夏の梅の子ども*   作:マイロ

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予告していた分の、加筆修正版です。お騒がせしました。
長くなってしまったので、二つに分けています。


ねぼすけだ。

 それを放せと父は言った。

 それでも放してやらない、と夏梅のなかの天邪鬼が顔を出し、すぐさまそう返していた。

 

「おい、夏梅!」

 

 異能力者である父だが、その手から逃れるのは案外簡単だ。“視て”から動けばいい。未来が見えたとしても、体がそれに反応できるかと言われたら……かなり身体能力のいい父はたいていのことに反応しきってしまう。

 それでも人間辞めているわけではないのだ。――いったん死んで、生き返ったことのある人間が、人間をやめているかいないかでは賛否があるだろうが、それはこの際おいておいて。

 できないことだってある。

 

 さっきまで眠っていた人がすぐに動けるかと言えばそうではないように。

 

「っ おい!」

 

 

 咄嗟に体が動いたことで、図らず夏梅は、神西の言いつけ通りに動いてしまった。

 

 しかし、どうだろう、この状況。

 夏梅はレモン片手に、今のこの有り様を振り返る。

 このなんの変哲もないレモンだが、父の固執ぶりを見るに、あの神西の思惑の裏をかくのに、ふさわしい道具となるのではなかろうか。

 

 父の手を紙一重で回避。

 寝台の上から飛び降りて、一跨ぎで距離を取る。

 

 どうしてかこのレモンを手にしたいらしい父を外へ誘導しながら、最後尾の車両に行くのはどうだろう。神西は夏梅が考えて行動するのを嫌がっていたが、父が問題の解決に当たることについては明確に否、と言っていない。ひとつの案が頭に浮かんだとき、背中で呻きがあがる。

 

「うっ…」

 

 部屋の隅にまで行って部屋の外へ出てしまおうか思っていたが、うめき声を確認するために振り返ると、今まさに父が転んでしまうところで、たいへん焦った。 

 

 変な体勢で顔をあげた父は、膝さえつき、だいぶかなりきつそうだったが、まあ大丈夫そうだった。

 ほっとした。

 

 まだ腕を伸ばしてくる父に対して、レモンを掲げる。

 好しよし、これをニンジンにして、父を連れ出そう。

 

 レモンをニンジンにだなんて、変な話だけれども。

 

「おとうさんてば」

 

 父のことを実験のモルモットにしかとらえていなさそうなあの神西に、一泡吹かせてやろう、その光景を思い浮かべ、愉快になった夏梅は、この寝坊助の父の軽口をまず一笑に付すつもりで口を開いた。

 

「ねぼすけだ…」

 

 閃光だった、突然の光がはじけ、音が頭を殴る。

 

 

 頭がぐらぐらする。

 これはなんだろう。父が眠っていた時に多発していた轟音が多重に頭の中を反響しているようだった。いや、きっと音ではない。振動だ。頭の中が揺れている。

 平衡感覚を失った夏梅は、まず父を呼んだ。

 

 

 さて、自分の声が聞こえない。

 

 キィンと耳鳴りがするので両手で塞ぐ。

 自分の声は聞こえなかったので、喉がつぶれたのだろうか?

 そして視界は真っ暗だ。トンネルにでも入ったのだろうか。

 天井に穴でも開いたのか、雨が降って来る。

 頭に何かが被さってきて、雨を遮った。

 そこで列車の音も何かが被さってくる音も聞こえなかったことに気付く。

 声が出ないのではなく、耳が聞こえないのかもしれない。

 

 無音で真っ暗で、そして手の指先からは温度が抜けていくようだった。

 冷たい、とてもつめたい。

 

 顔を動かすと、髪が瞼に触れるのを感じた。

 トンネルではないのか。ただ、目を閉じていただけなのか、そう気づいて目を開いた。

 

『――見えない?』

 

 しかし、見えなかった。

 言えたと思った自分の声も聞こえなかった。

 なるほど、耳が聞こえなくなっているのは確定らしい。

 

 手を宙に浮かして彷徨わせる。父はどこにいたんだったろうか。

 

 すると何かに体を包まれた夏梅は、脚が宙に浮いた。

 そのまま、どこか――寝台だろう――に横に寝かされたのまで分かった。

 

 焦げた肉の匂いが鼻腔をくすぐる。

 それが自分からのものだとは気づかなかった。

 

『おとうさん?』

 

 何が燃えているのだろう。燃えているというよりは、焦げている匂いだった。熱は感じない。少なくともこの個室の中で火が燃えているということはなさそうだった。

 

 父に呼びかけても、自分が聞こえないのでは仕方がない。

 何かが目元に乗せられた。そのまま頭を撫でられたので、父がいることが分かった。

 

 しばらくすれば、聴力も視力も戻ってくるだろう。耳鳴りが遠のいていくが、視界は閉ざされたままだった。頭を動かすと、吐き気が襲ってくるので、じっとして回復を待つ。

 

 夏梅の傍らから、遠のくのは耳鳴りだけではなかった。

 父がいるであろう場所へ手を伸ばすが、空を切った。

 

『………うえ』

 

 体はぴくりともしないくらい、具合が悪かった。背中を寝台に付けているので、床からの振動はしっかりと伝わってきた。

 その足取りはしっかりしているし、大丈夫だろう。

 

 

 

 悲壮な思いに浸っていた夏梅は、少しの間、眠ってしまったようだった。

 そのことに気付いたのは、夏梅が寝台の下に落ちたことによって、目が覚めたことによる。

 

 

 ガンガン、と進行方向が切り替わる、金具の打ち付けあう振動。

 勢いよく曲がる空間。

 静止していたものは、その変化に置いていかれる。

 

『ぶえっ……』

 

 夏梅は寝台の下にごろごろところがっていた。

 

 なんだなんだと鼻を押さえると、分厚い絨毯を通して何かが激しい摩擦をしている振動が伝わってきた。体を引っ張られるような引力を感じた後、体を起こした夏梅は、車体の揺れに上半身のバランスを崩してしりもちをついた。

 

「いたっ」

 

 なんだろう、急カーブでもしたのだろうか?

