女王様と犬   作:DICEK

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そして雪ノ下陽乃は敵を得る

 

 

 

 

 

 

 

 総武高校の文化祭は他の大多数の高校がそうであるように、文化祭実行委員会の手によって運営される。独立した組織と思われがちだが、実は生徒会執行部の下部組織である。

 

 なのでその長である生徒会長には実行委員会を監督する責任があり、実行委員会はそれに従わなければならないという上下関係が存在するのだが、実際に生徒会長が実行委員会に口を出すことは過去の例を見るにほとんどなく、実行委員会も一々執行部の顔色を伺ったりはしなかった。

 

 過度の干渉はしないというのが、両組織の暗黙の了解だったのである。

 

 それが故に『生徒会執行部員は実行委員にはなれない』という誤解が生徒の中に生まれた。忙しくなるから誰も立候補しなかっただけで、なってはいけないという確かな決まりはどこにも存在しなかったのである。

 

 だから雪ノ下陽乃が実行委員になったという噂が生徒の間に流れた時、学校中が沸いた。あの生徒会長が平穏無事な文化祭にするはずがないという熱狂的な期待が、実行委員会の発足前から巻き起こったのである。時間割の関係上、二年の委員選定が先に行われたため、その後に行われた一年の委員の選定は地獄絵図となった。女子も男子も誰もが我こそはと名乗りを上げたのである。

 

 相当な熱戦が繰り広げられた八幡のクラスであるが、結局はヒエラルキー上位のグループに属する男女一名ずつが選定された。どっちもチャラい感じのする、まさにリア充といった風である。陽乃からすればとてつもなく動かしやすいタイプだろう。

 

 もっとも、それが使えるか使えないかはまた別の話である。

 

 いつもであれば彼らの行いなど気にもとめない八幡であるが、今回ばかりは事情が違った。

 

 陽乃が実行委員になった時点で、その長になるのは目に見えている。あの女が誰かの風下に立つ姿というのがイメージできないというのもあるが、委員になったという噂が流れてきた時点で、八幡は陽乃が動き出しているのを理解していた。

 

 学校組織の代表は、立候補した人間の中から多数決で決定される。委員長を選ぶ場合は委員全員に投票権がある訳だが、この場合、いくら陽乃が全校生徒の大多数の支持を得ていたとしても、委員の半分以上がアンチであれば陽乃が委員長になることはできない。

 

 全校生徒のアンチの割合を考えたらそれがどれだけ確率の低いことか解るが、陽乃はそういったイレギュラーの存在すら許さない。事前に噂を流せばシンパが食いつく。元から支持者の方が割合が多いのだから、席の奪い合いになれば陽乃派が勝つのは目に見えていた。

 

 アンチはヒエラルキーでは下の方にいることが多い。席の取り合いになったら、そもそもアンチグループに勝ち目はないのだ。

 

 

 さて、問題は自分のことである。

 

 多数派工作が既に成功している以上、陽乃の委員長就任は決定的だ。実行委員の選定は終わったが、委員会の初招集は明後日である。厳密に言えばまだ委員会は発足していないのだ。

 

 助けを頼むのならば、それまでに頼んでおきたい。陽乃と働けるとなれば、ほとんどの生徒が例え八幡からの誘いであっても首を縦に振るだろうが、そもそも八幡はそういうタイプの人間と係わり合いになりたくなかった。彼らとコミュニケーションをすることと、地獄のような忙しさを一人で処理すること。その二つの載った天秤がつりあってしまうほど、八幡はリア充に関わるのが嫌だった。

 

 陽乃も八幡のそういう性質を見越して、こんなことを言い出したのだろう。元から一人――陽乃は生徒会長でもあるから、二人か――でやらせるつもりなのだ。処理できるという確信があるからこその無茶ぶりなのだろうが……リア充とつるむのは嫌だが、陽乃の思惑通りに動くのもそれはそれで癪なのだった。

 

 だからこそ人手が見つかるのならばそうしたかったのだが……自分のことは陽乃以上によく知っている。それで声をかけられるくらいならば、元よりクラスで孤立などしているはずがない。陽乃の犬であるという事実が知れ渡っていても、将を射んと欲せば的な目的で八幡に絡んでくる人間はほとんどゼロなのだ。

 

 そんな奇特な人間を今更期待したところで……

 

「あの、比企谷くんっ!」

 

 待ち望んでいたものが到来した。そのはずなのに、八幡はその声の主を悪魔でも見るような顔で見返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上機嫌だな、陽乃」

「えー、そうみえるー?」

 

 上機嫌なのを隠そうともしないで、陽乃が笑う。思い通りに事が進んでいるから、気分が良いのだろう。

 

