そして昼間、街道沿いの草原を数人で歩いているときだった。
瞬間、ラキュースは見た。道の先に数人の人影が現れ、整然と並ぶと同時に、ニグンたちが恭しく頭を垂れた。砂埃が立ち上り、淡い光がその鎧に反射して一瞬目を細める。
――恐らく、あれが法国の切り札。英雄級の戦士のみで編成された漆黒聖典なのだろう。そう直感する。空気が張り詰め、肌に刺すような圧力を感じた。しかしいるのは一人の男に三人の女性だった。
その中から、一際存在感のある男が一歩前へ進み出た。あれが隊長なのだろう。恐らく私より数段は強い。もしかしたら、イビルアイよりも強いかもしれない。他の女性たちも私より強い気がする。さすがに圧倒的に上回っている感じまではしないが……。彼の動作はゆったりとしているが、隙は一切ない。彼がこちらに向かって深く頭を下げ、そしてニグンに向かい落ち着いた声で言った。
「ご苦労。ここからは自分が引き継ぐ」
その言葉と同時だった。背筋が粟立つような殺気が走った。
「ラキュース! 私の後ろに!!」
鋭い声と共に、たっち・みー様が私の腕を掴み、ぐいと自分の後ろに引き寄せる。視界が揺れ、心臓が跳ねる。恐る恐る視線だけを先ほどの方向へ向けてみると。
光が五条、矢のように一直線に迫ってくるのが見えた。
甲高い音と火花が散り、矢は全て霧散した。地面に落ちた残滓が白い煙を上げる。魔法の衝撃で土埃が舞い、頬に冷たい粒が当たる。ラキュースは思わず息を呑んだ。
なぜ、私たちに攻撃を仕掛けるというのか。混乱と恐怖、そして隣に立つたっち・みー様への信頼が胸に広がる。あの広い背中が今だけは盾だと、全身で実感する。
「無限魔力!? お前、ぷれいやー様に何をしている!? 血迷ったか!?」
先頭の男の怒声が響き、空気が震えた。彼の背後にいた女の一人が顔を歪め、肩を震わせながら答える。
「す、すみません隊長! でも……やれって言われたんです!!」
「誰がそんな命令を――」
男の言葉は途中で途切れた。ぞくりとするような冷気が辺りを覆い、影が落ちる。
「――私だよ」
ゆっくりと前へ出てきたのは、一人の女。月のように白と黒の髪が陽光を反射して輝く。目を合わせた瞬間、全身が強張る。彼女から放たれる気配は、たっち・みー様と拮抗するほどのもの。殺気が解き放たれ、辺りの空気が重く沈む。喉が渇き、息を吸うのも苦しい。
ラキュースは自分の心臓が早鐘を打つのをはっきりと感じた。恐怖で足がすくみそうになる。それでも――背後に守られているのなら、逃げてはならない。アダマンタイト級冒険者としての矜持が、かろうじて膝を支えていた。前にいるたっち・みー様の体温が、唯一の現実感だった。もし彼がいなければ、きっと自分は立っていられなかっただろう。
☆ ☆ ☆
笑った。心から笑った。自分が本気を出して戦える相手だ。
いや自分の感情が分からない。何故、自分はこの人に対して攻撃的になっているのだろうか……。
分からないが、そのままでいいだろう。私より強い人だから死ぬことはない。何しろ私や母と違い本物のぷれいやーなのだから。
血を受け継いだわけではない。そんな不確かなものではない。ぷれいやー本人なのだ。この程度で死ぬはずがない。
「あなたは……法国の切札でしょうか?」
「正解、さすがぷれいやー様」
「ご挨拶ですね? それで何の真似です?」
「いやー私にも何でかわからないんだよね。ただあなたの事は、監視の魔法で見させてもらったんだけど、なんだかむかついちゃってね。殺すつもりはないけど」
そもそもぷれいやーを私が殺せるのかどうかわからないが……。構わない。今はこの感情に従おう。
「手加減してくださいね、ぷれいやー様」
「番外席次、いったい何を!?」
「何って? 手合わせだよ」
そう言って六大神様の武器を構えた。そしてカロンの導きを首を落とすように振り回すが、盾で剣でいなされる。反撃はない。あちらは本気で戦うつもりはないようだ。
なら本気にさせてやる。
――ふと思う。母はどういうつもりで私に武器の鍛錬をしていたのだろうかと。私が憎かったのだろうか。無理やり孕まらせられた子どもだから憎かったのだろうか……。胸がずきんと痛んだ。
私の一撃一撃が、いなされはじかれ……一度も反撃がない。見下しているのか? カロンの導きの切り札を使うかとも一瞬考えるが最後の理性がさすがにそれはまずいと言っている。
彼の周りには子どもたちが平和そうに笑っていた。番外席次は彼の人柄を知るために神官長たちに頼んで暫くの間、彼を監視させてもらっていたのだ。
子どもたちが笑っているのが心から妬ましかった。妬ましい。嫉妬しているのだろうか。ああそうだ。私は嫉妬している。
胸の奥で、心臓が焼けるように熱い。喉がひゅうひゅうと鳴る。足元が揺らぐような感覚のまま、番外席次は武器を握り直した。柄を握る手は汗で滑り、軋む音が耳に届く。
何で。何で。何で。何で。何で。何で。何で。何で。何で!!
