彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
「おはよう、理奈」
今日は文化祭一日目だ。クラスの皆からは、興奮と緊張が感じられた。
「おはよう、葵。……ちょっと、話したいことがあるんだけど」
理奈は落ち着かなげな様子で、葵に話しかけた。しかし、その様子の理由は、他の人とは少し違うようだった。葵は軽く頷いて、理奈とそっと教室から出た。
「……今日、私の家族が来るって」
理奈は少し迷ってから切り出した。理奈の家族に何か問題でもあるのだろうか。理奈と同じ穏健派のはずである。
「それがどうしたの?」
「その……まだ、葵にばれたって事を話してなくて。だから、気付かれないように気を付けて欲しい。口を滑らせないようにね。挙動不審な態度もしないで」
理奈は柄にもなく慌てたように言いつのった。
「そんな事? 大丈夫だよ」
「まあ、平気だろうけど。……ばれたらどうなるか分からないから、慎重にね」
理奈が心配そうに言うので、やっと葵にも事の重さが理解できた。――確かに、自分は喰種からすれば正体を知られている危険人物だ。
「わかった」
せわしなく目線を変える理奈を安心させるように、葵は理奈の肩を叩いた。
「ちゃんと気を付けるよ。シフトも同じだし、お化け屋敷だから会っても中で会話することにはならないだろうから、大丈夫。ほら、教室に戻って準備しなきゃ」
「……そうだね」
理奈は葵に促されて、教室へ戻った。
葵と理奈のシフトは、一日目の午前だった。9月は秋とは言え、夏が終わったばかりだ。その上、教室の中の窓は締め切っていて、中ではお化けに扮して衣装を着るものだから、蒸し焼きにされそうな暑さだった。
「疲れたぁ……」
ハンカチで汗を拭きながら理奈はため息をついた。クラスの出し物が好評なのはいいが、休む間もないのは喰種も堪えるらしい。
「同じく」
葵は理奈と違い、仮面ではなく化粧でのお化け役をしていたので、念入りに顔を洗っていた。
「……どう? 落ちてる?」
「うん」
「凄い人気だったね。お客さん、途切れなかったし」
「まあ、お化け屋敷だからね。後、回転が悪いからってのもあるかも」
理奈は自分のクラスの前の行列を眺めた。教室の中からは時折悲鳴が聞こえた。
「……家族、来てた?」
「来てたよ。11時半ぐらいだったかな」
「そうなの? 気付かなかった」
仕事中は、特に違和感のある客は見かけなかった。
「気付かれるようなへまはしないよ。それに、暗くて顔も見えなかったでしょ」
理奈は事も無げに言った。
「今日はむしろ葵とは別行動の方が安全かな……」
理奈は思案するようにうつむいた。
「少し会話するくらいなら大丈夫だよ。私は、理奈と一緒に回りたい」
「……そう言ってくれるのは、嬉しいけど。まあ、そんなに神経質にならなくてもいいのかな」
朝は気にしすぎだったかも、と理奈は笑った。
「それなら、どこから行こうか——ああ、そうだ。葵、お腹空いているでしょ?」
「……お恥ずかしながら」
理奈は食べられないのに、気が利きすぎて申し訳なくなる。
「……そうだね、PTAのフランクフルトならあまり並ばなくても食べられるかな」
葵は去年の事を思い出しながら、言った。三年生の模擬店は、屋台が少ないので待ち時間が長い。フランクフルトなら他のクラスの出し物の待ち時間に食べられるので、理奈と回る上でも迷惑にならないだろう。
「それなら、A、B棟間だね」
理奈はパンフレットを広げて葵に見せた。
「あ、姉ちゃんだ」
部活の後輩の所にちょっかいをかけに行こうと、一年生の出し物の一つに並んでいると、不意に声をかけられた声に理奈が振り向いた。もしかして、と思いつつ、葵も振り向く。
「妹の、千鶴。中学生三年生」
