歌姫さんと傭兵くん   作:早乙女 涼

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おんりー・ろンりィ・グローリー
選ばれなかった名前<呼び続ける声>


 ――菜桜を、助けて欲しいのよ。

 その言葉は一体どういう意味なのか。俺はあの日から一日経った今でも、その疑問は消える事はなかった。

「……本日も晴天なり、ってか」

 雲が点々としているだけの早朝の空を見上げながらそう呟くと、トントンっとA4用紙を揃えてファイリングする。

 それを学校の鞄へと突っ込み、ワイシャツを着込んで、制服のズボンを穿く。

「っし」

 準備完了。俺は鞄と猫の入ったケージを手に取ると、戸締りをして家を出る。

 今日も今日とで家を出る時間は早めとなっていた。理由はこの猫の飼い主と話をするため、そして――

(……菜桜がどう思ってんのか、何を助けりゃいいのかの調査、ってとこか)

 本人の預かり知らぬところで調査をするっていうのは、なんだか悪い事をしているように思えて罪悪感を覚える。けど、されている方も気が気じゃないだろう。

 俺はふう、と重いため息を吐いて、空を見上げながら、およそ半年ほど前のことを思い出していた。

 

            †

 

 ――昨年の冬。所謂菜桜の受験期のことだ。

 年が空ける前に二回ほど受験生向けの校内見学などがあったうちの、初回。

 教師や生徒達からのほとぼりも冷めて来た頃に、またもや問題が起こった。

 校舎三階の多目的ホールで、学年毎の集会で配られた、生徒一人一人に面倒をみる未来の後輩や役職が記載されているプリントがある。

 一学年でもかなりの生徒数を誇る以上、二人で一人を見ることもあった。

 一人ひとりに、必ず仕事が分け与えられている――はずだった。

「―――……」

 その用紙を見て、俺は口を一文字に結んだ。

 五枚ほどある第一学年の生徒がびっしりと書かれていた名簿の中で、

 たった一行だけ――空欄がある。

 その人物は……

 

 出席番号1番――浅木、傭司。

 

「………」

 クスクスという、嘲笑にも似た笑い声が湧き起こる。それは友人間での私語からのものもある。それは頭の中では理解できていた。でも――

 俺はため息を吐いて、そこから逃げた。

 クラス委員がクラスメイトを整列させている中で、俺はひとり――その場をそっと後にする。

 今更気付かれるほど、気に掛けられる事もない。

 必要な時に声をかけてやればいい。そんな存在だから、

 声をかけて止める存在もいない。

 手を掴んで引いてくれる人もいない。

 ――でも。

 こんな俺にも……

『待ってくれる人』は――いた。

 ふらふらとした覚束ない足取りで教室まで歩いて行くと、そこには色素の薄いピンクブロンドの髪をした女の子がいる。

「――来ると思った」

 俺の机に腰掛けて、ニヤついた笑みを浮かべた彼女。

 でも、どうしてか感じるのは。

 ――悲しい感情。

「……知ってたのか」

「大人になっても子供心が抜けない人達の話は聞かない主義なの」

 つっと、天井を見上げた朝見の目尻から涙が伝う。俺はゆっくりとドアを閉めた。

「――傭司のしてきたことは間違ってないよ」

「そのセリフ、そっくりそのままお前に返すわ」

 震えた声で俺をフォローしてくれるその言葉を、俺は彼女へ歩み寄りながら朝見へ返した。

 ここまでずっと何の音沙汰もなかったのは、彼女のお陰だから。

 そんな女の子の頑張りを、俺は絶対に否定したくなかった。

「でも――」

 ごめんな、と俺は柄にもなく、無理な笑みを浮かべる。

 どんなに辛い目に遭っても心は折れない。折れたくないと……ずっと、思っていたのに。決めていたのに――

 

「お前が思う様な存在には、なれなかった」

 

 それなのに俺は――折れてしまった。

「っ――!」

 がたっ! と朝見は俺の机から降りて。

 とてつもない喪失感を覚えた俺は立っていられなくなって……歩いてきた一年間が、何の意味も成さない事を知って……。その場で、両膝を床についた。

 途端に涙で顔がくしゃくしゃになった彼女が、俺を強く抱きしめる。

「傭司……ごめん……っ!」

「……っ……」

 耳鳴りのする中で、消え入りそうな、弱々しい――いつもの彼女とは全く違う印象を受ける声が響く。

 それが嫌でも、俺の耳に入った。

「あなたはずっと……わたしの願った傭司で居ようとしてくれたんだね……ごめんね……っ」

「あさ、み……」

 きつく抱きしめられる中で、彼女の熱い吐息が頭にかかる。

「あなたはあなたなのに……。わたしがそうなって欲しいって思っただけの傭司は……あなたじゃないのにっ」

 自分を糾弾する彼女は嗚咽を堪えながら涙を流す。

 その弱々しい姿に、俺の頭は真っ白に染まる。

「―――……」

 俺は……間違っていたのだろうか?

