彼女の瞳は血の色だった   作:レイ

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12 教授

 目当ての藤村哲也教授の授業があったのは、入学から四日目の事だった。必修のため、広い教室だった。授業を終えて退出する教授を、慌てて追いかける。

「――藤村教授っ」

 駆け寄りながら声をかけると、教授は振り返った。

「どうしたのかい? 質問でも?」

 葵は藤村教授を見つめる。――この人なら。

「はい。私は、一昨年のRc細胞についての講演会を聴きました。それについて、いくつか聞きたいことがあるので、空いている時間を教えてくださいませんか」

「一昨年……あの時のか」

 藤村教授は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに思い出したように頷いた。

「そうだね。今日は九時までは研究室にいるから、午後の授業が終わったら、おいで」

 教授は柔和な笑みを浮かべた。――これで、やっと一歩。

 深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 

――A238……ここか。

 部屋番号をもう一度確認する。緊張で、心臓が痛い。それを押し殺すようにしてドアを叩く。

「……どうぞ」

 ドアの向こうからくぐもった声が聞こえた。

「失礼します」

 ドアを開けると、かすかに獣臭がした。マウスを入れたケージが並んでいた。

「……君か」

 手を止めて振り返った藤村教授は表情を和らげた。

「そこに椅子があるだろう? 座りなさい」

「……失礼します」

 教授の隣の椅子に腰をかけた。

「Rc細胞に関する質問があると言っていたね」

「はい。……あの」

 強張った手を握りしめる。

「……藤村教授は、喰種をどう思われますか」

 教授は怪訝そうな顔をした。

「喰種……それは、生物学的にどのような生物か、という事かい」

「それも聞きたいですけど、教授は、喰種に対してどのような感情を持っていらっしゃいますか」

「つまり、嫌悪感や恐怖感を持っているか、か」

「……はい」

 葵は教授の目をまっすぐに見つめる。黒い瞳の奥には、自分とは比べられないほどの知性が見える気がした。

「うむ……まずは、恐怖がある。人肉を食べるのだからね。それに、殺されないまでも、身内の遺体を食われたら嫌悪感を持つだろう」

 教授は言葉を切った。迷うように、口を閉じる。

「……だが、それだけではない。そう……私には、憧れがある」

――憧れ。

 葵は眉をひそめた。喰種にそのような感情を持っている人を見たことがなかった。

「勿論、喰種の生態を肯定しているわけではない。

 ……私は、東京で生まれ育った。そして偶然、家の近くで喰種の駆逐作戦があった。それを家の窓から見ることが出来た。――凄まじかった。喰種という天敵の存在を実感し、その力を見た。そして、ヒトとほぼ変わらない体躯で恐ろしいまでの力を持っていることに衝撃を受けた。そして、喰種について調べた。ヒトの身であの膂力の少しでも再現できないかとも考えた……」

 葵の覚悟を察したのだろうか、教授の言葉は真摯なものだった。

「あとは……そうだな。私は、喰種に関し研究する中で、彼らは極端なRc細胞――そしてそれを統制する赫包とRc細胞管以外では、ヒトとほとんど変わらない事を知った。脳は人間と変わりない。CCGの駆逐は生存競争だが、多少は哀れに思うこともある」

 藤村教授は葵を見つめた。

「以上だ。質問の意図を、話してくれないか」

 どこまでなら話せるか。――理奈のことさえ、話さなければ大丈夫だろうか。嘘は、真摯に話してくれた教授への裏切りだ。それはしたくない。

「私は……喰種との共存を目指しています」

 藤村教授は一度瞬きをしただけだった。促すような沈黙。

「喰種にはRc細胞の摂取が必要だと知りました。Rc細胞の安定供給さえできるようになれば、人間を襲う必要はなくなります。殺人事件は皆無にはならなくても、大きく減ると思います。そうなれば、共存は可能だと思いました。だから、Rc細胞に詳しい藤村教授に学びたくて、上井大学に来ました」

「……光栄だな」

 入学理由に、教授は虚を突かれたように瞬き、顔をほころばせた。

「共存か……人間の抵抗は大きいだろうし、私は喰種の考えを知らないから、何とも言えんが、君が必要とするなら、協力しよう」

 軽い言葉ではなかった。思案しながらも、実直な返事だった。

「――ありがとうございます」

 深々と頭を下げた。藤村教授に会えて、良かった。

 

「細胞の培養はコストが嵩みますよね……。

 動物の体内で細胞を増殖させるには、どうすれば良いと思われますか」

「君はどのような策を考えているんだい」

 試されているような気がして、今まで調べたことを必死に思い出す。

「……ヒト化動物と言うものを聞いたことがあります。最近では、免疫不全マウスにヒト 細胞を移植したものだけでなく、ヒトの遺伝子を入れたものまでいると聞きました。これを利用することは可能でしょうか」

「私も有効な策だと思う。家畜にヒト遺伝子を埋め込み、ヒトと同じ割合でRc細胞を含ませる事は、恐らく可能だ。長期的な目標としてはこれを目指すと良い。だが、時間がかかりすぎる。それに、知識も技術も必要だ。学ぶことなら大学で出来るだろう。進路として考えていい。だが君は、『今』、何かをしたいのではないかい。何か、成果の出せる事を」

「はい……おっしゃる通りです」

 理奈の事は話していないが、急いていることは察したらしい。一年の初めに教授に相談したのだから、何かあると思われるのは当然かもしれないが、どこまで見透かされているのか、と少しだけ悪寒がした。しかし、教授に裏切られることを考えていては話は進まない。

「今、私はRc細胞と食事に関する研究を行っている。免疫不全マウスやヒト化マウスにRc細胞を移植し、食事と増殖効率の相関関係を調べているんだ。もし、君が私の研究に興味があるなら、時間がある時にこの研究室に来るといい。私の知っていることを教えてあげよう。もしも将来的にRc細胞含有豚の開発に成功したときに、役立つはずだ」

 

「教授はCCGとの関わりはあるのですか」

 Rc細胞について研究しており、喰種に詳しいのだから、CCGから声がかかっていそうなものだが。

「教え子――私の研究室に来た学生の中にはCCGに就職した人も多いよ。前には、CCGに所属している地行君と共同研究をしたことがある。今でもたまに一緒に飲みに行くな」

 教授は懐かしそうに眼を和ませた。

「ああ、そうだ。君、人体におけるRc細胞値に関する実験にも参加する気はないか」

 葵は瞬きをした。

「この大学の内科医の上城君と、食事とRc細胞値に関するデータを取っているんだ。良ければ、参加してみないか」

 自分のRc細胞量を知っておくのもいいかもしれない。増やせるのなら、さらに参加する価値があるだろう。

「はい。やってみたいです」

「じゃあ、後で連絡をしておくよ」

 教授は棚のファイルをごそごそと探り、ホチキスで留められた紙束を差し出した。

「これは、要項。来週までに読んでおきなさい」

 

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