彼女の瞳は血の色だった   作:レイ

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2 告白

 煌々と赤く光る眼が座り込んでいる葵を見下ろした。

「今まで……黙ってて、ごめん」

 心なしか、その声は震えているようだった。葵は呆然としてただ見上げていた。

「私、化け物なんだ」

 黒に囲まれた赤い瞳が、理奈が自分とは違う生き物であるという事実を突きつけていた。野生動物とも違う、異形の目。

「怪我……してない? 大丈夫?」

 理奈が一歩葵に近づくと、葵はびくりと身を竦ませた。伸ばしかけた理奈の手が、行き場を失って垂れ下がる。

「……出来れば、」

 理奈は迷うように目を逸らしながら言葉を続けた。

「CCGには言わないでおいてくれると、助かる」

 葵は理奈を凝視していた。体の震えが収まらない。麻痺した思考がただ一言『喰種』という言葉だけを繰り返す。

「家まで送る?……やっぱり、喰種なんかとは一緒にいたくないよね」

 理奈は葵の顔を見て、うつむいた。今、自分はどんな顔をしていたのだろうか。

「今まで、ありがとう」

 理奈の瞳がすうっと赤から黒に戻った。――ひどく悲しげな、友の顔があった。

 理奈はリュックを拾い、背を向けて歩いていく。小さな背だった。

――行ってしまう。

 もう、二度と会えないかもしれない。その思いが去来した瞬間、強張った喉からやっと声が出た。

「……まって」

 情けないほど、弱々しい。

「行かないで、理奈」

 今度こそ、ちゃんと声が出た。振り向いた理奈の目は、驚きで見開かれていた。まるで自分の耳を疑うかのように。

 体の感覚が戻ってくる。震えも、もうない。ゆっくりと立ち上がる。

「少し、話そう? 私、理奈の話、聞きたい」

 もう大丈夫だ。こんな顔をする人を、どうして化け物と呼べるだろうか。

「……いいの?」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな声だった。

「もちろん。友達、でしょ?」

 歩いて近づいていく。この人は、理奈だ。例え喰種であっても。

「さっきはありがとう、理奈」

 笑顔を作る。うまく笑えているだろうか。

 

     *

 

 学校から出てしばらく歩いてから、その『臭い』に気付いた。

――同族がいる。

 信号待ちで軽く振り向くと、数十メートル後ろをつけてきているのが分かった。

 理奈が喰種であるということには、気付いていないようだった。無理もない。これほど離れていれば、気付かない喰種も多いだろう。恐らく食料として狙っているのだ。自分か葵か、どちらを狙っているかはわからない。自分であったら楽なのに、と思った。

 喰種がそれと知らずに喰種を狙う。それも、恐らく外から移ってきて一人目の獲物に。幸か不幸かは分からないが、恐ろしい確率なのは間違いない。

 知らず知らずのうちに酷い顔をしていたのだろう、葵に指摘された時は焦った。そして、気付いた。――葵の帰宅経路は喰種の喰場としては格好のものだ。

 その喰種は距離を保ったまま、相変わらずついて来ていた。理奈も喰種であることに気づく様子はない。これはもう腹をくくるしかないだろう。まずは違和感がないよう、交差点を一度渡って葵と別れなければならない。そしてもう一度信号を待って、引き返し、話しかける。それで喰種が葵を襲うまでに間に合うかどうか。

 葵と別れてから苛々しながら赤信号を待ち、飛ぶように葵と喰種の後を追うと、丁度喰種が葵を蹴り飛ばしているのが見えた。人間より遥かに身体能力が高いはずの自分の体が重く感じた。間に合わないかもしれない、と恐怖した。振りかぶった拳を葵に振るう前に、どうにか喰種を蹴り飛ばす。

――生きている。

 耳をすませば葵の心臓の音が聞こえた。うずくまっている葵を見下ろしていると、もう一つの思いが浮かんできた。

――終わったな。

 不自然でもいい、わざわざ信号など渡らずにいたら。例えば近所に用事がある、とでも言って早々に別れてから見張っていたら――。

 幸いにも、その喰種は話の分かる人だった。その事に安堵しつつ、絶望しながら葵を振り返った。もう、葵とはいられない。

 近づけば、怯えたように身を竦ませた。自分を見る目には、恐怖しかなかった。

――殺すべきか。

 家族の命と天秤にかければ、家族の方に傾くのは当然の事だった。だが、友人を手にかけることはどうしても出来なかった。

 親に話して、田舎の祖父母の所にでも行こう。そう考えつつ去ろうとした時、声がかけられた。

 初めの声は、気のせいかと思った。自分の願望が作った幻聴だと。しかし、二度目の声ははっきりと聞こえた。さらに葵は自分の足で理奈に近づいてきた。

 

