彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
大学での授業と藤村教授の研究室での実験、自習に実験や生活に必要な諸々の費用のためのバイト。大学生活は思っていたよりも忙しく、目眩がするようだった。桜並木は濃い緑色にとって代わり、あっという間に三か月が過ぎていた。
「……Rc細胞腫の成長が遅いですね」
葵はケージの中で蹲るマウスを見ながら言った。
「先日、Rc細胞過剰分泌症についても調べてみたのですが、何らかのホルモンが関与しているのではないかとの推測があるだけのようで、あまり参考になるような情報はありませんでした」
「……そう急くんじゃないよ。簡単に成果は出ない。やることが全て成功するなら、人類は今頃タイムマシンまで作っているよ。科学の発展は遅々としたものだ」
どっしりとした藤村教授の背と言葉は、頼もしく感じた。
「……そうですよね。そう簡単にいくはずもないか……」
ため息をついて天井を仰ぐ。凝った肩をほぐし、リュックの中に手を入れる。ペンケースは奥の方に入り込んでしまっているようで、なかなか見つからない。まさぐっているうちに、硬く重いものに手が触れた。
――ナイフ。
千晶の作った、擬クインケ鋼。喰種のRc細胞で強化された皮膚も裂けるナイフだ。
その柄を掴んで固まる。喰種の、細胞……。
「教授」
思っていたよりも、硬い声が出てしまった。
「何か、あった?」
怪訝そうな様子で、パソコンに打つ手を止め、振り向く。
「もしも、喰種由来のRc細胞組織を使えたら、進展はあると思いますか」
教授は顎に手を当てて唸った。
「……可能性としては、なくはないな」
椅子に座っていた教授は、葵を見上げた。
「恐らく、人間のものよりはアミノ酸の生成効率はいいだろう」
「CCGに頼んで、取り寄せることはできますか」
「それは難しいだろうな。あそこは秘密主義だから」
家に帰り、理奈にメールを打った。東京に来て、赫子の提供をしてもらうことはできるか、と。理奈は前に、赫子を使った治療術も使えると言っていた。もしかしたら、使えるかもしれない。検閲を恐れ、喰種や赫子と言った単語には、事前に決めておいた隠語を使った。
返事は二時間後に来た。
『東京行きは、親の許可を得るのは難しそうだけど、相談してみるね』
「――あの、一つ頼みがあるんですけど」
「何だい」
「この前、結果の良かったヒト化マウス三種類、購入していただけませんか。お金ならあります。自宅でやってみたいことがあるんです」
教授は唸り、黙りこくった。
「……君、喰種の知り合いでもいるのかい」
ぼそりと言われた言葉に、心臓を掴まれた。
「いいえ。何故、そう思うんですか」
教授はCCGに知り合いがいる。もし、ここで疑われたら、厄介なことになるかもしれない。
「君の動機はともかく、そこまで急いている理由に、それくらいしか心当たりがない」
「……」
「君は勘違いをしているのかもしれいないが、別に通報するつもりはない。君が肩入れしているのだから、その喰種は人殺しはしないように工夫をしているのだろう。ならば、ここは二人ともCCGに突き出すよりも見ぬ振りをした方が人類にとってはいいはずだ」
教授は淡々と言った。
「その上で、もう一度聞く。君に、喰種の知り合いがいるのか? ——もしいるなら、私も協力は惜しまない。
ただし、それを使ったマウスは、研究室には置けない。これは私だけの責任ではなくなる。大学に迷惑がかかるようなことは、出来ない」
実直だが厳しい言葉。そうだ、この教授はそういう人だった。この数か月で、信頼できる人だということは分かっている。喰種との共存に理解も示してくれた。
「――います。
マウスの手配と、……出来れば移植に関する施術も、お願いできますか」
教授は黙りこくった。考えあぐねるように、あごをさする。葵は固唾をのんで返事を待った。
「いいだろう。施術したらすぐに、君の家に持ち帰りなさい」
「ありがとうございます!」
葵は、深々と頭を下げた。
すぐに理奈に事情を説明するメールを送ると、二日後の夜、朗報が届いた。
『ばっちゃんに口添えを頼んだら、東京行きの許可がもらえた。私に東京に行けるだけの実力と、人間に溶け込む経験があると保証してくれたよ。さすがに、大学に行く話は黙ったけど。二時間ごとの連絡が条件で、一時間たっても返信が来なかったら、私の家族は緊急避難で他の夜鷹の組員に一時的に匿ってもらうことになっているので、責任は重いよ。お互いに時間には気をつけようね』
携帯を持つ手が震えた。返信を書くとき、にやけが止まらなかった。
そして、土曜日には、久しぶりに理奈の家へ行った。大学でしてもらうことの打ち合わせである。母親の外出中に、話し合いをした。
「私の治療は、欠損部位を赫子のRc細胞で埋めるだけのものだよ。Rc細胞には、再生を促す効果があるらしいし、流し込まれたRc細胞を材料に組織を作ることもできるから、うまく継ぎ合わせられれば、そのあとは勝手に再生してくれる。だけど、自分以外の生物に使ったことはないから、どうなるかは何とも言えない」
理奈は赫子を出してうねらせながら、説明した。
「何なら、実演しようか?」
赫子を刀のように変じさせ、自分の腕に突きつけた。葵は冗談かと思い、理奈の顔を見ると、真剣な表情をしていた。――その真剣さと、自分の体に対する意識の薄さに、ぞっとした。
「やめて、そんな事はしなくていいから」
