夏の梅の子ども*   作:マイロ

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せいかくわるいな。

 今朝確認してきたメールの、登録されていない連絡先のうち一通は、実家お抱えの医師からのものだった。そして、客室で受け取った、広告メールを装ったものも、彼からのものだ。

 

「坊ちゃん、大きくなりましたね。お元気でしたか」

「うん、元気だよ。神西先生はなんでここにいるの?」

 

 背の高い初老の人は、口ひげを生やしている。夏梅はいつもこの人に抱き上げられると、よくそのひげを引っ張っていた。あればつい引っ張りたくなるひげというものだったのか、昔の自分の行動がわからない。彼――神西と中村家との付き合いは、遡ると、母の学生時代の頃からになる。

 母の頃から二代にわたって親交のある医師だが、本来であるなら横浜にはいないはずだ。

 

「坊ちゃんや作之助殿がおられなくなってから、ずいぶんと日々が味気なくなってしまいまして……。先代に無理言って、ここまで足を伸ばさせていただいたのです。お迎えにあがろうと」

「……へえ」

 

 とりあえず、何となくの内容を雰囲気でふわっと理解した夏梅は、深く突っ込まれないために自分から質問した。

 

「で、用事はなあに? なんで、おとうさんに秘密にするの? 朝みたけど、めーるおくるのおそくない? あと、ぼくこのあとおとうさんのところに戻らなきゃいけないんだけど、先生はいっしょにこないの?」

「はい。沢山のご質問ありがとうございます。お屋敷での利発さはそのままですね。質問にはお答えしたいのですが、その前に、一つ確認をさせてください。――作之助殿には、ちゃんと内緒にしていただけましたかな?」

 

「してきたよー」

 

 理由ぐらい知らせてほしいものだけれども。

 

「ぼくがこたえたんだから、先生もこたえてよ」

 

「では、ひとつひとつお答えしましょう。とりあえず、そこの喫茶処でお茶を飲みながらお話ししましょう」

 

 夏梅の質問には答えないで、自分の要求だけ通そうとする。

 どうして父も大叔父も、神西の言うことを聞けというのだろう。

 すくなくとも、夏梅にとっては父の言葉の方が大事なのだ。

 

「おとうさんにはやく戻って来てって、いわれてるんだけど」

大丈夫ですよ(、、、、、、)。私たちがゆっくりとお話しする時間はありますとも」

 

 神西は自信たっぷりに言う。

 なんだか、何とも言えないものを感じ取って、夏梅はうろんに神西を見上げる。

 

「夏梅坊ちゃんがここに来られた(、、、、、、、)ということなら、そういうことだということです」

「…。………先生、また何かやったの?」

 

 顎ひげを撫でる神西は、どうにもうさんくさい。

 ふむ、と小首をかしげる。

 

「ちょっとした運試しを、と。どちらがより運がいいかということをね」

 

「……それって、だれとだれのこと?」

 

「どうしましょうね。聞きたいですか? これに関して話すかどうかは別として、先ほどのご質問には誠意をもってお答えしますよ」

 

 だれとだれのことか、なんでもいいから名前を出して、神西の反応を見ればよかったかな、とちょっとだけ夏梅は後悔した。

 神西がこのようにいうのなら、父は何か問題ごとに手を取られて、夏梅どころではなくなっているのかもしれない。

 

「おとうさんに電話して遅れるっていうよ」

「電話してもいいですが、たぶん出ないでしょう」

 

 夏梅はむっとしてスマホを操作しようとした手を止める。

 父が何か厄介ごとに巻き込まれていて、それで夏梅からの電話が原因で、もっと悪い事態に、なんてことになったら目も当てられない。父の運の悪さは、甘く見られたものではないのだ。

 

「しんぱいしないかな」

「大丈夫です。あとで私も一緒に伺いましょう」

「なら、いいかなー……」

 

 わかった、と夏梅は展望デッキへの入り口前から離れ、神西の後ろをついて行った。

 窓枠の、うつくしい木彫がつくるやわらかい光と影が落ちる分厚い絨毯は、しっかりと音を吸収する。

 

「飲み物だけなら、甘いものを。甘味も食べられるようでしたら、飲み物は何でもいいですよ。頭を使う前には、甘いものを補給しませんとね」

 

 夏梅の食事が厳しく管理されているのは、元をたどれば、この神西のせいなのだ。

 父に口うるさく言うので、父はそれまでカレーぐらいしかこだわりがなかったというのに、今では栄養士にでもなれるのではないかというほど細かく調整するようになっている。

 諸悪の根源は先生だ。夏梅はそう結論付けて、横目で飾ってある赤い花を睨んだ。

 喫茶処では、神西がおごるというので遠慮なくおごってもらうことにした、財布もないことだし。

 

