ネメシスの慟哭   作:緑雲

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これで、半月編はおしまい。


半月4

 幾度かサーラの反応を見ながら扉を開けて地上の様子を窺っていたのだが、もう夜明けはとうに過ぎていた。サーラはぱたり、ぱたり、と尾で地面をゆったりと叩いている。その背中にかじりつくようにしていたミアが、目を伏せて口を開いた。

 

「……おねぇさんたち、おそいねぇ」

「……そうだな」

 

 正面突破だ、と悪い顔で笑った少年、リンドウは圧倒的な武力で小型アラガミを一掃し、有言実行してみせた。アラガミが紙風船のように軽々と宙を飛び、破裂する様は、まるで遊んでいるかのような気軽さだった。

 ゴッドイーターとは、あそこまでの強さを、手に入れられる人々のことなのだと、何よりも雄弁に語っていた。

 羨ましかった。妬ましかった。嫉妬した。

 強く、なりたかった。

 もう何からも怯える必要がないくらい、強く。

 ―――ミアを、守れるくらいに。

 

「サーラ、二人がどこらへんにいるとか、わかる?」

「ミア?」

「ごはん、二人ともたべてない。届けにいかなきゃ」

「……メシぐらい、抜いてもあいつらは大丈夫だろ」

「…………そうなの?」

「―――……どう、だろ」

 

 食糧は十四日分あった。元々彼らで食べるものと思っていたが、実際にはどれくらい食べなくても生きていけるのだろうか、ゴッドイーターは。ここずっと、エリオとミアが食べる横で、共に笑いながら食べていた姿は、こちらに気を使ってのもので、本当は食事など必要、ないのでは。

 

『私は人間だし、傷つく心もあるんだよ』

 

 ――――そうだ、彼らは人間だった。

 お人好しで、阿呆で――優しい、人間だ。

 そうでないなら、もし、そうでないのならば。何故――

 

「エリオ」

「………」

「行こう。おねぇさんたち、ごはんもだけど、傷薬とかもおいてっちゃった。困ってるかもしれない」

「……そうだな。サーラ、にーちゃんと……ねーちゃんのところへ。案内してくれるか?」

「ワン!」

 

 これでいい。きっと、これで良いんだ。

 会ったらたぶん、怒られるだろう。ケイは「心臓止まるかと思ったよ!?」なんて言うかもしれない。リンドウにはあきれ顔で拳骨でも落とされそうだ。

 知らず口元が笑んでいたのかもしれない。ミアがエリオの右手をそっと掴んで絡めた。幼い、あまりにも無知で無邪気な妹だった。手がかかるし、すぐ泣くし。けど、邪魔だと思ったことは一度だってなかった。

 ふと見れば、サーラがじっとこちらを見つめていた。尻尾はぺたりと床に落とされたままになり、耳が僅かに萎れている。

 動物って、なんでこうも聡いのだろう。昔路地で見かけて半分飼ってた猫を思い出して苦く笑った。

 

 

「―――ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 

 荒い息が、夕焼けの戦場に響いていた。

 あれから、戦場を何度も変え、攻撃方法を何度も変え、手を変え品を変え―――そうして、やっとここまできた。

 四本脚は砕け、一本は昼頃だったかにどこかへぶっ飛んだ。神機と見紛うハサミは無惨な姿で左右に投げ出され、薄紅色の繊毛はちりちりに。顔面らしき場所は大きく撃ち抜かれ、胴体も傷を受けていない箇所を探す方が難しいくらいだ。

 それにまけないほどの傷を負った少女、朱色はいつもより濃く沈み、吸った血の多さを物語っていた。

 右腕の神機を放り、ケイは一歩、一歩と足を動かした。五体が投げ出された体躯は僅かにぴくぴくと動いている。生きているのだ、まだ。

 

 ―――しなせて、くれ

 

「うん」

 

 ―――ころして、くれ

 

「うん」

 

 ―――ころさせないで、くれ

 

「―――うん。もう、誰も殺させたりしないし、貴方はもう誰も、殺さなくて、いいの」

 

 銃口を向ける。標準を、合わせる。

 引き金に指をかけた。

 そこかしこの傷から、血がとぷとぷと流れ出ている。

 なみだのようだと、思った。

 

「さようなら。――どうか今度こそ、安らかに眠れますように」

 

 引き金を、引いた。

 

 バーン、と大きな音がして、光は吸い込まれるように大きな口に突き刺さった。向こう側が見えるほどの風穴。

 その風穴から、沈む赤い夕陽が見えた。

 

「死んだか」

「うん。……コアの回収、しなきゃね」

 

