真面目なシーン、独自解釈、独自設定含みます。
説明文多めな上いつもより長いです。
○○鎮守府、一〇〇〇ーー
埠頭ーー
大和「…………」
大和は一人で埠頭に立ち、空を見上げていた。
本日は坊ノ岬沖海戦が勃発した日であり、この海戦にて戦艦『大和』は沈没。
更には軽巡洋艦『矢矧』、駆逐艦『浜風』・『朝霜』も轟沈。そして『磯風』・『霞』が自沈した日。
早朝に埠頭で提督をはじめ、本作戦に参加した者達とその姉妹達や仲間達は黙祷を捧げた。
そんな大和だったが、どうしても今日は空を見上げてしまう。
大和「……あの時とは違うのに、不思議ね……」
一九四五年・四月七日、『大和』はアメリカ軍の爆撃機(数千機)による爆撃によって被弾、それにより火災が発生し、その火災は沈没まで消火されることはなかった。
休む間もなく敵の波状攻撃は続き、空からは爆撃、水中からは雷撃と大和を襲い、護衛の駆逐艦や最後の第二水雷戦隊旗艦の矢矧が、空襲によって沈んでいった。
そしていくら強固な大和とはいえ、爆発による煙で視界は歪み、四方から放たれる魚雷に進路を塞がれ、徐々に大和の船体は左へ傾いていく。
それを見たアメリカ軍は左舷への集中雷撃に徹し(偶然との意見も多い)、ついに注水でも傾斜回復が出来ない事態になった。
攻撃を受け続けた大和は一四二三に左へ横転し、弾薬庫の爆発による高さ六千メートルもの巨大なキノコ雲を発生させながら、坊ノ岬沖に沈んでいったのだ。
この戦いにアメリカ軍はのべ十一隻もの空母をつぎ込み、また攻撃もほとんどが大和へ向けられていたという。
「こんなところにいたのか、大和」
大和「? 武蔵に長門、陸奥……」
自分を呼ぶ声に振り向いた大和。その先には妹である武蔵と、親友の長門とその妹、陸奥が大和へ手を振っていた。
長門「探したんだぞ?」
陸奥「これからみんなで裏山にハイキングに行くの♪」
武蔵「提督と清霜の発案だ。早く行くぞ」ニコッ
大和「みんな……」
長門「お前の勇姿を今でも多くの者が鮮明に覚えている。お前は私と違って戦の中で散った。言い方があれだが、それは誇っていいと私は思う」
大和「でも……」
武蔵「姉さんは沖縄にいる国民のために頑張った。それをみんなが分かってる。だからこそ、今は笑顔で過ごそう……」ニコッ
陸奥「そうよ。それに大和が命懸けで守った沖縄は今でもちゃんと日本の国民が住んでるでしょ?」ニッコリ
大和「…………」
長門「さぁ、行こう。日本が誇る大和よ」
大和「うん♪」
大和(あの時大和は沈んだけど、今は沈む気がしない。大好きな提督と大切な妹と仲間……そしてあの時と同じく多くの人達が私を支えてくれているから)
その頃、野外訓練場ーー
矢矧「ふぅ……やっぱりお休みでも体を動かさないと落ち着かないのよね」
矢矧は矢矧で今日という日を受け止め、日課である鍛練に精を出していた。
矢矧(…………みんな、私は艦娘として生まれ変わったわ。あの時とは違う……みんなに恥じない、艦娘になるから)
あの日の人々に誓うかのように、矢矧はまたグラウンドを走り出す。
軽巡洋艦『矢矧』は亡き姉『能代』のあとを継ぎ、第二水雷戦隊旗艦に就任(途中十六日間だけ島風が旗艦に就任しているが、すぐに沈没してしまった)。
訓練を経て矢矧は戦列へと復帰するが、もはや日本は本土決戦を強いられるほどの窮地に追いやられており、帝国海軍も崖っぷちに立たされていた。
そこで発令されたのが「天一号作戦」である。
沖縄に迫り来るアメリカ軍を、その身を持って食い止めるという、特攻(とも言える)作戦だった。
