彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
まずは赫子移植マウスの量産を試みた。繰り返すうちに、理奈は移植時の細胞の状態をある程度制御できるようになり、体を蝕まない程度にRc細胞を活性化させることで、マウスからの採取のサイクルをさらに速めることが出来るようになった。
並行して、喰種が食べられる食料の模索を行った。コーヒーに近い植物のハーブティーなどから始め、採取した肉を添加して、様々な食料を試した。適度なRc細胞さえあれば、酵素が多少は働くはずである。
「今日は、人肉二対、豚肉三」
購入したミンサーで理奈が持参してきた人肉をひき肉にし、豚のひき肉と混ぜて焼き固めた。人肉なら生でも火を通しても吸収が可能なのはわかっている。基本的には、他の動物の肉との違いはRc細胞の有無だけだ。ならば、どの程度の量があれば消化が可能か。
「いただきます」
緊張した面持ちで理奈は肉を口にする。
「……どう」
「食べられなくはない、かな」
理奈は不味そうな顔をしながらもそう言った。葵の前では、学校でのように取り繕う必要はない。
食べ終わってからほどなくして、理奈は胃もたれの症状を訴えた。
「ちょっと外の空気吸ってくる」
お腹を押さえながら、理奈は外に出た。合鍵は渡してある。
「夕方までには帰ってきてね。親への定期連絡も忘れずに」
「大丈夫。行ってきます」
*
外は暑いが、風が気持ち良い。アパートの階段を降りる。一人で歩く東京は新鮮だ。
――あんていくにでも顔を出そうか。
日陰を歩きながら、目的地を決める。正午に近いこの時間帯、この暑さでは人気も少ない。
しかし、しばらく歩いていると、喰種に後ろをつけれていることに気づいた。
――二人……?
振り向いて声をかける。
「あの……どうか、されましたか。私も、
一瞬だけ赫眼を見せた。
「ああ、わかっている。お前、どこから来た? 見ない顔だが」
二人とも、理奈よりも五つか六つ年上のようだ。縄張りを荒らされると思ったのだろうか。
「私は都外から来ました。今は友人の家に泊まっています。秋には戻る予定ですが」
ふむ、と相手は鼻を鳴らして理奈を見下ろした。
「……ちょっと来てくれ。一応、ボスに会っておいて欲しい」
「わかりました」
ここで事を荒立てる必要はない。トラブルになる前に、近辺の喰種と顔を合わせておいた方がいいだろう。
喰種二人は、薄暗い路地をどんどん進んでいく。
「……後、どれくらいですか。帰りはあの通りまで送っていただけるとありがたいのですけど」
理奈は腕時計を見ながら、困惑したように言った。
「もうすぐだ」
――後ろ上方から、小さな音が聞こえた。赫子の発現音。
振り向きざま、横に飛ぶ。羽赫の弾丸が、先程まで理奈がいた地点に突き刺さっていた。
――謀られた。
理奈は顔をしかめ、赫子を展開しようとする。――出ない。
――葵、今回の実験は失敗だ。
もう一人が繰り出した尾赫を腕で捌く。
「こいつは赫子を出せない! 早くやっちまえ。久しぶりの共喰いだ!」
――馬鹿にするな。
赫子を出せる点は確かに喰種としては優秀だろう。だが、扱いは未熟なものだ。
狭い路地では三人がかりを上手く活かせない。目の前の喰種は大ぶりの尾赫を持て余している。前の二人に近寄ってしまえば、羽赫の援護射撃は難しい。先程の射撃の精度はお粗末なものだった。
尾赫の喰種の攻撃を、腕や脚を総動員して捌き、かわす。
「おい、ジン、早くやれっ!」
苛立たし気な羽赫の喰種の声。繰り出される攻撃を器用に避けながら、理奈は間合いを詰めていく。甲赫の刃と違い、鱗赫や尾赫は叩きつけて使うことが多い。大振りな分、ある程度まで近づけば扱いにくいものだ。
腹を裂かれながらも、尾赫の間合いを突破。
「――――っ」
上から、羽赫が肩を貫いた。理奈はバランスを崩しながらも、同じく羽赫の突き刺さっている尾赫の喰種の肩を噛み切り、飲み込む。
――味方ごと撃つのか。
突き刺さった弾を引き抜きながら、理奈は思わず嫌悪感を表情に出した。尾赫の喰種のみぞおちを蹴り飛ばして後ろのもう一人ごと向かいの壁に叩きつけ、壁を蹴って羽赫喰種に接近する。
「マジかよっ」
見開いた眼に向けて、拳を繰り出す。羽赫の動きなら、千鶴との訓練で慣れている。目線と赫子の根本の動きで、回避は可能だ。
体をひねって放たれた弾を全てかわし、羽赫喰種を地面に叩きつける。
理奈も大きく間合いを取って地面に降りた。腹の傷を押さえながらも、軽い着地。
――もう、消化は出来たはずだ。
腰から使い慣れた鱗赫が三本飛び出る。こんなにも頼もしいものだったか。
