夏の梅の子ども*   作:マイロ

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静かにしよう。

「見えない何かに襲われたら、それはあの人のせいさ、是非この美しい芸術的形態の檸檬を窓に投げつけると善い」

「はあ、それはそこに置いておいてください。あー、えーと……あの人って?」

「もうちょっと関心持って聴こうか、君~」

 

 手当てしながら、夏梅は何の気なしに尋ねると、駄目だしされた。

 事実あんまり、興味ない。

 

 ちなみに、レモンは押し付けられた、『おまもり』だとか言う。

 へーって気分だった。

 そんなに興味ない。

 

「手当てしてるのに、よそみなんてできないよ」

「それにしては、不器用だね。君、医者には向いてないね。当然、科学者にも~」

「別になりたいなんて言ってないけど」

 

 なんだろう、とてもイライラする。

 なんで夏梅は勝手に否定されて、駄目だしされているのだろう。

 

 神西が出て行くなり、ぱちりと目を開けたこの男の人は、口に羽でも生えているかのように軽やかにべらべらと喋りだした。手当にも集中させてくれないくらいのマシンガントークに、夏梅は父が起きないか気にかかりながら、好きにさせていたが、なんというか次第に気がささくれ立った。

 

 大人、自由すぎる……!

 

 押し付けた綿布をぐいぐいと押し付けてやると、奇妙な声の悲鳴をあげた。

 なんだろう、鳥肌が立つ。

 不思議な寒気に、夏梅は腕をさする。

 

「君が良く知っている人さ」

「なに?」

「あの人のことだよ~またまた~!」

 

 あの人。それは神西のことか、とその時は思ったのだ。

 

「不可逆なる『死』を今なお超えつつあるという不条理! その情報をたどって、この列車に来たはいいものの」「いいところで……なかなか食えない同胞もいたものだよまったく~」「それにしても自分が持っていないよい被検体を持っているのは何とも羨ましい!」「これからも僕は科学の命題を証明するための実験を続けなければならない」などなど……正直うるさくてならない。

 

「周りの人寝てるんだから静かにして」

「そんなこれからも繁忙が約束されているこの僕を! 助けてくれた誼に、ひとつ耳よりの情報を与えよう」

「………」

 

 夏梅はきゅっと襟首を絞めてやった。

 

「静かにしよう、ね」

 

 

 

❂❂❂ ❂❂❂

 

 

 

「はあ………」

 

 やたら疲れた気がする。

 なぜか、車両の窓を割ってそこから出ていったマフラーの後姿を見送った夏梅は、引き戸を開けて部屋に戻る。

 

 おお。父は今起きたところらしい。

 

「ねぼすけだね、おとうさん」

 

 健やかな眠りから目が覚めたらしい父は、ちょっとどころではなく寝ぼけているようだった。

 

 父の質問に、神西のことをごまかしながら答えていくと、不思議なことにほぼ嘘偽りを言う羽目になった。神西がしたことを、夏梅がしたことにする。夏梅が神西にされたことは、緑のマフラーの男の人もとい、梶井がしたことにする。すると、なんとも不可思議な話になった。なんてことだ、神西。そしてマフラーの人。

 父はその説明で頷いた。ごめんなさい、夏梅が悪い。でもさ、おとうさん………大丈夫か。

 

 夏梅が嘘つくわけないって? いやいや、三歳児だって作り話はするんだよ、おとうさん。

 

 ……疑われない根拠がそれなら。

 夏梅は自分の罪深さゆえに、そして父の曇りない信頼さゆえに、切ない気持ちになる。

 

 

 そして、父に痛みのことを聞かれたときは少し焦った。

 

「いたく、ないよ?」

 

 気持ちが落ち着くと痛み出した指に、たまらず、神西に痛み止めをもらって飲んだのだが、その薬の出どころを探られては、どう言い訳したものかわからない。

 

 幸いにも、父は水兵服(セーラー)を着ていた女の子に気を取られていたからうまくごまかせたが。

 

 それにしても、だ。

 夏梅が扉を開けてみたとき、そこにいたのは倒れていたふたりしかいなかった。

 もちろん、銃の音にびっくりしてどこかの部屋に逃げ込んだのかもしれないけれども……。

 

 こんな状況で、女の子が倒れている人を前に、放置して隠れたりするだろうか。

 しかも服装も不自然だ。

 

「へんなの……」

 

 父を見上げる。考え込んでいるが、夏梅の支離滅裂な話を根拠に推理しているようだ。

 とてもご苦労なことだ。

 果たして、夏梅の証言をもとに考え、正しい事象が捕らえられるだろうか。

 

(ぜったい、無理――)

 

 ぎゅっと唇をかんだ。

 嘘の情報をばらまいた本人である夏梅は確信する。

 とりあえず、夏梅は父の見たことを中心に考えてみることにした。女の子だ。

 

 しかし、セーラー服を着ている女の子なんて、この列車には不似合いだ。

 もっというと、夏梅はそんな服装の少女を、見かけていない。ほとんどぎりぎりに駅に着いた夏梅と父は、乗客の中でも最後のほうに来ただろう。けれども、旅行客のなかで制服を着た少女というのは目立つはずだが、見かけなかった。死角にいたり、あるいは隠れて――たとえば、おそらく神西のように――いたのなら、夏梅の記憶にはないのもうなずけるが。

