『サーペンソーティア、蛇出でよ』の呪文は、最も近くにいる術者の力量に合った蛇を、召喚する魔法だ。ホグワーツ内で唱えられた場合、禁じられた森に棲む蛇が呼び出される事がほとんどだ。
二月の終わりのその日に呼び出された蛇は、とんでもない修羅場に出くわし、よく生きて戻れたとほっとしていた。
『ふいーやばかったゼ。一瞬マジで死んだかと思ったゼィ』
『てやんでぇてやんでぇ、テメェいってぇどこ行ってやがった』
『それがなあ、城ン中に呼ばれたんだがなぁ、マジで修羅場ってんの』
『ハエー!キカセロキカセロ!』
小さな蠅がブンブン寄って来た。彼ばかりでなく、噂好きなクモや一角獣まで寄って来た。ウザいと思いつつ、自分の身に起きた出来事を話した。
『オレが出て来た場所にはなあ、アレがいたんだよ、アレ。オレらの言葉が分かるニンゲン。でさぁ、なんだろなーって様子を見てんと、意識がぶわーって遠くなるんよ。口が勝手に動いてさ、たぶんニンゲンの言葉しゃべっちまったんよ。オレどーなるんだ?ってなる訳でよお、気ぃついたら例のニンゲンがどーも襲われてたっぽい。死ぬんじゃないかってほど悲鳴上げてさあ、そんなん聞いたらオレも死ぬんか?ってマジ不安でさあ……』
『例のニンゲン……ミィっつったっけ。あいつ死んだのか?』
ケンタウルスが追い払ったせいで、ミリアは森に近寄ってこない。それでも彼女は有名だ。何をしたいのかよく分からない人間の中で、唯一橋渡し役となれる存在だからだ。
『あー普通にしゃべってた。歩いてたわ。生きてんじゃねーの?』
『はあ。なんだったんだろーな』
『んだよその反応。マジ修羅場で怖かったんだからな!』
『もっと詳しく聞きたーい!』
『まあ待て。ちょいと記憶混乱してやがるんだ』
話を最後まで聞かず噂をばらまきに行った一匹を、気に留める動物は皆無だった。
蠅がブンブン、空で騒いでいる。
『テーヘンダテーヘンダ!ミーガシンダ!』
『死んだ?お前生きてるじゃん』
余りにも五月蠅いから、ヒマだった鳶が相手してやった。
『ミーハオレジャナクテミーダ!』
『ミーってまさか……ミィ?ミリアが!?』
『ソイツダソノミーダ!』
鳶はミリアと直接の面識はない。だが彼女は有名人だ。自分たちのルールを理解して、なおかつ干渉し過ぎない存在として、一目置かれていた。
『それは本当か?』
『モリノヘビガイッテタゾ!』
『……。鳥連合に知らせねば!ありがとう!』
『ドーイタシマシテ。テーヘンダテーヘンダ!』
鳶は一番近い鳥連合支部であるふくろう小屋に急いだ。
その信じ難い噂が投じられたふくろう小屋は、騒然となった。
『ミリアが、死んだ!?』
『不確かだが、噂になっている。何やら蛇が見たとか』
『……。確かめるぞ、ホグワーツ鳥連合の総力を挙げて』
『おう』
『俺らじゃ蛇が逃げる。誰に行かせよう』
『スズメならいけるんじゃねえか?ちょいと行ってくらぁ』
『残りは城の中だ。最低限仕事に残って、生徒達の噂を聞こう。生徒が一人死んだなら、必ず噂になるはずだ!』
ホグワーツを初めとする魔法界のフクロウは、人間の言葉を理解できる。
『よし来た!』
『行くぞ!』
半分近くの小屋のフクロウが飛び立った。
ホグワーツ中の噂話を聞いて回ったオスのメンフクロウは、湖のほとりで一休みしていた。
『おーおー、ふくろうさんや。こんなところで珍しいではなイカぁ』
『おや、大イカさん。実はですね、大変なんですよ』
『ふむふむ、聞こうじゃなイカ』
『あなた確か親しかったですよね、ミリア・セルウィンと。彼女が死んだって噂が流れて来たんですよ』
『おやまあ』
『その真偽を確かめるべく、今ホグワーツ鳥連合の総力を結集して、生徒間の会話を片っ端から収集してるんです』
『ほうほう』
『だから大イカさんも頼みます。この辺で気になる会話を聞いたら、鳥連合にご一報を』
『うむ、承知した。ワシも協力したい。そちらの確かな情報を、共有してくださらんか』
『おお、心強い。では定期的に鳥連合の者を寄こしますので、そいつに』