次の瞬間、叫びとともに一閃。火花が散った。鋼と鋼がぶつかる甲高い音が耳をつんざき、衝撃で手のひらがじんじんと痺れる。腕にまで振動が走る。まるで自分の怒りが刃に乗って世界を叩き割ろうとしているかのようだった。
「あなたはさ。優しいよね。子どもたちを助けて世界を救ってさ……ならさ、何で母を、私を助けてくれなかった!!」
渾身の一撃。だが、たっち・みーは軽く身を捻っていなす。刃が空を切る音が耳を裂く。地面に残るのは抉れた土と焦げた匂い。
「私は母にこれとしか呼んでもらえなかった! 名前すら呼んでもらえなかった! なのに何で母を……私を助けてくれなかったの!」
再び踏み込み、力任せに振るう。衝撃で空気が震え、地面に亀裂が走る。足元の土が跳ね上がり、粉塵が舞う。胸が焼け付くほど苦しい。涙が滲んで前が見えない。
「毎日毎日、死にかけるまで訓練をされて、止めてって言っても止めてくれなくて、地面にたたきつけられて!」
武器を叩き付けるたび、火花が散る。手の皮が裂け、血が柄ににじむ。痺れた指先が震え、武器を落としそうになる。それでも止まらない。止まれない。怒りと悲しみが、今や自分を動かす唯一の燃料だった。
「母は犯されて私を産んだ! だから私を疎ましく思ってもしょうがないのかもしれない……でも、あなたがいたら私を救ってくれたでしょう? 王国を救ったみたいに、子どもたちを救ったみたいに、エルフの三人娘を救ったみたいに! 何で私を救ってくれなかったの!!」
狂ったように振るう。肩から背中へ、骨が軋み筋肉が悲鳴を上げる。しかし刃は止まらない。その一撃一撃は必殺だ。体が覚えている殺しの動作が、怒りのままに解き放たれる。
だがそのことごとくをはじかれる。たっち・みーの動きは流れる水のようで、無駄がない。防がれるたび、番外席次の胸が締め付けられる。私は本気で戦っているのに、全ていなされる。何故だ。どうして届かない。どうして救ってくれなかったのに、今もなお私の攻撃は届かないのか。
やがて呼吸が荒くなり、視界が揺れる。握力が抜けそうになる。それでも最後の一撃を叩き込もうと踏み込んだその瞬間、鋭い衝撃音と共に武器が弾かれた。手首に激痛が走り、指先が痙攣する。痺れた手から武器が滑り落ち、地面に突き刺さる音が響いた。
気が付けば、カロンの導きが弾かれて、胸の中に抱え込まれていた。強い腕に押さえ込まれ、暴れようとしたが力が抜ける。耳元で静かな声が落ちる。
「――辛かったですね。その時に傍にいれなくて申し訳なかった。でも、今から私が救いましょう」
その言葉に、張り詰めていた心が一気に緩む。涙が溢れ、頬を濡らす。歯を食いしばっても声が漏れる。
「あなたに罪はない。罪があるのはあなたの父親です」
抱きしめられながら、涙を流し彼の言葉を聞く。母のこれという言葉が少しずつ遠のいていくようだ。
「いえ、母親やあなたの当時を知る人たちにも罪はあるかもしれません。あなたと母親を引き離さなかったのだから」
静かな声が、胸の奥に届く。耳鳴りのように響いていた怒りが、少しずつ和らいでいく。手の震えが止まらないのに、なぜか温かい。
「だから、自分を許していいんです。あなたは自分が嫌いなのかもしれませんが、自分を愛していいんです」
言葉の一つ一つが、胸の奥に刺さり、そして癒していくようだった。
「もし母親を恨んでいるのなら、これから幸せになりなさい。あなたが幸せになれるように、私も協力します」
「――私が幸せになれるようにしてくれるの?」