「一つ目の質問はなんでしたっけ」

 

 とぼけているけれども、これで質問を繰り返さなかったら、言わなかった分は答えないつもりだ。ほんとうに。

 

「せいかくわるいな」

「これは悲しいことを言いますね」

 

 大人は夏梅が何を言っても、結局変わってくれない。大人はずるい。夏梅は言うことを聞いているのに、聞いてくれない。

 必要な質問とそうでないものを考える。

 

「じゃあ、どうして先生は、ここで何をするつもりなの?」

「ここでは、作之助殿の抜き打ち“健康診断”しようかと。恒例の、能力テストですよ。思考力、判断力、そして記憶力です」

 

「へえ……」

 

 父はいつもその穴だらけの記憶のために、精神が不安定になりがちだ。だから、定期的に、医師による検査をしている。内容が内容なので、お抱えの神西が担当している。これは、母が生前の時からの続いているものらしい。なので、夏梅が生まれる前からのものだ。夏梅は詳しい内容は知らない。

 

「それって、ここでやる必要ないよね? れっしゃのなかだし。だから、ここへ来たのって、何かほかに用事があるんじゃないの」

 

「はい。それを訊かれますとね。実は、福沢殿から先代に連絡が入りまして――こちら、横浜で、かの女学校の事件の捜査に、進展が見られたと。……坊ちゃんは、この件をどこまでご存じですか?」

 

 思い当ることがない。

 

「しらない。何それ?」

「四年前の、この横浜の女学校で起きた、女学生連続失踪事件です」

 

 紅茶を飲んで、曇った眼鏡をとった神西は、懐から布を取り出して、レンズをぬぐう。細待った眼を開くと、赤い目が露わになる。久しぶりに見た気がして、夏梅はしげしげとそれを眺めた。

 

「元をたどれば、坊ちゃんの御母堂の通ってらっしゃった女学校での事故が無関係ではないのでしょう」

 

「事故?のことは知ってるよ。たしか……おかあさんの同級生の子がなくなったって」

 

 母の異能力は、四十九日以内であれば、死人を生き返らせることができるかもしれないというもの。屋敷の者の話を聞く限り、母はどうやらそこで異能力を使ってしまったらしい。結果は、生き返らなかった。代わりに、生きても死んでもいない、『物質』になってしまった、という。

 詳しいことは誰も知らないようだったが、その日を境に、幽霊を見たとか、黒い何かが追ってくるだとか、果ては体調不良や心身の不調で学校を欠席する学生が増えた。唯一無事だったのが、母であったことで、不審の目で見られるようになったという。

 噂によって精神に異常をきたすのでは、と状況を慮った先代――母の養父が横浜にいる、母の実の叔父である福沢の下へ行かせたのだという。

 

「和枝お嬢さんが編入した女学校でも、女学生が連続で失踪し、騒ぎになりました。その後、その学校の体育館裏から白骨が見つかり、殺人事件とされました。その際にも、多数の女学生が学校に訴えたのです、『幽霊が見える』『影が追ってくる』などとね」

 

 うーん、と腕を組んで目を閉じた夏梅は、腕を解いて神西を見上げた。

 

「それって、いいたくないけどさ…………おかあさんがやったんじゃないの?」

 

 神西は口ひげを撫でながら、小さく笑った。

 

「坊ちゃんにそういわれますと、あの方はさすがに哀しまれ……いえ、どうでしょうね。彼女のことは私などには推し量れませんから」

 

 神西にもわからないことあるんだなあ、と夏梅は思った。

 いい気味だ、ともちょっと思った。

 しったかぶりをしているけれども、ほんとうは何にも解っていない、とかだったら夏梅の気が済むんだけどなあ、と思う。

 

「能力だけ見ればそうですね。しかし、和枝お嬢様にはちゃんとアリバイがあったんですよ」

 

「へえ。じゃあ、ちがうの?」

「なんらかの関係はあるかもしれません。なにせ、我々はもちろんのこと、和枝お嬢様ご自身でさえ、その異能のことを完全には理解しておいででありませんでしたから」

 

「なるほど?」

 

 夏梅が分かったのは、一番最初の「なんでここにいるの?」という質問にきちんと答えていなかったということだ。

 

「さいしょっから、おかあさんの事件のことでここまできたっていえばいいのに」

「羽を伸ばしたかったのも嘘ではないですよ。ですが、そこはまだ『誠意をもって』という前でしたから」

 