『さっきはありがとう、理奈』

 

 私は喰種だというのに。

 

     *

 

「理奈、怪我してる」

 切り裂かれたワイシャツの左腕は、血で染まっていた。葵が理奈の腕をつかみ、袖をめくると、痛々しい傷が露になった。肉がざっくりと、半ば抉れるようにして裂けている。

「救急車……呼んだら、まずいよね」

 そう言って葵は青ざめた。自分は、病院に行くことすら憚られる友人に、怪我をさせてしまった。その事実に慄いた。

「どう……しよう」

「大丈夫」

 腕をつかんだまま固まっている葵の手を慎重にほどきながら理奈は言った。

「喰種の体は頑丈なんだよ。ちゃんと食事さえとっていれば、これくらいの傷はすぐに塞がるの。ほら、見て」

 言われてからよく見れば、出血したあとはあるものの、確かに血は止まっている上、新たな肉が盛り上がって傷を塞ごうとしていた。

「……すごい」

「私がリンカクの喰種だから再生が速いってのもあるけどね」

 葵は初めて聞く単語に首を傾げた。

「リンカク?」

「えーっと、カグネの種類の事。カグネってのは、さっき私が腰あたりから出してた奴とか、さっきの喰種が肩から出していたものの事」

「尻尾みたいなあれの事? 三本あったよね」

「それそれ。あー、でももっと尻尾みたいな種類のもあって、それは尾てい骨あたりから出てくるよ。それがビカク。私のはリンカクで、『鱗』に赤二つを横に並べた文字。カグネの『カグ』もこの字で、『ネ』は子供の子」

 理奈は手のひらに漢字を書いて見せた。

「この鱗赫を持っている喰種は、再生力が他の喰種より高いんだって」

 話している間にも傷が塞がっていくのが見て取れた。

「むしろ葵の方が心配。骨とか、折れてない?」

 葵は改めて自分の体を見下ろした。確かに痛みはあるが、ひいてきている。自分の腕をまくって見ると、塀に衝突したときにできたのだろう、擦れたような傷があったが、血は出ておらず、骨に異常もなさそうだった。蹴られたところや塀に直接ぶつかったところを軽く指で押してみるが、所々青あざを押すような痛みがするだけだった。

「骨を折った事はないから分からないけど、多分大丈夫」

「そうなの? 良かった。……人の体って、壊れやすそうで、怖くて」

 肉が裂けるほどの傷を負いながら、自分の身よりも葵を心配する様子で、その言葉が本心なのだと分かった。

「腕だって血も出てないし、心配しすぎだよ。さすがに理奈ほど丈夫ってわけじゃないけど、豆腐ほど脆いわけでもないから。むしろ、もっと自分のことを心配してよ」

 葵がそう言うと、理奈は驚いたような顔をした。

「さっき言った通り、とりあえず話を聞きたいんだけど、電車の時間は大丈夫?」

 理奈は腕時計をちらりと見た。

「次の電車まで三十分くらいかな」

「……ここだと家があるし、静かすぎて話しにくいから、向こうの公園にでも行かない?大きいし、人は入ってこないと思う」

 理奈に自分を襲う気はないようだと分かれば、たとえ喰種だとしても、二人きりになるのにほとんど恐怖は無かった。

 理奈は数秒だけ逡巡してから頷いた。

「こっちだよ」

 葵に連れられて、理奈も歩き出した。お互いに無言だったが、かける言葉が見つからなかった。

 ほどなくして目的の公園についた。明かりはまばらで足元はよく見えない。申し訳程度についている外灯が下から照らす木々は作り物めいて見えた。陸上の競技場など、市が管理している施設が幾つかあるが、どれも無人だった。

「人……いない、よね?」

 風の音と虫の声の他は何も聞こえない。不気味なほど静かだった。葵が周囲を見渡してから恐る恐るベンチに座ると、理奈も隣に腰かけた。

「うん、いないよ。人の音はしない」

「喰種って、耳も良いの?」

「そうだよ。個人差が大きいみたいだけど」

 葵はそうなんだ、と相槌を打ちつつ、聞かなければいけないのはそれではないと思い直した。

「……本題、なんだけど」

 歯切れ悪く切り出した葵の様子に、理奈も察したのだろう。無言で先を促した。

「まずは、食事について。……その、人間の肉しか食べられないってのは、本当?」

 理奈は葵の目を見ながら、頷いた。

「厳密に言うと、肉の他に水とコーヒーだけは飲めるけど、それでは栄養が取れないから」

「そっか……」

 葵はうなだれた。

「この周辺では――というより、県内では喰種殺人なんて聞いたことがないけど、調達はどうしてるの? 行方不明者……とか?」

 握りしめた拳が震えた。風が周囲にそびえる黒々とした木々をざわめかせた。聞いてしまったら、もう、後戻りはできない――。

「――私は殺人をしたことはないよ」

 葵は弾かれたように顔をあげて理奈を見つめた。

「ここ周辺の喰種は大きな組織を作っているんだ。その構成員の一部が、殺人を避けて調達して、配ってるの。例えば、火葬場を経営している人とか。自殺者の死体を集めている人もいるよ」

