一見して、十二、三といった年頃の容貌は、少し成長が遅い中学生に見えなくもない。だが、外へ出るにはやはり幼すぎるので、探偵社では事務方に回っていた。日中誰もいない家に残すのを心配した父と、子持ちではないにもかかわらず子守りに慣れているような大叔父の取り計らいにより、ほとんど毎日職場にいるようになった夏梅は、一通りの簡単な事務仕事はひとりでもできるようになっていた。
さて、今日もまた電話がなる。受話器を取り上げて耳に当てる。
「はい。夏梅です」
国木田がパソコンを打つ音と、宮沢が植木の枝を整える鋏の音、与謝野のご機嫌な鼻歌を背景に、夏梅はのんびりとした心地で、電話に出た。すると、相手は、初仕事に出ていた鏡花に同伴していた中島からだった。
朝に大叔父のところへ瀬戸のお土産である抹茶を持っていった。そこへちょうど来ていた中島へ依頼を渡したのも夏梅だった。『荷物をお届けする簡単なお仕事だよ』と。
完了の報告かなと思っていると、中島の声の後ろで人のあわただしい声が響いていた。
「はい、敦お兄さん?……うん、はい、えー……うわ、はい」
話を聞いてく内に、ひきつる顔と、微妙な声音に、他の面々からの意識が寄せられるのを感じながら、とりあえず夏梅は助けを求めて、しっかり者の国木田へと助けを求めることにした。
受話器の口のところを片手で押さえて、席を立つ。
「国木田さん………」
「ああ。敦の仕事は、例の新人を連れていたな。何か問題が起きたのだろう……厄介な」
国木田はパソコンを打つ手を止めて、光る眼鏡を片手で掛けなおし手ため息をつく。そして、わざわざ席を立ってくれた。
「あいつらはどうしだんだ? 何をやらかしたと?」
「あの。依頼人がいる建物を停電させて、その依頼主の人を感電させちゃったらしいです……どうしよう、ですか?」
「――は?」
動揺して、夏梅は変な言葉遣いになる。
「あはははは! 随分と面白そうなことになってんじゃないのさあ。ええ?」
与謝野が腹を抱えて爆笑するが、夏梅は肩を震わせていまだ目立った反応を示さない国木田に戦々恐々とした。
「あいつらー!! 物を届けるだけの簡単な仕事だろう!? 何をどうやったそんな大事にできるんだッ!?」
夏梅は国木田の激高を前にして、肩を縮めた。受話器からも、中島が謝る声がする。手でふさいでいても、聞こえるものは聞こえるのだ。もっとぎゅっと握っておけばよかったかもしれない。心配させてしまうなんて、裏方で支える事務失格だ。
落ち込んでいると、宮沢が傍に来て「大丈夫ですよー」と頭を撫でてくれる。ちょっと国木田から距離を取って、お日様の香りがする宮沢の後ろに隠れた。
父は珈琲が切れたとかで事務の人に頼まれた買いに出ていて、江戸川はお菓子を買いたいとかでついて行ってここには不在である。
ひとしきり叫んで落ち着いたらしい国木田に、顔を出すと、大きく深呼吸して指示を出した。
「とりあえず、社長に知らせよう。確か今回の依頼人は、社長のお知り合いらしいからな」
冷静な声だった。一呼吸おいてその沈着ぶりを見せる国木田は、眼鏡の蔓に指をかけて直しているところだった。
夏梅はその言葉に頷こうとしたところで、ばんっと事務所の扉が開かれた。
「よし、夏梅くん、君が社長に伝えてきたまえ!」
「うえっ!?」
なんだいきなり。
そう思ったが、口から出てきたのは、奇妙な声だった。恥ずかしい。
「
間髪入れずに檄が飛ぶ。
長椅子に寝転んで、何かの写真をスクラップしていた与謝野は、夏梅がその写真を目にする前に表紙を閉じて、頬杖をつく。ちろりと、見ていた夏梅へ何か意味深な笑みを向けてきて、茶目っ気たっぷりに片目をつむる、「坊やにはまだ早い。大人になったら見せてあげるよ」
うう、と見ていたことがばれた夏梅は気まずくなって、電話を両手で握る。
大人の女の人、なんだかこわい。
「ふむ、しかしねェ。夏梅の坊やに行ってもらうのはなかなかいい案じゃないかい?」
「そういえば、社長は夏梅君にはなんとなく雰囲気柔らかいですもんね」
ぱちんと手を合わせて与謝野の言葉に同意する宮沢は、顔を傾けてきて、夏梅と目を合わせて来た。いつも朗らかな光が浮かんでいる瞳と至近距離で目が合って、夏梅はちょっと照れてしまって目をそらした。すると、そこには与謝野のにやにやとした笑みがあって、口元が引きつった。なんだろう。何も言ってないのに、目が物を言い過ぎである。姦しい視線から目をそらした。
なんだか、目をそらし過ぎて、ちょっとくらくらする。
「わ、わかった。……敦お兄さん」
『聞こえたよ。ごめんね、お願いできるかな、夏梅くん』