声が震えていた。自分でも驚くほど弱々しい声だった。
「――あなたが望むなら幸せになれるように協力しましょう。もっとも私はリアルへ帰りたいのですがね……」
「なら、一緒にリアルへ行っていい? それなら問題ないでしょ?」
「――分かりました。ではリアルに帰るときには声をかけましょう」
胸の奥が温かい。まるで長い冬が終わり、春の陽光が差し込んできたようだった。
「ありがとう。それとアンティリーネ・ヘラン・フーシェ。私の名前。貴方だけには名前で呼んでほしい」
「では、リーネと呼びましょう」
「リーネ……うん。リーネね……初めて自分の名前が好きになれそう」
☆ ☆ ☆
評議国の奥深くで知覚しながら鎧を操り、たっち・みーを見ていた。ツアーの本体はたっち・みーの傍にはいない。
なんのために見張るのか。答えは一つ。世界の安寧を守るためだ。理屈で語るには単純すぎるが、本質はそれしかない。世界と世界が無造作に繋がれば、この均衡は簡単に崩れる。ユグドラシルとリアル、そして今この地に存在する世界が交差する瞬間、法則の綻びから生じる破壊は計り知れない。ツアーは、その最悪を阻むために目を離さない。
この瞬間も監視を怠らない。たっち・みーの行動を追い続けていた。何かの方法で世界と世界を繋がないように。
本来なら、もっと直接的な手段で監視することもできる。頼めば一緒に同行することもできるだろう。だがまだ彼が真実世界の安寧に協力するものかはわからない。そのため彼の人柄を見極めるために、監視することにしたのだ。
だが、始原の魔法で常時監視すれば、彼に気づかれる可能性が高い。それは敵意と受け取られかねず、評議国、いや私と彼の関係に亀裂を生じさせる危険があった。
私は彼に協力者になってほしい。そのためにはこちらから決裂させるような真似は避けたかった。いや、彼がリアルに帰るのを諦めてくれれば彼の精神性なら十分この世界の安寧に力を貸してくれるとの確信がある。
だからこそ始原の魔法すら使わず、純粋に竜としての本能で遠巻きで監視していた。しかしたっち・みーは巧妙だった。彼は、何らかの方法で自らの気配を遮断する術を持っている。あるいは身の回りにそれを施すものであろう。一度見失った標的を再捕捉するのは難しい。
ツアーには探知阻害も通用しない。同格の竜王でもなければ、掻い潜る事は非常に困難だろう。しかしこちらが感知できるということは、たっち・みーにも感知される危険性があるということだ。
ツアーはそのために迂回路を用意した。キーノに協力を仰ぎ、ラキュースという目印をつけさせたのだ。ラキュースは、純粋な想いを彼に向ける若き存在であり、実力は私やたっち・みーには劣るが英雄に近い。物差しとしては有用だ。たとえたっち・みーが気配を隠しても、彼女の存在を辿ることで結果的にたっち・みーの動向を把握できると判断した。
そして法国からの使者が来た。
「切り札である番外席次を表に出していいか」と彼らは問うてきた。
私は即座に頷くことはしなかった。番外席次。法国が誇る最強の戦力。その存在は知覚していた。もし本当に現れれば竜王にとっても脅威になりかねない。いや、脅威どころではない。あれは血と血の混ざりあいで生まれた奇跡、あるいは悪夢だ。八欲王の再来といっても差し支えない力を持つ存在。彼女が本気を出せば、国一つ簡単に滅ぼせるだろう。
それでも、私は頷いた。条件は一つ。たっち・みーと一緒に行動させること。それが、彼女を受け入れる条件だった。理由はある。まず、監視対象をまとめるためだ。たっち・みーと法国を同時に監視して番外席次の動向を探るのはツアーでも難しい。そのためたっち・みーと番外席次を一緒にいさせることにした。
