“比較的穏便な支配”は、上手く保てていると言っていいだろう。『スリザリン』の願い通り、生徒達は表面上でだけ大人しくしてくれている(反骨心が全くないというのもいけない。いつまでもこのままでいいと思わせたい訳ではないから)。
最も注意すべき敵と思われていたスネイプも、実はそうでないのかもしれない。校長室に盗み目的の侵入者が入った、そんな平時でも罰せられるべき生徒が現れた時、その生徒たちをカローに断固として引き渡さなかった。後で罰則を確認したが、ハグリッドと共に禁じられた森を散策するという、最も恐れた『直接危害を及ぼす』物ではなかった。
実は彼も、ホグワーツをヴォルデモート側から守る目的を背負っているのか。天地がひっくり返っても確認するなどという愚行は働かないが。
目下の悩みだったグリフィンドール前の吸魂鬼も、生徒たちが解決してくれた。どんな道筋を通って困難を乗り越えたのか知りたくて、その作戦の帰りと思わしき“怪しい動き”の生徒達を追いかけた。だが生徒たちを処罰するミリアの姿を見て、森に逃げてしまった。ケンタウルスに喧嘩を売るのは好ましくないと判断し、すごすごと退散した。
(このまま一年、無事に過ごせると良いが……)
一年が終わった後、ヴォルデモートに報告する段階になればどうするべきか――目の前のことだけでなく、随分先のことまで考えるようになった。
(宿主殿を直接ヴォルデモートに会わせるのは、やはり危険だ)
ミリアを『スリザリン』がコントロール出来ているのは、『自分とスリザリンの思想に沿え』という命令ありきの結果。スリザリンという文言が無くなれば、完全にヴォルデモートの支配下に落ちるだろう。
そんな『スリザリン』のささやかな悩みを、木っ端微塵に吹き飛ばした事件が起きた。“穏便な支配”が始まってからちょうど半年、二月の終わりのことだった。
*****
ネビル・ロングボトムという生徒は、以前から反抗的な生徒だった。緊急時には反乱のリーダーとなり得る貴重な人材だが、この平時には一番厄介な『反秩序者』。彼の心を折らないために失神呪文後の忘却呪文を見逃していたが、そろそろ一度クールダウンさせるべき時か。医務室送りにすべく、放課後防衛術の教室にロングボトムを連れて行った。
しかし。
(罠……どうする?)
彼の顔を一目見て、悟った。ロングボトムの意識は目の前の拷問にまるで向いていない。カロー兄妹、ハグリッド、なぜか青い車、団結する大勢の生徒、ミリア――様々な心配事で、己の身はまるで眼中にない。
教室に入る直前、一人の生徒が呼びかけてきた。
「あの、ハグリッドの小屋で、パーティーがあるんですけど……」
彼はスリザリンのハーパー。内心を覗いても、寮関係なく逆らえば磔のカローを恐れているだけ。企みには関係ないのだろう。
「勝手にやってろ」
「それが……『ハリー・ポッター応援』がどうとかって……。一応、報告をって思って」
それを見逃しては『闇の一派』失格だ。これもロングボトムが仕掛けたとすると、こちらの人員を割くためか。
「アレクト、行け」
「えらそーに何だ兄公」
「それが、結構規模大きいみたいで」
一人では危ないということか。見くびってボコボコにされれば、明日からどんな噂が流れるだろう。こちらは隙を見せてはいけない。
「分かった分かった。俺も行きゃあいいんだろ?」
残るはミリア一人。狙いは何だ?
