【完結】ある読心術士の軌跡   作:白井茶虎

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8 仮面

 

「『インペリオ(服従せよ)』」

 

 その魔法はミリアの意識に、濁流のように流れ込んだ。元より他人の思いに敏感で、彼我の壁が薄いミリアに、その絶対的意思に逆らう術は無かった。

 服従の呪文特有の『繋がり』を感じ、闇の帝王は成功を確信した。

 

「ミリア・セルウィン。俺様がホグワーツを掌握せし後、サラザール・スリザリンと俺様の意思に従い、ホグワーツを浄化せよ」

 

「はい」

 

 ハリー・ポッターのように抵抗し、破る気配はない。

 

「磔の呪文が苦しかったのだったな。ならば休むがいい」

 

「はい……」

 

 小さな返事が聞こえたかと思うと、そのまま眠りこけてしまった。その様子が余りにも情けなく、心の底から嘲った。

 

 闇の帝王は、知らない。

 服従の呪文が、相手の『心』を眠らせ、自分の『心』で塗り替える術。心と心の間に道を作る術だと。

 知る術は無かった。ミリアの力は『心を読む』能力。その能力は、脳への負担が加味され無意識が意図的にセーブしていた能力だと。

 

 条件は揃った。

 閉心術ごとき、何の障害にもならない。

 

            *

 

 少女の意識は、真っ暗な海の中を漂っていた。海、というのもおかしい。そこには生き物の姿も、水も無いから。

 

(なんにもない)

 

 海面には、たくさんのモノが渦巻いていた。

 マグルへの侮蔑、マグルに肩入れする魔法使いへの憎しみ、たった一人自由にならない少年への苛立ち、理想の世を目指すただ一人の自分――それらが激しく海面をかき乱していた。どんな船であろうと侵入を阻むうねりを見せつけているが、“迎え入れられた”彼女はゴーストが壁を通り抜けるように内側へ進んだ。

 

(闇の帝王――ヴォルデモート卿という仮面)

 

 その仮面は、神話の呪いを宿しているように、持ち主から決して離れない。外そうとしても外れない仮面だった。

 彼の場合、仮面が呪われているのではなかった。仮面の下にあるはずの素顔が、無い。

 それが、虚無の海。なんにもない海は、彼の素顔。

 

(本当の彼はどこにいるんだろう)

 

 少しだけ、暗闇に目が慣れてきた。彼女は海中をぐるりと見渡す。目の端に、何かが映った。

 

(ごみ……じゃない。死体だ)

 

 男の死体が、寂しく漂っている。目鼻が整った、四十くらいの男。遠い遠い記憶を辿ると、……炎のような赤毛の少女が見た彼の姿と酷似していた。

 

(お父さん――)

 

 彼の、同じ名を持つ父親。ずっと彼が魔法使いだと思っていた。偉大な、立派な、尊敬できる父親だと信じていた。

 

(でも、違った)

 

 父は、彼の存在を認めなかった。なら、こっちだって認めなくていいじゃないか。

 

(だから殺した)

 

 もっと強い父親が、欲しかった。

 

 どこかから悲鳴に似た叫びが聞こえた。彼女が振り返ると、父の死体はどこかへ流れて行った。

 きょろきょろ叫びの主を探すと、海月のように炎が揺れていた。

 

(熱いの、冷たいの?)

 

 それが分からなかったのは、炎を燃やしているのが熱ではなく、失望、幻滅、憎しみ――それら負の感情だからだ。

 この炎のことはよく憶えている。サラザール・スリザリンの研究室の中で燃え続けていた感情だ。

 

(信じてたものじゃなかった。だから、一番崇拝していたスリザリンも、信じられなくなった)

 

 彼はその地下の寮で、初めて居場所を得た。蛇と話せる類稀無き“力”が、居場所を作ってくれた。

 自分は特別だ。マグルとは違う。力を持つ特別な存在だ!

 

(だから、許せなかった)

 

 信奉の対象であるスリザリンは、敗北者だった。あろうことかマグルを恐れ、マグル好きのグリフィンドールに敵わず、もっと戦うべきだったのに追い出されて逃げ出した。

 自分が敬拝する『スリザリン』はそんな弱者ではない!これは偽物、あってはならないニセモノだ!

 ホンモノの『スリザリンの継承者』が、あるべき姿を見せてやる!