血が服を生暖かく濡らしている。腹の傷は大きく、出血がなかなか止まらない。体調も万全ではないうえ、尾赫の攻撃は相性が悪い。しかし、葵の家を探られないためにも、ここでは殺さない程度に叩きのめす必要がある。
*
ガチャリ、と玄関が開く音がした。
「理奈? おかえり」
返事がない。代わりに戸が閉まる音、続いてどさりと重い何かが落ちるような音が聞こえた。
何かあったのかと、廊下を覗き込むと、理奈がドアに背を預けてうずくまっていた。
「……理、奈……?」
脇腹を手で押さえている。影になって見えにくい手は、赤黒く染まっていた。服の肩の部分も裂け、血にまみれている。
葵は息をのんで目を見開いた。――――一体、何があったのか。
葵が駆け寄ろうとすると、ゆっくりと理奈は顔を上げた。
――赫い眼が、葵を見据えた。
背中に衝撃を感じた。気付けば肩と顎に手をかけられて押し倒されていた。大きく開かれた口が、葵の首筋にかぶりつこうとする。咄嗟に左腕をねじ込んだ。
激痛がした。
腕の肉に歯が食い込む。
「――――っ!」
残った右腕で理奈の耳に親指を突きこむようにして掴み、思い切り引く。理奈は呻いた。引き付けた片足で、渾身の力を込めて理奈の腹を蹴った。
――肉が、裂ける。
硬い感触を伴って、理奈の体が離れた。人間を遥かに超える剛力を持つ喰種と言えど、理奈の体重は葵とさして変わらない。
葵は荒い息をつきながら、食いちぎられた左腕をかばうように抱いて距離を取った。上腕は生暖かくぬれている。身を起こした理奈の様子を、慎重に伺った。
理奈は呆然としたように動かなかい。肩で息をしながら、自分の手を見下ろしていた。
「……私……私は――――!」
理奈は顔を手で覆った。指に込められた力で、手の筋が浮いていた。指の間から愕然として見開かれた赫眼がのぞく。
「葵……ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい――――」
消え入りそうな声で、理奈は繰り返し謝罪の言葉を呟いた。
葵はそれを震えながら聞いていた。
「……大丈夫……大丈夫だから、理奈……落ち着いて……」
葵は自分の左腕を見下ろした。大きくえぐれ、どくどくと血が流れ出していた。右手で服の胸元を握りしめ、何度か深呼吸をする。荒い息が幾らかおさまった気がした。洗面所のタオルを腕に押し付け、心臓よりも高く上げる。
「肉……持ってくるから」
そう言って理奈に背を向けた。右腕だけを使って冷蔵庫から肉を取り出し、理奈に手渡した。理奈は無言で受け取ったが、そのまま膝の上に置き、強く、肉を握りしめた。
「葵……ごめん。……私、何て事を――――」
理奈はうつむいていて、表情は見えない。
「私は、大丈夫だから……ほら、食べて」
葵も理奈の側に座った。
理奈は黙って頷いた。歯を食いしばっているのだろうか、顎が強張っていた。歯の隙間から、震えた息の音がした。
「……いただき、ます」
理奈は緩慢な動きで肉を口に含んで、飲み下していった。肉を食いちぎり、噛む音がやけに大きく聞こえた。
「……ごちそうさまでした」
理奈は目をつむった。潤んだ赫眼から涙が落ちた。
「……外で、何があったの? …………白鳩?」
小さな声で問いかけると、理奈はかぶりを振った。。
「……喰種に、不覚を取っただけ……」
気付けば理奈は酷く怯えたような顔で葵の腕を凝視していた。その目は通常の目に戻っていた。
「……治療」
葵は自分の腕を見下ろした。
「――ねえ、理奈。理奈の赫子で、治療できないかな」
「人間にやったことがない。どうなるか、わからないよ」
理奈は震える口で言った。
「肉を食いちぎられてるから、病院に行っても、怪しまれる。丁度人の口と同じ大きさの傷、怪我人は詳しく語ろうとしない。――CCGに通報されたら危険なことになる」
「……わかった。やってみる」
強く押し付けていたタオルを慎重にはがし、洗面所で生理用食塩水を使って洗い流す。マウスの実験用に用意していたものだが、まさかこのような使い方をするとは思っていなかった。
理奈が傷口に赫子を伸ばす。露出した神経に触った瞬間、激痛が走って呻いた。歯を食いしばる。
「ごめん、葵。我慢してて」
傷口をRc細胞が覆っていく。処置が終わったとき、葵だけでなく理奈も脂汗をかいていた。最後の仕上げとして、救急箱から取り出した包帯を巻いた。
理奈の治療術をこんなところで使うことになるとは、何の因果だろうか。マウスで積んだ経験のおかげで、Rc細胞の適度な不活性化も出来るようになっていたのが、不幸中の幸いだった。
葵は左腕を抱え込んで、ベッドに倒れこんだ。
「……大丈夫だよ、もう出血はほとんどない。理奈は風呂に入って着替えて。ずっとその恰好いるつもり?」