 朝見歌唄の願った浅木傭司は、存在してはいけないものだったのだろうか?

 思い描くだけじゃ。叶えるだけじゃ。

 世界は、変わらないのだろうか?

「……ぁ……」

 俺は思い出す。

 彼女達と初めて出会った時の日。自分自身が思い考えた言葉を。

 

 ……自分が変われば周りも変わる。そんなのは夢物語だ――と。

 

 不意に芽生えた感情は――悔しさだった。

 それは昔の自分の言葉に、打ち負かされた様な気分で……腹が立つ。

 ふつふつと、氷の張った大地の下で、マグマが脈動する様に、怒りが湧いてくる。

 今までなら、そのマグマは噴き出す事無く、抑え込まれていただろう。

 でも……違う。

 今となっては、決定的に違うものがあった。

 この瞬間にも、浅木傭司本人(・・)をしっかりと見てくれている女の子が、泣いていること。

 俺自身の理由で、本当の俺を見てくれた女の子を泣かせていいのだろうか?

「―――ッ!!」

 ――否。答えは否だ!

 きつく抱きしめられた状態で、頭を抱えられた状態で。

 俺は、彼女の右手を取った。

「っ……ようじ……?」

 ――温かい。手のひらに感じる温度が、確かにここにある。

 俺はその小さな手を、きつく、けれど労わりながら握り締めた。

 その優しさをかみしめる様に。決して、放さない様に。

 腕を解いて、ゆっくりと左足に力を入れて立ち上がる。

 溶けて行く――。これ以上傷つかない様に張り続けていた氷の仮面は。

 奥底に眠る、自分自身の、本当の気持ち(ねつ)によって。

 溶け切るよりも先に――それは砕け散った。

「……今まで、ごめんな。面倒な事ばかり任せ続けちまって」

 涙を袖で拭いながら。歯を見せて笑って見せる。

 不器用な笑いだ。俺だって、こんな風に笑うのは久しぶりで、表情筋の所々が引き攣っているのが分かる。

 そんな俺を、朝見は驚いたように見上げていた。

 つうっと彼女の目尻から伝った涙が零れ落ちそうになった所で、今度は俺が彼女を抱きしめる。

「ありがとう、朝見。もう無理しなくていい」

「え……」

 ここまで俺を真っ直ぐに見て、導いてくれた恩人に言えた事ではないけれど。

 強そうに見えていた女の子が、本当はか弱い女の子だとわかった時。俺は自然と考えがまとまっていた。

「……今まで俺は、星亜や天先輩、銀先輩、そしてお前に助けられてきた」

 そうだ。あれからいつだって、俺の周りには人がいた。

 一人じゃないという事を、教えてくれた。

 だから今、こうして一人で変われない自分と女の子がいる。

 俺は、目の前にいる、この女の子のお陰で少しは変われると思い始めた。

 他でもない彼女が、その道標を俺に立ててくれた。此処まで導いてくれた。

 なら、

 なら――。

「――今度は、俺の番だな」

 これからは俺が、彼女を導くために。俺の願った朝見歌唄ではなく、朝見歌唄自身が願った彼女になれるように。

「そのために――俺、」

 たとえこの気持ちが伝わっていなくても。いつか伝えてみせる。

 彼女がいつか、心の底から笑っていられるような場所を作るために。

 無様でも、不格好でもいい。

 この想いを貫くために――俺は。

「変わるから。頑張るから」

 口だけ達者じゃあ何にもならない。

 まず自分にできる事からはじめて、強くなって、優しくなって――それで、浅木傭司という一人の存在を、認めてもらうために。

 彼女の、隣に相応しい人間になるために……。

 俺()、変わらなければならない。

 どれだけ時間がかかるかもわからない。かかってしまった分の時間だけ、彼女を縛り付けてしまうと思うと心が痛む。

 それでも――。

 それでも、俺……浅木傭司という男は、朝見歌唄という女性と一緒に居たい――。

「だから……待っていてくれ」

 彼女を抱きしめる力が強くなった。けれど、次の彼女の言葉は……。

 

「――イヤ」

 