 自分の神機を拾い上げ、神機の内に隠れた黒いアラガミを開放する。ずるりと吐き出されるように飛び出してきたそれはアラガミの体内を食い破り、コアを口に噛んで神機まで収まった。青い、傷だらけのコアだった。

 

「コアの回収完了、目標対象、未確認大型アラガミの殲滅確認。―――任務完了、お疲れ様でした」

「おー、おつか」

「あー! おねぇさんのそれ、ホントにアラガミだったんだぁー!」

「ミア! 走るな危ない!」

「れ………」

 

 リンドウの言葉が途中で遮られ、聞きなれた高い子どもたちの声が空気を裂いた。夕日に映えるオレンジの髪が、ふわふわと風に揺れている。こちらへ向かって大きく振られる手はもみじのようで、ケイは少しばかり現実逃避したあと、いつの間にやら足元にいたサーラの頭を撫でた。

 

「なんでいるの……」

「アンタたちが怪我してるんじゃないかってミアがうるさかったからな。ほら、これ」

「……はー。ありがたいよ、そりゃあ私たちこんなんだしね、ありがたいんだけどね……」

「……まぁ、夜明けまでって言っちまったしな……」

 

 ミアに笑顔で差し出された回復錠を口に含む。急激に身体の治癒力を高めるために、身体がじんわりと熱を孕む。額に手をやろうとしたところで、あ、と左腕の神機に気が付いた。もう静電気のような感覚は感じられない、静かで大人しい、適合者が見つかる前の神機と同じに戻っていた。

 

「取り合えず、移動しよ。アラガミが集まってきてる。説教はあと」

「ったく、外の危険性はお前らだって知ってるだろうに何をトチ狂ったんだか……おら、行くぞ」

 

 エリオとミアは顔を見合わせて、その場から動かなかった。ケイとリンドウも顔を見合わせ、どうかしたの、と先にケイが動く。その手を、ミアが両手で掴んだ。

 

「ミアちゃん?」

「おねぇさん、ひとつ、お願いがあるの」

「……なぁに?」

「行きたいところが、ある」

「………今すぐ?」

「今すぐ」

 

 ちらりとリンドウを見やるが、彼はただ静かに二人を見つめるばかりで、こちらにはちらりとも視線を寄越さなかった。

 わかった、と言った。何故だか声は、掠れていた。

 ミアはありがとうと笑った。エリオも目元を緩ませた。

 

 

 

 二人に連れられ、足を止めたのは、ひとつの家屋だった。崩れかけたオレンジの屋根と、薄汚れたミルクベージュの壁。白い窓枠の向こう、レースのカーテンだったものが僅かに揺れていた。

 

「ここは?」

「オレたちの家。だったところ」

 

 入ってくれ。エリオの言葉に、リンドウはずかずかと無遠慮に、ケイは一瞬靴を脱ごうか迷ってから、恐る恐るお邪魔した。陽はすっかり沈んでいて、今ではその余韻に浸るかのように、僅かに地平線に橙を残すのみだ。

 

「ここがリビング、あっちはキッチンで、ここが……」

 

 順に間取りを説明していく様は淡々としていて、まるで別人のようだった。他の家屋に比べれば比較的崩壊が少ない家の中は、それでも閑散としたもので、アラガミに喰い破られたであろう箇所が目に付く。二階に上がって、その角部屋。剥がれた壁紙の残骸は、うっすらと桃色、それに赤い花が散りばめられていた。

 

「わたしたちの部屋」

「オレ、前のままが良いって言ったのに。母さんが勝手に、年少者が優先とかなんとか言ってさ」

 

 ベッドは二段。勉強机らしきものも二つ分のスペース。灯りひとつない室内だが、僅かな空の明かりで辛うじて顔が見える。

 

「死ぬなら、ここが良い」

 

 夜露のような声で、エリオはそう言った。

 

「母さんと父さん、死んでたろ?」

「……………………うん」

「だろうな。アンタ、嘘吐くの向いてないよ」

 

 ハッ、と鼻で笑ったけれど、嘲笑になりきれない、失敗したようなものだった。

 

「親の庇護もない、血縁者もいない、パッチテストも受からなかった。……そんなオレたちが、この先を生きていけると、思うか?」

 

 ―――無理だ。

 窮鼠猫を噛む。ネズミにとって捕食者たる猫に一矢報いるその言葉は、ゴッドイーターでない人間とアラガミの間には成立し得ない。ただの人間がいくらアラガミに石を投げたって、銃火器の弾幕を張ったって、彼らはそんなものでは傷一つ付かない。傷一つ、痛みひとつ与えられない彼らが、とんでもない物量で襲い掛かって来る。