「うん! じゃあ、あんまり心配しないでね。今度の依頼主の人は、僕も前に届け物したことあるから。あのね、子供には優しい人だから、大丈夫だと思う」
夏梅は、そういって心配かけてしまっただろう中島を気遣う。ひいては、新人の子へ気休めになるように。きっと優しい中島は、新人の女の子に対して、大丈夫だよと声をかけるだろう。探偵社の社員はみんなそんな人ばかりだ。戸惑う夏梅を、先ほど宮沢が宥めてくれたように。
電話を切ると、国木田に襟首をつかまれている太宰の姿が目に入って、ちょっと目をそらした。
「じゃ、国木田くんと賢治くんは二人を迎えに行ってきたまえ」
夏梅は大叔父にことを説明して、先方に取り成してもらうことができた。次の依頼では、夏梅をご指名だというが、夏梅はしばらく表へは出られないので、丁重に断ってもらった。
そんなやり取りののちに、大叔父はどこかへ出かけるようで、それを見送るためについて行くと、あわただしく、国木田と宮沢が出ていくところだった。
「社長、ポートマフィアが例の新人に接触するようです。急ぎ現場へ向かいます」
「行ってきまーす。夏梅くんもあとでね」
手を振る宮沢に、夏梅もにっこり笑顔で手を振り返した。
大叔父と国木田、宮沢が同じ昇降機に乗り込むのを見送った。
さてと。
「ポートマフィアってなんだろ……」
ぼそりとつぶやくと、影が差した。
上を向くと、見知った包帯の首が見えた。
なんだか、神出鬼没だなあと思った。
「知りたいかい?」
照明で逆光のため顔が良く見えない。しぱしぱと瞬きをしつつ、夏梅は意味を解釈する。そして、ああと頷く。知りたくないか、知りたいかと訊かれたら、まあ今の時点でどうやら必要な情報らしいので、知りたい。
「うん。有名なの?」
「そうだね。きみたちが乗った列車を襲った人物も、ポートマフィアの一員なのだよ。梶井基次郎。そして異能力者だ」
「ああ、そうなんだ……ちょっと間抜けな人だったけど。なんだか、身近なんだね」
「ふふふふ。身近ね。まさしく言いえて妙といったところだ――そういえば、君には僕の経歴
「残念?」
「君が僕の経歴についてどう思いつくのか。織田作の回答の次に気になるもの」
「ふうん……まあ、昔はいいや。今は今だし」
夏梅はイベントに参加せずに今日までに至ったことを後から知らされ、ちょっとむくれて強がった。
「そうかい」
手のひらが、見上げたままの夏梅の額にかぶさった。思わず目を閉じる。前髪を整えられる。柔らかい髪は、黒色。閉じた瞼の裏に浮かび上がった、家族の肖像画が形になる前に、目を開いた。
「小さくなってしまったね。戻ったというべきなのかな」
「大叔父さんがいるから、これでもそんなに変わってない方だよ」
「――ああ、元は三歳だものね。でも以前のきみは十歳以上も年上に見えた」
ああ、それは。
「その時は、何回か死にかけたんです」
鎖骨の間へ指を置く、「ここと……」言いながら、その指を今度は
「ここ」
夏梅はこちらを見下ろす太宰へと顔をあげた。
見上げすぎて、首が痛い。照明もまぶしくて、夏梅は目を細めてから、俯く。
「順番に、銃で撃たれたり、鉄棒で殴られたり、蹴られたりして、回復が追い付かなくって、体中がぐちゃぐちゃに混ざるような音がして、気が付いたら、今までで一番大きくなってた。もしかしたら、途中でいままでで一番小さくもなってた気がするけど、最終的にあんな感じになってた」
そういえば、左胸にも
体はそんな傷を覚えていない。
だから、すぐに忘れてしまう。感覚を忘れる。記録として夏梅の記憶には残るけれども。
でも、きっと気のせいだよ、悪い夢でも見たんだよ、と言われれば、ああそうなのかもと思ってしまうくらいには、実感が伴わない。
結局のところ、夏梅には今だけなのだ。今を生きて、今を生かすことだけ。
夏梅は両手を体の前で組んで、大きく伸びをした。
「――それで、太宰さんは、ポートマフィアについて詳しいの?」
もともとその話をしていたんだ。
話が脱線するのはいつものことだけれども。
「そうだね、人並み以上には」
「太宰さん、何でも知ってそう」
きっと人並み以上よりずっと詳しく知ってそうだ。口ばかりは謙遜するけれども。
「どうかな」
にこりと太宰は笑った――のだと思う。
身長差は人の表情を読めなくさせるなあと夏梅は肩を落とした。
✣✣ ✣ ✣✣ ✣
「いやあ、織田作くんはいい駄菓子屋をたくさん知ってるねえ。大漁だ」
紙袋いっぱいの駄菓子を腕に抱え、珈琲豆を手に持つ長身の織田作の横で、江戸川は紙袋を指さす。身長差から少しかがんで中身を取れるようにすると、その中から棒付きの水飴を取り出して歩き出す。
