――誰だ、あれは。
――普通、空気は重くても呼吸できるはずだ。だが今、玉座の間に満ちるこの沈黙は、肺を凍らせるほどに重苦しい。空気は冷え切り、わずかな動きさえも刃のように感じられる。呼吸のたびに胸に圧力がかかり、心臓の鼓動が耳の奥で鈍く響く。影が床に絡みつき、天井から落ちる薄明かりに長く引き伸ばされ、まるで生き物のように蠢く。
実際には輝かしいはずだ。ゆえにこれはセバスだけが感じている感情だ。
セバスは背筋を正している、目の前に立つ純白の鎧の男を見つめていた。姿形、声音、威圧感、そのすべてが「たっち・みー様」に酷似している。だが、間違えるはずがない。
わずかな息遣い、立ち居振る舞いの癖、間の取り方、そして創造主の気配――それらがほんのわずかに、しかし確実に違っていた。微かに違う呼吸のリズム、それはすべてセバスの感覚に鋭く刺さる。
喉がひりつき、声が出そうになる。だがセバスは奥歯を噛みしめ、必死に抑え込んだ。今はまだ時ではない。情報を集めねばならない。なぜこの偽物がナザリックに現れたのか、なぜあえてこの玉座の間で姿を晒すのか。その理由を知らなければならない。その上で首を刎ねればいい。
それとも、自分は怖いのだろうか。偽物と確定させてしまうのが。騙されたいと思っているのだろうか……。
周囲を目だけ動かして見てみる。全員が喜んでいる。それは心からの喜びに見える。自分は彼らを絶望に叩き落とすことが怖いのだろうか? それとも……。
玉座の間は巨大な静寂に包まれていた。壁に灯された魔法の光がを揺らき、床に落ちる影は長く、黒々と広がる。跪く守護者たちの鎧や装飾品はほとんど音を立てず、息づかいだけが幽霊のように響く。空気は凍りつき、まるで生きているものの存在を拒むかのように重い。
その沈黙を破ったのはアルベドだった。玉座の間に響く声はかすかに震えていたが、そこに込められた忠誠と恐怖、そしてかすかな期待は隠しようがなかった。
「……モモンガ様は……モモンガ様はどちらに?」
一瞬、場が凍りつく。確かにモモンガ様は大切だ。最後まで我々を捨てずにナザリックに残ってくださった、慈悲深い御方だ。だがここで聞くべきなのは自分の創造主なのではないかと、かすかに頭の中に疑問が残る。
短い沈黙の後、純白の鎧の男は低く告げた。その言葉で、アルベドの言葉の違和感は消し飛んだ。
「――亡くなりました」
その声は、まるで氷の刃のように広間を貫いた。時間が止まったかのように、誰も瞬きをせず、誰も息をしない。理解するまでに、全員が同じだけの時を要した。
そして次の瞬間、アルベドの悲鳴が玉座の間を切り裂く。
「嘘……嘘です!! そんなはずがありません!! モモンガ様が、モモンガ様がお亡くなりになるなんて!! ありえない!! ありえない!!」
「いいえ、間違いなく、亡くなりました」
繰り返し偽者は、モモンガ様が亡くなったと主張する。その言葉に反応して偽者を通り越して、アルベドが命令を下した。
「な、なら、なら、!! ペストーニャ!! 今すぐモモンガ様を蘇生なさい!!」
その言葉に、ペスト―ニャも偽物の顔を一瞬見たが、頷いたのを見て動き出した。
「っ!! 畏まりましたわん!
強烈な光が玉座の間を満たす。死体すら不要な最高位の蘇生魔法。しかし――誰も現れない。光が消え、虚無だけが残る。
「な……なぜ……? なぜ蘇らないのです!? なぜモモンガ様は蘇らない!! もう一度、ペストーニャ、早く!!」
「か、畏まりましたわん!!
