Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
重々しい音を立てて魔法学院の正門が開いていく。
その正門の向こうには、王女が乗っているらしき立派な四頭立ての馬車が佇んでいた。
整列してそれを待ちわびていた生徒達が一斉に杖を掲げると、召使たちは馬車から学院本塔の玄関まで鮮やかな赤色の絨毯を敷きつめていく。
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のご到着――っ!!」
呼び出しの衛兵が王女の到着を高らかに告げると、音楽隊の音と共に馬車の扉が開く。
まずは枢機卿のマザリーニが、続いて彼に手を取られたアンリエッタ王女が姿を現した。
マザリーニの人気はあまりないのか、最初に出てきた彼に大してはさほどの拍手も起きていなかったのであるが、王女が姿を現わすと、それとは一変して生徒達から盛大な歓声が上がった。
王女はにっこりとほほ笑みながら、優雅に手を振ってそれに答えている。
「あれが噂のトリステイン王女? へー、ゲルマニアで聞いてた程じゃないわね」
キュルケは生徒達の列から少し離れた場所で、つまらなそうに歓迎式典の様子を眺めていた。
他国からの留学生である彼女には、他の生徒ほどの熱気はないようだった。
タバサにいたっては地面に座ったまま、我関せずといった具合に本を読みふけっている。
それに反して、ギーシュとモンモランシーは生徒達へ手を振っている王女に感極まった面持ちである。
リウスもしばらく王女や枢機卿の様子を眺めていたが、ただ眺めているだけだった。
先程はギーシュやキュルケからトリステイン王国の内情についていくつか聞きはしたが、知りもしない王族に対して別に光栄な気持ちなど沸き立つはずもない。
リウスが軽く首を回してからルイズへ目を向けると、ルイズは少し紅潮した顔で一点を見つめていた。
視線を辿ってみると、どうやらルイズが見ているのは王女達から少し離れた場所のようだ。
多分あの、つばの広い羽帽子の男を見ているのだろう。
その逞しい顔つきの壮年の貴族はグリフォンのような野獣に跨りつつ、静かに王女達の後ろに控えている。
跨っているグリフォンは他のグリフォンよりも一回り以上も大きい。
リウスの世界、ラヘルの荒野に住むグリフォンと比べても、明らかに巨大なグリフォンである。
そんな野獣に平然と乗っているところを見ると、彼があの部隊の隊長格なのだろうか。
「あら、良い男じゃない」
その声にリウスが振り向くと、キュルケがあの壮年の貴族を見てうっとりとした表情を浮かべている。
どこかに良い殿方はいないかと以前ぼやいていたキュルケだったが、あの貴族はそのお眼鏡にかなったというところか。
もう一度、リウスはルイズの顔を見た。
ぼんやりと見つめているその表情は、まるで恋する乙女である。
この子の性格を考えるに、一目惚れってことではないのだろう。
(あらあら。そうだったのね)
ルイズの意外な一面を見ることになったリウスは、ほっとしたように嬉しそうな表情を浮かべていたのだった。
晩餐会から帰ったルイズは未だに惚けたような表情のままで、ベッドの上に寝転がっていた。
リウスが声をかけても返ってくるのは生返事ばかりである。
まあいいか、とリウスは特に気にした様子もなく、デルフリンガーの手入れを行なっていた。
ちゃんとした装備は持っていないので単なる気休めにすぎないが、久々の手入れにデルフリンガーは上機嫌な様子だ。
「おお・・・、そこだぜそこ。相棒、手慣れていやがるな。大したもんだぜ・・・」
「変な声出さないでよ。突っ込む気力も失せちゃうでしょ」
先ほど物は試しとデルフリンガーの刀身についた錆を学院の衛兵から借りた簡単なやすりで削ろうとしたが、やっぱりこの錆は落とせないようだった。
錆が落とせないからには仕方がないので、柄やつばを綺麗に掃除して、刀身には簡単に植物油を塗ってから固めの布で擦ってみたりしている。
刀身の錆が残ったままなので意味が無いといえばそうなのだが、心なしかデルフリンガーが綺麗になった気がする。
しかし、リウスは少し不満そうな顔をしながらデルフリンガーを眺めていた。
「錆さえ無ければ全部キレイに出来るんだけどねえ。デルフ、貴方はこの錆を何とか出来ないんだっけ? なんか中途半端でモヤモヤするわ」
「? どういうことだ? 普通の錆じゃねーのか?」
そのとぼけた言葉にリウスは心底呆れた顔をする。
「あんたね・・・、自分のことも忘れちゃってどうするのよ。前に、この錆がデルフの魔力を隠してるって言ったでしょ。だとしたらこの錆はわざと付けられてるってことじゃないの。まあ貴方を作った人が付けたんだろうけど」