当時の艦長はこの作戦をよしとせず、若い兵士を艦から下ろしたり、大量の角材を艦内に保管し、漂流してもその角材で身を助けることが出来るよう、死を防ぐ対策を講じて出陣。
大和だけではなく、数々の武勲艦が沈んだ「坊ノ岬沖海戦」で矢矧は大和の護衛に就いていたが、空襲が始まると早々に被害を出した。
投下された二本の魚雷により矢矧は航行不能。
最後の出陣となった第二水雷戦隊は、いきなり首長を失うことになってしまった。
矢矧は誘爆を防ぐために魚雷を投棄するも、砲撃は止むことがなく、時が経つごとに傷だらけになっていく。
その空襲の最中、二水戦司令部移乗のために接舷を試みた駆逐艦『磯風』も攻撃の標的とされて航行不能。
しかしそれでも矢矧は沈まなかった。
航行不能とはいえ、砲塔も機銃も健在であり、矢矧は必死に応戦。
誘爆の危険を迅速に排除し、また強固な矢矧は軽巡とは思えないほどの攻撃を受け続け、その被害は沈没までに魚雷七本、爆弾十二発。
重巡でも遠に沈んでいる被害を受け続け、矢矧の乗員からは、その猛火にさらされる姿を見るに見かね、「もう早く沈んでくれ」と願ったほどだと記録されている。
やがて矢矧は右舷へと傾きはじめると、艦尾から沈んでいった。それは大和が沈む十分前だった。
この海戦で矢矧が沈んだことにより、あの「華の二水戦」こと第二水雷戦隊は解散。
ついに日本の強さの象徴であった二水戦の歴史に幕が降ろされ瞬間でもあった。
矢矧は日本が劣勢に立たされた後に竣工し、挑んだ海戦は軒並み敗北。
それでも能代と共に二水戦の旗艦を務め、最期は大和の護衛を任されるなど、劣勢の中でも期待され続けた軽巡洋艦として名を残している。
「や〜はぎ〜!」
「矢矧〜!」
「矢矧ちゃ〜ん!」
走る矢矧を呼ぶ声。それは聞き慣れた声だった。
声がした方を見ると、阿賀野、能代、酒匂が手を振っていたので、矢矧は手を振り返して三人の元へ。
矢矧「どうしたの? また阿賀野を絞るの?」
阿賀野「違うよ!?」
能代「提督と清霜ちゃんの提案で、これからみんなで裏山にハイキングしに行くそうよ♪」
酒匂「だから呼びに来たんだ〜♪」
矢矧「もう、提督ったら……そういうところは敏感なんだから////」
酒匂「矢矧ちゃん、行こう?」ニコッ
矢矧「えぇ」ニッコリ
阿賀野「その前にシャワー浴びないとね♪」
能代「提督に汗臭いって思われちゃ嫌でしょ?」ニヤニヤ
矢矧「へ、変なこと言わないでよ!?////」
姉妹『あはは〜♪』
矢矧(あの日の自分は不甲斐なかったけど、今は違う。だってみんなと頼れる提督が揃っているんだもの♪)
同時刻の中庭ーー
浜風「…………」
浜風は今日という日を穏やかに過ごせていることに感謝しつつ、春の日の日向ぼっこを楽しんでいた。
駆逐艦『浜風』もあの海戦に参加した艦である。
しかし第一次空襲の中で浜風は爆弾が直撃、その威力は凄まじく、航行不能に陥った。
更には魚雷が追い打ちをかけ、中央部に直撃した魚雷は歴戦の浜風の船体を真っ二つに引き裂いた。
この被害によって浜風は轟沈。輝かしい歴史を築き上げてきた第十七駆逐隊は、浜風と、そのあとを追った磯風の沈没で幕を下ろすこととなった。
谷風「お、いたいた♪」
浦風「お〜、浜風♪ ここにおったんじゃね♪」
そんな浜風の前に同じ第十七駆逐隊の二人が現れた。
浜風「二人してどうしたのですか?」
浦風「これからみんなでハイキングじゃ♪」
谷風「提督と清霜の発案なんだって♪ みんな準備してるから呼びにきたってわけ♪」
浜風「ハイキング……」
谷風「こういう日だけどさ、今は違うってことでみんなで行こう?」
浦風「そうで〜♪ うちらは浜風にも笑顔で過ごしてほしぃんじゃ」ニコッ
