彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
「今日はこれくらいでいいかな」
ペンキを塗りたくった段ボールを眺めながら、葵は呟いた。この学校の文化祭への意欲は凄い、と改めて思う。どのクラスも教室に凝った装飾をし、独自の世界観を作っている。葵のクラスも例に漏れず、多くの生徒が居残りをして装飾の作成をしていた。
「理奈、そっちはどう?」
声をかけると、隣で作業をしていた友人は顔をあげた。
「ぼちぼちかな。あと数分で終わるよ。そっちは先に片づけてて」
葵は散乱した段ボールや色紙の切れ端や、絵の具で汚れたパレットなどを見てため息をついた。片付けには少し時間がかかりそうだ。
「うわ……忘れてた。これ、全部私がやったのか」
「まあ、明日は一日中準備だから、そこまで丁寧にやらなくても大丈夫だよ」
理奈は少々呆れた様な声で話しつつ、作業を進めている。理奈が作っているのは、教室の外の壁に貼るものだ。葵のクラスはお化け屋敷をするので、黒い模造紙に血糊として赤い絵の具をつけたり幽霊を描いたりしているのだが、理奈は絵心があるらしい。携帯で探した画像を参考にしつつ、リアルなおどろおどろしい妖怪の絵を描いていた。
結局、葵と理奈が全て片付け終えたのは十分後だった。
「じゃあね。お疲れ様」
「お疲れ。また明日」
まだ作業をしているクラスメイトに声をかけてから、教室を出る。他のクラスも気合が入っているようで、最終下校時刻の三十分前だというのに、どのクラスも明るかった。
「私達も負けてられないね」
理奈は楽し気に言った。
「うん。今年こそは一位を取ろう」
理奈とは去年も同じクラスだったが、前回は惜しくも学年内で二位に終わった。
手を見ると、落としきれなかったペンキの汚れがついていた。家に帰ったら、しっかりと洗わないといけないだろう。
下駄箱から出ると、外はもう暗かった。まだ暑いが、夏は終わったんだと実感する。
「ほら、早く帰ろう。電車に遅れちゃう」
理奈が葵の腕を引いた。葵は高校から徒歩圏内だが、理奈は電車通学だ。松籟高校は駅から遠く、歩いて二十分以上する。葵の家は駅の方面にあったので、いつも途中まで理奈と一緒に帰っていた。
いつものように明日の事や文化祭本番の事を駄弁りながら歩いていたが、今日はどこか理奈の表情が硬いような気がした。いつもよりノリも悪く、返事も曖昧だ。
「理奈? なんかあった? 変な匂いでもする?」
息を吸っても、特に異臭は感じられない。先程顔をしかめていた理由は、別の物か。
「あ……ごめん。何でもないよ」
理奈は虚をつかれたような顔をした。
「今日は少し疲れたから。絵を描いてて肩こっちゃった」
軽く笑いながら首を回して見せた。
「私も」
腕を上に伸ばすと、背中からごきりと大きな音がした。
だらだらと話していると、いつの間にか理奈と別れる交差点についていた。
「じゃあね。また明日」
「じゃあね」
駅へ向かう道と比べると、この先の道は暗い。とは言え、不審者がいたという話も聞かないので、特に怖いと思うこともなかった。
――当日のシフトも決まったし、母さんに言っておこう。
今日の事を振り返りつつ、物思いに沈みながら歩いていた。
だから、気付けなかった。
突然、脇腹に衝撃を感じた。次の瞬間、塀に叩きつけられる。息が詰まり、意識が飛びかけた。激痛に体を縮めつつ、必死で顔を上げると、振りかぶられた拳が目に入った。
――殺される!
とっさに目を閉じ顔をそむけたのとほぼ同時に、鋭い声が聞こえた。
「――やめてっ!」
鈍く重い音とともに、自分の前に覆いかぶさっていた男が左に吹き飛んだ。事態についていけず、強張った喉からは満足に息も吸えない。
男を突き飛ばした人影は理奈のようだった。リュックを投げ捨て、葵を背にかばうように男と相対した。
男は幽鬼のように立ち上がり、理奈を睨みつけた。――その虹彩は異様に赤く光っていた。
「どけよ」
低い声で唸るようにその男は言った。男の背から、剣のようなものが腕に沿って伸びていく。薄暗い中でも、それが鋭く硬質なものであることは分かった。
――化け物だ。
葵は慄き、絶望した。自分の生存が思い浮かべられない。ただ死のイメージだけが頭の中に膨れ上がる。
「やめてください」
理奈の声は静かだった。
男は剣を振りかぶって駆け寄ってきた。理奈が斬られるのを想像し目を閉じた。しかし、聞こえてきたのは硬い音だった。
その音に驚いて目を開けると、信じ難いものが目に入った。
理奈の背から、三本の尾のようなものが生えていた。それが、剣を受け止めていた。
「やめてください。戦いはしたくありません」
男に理奈の言葉を聞く気はない様だった。尾の一本を切り飛ばし、顔をかばうように挙げた理奈の腕を切り裂いた。
「お願いします。やめてください」
再度言った理奈の言葉からは焦りが感じられた。理奈の尾が男を塀へ叩きつけ、二本の尾で器用に押さえつけた。
「飢えているなら、私のカグネを食べてください」
切られて短くなった三本目の尾が、切り飛ばされた先端を巻き付けるようにして持ち上げ、男の前に差し出した。
「……わかった」
数秒黙った後に男が答えると、二本の尾は静かに男から離れた。男は尾の切れ端を受け取り、かぶりついた。硬いものを噛み砕くような咀嚼音を立てながら、人の腕ほどもあるそれを見る間に平らげた。
「……東京から来たんですか」
食べ終わったのを見計らって、理奈は声をかけた。
「そうだ」
「ここらの喰種に知り合いはいますか」
「……いや、いない」
男は警戒するように赤く光る目で理奈を見ていた。
「ここら辺の喰種は、極力人を襲わないようにしています。東京にもそのような地区があると聞いています」
「……」
「あまり、騒ぎを立てるようなことはしないでください。ハトを呼びたくないんです」
「飢え死にしろと言っているのか」
「いいえ。――私達の組織の人を紹介します」
理奈は投げ捨てたリュックから紙とノートを取り出した。ノートの一番後ろのページに何かを書き込み、破って手渡した。
「一番近い『窓口』の住所です。一番下のは私の携帯番号です。これを見せて『オサキ』に紹介されたと言ってください」
男は不審げに紙を見つめたが、軽く頭を下げた。
「わかった。……ありがとう」
「何かあったら連絡してください」
「助かる。だが……あれは、どうする」
男が、葵のほうへ顎をしゃくった。心臓が早鐘を打つ。理奈も葵を見やった。暗くて表情はよく見えない。
「……私が何とかします」
「そうか。――さっきは、すまなかった。
それでは、機会があれば、また」
男は再度頭を下げ、去っていった。理奈は、その背が小さくなるのを見ていた。
それから理奈は、葵の方を振り返った。