心配そうにのぞき込む理奈に、葵は力なく笑った。
理奈が部屋を出たとたん、葵は自分の身を抱いて震え始めた。
――理奈は……私を。
喰おうとしていた。あの時、首筋に噛みつかれていたら、確実に死んでいただろう。腕の痛みが主張する。体がびくりと大きく震えた。
――急性Rc細胞欠乏症。
理由は分かっている。傷の治療に、体内にため込んだRc細胞が足りなかっただけだ。それに、理奈は蹴られてすぐに正気に戻った。——それでも、理奈が怖かった。
――喰種、なんだ。
理奈ならば何があっても自分を食べようとしないと思っていた。自分は、甘かった。理奈はあれほど、怪我をした自分に近づかないようにと言っていたのに。
そして、今も理奈に恐怖を覚えている自分が憎かった。
――私は、理奈の友達を名乗れない。
どこに友達を恐れる人など、いるのだろうか。
口では綺麗事を言い、リスクから目を逸らし、身の危険を感じれば怯える。
――何て、浅ましい。
口元が緩み、嘲笑が浮かんだ。窓の外から聞こえる喧噪が、遠く、白々しく聞こえた。
そのままずっと、眼を閉じていた。
水音が消えた。それなのに、理奈は部屋に入ってこない。
――何故、理奈は怪我をしたのだろう。
冷静になった頭に、ふと疑問が浮かんだ。
理奈は相当に強い喰種らしい。他の喰種をあまり知らないので断定はできないが、それなりの実力がなければ東京行きの許可は出なかっただろう。CCGのいる東京で生活している喰種が並みの喰種よりも遥かに手練れであるというなら納得もいくが、夜鷹の人たちはそれを承知なはずだ。その上で、許可が出たはずなのに。
運悪く、特別に強い喰種に絡まれたのだとしたら話は別だが……。
――もしかして、実験のせいだろうか。
実験による体調不良のせいで、理奈が本来の力を振るなかったのだとしたら。もしそうなら、その責任は自分にある。
そこまで考えて、肝が冷えた心地がした。
――私は、またしても理奈を殺しかけた。
しばらく時間がたって、ようやく理奈が部屋に入ってくる気配を感じた。葵は顔を背けたまま、出来るだけさりげなく声をかけた。
「……ねえ、傷。塞がった?」
「……ほとんどは」
見上げると理奈はこざっぱりとした格好をしていた。手に持った半透明のビニール袋の中に、赤い染みの付いた何かが入っているのが、透けて見えた。
「穴、開いちゃったから」
葵は理奈の視線の先を見て、ぽつりと言った。葵は、そう、と言った。言葉が続かない。
お互いに、無言だった。
「……私、帰るよ」
理奈の声が静寂を破った。
「もう、一緒にはいられない……ごめん」
理奈はうつむいたまま言った。葵の顔を見ようとしない。
理奈は自分の荷物をまとめ始めた。最後にゴミ袋を強引に詰め込んだ。葵は何も言えなかった。部屋を出る前に、葵に深く頭を下げた。
「……今まで、ありがとう」
思い出した。
前に、この言葉を言われたのは、’’あの日’’だ。
「——待ってよ」
自然と、声が出た。
「ちょっと怪我させられたからって友達を放り出すほど……私は、腐ってない」
理奈が足を止める気配を感じた。
「その腹の怪我、実験のせいじゃないの? 本調子、出せなかったんでしょ」
「……それは」
そう言って理奈は背を向けたまま沈黙した。違う、とは言わなかった。
「……いいよ、今日も泊まって」
「葵、私は……私は、葵を食おうとしたんだ」
身を絞るような声だった。
「怪我させたんだ、殺しかけたんだ。だから、もう……友達だなんて、言ってもらう資格はない」
理奈は振り向いた。赫眼が葵を見据えた。泣きそうなほどに顔を歪め、歯を食いしばりながら理奈は笑った。
「怖いでしょ? 化け物だもの、当然だ——もう、いいんだよ。
喰種なんかと関わらないで、平和に生きてよ」
「――いやだ」
葵は負けじと理奈を睨んだ。
「どうして――」
「私は、」
理奈に嘘はつきたくない。
「正直に言うと、怖かった。……今も、少し。けど、今回の事の責任の一端は私にもある。だから、私にだって、理奈を責める資格はないんだ。友達だなんて言う資格もないんだ」
葵は当てられたガーゼの上から、そっと傷を触った。
「喰種に怯えて、関係を断つのは楽だ。――だけど、理奈と別れる方がよほど嫌だ」
「でも、また今度同じことがあったら……私、今度こそ――」
「理奈は体調が良くなかったら、すぐに言って。危険な場所にも行かないで。私も、気をつけるから——それだけでも、未然に防げることは多いはずだよ」
理奈の赫眼を見つめる。初めて見た時と変わらない、鮮やかな赤色。
腕から流れた血の色と重なった。
「毒を喰らわば、皿まで——だっけ?
私は引き返すつもりはない。もし、申し訳ないと思っているのなら、理奈も最後まで付き合って」