夏の梅の子ども*   作:マイロ

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『はじめてみたよ』

 だいじょうぶですか。

 

 口数のそう多くない少年が、度々口にしていた言葉がそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶漬けを奢ることを約束すると、ようやく猫缶をビニール袋に戻した少年が、体育座りで話しかけてきた。

 

「敦おにいさん、怪我したってきいたけど、だいじょうぶですか」

 

 ああ、と合点がいった。そういえば、片脚を千切られる大怪我をしたのだった。濃い一日で、忘れていた。怪我を負ったのが随分と昔のことのように感じる。

 

「はじめてのおしごと、大変なのに当たっちゃったね」

 

 入社試験が終わって早々、仕事をするなんて、と少年はほっそりとした顎に白い指を引っかけて首をかしげている。働き者、とでも思われているのだろうか。苦笑しながら、先刻のことを思い返す。

 

「危険が少ないものだろうって国木田さんは判断されてたんだけど、実はその依頼主がポートマフィアっていう凶悪な組織の一員で……」

 

 状況を説明すると、なかなかどうして運が悪すぎるんじゃあないか。入ってしまった武装探偵社。少年の言う通り、初仕事でこの危険度。

 

 項垂れそうになっていると、少年はははあ、と頷く。

 

「――ぼく、おとうさんとおなじくらい運がわるい人、はじめてみたよ」

 

 同じくらい不運な人がいるというのか。今日体験したことでそのようなことを言われるなんて、その人よく今まで生きてきたな、という思いがわく。

 こんな命の危機に瀕したのは……孤児院では割と日常茶飯事だっただろうか? いやいや、碌でもない。

 

 こんなアグレッシブな命の危機は滅多になかった。

 この少年の父親が少し心配になった。

 

 他の社員の話では、彼の父親は「織田作」と呼ばれているらしいが、まだ一度も顔を合わせていない。

 国木田は頼りになると言っていたし、谷崎潤一郎、ナオミ兄妹もすごい人だと口をそろえていた。何よりあの太宰が、称賛していた。

 こんなにまで探偵社のみんなから慕われる「織田作」という人物は、どんな人なのだろうと思っていた。

 顔を合わせないまま、自分は探偵社を辞めてしまった。

 とある人物――「織田作」という人間を知らないでいるだけ。それは仕方ないことだと割り切れる。

 

(でも――)

 

 孤児院育ちの自分は、親子の形を良く知らない。

 この少年の父親とはどんな人なのだろう。

 

 

 

「織田作」という人物への興味というよりは、この少年の父親への好奇心だった。

 父子という関係は、自分には程遠くて、分からない。

 

 

 

――父とは、いったい、どういった存在なのだろう。

 

 

「じゃあ、敦おにいさんは、探偵のしごとはまだなんだね。それなら、乱歩さんのおしごとのおてつだいするといいよ。ほんとうにすごいから。あとで、国木田さんにたのんでみるね」

 

 たぶん、考えているだろうけど、と白い横顔の少年は目を伏せた。

 

 中島敦は、ああ、うんと頷いて、躊躇った。自分が探偵社を辞めたことを少年に言い出せないでいた。こうして、探偵社の一員として考えてくれるのは居たたまれない。けれども、それを今告げてしまうのは、少年の心遣いを無下にしてしまうような気がして怖かった。

 

 この少年のなかで自分は、新人探偵として仕事をこなしていくことが当たり前のように考えられている。当たり前のように、受け入れている。

 

 こうして不審な黒服の男に襲われても、こうして突然抱えられてビルの屋上に連れてこられても……。

 

(ふつう、もっと慌てるものだと思うんだけど……大人しい子、だなあ。探偵社の人にしてはまともそう……いや普通すぎるような)

 

 

 ふと、脳裏によみがえる。

 

 大皿が次々と割れる音。懐かしい、冷たい孤児院。

 気が付いたら、自分の周りにはけたたましい音を立てて割れただろう大皿の破片が散乱していた。

 大人たちから跳んできたのは叱責と平手と鞭だった。

 

(――って、そんなことを思い出してる場合じゃない!)