 ぐっと俺の胸が押され、咄嗟の出来事に俺は腕を解いてたたらを踏んだ。

 どうして、だなんて言葉は出てこなかった。

 怒りもなく、絶望もない。

 なぜなら、

「……っ。朝見?」

 彼女は、涙を堪えながらも――優しい目をしながら、微笑んでいたから。

「待つだけじゃいやよ、わたし。待っているだけは簡単だと思われるけれど……その実、結構辛いの。わかってる?」

「………。……えっ、それって……!?」

 俺は目を見開くと、朝見はくすりと星亜の様に上品に笑う。

「だから、――見ているわ。傭司。あなたのこと」

 そんな彼女の姿に、俺は我慢できるはずもなく――

 また。けれどさっき以上に強く、朝見を抱きしめた。

「ああ……頼む。歌唄(・・)、俺を……見ていてくれ」

「………うん。ずっと見ていてあげる。あなたの傍で。その時が来るまで……いつまでも」

 ゆっくりと俺の背に回された手は、少しだけ震えているのを、今でも覚えている。

 

 

 ――それからの俺は、文字通り奮闘した。

 なんだか今までが手を抜いていた様な言い方だが、それ以上にという意味合いだ。

 もちろん一人じゃできなかったし、銀先輩達が手を貸してくれた事もあって……その結果があって、今の俺になれたんだ。

 それに、何故空欄だったのかという事だが……。あれは、俺がなんでも出来るからという信頼からのものだったという。

 それを知って更に倍速しちまったのは、また別の話だが。

 まぁ菜桜と出会ったのはそんな俺が変わりかけの時で、とても良い出会い方をしたとは思えなかったんだけれども。

 

 

            †

 

 

 ――ドアノブを捻れば、すんなりと前後に動いた。

(誰なんだろうな、こんな時間に来るやつなんて)

 俺が学園に到着して、職員室へ入って鍵を借りようと思った時にはすでに鍵はなかったのである。

 歌唄(カノジョ)だったらどうしよう。

 ふと、先ほどの回想を思い出して少し顔が熱くなる。

 普段ポーカーフェイスを気取っている(?)俺だが、流石に今彼女に出くわしてしまったら落ち付きがなくなるのは分かり切っていた。

 ふうっと深呼吸してから、その部屋……生徒会室へと入る。

「――あ、センパイおはようございますっ」

「なんだお前か」

 きゃるーんみたいな効果音が出そうなほどあざとい挨拶をしてくる菜桜を見て、軽く肩をすくめながらため息交じりに挨拶を返す。

「ネコちゃん、ちゃんと連れて来たかなーと思って。杞憂でしたか」

「まぁな、人ん家のペットだし、流石に責任持って世話しないといけないし」

 カタン、とケージをテーブルの上へ置いた俺は、どっかとソファに腰掛けた。

「俺これから教室行くけど、どうする? お前も出るか?」

「はい! でもでもセンパイ、『どうして俺より先に生徒会室へ?』とか言ってくれないんですか?」

「えー……どうして俺より先に生徒会室へ?」

「うわぁ……このセンパイまじ……」

 やる気のない返答の仕方にジト目で見られたが、俺は身体を前に傾けながら「で、どうしたって?」と訊ねる。

「星亜先輩から聞いたんですけど、わたしのこと、助けてくれるって言ったんですよね?」

「え?」

 もうその話出回ってんの? と口から出かけた所で、ずいっと俺の方へ顔を寄せてくる菜桜。

「言ったんですよね?」

「え、えーっと」

「言・った・ん・で・す・よ・ね!?」

「は、はい……」

 ソファの角にまで追い詰められた俺は膝を曲げながら涙目で頷くと、菜桜はニッコリと微笑んで体勢を元に戻した。

(お、女って怖ぇ……)

 なんて思っていると……。

 菜桜は生徒会室の出入り口であるドアノブを捻りながら、

 

「では、今日の八時! トリニティに集合でっ!」

 

「は?」

 そんな笑顔と共に退室していく菜桜。生徒会室へ取り残された俺は、しばらくその場に呆然としていた。

 しかも俺が帰宅して家事等身の回りの事を済ませる時間を考慮しての集合時間。なんという策士だろうか。

 ……と、ガチャリとドアが再び開かれ、菜桜がにゅっと顔だけ出してくる。

「みなさんも誘いますからね?」

 ばたん。と今度こそ退室。

「……えぇー……?」

 最早逃げ場はなさそうだった。

 




12/28 誤字修正いたしました! 申し訳ございませんでした……。
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