彼は湖のヌシ。この辺りの水生生物全てが味方になってくれたと言っても過言ではない。メンフクロウは力強くふくろう小屋への帰路についた。
ホグワーツ鳥連合&湖の生き物たち合同調査隊は、二日目で情報収集を終了した。
『確かにミィちゃんは姿を消した』
『でも蛇は死んだ姿を見ていない』
『死ぬしかないって、もうピンチピンチの危機的状況!』
『カロー兄妹が暴れ出した。それを止めてたのがミリアって話だ』
『ゴーストの間で噂になってる。ミィは『秘密の部屋』に入ったって』
『その噂の出所は嘆きのマートル』
『彼女のトイレが『秘密の部屋』の入り口だったんだよな』
『こりゃあ話を聞かねば』
『おーい、『湖』はオッケーだとさ!』
『よし、やるぞ。実行は俺だ』
『いや、僕が!』
『もう、全員で行きましょう!ミリアの危機なんだから!』
その日、嘆きのマートルはフクロウの大群に襲われた。
「きゃあ!やめて!いったい何なのよ!」
十羽ほどのフクロウが、マートルを突っつき羽で叩き足で引っ掻こうとする。実体は無いが恐怖を覚えるには十分過ぎる。
「誰!?誰が命令したってのよ!ねえ、やめて!」
トイレの一室に逃げ込むが、上から入って来るばかりか――
「キャーッ!!」
便器の中に押し込み、水を流した。
マートルは暗いパイプの中を、高速で流される。
(さいってー!わたし何か悪いことした?ううん、まッッッッたく!)
余りにも理不尽が過ぎて、嘆き悲しむようなセンチメンタルさは吹っ飛んだ。怒りのまま水流に乗り、一気に配管の出口である湖に飛び出た。
怒りのマートルを、一つの影が迎えた。
「マートル殿」
「アァん!?」
その声の主――
「テメェかあ!このわたしを襲わせたのはァ!」
「私はただのメッセンジャーだ。誤解するな」
「んなのどうでもいいわァッ!」
マートルはちょうどいいと言わんばかりに、五十年トイレにとり憑いて習得したマジックスラングを駆使し、水中人に当たり散らした。
地上とは非常に離れた位置に住居を持つ水中人には、そのスラング群が何を意味するのかさっぱりだった。彼はただそっぽを向いて、静かになるのを待っていた。
「気は済んだか?」
「ハァ、はぁ……んで、誰なのよ。あんたに伝言を託してわたしを暗くておぞましい湖の底に流したのは!」
「……。梟たちだ。浅層の主を通して、私が彼らの代わりに口と耳の役目を果たす」
「フクロウ?わたしあいつらになーんにも悪いことしてないんだけど!」
「それほど手荒だったか。詫びの言葉は託されていないが、時間が惜しい。梟の要件は、ミリア・セルウィンについてだ」
「ミリア?」
気になる名前が出てきて、怒りの虫が少しだけ大人しくなる。
ミリアが磔の呪い狂いになったと聞き、『秘密の部屋』に出入りするスリザリンの継承者気取りの本性を現したと思っていた。だが最近地上から姿を消し、カローがもっと酷い統治を始めた。当事者たる生徒たちは新たな強敵の出現で、ミリアの存在はすっかり忘れ果てていた。
ミリアについては顔見知りだったので、マートルはそれが気に入らなかった。自分だけが知る情報で、噂話のイニシアティブをとれたことが、とても愉快だったのだ。
「彼女が『秘密の部屋』に入ったとの噂を流したのは、お前だそうだな。それは真か?」
乞う人にものを教える、この感覚がたまらない。マートルの機嫌は一気に直った。
「……ええ、本当。ブツブツ病んだ感じで入って、それっきり出てこないわ。――今出てきてたら、誰も見てないけど。ああ、箒を持ってなかったから、自力じゃ出られないわね」
「なるほど、しかと伝える。もう一つ、今後梟がお前の住処に現れた時、それはまた話があるということだ。また湖のこの場所に来るようにとの伝言だ」
「はーはー」
やれやれと、面倒そうに腕を振った。
だが、同時に気持ちが高ぶってくる。水中人が、フクロウが、たった一人の人間のためにこんな真似をしたことなど、五十年以上ホグワーツに住んでいて一度も無かった。
「あんたたち、ミリアを助けたいの?」
水中人はピクリとも表情を変えない。