 

 人々の平穏をぶち壊す――銃声。

 数発。

 

 

「た、探偵社の方向から!?」

 

 思わず屋上の端へと駆け寄って身を乗り出した。

 ビルから、探偵社のある四階の窓が割れるのが見えた。少年に付き合って、目前まで来ていたことが幸いした……のかどうか。

 これは、襲撃だ。異能者からなる武装探偵社に手を出そうなんて考える人間は限られている。最も心当たりのある組織、ポートマフィア。けれども、確かに電話したのだ。

 自分は探偵社を辞める、と。

 探偵社には手を出さないでほしいという意図は相手に伝わっていた。それなのに。

 

「なんで……! どうしてこんな」

 

「どうしたの?」

 

 

 座り込んだ場所から顔を向けてくる少年を振り向いて、身振り手振りで状況を伝える。

 そんなはずはないと思いながら、しかし目の前の光景がそれを否定する。

 

「しゅ、襲撃されてるんだ! さっき電話して、探偵社を攻撃するのはやめてるはずなのに」

 

 

 

 それって、と少年が首を傾げる。

 

 

 

 

「相手のひとは、『うん』っていったの?」 

 

 

 はっとして少年を凝視する。思い返しても、電話で返答を得た記憶はない。

 

 

 また、銃声が聞こえる。何かが壊れる音が、ここでは細く聞こえる。

 ああ、ああと屋上の淵に縋りついて、拳を叩きつけた。

 

「どうして僕……ああもう、ここじゃ遠い。た、確かめに行かないと」

 

 

 立ち上がって、目の前の光景から後ずさったときだった。

 

 

 

 

 ガン、と突然金属音がなり、背後を振り向くとどたどたとやって来る黒服の男たちが、座り込んだままだった少年の肩を荒々しく掴んで立たせると銃口をこめかみに突き付ける。

 

「夏梅くん!? くそっ上がって来たのか……!」

 

 そこまで執拗に追って来るとは思わなかった。たしかに、このビルの上にいると分かっている以上、のぼって来ないはずはない。ちらりと眼下を見ると、数人の黒服の男たちが見上げて来ているのが分かる。見張られていたのだ。このビルから隣の建物へと移るべきだった。あるいは人に紛れて裏口からでもこの場を去るべきだった。

 

 

(どうしよう、どうするべきなんだ? こういう時、僕はどうすれば……)

 

 高いビルとはいえ、ここを上がれば標的がいると分かっているのなら逃すはずもない。ああ、それに気づかない自分は大間抜けだ。

 

 上がって来ている黒服の男たちは五人。うち一人が少年を拘束している。残りは後ろで銃を構えている。あの数の銃を振り切って動くことは、おそらくできる。しかし、捕まっている少年は、たった一つの銃の引き金で命を失ってしまうだろう。

 

 息を吸って、吐いた。

 落ち着いて、落ち着いて、平静を装い、両手を挙げて話しかける、「待ってくれ」

 

 唇を引き結んでから、目に力を入れる。

 

「僕が、そっちへ行く。だからその子を離せ。でないと、ここから飛び降りてやる」

 

 ここ、の部分で、ビルの下を顎でしゃくった。落ちればさすがにひとたまりもない、と思う。

 生け捕りなんだろう、と奥歯を噛みしめながらゆっくり言うと、黒服の男たちに動きがあった。

 

「……分かった。人虎はこっちへ来い」

 

 

 ゆっくりと近づく。

 強風が吹き荒れる。

 いつの間にか、探偵社の方からは銃声も何も聞こえなくなっていた。震えそうになる足を叱咤して、一歩また一歩と近づき、あと数歩で腕を伸ばせば少年に手が届くというところ。

 

 少年の肩を掴む男の銃口がこめかみから逸れた瞬間、地面を蹴った。少年の肩を掴む男の側頭部を蹴りつけて昏倒させる。引き離した少年の腹に腕を回して空へ跳躍すると、自分を追って男たちの銃がこちらを向く。屋上の入り口のところへと少年を降ろした後、男たちの方へと突っ込んで行く。男たちが引き金を引くその間を潜って、足を引っかけ腹を殴って何とかあとふたりというところで、そこまでだ、と声がした。

 

 屋上の開かれたままの入り口から、新たに黒服の男たちが少年を人質に取っていた。

 

「下にいたやつら……」

 

 

 

 ああ、もう、本当に。どうして自分はこんなに愚鈍なのだろう。

 全てが後手後手に回っている。

 

