「サワディークラッ! ケイ!」
朝一番、自室にてソーマとペイラーと共に朝食を楽しみ、作戦会議室へ向かうケイを廊下の角で出待ちした上にラリアットも斯くやな抱擁をかましてきたのは、小麦色の肌をした見覚えのある人物だった。
寸でのところでそれをしゃがんで回避し、頭を低くしたまま地面を蹴ってその区域半径二メートルから脱出。一番近くにいたアオイの背後に逃げ延びる。
「ああああアオイちゃん!!? なんでパッティがここにいるの!?」
「シン君が連れてきたのよぉ」
「あははははははケイは相変わらず小さいし可愛いデスネー! いい子いい子」
「シン君! なんでパッティ連れてきちゃったの!?」
「違う。ついてきた」
摩擦と間違うレベルの高速なでなでを受けながら、ケイが悲鳴を上げるように抗議する。返答したシンジの顔には若干の疲労が見て取れるところから、シンジとしても苦渋の決断だったことくらいは窺えた。
「はよーございまーす、ってうわ、なんか知らないネーチャンがいる」
「ああ、リンドウは初顔合わせだったな」
「まず私を助けてから話を始めてよーー!!」
「もうケイったらツンデレなんデスからー! 嗚呼、ちっちゃくて可愛い口デスネー塞いじゃいますヨ?」
「私そっちの趣味はないですううう!!」
珍しく割かし本気で嫌がっているケイを片手で拝みながら、シンジは眉間に深い皺を刻んリンドウを振り返った。
「すまないケイ、しばしの間生贄となっていてくれ――彼女はウンスマッリン・パーチャラパーン」
シンジがアオイを挟んで逃げ回ったり追いかけまわしたりしてる後者の方を顎で指して疲れた顔で紹介を始めた。
基本的に礼儀正しいシンジの珍しい仕草に目を丸くしながらその先を見れば、こんがり日に焼けたような小麦色の肌に、滑らかそうな長い黒髪と黒曜石の目を持つ美しい長身の女性がいる。彼女がだらしなく目元を下げて口から涎を垂らし、ケイを追いかけまわしていなければの話なのだが。
「バンコク支部の極めて優秀なゴッドイーター………なんだが………」
「性格に難アリ、というとこなんスよ~。具体的にかつ率直に言うとロリコンなんス」
「ひでぇや」
「知らないだろうが、これでもパッティは俺の次くらいには強いぞ」
「知りたくなかった………」
「アジア支部合同だからな……どこかでかち合うとは思っていたが、まさか乗り込んでくるとは。そろそろ救出してやらねばな。アオイ」
作戦中かと思うほどの真剣な声でシンジがアオイの名前を短く呼ぶと、彼女は心得たとばかりに頷き、目にも止まらぬ速さでパッティを足払いした。ケイに完全にロックオンしていたために不意打ちを完全に食らった彼女は、咄嗟に地面に手をつこうと腕を伸ばしたが、間髪入れずその腕をアオイに捕らわれ身体ごと反転させられ、床にその身を強かに叩きつけられる事になった。
「パーチャラパーン、『私たち』のお姫様にそれ以上指一本でも触れてみなさい。その胸部の無駄な肉そぎ落として男か女かわからなくしてあげるわよぉ、このクソノッポ」
廊下の体感温度が五、六度下がった。
*
「えー、コホン。ええ、ハシャギすぎたかしらね。謝罪します」
「あ?」
「ゴメンナサイ!」
ひっくい声を出すアオイに、パッティはぴゃっと肩を跳ねさせて正座からの土下座をかます。ちなみにケイならアオイの腕の中だ。思ったよりやべー感じのアオイにドン引いているのである。
すすす、とリンドウは本能的にこの中で最も強いシンジに近寄り影に隠れる。ちなみにシンジの陰に隠れている者は既にもう六名ほどいた。ゴッドイーターが揃いも揃って………と思わなくもないが、それほどの気迫なのである。
「り、リーダー? なにゆえアオイさんはあんなにご立腹でらっしゃるので?」
「ああ。あれは去年も同じ調子でやってきたんだ。彼女はケイに一目惚れし、猛烈アタックを仕掛けた。傍目から見れば、年の離れた姉が思春期の妹を構い倒しているかのようにも見えたかもしれない」
「いやそう見えたのは鈍感魔王なシンジくらいッスよ。他のみんなは犯罪者見る目でパッティを見てたッスよ」
「ともかくだ、パッティはケイを撫でまわし、おかしを貢ぎ、どこへ行くにも付け回した」
「リーダー、ホントに姉妹に見えてたんですか? 文面に悪意が見えるんですが」
