彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
――忘れていたな。
葵は電灯を消して暗い天井を見上げながら、布団に体を預けていた。
喰種と人間の、距離関係。
今まで、理奈とその母、妹の千鶴ぐらいとしか接してこなかったから、忘れていた。
――あちらが友好的なはずは、ないじゃないか。
普通の――東京の喰種からすれば、こちらは食料でしかないのだ。その上、あの子――董香からすれば、人間は自分の両親を駆逐した
「理奈、寄るって……どこに?」
下校中、理奈が寄りたいところがあると言い出した。急な話だ。
「……渡したいものがあるんだ」
理奈はそれ以上何も言わず、ただ道の案内をする。
十分程度、歩かされただろうか。あまり、馴染みのない通りだ。
「……火葬場?」
目の前の看板に、臆した。出来れば、あまり関わりになりたくないところだ。
――まてよ。
ここらの喰種は、葬儀関係を牛耳っているはずでは――。
「さ、入って」
腕を掴まれ、半ば引きずられるような形で中に入った。
幸か不幸か、今は客がいないようだった。理奈はずかずかと奥へ入っていく。
「――山田さん、千晶さんはいますか」
掃除をしていた中年の男性に、理奈は声をかけた。
この人も、喰種だろうか。
「はい——ああ、理奈ちゃんじゃないか。千晶ちゃんなら、あっちの部屋にいるはずだよ」
「ありがとうございます」
「ところで、その子――」
山田は何か言いたげに葵を見たが、理奈の顔を見てすぐに口を閉ざした。
――やはり、喰種か。
「今回の依頼の理由は、その人かい」
「……はい」
理奈は山田に軽く頭を下げた。それから、山田に言われた部屋へと大股で歩いていく。
中には、二十代くらいに見える、若い女性がいた。
「こんにちは、千晶さん。品物が出来たと聞きました」
「ああ、早いね、理奈ちゃん。――その子が、例の?」
「はい。――この人が千晶さん。技術師の『土蜘蛛』」
鬼名か。しかし、技術師とは何のことか。
「わかった。今、持ってくる」
千晶は理奈と葵を残して、部屋を出て行った。頭の整理が追い付かない。
「渡したいものって、千晶さんに作ってもらったもの?」
「そう」
「あの人、何者?」
わざわざ喰種に作ってもらう物とは、何なのだろう。
「もとは、東京の――確か、13区にいた人だって。
クインケって、前に教えたでしょ。あれの材料と似たものを作る技術があるの。喰種間では、結構重宝されてる」
「……普段は、何を作ってもらっているの」
物騒なものだろうか。葵の少し硬い声に理奈は軽く笑った。
「危ないものはほとんどないよ。例えば、爪切りとか。市販のだと、刃が弱すぎてすぐダメになるから」
「理奈達って、爪まで硬いの? 今度確認してみたいな。
……でも、今回私に渡したいのは、爪切りじゃないよね」
「もちろん、そうだけど」
千晶が戻って来た足音が聞こえた。
「お待たせ」
片手に持っていたのは、ナイフだった。
「ほら」
軽い調子で理奈に渡す。理奈は丁寧に受け取り、刃を露にした。硬質な反射光が刀身を滑る。だが、金属とは違う材質であることも瞭然としていた。――赫子だ。
「これは……」
葵の呟きに千晶が答える。
「『鬼熊』の甲赫を擬クインケ鋼に加工して作ったナイフ」
「擬……クインケ鋼?」
クインケとは、CCGの捜査官の扱う武器であったはずだが。
「そう。本物のクインケは赫包が『生きて』いる。それに電子信号を流して変形などを行うけど、これはあくまで赫子を硬質化させたまま固定したもの。構成するRc細胞は死んでいるよ」
自らの作成した刃物を見つめながら、千晶はよどみなく説明をする。
「細胞は死んでいるから、喰種の治癒能力を妨げる効果は薄いけど、傷をつけるだけの硬度はあるし、Rcゲートでは反応しない。また、その上に消臭処理もしているので、相当鼻のいい喰種でも、よくよく近づかなければ気付けないはずだ」
自慢するでも謙遜するでもなく、ただ淡々と言う。
「……まさか、人間に渡すことになるとはね」