 

「敦おにいさん、にげて」

 

 

 詰襟がきつそうに首を動かした少年がはた、と付け足す。

 

「たすけてくれて、ありがとう」

 

 男に拘束されている少年の頭に、銃口が押し当てられて顔が傾く。

 少年は、生を諦めているかのように目を伏せながら、ありがとう、と。

 それを見ているのが耐え切れずに叫んだ。

 

「ちがう、違うんだ! 僕のせいで、君がこんな目に合っているんだ」

 

 感謝されるなんておこがましい。その言葉を受け入れることなど出来なかった。

 

 

 

 

「でも、ぼくつかまってばかりだし……」

 

 

(た、確かにさっきから掴まってばかりだけど、でも普通はそういうものだし。一般人に銃を持って武装してる人間相手に何かできるはずもない。僕だって、そっち側だった)

 

 異能力が開花するまでは。

 

 そして、巻き込んだのは自分だ。だから、何としてでも、彼を助けないといけない。そうでないと、いけない。

 残っていた二人の男が両側から腹を蹴りつけ、頭を地面に押さえつけてきた。

 蹴り入れられた腹を押さえ、咳き込みながら、髪を掴む男の手に押さえられたまま、地面から少年の顔を見あげた。

 

 少年の顔は俯いていて、でも地面に伏せている自分からはその表情がよく見えた。

 

 

 

「――何にも、悪くないんだよ、夏梅くんは」

 

 

 涙も緊張も悲しみも怯えもない。ただ、乾いた表情。

 そんな顔をする少年に、声をかけると少年は銃口を白いこめかみに当てられつつ、表情なく唇を動かした。

 

 中島敦の目には、その少年の唇の動きよりも、もっと凶悪で残虐な動きが目の端に映った。

 

 やめろ、と両側の腕を暴れさせようとするも、少年のこめかみに向けられた銃の引き金を、黒服の男が引いた――

 

「だけど、おにいさんだって、きっと悪くないよ」

 

 

 少年の声が耳もとを通り過ぎていく。

 

 

 パアン、と鳴ったあとの虚しい音が途切れる。

 

 

「…………………え」

 

 

 限界まで目を見開いた自分の喉から、声が漏れる。

 

 目の前で、影が素通りした。

 

 

 

 

 引き金を引いたはずの男の手が不自然に折れ曲がり、次いで宙に浮いて黒い影を作ってから地面に落ちる。

 妙な格好で止まった白い手には、ビニール袋の跡がついていた。

 

「…………あ、え?」

 

 その手の主は――

 

 

 少年の、制服に包まれた細身の体躯が目の前で反転して、少年の背後から銃を向けていた男たちを回し蹴りで一掃する。すぐ後ろが階段だったのか、ドミノ式に転げ落ちて良く悲鳴と音が聞こえた。

 

 

 そして、先ほどとは打って変わってつかつかとした足取りで戻ってくると、両側から拘束してきていたふたりの男たちの顎と腹に一撃ずつ突きいれて失神させ、さらに中島敦の頭の上すれすれをいく回し蹴りによって後方へと容赦なく吹っ飛ばした。

 軽くなった体に呆然としていると、少年が蹴っ飛ばしたまま静止させていた体勢をゆっくりと解いて、手を指しのばしてきた。

 

 

 

「だいじょうぶですか」

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………ええ?」

 

 

 

 

 そこで中島敦は思い出す。

 

 彼、織田夏梅は一般人でも何でもなく、異能力者であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

❂❂❂ ❂❂❂

 

 

 

 窓ガラスが街路に散らばってきらきらと光っていた。

 

 少年と共にビルから降り、探偵社まで戻ると、まず扉が吹っ飛んでいた。そして部屋のなかは無数の弾丸が壁を抉り、無事な窓は一つもない。夏梅は常々、窓は防弾ガラスにしたらいいと思っている。でないと、街路に落ちてしまったガラスで、タイヤがパンクしたという苦情や、歩行者にかかってけがをしたとして通報されたりと、事後処理が大変なのだ。

 

 夏梅はもう、この場から裸足で逃げ出したい。

 いくら特別手当とはいえ、酷過ぎる。

 