ハグリッドの小屋へと急ぐカロー兄妹の足音が遠ざかる。教室内で座るロングボトムは、『合図』を確かめていた。
「ねえ、なんの合図?」
「!?」
ロングボトムは一枚のガリオン金貨の存在を隠す。何やら熱くなる仕組みらしい。なかなか凝っている。
合図はOK。作戦はいつでも始められる。
「私、一人になっちゃった。どーしよー」
わざとらしく不安がり、逆にロングボトムに不安を植え付ける。
「私を袋叩きにしたいの?それともカローを?」
目論見は筒抜けなのではないかと揺れる心に、質問を畳みかけて更に揺さぶる。
「あなたたちの目的は何?」
とどめの一言で、全て白状させる。
見えたのは、ジニー。
(宿主殿を止めたい、か。被害者を想ってではなく、罪を重ねさせたくない為――大した友情だ)
それは善意の作戦。誰よりもミリアのために企まれて、ミリアのために挫かねばならない。
悪役として、仮面の上の笑顔を向けた。
「ロングボトムさん、楽しい作戦だね」
ありがとう、そう言わせようかどうか迷って、時だけが過ぎた。
「な――何のことだよ!?」
「私は好きでやってるのよ?説得なんてむりだって、初めから言っとくね」
扉の外から耳を澄ませていたジニーが、閃光と共に突入してきた。
「『エクスペリアームス』!ネビル、無事!?」
武装解除は装備保護呪文で相殺できる。
「ばればれだよ、ウィーズリーさん。それと三人の増援おねえさん」
「何!?この子!」
「絶対見えない位置にいたのに――」
「ハーマイオニーのハーマイ抜きより怖いじゃない!」
グリフィンドールとレイブンクローの七年生がどやどや入ってきた。
敵は五人。全ての力を出し切れば、学生風情どうともないが……
(生徒を傷つけてはいけない)
(……その通りだ)
それが絶対条件として立ち塞がっている。それが『スリザリンの意志』だから、都合よくオンオフ切り替えなど不可能だ。
「みんな仲良く、医務室に送ってあげる!」
その宣言を持って、ミリアと『スリザリン』は罠を食い破りにかかった。
一人、二人と順調に頭数を減らし、残った三人を机のバリケードの中に閉じ込めた。
「みなさーん、降参をおすすめしまーす。何か呪文当てたら下敷きだよー」
彼らは諦めていない。机の山を崩すつもりだ。
「どうするのー?白旗呪文教えてあげよっかー?」
三つの呼吸分間を空けて。
「『レダクト』!」
「『プロテゴ』!」
「『ステューピファイ』!」
ミリアの盾代わりの机に失神呪文が当たった。
「だからばればれ――」
「『
机の山に向かって、ジニーが唱えた。積み重なった机が雪崩れ落ちて、ミリアに襲い掛かる。
「危な!」
巨大な盾を出して、降ってくる机の雨を防いだ。ミリアは反射的に後ろに退く。
(駄目だ!)
『スリザリン』が叫ぶが、遅い。背後に倒れる机に足を取られた。
この隙を突き、ロングボトムが武装解除をしかける。ミリアは盾の呪文を唱えた。
「『エクスペリアームス』!」
赤い閃光が――直撃した。ミリアの盾は、倒れる双子の片割れの上に出現していた。
*****
盾の呪文は消えたが、机の下敷きになりかけていた双子は、仲間の手によって無事救出された。
(繋がりが切れた!)
杖を失い、カローたちにかけた服従の呪文が解けてしまった。焦る『スリザリン』とは対称的に、ミリアは『悪役の仮面』を外さない。
「あいたたたたた……負けちゃったね、危ないことしちゃって」
「馬鹿。あんたが『磔の呪文』かけまくるから、あたしたちがこんなことしなくちゃいけなかったのよ」
「カバだよ」
大切な友であるカラスの口癖を継いだという、涙ぐましい経緯があるが、もちろん伝わらない。
「関係ないこと言わないで!……ルーナがあんたのこと、どれだけ心配してたか分かってるの!?」
ルーナに全て話していれば、この危機は回避できたのだろうか。
「知ってる。でも筋違いの心配だから、無視してた」
「あんた――ッ!」
驚きと心配が入り混じる気配が、歩行杖の音と共にやって来る。マクゴナガルが烈火のような声で割り込んできた。
「これは何の有様ですかッ!」
「何の有様に見えますか?」
「……セルウィン、あなたの罰則に彼らが抵抗したように見えます」
「正解です」
マクゴナガルの怒りに火がつく。頼むから長くならないでくれ、そう『スリザリン』は願う。こちらは一刻も早く逃げなければならない。
「前々から言おうと思っていたのですけどね、監督生でもないあなたに生徒を罰する権限はありません。規律係のお気に入りだとしてもです」
「はぁーい、以後気をつけます」
「本来ならスリザリンからありったけの点を引きたいところですが、やめておきましょう。生憎規律係に報告せねばなりませんから。パチル、あなたの妹を医務室まで連れて行きなさい。ウィーズリーはブラウンを。ロングボトムは私の部屋へ。それと――セルウィン。あなたは大好きなカローに泣きつきなさい」
氷の視線は、虚ろな心に響かない。
「別に泣きたい気分じゃないですけど」
(煽るな!)