「そうだっけか、忘れてたわ。うーん、錆を落とす方法ねえ」
デルフは少しの間ウンウン唸ったかと思うと、あっけらかんとした声で答えた。
「何かあった気もするけど、錆落とす方法なんて忘れちまった。だってほら、俺っち剣だもんよ。どっかで思い出すんじゃねーか?」
またそれか、とリウスはため息をついた。事あるごとにこの調子である。
しかし、この言い分だとデルフリンガーにも記憶に引っかかる部分があるのかもしれない。
本当に忘れているだけなのであれば、いずれ思い出すこともあるだろう。
すると突然、扉がノックされた。ノックは規則正しく叩かれる。
初めに長く二回、それから短く三回・・・。
ベッドで寝転んでいたルイズがはっとした顔をして立ち上がった。
そして急いで扉へと駆けていき、扉を開ける。
そこに立っていたのは黒いローブにフードをすっぽりと被った人物だった。
その人は注意深く周囲を伺ってから素早く部屋の中に入ると、後ろ手でドアを閉めた。
「・・・あなたは?」
ルイズの怪訝そうな声に、黒ずくめの人物は口元に指を立てる。
どうやら声を出して欲しくないようだ。
すると、その人はローブの隙間から杖を取り出してルーンを唱えた。
杖の先から光の粉が舞う。
「ディテクトマジック?」
部屋に舞った光の粉を見たルイズに対して、ローブの少女が頷いた。
「どこに目や耳があるとも分かったものではありませんから」
声は少女のものだった。
その少女が頭に被ったフードを外すと、その顔にルイズは驚いた表情をする。
フードを外したのは、アンリエッタ王女その人であった。
その顔を見たリウスは別の意味で驚いていた。
間近で見た王女の顔は、あまりにも美しいものだったのだ。
これは人気が出るはずだわ、とリウスは一人で納得する。
「姫殿下!」
思わずルイズが膝をついたのを見て、リウスも居住まいを正してからルイズに倣って膝をついた。
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
王女はにこやかにルイズの名前を呼んだ。
その笑顔は正門で見た顔と同じではあったが、その雰囲気は正門にいた時よりも温かいものに感じられる。
「姫殿下、いけませんわ。こんな下賤な場所に・・・」
嬉しそうにルイズへ歩み寄るアンリエッタに対し、ルイズは畏まった顔を伏せたままだ。
それを見て、アンリエッタは悲しそうな表情を浮かべた。
「ああ、ルイズ! そんな堅苦しい行儀はやめて頂戴。ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をして寄ってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族達もいないのですよ!
ああ、もうわたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。貴方にまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまいますわ!」
一気にアンリエッタがまくし立てると、ルイズもようやく顔を上げた。
リウスはその様子から、溜まってるってやつなのかしら、と思いつつも、極力二人の邪魔にならないようにひっそりと顔を下げたままでいた。
そして、二人は昔の話に花を咲かせ始めた。
「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの。泥だらけになって!」
「ええ! お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルトさまに叱られました」
「そうそう。あと、ふわふわのクリーム菓子を取り合って、掴み合いになったこともあったわね! 喧嘩になると、いつもわたくしが負かされていたわ!」
「いえ、姫様が勝利をお収めになったことも一度ならずございました」
「他にもほら! 覚えているかしら? わたくし達がアミアンの包囲戦と呼んでいるあの一戦のことを!」
しばらくの間、二人は昔の小さな頃の記憶を確かめあっては、それを幸せそうに語っていた。
「ああ、本当に懐かしい。懐かしくって涙まで出てきてしまったわ。あの頃は本当に自由で、毎日が楽しかった。出来るのなら、いつまでも子供のままでいたかったわ」
目尻に浮かんだ涙をそっと拭って、アンリエッタは呟いた。
その響きにはどこか悲しみが混じっているように聞こえる。
「姫様・・・」
