彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
十一月になると、もう夏の名残はすっかりと姿を消していた。制服は衣替えをし、ジャケットの下にセーターやカーディガンを着用している人も多い。
「今日は特に寒いね」
部活が終わるころにはもう日が暮れている。
「そろそろ手袋も欲しいな」
理奈は手をさすりながら言った。
「あれからもう二か月かぁ……」
理奈は感慨深げに呟いた後、押し黙った。
二か月。もう、それほどたったのか。もう、理奈が喰種であるということに慣れて、それに関する話題も、お互いに変に気を使うことなく、気軽にできるようになっていた。だが、取り急ぎ喰種に関して聞きたいこともとりあえずは尽きていたので、最近はあまり話に上ることはなかった。
葵は話しかけようとして、理奈の顔を見て口をつぐんだ。
「……一つ、聞きたいんだけど」
理奈が覚悟を決めたように口を開いた。
「喰種擁護に関する法律、知ってる?」
――ああ、そうか。
理奈は、自分がリスクを知らないから今のように接しているのではないかと、恐れているんだ。
「もちろん。ちゃんと、“あの日“の夜に調べたから」
「えっ……そんなに、前に……?」
理奈は拍子抜けたようだった。
「そっか……よかった」
ふう、と息を吐いて笑った。
「――そろそろ、親にも打ち明けようと思うんだ。二か月の間にCCGが動いてないことも分かってるし、それだけじゃなくて、葵は私のために行動すらしてくれたし……だから、信用してもらえると思う。
だから、言ってもいいかな……?」
「いいよ。理奈がそう思うのなら」
「ありがとう」
理奈は晴れやかに笑った。冷たい風が思い出したかのように吹いて、木の葉を揺らした。
葵が自室で宿題をしていると、くぐもったバイブ音が通学用のリュックの中から聞こえた。携帯を開くと、理奈からメールが届いていた。
『今週末、私の家に来れる? 親が、会ってみたいと言っています。会うのは母親だけで、私も一緒にいるから、危険な事にはならないと思う』
葵は唸った。話を聞く限り、急に殺されるようなことにはならないだろうが、どうしたものか。理奈は親に逆らってでも、自分を助けてくれるだろうか……。
カレンダーを見る。今日は水曜日だ。少し悩んだ挙句、返信をした。
『行けると思う。明日、打ち明けた時の様子を教えて』
「昨日のメールの事だけど……」
葵が話しかけると、理奈はうん、と落ち着いて答えた。
「まずは、驚かれて、怒られた。なんでその日のうちに言わなかったのって」
「まあ、そうなるよね」
「でも、葵が私のために喰種について調べたりしてくれているって言ったら、興味を持ったみたいで、話してみたいって」
「……物騒な事にはならないよね?」
「今の所は、ならなそう。何かあったら、私が葵を逃がすよ」
理奈は前を見たまま、言った。強い目つきだった。
「……ありがとう。行くよ、理奈の家」
今更、理奈に命を預けることに躊躇するほうが馬鹿らしいだろう。
乗り換え二回で、学校最寄りの駅から約40分。電車に揺られながら、秋めいた山々を眺める。電車通学は大変だ。理奈は毎日こうして通っていたのか。
やっと駅に着くと、改札の前に理奈がいた。
「迷わなかった? いつも電車使わないでしょ」
「馬鹿にしないでよ。通学に使わないだけだから」
理奈の家のある町は山に囲まれていた。道は起伏が激しい。駅よりも高地にある理奈の家に着くまでに、葵の息は乱れていた。
「もうすぐだよ。ほら、あの青い屋根の」
理奈の指さす先を見れば、二階建ての家が見えた。目的地を見て足に力が戻ったが、その中にいるだろう理奈の母親を連想して気が重くなった。
思った通り、近づいてみても、見た目は普通の家だった。葵は、『宮野』と洒落た字体で書かれた表札を見た。理奈がドアを開けると、軽やかなドアベルの音が響いた。
「ただいま、母さん」
理奈が声をかけると、廊下から母親が出てきた。
「早かったわね、理奈。そちらが高瀬葵さん? さ、上がってください」
「……失礼します」
恐る恐るといった体で靴を脱いで家に上がる。他人の家の匂いは違うものだが、別段異臭などは感じない。リビングに案内されると、窓からは明るい日差しが入っていて、居心地の好さそうな空間が広がっていた。
「コーヒーは飲める?」
「はい」
「ミルクとお砂糖は?」
「ブラックで、お願いします」
用意していたのだろう、キッチンからすぐに湯気の立つコーヒーカップを持って出てきた。盆から取り上げて一つずつ各々の前に置いた。
「ありがとうございます。……いただきます」
温かなカップを持ち上げ、一口飲む。苦味は気にならないので飲むときは大抵ブラックだが、正直、飲むこと自体は少ないので味についてはよくわからない。だが、良い匂いだ。緊張していたが、少しだけ落ち着いた。
「……美味しいです」
息をつき、ぎこちなく笑った。
「ありがとう」
理奈の母は上品にほほ笑んだ。それから、口元を引き締める。
「話は理奈から聞いているのよね?」
「はい」
カップを置き、背筋を伸ばす。さて、何を聞かれるか。
「まずは――何故、CCGに通報をしないのですか?」
「理奈は命の恩人ですから。裏切るようなことはしません。
それに、その必要を感じませんでした。理奈から聞く限りでは、人間に実害のあるようなことはしていない、と」
「嘘だとは思わなかったの?」