理奈が紹介した。見れば、理奈とよく似ている。その隣には中年の女性がいた。恐らく、理奈の母親だろう。
「お母さん、この人が友達の葵だよ」
理奈の言葉にどきりとする。しかし、この場で紹介しないのは不自然だろう。
「葵です。理奈には、いつもお世話になってます」
「いえいえ。むしろ、理奈こそ、迷惑をかけてないかしら」
「お母さん」
理奈がむっとしたように言った。
「はいはい。葵さん、理奈を宜しくね」
理奈は諦めたようにそっぽを向いた。喰種家族などと想像して気後れしていたが、話してみれば何のことはない、普通の母親だった。
「そうそう、姉ちゃんはぼんやりしてるからね」
からかうように千鶴も言った。
「もう、千鶴まで」
理奈は眉間にしわを寄せ、疲れたような声を出した。
「じゃあ、私たちはあっちの二年三組のアトラクションを見てくるからね。そうそう、お化け屋敷、なかなかクオリティが高くてびっくりしたわ」
「ちゃんとうちのクラスに投票しといてよね」
「わかってるわよ」
理奈の母と妹は廊下の人ごみに紛れていった。
「……普通じゃん」
葵は言った。拍子抜けした。本当に、気後れしていたのが馬鹿らしい。
「私が普通じゃないとでも?」
理奈はからかうように言った。
「そういう意味じゃないけど、さ」
普通は、『そう』見えない事が恐ろしいのだろうな、とふと思った。
そのまま文化祭は何も問題が起こらないまま終わった。軽く内装の補修をして、下校する。
「やっぱり、ばれたの、初めてなの?」
朝の理奈の慌てようと、理奈や家族の普通さから、よほどのことがない限りばれることはなさそうだと思い、葵はそう尋ねてみた。
「それは……明確に、ってのは初めてかな」
「どういうこと?」
「……近所の何人かに、勘付かれてそうなんだよね。多分、ゴミ出しとか、買い物とかからだと思うけど。例えば隣の家の人なんて、去年、旅行に行って来た時のお土産に、私の家にだけ食べ物じゃなくて置物を渡してくれたし」
理奈は車道を見ながら言った。帰宅ラッシュだろうか。多くの車が走り抜けていく。
「それは……限りなく黒、だね」
「そうなんだけど、お互い何もはっきりとは言ってないし。だから私達も何もしてなかったんだ。だけど、葵みたいな事は初めてで――家族に言えなくて。言うのは、せめてもう少し時間がたってからにしたい」
世間のイメージからはかけ離れた温厚さである。喰種全体がこうではないだろうが、もしかしたら、理奈と同じ『組織』の喰種達もこのような感じなのかもしれない。そのことが嬉しかった。
「そっか。でも、話を聞く限りじゃ、大丈夫そうだね。――そんなに緊張する必要なかったかな」
「怖がらせてごめん」
「それは、いいけど。まあ、理奈の家族に話す時は、私にも先に言っておいてね」
「それは、もちろん」
喰種との共存は、案外うまくいくものなのかもしれない。
*
「いただきます」
今日は二週間ぶりの食事だった。手を合わせ、黙祷を捧げた。
目の前にあるのは、血抜きして保存された肉塊。町中の食材の匂いを拒否する鼻が、これからだけは香ばしい匂いを感じとる。それが忌まわしい。
口に含めば、旨味をを感じた。体内のRc細胞管が活性化し、瞳に熱を感じた。人間のように調理していない、ただの肉塊こそを、自分の舌と胃袋は適切な食事として歓迎する。
自分は、知っている。この肉は、自分と同じ見た目で、同じように思考する生き物の肉だ。共食いのような事を繰り返している事に嫌気がさす。人間は、ほぼ同族と言っていい種族だ。親友の葵。笑いあう級友。授業をする先生。優しい隣人達。——私は、同族として、接したいのに。
それでも手と口は、食事を着々と体内に収め続けた。
『反社会的な食性』――本当に、その通りだ。
葵は、知っているのだろうか。喰種擁護は、重罪だと。