「結婚するの、わたくし」
アンリエッタは悲しげな微笑みを浮かべてルイズへと告げた。
「おめでとうございます・・・」
ルイズにも何となく分かっていた。
多分これは望まぬ結婚なのだ。
トリステイン唯一の王女である彼女の立場を考えると、その事情は容易に想像ができた。
しかし、ルイズにはありがちな祝福の言葉しか送ることができなかった。
「愛する者と結ばれるのが女の幸せよ。あなたにも、いつかきっと愛する人が目の前に現れるわ。いえ、もういるのかもしれないわね。せめてルイズ、貴方は愛する人と結ばれることを願ってるわ」
部屋が暗い雰囲気になってしまったのを感じたのか、アンリエッタはぱっと顔を上げて努めて明るい表情で口を開いた。
「そういえば、ルイズはもうこの学院の二年生でしたわね。使い魔の召喚も行なったのでしょう?」
はっとしたルイズは背後にいるリウスへと顔を向けた。
リウスは未だにその顔を下げた姿勢のままである。
「はい。ここにいますのが私の使い魔です」
ルイズはそう言うと、後ろで控えているリウスを腕で示した。
「あの、人にしか見えないのですけれど」
「人でございます。そして東方のメイジでございますわ。姫殿下」
「まあ・・・」
アンリエッタは驚いたように口を開けながら、まじまじと薄い桃色髪の女性を見つめている。
「凄いわねルイズ。東方からメイジを召喚するなんて、王宮に仕えるスクウェアメイジにもいないわ。あなたは昔から変わっていたけれど、相変わらずなのね」
そうルイズに微笑んだアンリエッタが、もう一度顔を伏せたままのリウスを見る。
「使い魔さん、顔を上げてくださいな。貴方のお名前を教えて頂けるかしら?」
そう言われたリウスは少しだけ顔を上げた。
「では、恐れながら。わたくし、ルイズ・フランソワーズが使い魔、リウスと申します。以後お見知りおきを」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたしますわ。使い魔さん、ルイズを守ってあげてくださいね」
「はい。たとえこの身が砕けようとも、我が主人を守る所存にございます」
その言葉にルイズは少し怒ったような、悲しそうな表情を浮かべながらリウスを見るが、リウスもアンリエッタもその表情に気付いた様子はない。
「では、貴方にも聞いてもらいましょうか・・・。いえ、でも・・・」
その煮え切らない様子に、リウスは静かに口を開いた。
「もしお邪魔であれば、退室いたしましょうか?」
「いえ、メイジと使い魔は一心同体。席を外す理由はありませんわ。・・・実は、先程のゲルマニアとの婚姻の話です」
その言葉にルイズが驚愕の声を上げる。
「婚姻というのは、ゲルマニアとの婚姻なのですか? あの成り上がりの国と?」
アンリエッタは、ルイズのゲルマニアを侮辱する言葉をさほど気にもせずに頷いた。
「そうなのです。トリステインとゲルマニアの同盟のためには、それしかありません。しかしその婚姻には大きな問題があるのです」
アンリエッタはそう言うと、両手で顔を覆って泣き崩れるような仕草をする。
「おお、始祖ブリミルよ。この哀れな姫をお救いください・・・」
ルイズは驚きつつも立ち上がると、アンリエッタへ歩み寄った。
「婚姻の問題というのは、手紙です。その手紙が見つかってしまえば、ゲルマニアとの婚姻は破談となってしまうでしょう」
「そ、その手紙はどこにあるのですか?」
ルイズは焦った様子で言うが、アンリエッタはまるで舞台演劇のようによろめくと、かぶりを振りながら続けた。
「ああ、私は何を言っているのでしょう! 混乱しているのだわ! お友達の貴方を巻き込むなんて、そんなこと出来るはずもないわ!」
「姫様! 身分違いのこととは思いますが、私は姫様を今でもお友達だと思っております。そんな姫様のためなら、私は何であろうとも成し遂げてみせます!」
「ルイズ・・・!」
盛り上がる二人を前に、リウスはぽかんとした表情を浮かべていた。
「手紙は、アルビオンのウェールズ皇太子が持っているのです」
「ウェールズ皇太子といえば、あの麗しきウェールズ王子様ですか?」
「ええ・・・。しかし、今アルビオンはレコン・キスタという輩共によって内乱となっています。そんな中に、おともだちのルイズを向かわせるなど! 私には出来ませんわ!」
「何をおっしゃいます! 姫様のためであれば、このルイズ・フランソワーズ! たとえ魔法が降り注ぐ戦火の中でも向かわせていただきますわ!」
「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れることはないでしょう! これぞ正に忠誠、真の忠誠です!」