 勝てるわけがない。

 彼らが所属していたグループに戻ったとしても、縁者のいない子どもなど、捨て鉢、囮にされればまだマシで、食料として同じ人間に解体されても不思議じゃない。

 なぜなら、ここはそういう世界だからだ。壁の中とは違う、誰も彼も生きることだけが目的で、それ以外は。

 それでも、生きていてほしいと思った。――いいや、これは嘘だ。

 

 自分が決定的な判断を下して、彼らを殺してしまうのが。

 ただ、恐かった。

 

「おねぇさん」

「……なぁに?」

「ありがとう」

「………………なんで」

「楽しかった。うん、とっても。サーラちゃんの背中に乗るのはたのしくて、風が気持ちよかったし。アラガミがしんじゃうとこも見られた。すっきり、ってかんじじゃないけど。ごはんも、味がこかったけど、いつものよりおいしかった」

「………………それでも、死ぬの?」

「うん。だって、おねぇさんがこまるでしょ?」

 

 ミアは聡明に、そう言った。

 この二人を救う手立ては、ないわけじゃなかった。間に合わなかった両親はどうにもならないけど、ケイとリンドウにだってそれなりにツテくらいはある。

 けれどそれは、いつか来る神機使いの因子持ちの誰かを、拒まないといけないかもしれないということだ。ハイヴの中は無限ではない。建設だって並大抵の資金と資材、時間がなければ作れない。そしてそのどれもを、ケイとリンドウは持っていなかった。

 

「誰かを生かすことは、誰かを殺すってこと。父さんはいつもそう言ってた。パッチテストに受からなかったこと、一度たりとも恨み言も弱音も吐かなかった。医者だったんだって」

 

 真理、だろう。

 全員救う手立てなんてどこにもない。古今東西どの神様も、人を救ったことなどない。神に出来ないことが、人間などに出来ようか。

 だからさ、とエリオは言った。

 あのね、おねぇさん、とミアが口を開いた。

 

「私たちを、連れてって。とおいとおいところへ。アラガミのいない、とおくへ」

「その、神機で」

 

 息が止まって。それから、深く吐いた。

 

「おねぇさん、おにぃさん」

「にーちゃん。………ねーちゃん」

 

 なぁに。

 なんだよ。

 

「ありがとう」

 

 ―――――――――――――うん。

 ―――――――――――――ああ。

 

 

 

 

「…………リンドウ」

「……おう」

「もしもいつか私が、ああなったら。リンドウが殺してね」

 

 あの、薄紅色の―――まるで話に聞く夜桜のような、美しく強く―――残虐な存在に、なってしまったとしたら。大事な誰かを殺してしまう前に。

 誰より大切な人に―――見つかってしまう、その前に。

 

「誰よりはやく、殺してね」

 

 上り始めの半月が、窓から明かりを差し込む。

 月光に照らされるは、小さな小さな子供部屋に、血塗れで沈む二人の少年少女。介錯をするのは今日が初めてで、二度目も今日だった。

 

「…………俺も、頼むわ」

 

 あの兄妹も、離れ離れじゃあ、寂しいだろう。

 ほとんど暗闇に近い部屋の中で、相手が口角を上げるのがわかった。

 

「約束。ね」

「ああ、約束だ」

 

 おもむろに腕を伸ばし、すぐに当たった手の小指を、自分の小指とで絡める。

 またひとつ、約束が増えた。

 ふと顔を上げれば、半月が、僅かに膨らんでいるのがわかった。失った半身を得る十日夜の月。

 

「………あ」

「……なんだよ」

「オレンジの片割れだ」

「…………は?」

「私とリンドウ。たぶん、そんなかんじ」

「……多分それ、愛する人って意味だぞ」

「え、そうだっけ」

「………どうだったか?」

「アハハ、どっちも覚えてないや」

 

 笑えた。

 同業者を一人と、幼いこどもをその手にかけて軽やかに。そんな自分がまた笑えて。笑えるほど、滑稽で。笑い過ぎて、涙が出た。

 

「帰ろっか」

「俺たちのアナグラに、な」

 

 




ケイちゃんとリンドウは、男女とか、年齢とか、そういうのじゃない関係です。戦友のような親友のような、そしてそのどれもに当てはまらないような。なんとも言えないそれを、相棒と称してきたけれど、おそらくピッタリなのは『半月』か『オレンジの片割れ』です。恋とか愛とかじゃなく、ただぴたりと合う、そういう存在。圧倒的に文章能力が足りないので伝わらないかもなこの関係……
それではこれにて、半月編、もといケイとリンドウ編、終了です。次回は箸休め的な感じでそれなりにわちゃわちゃする予定。
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