 ……初めて魂を砕いた、動機だ。

 

 ガラスが割れたように甲高い音が爆発し、身を縮めた。

 恐る恐る目を開いても、割れた何かは見当たらなかった。憎しみの炎もどこかへ消えていた。その代わりに、また新しいモノがゆっくりと近づいてきた。

 

 次に彼女の元に赴いたのは、女の死体。先の男と違い、穴が空いているようにぼやけて、顔が見えない。これが誰なのかすぐに分かったのは、別に不思議でも何でもない。

 

(お母さん――)

 

 彼を生んで、死んだ母。残したモノというと名前だけ。人間は、なんて弱いものなのだろう。

 

(なぜ、死んだの?)

 

 それは、強く在れなかったから。強くなければ、惨めに、惨く、死んでいくしかない。

 

(だから、ひとりぼっち)

 

 孤独を埋めるために、彼は物を集めた。他人から奪って勝ち取った物、自分を恐れて差し出された物。彼は“強く在ろうとして、強かったから”トロフィーは次々に集まった。

 だが、いくら物を溢れさせても、孤独は一向に慰められやしなかった。

 

(どうして?)

 

 満たされない思いの名が、孤独だと分からなかったから。虚無を明るく照らし、暖かく包んでくれる唯一のモノの名を知らなかったから。

 

(なんで……?思いだせない……)

 

 彼女は海の中で途方に暮れた。その名を知っていたはずだ。彼女は確かに持っていた。孤独の中の道しるべを。

 

(なん、だっけ……?)

 

 思考はまとまらず、とめどない思いが流れるばかり。意識は遠くなったと思えば、ぼんやりにじみ、自らの形もあやふやとなった。

 

(わたし、は……僕は……?)

 

 誰?

 

            *

 

(死への飛翔を名乗る男――全く年甲斐も無い美意識だ。他人に心を配り過ぎ、自らの形成が疎かとなっている宿主殿以下の心力を、持つ訳だ。仮面の下は、思想も野心も無く、生への渇望と言う原初の欲望のみ。大人に成れていない自称大人は、これだから質が悪い)

 

(しかし、呪文の威力自体は強力。宿主殿もすっかり呑み込まれたか。全く有害にも程がある。そうだろう、ミリア)

 

(自らの名にも反応出来ないか。空虚な心と未発達の心が、共鳴し合っている。これは呪文から解放されたとして、元に戻れるかも曖昧だな)

 

(時間は有限、意思は薄弱、自由は皆無。だが、やってみせる。“彼ら”からホグワーツを守ろう)

 

 ミリアのものでもなく、ヴォルデモートのものでもない……無意識の中で息をひそめていたのは、サラザール・スリザリン。遺稿に心を注ぎ心で受け入れた結果、出来上がってしまった人格だった。

『スリザリン』は束の間の“主導権”を、じっくりと確かめた。

 

   *****

 

 ミリアは数時間屋敷で休んだ後、すぐに家の焼け跡に戻った。そこで調査していた魔法省の職員に保護され、夏休み期間は魔法省に衣食住を借りた。

 何度か訪れた役人の誰も、この家族の死にショックを受けている少女が、まさかヴォルデモートに『服従の呪文』をかけられているとは気づかない。寡黙さも丸一日の空白も、全て家が襲われたからだと片付けられていた。

『スリザリン』はその間表に出なかった。家族の死に取り乱す演技をするより、操られてぼうっとしている主人格の方が不自然でないからだ。

 待て、という命令に忠実過ぎるほどのミリア。何もできない主人格に代わり、『スリザリン』は仕方なく(雑に)世話する。それが自暴自棄に見えたのか、女性役人に何度も希望はあると諭された。

 それでも身の回りの雑さは変わらず、すっかり不健康な容姿となってしまった。その容姿が、家が無くなった事実と合わさり、人を寄せ付けなくなった。時が来るまで潜むことしか考えられないミリアにも、どう人付き合いすればいいのか分からない『スリザリン』にも、好都合な結果となった。

 新学期、学校でも寡黙に、人を寄せ付けずに過ごした。健康や成績を維持し、暇があれば『秘密の部屋』で本を読み漁る。以前と違うのは、本を読む目的が不安定な『スリザリン』の意思を補強するためという点。生徒を守るどころか『服従の呪文』に抵抗することだけでも四苦八苦だ。

 ミリアではなく、人知れず苦闘する『スリザリン』に、客が来たのは秋の終わり。

 

 

 

 地の底に、かすかに重低音が届いた。この音は『秘密の部屋』の入り口が起動する音。誰かが蛇語を使って、女子トイレの仕掛けを起動させた。

 今の学校で、あの仕掛けを突破できるのは恐らく三人。研究室に隠れて、招かれざる客人を待った。

『最終防衛口』を突破し、客はまっすぐ研究室に向かって来る。研究室の扉たる石壁を叩いて、その人は待った。きちんと訪問の手順を踏んでいるので、『スリザリン』は客を迎え入れた。