二人は感極まった様子で、ひしと抱き合っている。
その様子に今まで黙っていたデルフリンガーがひっそりと声を出した。
「・・・すげえな」
「凄いわね・・・」
リウスも呆気に取られたどころか、冷え切った視線をアンリエッタに向けるようになっていた。
この美しい姫による深い哀切を塗れさせた言葉は、ルイズならずとも、特に男であれば、無条件で言う事を聞かせてしまうであろう力を持っていた。
しかしそんな言葉は、友人であるルイズに向けるべきものではなかった。
ひとしきりルイズと抱き合ったアンリエッタは、真面目な顔をするとルイズの顔を見た。
「ルイズ。貴方も知っているように、反乱軍の手によってアルビオン王家は風前の灯となっています。急がなければ、明日にでも滅んでしまうかもしれません」
「ええ、分かっておりますわ。いますぐにでも出立の準備をいたします」
話がとんとん拍子で進んでいく様子に、リウスは跪いたままの姿勢で思わず口を出した。
「ルイズ、ちょっといい?」
ルイズは怪訝な表情でリウスへと振り向く。
「何? リウス」
「戦争の中に入っていくってこと、分かってるわね?」
「そんなこと分かってるわよ。リウスもすぐ支度するのよ」
ルイズは何を当たり前のことを、という顔をしていたが、リウスには気が気じゃなかった。
下手をしたら、殺し合いになるというのに。
「使い魔さん、ルイズのことをよろしくお願いいたしますわ」
アンリエッタはそう言ってリウスの前に立つと、その左手をリウスの目前へと差し出した。
ルイズは一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐにはっとして声を上げる。
「姫様、いけません! 私の使い魔にその手を許すなど!」
「いえ、いいのですルイズ。忠誠には報いる物がなければなりません」
しかしリウスは差し出された手を見つめたまま、目を細めて微動だにしない。
確かに、この王女は王族としては心優しい人なのだろう。
王族として生きながら、どこの誰かも分からない人物に手を許すなど、『貴賤の分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるにふさわしい。
しかしこの姫は、王女としての自分の発言がどのような事を生み出すのか、全く分かっていない。
「・・・リウス? それは、姫様がその手に口づけを許されたということなのよ?」
そのルイズの言葉にも答えずに、リウスは少し眉をしかめたまま、すっと立ち上がった。
予想していなかった行動に、ルイズもアンリエッタも呆気に取られている。
「私は東方から、このルイズに使い魔として呼び出されたわ」
唐突に始まった言葉に二人は目を丸くしていたが、それを気にした様子もなくリウスは続けた。
「それまで私は冒険者として多くの国を回ってきた。市民からの要望を受けたり、時には王族や教皇の依頼を受けたりもした。だから、私はこれまでに色んな人を見てきたわ」
アンリエッタだけでなく、ルイズもその言葉に驚愕の表情を浮かべている。
「その中でも、ルイズは心から貴族であろうとする立派な子だった。そりゃあ最初はいけすかない子だとは思ったわよ。でも一緒にいるにつれて、私はルイズを家族のように大事な存在だと思い始めているわ。自分の信念は曲げずに、何度失敗しても、どんなに恐れていても立ち向かっていく。そんなルイズだからこそ、私は身を張ってこの子を守っていくって誓った」
淡々と紡がれていく言葉に、アンリエッタはこれは決意の表明なのだと考えていた。
ルイズと共に、何があっても私の依頼を達成すると。
「しかし姫様。そのルイズへの、先程のあの態度は何ですか?」
その発言に、アンリエッタもルイズも一瞬周りの時間が止まった気がした。
リウスは刺すような視線をアンリエッタへと向けている。
「貴方はルイズの大切な友人なのでしょう? そう思っている友人に向けて、つまらない芝居を演じてまで『死ね』と言ったのですよ?」
アンリエッタの表情は固まったように動かない。
ルイズは呆気に取られたままだ。
「ルイズはこの国の貴族として、そして貴方の友人として貴方の要求に答えるでしょう。
でも貴方はあんな芝居を演じてまで、友人であるルイズを死地に向かわせようとした。自らの責任を逃れるために、自分の意思で友人を死地に向かわせることさえしなかった。
貴方は友人としてでも王女としてでもなく哀れな姫を装って、そして、そして貴方は、その友人の立場を利用してまで! ルイズから戦争に向かわせようと仕向けた!