「うわあ………せこい」

 

 ごちそうさまでした、と夏梅は手を合わせた。

 

「じゃあ、いっしょに行くんだよね?」

「いえ、先に“健康診断”だけさせてもらおうと思っているので、坊ちゃんは少し後で来てください。そうですね、先頭車両へ行ってみるのはどうでしょう。車掌たちが働く姿が見れますよ」

 

 健康診断なら仕方ない。

 

「わかったー……」

 

 途中までは一緒に行くということで、夏梅は元の車両に行く。

 ラウンジで、ちょっと困るんじゃないかなと思ったけど、神西は普通に入ることができていた。

 

「先生、ここにはいれるんだ」

「空き室があったのでね。急遽予約しましたよ」

 

 ラウンジを抜け、夏梅が「あの部屋だよ」と指さした先に、緑のマフラーの人がいた。その手には、黄色いレモンがあり、まさに夏梅たちの部屋に入ろうとしていたようだった。

 

「あれ、その部屋にようですか?」

 

 夏梅が首をかしげる。

 夏梅の後ろから神西が前に出た。

 

「御用でしたら、ここで伺いますよ」

「――いやあ、実はねっ」

 

 にこやかな笑みを浮かべたであろう緑のマフラーの男へ、神西が一気に距離を詰める。男は驚いたように硬直した。

 夏梅もびっくりである。何をしているんだろう、この医者は。

 

「これは面白いものですね。もしかしてこれを譲ってくれようとしたのですか、なるほどありがとうございます」

 

「「――え?」」

 

 夏梅はともかく、マフラーの人と声が被ったのだが、それはどうしたことなのだろう。夏梅はマフラーの人を気遣うように見たが、色眼鏡をしているので、いまひとつ表情がうかがい知れない。

 

「おっと、もう一個あるのですね。これもまたくれるのですか?」

 

 夏梅の目には、マフラーの人のもう片方の手をひねりあげているように見えるのだが、気のせいだろうか。

 

「先生、わるいことしてないよね?」

「してませんよ」

 

 即答する。性格が悪い人は、もしかしたら、嘘もためらいなく言う人なのかもしれないな、と夏梅はなぜかこの瞬間想像した。神西は何事か耳元で言ったようだった。それで、マフラーの人の表情が変わった、ような気がする。

 

「なるほど、君とは気が合いそうだ」

 

 え、と今度は夏梅だけが声を漏らす。

 

「ではこの二つはもらいましょう。やるなら、この先にしてください。この車両から後ろは、私が使いますので」

 

「――ふむ、いいだろう」

 

「ひとつ言いますと、ここから後ろに来た場合は、容赦できませんので」

「肝に銘じておこう」

 

 なんだろう、何が起こっているのか。分からないままに、マフラーの人は先頭車両の方へ行き、神西は夏梅に、レモンのうち一つを手渡してきた。

 

「これ、食べれないよね」

「そうですね。でも、おもしろいものですよ。さあ、ここまで来てしまえば、後で来てくれというのも野暮というもの。入りましょうか、坊ちゃん」

 

「先生がいいならいいけど……」

 

 ノックもせずに、神西が入る。

 夏梅は、後に続いて、父に声をかける。

 

「おとーさん、神西先生が……って、あれ、ねてる?」

「そのようですね」

 

 先に入った神西は、コップを持っていた。夏梅が父に手渡した、ジュースの入っていたコップだ。父は寝台に上半身を横に倒して眠っている。まるで、座った状態で、寝落ちたような体勢だ。

 手元のすぐ下の絨毯には、染みができている。

 ジュースを零したまま、眠ってしまったのだろうか。

 

「こんなふうにして寝てたら風邪ひいちゃうのに。先生、おとうさんねてるけど、健康診断はあとでいいよね?……先生?」

 

 神西は、コップを備え付けの流しで洗ってくれていた。

 

「ありがとう、先生」

「いえいえ、きちんと痕跡は消しておかなければなりませんので」

「? コップ洗うのは大事かもね」

 

『痕跡』とはなんぞそれ。

 夏梅は父の寝台の前にしゃがんだ。

 

「おとうさんってば、お客さん来てたのに、ねちゃってるなんて。鍵もつけないで、ぶようじん過ぎない?」

 

 寝ているのをいいことに、夏梅は小声でぶつぶつ不平を言う。

 額にかかる赤い髪を払うと、目の下の隈がはっきりと見える。父の首に巻かれた鎖編みの髪を、首から外す。

 

「いつか自分の首絞めちゃうぞー」

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