番外席次は戦力として優秀だが、同時にあまりに危うい。彼女の力は諸刃の剣であり、制御を誤れば災厄となる。それを抑えることができる存在は限られている。たっち・みーならば、その一人になり得ると私は踏んだ。
彼女をたっち・みーの近くに置けば、少なくとも二人の動きは常に把握できる。もし失踪するような事態があっても、彼女の気配を追えば居場所は即座に割り出せるだろう。なにより、法国が人間至上主義を改めるつもりがあるなら、たっち・みーと彼女を同じ場所に置くことは象徴的な意味を持つ。互いにとって悪くない取引だ。
だが、その計算をあざ笑うかのように事態は動いた。たっち・みーと彼女は、戦っていた。草原で、二人の影がぶつかり合う。金属が擦れ合う音、土が抉られる音、時折響く衝撃波のような音が遠くまで届く。私は離れた場所からそれを監視していた。
番外席次は泣いていた。泣きながら叫び、たっち・みーに剣を振るう。何を叫んでいるのか、距離が遠すぎて言葉までは届かない。ただ、その声音に込められた激情だけは伝わってくる。怒り、憎しみ、悲しみ、そして――救いを求める叫び。
たっち・みーは受け止める。避けず、逃げず、ただ彼女の攻撃を受け止め続ける。やがて彼は盾を捨て、剣を捨て、素手になった。無防備な胸で彼女の突進を受け止めた。
「――!」
番外席次の鎌が、彼の肩をかすめた。しかし、たっち・みーは動じなかった。代わりに、彼は彼女を抱きしめた。大きな腕で、まるで子どもをあやすかのように、優しく、力強く。
私は息を呑んだ。
まるで労わるように。いや、それ以上に。
彼は彼女の痛みを、そのまま自分の胸に受け止めようとしているように見えた。八欲王の息子に犯されて生まれた子ども――彼女。その果てに生まれた存在。おそらく、彼女の叫びはその記憶に関わるものなのだろう。生まれながらにして背負わされた呪いを、彼女はたっち・みーにぶつけていた。
だが、彼はそれを拒まなかった。
肩をそのままに、彼は彼女の背を撫で、頭を抱え、ただ黙って受け止める。やがて、番外席次の嗚咽が聞こえてきた。泣きながら、しかし次第に笑顔になっていくのが遠目にも分かる。その表情は痛々しいほどで、私は胸の奥が締めつけられるのを感じた。
――これは戦いではない。これは癒やしだ。たっち・みーは剣で彼女を止めたのではなく、心で彼女を受け止めたのだ。
私は、知らず鎧の拳を握りしめていた。羨望か、安堵か。胸の内に湧き上がる感情は複雑で、整理がつかない。だが一つだけ確かなのは、私は彼らを引き合わせたことを後悔していない、ということだった。
彼はリアルへと帰ることを望んでいる。惜しい。それさえなければ間違いなく彼は世界の安寧に協力してくれるものになるはずなのに。
いや、このまま彼に寄りかかる存在を増やせば……リアルの事を忘れてくれるかもしれないかと思う。
さすがにそれは難しいか? だとしても世界と世界を繋げることは脅威になり得る以上、協力はできない。できるとすれば世界を転移できるタレントを探すぐらいだ。
その程度の協力はしよう。だが始原の魔法は使わない……。何を差し出せば彼がリアルに帰るのを忘れてくれるか考えながら、鎧の操作に集中した。
ちなみにツアーの思惑はある一点を除けば正しんですよね。リアルを忘れさせて、この世界の安寧に尽くしてくれるプレイヤーにするというのは。そう、プレイヤーであればね。