「ぶっちゃけ俺もパッティを疎んじた。パッティが邪魔すぎてケイを構えない、と」
「この支部、つくづくケイに甘すぎません?」
「お前が言うな」
「男兄弟にやっと出来た妹感あるッスよね。ゴッドイーターの女の子は間違っても妹感はないし、ユウナは従姉っぽいし」
「うむ。まぁそんな感じで、皆フラストレーションが溜まっていたわけだ。それでもどうにか作戦は終了、パッティはバンコクへ帰る―――が、その時盛大な爆弾を落としていった」
バララララ、とヘリが羽を回らせる最中、嫌々ながらも慰労のために見送りに来たケイに、パッティは輝かんばかりの笑顔で駆け寄り、ケイを潰さんばかりに抱きしめて、ケイの頬にキスをして言ったのだ。
『また会いましょうね、私のお姫様!』
「アオイは―――キレた」
「わあ、とっても端的」
「当時からアオイはケイを可愛いお姫様、と呼んで憚らなかったからな。そりゃあもう、キレた。誰がテメェの姫だこのすっとこどっこいと。口調は大分ヤクザだった。今度来たらキャメルクラッチかけてやる、と」
「怖っ……ゴッドイーターのキャメルクラッチとか……首もげそう………」
「そういうわけで、アオイはパッティを目の敵にしてるのでした。チャンチャンッス!」
「何一つめでたくないですね………」
「安心しろ、そんなパッティがいるタイだが、ちゃんとストッパーも呼んでいる」
「ウンスマッリン・パーチャラパーン少尉、起立!」
「ひゃい!!」
「――――――弁明はあるか?」
「………………ケイちゃぁん、助けて………」
「自業自得だよ! トラちゃん、やっちゃって!」
「トラちゃんはやめろ、ケイ。久しいな、ウチのパッティが失礼した」
鋭い叱正が飛び、パッティが正座から飛び起きてその場に直立不動になる。声のした方向へ顔を向ければ、丁度エレベーターから出てきたところらしいマントラ・シリラック。階級は中尉で、シンジとは同期である。
「トラ、久しぶり」
「半月前共に作戦に参加しただろう」
「そうだったか。すまん、ここ最近忙しくてな……」
「まったくお前は……」
マントラも前回の軍部合同作戦に参加したゴッドイーターの一人であり、パッティのバディだった。つまり、前回の作戦でとてもとても苦労した人の一人である。
「お前たち、廊下で何やってるんだ」
「ゲンさん」
「キョーカン!」
「そろそろ作戦会議開始時間だろうが、そら、入れ入れ」
呆れ返ったゲンにその場の全員が苦笑いを浮かべて、ゲンの背中に続いて会議室へ入る。会議室には既にツバキや新設された防衛部の面々、中華・台湾支部とインド支部の顔がちらほらと、それと爆睡しているキヨタカの顔もある。
「タカさんが時間前にいる!」
「昨晩ここで一夜明かしたらしい」
「アホだ」
「アホだな」
「その発想は、いらなかったね……」
いびきを立てて大口開けて寝ているキヨタカを残念なものを見る目で各々見つめながら空席に座り、間もなく照明が落ちてスクリーンがプロジェクターの青い光に照らされる。そのすぐ横に、ゲンが指示棒を持って立っていた。
「定刻になったので、これより作戦内容の説明に入る。各員、心して聞くように」
「はいはーい、キョーカン、質問でーす!」
「はぁ……なんだ、サカキ上等兵」
「どうして軍部と合同作戦なのに、作戦説明は別なんですかー?」
「イチイチ水を差され舌打ちされるのが面倒だからだ、以上」
「アッハイ。スミマセンデシター」
「ウム。では今回の殲滅目標を説明する。此度、太平洋沿岸部に大量のアラガミが確認された。その数、およそ1800」
飲み物を口に含んでいたらしい隊員が噴き出す音がどこからか聞こえた。ケイも深く、それは深く頷きたい心持である。せんはっぴゃく。ちょっと何言ってるかわかりたくない。
「その半数が小型アラガミと言えど、流石に無視できない数字だ。既にアナグラなどのハイヴに入っていない人民は悉く食い散らかされている。全く以て由々しき事態だ。早急な対応をせねばならない、が、流石にシンジ単騎出撃で殲滅してこいなぞと言える数でもない」
「流石の俺でも千を一人はちょっと……」
「そこで余裕ダゼ! とか言ってたらワタシだって引きマース!」
「そういうわけで、アジア支部合同作戦というわけだ。ここ極東が墜ちれば次は中国、アジアへと広がる。早期対応がどこの国にとっても吉だ」