「我々はかの人間に対しては静観する構えだ。しかし梟は我々と共にしない」
「あんたたちじゃなくって、フクロウがって?」
「梟のみではない。浅層の主を筆頭とする、この洞にて『大いなる言』を繰る者全てが、かの人間を救いたいと願い動く」
「……」
脳内翻訳で、ミリアを助けたいヤツは結構いると解釈した。
「情報通として一つ忠告しておくわ。本当にあの子を外に出していいの?そもそも自分で入ったんだし。カローの圧政はミリアが消えたのと全く関係ないかもしれないわ」
水中人は、初めて感情を表に出した。と言っても、本当にかすかな呆れだが。
「かの人間は助けを求めたそうだ」
「悪人だって助けくらい呼ぶわ」
「善悪など砂利一粒ほどにも関わり無いのだ。彼らにとって」
水中人が尾ひれで数回水を叩き、胸に手を当てた。それが何を意味するのかは、マートルの知識には無い。
「ミリア・セルウィンは人間でありながら彼らの掟に従い、寄り添って生きた。だから彼らも人間の掟に従うのだと。たった一人の人間を救うために、力を合わせるのだと」
呆れの表情を浮かべた訳が、おおよそ分かった。
「人間そんな綺麗なもんじゃないわ」
「その通り」
ヒトであることを拒否した種族に言われると、かなり癪だ。
「――ま、いいお友達持ったってことね。そろそろ帰るわ」
マートルは水中人に手を振って、音無く上を目指した。
(たった一人の人間を救うために、力を合わせる――ねえ。どんだけ純粋なのかしら)
それを信じる動物たちも、それを教えた誰かさんも。
光が水に射し込み、海面はもうすぐだと告げる。
(さぁーて、情報は揃ったんじゃない?どう動くのかしら?)
退屈だった毎日が嘘だったように、マートルは次の展開が待ち遠しかった。
*****
ホグワーツは、恐怖のるつぼにあった。
新任教師、アミカス、アレクト・カローは『ハリー・ポッター応援パーティー』があった日から豹変していた。
まず第一に、耳がよくなった。現魔法界や彼らについて非難すると、それがどんなに小さな囁き声でも聞きつけるようになった。聞きつけた後はその場で体罰を実行するか、地下牢につなぎ止めた。
授業も苛烈の一言に尽きた。生徒に闇の魔術を教え込み、前述の地下牢に閉じ込めた生徒にその呪文をかけるのだ。以前はあった、練習台の人形や、呪文の効果についての深い考察などは消えてしまった。それが人をどのように変化させどのような痛みを与えるのか、生徒達は知らないまま魔法を覚えていった。
生徒に呪いをかけることを拒否すると、拒否した生徒に矛先が向いた。反抗した実験台がいない場合は、半純血の生徒が犠牲となった。
この地獄の中、生徒達は徐々に麻痺していった。
――傷つけられるより、傷つける方が楽だ。
――力が、闇の魔法が、何よりも強い。
――自分は純血だから、大丈夫だ。
初めは大多数だった反抗の声も、あっという間に少数派とすら言えなくなった。
『必要の部屋』は、過去どんな時間よりも大きく広がり、大勢の人間を守っていた。
「ネビル、もう金貨の在庫無いよ!」
「困ったな。ひとまずは同じ寮の人に教えてもらう事にしよう」
「まだ貰ってない人、ここに集まって!」
カローが豹変したと同時に、
特に多い入団希望者は、半純血。八月に提出した血統書を握られており、彼らは生まれを誤魔化せない。積極的に授業に参加することで難を逃れる者以外、全ての半純血が助けを求めてDAに名を連ねた。
それとは真逆にここにいないホグワーツの一員は、やはりスリザリン生。彼らの全てが積極的に『平和を勝ち取っている』訳ではないが、全体的にカローを支持する体勢を取っている。キースが言うには、彼らは彼らで守りを固めており、関わりたくないというのが本音だそうだ。
大きく膨れ上がったDAは、自分の身を護る守護呪文や呪い返し、または闇の魔法を“失敗する方法”を練習した。上級生は難癖つけられて閉じ込められた生徒の救出、授業のボイコットの指導などに努めた。時にはカローと直接ぶつかり合い、深手を負った。
豹変の日から三日が経つ。大広間で昼食を食べている時、ネビルはジニーからメモを受け取った。