「……さすがにそこまで頭が回らなかった、としか。
まあ、少なくとも私は理奈の事を友人だと思って、信頼していたので」
葵は軽く身じろぎをし、言葉を続ける。
「そもそも、正体を知っているとばれた人間に選択肢などないと思うんです。
CCGに通報しなければならないような、人間にとって危険な喰種なら、その場で私を殺しているはずです。見逃したのなら――その喰種に人間と敵対する意思はないと判断するのが妥当かと」
「……それもそうね」
理奈の母は納得したように頷いた。理奈は黙ったままだ。
「――喰種の事は、どう思っているのかしら」
「……どう、とは」
「怖くはないの?」
「……面識のない喰種なら、恐怖を感じたと思います。今も、本音を言えば、出来る限り会うのは避けたいです」
理奈の母は静かな目で葵を見つめた。葵は膝の上の拳を握った。
「でも、理奈は友達です。危険を顧みず、私の命を救ってさえくれました。今更、理奈に怯える事こそ馬鹿らしいと思います。
それに、今では喰種にも話が通じることも、わかっています」
「……でも、何を言おうと、結局喰種は人間の天敵だわ」
「……否定はしません」
葵はテーブルに視線を落とした。
「理奈から、喰種について調べていると聞いたの。私達の食事の代用品を作りたいと考えていると聞いたわ。何故、そこまでしようと思ったの? 私達は人間の敵なのに」
葵は、長く息を吐いた。少し、思案する。浮かび上がってくる言葉に、まとまりはなかった。
「どこから話せばいいでしょうか……。
そうですね、まず、恩人である理奈に恩を返したいと思ったのが、一番の動機です」
葵は理奈をちらりと見やった。
「天敵、とおっしゃいましたが……それは、根本的には、食事に関してのみですよね」
ええ、と理奈の母は頷いた。
「食事さえ解決してしまえば、私達は共存できると思いました。もしも作れたなら、わざわざリスクを冒してまで人間を狩ろうとする喰種は減るのではないかと思います。
また、その……気を悪くされたら申し訳ないのですが……」
理奈の母の顔を伺うと、続けて、と促された。
「もしも人類が喰種を殲滅しようとしたら、出来たとしても、膨大な犠牲が出るでしょう。なので、この方法の方が、人間側にも受け入れられやすいと考えています」
「……そう、ね」
その声はどこか冷たく聞こえた。気にしないように、ゆっくりと話し続ける。
「もう一つは――私の道徳に関する価値観ですかね。これは、人に押し付けるようなものではありませんが……。
私は、道徳によって守られるべきは――理想としては全ての生物でしょうが、まず優先されるべきは、道徳を守る存在だと考えています」
右手で左手を軽く握った。手汗で湿っている。一度深呼吸をすると、卓上からほのかにコーヒーの香りがした。
「そもそも、善悪や道徳とは、人間が群れとしての秩序を保つために生まれたものです。つまり、その対象は本来同族のみとなりますが……その同族として受け入れるべきは、道徳を守る存在なのではないかと。
例えば、連続殺人犯がいたとします。――喰種ではなく、人間の、です。しかし、私は、その人を道徳によって守ろうとは思えません。そのような人の人権を叫ぶよりは、私は――人類との共存を望んでいる方に限りますが――喰種の権利を掲げたいです」
理奈の母は、黙って聞いている。理奈も神妙な様子だった。
「所詮、善悪なんてものは、多くの人類にとって都合が悪い行動かどうかなんでしょう。
そうすると、確かに、人を殺して食べるのは悪です。――人間にとっては。
しかし、あなた方は、それを出来るだけ避けようとしています。そのような人を迫害するのは理不尽な事です。少なくとも、私の道にもとります」
葵は口を閉じた。まとまりはないかもしれない。しかし、言いたいことは、言った。不思議と満足感があった。
「そう……」
理奈の母は目を閉じた。
「ありがとう、話してくれて。ええ……私はあなたの事を信用するわ。私の娘に、人を見る目があるようで良かった」
理奈はほっとしたような顔をした後、自分の母を軽く睨んだ。
「どこまで聞いているかは知らないけど……近所の人とは、面と向かってこんな話は出来ないから、人間がどう思っているか分からなかったの」
「いえ、あの……私のを、標準と考えられると困るのですが」
「わかっているわ。それでも、聞けて良かった。ありがとう」
頭を下げられ。葵はまごついた。
「ええっと……こちらこそ」
慌てて葵も頭を下げた。小さく息をつく。
「あの、一つ……私からも、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
やわらかい声だった。
「あなたは、人間についてどう思われますか」
理奈の母は思案しながら、ゆっくりと話しだした。
「そうね……私は、隣人として好きよ。そう、良き隣人と思っているわ。
道端で話したり、手芸サークルとかを一緒に開いたり……食べなくてはならないのが、申し訳ない」
理奈の母は、窓の外を見た。色づいた山が、燃えているようにも見えた。
「少なくとも、人間が家畜などに対して感じるものとは違うと思うわ。これは、私達の組織――『夜鷹』共通のものと考えてもらっていいと思う。もしも食べずにすむなら、そうしたい。良き隣人として、その輪に混ざれたなら、幸せでしょう」
葵を見て、ふっとほほ笑んだ。
「……こんなもので、いいかしら」