そんな態度の、どこがルイズの友人ですか!! トリステインの王族ですか!!」
リウスの厳しい言葉は徐々に強くなっていく。
その声に我に返ったルイズは、さっと怒りの表情を浮かべた。
「姫様は、いつまで子供のままでいるつもりですか!!」
ぱんっ、と乾いた音が部屋の中に響いた。
リウスの頬を叩いたルイズの手はかすかに震えている。
「姫様に、なんて無礼な口をっ!!」
リウスは叩かれた頬を庇おうともせずに、ルイズを強く睨み付けた。
「ルイズ、貴方は分かっていない。相手は自分の国に戦争を仕掛けてる連中なのよ。トリステインの貴族だなんて関係無しに、殺されるかもしれないわ」
「し、死ぬかもしれないなんて分かってるわよ! でもそんな卑劣な連中に背を向けるなんて有り得ないわ!」
「やっぱり貴方は分かってないわ。殺されるかもしれないってことは、否応なくその手で人を殺す必要があるかもしれない。後悔してしまう前に、この任務を受けるからには人殺しになる覚悟を持っておかなくちゃいけないのよ」
ルイズははっとした表情で、自分の手を見た。
この手で、人を殺す・・・?
「姫様、貴方も分かっていない。戦争に向かう以上、仮にルイズが生き延びてもその手を汚す必要だってあるかもしれません。戻ってきたルイズが、貴方の知っているルイズではなくなることもあります。
そして、私がいくらルイズを守ろうとしても限界があります。たとえ私が犠牲になったとしても、ルイズが戻ってくる保証はありません」
アンリエッタは様々な感情が入り混じった歪んだ顔のままで、目の前の使い魔を見つめている。
「姫様のお話ですと、この任務が失敗に終わった結果はルイズと私の死だけでは済みません。姫様を支えている他の貴族達、その貴族が持つ領地の平民達、トリステインのありとあらゆる人々に戦争という災禍が降りかかる可能性もあります。
・・・貴方の発言や行動は間違いなく強力なものです。貴族社会においての立場としても、王族としての魅力としても。
だからこそ、少なくとも貴方だけはこの国の先を読み、あらゆる事柄に対して常に先手を打たなければならないのです」
アンリエッタは、自分の熱くなった頭が急に冷めていくのに気付いた。
学院に訪れる前、馬車の中で確かにマザリーニは言っていた。
『先を読み、先手を打つ事。それが政治なのだ』と。
マザリーニ枢機卿は決して無駄なことはしない人だ。
あれは、王族である私に向けた言葉だった。
そんなことにすら、あの時の私は気付いていなかったのだ。
「マザリーニ枢機卿はこの件をご存じないのですね?」
はっとしたアンリエッタは口ごもりながら言った。
「枢機卿は、知らないはずです・・・。でも、何故」
「こんな重要な任務を、一介の学生に任せる訳がないからです」
厳しい口調で咎めるように言うリウスに、思わずアンリエッタは顔を俯かせる。
「ルイズ。貴方は人を殺す可能性があっても、死ぬかもしれなくても、この頼みを聞くつもり?」
ルイズの顔を見もせずに、リウスはルイズに問いかける。
ルイズはきっとリウスを睨み付けてから、まるで叫ぶかのように言った。
「当たり前でしょ! 私はヴァリエール公爵家! 貴族なのよ! 国のために、そして大切な姫様のために! 背を向ける訳にはいかないわ!」
リウスは厳しい顔つきをふっと緩ませると、アンリエッタに向かって恭しく膝をついた。
「姫様。私は主人であるルイズの意思を尊重したく思っております。しかし、せめて枢機卿にお話しを通して頂きたい。その上で、手練れを随行させていただけますでしょうか。ルイズと私のみでは、姫様のご依頼に失敗する可能性がございます」
その言葉にも、アンリエッタは俯いたままだった。しかしリウスは尚も続ける。
「そして、出来ればこの国の王族としてルイズに依頼をして頂きたく存じます。哀れな姫ではなく、トリステイン王国の王女として」
アンリエッタはようやくその端正な顔を上げると、背筋を伸ばしてから跪くリウスを見下ろした。
「分かりましたわ」
その佇まいは、間違いなく威厳ある王族のものだった。
先程までの小動物のような、怯えるような弱々しい瞳は影も形もない。
揺らぎのない澄んだブルーの瞳を、アンリエッタはそのままルイズへと向けた。
「ルイズ・フランソワーズ」
「はっ!」
その姫の姿に、ルイズは呼吸するかのような自然さでさっと膝をついた。