また同じように魔法が使われ、何もなかったかのように消えていった。
アルベドの声は絶叫であり悲鳴に変わり、床を叩く音が広間に響いた。セバスの胸にも冷たい痛みが走る。理性は否定し、体は叫びをあげるが、声は出ない。
「勘違い、そう勘違い……たっち・みー様がモモンガ様が亡くなったと勘違いしておられる可能性は……?」
誰かが縋るように問うた。だが鎧の男は静かに首を振った。
「――ありません。私が看取りました」
絶望が広がる。アルベドは狂ったように叫び続け、ペストーニャは繰り返し蘇生魔法を放つ。しかし結果は同じだった。いや、ペストーニャだけではない。蘇生魔法を使える者は全員、狂ったように蘇生魔法を行使している。だが成功はない。
そんな中不安そうにしながら、か細い声でシャルティアが問いかけた。自分の創造主の安否を。
「たっち・みー様……ペロロンチーノ様はどちらでありんすか?」
「――亡くなりました」
二人目の至高の四十一人が失われた。自分たちがお仕えできる方が、この数分で二人も亡くなっていることが判明してしまった。モモンガ様から蘇生対象をペロロンチーノ様に変えて蘇生を試みた者たちは、再び光を発動するが、何も現れず絶望する。シャルティアは倒れて泣いていた。
次にアウラが顔を引きつらせ、マーレは泣きそうに震えながら問いかける。
「たっち・みー様……ぶくぶく茶釜様は?」
「――亡くなりました」
その言葉に双子は泣き崩れた。マーレは声をあげ、アウラは歯を食いしばる。デミウルゴスと視線が合う。彼の瞳に浮かんでいたのは恐怖でも怒りでもない。絶望。至高の御方がナザリックを去られる未来など、想定すらしたくなかった。だがそれ以上に、至高の四十一人が亡くなられる未来など、誰も想像できなかった。
いやそれを想像すれば我々は壊れる。
震える声でデミウルゴスが問う。もう私にもデミウルゴスにも同じ思考が頭の中で途切れずにリフレインしていた。
「たっち・みー様……ウルベルト様は……?」
偽者が口を開きかけた瞬間、白金の鎧の男が張り手を放った。打撃音が響く。本来ならば我々が盾となるべき存在が、誰も動けなかった。全員、真実を理解してしまったからだ。
「たっち・みー!! 分かっているのか!? 私にも展開は読めた、読めたが……だが、それは残酷すぎるだろう!! 従属神を魔神に変えるようなものじゃないか!! 約束はどうした!? 世界の安寧に力を貸すと私の父に誓ったじゃないか! 君が真実を隠し、唯一の支配者として立つこともできたはずだ!! 何故それをしない!! ここにいる従属神を救えるのは君だけなんだぞ!? 何故あえて魔神にするようなことをする!! 分かっているのか!? これは世界の安寧を壊す行為だぞ!? いや彼らが魔神になれば本当に世界は滅びるぞ!! なぜそんな真似をする!?」
セバスは無言でその言葉に同意する。もし本物のたっち・みー様であれば、頭を垂れ、命を捧げることさえ当然だっただろう。だが、目の前にいるのは偽者だった。
心臓が重く、息が苦しい。忠義と理性がぶつかり合い、胸が裂けるように痛んだ。
周囲を見れば、アルベドは胸に両腕を抱き、必死に感情を抑えている。シャルティアは震え、涙がこぼれそうになっているのをセバスは見逃さなかった。彼女たちは皆、目の前のたっち・みーを信じている。信じなければ立っていられないのだ。
「たっち・みー、なんで、この人たちに絶望を与えようとするの?」
偽者の妾の一人が、凍りついた空気を割るように響いた。セバスは眉をわずかに動かした。創造主の名前を呼び捨てにされたからだ。問いかけは純粋で、幼子が大人に理由を求める時のような響きがあった。
「それが世界を守るために必要な行為だからですよ、リーネ」
答えは穏やかで、理知的で、確信に満ちていた。しかしセバスの耳には、冷たすぎる響きとして届く。そこには、かつて主の仲間が見せた情熱や葛藤が感じられなかった。
拳が自然と握りしめられる。爪が手のひらに食い込み、痛みが心を引き戻した。ここまで黙したままでいるのは、偽物が何を言うのか見極めるためか、それとも臆病さか。セバス自身にも分からなかった。
「たっち・みー様は、この後彼らを救えるのですか?」
今度はもう一人の妾が問いかける。彼女の声には震えが混じっていた。それは恐怖だろうか……ここにいるものと彼女を比較すれば恐れが出ても仕方ない。
「ええ。私がいれば勝算はあります。いえ確実に成し遂げます。ラキュース」
断言する声。その響きに、膝をついた者たちの背筋がわずかに震え、安堵のため息が玉座の間に広がった気がした。
「――そして、ツアー。私はあなたに誠実でありたいと思うように、NPCにも誠実でありたいと思っています。安心してください。あなたが危険視するようなことは起こさせません。決して……逆に言えば、私がここで明かさなければ本当に彼らは魔神になっていたでしょう。まだ
冷たい声が響き渡る。白銀の鎧を着た男を押しのけるようにして、偽者が前に立った。
「さて、デミウルゴス、私はこう返答しましょう。――亡くなりました」
その瞬間、デミウルゴスは崩れ落ち、NPCたちが次々と自分の創造主の消息を尋ねた。
「あ、あまのまひとつ様は?」
「――亡くなりました」
「ウィッシュⅢ様は?」
「――亡くなりました」
「エンシェント・ワン様は?」
「――亡くなりました」
「ガーネット様は?」
「――亡くなりました」
「ク・ドゥ・グラース様は?」
「――亡くなりました」
「源次郎様は?」
「――亡くなりました」
「死獣天朱雀様は?」
「――亡くなりました」
「獣王メコン川様は?」
「――亡くなりました」
「スーラータン様は?」
「――亡くなりました」
「タブラ・スマラグディナ様は?」
「――亡くなりました」
「チグリス・ユーフラテス様は?」
「――亡くなりました」
「テンパランス様は?」
「――亡くなりました」
「弐式炎雷様は?」
「――亡くなりました」
「ぬーぼー様は」
「――亡くなりました」
「音改様は?