 

「こんにちは、ミリア」

 

「……校長先生」

 

 ヴォルデモートの思念に呼応して襲い掛かろうとする主人格を抑えつつ、警戒した声音を作った。

 

「調子はいかがかの?」

 

「良く無いです」

 

 操られてボロボロな主人格と、本来体を動かすまで強くない『スリザリン』と、ケアが行き届いていない体。どれを見ても絶好調とは程遠い。

 ダンブルドアは青い瞳をミリアの瞳にぶつけてきた。開心術で何を探ろうとしているのだろう、素直に読まれてやる気は無く閉心術で防いだ。

 

「何か分かりましたか?」

 

「色々と、の」

 

「良ければ聞かせて下さい」

 

「その前に、一つ。きみの名を聞かせてくれんか?」

 

 作っていた虚ろな顔をはがした。この老人は、何を読んだ?

 

「推測じゃよ。きみが本当にミリア・セルウィンなら、先ほどの質問は謝罪の上で取り消させてもらう」

 

『スリザリン』は黙った。記憶をこじ開けられた感覚は無かったはずなのに。

 

「わしの人生経験は捨てたもんじゃなくてのう、ちいと観察すれば、その人間が『服従の呪文』で動いているか否かが分かるのじゃ。ミリアの様子を見ると、あの術の影響を確かめられた。術者ははっきり分からんが、大方『ヴォルデモートがホグワーツを乗っ取った後、送られてくる者らの支援をせよ』とかいう命令じゃろう」

 

「大体合っています」

 

「そして今、きみの目を見て分かった。術に抗い、自らの意思でここにいると。じゃがミリアは心と能力の性質上、『服従の呪文』に呑み込まれてしまう。ならば、今ミリアの身体を動かしているのは誰じゃろうか」

 

「誰だと思いますか?」

 

 彼なら、正体に気づくかもしれない。

 

「可能性は二つあった。一つは守護霊たるカラス。しかしここにいるということは、二つ目じゃろう。三年間ミリアが心を注ぎ続けた、この部屋の主――サラザール・スリザリン」

 

「その通りです。正確にはスリザリンのまがい物……宿主殿がスリザリンの筆跡から無意識の領域に記憶した、書から抜け出たコピーです」

 

 主人格が眠りに落ちなければ、決して出ては来なかっただろう、スリザリンの心の欠片。

 

「やはりそうじゃったか……。会えて光栄です、スリザリン卿」

 

 ダンブルドアは畏まって、礼の形を取った。

 

「私は彼本人ではありません。立場は貴方の方が上だ。……私は敬語が慣れない故、これで行くが」

 

 ダンブルドアは腰を伸ばし、破顔した。

 

「わしもそうじゃ。歳を取ると皆敬語でなくとも許してくれるからのう……。さて、スリザリン卿。『服従の呪文』は破れそうか?」

 

『スリザリン』は首を横に振った。

 

「今は『待機』と言う命令が出ている故、私が表に出て口を動かせている。動き出す時――ヴォルデモートが学校を掌握した後は、体の主導権は操られし宿主殿に戻るだろう」

 

「動き出す時は、いつになると考えられる?」

 

「来年。ヴォルデモートは来年の夏には魔法省を陥落させる腹積もりだ。その時には貴方もいない」

 

 二人はダンブルドアの黒くしなびた右手に目を向けた。強力な呪いが封じられており、封印を食い破ろうと徐々に蝕んでいる。

 

「その時には、きみはどうなるのじゃろう?」

 

「命令は『ヴォルデモートとスリザリンの意思に沿って』。奴は無知だ。思い通りにはならない」

 

『スリザリン』は不敵な笑みを浮かべた。カラスではなく『スリザリン』が上位意識となったのは、その命令が大きく影響した。

 ダンブルドアは向けられた笑みを、曇り顔で受けた。

 

「一つ提案がある。わしの保護下に入らんか?きみも、ミリアの命が危険にさらされるのは避けたいじゃろう。監禁という形になるじゃろうが、この際仕方あるまい」

 

「断る」

 

 一蹴。

 

「貴方は死に行く者。あてにはならない」

 

「わしが死んでも、わしの意思を継ぐ者たちが残る」

 

「貴方の意思を継ぐ者達の中心は誰だ?ハリー・ポッターだろう。彼は死すべき者だ」

 

 ダンブルドアの表情が、一瞬揺れる。

 

「貴方は死の烙印を押されたハリー・ポッターを、ヴォルデモートに宛がう戦士として育てた。私も遠くから彼の成長を見た。成功と言って差し支えないのではないか?」

 