「トリステイン王国の第一王女、アンリエッタとして、ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに勅命を申し伝えます。
こちらの準備が済み次第アルビオンへ出立し、アルビオン王国第一王子であるウェールズ殿下より内密の文書を受け取るように。その文書を手に入れたなら、読解ができないように全て燃やしてください。これはトリステイン王国の国家存亡をかけた重要な任務です」
最後の一言を口に出すことを、アンリエッタは少しばかり逡巡した。
「・・・その命にかけても、この任務を全うするように」
「はっ。この命に代えましても、この任務を達成することを始祖に誓います」
国家のために死ねという言葉。
その言葉に、アンリエッタは胸を貫かれたような鈍い痛みを覚えた。
先程の自分はこの痛みから逃れるために、あのような情けない姿をしていたのか。
「ミス・リウス。貴方は主人であるルイズ・フランソワーズを・・・、その身に代えても守ってください。そして何としてでも、この任務を達成させるように」
「かしこまりました。この身に代えてでも主人を守り、任務達成のために尽力いたします」
アンリエッタはその二人の様子を見てから静かに目を閉じると、最後に言葉を付け加えた。
「そして、約束してください。必ず生きて帰ってくることを」
ルイズは膝をついたまま静かな口調で言った。
「姫様の命となれば、たとえ幾万の敵の只中からでも生還いたします」
「いいえ、これは王女としての命令ではありません」
ルイズの言葉に、アンリエッタが静かに口を開いた。
「友人としての、願いです」
ルイズは感極まったように、下げた頭を更に地面へと俯かせた。
「勿体なき、お言葉です」
アンリエッタはすっとリウスへと体を向けると、厳かな表情のままでリウスへ口を開いた。
「ミス・リウス。貴方のおかげで、わたくしは王族として多くのことに気付かされました。先程までのわたくしの姿を、今は心より恥じます。ありがとうございます」
「とんでもありません。それに先の暴言の数々、真に申し訳ございませんでした。ですがあのままでは、我が主人が死んでも死にきれぬと思ったのです」
アンリエッタはふっと笑うと、頭を下げたままのリウスへと口を開く。
「ルイズは本当に良い使い魔を持ったものですね。ミス・リウス、貴方も必ず生きて戻ってきてください」
「承知いたしました。任務達成の折には、ルイズと共に必ずや姫様の元へ戻ると誓います」
その言葉を受けて、アンリエッタは静かに頷く。
そしてもう一度ルイズに向き直ると、声に後悔の念をにじませながら口を開いた。
「ルイズ・・・。先程の私は、本当に愚かでした。まだ、私の友人でいてくれますか?」
ルイズは膝をついた姿勢から勢いよく身を起こすと、アンリエッタの両腕を優しく掴んだ。
「姫様、私はいつまでも貴方様の友人でございますわ! 今も、これからもずっと!」
「ありがとう、ルイズ・・・。わたくしはこの日がこんなに素晴らしい日になるなんて、夢にも思っていなかったわ。本当に、ありがとう」
「姫殿下! わたくしは貴方様への永遠の忠誠を誓っておりますわ!」
「ルイズ・・・。ああ、ルイズ!」
そう言って、ひしと抱き合う少女二人。
リウスはまたもや展開される舞台のような雰囲気を見て、元々こんな感じなのかしら、と少し気まずい思いをしていた。
ひとしきり感動し合っていたアンリエッタとルイズだったが、ふとアンリエッタがリウスを見る。
「ミス・リウス。貴方も、わたくしのお友達になってはもらえないでしょうか?」
その言葉に驚いたリウスは、もう一度恭しく頭を下げた。
「勿体ないお言葉です。それであれば、その、ミスなどの敬称は付けないで頂けますでしょうか? 私は貴族ではないので、そう呼ばれるのに慣れていないのです」
「まあ! 貴方は貴族ではないのですか?」
「ええ。それにも関わらず、先程の暴言は申し訳ございません」
「主人として、私からも謝罪をさせてください」
頭を下げるルイズとリウスに、アンリエッタが笑って言った。
「いやですわ、二人とも。頭を上げてください。それに、先程のリウスさんの言葉はこのアンリエッタの心を強く揺さぶりましたわ。貴方の仰る通りです。いつまでも、子供のままじゃいられませんものね」
アンリエッタは朗らかに微笑んでいるが、リウスは少し困ったような顔で微笑み返す。
「リウスさんのあのような言葉は、父が生きていた頃以来のものだったわ。わたくしに姉がいたのなら、こんな風に叱られていたのかしら」