「――亡くなりました」
「ばりあぶる・たりすまん様は?」
「――亡くなりました」
「武人建御雷様ハ?」
「――亡くなりました」
「ぷにっと萌え様は」
「――亡くなりました」
「フラットフット様は?」
「――亡くなりました」
「ブルー・プラネット様は?」
「――亡くなりました」
「ベルリバー様は?」
「――亡くなりました」
「ヘロヘロ様は?」
「――亡くなりました」
「ホワイトブリム様は?」
「――亡くなりました」
「やさ・スィー様は?」
「――亡くなりました」
「やまいこ様は?」
「――亡くなりました」
「るし★ふぁー様は?」
「――亡くなりました」
玉座の間は、深い闇と静寂に支配されていた。
壁際に並んだ魔法の放つ光は淡く輝いていた。本来なら大広間全体を照らせるはずなのに、今は大広間を照らすのに不十分なような気がする。長く伸びた影が、まるで生き物のように床を這い、守護者たちの足元を絡め取っている。空気は張り詰め、呼吸ひとつがやけに大きく響く。そこにいる全員の心臓の鼓動が、耳に届くかのようだった。
セバスは胸の奥に熱いものを感じていた。怒りか、悲しみか、それとも別の何かか――判別はつかない。ただ確かなのは、それが身体の奥底で煮えたぎり、己を突き動かそうとしていることだった。
老練な拳が無意識に握りしめられる。爪が掌に食い込み、微かな血の匂いが漂った。痛みが、かろうじて彼の理性を繋ぎ止める。奥歯が軋む音が頭蓋に響く。それでも声を上げない。まだだ。まだ見極めねばならない。目の前の存在を。
鎧に身を包んだ男が、静かに玉座の間を見渡した。
重厚な金属鎧が動くたび、硬い音が空気を裂き、緊張をさらに増幅させる。まるで判決を言い渡す処刑人のように、彼は口を開いた。
「――至高の四十一人は、皆亡くなりました」
その言葉が落ちた瞬間、時が止まったかのようだった。
一拍遅れて、悲鳴が弾ける。嗚咽、絶叫、呻きが次々と広間に満ちる。膝をつき、床に額を押し当てる者、壁にもたれ掛かり無言で肩を震わせる者――絶望の波が押し寄せた。
アルベドはその場に崩れ落ち、顔を覆って嗚咽する。シャルティアは狂ったように泣き叫び、硬い床に爪痕を刻んだ。コキュートスは黙して天を仰ぎ、アウラとマーレは互いの手を握り締めて涙を堪えている。
そして――誰かが叫んだ。
「お願いします、たっち・みー様!! 去らないでください!! 我々を、ナザリックを捨てないでください!!」
その訴えに、他のNPCたちも次々と声を上げる。
どうか見捨てないでほしい。もう一度、御方のために戦わせてほしい。
セバスはその声を聞きながら、胸の奥で深い痛みを感じていた。そうだ、もし目の前の存在が本当にたっち・みー様であったなら、どれほど喜ばしかっただろうか。だが。
ツアーと名乗った男は動かなかった。まるで瞳を細め、時間が止まったかのように沈黙している。
偽物の後ろに立つ妾たちは蒼白になり、互いに寄り添うようにして呆然と立ち尽くしていた。
怖い。真実を知ることが。だとしても――
セバスは――立ち上がった。
もう耐えられなかった。創造主の名を、これ以上冷たく汚されるのを見ていることはできない。それが、最悪の事態を招くとしても。
床板が重々しく鳴り、視線が一斉に彼に集まる。セバスは一歩、また一歩と歩みを進める。その歩調は静かだが、確実に玉座の間の空気を変えていく。怒りと悲嘆が混じり合い、まるで物理的な圧力となって場を満たしていく。
「――たとえ、至高の御方の姿を真似しても、自分の創造主を間違えたりはしません」
低く、しかし鋭い声だった。広間にいる全員が息を呑む。