せっかく話が終わったのに。幸い、マクゴナガルはその挑発を受け流してくれた。
全員が廊下の奥に消えたのを計らって、『スリザリン』はミリアを急かす。
(さあ逃げろ!カローは怒り狂ってお前を殺すぞ!)
(逃げない)
身体の主導権を握るミリアは、腰かけた机から離れようとしない。
(何故だ!)
(カローは怒ってる。わたしが逃げれば、見かけた生徒全員に手をかける)
また命令が邪魔した。覚悟はしていたが、最後まで足掻き続けるのが『蛇』だ。
(お前が一番危険だ!お前も守られるべき生徒の一人だ!)
(わたしが死ねば、カローの怒りは収まる)
人形のように自己犠牲に走るミリアは、『蛇寮』失格だ。
……いいや、寮の創設者、スリザリンは違った。命を至上としながら、己の罪深さ故に一番の泥をかぶった。
結局『スリザリン』はミリアを一歩も動かせないまま、時間切れだ。
「「セルウィン!」」
「あ、お疲れさまです」
彼らの前でも、仮面を外さない。現れるべき素顔は、未だ眠り続けている。
「ヘマしちゃって、杖さん取られちゃいました」
騎士道の欠片も無いカローは、丸腰の相手に杖を向けることに躊躇いが無い。
――いや、まだ希望はある。異変を察知し、“唯一味方となり得る人物”が走って来る。
「『アバダ――」
「待て!」
「ケダブラ』!」
間一髪、間に合った。スネイプがアミカスの腕を弾き、閃光を逸らした。
「待て。これは一体何事だ?」
「ありがとうございます、スネイプ先生」
割と本心だ。
「カローに質問しているのだ。黙っていろ」
「殺させろッ!このガキは!俺たちに『服従の呪文』をかけていたんだッ!」
服従の呪文をかけたあの戦いの記憶を消していれば、どうなっていただろう。いや、ぬるいホグワーツ統治に納得できず、地獄の犯人探しが始まっていた。
「異存は無いな、殺る」
「殺ス、殺ス――!『アバダ――」
「待て、待て。アレクト」
スネイプがアレクトの腕を抑える。本当にダンブルドア側のスパイなのかもしれない。
「『闇の帝王』はどう仰っていたか。我々は家族、この印の下に――だ。セルウィンも印を刻まれている。殺すにはお伺いを立てねば」
(上手い言い訳だ)
ヴォルデモートはどこにいるともしれない。時間稼ぎのうちに、杖を取り戻し姿をくらますのも可能だ。
「立てたら殺っていいんだな!アアン!?『
ボトリと、アミカスの杖先から蛇が落ちた。
『びっくりしたゼィ!どこどこここは?って、おお!?』
アミカスはすぐさま蛇を拾い、呪文をかけた。
(闇の印と僅かに共鳴している……まさか!おい、蛇!)
印に触れる以外の、独自の連絡手段が用意されていたか。
これは不味いと蛇に呼びかける。だが蛇の意識は全くこちらに向かない。複雑な魔法に意識がかき乱されているのだろう。
数分経ち、蛇の身体に別の意思が入った。
「何事だ。俺様は忙しい、そう伝えたはずだが」
甲高い、ヴォルデモート独特の声だ。ミリア、カロー兄妹、スネイプは蛇に跪いた。
「申し訳ございません、我が君。わたくしめどもは、重大な過ちを犯してしまいました」
「言うがいい」
「この裏切り者のセルウィンに気を許し、あまつさえ『服従の呪文』をかけられ、ホグワーツ統治に重大な遅れをとってしまいました」
「ほう」
局面は詰んでいる。それでも『スリザリン』は抜け穴を探し、頭を回転させる。
「セルウィン」
「はい」
「自らに『磔の呪文』をかけろ」
「杖がありません」
「ならばそこにいる誰かに借りよ」
アレクトの杖を受け取り、直接の命令に従って呪文を唱える。
「『クルーシオ』」
杖は手に入ったが、ミリアの体が言う事を聞かない。『磔の呪文』でも『服従の呪文』でもない、『生徒を危険にさらさない』という呪いで。
「もうよい。俺様の『服従の呪文』は途切れていないが」
そのせいでこんなことになっているのだ。
「そ、そんな――!」
「バカナ――!」
「カバです」
(何故こんな時にも忘れない!)