「スリザリンの合同授業で、キースが」
セルウィンについて重要な話がある、最後の授業が終わったら『DA会合の部屋』に来てくれ――走り書きでそう書いてある。読んで、すぐに燃やした。
キースはDA隠れメンバーだ。一人は絶対に疑われないDAメンバーがいた方がいいと、他のメンバーとの接触を避けたり集会には行かなかったりと徹底している。スリザリンがDAの活動を積極的に邪魔しないのは、内部の者とは気づかれないようにそう呼びかけているからだ。
だから、話がある時は合同授業を利用するか、遠回りにフクロウ便を飛ばしている(ホグワーツ内でのやり取りなので、検閲は避けられている)。
「セルウィンか……ジニーはどう思う?」
「……関係あると思う。私たちがセルウィンの杖を奪ったのと、カローが豹変したのは」
「……僕も。引き金を引いたのは、僕たちじゃないかって……きっとみんなも」
ネビルが誰よりも前に立って、誰よりも傷つく立場にあるのは、その負い目があるからだ。
だが、セルウィンが大量の生徒に磔の呪文をかけたのは、証言から確かなことだ。今は敵なのか味方なのかはっきりしない立ち位置にいて、何よりもこの地獄が苦痛で、誰も言い出せずにいた。
「あの子、『秘密の部屋』にいるって言ってたっけ」
「ええ、ゴーストの間でそんな噂が立ってるわ」
ともかく、時間が過ぎるのを待って、ネビルとジニーは『必要の部屋』に入った。
中には二人いた。一人はキース、もう一人はスリザリンの女子生徒。
「こいつは俺と同学年のレナ・アンダーウッド」
「レナでいいわ。あなたがリーダーのロングボトムさん?」
「うん。僕もネビルでいいよ」
それを確認するなり、レナはネビルに近寄って――
パシン!
「うぇ!?」
何の前触れもない平手打ち。ジニーが前に出て睨んだ。
「ちょっとあんた何すんの!」
「まずは話を聞いてくれ。――俺もやられた」
言われるまで気づかなかったが、キースの片頬が少し腫れている。
「リーダーだけで勘弁しとくわ。――あんたたち、何やらかしてくれてんのよ!」
「……セルウィンのこと?」
「まず話しろつったろ。……こいつは寮の中でセルウィンを探せ、助け出せって騒いでたんだ。話聞いて、DAの案件と判断して連れて来た。こっちの大まかな事情は話してある」
それで叩かれたと。
レナが深呼吸をして、話を引き継いだ。
「私、九月にミリアと口論になったの。それで磔の呪いの呪文を聞いた。でも痛みの記憶は無いの」
「気絶したって訳じゃあ……」
「違うわ。ミリアは口で唱えるのと違う呪文をかけられるのよ、たぶん。口ではクルーシオって言っときながら、私は失神呪文をかけられた。『セルウィン部屋』送りの生徒の話聞いたら、なんかあやふやな話ばっかり。最終的には痛かったことしか憶えてないって口をそろえたわ」
レナが言いたいこと、頬を叩いたわけがだんだん見えてきた。
「マダム・ポンフリーを問い詰めたら、誰にも言わないって約束で、磔の呪文で担ぎ込まれる生徒は全員失神呪文と忘却呪文をかけられてるだけって、白状したわ」
ネビルはこれほど自分に腹を立てたことは無い。身近な人が磔の呪文で酷い状態に陥ったのに、生徒が誰一人そうならないことを、疑問に思いもしなかった。
「実演の授業は……服従の呪文って解釈できるわ。悲鳴を上げるように命令されたのかも。――とにかく、ミリアは人知れずホグワーツを守ってたのよ!」
宣告され、ネビルとジニーは、雷に打たれた気分になった。自分たちは、なんてことをしてしまったのだろうと。
「私は――それを知って、黙ってた。あんたなんか足手まといだって、ミリアに言われた気がして……何にも手伝ってあげられなかった。だから助けなくちゃ駄目なの!でもどうすればいいか、どこにいるのかすら分からない!三日前、ミリアの杖を奪ったんですって?あんたたちも責任取って私を手伝いなさい!」
「うん、もちろん」
「なんだってやるわ……」
ジニーは、腕が震えているのを自覚した。――武者震いではなかった。