各自資料の二枚目を見ろ、と言われ、全員が手元の書類に視線を落とす。作戦の具体的な概要が書かれたそこには、各員の配属と配置が書かれていた。
「リンドウとかー」
「新人二人っきりってマジスか?」
「一番襲来が少ないと予想される地点の上に、二人はウチで期待の新人だ、鍛えなくてどうする」
「そうだぞ、俺なんか一人だ、見ろ」
「ワタシもひとりデース。さびしいネー」
「お前ら二人は遊撃が主な仕事だ。キヨタカをつけてるから問題ないだろ。シリラック中尉は極東支部の雨宮曹長と中華・台湾支部チョウ軍曹、ヨウ伍長、ワン伍長と旧品川。伊勢少尉、榛名少尉は旧葛西。サカキ上等兵、リンドウ二等兵は旧川崎。インド支部のスードラ少尉、カーン准尉、シン准尉は旧横浜へ配属。防衛部は支部を中心に扇状に防御陣営。具体的な待機ポイントは書類に参照した通りだ。ここまでで、何か質問は?」
「東京湾を中心に展開、で間違いないですか?」
「ああ。だが、範囲が狭いからこそ、数は暴力的だ」
「民間人を見つけた場合の対処法は?」
「゛いつもと同じ゛だ」
「……了解」
「百田教官は今回出撃しないのですか?」
「総指揮とかいう面倒な職を貰ったからな。防衛部とアナグラ防衛を片手間に熟すくらいだ。他に質問は?―――ないな。ならば次は配置時からの迎撃の流れの説明に入るぞ。まずは―――」
「ケイ、次の大規模作戦の一員って本当か!?」
「………言ってなかったっけ?」
「聞いてない!」
みっちり作戦を頭に詰め込まれてヘロヘロで帰ってきたケイを出迎えたのは、今にも地団駄を踏みそうなほどに憤然としたソーマだった。あれ? と首を傾げるが、そういえば伝えてなかったような気がする、とうっすら思い当たる。
「あー……ごめん」
「…………もし俺が作戦に参加することを知らせなくて、お前はごめんで許すのか?」
「スミマセン許しません! ごめんなさい、真面目にごめんなさい……」
「本当に反省しろ。俺は心臓が止まるかと思った」
「うぇへへへへへへ」
「笑うな」
顔を顰めるソーマの一方、ケイは顔のにやけを堪え切れなかった。
だってだって、ソーマってば本当に可愛いのだもの。
心配してくれて嬉しい、一緒にいられて幸せ。暖かな気持ち全部とごめんなさいを込めて、ケイはソーマをぎゅうと抱きしめて勢いのまま抱き上げた。ゴッドイーターの腕力の前に、4つ下の少年など無力である。おい! と抗議の声を上げるが、ケイはそのままくるくると回って笑い声を上げるのみだった。
「ただいまー……何をやっているんだい?」
「聞いてお父さん! ソーマがこんなに良い子に育ちました!」
「野菜の宣伝みたいだねぇ」
ウンスマッリン・パーチャラパーン(24)
この時代のゴッドイーターにおける五本の指に入る神機使いが一人。
性に奔放というか欲望に忠実というか、良い意味でも悪い意味でも裏表のない女性。
ロリコン。
長い黒髪を高い位置でポニーテールに括り、踊り子に似たへそ出しの露出多めな服で豊満なスタイルを惜し気もなく晒す。ちなみにヘソピアスしてる。身長は177センチと女子にしては随分高く、神機を持つと他の隊員から「遠近感が狂う」「どっちがでかいのかわからん」「縮め」ともっぱらの評判。
ケイは大のお気に入りで、会う機会を虎視眈々と狙っては突撃するスタイル。なおケイには本気でびびられている模様。
某一言が原因でアオイと超絶仲が悪い。
愛称はパッティ。
タイ出身バンコク支部所属。
マントラ・シリラック(26)
パッティの相棒(抑え役)として長年バディをしてきた苦労性。基本的には礼儀正しく堅実で、目上の人にもしっかり礼を取る超・真面目。シンジとは昔から浅からぬ交友があり、予定が合えば呑みに行くくらいには仲がいい。絵に描いたようなカタブツなので、ケイに無邪気にトラちゃん、とか呼ばれると本気でどうしていいのかわからなかったりする。やめてほしいような、慕われて嬉し恥ずかしのような。眉間の皺を伸ばすのが癖で、最近目に余るパッティのせいで目下のクマを擦るのも癖になりつつある。
愛称はトラ。(元々他にあったが、名前にちなんだものにしろややこしい、とシンジから抗議を受けてコレになった)
タイ出身バンコク支部所属。