「裏切り者は、どちらか……?」
風向きは、ちっとも変わっていない。
「セルウィン、何故二人に『服従の呪文』をかけた?」
「主命に反したからです」
「主命とは何だ?」
(来た)
「スリザリンの威光を、生徒たちに知らしめることです」
「その為に何をした?」
「我が君の思想に最低限反しないよう、彼の思想に則った授業を二人にさせました。逆らう者には、我が君と彼両方の意を汲んで」
ヴォルデモートは違和感を覚えた様だ。自身とスリザリンとの越えられない断崖が、記憶の底から蘇りつつある。
「おまえの言うサラザール・スリザリンの思想とは、どこで見知った?」
「『秘密の部屋』、あの部屋で」
ヴォルデモートが自身に施したまやかしが、解けた。
「正直に答えよ。『スリザリンの継承者』に相応しいのは、誰だ?」
彼の直接の命令を、ミリアに逆らう術は無い。それでも『スリザリン』は、必死に呼びかけた。
自らの命を守れと。
「私です」
終わった。
「私こそ、『スリザリンの継承者』に相応しい――そう思います」
(その通り、その通りだ――ミリア)
スリザリンの記憶に共鳴し、翻弄されつつも意志が道を照らし、自らの意思を奪われても道から一歩も逸れなかった。
(良くやった――半年間、お前の行為により多くの生徒が救われた)
絶望の中、『スリザリン』はミリアを称えた。
ミリアの宣言によって、この場の面々は様々な表情を見せていた。アレクトは絶句し、アミカスは主人を恐れ、スネイプは狼狽し、ヴォルデモートはただ静かに死刑宣告をのたまった。
「『秘密の部屋』で俺様を待て」
そして、スリザリンの部屋を焼き尽くしたあの怒りを、言葉に込めた。
「殺してやる……!」
「分かりました、我が君」
ミリアは蛇に一礼をした。
(『秘密の部屋』――入れるのは宿主殿とポッターのみ。……万事休す、死ぬしかないのか……?)
自らの処刑場へ進む足は、あくまでも軽やかだった。
*****
ホグワーツの底の底の、最も低い場所、『秘密の部屋』で。与えられた死刑執行までのわずかな時間を、『スリザリン』はミリアとの会話に充てていた。
(お前がこうしている間にも、ホグワーツをカローは独裁し、支配に沿わない生徒を害する)
(あの方を待たなきゃ。来るまで待たなきゃ……)
例え、聞く耳を持たれなくとも。
(闇の帝王が来るまで、私は生きていなきゃ……)
(奴はお前に死を与える。それでも待つのか?)
ヴォルデモートが大切にしている物は、自分の命だけ。そこに付け入れないかと訊ねてみる。
(それが命令。命令は絶対――)
少しでも。ひっかき傷ほどでも、支配に傷をつけたい。
(この結末に、悔いは無いのか?)
(私が死ぬとしても、これで良い。あなたに触れられたことに、後悔なんて無い)
嘘だ。強がりだ。死にたくないと、本能がこんなにも叫んでいるのに、何も聞こえないのか。
一種の自らへのねぎらいを、空虚に捨てず、新たな説得の材料に変える。
(ここに奴が来れば、またあの部屋を闇に葬るぞ)
(それが、我が君の望みなら……)
また嘘。そんなこと望んでいないと、気づいてくれれば。
この行為が堅牢な城壁を素手で掘ると同義だとしても、『スリザリン』は諦めない。