「いえ。そんなことは」
「うん、旨い。僕が褒めてるんだから喜び勇んで受け取るがいいよ。でも、ホントにこれは誰の趣味だい?」
棒付きの水飴の封を切り、さっそく口に含んで機嫌のよい江戸川の問いかけに、うん?と首を傾げた。
「だって、君の子ども、こういう駄菓子よりも、洋菓子が好きだろう? それなのにこういう穴場を知っているわけだ。でも、君だってこういうお菓子が特別好きってわけでもないだろう?」
「………確かに」
織田作は首に巻き付けた自分の髪が窮屈に感じた。
「どうして、俺は、この店を知っているんでしょうか……」
自分の事なのに、他者に聞くというのは実に可笑しなことだろう。
しかし、相手が江戸川ならば、自分自身よりも本質を見て取ってくれる。
江戸川はにっと笑った。
「簡単なことさ。君は知っているから、知っているんだ」
なるほど、と織田作は頷いた。
そのまま行くと、光が燦々と降る道に出る。
商店街の連なっている屋根が途切れたのだ。
目をくらませて、首を振っている時だった。
「おとうさんっ」
声がした方をみると、夏梅が走ってくるところだった。
隣の江戸川とともに立ち止まった。
行き交う人の流れに逆らうように走ってきた夏梅は既に汗だくで、どのくらい走り続けていたのかわからないくらいだった。そして、ひどく焦燥した表情だった。
「夏梅? どうしたんだ」
様子に気づいて、思わず肩が揺れた。
その肩に、江戸川の手がのる、「お菓子、落とさないように! 気をつけてくれよ」
意識を向けると、紙袋を落としかけていたことに気付いて持ち直す。
「うーん、ちょっと状況が悪いみたいだね」
眼を細く開けた江戸川が険しい顔をしていた。
夏梅はひとにぶつかりながら、やって来る。
「っ お父さん、乱歩さん!」
目の前にやって来た夏梅は膝に手をついて肩で息をしていた。
額から滴る汗を拭いてやろうとしたが、手が埋まっている。
代わりに江戸川が動いて、織田作のポケットにある手巾を取って――そこに入れているとは一言も言った覚えがないのだが――夏梅の顔を拭いてやっていた。甲斐甲斐しい。意外だった。
「あ……ありがとうございます。えっと、大変なんです」
「ポートマフィアの襲撃かい?」
「も、なんですけど。怪我で運ばれて来てて。敦お兄さんも、女の子も、それから、ポートマフィアの女の人も」
「なるほど。三つ巴かな。どうやら奴さんも動き出したようだ」
「う、はい。お父さんも、乱歩さんも、急いで行ってほしくて」
夏梅は、舌を噛みかけて焦ったような顔をした。
どうやら切迫した事態のようだった。
菓子を抱えてそんな報告を聞くのは、なんだか座りが悪いが。
「襲撃か。分かった、急いで探偵社に戻る」
「いや、違うね。僕たちのこれからの行き先は探偵社の事務所じゃない」
「……はい。これから講堂へお引越しです」
だから、その、と夏梅が江戸川に視線をちらちらと送る。
江戸川は心得たように頷く。
「りょうかーい。さ、行くよ、織田作」
「ありがとうございます。大叔父…社長も、そちらへ先にいます。――お父さんは、このまま乱歩さんと一緒に行ってね」
「夏梅、お前は?」
まるで、子は一緒に行かないような口ぶりだった。
「僕は、えっと、ちょっと探偵社に戻るから」
「それなら俺たちも……」
「いいからいいから、僕たちは急ごう。あっちでの準備もあることだしね。――ま、無理しないようにね」
「………はい」
夏梅は何故か何かを見咎められた子供のような顔をしていた。
「それじゃ、寄り道しちゃだめだからね、おとうさん!」
「ああ。お前も気をつけて戻れ」
「……うん」
夏梅はにこりとわらう。
「夏梅くん」
「――はい?」
走って戻ろうとする夏梅へ、江戸川が声をかける。
「一つ、いいことを教えよう。鼠が
「え、ネズミ? ……えっと……」
「覚えておくといい」
心当たりがないらしい夏梅は、それでも戸惑いつつ頷いた。
「それじゃあ」
なんだか少し引っかかって、夏梅を引き留めようと珈琲の入ったビニール袋を肘にかけて、手を伸ばしたが、それを横から江戸川に掴まれた。夏梅の背は、路地を曲がって見えなくなった。
「さあ、僕たちも行こう」
「……はい」
夏梅が消えた方をじっと眺めていた織田作だが、腕を掴まれているので、歩き出した江戸川に付いて行かざるを得なくなった。
それから与謝野の異能によって全快したらしい国木田、宮沢、中島なども講堂へ続々と移って来た。しかし、探偵社の異能力者のなかの面々に、夏梅の姿はなかった。
織田作の地の三人称……「織田作」で。
なんだか、人称が間違っていそうです。
後で確認しようと思います。