 

 おかしいということを気づかせるために紡いだ言葉だが、父は夏梅の体のことに気を取られて、なかなかうまくいかない。

 

 夏梅の目から見れば、父の方がよっぽどどこか悪そうなのだが。

 

「おとうさん、きょうは寝てばっかりだよ」

 

 俯いてぼそぼそいうと、父はその大きな手のひらを頭に乗せてきた。

 全然信用ならない「大丈夫」という言葉とともに………未だかつてこんなに信用ならない言葉を聞いたことがあるだろうか? ――答.結構ある気がする。

 

 ばりぼり補助食を口にしながら、無言で過去を回想する。

 あのときやこのときや、あんなときや、そんなとき……うん、頭が痛い。

 

 でも、現実から離れることはできない。

 

 父から手渡された補助食を食べたり、今度は神西を介してではなく、梶井からじかに受け取った『おまもり』たるレモンを見せたり、父と状況をすり合わせたりしてから――夏梅の話はほぼほぼ偽りなので役に立たないどころか、真実からは遠ざかるばかりだが――他の乗客たちの様子を見にいくことになった。

 

 夏梅は多くの怪我人たちが、最後尾の列車に移動していることを知っていたけれども、部屋に残っている数人の重傷者とその身近な人たちがどうなっているのかはわからない。しかし、この情報はもちろん父はこのすべてを知らない。

 

 様子を見に行く割りには、銃を装備する父をしり目に、夏梅は凶器となるレモンは部屋に置いて出た。乗客を見に行く分には、必要ないからだ。

 

 思った通り、空き部屋だったり、眠っている部屋を順々に回っていく。途中、夏梅に落としたペットボトルを拾って届けてくれた女の子がはいていた靴が、片方だけ落ちていた。

 

(……お医者さんがいるし、だいじょうぶだよね?)

 

 考え込んでいると、父に名前を呼ばれた。いくつか確認されたが、父は尋ねる相手を決定的に間違えている。何とも言えない心地で応えていく。

 

「さっき受け取った物を渡すんだ」

 

 父が言うが、それは部屋に置いてきている。

 周りの乗客を見る分には必要ないから置いてきた。しかし、だ。

 

「ガスか」と父は口にする。

 これは、あの梶井が言っていた『おまもり』の出番では、と夏梅は反応する。

 それと、銃弾の替えも必要かもしれない。

 

「おとうさん荷物を持ってきていい?」

「ああ、構わない」

 

 父が眠っている間に中身を入れ替えておいた荷物を持って、これからの行動の方針を決めたらしい父の後をついて行く。どうやら、ガスマスクをつけた人がいたという車両へ向かうらしい。ガスマスクのことはテレビで見た覚えがある。あまりよくない思い出で、それは父が瀬戸にいるとき、母が健在だった頃に、父が巻き込まれたガス漏れ死亡事故のニュースが流れたときだった。死亡者には、父が含まれていた。

 

「ガスマスクを追おう」

 

 夏梅のしんみりとした気持ち、心的外傷(トラウマ)なんて、当人は知らないので、こっそりため息をつく。

 

「はいはい」

 

 父と昼ご飯を食べに行くはずだった、優等客車両の専用ラウンジ。つい一、二時間ほど前のことが随分昔に感じられる。

 先行する父のうしろを、ついて行く。

 父が前を警戒するので、夏梅は父の背後で、後ろと周囲を見回す。

 すると、案内図を見つけた。車両内の見取り図だ。

 父の後ろから離れて、そちらへ足を延ばす。

 

 夏梅達がいるこの優等客車両とその前後の一車両分が描かれていた。

 棒人間のようなものが夥しく描かれているところは、人の手で描き込まれたものだ。

 そして、それはこの車両のひとつ後ろの車両……。

 

 これを描いたのはきっと神西だ、と夏梅は思う。

 本当には、最後尾の車両に人はいるはずだが、この案内図には、この車両とその前後しか描かれていない。

 

 だから、描かれている車両のもっとも後ろに人が集まっていることを表す絵を描いたのではないかと思う。はたまた、医者である神西が、本当の患者を巻き込まないために、一つ前の車両で何かを仕掛けるのではないか。どちらにせよ、これは“誘い”だ。

 

「おとうさん」

 

 父を呼ぶ。呼ばなくても、辺りを警戒しながら、父は近づいてくるところだった。

 父に描かれているものを示す。

 そして隣の車両へと誘導するように言葉を紡いだ。しかし、父の様子がおかしかった。落ち着かなげに、いや少し緊迫した風に、顔を険しくしていた。

 

「おとうさん?」

「お前はここで待っていろ」

 

 背中から近づいた父が肩をつかみ、夏梅をもと来た廊下へ押し戻そうとした。

 

 いったい、急にどうしたのか。

 父を振り返ろうとしたとき、何か細長い鈍器のようなものの衝撃が脳天に叩き込まれた。

 

(ああ、これ――だめなやつ)

 

 父の名前を呼んだかもしれない。言わないといけない。

 夏梅が異能力で回復する間に、父が怪我をしたら。死にそうになったら。

 

 慌てて夏梅を抱き起す父へ、持てる気力を振り絞って、夏梅は――。

 

 

 

 

 

 お医者さんがいるよ、と夏梅は言えただろうか。

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