その低い声音に葵ははっとして、千晶を見上げた。暗い茶の瞳を覗き込む。千晶の表情は読めなかった。
「……お代、出すので少し待っててください」
理奈は床に下したリュックから封筒を取り出した。一度中身を見て枚数を確認してから千晶に渡す。
「足りているはずです」
千晶は無言で受け取り、中身を確認する。そして思案するように顎に手を当て、動きを止めた。理奈は不安そうに千晶の様子をうかがう。
千晶は封筒から三枚だけ取り出して、封筒を理奈につき返した。
「――材料費だけもらっておく。これだけで十分」
理奈は軽く目を見開いた。
「そういう……わけには」
千晶は理奈の手を取って封筒を押し付けた。
「……夜鷹の基本方針は相互扶助。その人――葵さん、と言ったっけ、貴方は私達のために動いてくれるのでしょう。なら、私達はそれを支援するのが当然だ」
葵は千晶にかけられた言葉に固まった。自分には、その期待に応えられるだけの能力があるのか。
「勿論――私は、
千晶の強い言葉に怖気づき、うろたえ、口から出た言葉は言い訳だった。
「構わない。これは、投資。……頑張ってね」
最後の言葉は柔らかかった。
「こんなに高価なもの……」
客がいないのでホールの椅子に座っていた。理奈はもう一度刃を検分している。
「いいの。千晶さん、割り引いてくれたし。これも合格祝いって事にしといて」
「そんな」
刃を収めて理奈は葵にナイフを突き出した。葵をまっすぐに見つめ、真剣な表情をしている。
「東京には、好戦的な喰種が多い。葵には自衛手段を持っていて欲しいの。……董香のおかげで、気付けたから」
「……」
葵は黙って差し出されたナイフを見つめる。
こんな大層な物をもらっていいのか。それなりの値段をしていた。それに、自分にはこれがあったところで、喰種の身体能力に抗える気がしない。今まで、散々理奈に実演してもらったのだ。絶望するほどの格差をナイフ一本で埋められるはずがないことくらい、わかっている。
「それに、これを持っていて欲しいのは、武器としてだけじゃない。Rc細胞を扱うとき、通常の刃物では役に立たないことがあるかもしれない。喰種の肌が、そうでしょ。これなら、赫子だって多少は傷つけられる」
言われて、気付いた。なるほど、確かにこれは貴重なもので――そして、自分にとって有用なものになりうる。それに、自分を心から心配してくれる理奈の気持ちも、千晶の期待も――。
「……半額」
鞘を握る。
「理奈の気持ちは嬉しい。千晶さんの投資にも応えたい。だから、半額出させて」
そう言って受け取った。理奈が触れていたためか、ほのかに温かい。
「ありがとう。私、頑張るよ」
「――やあ、嬢ちゃん」
不意に後ろから声をかけられ、驚いて葵は振り向いた。理奈がぽつりと言う。
「……山田さん」
「すまないね、聞こえちゃったよ」
穏やかな声だった。
「それは、私の赫子なんだ。うまく使っておくれ」
「貴方の……」
葵はナイフを握りしめた。
「はい」
「……いい顔をしている」
山田は顔をほころばせた。
「何かあったら、ここにおいで」
「……ありがとうございます」
どうして、この人たちは人間である自分にこんなにも親切にしてくれるのだろうか。ありがたく思うと同時に、申し訳なくもなってくる。
「上井大学、だよね。20区だったっけ?」
「はい」
「良かったね。そこなら、比較的温厚なところだと聞いているよ。それでも、夜道には気を付けてね」
「はい」
親のような口ぶりだった。
「――ねえ、20区って言った?」
不意に千晶が奥から顔をだした。
「そうだよ。何か、心当たりがあるのかい?」
千晶は頷いた。
「ああ……私の師匠のような人がいるはずなんだ」
「君の出身は13区だろう?」
「その人も、13区を出たと聞いた」
千晶は葵を見る。
「もし会えたら、私の事を言っておいて欲しい。勝手に出て行ってすまなかった、と。フエグチアサキ、という喰種だ」
喰種世界は物騒なので、銃刀法も緩いという設定です。
『山田さん』は、理奈が一話で流れ者喰種に紹介した『窓口』の人です。