 文化祭実行委員の選出は滞りなく進んでいる。二年の選定が終わった段階で陽乃が実行委員をやるという噂が広まったため、一年で委員を決める時にひと悶着あったらしいが、問題と言えばそれだけだった。委員会の招集は明後日。そこで陽乃は実行委員長に選出されるだろう。自分がどういう層に受けて、彼ら彼女らがどういう動きをするかを予想するなど、陽乃にとっては朝飯前だ。それをコントロールするのも、勿論容易い。

 

 陽乃の案件が問題なく進んでいるのに対し、八幡の方は芳しくない。元より友達のいない彼に助けを頼めるような人間などいるはずがないし、探そうという積極性もあるとは思えない。良く知らない人間に何かを頼むくらいなら、八幡は自分一人で全てを処理するだろう。

 

 教師としてはあまり褒めることのできない精神性であるが、静個人としては大いに同意できる。群れなくても済むのならば、それに越したことはない。

 

 彼にとって不幸なことは、それを処理できるだけの能力は持っていることだ。これでもっと無能であれば陽乃にはとっくに飽きられていただろうし、ここまで苦労を背負うこともなかったはずだ。

 

 陽乃の出す課題をギリギリのラインでクリアし続けているからこそ、陽乃との関係は続いている。女王様気質の陽乃に犬根性の染み付いてきた八幡は、意外なほどに相性が良かった。陽乃の方も八幡を気に入っているようである。ちくちくと苛め抜いてもなおついてくる八幡のことが、かわいくて仕方がないようだ。

 

 今回のことも、陽乃はどうせ八幡が誰も連れてくることはできないと確信しているようだった。それを踏まえた上で、自分で連れてきた場合に限り手伝いはOKという条件を出したのである。

 

 そして、事は陽乃の思い通りになりそうだった。仕事に忙殺される八幡でも想像しているのだろう。陽乃は至福の表情でもって、会長の椅子でくるくる回っている。いつものように生徒会室までやってきてコーヒーを飲んでいた静であるが、喜ぶリア充を眺めているだけというのも精神衛生上よろしくないことに、遅まきながら気がついた。

 

 何か陽乃に良くないことでも起こらないだろうか。教師にとってはあるまじき願望であるが、屈折した青春時代を送った人間の一人として、静は心中で念を送り続けていた。リア充死すべし。リア充爆発しろ。

 

「こんちはーっす」

 

 けだるい声と共に、八幡がやってくる。陽乃の笑みが更に深くなったのを見て、静は大きく溜息をついた。一目で男を恋に落とせる笑顔の裏に、底意地の悪さが見て取れたからだ。これからどんなSMショーが始まるのかと思うと憂鬱で仕方がないが、ここで割って入るのも大人げがない。陽乃は状況を改善する案を提示し、八幡はそれを受け入れた。形としてはそういうことだ。誰でも良ければつれてくることはできただろう。それこそ、八幡が主義を曲げるだけで片付いた話である。

 

 それでも連れてこなかったということは、八幡は良く知らない人間と手を組むよりも、仕事に忙殺されることを選んだということだ。孤独を愛する精神もここまでくれば立派である。

 

「こんにちは、八幡。ところでお友達は見つかったのかな」

 

 いるはずもないのに、直球で聞く性格の悪さには惚れ惚れする。さて、八幡はどう答えるのだろうか。傍観を決め込んだ静は椅子ごと八幡に向き直り、答えを待つ。八幡は苦々しい顔をしていた。陽乃に無理難題を吹っかけられたときは大抵こんな顔をするが、静には今日のその表情は幾分意味合いが違うように見えた。それはささやかな違和感だったが、同時に、静の心に好奇心を生み出した。

 

 ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。期待を顔に出さないようにしながら、静は八幡を盗み見る。八幡の仏頂面は相変わらずだったが――

 

「はい、見つかりました。今日は顔見せにこさせたんですけど、時間大丈夫ですよね?」

 

 八幡の言葉に、陽乃の動きが一瞬止まったが、すぐに再起動する。

 

「……へー、そうなんだー」

 

 笑顔は維持したままだったが、それには若干の強張りがあった。完全に予想外のことであったのに、それでも外面を取り繕うことができたのは、流石陽乃と言うべきである。陽乃をやりこめるなど、中々あることではない。八幡もさぞかし気分が良かろうと顔を見てみれば、彼の顔は苦々しいままだった。

 

「それじゃ、紹介してもらえるかな?」

「わかりました。いいぞ、入って」

 

 八幡の声に促され、入ってきたのは女子だった。

 

 陽乃の目が点になる。今度こそ陽乃は本当に動きを止めた。八幡が女子を連れてくるなど、頭の片隅にも考えていなかったのだろう。かく言う静もそうだ。モテない男子が女子とつるむなど、陽乃のように使われるか、どこかのチャラい女に騙されるかの二択しかない。ぼっちに優しい女がいるなど、そんな都合の良い話があるはずがないのだ。

 

