ガゼフ・ストロノーフ伝   作:Menschsein

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5.死者の大魔法使い

 ガゼフは縄を頭上で高速で回転させる。高速で回転する鉤が空気とぶつかり、風切り音が発生する。ガゼフはそして鉤縄を掴んでいた右手を離す。

遠心力によって鉤は上空へと飛び、そして船体へと引っかかる。

 

「かかったぞ!」とガゼフが叫ぶと、杭を持った団員と戦鎚(ウォーハンマー)を持った団員が駆け寄ってきて、地面に杭を打ち込み始める。杭が地面深くに打ち込まれたのを確認するとガゼフは、縄を杭に巻き付けてきつく結ぶ。錨を降ろす如く、杭に結ばれた縄によって船を止めようというのである。

 

「団長! マストに矢を射ても効果はないです」

 

 帆を矢で破いて推進力を失わせるという作戦を行っていた団員の一人が慌てて駆け寄ってきた。

 ガゼフは、現れた船の帆を見上げる。船に張られた帆はすでに破けていて風を受け止めることなどできない。またマストも四本中一本は折れている。どうやら風を推進力として動いている船ではないようである。

 霧の中を走る船。海にあるような普通の船とは根本から仕組みが異なっているのであろう。魔力を推進力に変えているのであろうか。アズス・アインドラがこの船を欲しがる理由がガゼフには分かった気がした。

 

「要塞」

 

 ガゼフは武技を使い自らの防御力を上昇させる。両手では縄をしっかりと握りしめている。自らの両足の踵は地面にしっかりと沈める。自らの上昇させた肉体の力を持って船を停めようと言うのである。

 

 縄が張りつめる。丈夫さが魔法によって強化されている。縄は張力によっては簡単に切れたりはしない。

 が、船上に突如、炎の球が浮かび上がる。ガゼフはその火球(ファイヤー・ボール)の大きさに一瞬驚く。戦場で飛び交う火球(ファイヤー・ボール)の二倍はあった。この火球(ファイヤー・ボール)を放った者の魔力が強大であることを示している。

 そして、その火球(ファイヤー・ボール)が直撃したら命を落とす団員が多いであろう。

 

「全員、船から離れろ!」

 

 鉤縄を船へと投げ飛ばしていた団員、杭を打ち込んでいた団員たちが船から距離を取ろうと船に背中を見せて逃げる。

 

 そして船上から落ちてきた火球(ファイヤー・ボール)は、次次と船へとかけられた鉤縄を焼き切っていく。足止めをさせないつもりなのであろう。

 

 それならば……とガゼフは思う。答えは簡単だ。船に乗り込み、この魔法を放った主を倒せば良い。アズス・アインドラの情報では、この船の主は、死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)だ。

 

「腕に覚えのあるやつは、船に乗り込め! 敵はリッチだ。白兵戦に持ち込むぞ」とガゼフは団員たちに指示を出す。船に乗り込もうと動き出したのは、傭兵団の幹部、ガゼフ、ヴァレリー、ダニエラの三人である。エルダー・リッチと対峙するのであれば、冒険者の水準で言えば、白金(プラチナ)、欲を言えばミスリル級の腕が必要となる。逆に言ってしまえば、その三人しか対抗できる団員がいない。

 

 そして団員の一人が投げ捨てていった鉤縄を地面からガゼフは拾い上げて、再び船上へと鉤縄を投げ込む。そして、今度はその縄を伝って自分自身の身体を船上へと引き上げるのだ。

 

「流水加速」とガゼフは武技を使い、自らの肉体速度を向上させながら船体を登る。

 

なおも止まらない船。ジグザグに船は操られ始めていた。縄をかけられないようにと荒々しく船の舵が操られているのであろう。

 

縄に掴まるガゼフの体は、振り子のように大きく揺れる。船は、銛を打ち込まれて怒り狂うクラーケンのようだ。

ガゼフの肩は船体に何度もぶつかる。だが、鍛え上げられたガゼフの握力はその縄を離すことはない。着実にその縄を使い、船体を登っていく。

 

 船体を半分ほど登った時である。登るのに苦労をしているガゼフをよそに、「先に行っているよ」と、リグリットは船体横を駆け上がっていく。船体は弧を描くように丸みをおびている。直角の壁を登って行くよりもその難易度は高いであろう。というか、普通の人間にはそんな芸当はできない。

 

「おいおい。あれは本当に人間か?」と、重力を無視しているとしか思えないリグリットの動きに、ガゼフは自分の目を疑う。生きる伝説であるアダマンタイト級冒険者。だが、もはや老婆という外見のリグリットの動きは、人間を辞めているとしかガゼフには思えなかった。

 

 

 ・

 