「ええ、姫様。リウスはいつもあんな調子なのです。今日だってリウスと教師の一人との言い争いになってしまって、いつも大変なのですわ」
それからルイズは最近の出来事をアンリエッタへ話し始めた。
アンリエッタは驚いたり笑ったりと、表情をころころと変えながら楽しんでいる。
リウスは、かつて自分がいた世界のアルナベルツ教国という宗教国家で崇められている、教皇のことを思い出していた。
生まれた時からフレイヤ神の化身とされてきたその教皇は、まだ年端もいかぬ幼い少女だったのだ。
彼女は一見感情が希薄なように見えていたが、実際には激化する教国の権力争いを止めようとしていた、聡明で心優しい子供であった。
アンリエッタも、いたって普通の心優しい少女なのだ。
それを王家の元に生まれてしまったから、昔からの友人にもこうして時々しか会えないでいる。
そう考えると、王家という重圧の只中にいる彼女の負担は相当なものだろう。
リウスは、ちょっと言い過ぎたかもしれないな、と少し申し訳なさそうな顔をしながら二人の様子を眺めていた。
「今から枢機卿に先程の件を伝えておきますので、明日の朝には出立してもらうことになるでしょう。衛士隊の中でも腕利きの人物を随行させますわ」
「ありがとうございます、姫様。でもちょっと失礼を」
きょとんとするアンリエッタを尻目に、リウスは部屋の扉へ近付くとゆっくり扉を開けた。
「ギーシュくん、何か用があるんじゃないの? どこからいたのかは分からないけど」
扉の外では、わたわたと逃げようとしているギーシュの姿があった。
「ギーシュ! 貴方、聞いていたの!?」
「ち、違うんだルイズ。怪しい黒ローブの人物が女子寮に入っていくのを見て、それで・・・。
それにしてもミス・リウス! 君という人は、姫殿下に何て口を!」
「そこからもう聞いてたのね。それに盗み聞いていた理由になってないわよ?」
決まりの悪そうなギーシュはごほんと咳払いをすると、居住まいを正してからアンリエッタへ膝をついた。
「姫殿下! わたくしはグラモン家が四男! ギーシュ・ド・グラモンと申します! よろしければ、わたくしもその任務に随行したく存じます!」
「まあ、貴方がグラモン元帥の?」
「はい。息子でございます」
アンリエッタは少し困ったような顔でリウスをちらと見る。
「姫様。申し訳ありませんが、私は彼の同行を止める権限がございませんので。姫様のご判断にお任せしたいと思います」
リウスはアンリエッタにきっぱりとそう言うと、跪くギーシュを見やった。
「ギーシュくん。聞いちゃったのなら仕方ないのかもしれないけど、これがとても危険な任務だってことは理解してるのよね?」
「は、はい。理解しているつもりです」
「とのことです。姫様」
アンリエッタはその言葉に少しだけ考え込んだが、やがて柔らかく微笑みながらギーシュを見つめた。
「ギーシュ・ド・グラモン、貴方の覚悟を理解いたしました。では、貴方にも勅命を言い渡します。明朝、ルイズ・フランソワーズは密命によりアルビオンへ出立します。そのため、密命が完了するまで貴方はルイズを護衛なさい。そして共に随行する衛士隊の指示に従ってください。しかし、もし衛士隊の者が同行を拒否した場合にはそれに従うこと。いいですね?」
「し、承知いたしました。このギーシュ・ド・グラモン、命に代えて殿下のご依頼を達成してみせます!」
つまり、最終的な判断は随行する手練れに任せるということのようだ。
アンリエッタがそう決めたのならリウスもそれに従うだけだが、当のアンリエッタはまだ少し心配そうな表情をしつつ、こちらの様子をちらちらと伺っていた。
本当に大丈夫なのか、と不安なのかもしれない。
そう思ったリウスは、せめてアンリエッタの心配を和らげられるようにと口を開いた。
「姫様。先日の盗賊騒ぎの際にも、彼はルイズと秘宝を守るという大役を見事成し遂げた人物です。彼がいなければ、我々のいずれかも無事では済まなかったはずです」
「まあ! そうなのですか! それは心強いですわね」
にっこりと微笑むアンリエッタに、ギーシュは感極まった表情を浮かべた。
「ですが、決して無茶はしないようにしてください。貴方も無事に帰ってくるのですよ、ギーシュ・ド・グラモン」
「ひ、姫殿下が僕の心配を・・・!」
ギーシュは度重なる感動のあまり、後ろにのけぞって倒れ込んだ。
リウスがギーシュの顔を覗き込んでみると、にやけ顔のまま失神している。
(この子の株を上げたのは失敗だったかしら・・・)
