしのせいだ」
『闇の帝王に接触を図ったから?』
動物は、思ったことをそのまま出す。
「うん、会いに行かないと。また、鳥連合さんに連絡お願い。――闇の帝王の居場所を」
じっと様子をうかがっていたたくさんの森の生き物の中から、ツバメが飛び立った。
『ワシに長旅は辛いのだ。すまない――ミリア』
「フーさんは、何も悪くない。悪いのは――」
続きは、嗚咽にさえぎられて言えなかった。代わりにフーさんを窒息しない程度にきつく抱いた。いつもなら嫌がるのに、今日は黙っていてくれた。
『ただいま、昨晩から変わっていない。手紙を出すかい?』
「ううん、直接行く」
『じゃあ、セストラルだね』
『やはり――行くのか?』
「アーベント……」
鳥連合にこの家が襲われたと聞いて、自分からホグワーツの群れを離れたらしい。
『ダンブルドアに保護を求めろ。それが一番賢い選択だ』
その通りだろう。ミリアは間違った選択をして、家がこんなことになった。
しかし。
「行かない。私は闇の帝王の所へ行く。間違ってたのなら――尚更後に引けない」
進むことでしか、この気持ちを、後悔と罪悪感を、抑えることが出来ない。
『今度こそ生きて帰れないかもしれない。それは、森の皆も望まない』
アーベントはなおも説得する。普段決して森から出ない動物も、ミリアの元にたくさん集まる。
「みんな――ごめんね、さようなら」
みんなを振り払って、アーベントにまたがった。
「私を連れて行って。闇の帝王の元へ!」
『――分かった』
アーベントはいななき、上昇した。森のみんなの雄たけびを、帰って来いという思いを、風で振り切った。
涙はとめどなく溢れてくる。体から水が無くなってしまうのではないかというほど流した。全ての涙を、強い風がきつくぬぐい、雲へ運んで行った。
*****
アーベントは最高速度で目的地へ急ぐも、今回は文句の一つ聞こえなかった。
途中で雨に遭ったが、それでも速度を緩めなかった。
『この森の中をまっすぐだ。何かあれば、以前と同じく私の名を呼べ』
「はい」
冷たい嵐の中、泥水を踏んで森を走った。
数分走ると、マグルの目から隠された豪華な屋敷が、ミリアを出迎えた。
扉に手を触れると、勝手に開いた。それも待ちきれなく無理やり押して、扉は耳障りな音を立てた。
「闇の帝王!」
「やっと来たか」
玄関ホールに冷たい声が響いた。目の前の階段を見上げると、上に闇の帝王が立っていた。いつかの小男は、階段下の右手側で隠れて様子を見ていた。
「無事なんですか!?お母さん、お父さんは!」
「間違いなく殺したと、報告に上がっているな」
真偽の判別も、感情の揺れも、分からない。彼にとっては生きているか死んでいるかなど、どうでもいい些細なことのようだ。
「なぜ、私の家族を――!」
ミリアは階段を駆け上った。してはいけない行動だったのか、小男がびくりと震えた。
闇の帝王は背を向け、背後にあった部屋の中に入る。そこはきれいに整えられた食堂で、帝王は一番奥の豪華な椅子にゆったりと腰かけた。
ミリアを見返した目は、心底楽しそうだった。
「ただの忠告だ。おまえは俺様が課した責務を果たさなかった」
責務とは何だったか?何を失敗したから、両親は殺されねばいけなかった?
(バジリスクを解き放つこと?)
不可能だ。“彼女”はもう永遠の眠りの中だ。
「でも」
「俺様は知る術もなかった。バジリスクが既に死んでいる事実を。秘密の部屋を出入りするお前は、どうだ?」
では、知ったのか。三年前の『秘密の部屋』事件の顛末を。
「私は、知っているとばかり――」
下手な言い訳だとは分かっていた。でもこう言う他どうすればいい?