「ハリーは……確かにそうじゃ。ヴォルデモートの魂と共に生きている。あやつを止めるには、ハリーの死が不可欠……」

 

 本当は生存する可能性が大いにあるが、ヴォルデモートの服従の呪文にかかっているミリアの耳には入れられない。

 

「じゃがミリアは違う。まだ生きる道は残されている。ミリアはきみの道具ではないのじゃ」

 

『スリザリン』の目が、僅かに細まった。

 

「私がヴォルデモートに抗うのは、ミリア・セルウィンの意志だ。彼女は望んで険しい道を選んだ。その覚悟は若干足りなかった様だが……。私は宿主殿の意志に反する事が出来ない」

 

「ならばこういうのはどうじゃ?ミリアの意志でもきみの意志でもなく、わしが無理やり監禁するというのは」

 

「それも止めて貰おう。――私は来年も、その次も、ヴォルデモートが生きる限り奴に抗い、ホグワーツを守る為に動く。貴方とは同志だろう?ハリー・ポッターを尖兵として育て上げた冷徹さを持つならば、何が一番好都合か分かるだろう」

 

 ダンブルドアは目を伏せた。心を読むまでもなく、葛藤しているのが分かった。冷徹さと優しさの戦いを、彼は何度繰り返したのだろう。

 

「すまない……わしが最初の接触を止められていれば……クラウチの影響に、もっと早く気づいていれば……」

 

 ミリアがこんな有様になった原因も、お見通しだった。どれだけ先を見通せても、ダンブルドアはたった一人。一人の人間がやれることには限界がある。

 

「分かった。わしはきみを止めぬ。じゃが、きみが進む道の中で出来得る限り、ミリアのことを慮ってはくれんか?」

 

「ああ、死なせはしない。……保障は出来ないが」

 

「男ならば出来ぬ約束でも結ぶものじゃよ」

 

「生憎今の私は女だ」

 

「女々しい奴め」

 

 冗談を交わし、お茶を濁した。

 軽い笑いの中ふと、ダンブルドアは面差しを上げた。

 

「ミリアは分霊箱の存在に気づいたのか?」

 

 ハリーはヴォルデモートの不死を補助する一因だ。ミリアは魂の在り様を感じることができ、スリザリンの遺稿にも分霊箱の記述があった。

 

「ああ。見つけた分霊箱は二つ。ハリー・ポッターと蛇のナギニ」

 

「ナギニ……?ヴォルデモートが飼っているという?――そうか、それであれほど強く操って……」

 

 ぶつぶつと、狭い部屋を歩き回り、立ち止まったかと思うと力強い笑みを向けた。

 

「貴重な情報ありがとう。これで我々はまた一歩進めた」

 

「お役に立てたなら何より。――宿主殿が自分を取り戻す望みがあるのは、奴の死後だからな」

 

 自分が人格の表に出られる状況は良くないと、やはりそう思っているようだ。

 

「本当に、このままヴォルデモートの影響下で動いておって、いいのか?」

 

「奴は宿主殿を簡単に手放す真似はしない。宿主殿の力の一端を、既に嗅ぎついている」

 

 安全に保護されたとして、追う者がいる。ヴォルデモートに会った時点で、後戻りはできない段階まで進んでしまった。

 

「もう話す事は無い。そろそろ読書に戻る」

 

 つっけんどんに言って、椅子に座って遺稿を開いた。自分の作業に入って、早く帰れと暗に示した。

 ダンブルドアは意を受け取り、背を向けて――言葉を紡いだ。

 

「スリザリン卿……。今のホグワーツは、古の四天王が夢に描いたホグワーツと、なったじゃろうか?」

 

 振り返らず、『スリザリン』はただ笑みを深めた。

 

「まだ道半ばではないか」

 

「可能性は未来に、か。余命僅かじゃが、その未来を少しでも引き寄せんとの……。わしは贅沢者じゃ。この有様になって、まだ未来を語るというのか」

 

「語るは自由。それこそホグワーツが求めし物」

 

「わしは……余りに罪深い。より大きな善の為に、どれだけの者の犠牲を強いたじゃろう……。愛の為に、どれだけの過ちを犯したのじゃろうか……」

 

「それが貴方の歩いた道。罪悪感に苛まれながら死を迎えるか、未来を想いながら生を完結させるか――残されし者には些少も影響無いな」

 

「あくまで自らの道を貫け、そう申すか。……ありがとう」

 

 ダンブルドアは簡潔な礼を呟いて、壁を開いた。

 

「貴方の死が、安らかなる事を」

 

 背中にかかった言葉を、頷いて心に留めた。

 

 

 

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