 夏梅が悪いわけでもないのに、こうして銃をぶっ放してくる非常識な輩の後始末をしなくてはならないのだ。悪い人というのは、もうちょっとそこのところを考えてみてほしい。

 修理代はいい。ご近所さんに謝り倒していく係りをぜひとも押し付けたい。

 

「あーあ。またごめんなさいごめんなさい巡りいかないといけない……」

 

 ごめんなさい巡りではない。ごめんなさい×2巡りだ。

 怒られると分かっていて人に会いに行くというのは、つらい。特に人と接するのが苦手な人ほど、敬遠するこの仕事。けれども社会人としては、ご近所付き合いもしっかりやって行かなくてはならない。

 

「せんせいに怒られるのいやなのに、知らない人に怒られに行くのはもっといやだあ……」

 

 しかし、夏梅が嫌なことは他の人にとっても嫌なこと。個性とプライドの高い探偵社のメンバーは協調性というものが乏しく、社交スキルも低い。こうした社会で生きていくうえで必要な付き合いを喜んでする人はいないため、順番なのだ。

 

 

「今回はあんたの番だからね」

 

 与謝野が国木田に水を向けた。

 国木田はくるりと反転して、夏梅の方を向いて眼鏡を押し上げる仕草をした。

 

「いいか、夏梅。『動揺は達人をも殺す』と師匠がいっていた。ここはひとつ、織田作を呼んでくれないか」

「……国木田さんは、今どうようしてるんじゃないです?」

 

 ちなみに、国木田の顔には眼鏡はない。エア眼鏡直しだ。

 しぶしぶ口を開いてそう言い返すと、「いいや! まったく」と断言していた。

 

「――おとうさんは、きょうは用事があるんです。太宰さんと約束したんです」

 

 友人同士の話にお邪魔するほど夏梅は物わかりが悪くはないのだ。

 水入らずで過ごさせてやりたい。だから、今日は駄目だ。

 

「約束っていつ? そんなのしてたのか、あいつら」

 

「敦おにいさんの入社試験のあとです。太宰さんがおとうさんにおねがいしてってぼくと約束したんです」

 

 夏梅がいつもに見せない頑さで言うと、横から江戸川が割って入った。

 

「――まあ、まあ、いいじゃないの。ふたりが非番なのは決まってたしさ。それに僕には関係ないけれど、これは当番制だろう、国木田」

 

「はあ……確かに、乱歩さんの言うとおりです」

 

 国木田も江戸川の言うことには逆らえないのか頷く。

 

「悪かったな、夏梅。俺は覚悟を決めた」

「……ぼくもついていきますよ、おかし持つのとか」

 

 やけにすっきりした顔で言う国木田に、夏梅もちょっと態度を改めておそるおそる控えめに申し出た。すると、先ほど涙を流していた中島敦が、手を挙げた。

 

「僕が行きます。僕に、できることなら」

 

 声は震えてはいなかった。

 すごいなあと夏梅は思った。夏梅は内心は駄々をこねたいほど嫌だった。

 

 机に座ったままの江戸川が、ソーダ瓶をのぞきながら言う。

 

「何だか、君たちがついていくと、子どもが銃を乱射した謝罪回りみたいに誤解されそうだけどねえ」

「うっ…………その通りですね、乱歩さん。おい、大丈夫だ、お前たち。俺一人で行く」

 

「はじめっからそう言いなさい、情けないわねえ」

 

 与謝野の辛辣な言葉で、国木田のごめんなさい×2巡りの件は収束がついた。

 ほっとした夏梅は、隣にいる中島敦少年を見あげてにっこりと笑った。

 

「おもったよりも、なんとかなった」

 

 少年は目を瞬かせ息を飲んだ。

 夏梅は、その目を見て思い出し、にんまりとした。

 

「ぼく、お茶漬け、はやくたべたいなー」

 

 白い髪の少年は、笑って頷いた、「僕も、かな」

 おいしい茶漬けを期待しよう。

 

 猫缶も、食べてみても良かったかもしれないけれど、と頭の隅で呟く声がした。




(食したあと…)

夕食の買い物も手伝えばいいんだっけとたずねると、きょうはおにいさんの家でとまるってメールしたので、とめてくださいと頭を下げられた。……うん、なかなか解ってきたぞ、と中島敦少年は笑顔で固まり、思うのだった。

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