「つまり、俺様の無知を嘲笑いに来たという事か。『
魔法史で習った、中世の拷問を思い出した。手を杭で突き破り体を吊るせば、こんな痛みとなるのだろうか。『磔の呪文』は手だけではない。足も、お腹も、内臓も、頭も、脳も、全てに杭をつき立てられて、万力で引っ張られている感覚だ。体は悲鳴の任せるまま、痛みから意識を切り離すことでしか耐えられない。
「俺様は寛容だ。おまえへの罰は、たったこれだけだ。恥となるべきマグルの母親と『血を裏切る者』の父親の始末は、真っ先に名乗り出たことへの褒美」
(終わった……?)
「本来ならばおまえ自身がやるべきだった。少なくとも俺様はそうだった。汚らわしいマグルの父親を、この手で殺めた。俺様に忠義を尽くすならば、自分の親を喜んで捧げられよう。そうだな、ミリア・セルウィン」
(お母さん……お父さん……)
「おまえはおまえの望みを、来るべき時に果たせ。ホグワーツ内部にて、スリザリンの威光を知らしめるのだな?」
「来るべき、時……?」
「なんと甘きことか。もっと喜ぶがいい。我が下にいて、自らの願いを叶えられるのだぞ」
「……」
両親を犠牲にしてまで、叶えたい夢なんて無い。
倒れ伏したままのミリアを、闇の帝王が覗き込む。
「どうした。ハリー・ポッターは、ただ一度の拷問で、心尽きたりはしなかったぞ」
(わたしは、ポッターさんじゃない……)
枯れたと思った涙が、しとりと床に落ちた。悔しいのか、情けないのか、苦しいのか、怖いのか……どんな涙なのか、考えることも出来なかった。
――あの覚悟はどうした?
心のどこかで、冷静な誰かが囁いた。
――こうなる事は承知でここへ出向いたのではないか?
(わたしは……強くなんて、なってなかった……)
全部自業自得。家が焼かれたのも、両親が殺されたのも、磔の呪いをかけられたのも。自らの驕りが招いた結果だ。
「見損なったぞ。セルウィン」
杖を振る影が、見えた。
(ああ……殺されるのかな)
怖くは、ない。もう亡くした後だから。
「『
食堂の床を、蛇が這う。
『嗅いだ嗅いだ、鼠の臭いだ。ワームテールが嗅ぎまわっているぞ』
「『ご苦労、ナギニ。――それは餌じゃない。明日新鮮なマグルを約束しよう』」
『どんなマグルだ?男か女か、子供か赤ん坊か。楽しみだ』
シューシューと舌をちらつかせながら窓際まで這って、とぐろを巻いて眠りについた。
「そこにいるのは分かっているぞ、ワームテール!」
雷鳴のような声に呼応して扉が開き、聞き耳を立てていたワームテールが転がり入ってきた。
「ひっ!我が君、お許しを、お許しを!」
「何の用だ。さっさと済ませろ」
「はいっ!えーと、えー……」
床で死んだ――ように眠る少女が、目に入った。
「この小娘ですが、見損なったのでしたらなぜ殺さないのでしょう。お手にかけるのが面倒であれば、なんならわたくしめが――」
「よい」
ワームテールから見て、闇の帝王はそれほど不機嫌には見えない。
「まさか、この小娘を――」
「何を下卑た想像をしている、馬鹿馬鹿しい。――こやつは開心術士だ。俺様がまだ知らぬ領域のな」
彼女が蛇の言葉を介しているのは、血の力ではなく魔法の力――開心術によってだ。闇の帝王はそこに興味を抱いた。
「暇があれば調べねばなるまい。開心以上の読心にまで、手が届くやもしれん」
少女の左腕の袖をめくって、闇の印を見せつけた。
「客間まで運び、新しいローブも用意してやれ。この小娘は、壊すにはまだ早すぎる」
「はっ!」
少女だからと手加減したと思いきや、いつもの闇の帝王だった。ワームテールは少女を抱え、そそくさと退散した。