 

 体を支えるために手をつくと、鈍く――けれど自己主張する痛みに小さく悲鳴をあげたが、まず痛みよりも、自分の声が聞こえることに気が付いた。

 

「あ、おとうさんは……外だっけ」

 

 目も見えず、耳も聞こえないとき、寝台から伝わってくる、足音の振動が部屋の外へと向かっていったのを感じた。どこからかぼんやりとすすり泣きも聞こえてくるのに、不安をあおられて、夏梅は部屋の出入り口である引き戸へ手をかけ、開いた。

 

 同時だった、ガラスが砕け散る音、銃が発砲される音。

 

 夏梅の目の前で、父が倒れるところだった。

 びゅうびゅうと割れた窓ガラスから、勢いよく吹き込んでくる風が、夏梅の髪をもてあそぶ。広くないこの廊下に人はふたり(、、、)だけだった。夏梅は倒れているふたりのうち、父の方に駆け寄った。

 

「おとうさん! 大丈夫?」

 

 左手を床に置いて片膝を立てる。

 父の顔に耳を近づけると、呼吸しているのがわかって、ほっとした。

 

「え、いやいや……また寝るの?」

 

 さすがにおかしくはないだろうか。

 

 心配になりながらも、倒れているもう一人に目を向けると、うつ伏せに倒れている人は特徴的な緑のマフラーをしていた。神西に連れていかれた男の人で、大の字になっている。背中が上下しているので、眠っているのだろう……。

 

 なぜこんなところで寝ているのだろう。

 父の手には銃が握られていて、窓へ向けて発砲したようだった。

 

 眠りにつきながら発砲した、なんてことありうるのだろうか?

 

 そしてもう一つ不思議なことに、先ほど垣間聞いたすすり泣きはすっかり已んでいた。――いや、不思議も何も、聞こえたのが気のせいだったのかもしれない。

 

「こんな大きな音たてても誰も来ないんだな……」

 

 最後尾の車両に集まっているからだろうか?

 そういえば、このマフラーの人は、神西に引きずられ、先頭車両へ行ったはず。

 だが、ここに連れて行ったはずの当の神西の姿はない。

 

 意識のないまま連れていかれたはずの人が、ここにいる。

 そして、連れて行った人はいない。

 

「先生、やられちゃったかな?」

 

 ひとり呟いてみるが、応える人はいない。

 なんだか、みんな眠っている中で自分だけ起きているのは、不公平な気がする。

 何をしていてもむなしい。

 

「……とりあえず、床で寝るの良くないよね」

 

 子どもを置いて、暢気に眠っている大人ふたりを部屋で寝かせようと、まず父の脇の下に手を入れて、引っ張る。重い。あと、なんか硬い。

 いったん動きを止めて、硬いのは何かと父の上着を脱がせてみた。すると、替えの弾倉やらハーネスやらで武装されていたので、ちょっとでも軽くしよう、運びやすくしよう、とそれらを解除して、ついでに靴も脱がせて引きずった。なんだか妙に利き手に力が入りにくかったが、泣き言なんて言ってられない。

 

「おもいおもい重いー……なんか手いたいー」

 

 かかとで踏ん張ってなんとか部屋の中に入れる。そして寝台にもたれ掛けさせると、自分は反対側に回って、再び脇の下に手を入れ、思いっきり後ろに倒れ込むようにして引き上げた。そこでひいひいはあはあ、膝に両手をついて、肩で息をする。

 

「はあ…はあ、ああー…ううー…づかれた」

 

 足元へ回って、一本ずつ寝台の上に乗せていく。長身である父は、足も長い。もちろん重たい。夏梅のようなひょろひょろとは違って、筋肉量だって違う。

 もう、一人分だけで酷い運動量だった。

 

 それでももうひとり残っている。

 鉛のように重い体を、引きずるようにして、また部屋を出る。

 

 うつ伏せに倒れたままの男の人も、同じように脇に手を入れて引きずり、体を運んでいく。すると、マフラーの男の人の体に合わせた形で、絨毯が暗い色をしているのに気付いた。

 

「なんだろ」

 

 マフラーの男の人を右手に抱えたまま、膝をつき、左手でその絨毯の暗い色の部分に触れた。左手を床から離すと、なんだか手が濡れているような気がした。みると、少し濃くなっているように見えた絨毯は、何かでうっすら濡れているようだった。それはこうしている間にも薄れていくようだった。水ではなさそうだ。乾くのが速すぎる。

 父の時もそうだったのかもしれないが、その時は必至で気が付かなかった。

 

「なにこれ?」

 

 学校の化学では、薬品を調べるときの調べ方に、匂いを嗅ぐという手段を習った。そうでなくとも、何となく濡れているそれが何か調べるのに、そうするのは割と動物的な行動なのかもしれない。

 

 何かに湿った手を顔に近づけ、気が付いたら――真っ暗だった。

 ごうごうという吹き付ける風の音に囲まれたまま、膝にマフラーの男の人を乗せたまま、夏梅の意識は暗転した。

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