「貴方は……何――!!」
叫ぼうとしたその瞬間――
「――止めてくれ、セバス!!」
デミウルゴスの声が鋭く響いた。セバスは一瞬、言葉を失う。何故、彼が自分の問いを遮るのか。彼とて、自分と同じ立場になればわかるはずだ。デミウルゴスはセバスの前に立ちふさがり、眼鏡の奥の瞳を光らせる。
「ああ、分かっているとも。自分の創造主の気配を見間違える愚か者などいない。君が何を言おうとしているのか、理解している。だが、それでも……!」
デミウルゴスは叫んだ。そして身振りで周りにいるNPCたちを示した。
「我らにとって、そこにおられるたっち・みー様こそ、最後の忠誠を尽くせる御方なのですよ!? セバス、君はその希望を、自分一人の感情で打ち砕くつもりか!? お願いだ。それ以上、言葉を紡がないでくれ……頼む」
セバスは言葉を失い、拳を握る。確かに、デミウルゴスの言葉は理解できる。だが、創造主の名を騙る者を許すわけにはいかなかった。
「デミウルゴス。あなたに問いましょう。もしウルベルト様の偽者がいて、私が同じことを言ったとき、あなたは止まれますか?」
デミウルゴスの表情がわずかに揺らぐ。
「……それは……」
「そういうことです」
セバスの声は低く響き、広間に緊張が走る。
「偽者――あなたは何者だ!!」
雷鳴のような声が広間に響いた。
その瞬間、場の空気が弾け、全員の視線が一点に集まる。目の前のたっち・みーは、わずかに肩を震わせた。しかしすぐに静かに答える。
「……まずは謝罪を」
深々と頭を下げる。その姿は、威厳さえ感じさせるほどだった。
そして連れてきた三人――リーネ、ラキュース、ツアーへも頭を下げる。
「リーネ、ラキュース……あなた達の純情を踏みにじったことを心から謝罪します。そしてツアー、私はたっち・みー様ではありません。ナザリックのプレイヤーでもありません」
ツアーと名乗った者の兜が大きく揺れた。
「……まさか」
「ええ。私はプレイヤーではありません。ギルド、アインズ・ウール・ゴウン、ナザリック地下大墳墓、宝物殿領域守護者、モモンガ様の創造された、パンドラズ・アクターと申します。ナザリック最後のNPCで、プレイヤーの影武者です」
言葉と同時に、その姿が溶けるように変化する。鎧は消え、ドッペルゲンガーの姿が現れる。その姿はセバスにとって何よりも残酷だった。心臓が冷たく締め付けられる。怒りと悲しみと恐怖がないまぜになり、胸を焦がす。
この影武者は何故、自分の領域から離れて、たっち・みー様の真似をしているのか……。最悪の結末を想像しながら、否定してくれることを願って言葉を発した。
「たっち・みー様は……御無事なのでしょうか?」
絞り出すような声。しかし返ってきた答えは、残酷そのものだった。
「――お亡くなりになりました」
沈黙。そして爆発するような悲鳴。
NPCの全てが絶叫し、シャルティアが床に突っ伏す。デミウルゴスでさえ顔を覆った。
ツアーという男は一歩、後ずさった。その顔には冷徹な感情が浮かぶ。パンドラズ・アクターの妾は二人で手を取り合って震えている。
セバスは拳を握りしめ、うつむいた。気づけば涙が流れていた。
我らは至高の四十一人に仕えるために創造されたのに――誰一人、忠誠を尽くすことも、お守りすることも叶わなかったのだ。
なお、パンドラズ・アクターが本物ではない、もしくは何らかの違和感を感じていた人はセバス以外にも。ただ、信じたかったから騙されようとしていた模様('ω')
あと、ごめんなさいm(__)m
ちょっと活動報告の方に謝罪しなければいけないことがあるので興味があるかたは見に来ていただけるとm(__)m