「……そうなんだ」

「ごめんね。気分悪いよね」

「大丈夫。むしろ思ったより穏便で、ほっとした。理奈が殺人者だなんて、信じられなくて……」

 葵は気まずそうに頭を掻いた。

「実際、殺しはしてないし。殺しているように見える?」

 理奈はにやりと笑って自分の目を変異させた。赤い瞳が理奈を見据えた。

「こんな見た目じゃ仕方がないかな」

 その言葉は自嘲じみた響きを帯びていた。

「確かに人とは違うけど、その目、綺麗な色だと思うよ」

「……ありがとう」

 理奈は驚いたように目を見開いてから、照れたように笑った。その顔を見ながら、ふと思いつくことがあり、葵は眉をひそめた。

「――昼食。毎日一緒に食べてたよね? あれは人肉を加工したものなの?」

「違うよ。肉を食べると、この目が意識とは関係なく出ちゃうから、ばれるし」

「さすがにそうか。そもそも、肉をパンに加工する超技術なんて聞いたこともないし。

つまり、いくら人肉以外の食べ物を食べても、消化吸収ができないってこと?」

「うん。大体、そんな感じかな」

 理奈は目を逸らした。

「喰種はね、人間の食べ物を消化すると、体調を崩すんだ。人肉以外は、体が受け付けなくて。だから今までも、消化する前に全部吐いてた」

「だから、食後にいつも教室を出てたんだ」

「うん。物理室前のトイレはほとんど使われてないから、そこで。……もったいないとは思っているけど」

「仕方ないよ。食べないと怪しまれるし」

「そうなんだよね」

 理奈は苦笑した。

「もっと言うと、味覚も人間とは違うみたいでね。普通の人間の食べ物を食べると、吐きそうになる」

「え、そうなの? 全然気づかなかった」

 いつも理奈と話しながら昼食をとっていたが、違和感などを持ったことはなかった。

「あれは努力の成果だよ。私、そこだけなら女優並みだよ」

 理奈は少しだけ得意げに言った。

「喰種は、さっき言ったコーヒーだけ、美味しく飲めるんだ。ブラックだけだけどね」

「だからいつも缶コーヒーなんだ」

 前々から極度のコーヒー好きだとは思っていたが、それを聞いて合点がいった。

「そうだ、背中見せてよ」

「なんで?」

「赫子……だっけ、あんなものを生やして、シャツは大丈夫なの?」

「あっ」

 理奈はリュックを降ろし、葵に背を見せた。

「どう?」

 暗くて見えにくいが、ぼんやりと白く浮かび上がるシャツが破れているのはわかった。

「破れてる」

 理奈はしまった、とでも言うように頭を抱えた。葵は少し考えた後、自分の手提げからカーディガンを取り出した。

「貸すよ。背中の方はリュックで隠せるかもしれないけど、腕の方は電車で目立つだろうから」

「そうだ、腕もだった……。いいの? ありがとう」

 そう言って受け取る理奈は、今までと全く変わらなかった。

 その事に安堵しながら理奈の顔を見ていると、不意に先程の光景が脳裏をよぎった。蹴られた感覚。振りかぶられた拳。睨みつけてくる赤い目。背中から生えていた剣——。

 冷えた手で心臓を鷲掴みにされたような気がした。

「――理奈がいなかったら、私、死んでた」

 恐怖がぶり返してきた。奥歯がカタカタと音を立てた。

「葵……」

 心配そうな理奈の声がした。葵は理奈の腕にすがるように掴んだ。そのまま何度か深呼吸をする。

「……大丈夫」

 葵は小さく言った。黙ってじっとしていると、発作のような恐怖は徐々にひいていった。葵は大きく息をついて、顔を上げた。

「ごめんね。恥ずかしいな、私。

 ……本当に、ありがとう」

「……うん」

「誰にも言わないと約束する。理奈は命の恩人だよ。——そもそも、話を聞く限りでは言う理由も無いからね。

理奈はこれからも学校に来れる?」

「葵だけにしかばれてないから、多分」

 葵はほっとしたように笑った。

「良かった。私に出来ることなら何でも協力するから、これからは何かあったら言って。それに、喰種の事をもっと教えて欲しい」

 




本格的に原作キャラが出せるのは、上京してしばらくしてからになります。
書きだめは半分以上あります。もしも読者の方が一人でもいらっしゃるなら、誠意をもって完結まで書かせていただくつもりです。
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