浜風「二人共……」
浜風(英霊の皆さんには悪い気もするけど……今を楽しく過ごしてた方がいいわよね。だってあの時とは違うのだから)
その頃、駆逐艦寮、朝霜・早霜・清霜部屋ーー
清霜「えっと、レジャーシートと〜、ブランケットと〜」セッセッ
早霜「念のため温かいお茶も持っていきましょうか」
朝霜「〜♪」
二人がせっせと準備する中、朝霜はそんな二人を楽し気に眺めていた。
今日は自分が主役なので二人や他の姉達に任せていてもいいので、それが嬉しいからだ。
駆逐艦『朝霜』もあの海戦に参加した艦の一隻。
しかし四月六日に日本を発った艦隊の中で、朝霜は大きな不運に見舞われることとなった。
機関が突如故障し速度が低下。最終的に七日には十二ノットまで落ちてしまったのだ。
本土で修理が出来なかったつけがこの大一番で出てしまうというなんとも言えない結果だった。
二水戦司令の古村啓蔵司令官は朝霜に鹿児島への回航を命じるが、ここまできて撤退することは出来なかった。艦隊から落伍した朝霜は修復を急ぐも、現実は非情で、落伍してから一時間後の十二時過ぎに朝霜は艦載機の標的となってしまったのだ。
一二二一、この時刻が朝霜の最後の痕跡となった。
アメリカ軍の記録によると、四波目の爆撃が朝霜に次々と命中し、三発の直撃弾を受けた朝霜からは大火災が発生。
そして最後にもう一発の爆弾を受けた朝霜は艦尾から沈んでいったという。
朝霜の沈没によって、あらゆる任務をこなした最新鋭駆逐艦「夕雲型」は全艦が喪失。
朝霜はたった一年半という短い一生だったが、とても濃密でそして帝国海軍を最後まで支え続けた「夕雲型」として記録されている。
ガチャーー
夕雲「皆さ〜ん、そろそろ裏門へ行きますよ?」
清霜「あわわ、待って待って〜!」
朝霜(今も昔も騒がしいけど……)
早霜「もう少しだから」ニガワライ
朝霜「あはは、そう慌てんなって♪」ケラケラ
朝霜(今の騒がしさの方があたいは好きだな♪)
こうして鎮守府の裏門には多くの艦娘達がそれぞれ笑顔で集まるのだったーー。
前編終わりです。後編もよろしくお願い致します!
本編に組み込めなかった事柄でどうしてもお伝えしたいことがあるので、こちらに二つほど書き残します。
浜風編
浜風の慰霊碑には下記の言葉が刻まれている。
『第二次大戦中作戦参加の最も多い栄光の駆逐艦であり、数々の輝かしい戦果をあげると共に、空母蒼龍、飛鷹、信濃、戦艦武蔵、金剛、駆逐艦白露等の乗員救助およびガダルカナル島の陸軍の救助等、人命救助の面でも活躍をして帝国海軍の記録を持った艦である。』
この言葉通り、浜風が太平洋戦争中に救助した人命は五千人近いと言われ、戦果だけではなく、人命救助の功績が燦然と輝く武勲艦であります。
朝霜編
「坊ノ岬沖海戦」では多くの艦が失われましたが、総員戦死と認定されたのは、その艦隊から外れてしまった朝霜だけでした。
修復を受ける予定が取りやめとなり、志願してまで朝霜に残った艦長、そして一年半共に過ごした仲間たちと最後の海戦だと挑んだ戦いで落伍、更には集中砲火。
その無念は計り知ることは出来ません。
杉原艦長と乗員の結束は非常に硬く、辛い思い出などないというほどの雰囲気が生み出されていたと記録されています。
この機関故障が整備不良ではないかという意見もありましたが、この船で自分の仕事をおざなりにする奴などいないと航海長は笑ってこの噂を一蹴したそうです。
本当に調べれば調べるほど自分の無知と、これまで何も知ろうとしなかったことに愕然としますが、今は心から英霊の方々や艦には感謝と尊敬を送ることが出来ます。
では後編へ続きます。