 ガゼフが甲板に到達した時には、すでに“朱の雫”とリグリットは、この船の主らしき死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)と対峙していた。

 やせ細った肢体。古びた三角帽子(トリコーン)を被った、骨に皮が僅かに張り付いただけの顔。だが、その二つの瞳には邪悪な英知の色を宿している。

 

 こいつ、ただの死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)ではねぇ、とガゼフは直感的に思う。

 通常の死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)は、古いローブを纏っているが、この固体はまるで船乗りのような格好をしているというような外見の違いではない。死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)の体からあふれ出ている負のエネルギーが尋常ではない。その死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)の体から発せられる靄が、船全体を包んでいたのだ。霧の中を走る船を包む霧は、このリッチから発せられたのであるとガゼフは気付き、警戒心を限界以上に引き上げる。

 

 死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)と対峙している “朱の雫”とリグリットの表情も険しい。

 彼等彼女等はアダマンタイト級冒険者である。通常の死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)に対して遅れを取ったりはしない。ガゼフが船体に登る迄の間だに討伐が終わっていて然るべきであるようにさえ思える。

 ガゼフの傭兵としての感は、明確に告げている。逃げるべきだと……。

 

死霊支配(ネクロマンシー)……無理だね。討伐難度百五十と言ったところだねぇ。坊やたちはさっさと船を降りた方がいいねぇ」とリグリットが口を開く。

 坊やたち、それはガゼフ、そしてその後に甲板へと辿り着いたヴァレリー、ダニエラを指しているのであろう。リグリットの外見から言えば、“朱の雫”の面々も坊や形容されても良いであろうが、リグリットの言った意味は、力弱き者、ということであろう。

 

「土足でこの船に上がり込んで、生きて帰れると思っているのか?」と、死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)が口を開いた。嗄れた声、既に声帯など枯れ果てているであろうに、その声は憎悪と力に満ちていた。

 

「ガゼフ。魔物には亜種というものが存在する。こいつは、死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)の亜種だ。それも、とびきりのな」

 口を開いたアズスの装備している葡萄酒のような赤い鎧が光輝き始めた。伝説級と歌われる鎧。その装備をした者の能力を飛躍的に向上させる鎧だ。伝説では、十三英雄の一人が装備してたとされる。

 アズス・アインドラを初めとする“朱の雫”も本気で戦う必要があると認めたということであろう。

 

「ちょっとこれは、後ろで控えていた方が良さそうですね」と言うヴァレリーの言葉にガゼフもダニエラも頷き、そしてゆっくりと死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)と距離を取るように後退していく。

 

 難易度百五十。そんな死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)を討伐するのは、英雄と呼ばれる存在だけが可能なことだ。

 傭兵団として難易度百五十相当のバケモノと対峙するとしたら、その首に超高額の懸賞金がかかっているバハルス帝国の主席宮廷魔法使いフールーダ・パラダインくらいであろう。フールーダ・パラダインの首を討ち取れば、その賞金を山分けしたとしても、傭兵団全員が一生遊んで暮らせるほどの金貨を得ることができる。

 だが、この死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)を倒しても一銅貨にもなりはしない。金の為であれば命を賭して戦うが、一銅貨の得にもならないのに剣を振るう理由を傭兵団は持たない。強敵と出会えて、武者震いするのは戦士であって傭兵ではない。傭兵は、報酬とその敵が見合った金額であるかどうかを判断するだけである。報酬に見合わないのであれば、傭兵団は逃げるだけである。勝てないと分かっていながら立ち向かうような傭兵は、傭兵と騎士をはき違えている。

 

「アインドラ。俺達の仕事は達成したということでいいんだよな?」

 船首にまで後退したガゼフは傭兵団の団長として言った。

 ガゼフ、ヴァレリー、ダニエラがいるのは、死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)から最も離れた場所。そして、いざというときは船から飛び降りて逃げることも可能な位置。

 船から飛び降りないのは、“朱の雫”やリグリットが死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)を倒した際に、船内にあるかも知れない戦利品を漁るためだ。それは傭兵の当然の権利だ。ガゼフも人間的には、アズス達もリグリットも嫌いではない。時に有益な情報をくれる。出来れば死んで欲しくない。だが、情に流されては傭兵団の団長など務まったりはしない。彼等は冒険者であり、自分たちは傭兵なのだ。そして、自分が守るべきは団員であって、冒険者ではない。

 

「あぁ」と、アインドラは死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)から視線を外さずに答えた。依頼主の同意により、ストロノーフ傭兵団の今回の依頼は達成した。

 あとは、目の前の死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)の亜種を、“朱の雫”やリグリットが倒した後、船内の戦利品を漁るか、アダマンタイト達でも勝てないと判断したら、一目散に逃げるかという選択肢だけがガゼフに残った。

 


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