 無意識に現実を否定しようとする静だったが、女子の存在はまぎれもない現実だった。

 

 一つ、大きく息を吐く。

 

 頭が冷えると、その女子を観察する余裕も出てきた。

 

 かわいい部類ではあるのだろう。静の目から見てもその女生徒の顔の造りは悪くなかったが、如何せん地味だった。陽乃と並んだら見えなくなってしまいそうなほど、何というか、華というものがない。図書委員でもやっているのが似合いそうな、間違っても陽乃の周囲にはいないタイプの人間である。

 

 だが、その女子を見ている陽乃の顔には、僅かではあるが『危機感』が浮かんでいた。

 

 静は最初その意味が理解できなかったが、女生徒を観察して、なるほど、と気付いた。陽乃の周囲にはいないタイプの人間というのは、翻って言えば陽乃が苦手にしている人間ということだ。

 

 雪ノ下陽乃が自他ともに認める美人であるのは今更言うまでもない事実であり、才媛であることも否定する要素はないだろう。

 

 そんな天賦の才に恵まれた陽乃であるが、同時にどうしても手に入れることができないものがあった。

 

 それが『癒し』である。

 

 完璧であるが故に、男は陽乃に庇護欲を抱かない。

 

 そして、そういう女が良いという男は少なからずいる。自分が頂点に立ちたい陽乃は、意図的に自分の周囲にそういう同性を置くことを避けてきたのだろう。自分と反対の魅力を持つ女は、相対的に輝く可能性がある。同じジャンルで勝負するならまず負けなくとも、自分の持っていない物を持っている女とだけは相性が悪いのだ。

 

 故に陽乃は警戒している。この女がもし八幡を振り向かせるようなことになったら、陽乃の面目はまる潰れだ。あの八幡であるから、まさか色恋などに発展はしないだろうが、物事に絶対はない。可能性は排除できるだけ排除するのが、賢い生き方である。陽乃一人に決定権があるのならば某かの理由をつけてこの女生徒を排除しただろうが、八幡をいじめるために救いの手を差し出したことは、その女子以外の全員の記憶に残っていた。

 

 自分で言ったことをなかったことにすることは、陽乃のプライドが許さない。どれだけ排除したくても、この女子は受けいれなければならないのだ。

 

 陽乃が手で顔を覆う。影になって八幡には見えなかったが、陽乃に近い位置にいた静には、陽乃がはっきりと苛立ちの表情を浮かべているのが見えた。

 

 目をかけてきた男の周囲に女の影ができたのだ。そりゃあ、心中穏やかではいられないだろう。まして陽乃は高校生だ。感情を制御できなかったとしても、まだ世間的には許される年齢であるが、他人に弱みを見せることを意地でもよしとしない陽乃は無理やり苛立ちを引っ込めると、清々しいまでにわざとらしい笑顔を浮かべた。

 

「そっかー。八幡にも女の子の友達がいたんだねー。意外だなぁ、私全然知らなかった」

 

 口調もびっくりするくらいに平坦だ。それでも隠し切れない感情が声音から見え隠れしている。あの陽乃が、と思うと笑わずにはいられないが、ここで自分が笑っては色々と台無しだ。コーヒーを飲んでいるふりをしながら、カップで口元を隠す。まずい、ニヤニヤするのを止めることができない。

 

 八幡はと言えば、流石に陽乃の犬。陽乃の機嫌がよろしくないことは敏感に察知した。そしてその原因が自分にあることも同時に理解していたが、彼に理解できたのはそこまでだった。ぼっちである彼は他人の善意を信用することはできても、好意を信じることはできない。自分に向けられるものであれば尚更だ。

 

 静から見て、陽乃から八幡への好意は明確に存在する。それは飼い主がペットに向けるようなものであるが、大多数の人間を路傍の石としか見ていない陽乃にとって、それは相当な高評価である。話に聞く妹を除けばおそらく、八幡がトップで間違いないだろう。

 

 女王からお気に入りをとりあげる。そんなチャレンジャーな平民が現れれば、陽乃とて心中穏やかではいられない。

 

 地味な少女を前に、陽乃は悠然と微笑んだ。獲物を前にした猛禽の笑みである。殺気すら漂うその笑みを、八幡の連れてきた少女は真正面から受けた。歓迎されていないことは、普通の神経をしていれば解るはずだ。陽乃は女王である。彼女の機嫌を損ねたらどうなるか、想像できない生徒はこの高校にはいなかった。

 

 少女は陽乃の迫力に一歩後退ったが、それだけだった。両の拳を握りこんで一歩、二歩と前に出て、陽乃の前で頭を下げる。

 

「城廻めぐりと言います! 私に文化祭のお手伝いをさせてください!」

 

 

 見た目によらず、肝の座った少女。それが静のめぐりに対する第一印象だった。

 

 

 

 

 


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