リウスはため息をひとつ吐くと、失神したギーシュを引き起こしてから背中に膝を当て、両肩を掴んで思いっきり後ろへ引いた。
はっと目が覚めたギーシュを、リウスは扉の外に追いやっておく。
「女の子の部屋で勝手に寝てるんじゃないわよ。ほら行った行った」
分かっているのか分かっていないのか、ギーシュはにこやかな顔で返事をするとスキップ混じりに去っていった。
ため息を吐きつつリウスが部屋に戻ってみると、アンリエッタ姫は羽ペンを手に、ルイズのテーブルに向かって何か手紙を書いている。
アンリエッタは書き上げた文章をもう一度読み直し、少し考え込んでから、末尾に一行付け加えている。
悲しげに何かを呟いているのは分かるのだが、ルイズにもリウスにもその呟きは聞き取れなかった。が、少なくともリウスには何となくその内容が予想できた。
(まるで恋文ね。まあ政略結婚の障害になる手紙っていえば、そういうことなのかな)
アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振るう。
すると手紙に封蝋がなされて花押が押された。
正式な書状となったそれをルイズに手渡す。
別段、リウスは先程の様子を問いただすつもりはなかった。
正直に言えば、そもそも恋文程度のものが見つかったところで政略結婚にさほどの影響が出るとは思っていない。
先程のアンリエッタ姫の言葉に嘘はないのだろうが、今書いた手紙の内容もウェールズ皇太子の元へ向かう理由の一つなのかもしれない。
「ウェールズ皇太子にお会いしましたら、その手紙を渡してください」
そして王女は右手の薬指に付けていた指輪を外すと、それをルイズに手渡した。
「ルイズ、これを貴方に」
「しかし、この指輪は?」
「これは我が国の伝わる秘宝、水のルビーです。ウェールズ様の元へ到着した時に手紙と共にお見せしてください。アンリエッタの使いであることを証明できるでしょう」
「そ、そんな大事なもの! 受け取れませんわ!」
「いいのです、私は貴方達が帰ってくると信じていますから。ただ、もしこれを使って貴方達の身を守ることが出来るのであれば、たとえ売り払ってしまっても構いませんわ」
本当にいいのだろうか、とリウスは思ったが、これはアンリエッタ姫の決意の表れなのだろう。
深く頭を下げるルイズと共に、リウスも深く頭を下げた。
「姫様、ひとつ友人として確認をさせてください」
顔を上げたリウスがそう言うと、アンリエッタは少し緊張した面持ちでリウスの顔を見る。
「ウェールズ殿下へお伝えする内容は、この手紙だけでよろしいですね?」
アンリエッタははっとした顔をすると、口元を強く結んでリウスの目を見つめた。
「はい。この手紙だけで、構いませんわ」
アンリエッタはそう言うと、悲しそうな声をルイズとリウスへ向けた。
「・・・申し訳ありません。私のわがままで、こんな危険な任務を」
ルイズが慌ててその言葉を否定する中、リウスはアンリエッタへ笑いかけた。
「姫様。貴方は間違ってはいませんよ」
アンリエッタは自分を責めているかのような顔をしたまま俯いている。
「ここには貴方の友人しかいないのですから。貴方の助けになるのであれば、わがままだろうが何であろうが構いません」
「・・・ありがとうございます」
俯き気味だったアンリエッタが顔を上げるとその水色の瞳が少し潤んでいた。
そのまますっとリウスに近付くと、リウスを強く抱きしめてくる。
「ありがとうございます。リウスさん」
急な行動に目を白黒させていたリウスだったが、アンリエッタのその様子に右手だけで華奢な体を抱きしめ返す。
「任せてください。ルイズと共に、この任務を必ずや達成いたします」
アンリエッタはそっとリウスから離れると、目尻に浮かんだ涙を指で拭ってから微笑んだ。
「よろしくお願いいたしますわ。ルイズ、リウスさん」
アンリエッタが去った後、ルイズはリウスに食って掛かった。
姫殿下が許してくれたから良かったものの、臣下に属する者が王族に対してあの暴言は何事か、とまだルイズはリウスの言動を許してはいないようだ。
しかしリウスは、臣下であるからこそ姫様に自分の言動による責任を分かってもらわなくてはならない、と引き下がらない。
「・・・やれやれ。明日から大事な任務だってことを分かってんのかね」
事の一部始終を見ていたデルフリンガーは一人ごちると、なる様になるか、と自分だけ鞘に収まって眠りにつくのであった。