慌てて否定すると、理奈はするりと赫子をもとの形に戻した。
「そう。ならいいけど」
さらに一週間が過ぎた。土曜だ。八時に駅で待ち合わせのはずだったが、理奈は十分前だというのに、もうついていた。
「早めに乗っておいてよかったよ」
理奈は首を回しながらそう言った。帽子を深くかぶり、伊達眼鏡をしているのは、人相を少しでも変えるためか。マスクまでしており、顔はほとんど見えないため、葵も声をかけられるまで理奈だと気付かなかった。
「どんどん車内が混んでいくんだから」
疲れたように息を吐いた。
理奈の通うキャンパスは駅から近く、さほど歩くことなくついた。研究室に近づくにつれて、理奈の口数は減っていった。
「……大丈夫、なんだよね」
「大丈夫だと思うけど……何かあったら、すぐ帰っていいから」
理奈はどこか不安そうな顔をしていた。
「研究室には私と教授だけで、ちゃんと鍵もかける。カーテンだって閉められるし、ばれることはまずないよ。……人間一人にそこまで警戒しなくても、大丈夫でしょ」
「そうかも、しれないけど」
そうこう話しているうちに、研究室の前にきてしまっていた。いつものようにドアを叩くと、中から聞きなれた声が返事を返した。ドアを開ける直前に、理奈はバッグから取り出した目出し帽をかぶった。
「ほら、入って」
葵は理奈の腕をひいて入室した。中からすぐに鍵をかける。これで、邪魔が入ることはない。
「この人です」
理奈は藤村教授に無言で軽く会釈をした。教授は理奈の目出し帽に少しだけ面食らったような素振りをしたが、すぐに会釈を返した。
「初めまして、協力者さん。貴方を裏切るような事はしません。期待にこたえられるように、努力する。マウスはもう用意してあるので、もう少し寄ってくれないかな。説明をしたい」
藤村教授はさして緊張した様子もなく、理奈に話しかけていた。随分と肝の座った人だ。事前に、理奈について生物学を学んでいる事は伝えておいたので、説明はスムーズに行われた。理奈はあまり話さなかった。
今までの実験から得られた結果も使いつつの試みだった。教授がCCGで使っていた薬品も、出来る限り調合して再現していた。用意しておいたヒト化マウスは三種類で四匹ずつ、計十二匹だ。背中の皮をはぎ、肉も少し削ったのちに、理奈の赫子による治療を行った。理奈には、なるだけ赫包内での状態に近い凝縮された状態になるよう、また、一部のマウスには少し多めにRc細胞を移植するように頼んだ。
むき出しの肉を赫子が繊細に包み込み、皮膚を形成し、赫子本体から分離させていく様子を、藤村教授と葵は息を殺して見守った。赫子が接がれてすぐに、出血が収まり、止血がなされているのがわかった。教授は興味深げな様子で、熱心に観察をしていた。
「……手際がいいな」
三匹目の施術が終わったとき、教授はぽつりとつぶやいた。
「もしもこれが成功したら、再生医療にも応用できるだろう」
「……喰種が、人間の役に立つことがあるのでしょうか」
今までほとんど口を開かなかった理奈が反応したことに、葵は驚いた。覆面のせいで、表情を読み取ることはできないが、視線と声音は思いのほか雄弁だった。
「使おうと思えば、何だって利用する。それが人間だろう。私達科学者は、その使い道を探す人間だよ」
教授の声はいつも通り、実直で柔らかい。
「そう……ですか」
理奈はそれ以上何も言わなかったが、目元が和んでいるように見えた。
そして、九匹目が終わった後に、理奈はおずおずと自分から声をかけた。
「あの……赫包も、使いますか」
それには、葵も驚いて理奈をまじまじと見た。
「それ、体の負担が大きいんじゃ」
「ちゃんと栄養をとれば再生するから、大丈夫。『鬼熊』さん達にも、話を通してきたから、融通もしてもらえる」
理奈は教授をまっすぐに見た。
「どうしますか。メスの代わりに、葵に渡したナイフを使えば、私の皮膚を切れます。提供できる量は少ないですが、とりあえず赫包半分くらいなら支障はありませんので」
「なぜ、その提案を?」
「藤村さんなら、信頼できると判断しました。私の事を協力者、提供者、実験対象とは見ても、駆逐対象として見ているようには見えませんでした。それに、これは私達のための実験ですから」
入室直後からは考えられないほど饒舌に、理奈は言った。
「……そうですか。ありがたい」
教授はほほ笑んだ。
「では、ありがたく摘出させて頂きます。Rc細胞管が伸びる可能性もありますし、興味深いですね」
軽く話し合い、最後の三匹に、一㎤程度ずつを移植することにした。それぞれ、肩、腰、腕と、場所を変えて移植した。
理奈から赫包の一部を切り取った瞬間から、肉が盛り上がり、瞬く間に傷をふさいでいくのを、葵は奇妙な気分で見ていた。
――前に見たのは、かばってくれた時だ。
全てが終わるころには、とうに昼時を過ぎていた。終わってからようやく、自分の空腹を感じた。
「ありがとうございました」
退出時には、葵と理奈は揃って頭を下げた。
マウスのケージを抱えて歩くさまは、人目を引いているような気がした。ハムスター用のキャリーケースでも用意するべきだったかもしれない。数が多いため、理奈にも持ってもらった。
借りているアパートは、徒歩圏内だ。ペット持ち込み可だったのは、幸運だった。鍵を開け、中に理奈をあげると、理奈は興味深げに中を見渡した。
「ここに、一人で住んでいるんだ」
「そうだよ」
葵はアパートに用意していたケージにマウスを分け、一つのケージに一匹になるようにした。部屋の中はケージに占領されていた。